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大きな石造りの巨大な壁を3つほど抜けた先にそれはあった。こうして見上げてみると明らかに異様な大きさだと分かり、また同時に圧倒される。都市の端にある商業区域からでさえその姿をはっきりと確認できる神樹は、間近で見た俺は言葉を失った。
コレが樹齢など最早数える事さえ無意味な位に長い間を生きており、その間に無数の果実=子供を産み落としたという神樹。間近で見れば根っこでさえ人の数倍はあり、幹などに至れば巨大なビルよりもさらに大きく、外周がどれだけあるのか想像さえ出来ない。
(ご苦労でした。)
地球では絶対に拝めない圧倒的な光景に思考が停止する俺の頭の中に直接声が響いた。
『はい。では母上。私はこれで失礼します。』
頭の内側から声が聞こえるという変な感覚に慣れない内に背後から声が聞こえた。振り向けばルチルが巨大な樹木に一礼する光景。俺と目が合った彼女はにこやかにほほ笑むと俺に背を向けそのまま引き上げていった。
緑がそよぐ中、俺は1人きりになった。辺りは静かで、心をかき乱すような雑踏や喧騒は一切ない。小鳥の囀りに木々がざわめく音に混じり時折温かな風が吹き抜ける。それに空気が澄んでいてとても綺麗だ。田舎特有の空気とも自然の中でキャンプをしている時とも違う別格に綺麗な空気は、一呼吸分を吸い込むだけで身体の中に溜まった毒素が中和されていくような気分にさせる。
俺はもう視界を覆うほどに大きな神樹を見上げた。この樹が……
※※※
――話は今朝にまで遡る。
何時も通りの朝。目を覚ました俺の視界が捉えたのは、今日も今日とて何処かから侵入したアメジストの首根っこを引っ掴んで部屋から引き摺りだすルチルの姿。それはもう慣れ切った光景だったが、今日は1つだけ違った。
『よう。ここ最近悩みがちだって聞いてね。じゃあ行こうか。』
彼女は部屋の扉の前に立つと実の妹を廊下目掛け放り投げ、次にベッドから呆然のその様子を眺める俺の目を見ながらそんな言葉を掛けた。が、起き抜けの頭に思考が追い付かない。だから無意識に"誰が?何処に?"なんて素っ頓狂な口調で尋ねていた。
『悩み相談。我らの母君ならお前が抱えている疑問の答えを持っているからね。ツー訳で準備が出来たら神樹の元に行くよ。』
成程。確かに彼女の言葉通り悩みを抱えているが……しかし随分と急な話だ。だから俺は有無を言わさないルチルの勢いを前にただ無言で頷くしか出来なかった。扉から覗き込むような姿勢で必死に何かを訴えかけるアメジストは敢えて視界に入れない。
『じゃあ急いで準備ヨロシク。』
ルチルは更に急かすような言葉と共に、ベッドから起き上がった俺にタオルを投げて寄越した。日課の洗顔と寝汗を拭く為のタオルだ。なんだかんだ彼女とも長く、だから俺が何時も何をするかよく分かっているようだ。
『え?駄目よ、だって今日は私と……』
『1人で仕事だろ。今日も明日も明後日も。』
『そんなぁ。私も休みが欲しい、潤いが欲しいのにぃ!!』
一方、準備を淡々と進める姉にアメジストは必至で食い下がるが……
『加減しろよッ、相手がパッサパサに干からびてんだよ!!』
