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こちらへどうぞ、と歩いていく凛太郎の後に続いていく。屋敷から離れた木々の奥、連れてこられたのは見慣れた屋敷とはまた違う離れのような場所だった。
いかにも洋風の母屋とは雰囲気が違う、こじんまりとした和風の建物だ。
「ここは……」
「私の……まあ、アトリエのようなものです」
「アトリエ?」
「とはいっても、私がそう呼んでるだけですが。そこならば私以外の人間は基本敷居を跨ぐことはございませんのでゆっくりお話できるかと」
そういえば、さっきもファンだとかなんだとか言っていたな。
こんな場所、俺の知ってる現実ではあっただろうか、と思考を探る。辺りも樹海と呼ばれる程木が育っていないお陰で未だ土地勘は怪しくなる。
個人の離れとしては開けた場所だ。アトリエだと言われれば確かにインスピレーションが湧きやすい……のかもしれない、分からないが。
扉の鍵を開けた凛太郎は「どうぞ、お入り下さい」とこちらへと手招きする。
「お、お邪魔します」
玄関口は普通なんだな、と辺りをきょろきょろ見渡しながら先に進む。なんだか見覚えのある廊下を渡り、奥の部屋までやってきた凛太郎は「ここです」と襖を開いた。
「散らかっていますが気にしないで下さい」
「はい……うお……っ?!」
言った傍から壁に凭れかかっていたなにかが落ちてくる。落とさないよう慌ててキャッチをしたが、これは……イーゼルというやつか。学生の時美術室で見たことがあるが。
そして改めて辺りを見てみれば、何やらキャンバスボードが壁に立てかけられるように乱雑に置かれていた。
そして、なんだか懐かしいこの匂いは――油絵の具の匂いか?
「画家、なんですか?」
「そんな大層なものではございません。ただの道楽ですよ」
「……」
凛太郎たちの過ごしていた時代がそうなのかは知らないが、ただの趣味でアトリエまで拵えるのか。それとも金持ちの道楽ということなのか、或いは――凛太郎の願望か。
そう言えば、凛太郎と初めて会ったときも絵を描いていたことを思い出す。
キャンバスボードに描かれているのはあのときの向日葵――ではなく、この屋敷周辺の風景が描かれている。
そういった美術方面には疎い俺でも上手い絵だと思う。
「絵画に興味がお有りで?」
「あ、いや俺は全然、そっちはからっきしって言うか寧ろ苦手っつーか」
「そうでしたか。貴方がどんな絵を描かれるのか興味はありますが……」
そんなもの持たないでくれ、と慌てて首を横に振れば、凛太郎はくすくすと笑う。それから思い出したように奥の扉を開いた。
「こちらです。作業部屋の奥に空いてる部屋があります。そこならば人に話を聞かれることもないでしょう」
ここでも十分外部から遮断されている気もしたが、凛太郎は構わず奥に進む。作業部屋の隣には画材置場があり、その足元には引き戸がついていた。
――それは見覚えのある引き戸だった。
「もしかして……」
「ええ、この地下になります。屋敷の人間でも一部の人間しか知らない秘密の場所です、貴方だけ特別ですよ」
「いや、俺、部外者ですよ。それも、怪しい……」
「それを自分で仰るのですか」
「だ、だって……」
悪用したらどうするんですか、と思わず喉まで出かける。凛太郎はカラカラと笑い、そして俺を見つめた。
「私、審美眼には少々自信がございまして……特に人間を見る目には」
「……」
「もし貴方が悪人だとしても私が見る目がなかったというだけの話ですから、そう気負わないで下さい」
……本当に、俺のこと覚えてないんだよな。この人。
気圧され、なにも言えなくなる俺に構わず凛太郎は地下への扉を開いた。
男一人がぎりぎり通れそうなその通路を通る。落下せずには済んだが、降下していく感覚と地下特有の空気の重さと閉塞感、そして梯子の心許なさで俺の気力はごっそりと削り取られていた。
