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砦都ヴォラキスにて
その7 千枚ぐらいあると結構余裕
しおりを挟む「では、担当の者を呼んで参りますので、こちらの部屋で少々お待ち下さい」
綺麗な礼と矢鱈きびきびとした動きで廊下の奥へと消えて行った冒険者組合の女性職員の背中を見送ると、俺はベルフェさんの後ろに続いて指示された部屋の中へと足を踏み入れた。
広さは精々安宿の一人部屋より少し広い程度。 小部屋と言ってしまって差し支えは無いだろう。
入った突き当たりに明り取りのための出窓がある以外には棚や余計な家具・調度類は見当たらず、中央に置かれたローテーブルと火鉢。 そしてそれらを挟んで対面に据えられたソファがあるだけという、実にシンプルな部屋だった。 あ、でも出窓のところに申し訳程度に鉢植えが一つだけ置いてある。 ムムムム…… 随分萎れてるみたいだから、つい先日手に入れたばかりの白い粉と水をあげよう。
「……あの、ガロさん? 何故、初めて入る部屋で真っ先にすることが鉢植えの手入れなのですか?」
「あぁ…… ちょっと気になっただけなんで気にしないで下さい。 んん~~~…… まあ、こういう観賞用のはあんまり詳しくないんですけどね。 どれ、流石に一々掘り返すってのは手間だから、先ずはこれをちょっと浅めに混ぜ込んで…… 土が乾きすぎな気がするけど、この系統の花なら冬だから水はほんの少しで良いですかねー」
半ば諦めた表情をしているからベルフェさんには特に止めるつもりは無いようなのだが、反射的に動きすぎたかも知れないとちょっと反省。 しかし、今更手を引っ込めるのも格好が悪い気がするので、今度からはもう少し気をつけることにして、ここは目を瞑ってもらうとしよう。
『楽しそうなのは結構だけれど、時と場所を考えなさいな』
女神様にまでそう言われてしまっては仕方ないですね。
「まあ、こんなもんでしょう」
欲を言うなら、この鉢植えを管理している人間にお小言の一つでも言って差し上げたいところではあるのだが、今日のところはこれくらいで勘弁しておいてあげるとしよう。 このぐらいやっておけば、あとは水遣りだけでも春が来るまでは枯れずにいられるだろうし。
『言いたいことが山ほどあるのだけれど、この場では黙っておいてあげるわ。 感謝なさい』
……。
『あからさまに面倒臭いなって顔をしないでくれるかしら? 全く!』
座り心地は今ひとつなのだが、作りだけはしっかりしているソファの片側に二人で腰を下ろして火鉢にあたりながら暫く待っていると、先程の女性職員さんの言うところの担当の者とやらがやって来た。
「これはどうもお待たせてしまって申し訳ない。 物が物だけに商人連中が張り切り過ぎたのか、取引が随分と荒れてしまいましたが…… しかし、その甲斐あってか、どれもこちらで見積もっていたよりもかなりの高値で捌くことができましてなあ」
「それは、勿論こちらとしても嬉しいことですので問題ありませんわ。 急いで資金が必要な状況でもありませんし…… では、マスター・カイナス。 お願いしてもよろしいですか?」
「喜んで! では、こちらが今回のー……」
後ろ頭を掻きながら笑いつつも、やや申し訳なさそうに部屋に入ってきたその男は、ソファにどっかりと腰を下ろし、そこまでを口にしたところで今になって俺が突然目の前に現れたかのような、まるで今初めてその目に俺の姿を映したかのような驚きを隠せない表情で、載せた瞬間にローテーブルをギシリと軋ませる程の重量があった皮袋を再び持ち上げようとした体勢のまま、彫刻のように一切の動きを止めたのだった。
俺、そこまで存在感薄いですかね?