直後にルチルからの最もなツッコミと共に再び廊下へ放り投げられた。ありがとう……分かってくれて本当にありがとう。俺は彼女の言葉に心底感謝した。
しかし、こうして勝手に侵入する度に姉妹の誰かに窘められる光景を見ていると、ボロくても良いから自分の家が欲しいと願うのは我儘だろうかと、そんな事を考えてしまうのだけども……彼女ならどんな厳重な警備でも突破しそうなのが悲しくも恐ろしいところ。もうコレ諦めるしかないな、そう結論した俺は廊下から聞こえる嬌声を耳に入れないようにしながら水場へと向かった。
※※※
見上げても頂上が全く見えない位に高くそびえる神樹を見ながら思うのは、この樹がおおよそ同じ生まれとは思えない姉妹達の親だという事実。確かに頭の中に直接語り掛けるという不思議な力を体験すればそう思えるし、非常識な大きさの茶色い幹と根、遥か上には空を覆い隠すほどに生い茂る緑の葉という桁違いのスケールを見れば想像を超えた存在だと納得も出来る。
(初めまして。)
また声が聞こえた。頭の中に響く声はまるで脳を直接揺さぶられる様な感覚に近く、端的に酷く不快だった。
『失礼した。ではコレでどうかな?』
今度は普通の声だった。未経験の感覚というだけでは到底納得できないあの不快感とは違う、慣れ親しんだ耳が捉える人間の声が聞こえた。その方向、俺の背後を見れば……何時の間にか誰かが立っていた。
人。ソレは間違いないが、尖った耳に圧倒的な美貌は間違いなくエルフだ。その容姿は子供っぽさの中に妖艶さを秘めている様な不思議な感覚があり、更に言えばどことなく4姉妹に似ている様な雰囲気も感じた。が……
『ンまー。アンタが伊佐凪竜一クンやね。じゃあとりあえず愛称はナギちゃんでええやろ?あ、私アレなアレ。アンタの後ろにあるでっかい樹や。本名は神樹ハイペリオンやけど、でもアンタは娘がごっつい迷惑掛けとるさかい、気軽にハーちゃん呼んでくれてええよ。』
俺は膝から崩れ落ちたね。何だいきなり。翻訳がいきなりおかしくなったのか?それともコレが素の性格なのか。ソレまでの静かで穏やかな雰囲気を完全にぶち壊すおばちゃん口調に直立不動だった俺の姿勢は情けない程に崩れた。
『あら?どうしたん?もしかしてまだこっちに慣れとらんのかね?ンまー、仕方ないけどいい加減に慣れんとあかんでぇ。』
慣れないのはアナタの言動の落差なんですが……とは素直に言えなかった。彼女、ハイペリオンと名乗ったエルフは俺が漸く立ち上がるとにこやかに微笑みながら話を続ける。そこだけを切り取れば見惚れる位に美しいのだが、しかし喋り出せば全てを台無しにする。
『さて。私がアンタを呼んだ理由はもう予想しとるやろ?最初はね、教えとかんかった方がエエんやと思ってたんよ。だけどアンタの様子がちょっとずつ悪くなっていっているのを感じてな。だから教えてあげようと思ったんや。ま、勿論アメジストとローズの件もあるでな。』
驚いた。この人、ずっと俺の事を気に掛けていたらしい。だけど、ちょっとずつ悪くなる原因ってのは明らかにアンタの娘の方が大きいんですが……しかし、アメジストは毎日毎度の事だから良いとして、俺はローズから何かされたのか?
