亡霊が思うには、

田原摩耶

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「わ」と驚いたようにそのままバランスを崩す佑太。「おい!」と幸喜を怒鳴りそうになったが、そんな場合ではない。ゆっくりとこちらに向かって手を伸ばしていた赤ん坊は佑太に気付いたらしい。嬉しそうに微笑み、そしてその短い腕を佑太に向かって伸ばそうとした。

「っ、やめろ、この……ッ!」

 よくわかんねえ化け物相手に勝てる自信はない。考えるよりも先に、なんとか佑太を突き飛ばしたはいいものの。
 さっきみたいに佑太を連れていい感じに逃げる――なんて上手くいかなかった。
 水膨れのように膨らんだその手はすぐにこちらへと標的を変える。

「あ」

 そう幸喜が口にしたと同時だった。思いっきり足を掴まれた。

「うお、やめ、この……っ」

 でかい手に宙ぶらりんに体を掴まれたと思った瞬間、そのまま赤子は大きく口を開ける。大きく、ぽっかりと空いた口。その奥には歯もなにもなく、ただ真っ暗闇が広がった。
 終わった。てか、お前らのんびり見てなくてさっさと逃げろよ。
 という俺の意識事ばくりと化け物の口の中に頭から吸い込まれた。

 死んだ。間違いなく死んだ。
 何度死んでるんだ、俺は。てかあいつら、ちゃんと逃げただろうな。

 最後までそんなことを考えてる自分に笑いすらも出てこない。
 そして、想像していた痛みも苦痛もなにもない。ひたすら暗闇の中に意識が放り出される。――これ、あれだ、屋敷の地下に落ちていったときの感覚と似てる。
 でも今は落下と言うよりも、浮遊してるようなそんな不思議な感覚だった。
 多分、宇宙に放り出されるってこんな感覚なのかもしれない。

 なんて、考えていたとき。無音だった辺りに音が戻ってきた。
 そして、ノイズ混じりになにか聞こえてくる。そのノイズは暫くすると遠くなり、それが人の声だと分かった。
 ……人の声。それは俺の知ってるどの声とも違った。
 なにかを言い争っているのか、その声の持ち主らしい男の声には静かながら怒気が孕んでいる。

「あそこに人を近付けるなと何度も言ったはずだ。もし何かがあったらどうするつもりだ? お前に責任が取れるのか?」
「ですが、兄様。あの方は……」

 怒っている男の声に掻き消されそうな程の静かな声に、思わず息を飲んだ。
 それは俺にも聞き覚えのある声だった。――しかし、随分と印象が違うのはその声は普段のあの男よりも弱々しいからだろうか。

 これは、もしかして南波さんのパターンか。
 意識を集中させたとき、辺りに色が蘇る。まるで絵の具を滴らせるように、けれどその色はどれも淡く、まるでモノクロ写真の中にいるような錯覚を覚えた。
 俺は、見覚えのある場所にいた。
 幽霊屋敷――そう呼ばれるあの屋敷の裏庭で、何故か物陰に座り込んでいたのだ。
 そして、先程から聞こえてきていた声の主の姿は見つけた。中庭の奥、和装姿の男とスーツ姿の男が並んでいた。
 和装の男の顔は見えないが、艷やかな黒髪とぱっと見性別が判断できないその後ろ姿は間違いない――花鶏だ。
 そしてもう一人、スーツの方の男は知らない。けれど整った顔のパーツや雰囲気はどことなく花鶏に似ている。
 ――そういや、兄様って言ってたよな。

「あいつの世話は他の者に任せろ。いいか、二度はないぞ」
「……はい、分かりました。兄様」

 ふん、と鼻を鳴らし、兄様と呼ばれた男がこちらへと向かって歩いてくるのが見えた。やべ、と慌てて近くの草木に身を隠す。
「ん?」とこちらに一瞬反応するのも束の間、男はそのまま通り過ぎていった。

 ……危なかった。
 そう、「あっぶね……」と思わず胸を撫で下ろしたときだった。

「何が危ないんですか?」

 すぐ頭の上から落ちてきた声に、今度こそ心臓が止まる。俺の背後、つい先程まで離れたところにいた和装の男がこちらを見下ろし、にこりと微笑んだ。

「本日は随分とお客様が多いようですね」
「ぁ……っ、あ……」

 花鶏さん、と呼びかけて、迷った。
 その目があまりにも眩しかったから。

「り、んたろう?」
「ほう、私の名前をご存知でしたか。……ふふ、ということは私のフアンというやつですか?」
「ファン……って……」
「おや、違うのですか?」

 爛々と目を輝かせたと思えば、少し落胆する花鶏――凛太郎は「まあ、よいでしょう」と咳払いをする。

「こんなところに忍び込んで屋敷の者に見つかっては酷い仕打ちに遭いますよ。……今日は大人しく帰ることオススメします。何より、ただでさえ皆殺気立っているようですからね」
「……」
「どうされましたか? 腰が抜けて立てないと?」

 ここは、俺の予想が正しければ花鶏の精神世界のはずだ。だって、あの化け物に食われたのだから。
 けど、凛太郎がいる。そして、凛太郎には俺の記憶はない。
 南波の記憶では、南波も他のやつらも俺のことを元からいたかのように受け入れていた。
 それが個人差だからなのか、それとも意味があるのか分からない。けど、一つでも選択肢を誤るとまずい気がする。それだけは分かった。

「あ、いや……大丈夫だ。その、悪かった。侵入するつもりはなくて、気がついたらここにいたんだ」
「気がついたら? 記憶喪失ってことですか?」
「……あ、あぁ」

 咄嗟に、嘘を吐いた。俺の馬鹿。どう見たって泥棒の苦し紛れの言い訳ではないか。そう後悔したものの、凛太郎の反応は不思議なものだった。

「……記憶喪失、ということは。帰る場所もわからないと?」
「まあ……そういうことになるのかな」
「なんだか要領を得ませんが、不思議ですねえ」

 流石に下手を打ちすぎたか、と内心冷や汗ダラダラになる。俺の顔、頭からは爪先までじいっと見下ろした凛太郎は何かを考えてるようだ。

「なんだか変な格好ですし、怪しさしかないんですが……」
「う、……」
「……けど、信じてあげますよ」
「……え?」
「だって、悪人ならば今すぐにでも私を殺していたでしょう。貴方の体格のよさならばそれは正面からでも容易だろうに、そうしなかった」

 指摘されてハッとしたが、いくら精神世界とは言えどそんな真似できるか。
「そんなことするわけないでしょう」と声をあげれば、凛太郎は慌てて「しーっ」と唇に指を押し当てた。

「声が大きいですよ」
「す、すんません……」
「ふふ、素直な方ですね。気に入りました」
「え」
「大きな迷子のお方、行く宛はあるのですか?」

 凛太郎――のはずなのに、そう悪巧みする顔は花鶏に重なって見えた。
 楽しそうに細められた目は俺をじっと見据える。

「ここに籠もりっぱなしの生活にも飽きていたところです。
 ――よろしければ、私の元へと来ませんか」

 まるで夢を見てるようだった。
 キラキラとした陽の下、花咲き乱れる中庭で笑う男はそう、真っ白な手をこちらへと差し出し出してきた。
 花鶏は俺に何かを求めていた。
 それが、これになんの意味があるのか。分からない、この世界についても分からないことだらけであるという点に関しては記憶喪失であながち間違いないのかもしれない。

 なんとなくシャツの裾で手汗を拭う動作をし、それからおずおずと差し出された手を握り返す。

「よろしく、お願いします」

 だから、まず欠けているピースを探し出すところから俺は始めることにした。
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