『隣に居る子の存在感がありすぎるだけだから、気にすることは無いと思うわよ?』
そこは一言「そんなことないわよ」って言ってくれたほうが救われる気がするんですが、女神様に多くを求めてはいけないって事は理解してるつもりですんで、我慢しておくとしましょうか。
『あ、うん。 そうして頂戴』
一言で言うならば、それは厳ついおっさんで。
二言で言うならば、ナンか妙に偉そうな 厳ついおっさん。
三言使って贅沢に表したならば、ナンか妙に偉そうな って言うか明らかに組合長だよね この厳ついおっさん。 といったところだろうか。
耳も尖っていないし、身体のどこかにこれと言った獣相が顕れているわけでもない、一見したところでは人族。
年の頃は常命の人族で言うところの四十半ばから五十に届くか届かないかといったところで、身長は俺よりも頭一つ高いぐらい。 と、獣相が殆ど表に出ない程に薄く獣人族の血が入っていたり、同じように殆ど特徴が確認できない程の遠い先祖に風精混在型人類や地精混在型人類がいたりするのかも知れないが、まあ、この世界に一番多く住んでいるという話の一般的な汎型人類であると考えて問題ないだろう。
改めて言うまでも無く厳めしい面構えと日に焼けた赤銅色の肌。 相当に鍛え込まれているのであろう分厚い筋肉で鎧われた全身は、組合長などと言うよりもまだまだ十分に現役で活躍している活躍していける熟練の戦士や冒険者と言われた方がしっくり来るように思えたのが、ふと目を少しばかり下に向ければ、ソファに座ったことで少々裾の上がったズボンから覗いた右の脛から踝にかけてが不自然に細く、その色艶も人の肌として考えると明らかにおかしい。
あ…… 義足なのか。 なるほど。
一人で納得して小さく頷いた俺を怪訝そうに、そして値踏みするような目で上から下までじろじろと眺め回してくれているその壮年の男は、誰何するまでもなく、この砦都ヴォラキスにある冒険者組合の長。 カイナス何某というお偉いさんだった。
「……して、アムネリスさ…… いや、アムネリス殿。 こちらの青年は一体? 今回の純白百足討伐依頼も、いつものようにお一人でこなされてしまったと伺っておりましたが……」
「ええ。 討伐自体は私一人で事足りましたが、今回は素材関連がとても嵩張りそうでしたので、こちらの彼には運搬人として同行していただきましたの。 ですので、この場にも同席していただくのが良いのではないかと思い、こうして共に参りました次第ですわ」
「あー…… あぁぁぁ~~~!! あれかっ!! 阿呆みたいな量の純白百足の素材を殆ど一人で運んできたって言う! 受付嬢の奴がまた派手に話を盛ったのかと思ってたんだが…… まさか、本当にアレをあそこから一人で運んで来たってのか? いや、荷車だってんならまだ話は解るんだ。 砦都の近辺は道の整備に結構な力を入れてるから、雪の無い時期に荷車でってんなら、な。 だが、アレを橇でとなると魔術か何かで補助があったとしても、四…… じゃ足りねえか。 ありゃあ、普通に考えたらせめて五~六人は必要な手間になった筈だぜ?」
「私も少しはお手伝いさせていただきましたが、基本的にはガロさんお一人で曳いてらっしゃいましたわね」
「マジか…… アムネリス殿と一緒にいるぐらいだからひょっとしたらとは思うが…… こんな何処にでもいそうな顔してるってのに、まさか陸王種の獣因持ちじゃねえだろうな? しかしガロ? ガロか…… 聞かねえ名前だなぁ」
「あ、どうも。 ガロって言います。 俺は割と普通の汎型人類の生まれですし、あれに関しては、ここまで曳いて来ただけで正直ちょっと死に掛けましたんで、もう一回やれって言われても勘弁願いたいところですねー」