『さて。』
唐突にハイペリオンの雰囲気が変わった。ついさっきまでのおばちゃん的な雰囲気は一気に消え去り、静かで冷たい空気が場に充満した。中心は言わずもがな、彼女だ。ソレは先ほどまで砕けた口調で談笑していた女性とはまったく一致しない、細いながらも女性らしい凹凸のある身体なのに……まるで巨大な樹木から見下ろされている様な圧倒的な威圧感を感じる。
『本題に行く前に確認しときたいんやけど?覚悟はええか?こっから先には確実にアンタが知りたくない、聞かない方が良かったって内容が含まれとる。それでも聞きたい?聞きたくないんやったら遠慮なく言ってええで。私とナギちゃんの仲や。今日ここまでの内容を綺麗さっぱり忘れさせてやるけんね。』
ハイペリオンの言葉に俺はドキッとした。聞きたくない……その言葉にほんの僅かだが苛立ちを覚えた。俺は一体何をどうしてこの世界に飛ばされたのか分からないが、少なくとも禄でもない何かが起きた結果らしく、またソレは俺を気遣っての判断だという事が彼女の言葉から何となく理解出来た。だが、その件を含め当事者の俺が未だに何一つ事情を知らず、何も分からないまま変な世界に放り出された現実に納得出来る筈も無い。
知りたい。知らない方が良いから記憶を封じたんだと頭では分かっていても、それでも知りたいという感情が抑えきれない。生まれてからの記憶はある。小学生、中学生、高校大学を経て就職して以降の記憶もバッチリ残っている。良かった思い出は嫌な記憶に飲み込まれてもう思い出せないけど、それでも記憶の底にこびりついている。知り合いや幼馴染の顔に至っては今でも鮮明に思い出せて忘れる事など出来ない。
だけど、それなのに転移させられる直前の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。ソレがもどかしくて、でも誰にも相談できなかった。
『ええんやね?なら、先ず最初の疑問からや。アンタの記憶を封じたのは私や。』
特に驚きはなかった。それは"今日ここまでの内容を綺麗さっぱり忘れさせてやる"、という言葉を聞いた時に何となく予測出来ていたからだ。
『但し、正確には私だけやないんや。じゃあ私以外は誰かって気になるやろ?実はあんたの居た世界を担当する神様や。』
神?何か一気に話が壮大になったような気がする。が、まだ疑問は全く解決していない。"誰が"という部分が分かっているだけで"どうして"という部分が抜け落ちているからだ。
『その辺、実は私もその神様から聞いたってだけで詳しくは知らんのよ。だから直接本人に教えてもらおっか?おーい、アーちゃん!!アーちゃん!!アンタんとこの人間に事情説明したってやぁ!!』
おかしいなぁ。真面目な話をしている筈なのにイマイチそんな雰囲気にならない。というか、まるで二階の子供を呼ぶみたいに気軽な口調で神様を呼ぶつもりなのか?何が何やらサッパリ状況が理解できないが、しかし彼女の雰囲気だけは真面目に見えるものだから、取りあえず俺も信じるしかない。
『あらぁ?変やねぇ。ならしゃーない。私が知る範囲でおしえてあげましょって、おやおや?』
気軽に呼んでも神様だからそりゃあ簡単に来ないでしょうよ。と思いきや、彼女はいきなり自分の背後へと視線を移した。ソコは神樹の根本で、一見すれば何も無かった筈……だったが不意にその根元周辺が赤色の光を帯び始め、やがて巨大な円形の穴?の様な何かが姿を現し、最後にその向こうから1人の男がゆっくりと出て来た。