「ここはですね、私のための離れを作るとなったときに特別に作らせたのです。誰にも邪魔されない、外部からも遮断できる場所がほしいと」
「そ……そう……だったんですか」
「おや、なんだか疲れていらっしゃいますね」
「いえ、大丈夫です。……まだいけます」
「そうですよ。見たところ体格もよろしい、それにまだお若いのですから」
そういうアンタは何歳なんだよ、と思いながらもウキウキしながら地下の案内をする凛太郎についていく。
地下は凛太郎の書斎と私室があるらしい。もしかしたらあの座敷牢にまた閉じ込められるのではないか、と身構えていただけに、少しだけ出鼻をくじかれる。
「私室の方でしたら貴方もゆっくりできるでしょう。ここ、寝泊まりに使って下さい」
「……いいんですか、でも」
「この私室はあくまでも離れのものになりますから。私の本来の私室は母屋にございますので、普段は持て余しているのですよ」
「それなら……お言葉に甘えさせていただきます」
ありがとうございます、と改めて礼を口にすれば、こちらを見つめていた凛太郎は「ふふっ」と小さく笑った。
「え?」
「いえ、純粋な方だと思いまして」
「あの……」
「貴方はなにも怪しまないのですね。普通、こんなところに閉じ込められたら不審がるし逃げ出そうとするでしょう」
「逃げ出す?」
「例えば、眠ってる間に人体改造されるんじゃないかとか」
「え」
「ああ、勿論私にはそんな趣味はございませんのでご安心下さい」
そんなこと今言われて安心できるか。
青ざめたまま固まる俺に、凛太郎はくすくすと笑っていた。
「それと……記憶喪失ということでしたか、どのようにお呼びしたらよろしいですか?」
「えーと……じゃあ、準一で」
そう特になにも考えずに口にした瞬間、くすくすと笑っていた凛太郎の表情から笑みが消える。しまった、ここは名前も覚えてないということにした方がよかっただろうか。
「……準一さん、ですか」
「は、はい……なんとなく、ですけど」
「ああ、偽名というやつですね。畏まりました、……それではこれからよろしくお願いしますね、準一さん」
なんとか乗り切った……のだろうか。
ほんの一瞬浮かべた凛太郎の真顔が妙に引っかかったが、自分から危険な橋を渡る必要もないだろう。俺はその場は流すことにする。
いかにも洋風の母屋とは雰囲気が違う、こじんまりとした和風の建物だ。
「ここは……」
「私の……まあ、アトリエのようなものです」
「アトリエ?」
「とはいっても、私がそう呼んでるだけですが。そこならば私以外の人間は基本敷居を跨ぐことはございませんのでゆっくりお話できるかと」
そういえば、さっきもファンだとかなんだとか言っていたな。
こんな場所、俺の知ってる現実ではあっただろうか、と思考を探る。辺りも樹海と呼ばれる程木が育っていないお陰で未だ土地勘は怪しくなる。
個人の離れとしては開けた場所だ。アトリエだと言われれば確かにインスピレーションが湧きやすい……のかもしれない、分からないが。
扉の鍵を開けた凛太郎は「どうぞ、お入り下さい」とこちらへと手招きする。
「お、お邪魔します」
玄関口は普通なんだな、と辺りをきょろきょろ見渡しながら先に進む。なんだか見覚えのある廊下を渡り、奥の部屋までやってきた凛太郎は「ここです」と襖を開いた。
「散らかっていますが気にしないで下さい」
「はい……うお……っ?!」
言った傍から壁に凭れかかっていたなにかが落ちてくる。落とさないよう慌ててキャッチをしたが、これは……イーゼルというやつか。学生の時美術室で見たことがあるが。
そして改めて辺りを見てみれば、何やらキャンバスボードが壁に立てかけられるように乱雑に置かれていた。
そして、なんだか懐かしいこの匂いは――油絵の具の匂いか?
