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第3章 邂逅

89話 過去 ~ クロス・スプレッド

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 ――自由都市ヴォルカノ領内 闘技場へと続く大通り

 大会本戦が始まる少し前。ツクヨミに搭載されたカメラは闘技場へと歩を進める人波に逆らう一人の少女の姿を捉えた。可愛らしい顔立ちの少女が無数の人波の端を逆走するだけならばそこそこ目立つ程度で終わるが、10年前の戦争の傷が未だ癒えぬ現状とかけ離れた華やかな装いは明らかに異質であり、故に酷く目立ち……故にトラブルを引き寄せる。

 それが戦いの終結から立ち直ろうという不安定な情勢の中でならば尚の事。少女……フォルトゥナ姫もその程度は理解していると思っていたのだが、無数の視線から避ける様に歩を進めた先はあろうことか裏通り。危機感の欠如か、それとも無知か、あるいは興味や関心か。

 如何なる理由にせよ、悪手にもほどがある裏通りへと入った姫を待っていたのはどう考えても真っ当ではない男だった。分厚いまな板、隆起した筋肉、そして無数の傷、パッと見ただけでも一般的な市民など比べものにならない程に鍛えられている最前列の男は恐らく騎士崩れであり、その背後から現れた仲間も恐らく同じだろう。

 その連中は瞬く間に姫を二重三重に取り囲んだ。忌々しいが実に手際が良い。この状況では逃げようとしても容易に捉えられてしまうし、さりとて大通り側からでは何が起きているか確認する事が不可能。瞬く間に危機的状況へと陥った姫はオロオロと狼狽え、両手にツクヨミを抱きかかえるその手は僅かに震えている。

「お嬢ちゃん。こんなところを1人でうろついてちゃあ駄目だなぁ。お兄さん達がお父さんお母さんの場所まで連れて行ってあげよう」

「そうそう。安心してよ。そうそう、その前にチョーット別の場所によるけどいいよね?」

「大丈夫だよー。痛くしないからねぇ。へへへ」

 悪党共はもはやお約束と言わんばかりにお決まりの台詞を並べ立てるが、誰だってそれが嘘であると見抜くのは容易い。連中の顔に貼りつくのは下卑た笑み、そしてまるで値踏みするかの様に舐め回す視線。それは酷く不快であり、言葉を発せずとも悪意に満ちていることがありありと伝わる。このまま放置すれば姫はたちどころに拉致され、そして二度と日の目を見る事はないだろう。だが事はそう簡単に進行する筈もなく……

「待て、何やってるんだお前等!!」

 気勢の良い声が薄暗くジメッとした通りに響き、同時に数人が裏通りを駆け抜け少女を取り囲む悪党共の背後へと陣取った。国同士の戦いが終結した事で不安定な情勢は幾分か改善されたのだが、それは以前と比較した場合であって未だに完全な安定とは言い難い。故に市民同士のトラブルや組織だった犯罪が後を絶たず、そうした事態に対し治安維持組織だけでは手が回らないという理由で自警団が組織され、自主的な治安維持に努めている場合も多々ある。

 悪党共の前に現れたのはこの都市の自警団の1つであり、その手には簡素ながら武器が握られている。本来ならば治安維持を含む公的な実力組織以外が武器を持つ事は禁止されているのだが、評議長が治安維持を理由とする場合に限り例外的に許可すると法律を改定した。

 評議長の後押しは自警団の活発化を促し、犯罪の抑止に幾分かの効果を上げた。姫を助けるために現れたこの都市の自警団も犯罪者達の監視と、必要ならば抑止の為の実力行使を行う権限を与えられている訳だが、しかし相手が悪い場合もある。

 例えば組織だった犯罪組織の場合や騎士団を除籍された者(騎士団を除籍されるケースは往々にして犯罪かそれに近い行為を行った場合に限られる。正規の手続きを経て退役した騎士は、その後も相応の職に就く事が容易だからである。)が相手の場合だ。

「チッ、自警団共か」

「ケツの青いガキ共が」

 悪党共は露骨な嘲笑と侮蔑を籠めた台詞と共に自警団へと無造作に近づいた。武器は何も手にしておらず、各々の顔にはニヤけた笑みが貼りついている。奴等は自警団の身体つきや武器を構える仕草から、彼等が戦闘経験の殆どないズブの素人だと即座に看破した。

 対する己の肉体は戦う為に厳しく鍛え上げられており、更に幾度もの死線を潜り抜けた戦闘経験まで持ち合わせている。結果は火を見るよりも明らか、武器を持った程度の素人など物の数ではない。

 暫しもすればくぐもった声が周囲に木霊した。自警団の攻撃を軽やかに交わした悪党共は容易く自警団を制圧した。が、奴等はまるで己の力を誇示するかの如く、武器を手放し戦意を喪失した自警団を痛めつけ始めた。殴り、倒れると蹴りつけ、引き起こしてまた殴る。一見無意味に見えるその行動の意味はたった一つ、怯える少女にその光景を見せつける為だ。