どうやらこのカイナス何某さん。 ベルフェさんに対しては敬意だとか尊敬だとかと言うような類の感情があるようで、なんとなく丁寧に接しようと努力している風に見えるのだが、如何せん。 この人、どうも根っこがかなりがさつと言うか大雑把と言うか、とにかく雑に出来ていらっしゃるようで、あっという間に「普段はこうなんだろうな~」という調子に戻ってしまっている。
それでもちょこちょこと修正をかけようとしている努力は見受けられるのだが、焼け石に水と言う以外の言葉が浮かんでこないのは如何したものなのか。
『その努力の部分が他人に知られてしまっている時点でもう……』
女神様、それ以上は言ったら可哀想だからやめておいた方が……
とまあ、仮にも組合の長がそんなのでやっていけているのだろうか? と若干不安になるのだけれど、俺なんかが考えたって仕方の無いことだろうからこの場は放っておこう。
そんな対外業務には向いていなさそうな組合長のカイナスさんな訳なのだが、俺に対してはどうやら一貫して欠片も取り繕ったりする気は無いらしく、灰色の目を大きく見開いてまじまじとコチラを観察してくる上に、やれ生まれは何処なんだ? とか、やれどんな仕事をしているんだ? とか、好奇心からなのか他にも理由があるからなのか解らない質問を矢継ぎ早に捲くし立ててくるものだから、少しばかり…… いや、正直かなり鬱陶しくて居心地が悪い。
実のところ、純白百足の討伐を終えて帰ってきたその当日、此処、砦都ヴォラキスは結構な大騒ぎになっていた。 と、ベルフェさんから聞いた覚えがある。
極限状態と言ってしまっても過言ではないような疲労の中、周囲に目をやる余裕なんて欠片も無かったからなのか、当日の、特にヴォラキスに到着してから純白百足の素材を冒険者組合に預け、そこから貸家に帰り着くまでの記憶が俺には殆ど無かったのだが、前日の夜から明け方にかけて、とんでもない勢いで燃え上がって空を染めるあからさまに不自然な真っ白い炎はヴォラキスからも目にすることが出来てしまっていたようで、街道に突如出現した純白百足という巨大な脅威がその段階で既に十分に周知されていたこともあってか、住民たちは当然の如く不安と恐怖に苛まれ、都市を囲む郭壁の上で夜警をしていた守備隊の衛士たちに至っては、その炎を更に見易い位置にあったが為か、そこから生まれた危機感は住民たちのそれを上回る勢いで、打って出るべきか、このまま守りに徹するべきかと始まる討論。 そして対立。 それはあっと言う間に守備隊全てに伝播して、挙句に住民も何もかもを引っ括るめた上を下への大騒ぎになってしまっていたらしい。
そんな中、討伐の報せと共に街門の高さ制限ぎりぎりという山のような純白百足の素材を積んだ橇を曳いてやってきたのが、俺とベルフェさんだった訳で……
そこからは一転、砦都全体がちょっとしたお祭りのようになっていたんだそうな。 俺は貸家でぐーすか寝ちゃってたんだけれども。
全身もっこもこに着膨れた上で頭には毛帽子と耳には耳当て。 口元は首巻きで隠されて、辛うじて目にすることの出来る口から上、額から下の部分の肌は真っ赤になって目も血走り、更に全身から大量の蒸気を噴き出しながら如何考えても人一人でなんて曳けるようには見えない橇を曳いて歩く怪物。
ベルフェさんが言うには、それが砦都の住民たちから見たあの日の俺であったらしい。
よく生きてたなぁ…… 俺。 色んな意味で。
『ついでに手足が伸びたり膨らんだりしたら面白かったのだけれど、そこまで行ったらうっかり討伐されそうだものね』
……女神様は俺を一体如何したいって言うんですか?