見た目は膝の辺りまで隠れる腰巻を巻き、頭部に狼を模した被り物を被った半裸のオッサン。真っ黒い肌が露出した部分は例外なく筋肉が隆起している、筋肉モリモリマッチョマンだ。
『待たせて済まない。アチラも色々と立て込んでいてね。』
その声、何処かで聞いた記憶がある。静かで心を落ち着かせるような低い男の声。確かあれは夢の中で……
『やぁ久しぶり。おっと、君にはその時の記憶が無かったんだったな。だが君は失った記憶を知りたいと、その思いが徐々に膨らんで来たという訳か。確認しておくが、本当に聞きたいかね?』
ここまでお膳立てされて聞きたくないという選択肢は無い。何の解決にもならない気がするが、でも聞いておかなければならない。そんな気がするが、一方で何となく話の内容に予想がついているのも事実。多分……
『分かった。君も一端の大人、自分の決断に責任を取れると判断する。だがその前に、私の事は気軽にアーちゃんと呼んでいいぞ?本来ならば名前は無いのだが、それでは話し辛いだろうからな。ホラ、遠慮せず。はい、せーのっ。』
まただよ。何なんだこの妙な軽さは……もしかして緊張をほぐしたいのか?今日何度目か、俺は膝から崩れ落ちながら必死で神様の緩い言動の理由を探していた。
コレが樹齢など最早数える事さえ無意味な位に長い間を生きており、その間に無数の果実=子供を産み落としたという神樹。間近で見れば根っこでさえ人の数倍はあり、幹などに至れば巨大なビルよりもさらに大きく、外周がどれだけあるのか想像さえ出来ない。
(ご苦労でした。)
地球では絶対に拝めない圧倒的な光景に思考が停止する俺の頭の中に直接声が響いた。
『はい。では母上。私はこれで失礼します。』
頭の内側から声が聞こえるという変な感覚に慣れない内に背後から声が聞こえた。振り向けばルチルが巨大な樹木に一礼する光景。俺と目が合った彼女はにこやかにほほ笑むと俺に背を向けそのまま引き上げていった。
緑がそよぐ中、俺は1人きりになった。辺りは静かで、心をかき乱すような雑踏や喧騒は一切ない。小鳥の囀りに木々がざわめく音に混じり時折温かな風が吹き抜ける。それに空気が澄んでいてとても綺麗だ。田舎特有の空気とも自然の中でキャンプをしている時とも違う別格に綺麗な空気は、一呼吸分を吸い込むだけで身体の中に溜まった毒素が中和されていくような気分にさせる。
俺はもう視界を覆うほどに大きな神樹を見上げた。この樹が……
※※※
――話は今朝にまで遡る。
何時も通りの朝。目を覚ました俺の視界が捉えたのは、今日も今日とて何処かから侵入したアメジストの首根っこを引っ掴んで部屋から引き摺りだすルチルの姿。それはもう慣れ切った光景だったが、今日は1つだけ違った。
『よう。ここ最近悩みがちだって聞いてね。じゃあ行こうか。』
彼女は部屋の扉の前に立つと実の妹を廊下目掛け放り投げ、次にベッドから呆然のその様子を眺める俺の目を見ながらそんな言葉を掛けた。が、起き抜けの頭に思考が追い付かない。だから無意識に"誰が?何処に?"なんて素っ頓狂な口調で尋ねていた。
『悩み相談。我らの母君ならお前が抱えている疑問の答えを持っているからね。ツー訳で準備が出来たら神樹の元に行くよ。』
成程。確かに彼女の言葉通り悩みを抱えているが……しかし随分と急な話だ。だから俺は有無を言わさないルチルの勢いを前にただ無言で頷くしか出来なかった。扉から覗き込むような姿勢で必死に何かを訴えかけるアメジストは敢えて視界に入れない。
『じゃあ急いで準備ヨロシク。』
ルチルは更に急かすような言葉と共に、ベッドから起き上がった俺にタオルを投げて寄越した。日課の洗顔と寝汗を拭く為のタオルだ。なんだかんだ彼女とも長く、だから俺が何時も何をするかよく分かっているようだ。
