亡霊が思うには、

田原摩耶

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「……っ、ふ、ぅ」

 これはただの栄養補給みたいなものであって、別に特別な意味もなにもない。
 そう自分に言い聞かせながら、覆い被さってくる幸喜にただ唇に噛み付かれる。

 またさっきの化け物が来るのではないかとか、他の奴らにこんなところを見られたらとか気が気でなかった。

 ――こいつには、ここでくだばられたら困るから仕方ないのだ。

 そう自分に言い聞かせながらも、這わされる舌に小さく呻く。

「も……っ、充分だろ」
「えー? まだ、全然足りねえ」
「本気で言ってるのか?」
「俺が消えちゃってもいいの? 準一、とうとう一人になっちゃうかもよ?」

 寂しいだろ?と笑う幸喜に、そんな軽口を叩けるのなら充分だろ、と睨み返した矢先。再び重ねられる唇に全身が緊張する。
 ああ、くそ、なんだこれ。まだ殴られたりした方が――いや、どっちもどっちだ。

 どさくさに紛れて服の上から体に触れてくる幸喜の手を掴めば、幸喜は笑う。

「なんだよ、この手は」
「……っ、口だけだって言っただろ」
「この腕もいでいい?」
「おい……っ!」

 本気でやりかねない幸喜にぞっとし、慌てて腕をかばった矢先だった。がさりと樹海の奥から聞こえてきた物音に咄嗟に俺を閉じた。
 そして、その物音はどうやら幸喜にも聞こえてたらしい。やれやれと言わんばかりの態度で俺から顔を離した幸喜は、八つ当たりのように人の唇に噛み付いてきた。

「い゛……っ!」
「準一、声出すなって。また気付かれるだろ」

 こいつ、と言い掛けて堪える。
 相手は幸喜だ、どうやっても俺が大人になるしかないのだ。覚えとけよ、と心の中で悪態つきながら、俺たちは物音から遠ざかるようにその場所を移動することにした。



「……っ、はあ……」
「なんだよ、そんな疲れた顔して」
「お前のせいだろ……っ!」
「俺? なんで?」

 けろっとした顔する幸喜に、俺はもう何も返すことはできなかった。
 こいつは元気になってるが、その代わりになんだかどっと疲れた。
 しかし、普段ならば血まみれになってもおかしくないことはしたはずなのに、恐る恐る額に触れても傷口は開いていないようだ。
 ――こいつに対する耐性ができたということだろうか。それがいいことなのかは怪しいところだが、そういうことにしておこう。

「……それより、どうなってんだよこれ。さっきの化け物といい、明らかに増えてないか?」

 そう、そこだ。今までだったら屋敷の地下にある花鶏と屋敷の精神世界だけだと思ったが、それが地上にまで出てきているとなるとぞっとした。

「少なくとも花鶏さんの精神力が増してるってことだろ? ここまで影響させんのって相当疲れそうだし」
「……他の奴らに一切会えてないのが気味悪いな」
「それな、藤也からの着信もねーし」

 以心伝心のことを電話扱いする幸喜はさておきだ。あまり芳しくないことには代わりない。それに、もし影響が屋敷にまで大きく出てるとしたら花鶏に関わる情報が握りつぶされる可能性も出てくる。

「樹海も危険そうだし、……せめて安全そうな場所があればな」
「安全なー、準一も面白いこと言うよな。最初からここに安全な場所なんてないってのに」
「そういう話じゃねえんだよ」
「それに、こういうときは逆に考えるんだよ。『危険そうな場所こそなにかある』って」

 幸喜の言葉に思わず口を噤んだ。
 ……確かに、と納得してしまいそうになる自分がいた。

「さっきの赤ん坊がいたところに戻るか?」
「なんだよ、準一のくせに大胆なこと言うじゃん」

「お前が言わせたんだろ」と言い返せば、幸喜は冷ややかな笑みを浮かべる。そして、「ま、どっちでもいいや」と呟くのだ。

「今だったら最悪また同じように力吸われてもストックある状態だし、俺的にはアリ」
「……まさか、そのストックって俺のことを言ってるんじゃないだろうな」
「よーし、しゅっぱーつ。準一、迷子にならないように手ぇつなぐ?」
「……っ、繋がねえよ」

 というかさらっと人を無視すんなよ、とか言いたいことは色々あったが、いつまでも逃げていたところでジリ貧だ。やはり、虎穴に入らずんばなんとやらというやつだ。
 ――なんだか、誘導されているような気もしないでもないが、ここまできたらどうにでもなれというやつだ。

 そして、そんなやり取りをしながら再び樹海の探索へと戻ったのが数十分ほど前だった。
 そんなに離れてはいないはずのそこにとうとう辿り着くことはできなかった。それどころか、屋敷に戻ることすらもできずに彷徨うことになるなんて数十分前の俺には予想――できていなかったわけではない、最悪の想定はしていたものの、正直『そこまでか』と言う気持ちもあった。

「なあ、幸喜」
「んあ? なに? どした?」
「……お前、樹海の地理には自信ありだったよな」
「そだね、ガイドなら任せろよ」

「――樹海の地形、変わってないか?」

 全て夢ならばよかったが、今俺と同じ空間にいる幸喜も同じことを考えていたようだ。

「花鶏さん、お茶目なところあるよな」
「い、言ってる場合か……?!」
「屋敷も形変わるんだから、樹海の形が変わることもあるだろ?」
「まあ、そうか……」

 いや納得してる場合ではない。
 どうしたらいいんだ、この場合は。とそこまで考えてハッとした。

「……っ、凛太郎、聞こえるか!」

 それならば、と思い切って凛太郎を呼んだときだった。周囲の空気が一気に重たくなるのを感じた。そして目の前、なにもなかったはずの空間に浮かび上がったのは一枚の襖だ。

「出た?」
「……やっぱり、お前には見えてないのか? この襖が」
「わっかんねーな。けど、なんか変な感じはする」

 幸喜の言葉になるほどな、と納得する。けれどなんだろうか、この違和感は。
 先程よりも花鶏の影響が出てるということなのか、一歩踏み出すのを躊躇ったが、今は倫太郎の無事が気になった。だから、俺はその目の前の襖を開いて飛び込んだ。

 ――今思えば、直感ほど信じるべきものはないと思う。

 襖の向こう側には薄暗く、真っ暗な闇が続いていた。座敷牢ではない、ただの闇だ。
 それと同時に全身に掛かる負荷に押し潰されそうになりながらも「凛太郎?」と暗闇の中、辺りを見渡したときだった。

「残念ですが、あれならここにはいませんよ」

 どこからともなく、頭の中に響くように聞こえてきた柔らかな声に全身が凍りつく。
 倫太郎と同じ声質のはずなのに、喋り方や抑揚の付け方ひとつでここまで変わるものなのか。

「おや、久しぶりの再会だというのにあんまりな反応ではございませんか。……準一さん」

 からん、と背後から下駄の音が聞こえてくる。
 咄嗟に振り返ったそこには、薄ぼんやりと浮かび上がる青白い人影が一つ。

 和装の男ははんなりとした笑みを浮かべ、着物の裾から扇子を取り出した男はそれを手に微笑むのだ。

「――花鶏、さん」

 まさか張本人がこんなに簡単に出てくるとは思いもしなかった。どういうつもりなのかとか、言いたいことは山ほどあったはずなのに、いざ本人を前にするとこの口は肝心なときは回らなくなるようだ。
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