道往く住民たちには、
「あれは少し小さい気がするが、東の方に住んでいるという鬼人ってヤツなんじゃないか?」
とか、
「いやいやあの馬力、形は大きめだがドワーフの血が入っている特級の冒険者か何かに違いない」
だとか、
「ありゃあきっと魔族だぜ…… だからあんな風に顔隠してたんだよ。 ちょっと警邏の連中呼んできた方が良いんじゃねえのか?」
だとか、
「馬鹿言ってんじゃねえよ。 あれは王都のあたりで開発された新式の魔動機人に決まってんだろ! あれ多分、何年か前に発表された蒸気機関とかっての積んでるんだよ!」
だとか…… 何やらかなり好き放題に言われていたようなのだが、そのお陰と言うか何と言うかで、本来の俺の容姿を知っている人間は全くと言って良いほどに居なかったらしく、普段は【容姿隠蔽】とかいう魔術の付与された頭巾を被って外見を偽装しているらしい━━親しい人間や良く見知った人間が相手だと効果が上手く発揮されなかったりするんだとかで、どうも俺相手では効果が出ないらしく、俺にはそれが未だに実際に効果のあるものなのかどうかがわからないのだが━━ベルフェさんは良いとしても、その後も俺が変に絡まれたりすること無く平和な日々を送れているのは、不幸中の幸いと言うやつなのだろうか?
さて、しかしどうにかこのカイナスさんとやらからの視線と追求から逃れられないものかと思案しながら、何度も尻を浮かせてソファに座りなおしてみたり窓の外で降り続ける雪の粒を数えてみたりしていると、何故だかこちらもまた大きく目を見開いて俺を見ていたベルフェさんと目が合った。
あれ? ベルフェさん? そろそろ助け舟を出してくれないものかと期待してたのに、ベルフェさんまでそんな胡散臭いものでも見るような目で見ないでいただけますか? この場では今のところ何一つ嘘なんて吐いてませんからね!? 本当ですよ!? まあ、嘘を吐いてないからと言って本当の事を語ってるって訳でもないですけれども。
『普通の汎型人類は五百年も生きないし、純白百足に齧られて無事でいられるほど頑丈には出来ていないわ。 って、貴方は私に何度言わせる気なのかしら?』
女神様も今そういう突っ込みは間に合ってますから! そんなんだから友達少ないんですよ!
『少なくなんてないわよ!?』
しかし…… ベルフェさんには俺が普通の汎型人類の生まれだって言ってあったと思うんだけど、なんで今更こんな目で見られてるんだろうか?
……
…………
………………
あれ? 言ってあった筈…… 言ってありましたよね? んん……? 待てよ? 言ってなかった…… っけ?
『……貴方の生まれなんかに関しては特に何も話していなかったと思うわ。 あと、神の発言をスルーするとは良い度胸ね?』
おっと…… これはひょっとして大失敗の予感? 訊かれたら都合の悪い部分の答えやら何やらを貸家に帰るまでに適当に考えておかないと……
『本当に良い度胸に育ったものだわ』
なんですか女神様。 照れるじゃないですか。
『褒めた覚えが微塵もないわ!』
「……まあ、私もガロさんには改めて色々と訊いてみたい部分があるのですが、その辺りのお話はそろそろ切り上げていただくとしまして…… 本題に入っていただいてもよろしいでしょうか? マスター・カイナス」
「おっと! これは失礼。 そうでしたな。 何分、冬の間は色々と停滞しがちなもんだから、面白い話に飢えてましてな。 少しばかり興味に走りすぎてしまい…… では、こちらが今回の買取の代金と明細だ。 いや、明細になりますですハイ」
そうベルフェさんに指摘され、少しばかりばつが悪そうに苦笑する組合長の手によって俺たちの正面に差し出されたのは、中身の詰まった如何にも重そうな皮袋が一つと、一枚の紙だった。
さて、随分と今更の話になるが、ここは、この砦都ヴォラキスにある冒険者組合の中にあるとある一室。
今日、俺たちがこうして冒険者組合までやってきたのは、頼んであった純白百足の鎧殻や顎牙といった素材の買取手続きが一通り終わったとの連絡を貰ったため、その代金の確認と受け取りをするためだった。
通常であれば、冒険者組合での素材買い取りは即日即金で行われるそうなのだが、今回はその量もさることながら、持ち込んだ素材の殆どが引く手数多な稀少で価値の高いものだったらしく、冒険者組合の買い取り窓口で規定の値段でその場で買い取って貰うよりも、いくらか時間をかけて競売にかけたり、専門の販路を通した方が良いのではないか?という窓口のお嬢さんからの提案を受け、その取引全般の代行をお願いした結果である。
