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エピローグ

401話 接触 其の3

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「気になります?」

 一言。背後からの声にタナトスが反応した。背を向けたまま見えない表情の様に、心の内を見せない。が、ややあって振り向いた。その顔には特段の笑み。余りにも眩しく、裏のない微笑。誰もが悪魔の如き女の中に、慈愛に満ちた神を見た。

「私も礼儀は重んじると言う事ですよ」

「恩返し、か?」

「ええ。あの忌まわしい神から私を解き放ってくれた、それ以上の理由いります?」

「承知した。引き止めて済まなかったね。何処に帰るか分からないが、途中まで送ろうか?」

「いいえ、結構ですわ。迎えが来ますので。それに、出来る限り1人の方がいいんです。初めて手にした自由を満喫したいので」

「君の生存を知れば連合中が確実に君を追う。言わずもがな、我々もだ。それでも尚、自由と言うのか?」

「自らの意志で自らの進む先を決める。こんな贅沢、自由と言わずしてなんて言うんです?マリン=ザルヴァートル」

「そう……そうだな。確かに自由だ」

 己を自由と謳うタナトスに、マリンは言葉を詰まらせた。連合中を敵に回し、死ぬまで追われ続ける人生を自由と言い切った女の笑みに偽りも暗い影もない。自由という言葉への呪縛も同じく。本心からの享受。いや、苦難をねじ伏せるつもりでいる。笑みはその意志表明と自信の表明。

「それでは、運が悪ければまたお会いしましょう」

「あぁ。出来れば僕としても君とは金輪際としたい」

「噂通りとても理性的で理知的な方で助かりましたわ。それでは皆様もどうぞ、神から解放された世界を満喫なさってくださいませ」

「では御機嫌よう、ミスタナトス」

 惜別の情を向けるマリンにタナトスは微笑を浮かべ、扉を開け放ち、堂々と立ち去った。と同時、彼方此方から溜息が洩れ出した。嵐のような一時は過ぎ去り、ようやく訪れた穏やかな時間を誰もが歓迎する。

「信じるんですか?」

「君はとても優秀だが、少しばかり胆力が足りないな。もし彼女がその気なら僕達はとうに殺されているよ」

「まぁ、そりゃあそうだろうが。しかし君なぁ」

「共有が無かった、という事は接触はごくごく最近と判断して良いのか?」

「えぇ。連合会談の直前、いきなりですよ」

 溜息と共に当時の感情を吐き出すマリンに、議員達は同情した。僅か前まで心中を支配した呆れと怒りは既に無い。理由はとりもなおさず、直に見て感じたタナトスの印象によるもの。あんな化け物に目を付けられてこの程度で済んだならばむしろ良しと、誰もがそう考えた。

「置き土産、調査しますか?」

「そうだな。では任せるよ。君ならば直ぐにでも取り掛かれるだろう?」

「えぇ、それではこれは……余り触りたくないわね、無能が移りそうだわ。他の者に運ばせましょう」

「ははは、相変わらず辛辣だな君は。だがそこがまた魅力的でもある」

「ソッチは任せるとして、問題はあの要求だ。ルミナ=ザルヴァートルと一緒くたではなく、伊佐凪竜一との接触だけを禁じる理由はなんだ?確かに彼女と同じく連合を邪神の手から救った連合最重要人物ではあるが……」

「あぁ。他に幾らでも便宜を引き出せる中で"手を出すな"、だけとはなぁ」

 嵐が過ぎれば平穏が戻る。平穏が戻れば心が落ち着き、心が落ち着けば堰を切った様に疑問が湧き出す。現状において最大の疑問は伊佐凪竜一に余計な事をするなと釘を刺した理由。危険を承知で、しかも己の生存を暴露してまでの要求となれば言葉以上の意味があるに違いない。

「単純に利用するからではないか?」

「確かに旗艦と我々が保護すればおいそれと手は出せんだろうが、なぁ」

 最初に考えた結論は実に単純。利用目的。と、誰もが考え始めた辺りで有り得ないと一笑に付し、その可能性を頭の隅に投げ捨てた。あの女ならば、どんな状況であろうが伊佐凪竜一を利用する程度は簡単にやってのける。となればと、思考が次の可能性を描く。