『え?駄目よ、だって今日は私と……』
『1人で仕事だろ。今日も明日も明後日も。』
『そんなぁ。私も休みが欲しい、潤いが欲しいのにぃ!!』
一方、準備を淡々と進める姉にアメジストは必至で食い下がるが……
『加減しろよッ、相手がパッサパサに干からびてんだよ!!』
直後にルチルからの最もなツッコミと共に再び廊下へ放り投げられた。ありがとう……分かってくれて本当にありがとう。俺は彼女の言葉に心底感謝した。
しかし、こうして勝手に侵入する度に姉妹の誰かに窘められる光景を見ていると、ボロくても良いから自分の家が欲しいと願うのは我儘だろうかと、そんな事を考えてしまうのだけども……彼女ならどんな厳重な警備でも突破しそうなのが悲しくも恐ろしいところ。もうコレ諦めるしかないな、そう結論した俺は廊下から聞こえる嬌声を耳に入れないようにしながら水場へと向かった。
※※※
見上げても頂上が全く見えない位に高くそびえる神樹を見ながら思うのは、この樹がおおよそ同じ生まれとは思えない姉妹達の親だという事実。確かに頭の中に直接語り掛けるという不思議な力を体験すればそう思えるし、非常識な大きさの茶色い幹と根、遥か上には空を覆い隠すほどに生い茂る緑の葉という桁違いのスケールを見れば想像を超えた存在だと納得も出来る。
(初めまして。)
また声が聞こえた。頭の中に響く声はまるで脳を直接揺さぶられる様な感覚に近く、端的に酷く不快だった。
『失礼した。ではコレでどうかな?』
今度は普通の声だった。未経験の感覚というだけでは到底納得できないあの不快感とは違う、慣れ親しんだ耳が捉える人間の声が聞こえた。その方向、俺の背後を見れば……何時の間にか誰かが立っていた。
人。ソレは間違いないが、尖った耳に圧倒的な美貌は間違いなくエルフだ。その容姿は子供っぽさの中に妖艶さを秘めている様な不思議な感覚があり、更に言えばどことなく4姉妹に似ている様な雰囲気も感じた。が……
『ンまー。アンタが伊佐凪竜一クンやね。じゃあとりあえず愛称はナギちゃんでええやろ?あ、私アレなアレ。アンタの後ろにあるでっかい樹や。本名は神樹ハイペリオンやけど、でもアンタは娘がごっつい迷惑掛けとるさかい、気軽にハーちゃん呼んでくれてええよ。』
俺は膝から崩れ落ちたね。何だいきなり。翻訳がいきなりおかしくなったのか?それともコレが素の性格なのか。ソレまでの静かで穏やかな雰囲気を完全にぶち壊すおばちゃん口調に直立不動だった俺の姿勢は情けない程に崩れた。
『あら?どうしたん?もしかしてまだこっちに慣れとらんのかね?ンまー、仕方ないけどいい加減に慣れんとあかんでぇ。』
慣れないのはアナタの言動の落差なんですが……とは素直に言えなかった。彼女、ハイペリオンと名乗ったエルフは俺が漸く立ち上がるとにこやかに微笑みながら話を続ける。そこだけを切り取れば見惚れる位に美しいのだが、しかし喋り出せば全てを台無しにする。
『さて。私がアンタを呼んだ理由はもう予想しとるやろ?最初はね、教えとかんかった方がエエんやと思ってたんよ。だけどアンタの様子がちょっとずつ悪くなっていっているのを感じてな。だから教えてあげようと思ったんや。ま、勿論アメジストとローズの件もあるでな。』
驚いた。この人、ずっと俺の事を気に掛けていたらしい。だけど、ちょっとずつ悪くなる原因ってのは明らかにアンタの娘の方が大きいんですが……しかし、アメジストは毎日毎度の事だから良いとして、俺はローズから何かされたのか?