「オークション開いた手数料と商人との仲介料を差っ引いた代金は総額で金貨三千五十四と銀貨で十二。 ですが銀貨分は端数切り上げってことにさせてもらって、金貨三千五十五ってことで如何でしょうか?」
「……あら、切り上げだなんて冒険者組合としては随分と珍しいですが、よろしいのですか? 私としましてはありがたいのですけれど」
「ええ、ええ。 手数料と仲介料だけで十分すぎるほどの利益を上げられましたんで、このぐらいは全然問題ありませんわい。 純白百足の素材を扱えたってだけでウチの支部の評価は爆上がりでしょうしな!」
「では、ありがたく頂戴いたしますわ。 それではガロさん。 通常の運搬仕事であれば荷物の一割程度が相場と言われているのですが、今回は私の注意が足りなかったばかりにガロさんをかなり危険な目に遭わせてしまいましたので、その点を深く鑑みまして、取り分は7:3が妥当かと思うのですが如何でしょうか? ……あら? ガロさん……? ガロさん!?」
「……はっ!!」
なんだ? なんだ今の赤くてよく解らないものは……? あ、夢か……
「ああそうだベルフェさん。 今夜は煮込み料理とか如何ですかね? 鍋とかも良いんじゃないかと。 あれで暖まりながら冷たい麦酒を思いっきりゴクゴクやりたい気分なんですが」
「あの…… 何故また唐突に夕食の話を? 報酬の分配のお話をさせていただいていた筈なのですが……」
俺の座るすぐ横には、正に訳がわからないと言った具合の困惑した表情を浮かべているベルフェさんの顔があって、向かい側には冒険者組合の組合長━━カモナスさんだっけ?━━が、若干困ったような顔で腕組みをしながらソファにふんぞり返っている。
あれ……? そう言えば此処、何処だ? ベルフェさんが一緒なのはまだ解るんだけど、なんでこんな狭い部屋でこんなおっさんまで一緒に? あれ? 今まで何してたんだっけ? あるぇ!?
『貴方…… 今ちょっとだけ意識が飛んでいたのよ。 ほら、深呼吸して少し落ち着きなさい』
え? 意識が!? 何で!?
『いいから深呼吸!』
すー……
はー……
すー……
はー……
すー……
はー……
『落ち着いた? それに思い出したかしら?』
あー…… はい女神様。 大丈夫です。 落ち着きました思い出しました。 多分大丈夫です。 ええ。 多分…… 今しがたベルフェさんの口から物凄く不穏当な発言を聞いた気がするので、ひょっとしたらまた飛ぶかも知れませんが今のところは大丈夫です。
手にしていた紙に目を落とすと、そこに記されていたのは純白百足の部位毎の売却金額やら手数料やら何やらといった数字の数々。
それらを追いかけながらどんどんと視線を先に進めていくと、最後にあったのは金貨三千五十五枚という、ともすれば正気を疑いそうな金額を示した数字だった。
さんぜんごじゅうごまい……
三千五十五……
人を集めるのにいくらか手間がかかるかもしれないけれど、辺境だったら誰の許可も要らないし土地なんか只みたいものだから金貨で二百枚もあれば十分な広さを整地して囲って、上手くしたなら大雑把に道まで引ける。
先ずは寝起きが出来るだけで良い程度なら、その辺の木を適当に切り出して金貨二枚あったら家が建ち。 住人を三十として家は十五で金貨三十枚。 そこに最低限必要な家具と寝具で更に三十。
最初の年だから農具と暮らしていくための食料…… あとはちょっとした薬なんかを仕入れるのに少し多めに見積もっても金貨二百枚はかからないだろう。
獣や魔物を狩るのと野盗からの自衛のために武具類も欲しいが、それだって金貨五十枚で事足りる。
家畜も適当にいくらか欲しいからそこに五十枚かけて。
最後に、ちょっとした娯楽と作物が取れるようになるまでの給金とで二百枚。
三千五十五の三割と言うと九百十と少しだから、ここまでの金額を引いても更に何かあったときのための蓄えとその他の雑費として十分であろう百五十枚以上が残っていると考えて、前に俺が村を作ったときには領主様からそれより多めの資金を頂いていたからもう少し大きいものではあったけれど……
「ちょっとした村が出来るわ!!」
ひたすら面倒臭いだけだから作りはしないけど!!