「画家、なんですか?」
「そんな大層なものではございません。ただの道楽ですよ」
「……」
凛太郎たちの過ごしていた時代がそうなのかは知らないが、ただの趣味でアトリエまで拵えるのか。それとも金持ちの道楽ということなのか、或いは――凛太郎の願望か。
そう言えば、凛太郎と初めて会ったときも絵を描いていたことを思い出す。
キャンバスボードに描かれているのはあのときの向日葵――ではなく、この屋敷周辺の風景が描かれている。
そういった美術方面には疎い俺でも上手い絵だと思う。
「絵画に興味がお有りで?」
「あ、いや俺は全然、そっちはからっきしって言うか寧ろ苦手っつーか」
「そうでしたか。貴方がどんな絵を描かれるのか興味はありますが……」
そんなもの持たないでくれ、と慌てて首を横に振れば、凛太郎はくすくすと笑う。それから思い出したように奥の扉を開いた。
「こちらです。作業部屋の奥に空いてる部屋があります。そこならば人に話を聞かれることもないでしょう」
ここでも十分外部から遮断されている気もしたが、凛太郎は構わず奥に進む。作業部屋の隣には画材置場があり、その足元には引き戸がついていた。
――それは見覚えのある引き戸だった。
「もしかして……」
「ええ、この地下になります。屋敷の人間でも一部の人間しか知らない秘密の場所です、貴方だけ特別ですよ」
「いや、俺、部外者ですよ。それも、怪しい……」
「それを自分で仰るのですか」
「だ、だって……」
悪用したらどうするんですか、と思わず喉まで出かける。凛太郎はカラカラと笑い、そして俺を見つめた。
「私、審美眼には少々自信がございまして……特に人間を見る目には」
「……」
「もし貴方が悪人だとしても私が見る目がなかったというだけの話ですから、そう気負わないで下さい」
……本当に、俺のこと覚えてないんだよな。この人。
気圧され、なにも言えなくなる俺に構わず凛太郎は地下への扉を開いた。
男一人がぎりぎり通れそうなその通路を通る。落下せずには済んだが、降下していく感覚と地下特有の空気の重さと閉塞感、そして梯子の心許なさで俺の気力はごっそりと削り取られていた。
「ここはですね、私のための離れを作るとなったときに特別に作らせたのです。誰にも邪魔されない、外部からも遮断できる場所がほしいと」
「そ……そう……だったんですか」
「おや、なんだか疲れていらっしゃいますね」
「いえ、大丈夫です。……まだいけます」
「そうですよ。見たところ体格もよろしい、それにまだお若いのですから」
そういうアンタは何歳なんだよ、と思いながらもウキウキしながら地下の案内をする凛太郎についていく。
地下は凛太郎の書斎と私室があるらしい。もしかしたらあの座敷牢にまた閉じ込められるのではないか、と身構えていただけに、少しだけ出鼻をくじかれる。
「私室の方でしたら貴方もゆっくりできるでしょう。ここ、寝泊まりに使って下さい」
「……いいんですか、でも」
「この私室はあくまでも離れのものになりますから。私の本来の私室は母屋にございますので、普段は持て余しているのですよ」
「それなら……お言葉に甘えさせていただきます」
ありがとうございます、と改めて礼を口にすれば、こちらを見つめていた凛太郎は「ふふっ」と小さく笑った。
「え?」
「いえ、純粋な方だと思いまして」
「あの……」
「貴方はなにも怪しまないのですね。普通、こんなところに閉じ込められたら不審がるし逃げ出そうとするでしょう」
「逃げ出す?」
「例えば、眠ってる間に人体改造されるんじゃないかとか」
「え」
「ああ、勿論私にはそんな趣味はございませんのでご安心下さい」
そんなこと今言われて安心できるか。
青ざめたまま固まる俺に、凛太郎はくすくすと笑っていた。
「それと……記憶喪失ということでしたか、どのようにお呼びしたらよろしいですか?」
「えーと……じゃあ、準一で」
そう特になにも考えずに口にした瞬間、くすくすと笑っていた凛太郎の表情から笑みが消える。しまった、ここは名前も覚えてないということにした方がよかっただろうか。
「……準一さん、ですか」
「は、はい……なんとなく、ですけど」
「ああ、偽名というやつですね。畏まりました、……それではこれからよろしくお願いしますね、準一さん」
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