 大抵の人間は謂れの無い無慈悲な暴力を見せつければ恐怖で抵抗を止めるし、それが少女程の年齢ならば尚の事だ。どうすれば人間の行動を制限できるかよく分かっている、この連中は相当に長い間を闇の中で生きなければ辿り着かないであろう結論を躊躇いなく実行する決断力と残虐性を持っている。

「に、逃げろッ」

「俺達のことはゴホッ……」

「おーおー、格好いいねぇ。実力が伴ってれば、だけどなぁ」

「もっと強くなるか、さもなきゃ強いヤツ呼んでこいよ。こんなんじゃ何の役にも立たねぇんだよ!!」

 自警団の若者達は暴力に屈する事はなく、それでも必死で逃げる様に訴える。が、そんな努力を悪党共は嘲笑い、更に痛めつける。姫はそんな自警団の様子を悲痛な表情で見つめ続けるが、やがてその瞳に暗い光が宿った。直視した私の背筋に冷たい何かが走った。直後……

「そうでもないぞッ!!」

「お話なら私達が代わりに聞きますよぉ」

「真面目にやって下さい!!ソコの悪党共、いたいけな少女の拉致を企むどころか自警団に暴行暴力までするとは見下げ果てた真似をッ!!」

「あぁ?誰だよ!!」

 大通りと裏通りの境目から男の大声とそれに追従する女の声が聞こえた。少女を取り囲んでいた悪党共は"またか"と下卑た笑みを浮かべながら声のした方向を睨み付けるが、その先に居る2人の人間を見るや態度を激変させた。

「あ……やべぇ」

「い、いや違うんですよ。これは」

 先程までの下品で獰猛で狡猾な雰囲気は鳴りを潜め、焦りと恐怖が取って代わる。全員の表情は強張り、血の気が引き青ざめ、終いには震え、懇願し始める。

「黙れ悪党共!!何度も何度も同じ真似を繰り返しておいて、今度ばかりは違うと臆面もなくッ!!」

「だいたい現行犯だから言い逃れ出来ないでしょ?さぁて、覚悟は出来たかな?」

「祈りは済ませたか!!」

「ちょい待ち。待って、いやお願いします!!」

「俺達、いやホントに。話せば分かる、分かりますから!!」

「貴様等がその口から吐き出していいのは懺悔の言葉だけだッ!!」

「じゃあそう言う事でぇ」

 悪党共は平身低頭に言い訳を並び立てる。が、相手はその話を完全に無視して一方的に話を進める。あぁいった対応をされると会話は成立しないと結論するしかなく、悪党共はつい先ほどまで自分達が少女にした事を棚に上げ、責め始め、そして遂には……

「クソが。耳ついてんのかよッ、コッチの話なんて聞きやしねぇ!!」

「なら、う……うぉおおおおお!!」

 踵を返し、恥も外聞も捨てて逃げた。何とも素早い決断だが、しかしソレは相対する2人を相手取るには余りにも分が悪いと判断したからに他ならない。2人の内の片方は、純白のマントに衣服を身に纏い背丈ほどの黒槍を携えた青年。快活そうな印象を与えるショートヘアと鋭く睨む目つきはやや粗暴な雰囲気を与えるが、一方でその眼差しは負の感情とは無縁に光り輝いている。

 その隣に立つ男より一回り以上小柄な女性は、美しい銀色の長い髪に複雑な紋様が描かれた魔導衣を見に纏い、木製でありながら美しい光沢を放つ杖を持っている。しかし、その女性の際たる特徴は美しい相貌を彩る銀色の髪から覗く耳であり、この惑星の固有種族である長命種の特徴そのままに人よりも長く尖っていた。

 そして……その2人に共通する特徴がある。首から下がった銀色の十字架だ。悪党共はソレを見たが故にそれまでの横暴な態度を改めざるを得なくなった。

「「「クロス・スプレッドなんて相手してられっかよぉ!!」」」

 悪党共は一様に同じ雄叫びを上げながら脱兎のごとく路地裏のさらに奥へと逃げ去った。その悲し気な声は周囲に木霊し、そして彼等の後姿と共に直ぐに消失した。

 そう、悪党共に立ちはだかったのはこの惑星の最高戦力であるクロス・スプレッド。個々の能力に限ればスサノヲや守護者に匹敵するという出鱈目な戦闘能力を持つ一団であり、合計61名からなる一軍の総戦闘能力はこの惑星全体の5割に匹敵するとさえ言われる正に化け物。

 よって騎士団崩れなど物の数にも入らない、逃げて当然の選択肢であり恥ずべき事など有ろうはずもない。多少鍛えた程度の人間など紙切れ同然どころか、下手をしたら跡形も残らない程の火力を持つのだから。