「ガロさんっ? 本当に突然一体どうなされたと言うのですか!?」
思わず勢い良く立ち上がって叫んでしまった俺に対して、ベルフェさんは一層心配そうな目を向けてくるのだった。
「あー…… アムネリス様? いや、殿? そいつ…… じゃ不味いな。 彼は、そのー…… さっきの話を信じるならば農民みたいなものなんでしょう? 金貨三千枚ってのは、アムネリス殿のような位階にある冒険者や英雄様方にとってはそこまで珍しいものじゃあないのかも知れませんが、その辺の農村の住人どころか、ここの国の王都で暮らしてる人間からしたって、相当な無茶でもやらかさない限り一生かかっても稼げる金額じゃあないんですよ。 だから」
「ええ、すみませんねベルフェさん。 ちょっと魔物一匹狩ってきただけで金貨三千枚とか、俺の常識が三界を突き抜けて何処かに吹っ飛んじゃってたみたいで、それに連れられて意識まで飛んでましたわ。 あ、でも大丈夫です。 なんとか正気に戻りましたんでもう大丈夫です。 ええ多分……」
「あっ、あ、え? はあ。 そう、なのですか? 元のガロさんに戻られたのでしたら良いのですが」
余計な心配をさせてしまったようでベルフェさんには申し訳なかったけれど、その後は特に問題も無く手続きを終えて、組合長さんと女性職員さん━━あの人がトーラさんだったのだろうか?━━に見送られながら、俺たちは冒険者組合を後にした。
「あっ! あのっ、ですね。 もしよろしければ、なのでありますが! 握手をしてもらえ…… してはいただけないでしょうかっ!?」
小部屋から出る際に、酷く緊張した面持ちのカイナスさんがそんな事を宣ったので、「仰せのままに」と差し出された右手を握り返して差し上げたところ、何故だか凄い形相で睨まれた上に怒鳴られた。
「あんたじゃねえよ!?」
「あ、やっぱり?」
「ガロさん……」
『楽しそうで何よりねー』
途中から「多分そうなんじゃないかな~?」とは思っていたのだが、あの組合長は自らが冒険者を志すよりも以前からという、根っからのベルフェさんの信奉者であったらしい。
ちょっと困った笑顔を浮かべるベルフェさんに希望通りに握手をしてもらって狂喜乱舞の一歩手前といった感じで浮かれているところを女性職員さんに見咎められ、見る間に小さくなっていく様はなかなかの見物だったが、「またのお越しをお待ちしております」と深々と腰を折った女性職員さんもしっかりとベルフェさんと握手していた━━しかも両手でがっしりと━━のは、多分そう言うことなのだろう。
ベルフェさん、こういう人気はあるんだよなぁ…… 本当に。
『そうねぇ…… 本当に』
◆ ◆ ◆ ◆
「そういえば…… 純白百足の鎧殻だとか顎牙だとかって、どんなものの素材に使われるものなんですかね?」
口に入れると舌の上でほろりと解けてしまうほどに柔らかく煮込まれた肉をはふはふとやりながら、樽型のビアマグに注がれた冷えた麦酒をグイっと一口。
鍋料理も捨て難かったのだが、今夜は思い切り贅沢なものにしようと近場の店を廻ってみたところ、どうもこの辺りには高級な鍋料理を出す店は無いらしいという残念な現実と直面してしまったため、代案として用意してあった絶品の煮込み料理を味わえるという触れ込みの此処、【蒼騎士】へと入ってから暫く経つ。
以前は何処だかの騎士団で料理番を任されていたという主人の手による絶品との評価にも納得の煮込み料理の数々を二人で色々と試しながら、最終的にベルフェさんは南瓜と厚切りベーコンのクリームシチューがお気に召したようで、今ではそれが四杯目。
俺は角煮豚と馬鈴薯の具沢山スープの三杯目に取り掛かっているところである。