『さて。』
唐突にハイペリオンの雰囲気が変わった。ついさっきまでのおばちゃん的な雰囲気は一気に消え去り、静かで冷たい空気が場に充満した。中心は言わずもがな、彼女だ。ソレは先ほどまで砕けた口調で談笑していた女性とはまったく一致しない、細いながらも女性らしい凹凸のある身体なのに……まるで巨大な樹木から見下ろされている様な圧倒的な威圧感を感じる。
『本題に行く前に確認しときたいんやけど?覚悟はええか?こっから先には確実にアンタが知りたくない、聞かない方が良かったって内容が含まれとる。それでも聞きたい?聞きたくないんやったら遠慮なく言ってええで。私とナギちゃんの仲や。今日ここまでの内容を綺麗さっぱり忘れさせてやるけんね。』
ハイペリオンの言葉に俺はドキッとした。聞きたくない……その言葉にほんの僅かだが苛立ちを覚えた。俺は一体何をどうしてこの世界に飛ばされたのか分からないが、少なくとも禄でもない何かが起きた結果らしく、またソレは俺を気遣っての判断だという事が彼女の言葉から何となく理解出来た。だが、その件を含め当事者の俺が未だに何一つ事情を知らず、何も分からないまま変な世界に放り出された現実に納得出来る筈も無い。
知りたい。知らない方が良いから記憶を封じたんだと頭では分かっていても、それでも知りたいという感情が抑えきれない。生まれてからの記憶はある。小学生、中学生、高校大学を経て就職して以降の記憶もバッチリ残っている。良かった思い出は嫌な記憶に飲み込まれてもう思い出せないけど、それでも記憶の底にこびりついている。知り合いや幼馴染の顔に至っては今でも鮮明に思い出せて忘れる事など出来ない。
だけど、それなのに転移させられる直前の記憶だけがすっぽりと抜け落ちている。ソレがもどかしくて、でも誰にも相談できなかった。
『ええんやね?なら、先ず最初の疑問からや。アンタの記憶を封じたのは私や。』
特に驚きはなかった。それは"今日ここまでの内容を綺麗さっぱり忘れさせてやる"、という言葉を聞いた時に何となく予測出来ていたからだ。
『但し、正確には私だけやないんや。じゃあ私以外は誰かって気になるやろ?実はあんたの居た世界を担当する神様や。』
神?何か一気に話が壮大になったような気がする。が、まだ疑問は全く解決していない。"誰が"という部分が分かっているだけで"どうして"という部分が抜け落ちているからだ。
『その辺、実は私もその神様から聞いたってだけで詳しくは知らんのよ。だから直接本人に教えてもらおっか?おーい、アーちゃん!!アーちゃん!!アンタんとこの人間に事情説明したってやぁ!!』
おかしいなぁ。真面目な話をしている筈なのにイマイチそんな雰囲気にならない。というか、まるで二階の子供を呼ぶみたいに気軽な口調で神様を呼ぶつもりなのか?何が何やらサッパリ状況が理解できないが、しかし彼女の雰囲気だけは真面目に見えるものだから、取りあえず俺も信じるしかない。
『あらぁ?変やねぇ。ならしゃーない。私が知る範囲でおしえてあげましょって、おやおや?』
気軽に呼んでも神様だからそりゃあ簡単に来ないでしょうよ。と思いきや、彼女はいきなり自分の背後へと視線を移した。ソコは神樹の根本で、一見すれば何も無かった筈……だったが不意にその根元周辺が赤色の光を帯び始め、やがて巨大な円形の穴?の様な何かが姿を現し、最後にその向こうから1人の男がゆっくりと出て来た。
見た目は膝の辺りまで隠れる腰巻を巻き、頭部に狼を模した被り物を被った半裸のオッサン。真っ黒い肌が露出した部分は例外なく筋肉が隆起している、筋肉モリモリマッチョマンだ。
『待たせて済まない。アチラも色々と立て込んでいてね。』
その声、何処かで聞いた記憶がある。静かで心を落ち着かせるような低い男の声。確かあれは夢の中で……
『やぁ久しぶり。おっと、君にはその時の記憶が無かったんだったな。だが君は失った記憶を知りたいと、その思いが徐々に膨らんで来たという訳か。確認しておくが、本当に聞きたいかね?』
ここまでお膳立てされて聞きたくないという選択肢は無い。何の解決にもならない気がするが、でも聞いておかなければならない。そんな気がするが、一方で何となく話の内容に予想がついているのも事実。多分……
『分かった。君も一端の大人、自分の決断に責任を取れると判断する。だがその前に、私の事は気軽にアーちゃんと呼んでいいぞ?本来ならば名前は無いのだが、それでは話し辛いだろうからな。ホラ、遠慮せず。はい、せーのっ。』
まただよ。何なんだこの妙な軽さは……もしかして緊張をほぐしたいのか?今日何度目か、俺は膝から崩れ落ちながら必死で神様の緩い言動の理由を探していた。
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