「あ、逃げたッ。まぁいいや、奴等は仲間に任せておこう」

「そうねぇ。しっかし評議長もいきなりよね、気持ちよく寝ていた私を起こすなんて酷いよねぇ?」

「そっちじゃないッ!!」

「アハハッ。もう、わかってるわよー。急に招集したかと思えば少女1人を守れって方ね」

「そうそう。頼むからしっかりして下さいよ。っと失礼いたしました」

 唐突に始まったコントの様に軽妙なやり取りはさながら姉弟の様な緊張感の無さで溢れており、先程までの激情は微塵も感じない。が、護衛対象の様子に気づいた男は急いで姫の元へ駆け寄ると、まるで主の様にその前に傅き、怯える姫の目を見つめながら優しく諭した。

「申し訳ございません。未だこの惑星の治安には問題があり、時折ああいった輩が現れるのです」

「ごめんなさいねぇ。彼の言葉通り、まだまだ問題が山積みで」

「しかし我らが参上したからにはアナタをこれ以上危険な目に合わせません。遅れての参上、重ねてお詫びします」

 その表情は言葉通り後悔の念が隠し切れない程に表出しており、この青年が実直な性格をしていると判断するには十分だ。姫もまた青年の言動を聞くと"ごめんなさい"と、謝罪の言葉を零した。

 事実、危険の多い裏通りに踏み込んでしまったのは姫であり、それは迂闊な選択肢で有ることに変わりはなく、更にそのせいで自警団が大怪我を負ってしまったのだ。

「いえ。あの、コチラこそ……色々と気になって、あの、それで集合場所から外れてしまって……」

「お気になさることはありません。それに情勢に関する否定的な情報は得てして隠されるモノ、全ては我々の責任です」

 姫の言い訳を遮る様に男は謝罪を重ねた。その言葉もまた事実。表向きではこの惑星の治安は一部を除き大きく改善したと触れ込んでいるのだが、現実はこのザマだ。

 だからこそツクヨミも姫が裏通りに入るのを即座に止めなかった。あるいは、自身が展開する防壁を突破できる人間なんて目の前の2人を含むクロス・スプレッドだけだろうから命の危険などあり得ないと高を括った可能性もある。しかしその選択は確実に誤りであり、謂われない暴力を目の当たりにした姫の心に暗い影を落とす事になった。

「そうね。外交の連中は外面だけは良いからネ。じゃあ早いとこ辛気臭い……あらあらあら?」

 青年に遅れる形で裏通りへと入って来た女は、銀髪を靡かせながらこの場から立ち去るよう姫に提案したのだが……

「ぅぅうおおおおおッ……グエッ」

 その言葉を遮る大声が裏通りの奥から聞こえ、その次に一人の男がゴロゴロと姫の前を通り過ぎ女の足元にまで転がって来た。先程まで自警団に暴行を加えていた悪党の1人だ。

「ちょっとぉ、まだお客さんいるんだから派手にやらないでよー」

「済まん、やりすぎたー」

 何やら手酷い一撃を受けてココまで吹っ飛ばされたようだが、白目をむき気絶しているその無様な姿が凄まじい攻撃力の高さを物語っている。姫は突然飛び込んで来たその光景に目を丸くしながら男が吹っ飛んできた方向を振り向けば、遠く離れた裏通りの奥には何時の間にか数人の男女がおり、更にその足元には悪党共全員が仲良く倒れている光景。

「あれは、クロス……スプレッド」

「はい、その通り」

 目の前に立つクロス・スプレッド達と遠く離れた場所でがなりあう人影に姫が反応すると、その言葉に美しく長い銀髪を棚引かせる女がにこやかに微笑みながら反応した。が、その言葉に姫はバツが悪そうな反応を返した。

 それ以上の言葉を発せずツクヨミをギュッと抱きしめるその仕草は見る者に儚さや脆さ、繊細なといった印象を与え、同時にこれ以上この場に居ない方が良いと2人に思わせるには十分でもあったようだ。

「それよりも、俺達ココ離れるんで自警団の手当てをお願いしますよー!!」

「わっかりましたぁー」

 青年は裏通りの向こうに立つ仲間達に大声で指示を飛ばすと姫へと向き直りほほ笑んだ。その柔和な笑みは彼の整った容姿と合わせれば並の女性ならば篭絡できるほどの魅力を放っている。

「ではお嬢さん。参りましょう。あ、もしお時間宜しければこれから我々がこの街をご案内しますよ」

 青年はそう提案すると手を差し伸べた。その爽やかな笑顔に偽りの色は見られず、だからこそ姫は少し安心するとおずおずとその手を取り、そしてゆっくりと大通へ向けて歩き始めた。
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