一口分と言うにはやや大きく、かと言って二口でとなると心許ない。
思うまま豪快に頬張るのに丁度良い大きさの蕩けるほどに柔らかく煮込まれた豚肉と、やはりそれと同じぐらいの大きさに切られた馬鈴薯がごろごろと入った甘辛い味付けのスープは、味については態々語るに及ばず食べ応えも十分で、なにより少々濃い目の味付けが為されたそれは、酒との相性が恐ろしく良かった。
何故だかちょくちょく主役の角煮豚が同じぐらいの大きさの南瓜と交換という体でベルフェさんに攫われて行っているような気がするのだが、多分、深く考えてはいけないことのような気がするので気にしないでおくとしよう。 ベルフェさん幸せそうだし、まあ良いや。 ほくっとした南瓜も美味しいし悪くはない。
「ほふふぁふっ…… んんっ。 そうですわね…… 顎牙は特に頑丈な部位ですので、あそこから削り出したり、そのまま鋭く研いだだけでも大剣などとして十分な性能を発揮出来る人気のある部位ですわね。 性能としては一段落ちてしまうらしいのですが、一度砕いてしまってから溶かして精錬しなおしても、武器や日用品の刃物の素材として重宝するらしいですわ」
「ほうほう、なるほど…… しかしあれをそのままって、あんな物を平気で振り回せる人なんてそうそういないでしょうに」
「……」
『貴方は出来るわよねー』
「あっ…… 俺はまあ、振り回すことは出来るのかもしれませんが、ただぶんぶんやるだけなんで持ってたって意味ないですよ。 第一、あれだけで金貨六百枚だとか、あんな馬鹿高い上に目立つ物は売っちゃって正解です」
「まあ、ガロさんならそう仰ると思いましたわ。 鎧殻の用途も顎牙と似たようなものなのですが、こちらは面積を広く取れる部分が多いですし、盾や鎧といった防具類の材料として扱われることが多いですわね」
「フ~ム…… つまりは解り易く武器防具の材料になる訳ですか。 たしかにあれは只管頑丈でしたからねぇ」
「そうですわね。 人気も価値も顎牙の方が高くはあるのですが、鎧殻には常に一定の需要がありまして、ここ十年ほど純白百足の討伐数が減っていた所為もあってか、元々稀少部位である顎牙よりも今回は特に高く買い取っていただけた部位ですわね。 あっ、角煮と南瓜を交換こしましょう。 ハイ、どーぞ♪」
「一定の需要ですか…… って、ええっ!? もうそれ七つ目ってもう食べてるしっ!! 最後の楽しみに取っておいたのに! あっ、いえっ、南瓜も美味しいデスネ……」
「あむんむ、んふ~~~♪ こちらのお店のお料理は確かにどれも紛れもない絶品ですわぁ。 あ、そうそう。 このお店の名前の【青騎士】で思い出したのですが、その需要に関しまして…… ガロさんもご存知とは思いますけれど、世には白塗り一色の装備で全身を固めている白騎士なんて呼ばれている方々がおられますでしょう?」
「えっ、ええ…… そう。 そう、ですね。 あっ店員さん、この角煮豚の奴をもう一杯お願いします。 白騎士ですか…… たしかに、そんな風に呼ばれてる物好きな人らの話は偶に耳に入ってきますね」
「勿論、ああいった方々の中には純白百足の鎧殻とは別の含魔素材や金属…… 妖精銀や鋼等を白く塗装して鎧や盾に使っている方も紛れているのでしょうが…… と言うか、むしろ塗装の方の割合の方が多いとは思われるのですが、純白百足の鎧殻は、その鎧や盾を製作するための素材として白騎士の方々に昔から特に愛されているのです」
「へぇぇ? しかも愛……? そこまでですか。 それはまたなんで…… いや、そうか。 白いからか」