「我々とのコネクションか?」

「うむ。現状では一番あり得るか」

 次に頭を過ったのは、ザルヴァートル一族との関係強化の妨害。仮にこの推測が正しいとすれば嫌がらせでしかないが、一方でそうしたい理由を会話の端に滲ませていたと思い出す。

 私の数少ない理解者を手に掛けた。

 タナトスが零した言葉を議員達は反芻はんすうする。前総帥を手に掛けたフェルム達の暴走を止められなかった意趣返し。が、そう仮定すると今度は別の疑問が頭を掠める。

「いや、敢えてそう思わせる為に危険を承知で姿を見せたのではないか?」

 纏まり掛けた結論に冷や水が浴びせられた。考えすぎ、とたしなめる声は出ない。相手は獰猛で狡猾な獣の如き本性を華奢な身体と麗しい相貌に隠す化け物。隙を晒せば瞬く間に喉笛を食い破るなど想像に難くない。

 タナトスが直接交渉という危険を犯してまで伝えたかった要望ならば、言葉だけでは測り切れない深い意味がある筈。しかし答えは出ず、やがて議長席へと視線を移し、見た。満面の笑み。否。何処か下卑た笑いを浮かべるマリンの顔を見た。

「おや、皆様方お気づきで無いのかな?」

 と、豪語するマリン。どうやら彼だけはタナトスの真意に気付いたらしい。議論を重ねる議員達を後目に1人ほくそ笑む顔を見れば、自然と誰もがいぶかし気に見つめる。

「まさか君、予想が付いているのか?」

「勿論。しかし、フフフ、ハハハッ……いや愉快愉快」

 其処まで何とか言い終えたマリンは堪えきれないと笑い出した。一方、彼以外の全員は若干の不快感を浮かべながら男の言葉の続きを待つ。

「何がだね?」

「彼も殊更難儀な相手に惚れられたモノだと、ね」

 腹の底から込み上げる笑いを必死で堪えるマリンが出した結論は至極単純。伊佐凪竜一への愛情。

「君はもう少し真面目な奴だと思っていたのだがなぁ」

「おいおい……え、冗談だろ?」

 言葉に、視線に疑念が滲む。誰もマリンの結論を支持しない理由は、"あの女に人間らしい感情など期待できない"と考えている為。が、マリンは真面目な表情で議員達を見つめ返した。

 至って真面目、まかり間違っても冗談ではない。表情が、無言の間が、何より真っ直ぐな目が、雄弁に内面を語る。棘のついた小言にも動じず、また意にも介さず、己の持論を微塵も疑わず、実に堂々としている。

「こう見えても女性の熱の籠った視線を見逃すほど愚かじゃないよ。自慢じゃあないがね」

「ホントに自慢にならないわね」

「そんな理由か、君というヤツは本当に」

「人を見る目は確かだからな、君は。とは言え、なぁ」

 結論へと至った理由に、再びの疑念と僅かな侮蔑が入り乱れた。が、対するマリンは相も変わらず自信満々。そんな態度に議員達も折れ、受け入れた。

 暫定とは言え、総帥の座を任せるに相応しいと任命したマリンが断言するならば正しいのだろう。

 程なく、沈黙を破る無数のため息。議員達は椅子に体重を預け、天井を見上げながら、恐らくは銀河でも指折りに厄介な女性に見初められた男の行く末を信仰する神に祈った。全員の心に去来するは伊佐凪竜一への同情。

「可愛そうに」

「同情するよ、本心からね」

「彼の行く末に幸があらん事を」

「まさか他人の色恋なんて下らない理由で神に祈りを……いや、彼にしてみれば下らなくはないかぁ」

「いやいや落ち着いて下さいよ。まだ彼が不幸になると決まったわけじゃ……ない……可能性がまだ、少し位は……あると思いたいね、ウン」

 だがマリン含む議員達の同情は当然本人には届く筈もなく、代わりに盛大なくしゃみが数度襲い掛かっただけに終わった。
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