「そう。 白いからですわ。 塗装した鋼や他の金属などでは攻撃を受けた際だけでなく、歩く走るなどの普段の動きの中ですら擦れたりすることでどうしても塗装が剥げて地金が出てきてしまい、それらが目だって少々みっともない外見になってしまいますが、何処を如何斬っても叩いても引っ掻いても白く、並の鋼どころか妖精銀よりも頑丈で、魔術に抗する力も十分に高い純白百足の鎧殻は、白さにこそ拘る…… と言う訳ではないのでしょうけれども。 まあ、その白騎士の方々の目からすれば、この上もなく都合の良い素材として見えるのでしょう」
「まあ、塗料が剥げちゃってぼろぼろになってる白騎士なんて格好がつかないですしねぇ。 あ、どうも。 ついでに麦酒のおかわりもお願いできますかね? ……え? そろそろ看板? じゃあ、俺はこれで最後にしておきますかね。 ベルフェさんは如何します?」
「では…… この梅を漬け込んだ蒸留酒というが気になりますので、私はこれをお願いしますわ。 あと、最後にガロさんと同じ豚角煮と馬鈴薯のスープを。 ……そう、それで白騎士といえば、特に有名なものの中に教国ご自慢の聖堂白鳳騎士団というものがありますでしょう?」
「ええ。 なんか、騎士団の全員が凄い美女だとか美少女だとかって噂の奴ですよね? なんでも毎年教国で開催される式典の行進を観に来る客の所為で、その期間だけ教国の人口が三倍になるとかならないとか言うとんでもない人気の……」
「それで合ってますわ。 その美少女揃いでとてもとても有名な聖堂白鳳騎士団は、白い装備に特に強い拘りを持っておりまして、団員の装備する防具の主材として純白百足の鎧殻以外の素材を使用することを禁じているほどですの。 お陰で市場に出回る純白百足の鎧殻は、買い占められこそはしないまでも、その大半が教国に送られている程ですわ」
「聖堂白鳳騎士団の鎧の元が百足の殻…… 何かに裏切られたような気がするのは何故なんだろうか?」
「ふふ…… この話を聞くと皆さんそう仰いますわね。 なので、あまり広めて良い話ではありませんのよ? ガロさんも無闇に言いふらしたりすると余計な騒動に巻き込まれてしまうかも知れませんので、くれぐれもお気を付け下さいましね?」
そう言って少しばかり人の悪そうな笑みを浮かべたベルフェさんと彼是話していると、やがて閉店時間となってしまったため、勘定を払って店を出た。
とっぷりと日も暮れて雪のちらつく貸家への帰り道は時節相応に寒々しいものだったが、懐も身体も十分に温まっていた俺たちにとって、それはむしろ心地好く感じられる程度のものでしかなく、ぼんやりと「今夜は良い夢が見られそうだなぁ」なんてことを考えている内にあっさりと帰り着いてしまった。
さて、お茶でも啜って一息吐いたら今夜はもう寝てしまおう。
『良い夢が見られると良いわねぇ…… ふふふ……』
いや、そういう無駄に思わせぶりな含み笑いとか要らないですから女神様。 静かに眠らせてくださいよ……
『……このくらいのお約束は軽く笑って流せる余裕を持てるようになりなさいよ。 ま、ゆっくりとお休みなさい』
なんで俺が悪いみたいな流れになってるんだろうか?
欠片も腑に落ちないんですが、おやすみなさい女神様。
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元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
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ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
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