亡霊が思うには、

田原摩耶

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 このままここにいてはまずい。それは、俺でもよく分かった。
 とにかくここから離れよう。そう幸喜を抱えたままその通路から離れようとすれば、手の中の幸喜は「えー、もういっちゃうのかよ」と不満そうな声を上げる。

「行く。これ以上ここにいたら、お前までまじの人形になるかもしれないだろ」
『俺なら大丈夫だって! また準一からもらうし』
「それは俺が大丈夫じゃないんだよ!」

 思わず突っ込んでしまった。
 しかしこのまま幸喜にまで力を奪われては洒落にならない。
 こうなったら、と俺は幸喜のぬいぐるみの口を手で押さえて一旦黙らせたあと、念じる。

「……っ、凛太郎! 頼む、ここから出してくれ!」

 念じるあまり口からも出てしまったが、流石に声にまで出せば凛太郎にも伝わるはずだ。
 幸喜がいる今あいつは会ってくれないだろうが、あいつは俺たちの高度を見ているはずだ。
 そんな希望に賭けたとき、視界が大きくぐらついた。
 俺の方に限界がきて、もうとうとう立つこともできなくなったのか。
 そう戦慄したが、どうやら違うようだ。この屋敷全体が揺れているようだ。

「な、なんだ……?!」
『おいおい、準一お前いくらなんでもビビりすぎだろ。こんなに震えちゃって』
「お前の場合はネタかガチか分かりにくいんだよ……!」
『え? 違うの?』

 しかもガチかよ、と思った次の瞬間。床が大きく傾く。最早滑り坂になったその廊下で、咄嗟になにかを掴もうにも辺りにはなにもない。

「おわっ! や、っべえ……! 落ちる!」
『おいおい、準一落ちたら俺も落ちるんだからもっと気合入れて貰わねえと困るなあ。ほら頑張れ頑張れ~!』
「う、るせ……え゛……っ!」

 俺が立っていた場所は、最早床というよりも壁になっていた。そんな場所で掴めるもんの支えもなしに居続けることは不可能だ。
 ここに来るときも似たような目に遭ったな、なんて思いながら俺は、せめてこいつはと俺は幸喜のぬいぐるみを抱き締める。

 どこまで落ちるのか、通路の先になにがあるのかわからないが、どうすることもできない。
 『準一、死ぬの?』なんて幸喜の声に「もう死んでんだよ」とツッコミ返す余裕もない。

 これは凛太郎の仕業なのか、それとも――。

 その先はなにも考えることはできなかった。ただ屋敷の奥に落ちていく浮遊感。しかし、いつまで立っても着地点は訪れない。
 その代わり、意識が、音が、感じていた全てのものが遠くなっていく。
 手の中にあるぬいぐるみ幸喜の感覚だけをしっかりと感じたまま、俺は真っ逆さまに落ちていった。

 そして、次に目を覚ましたときには見覚えのある部屋の中にいた。


 ――物置部屋、その地下入口の扉前。

「――え」

 一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
 眠っていたみたいに起き上がった瞬間、先程までいた精神世界とかではない現実世界に戻ってきた俺は慌てて抱き締めたままの幸喜を確認した。
 ――幸喜はちゃんといた。
 むにゃむにゃと言いながらも、縫い目のような目は瞑ってる。どうやら幸喜も気を失っていたらしい。というか、ちゃんと表情のギミックまでついてんのか。

「幸喜……っ! おい、幸喜! しっかりしろ!」

 そうフェルトで出来た頬を軽く人差し指で叩けば、はっと幸喜は目を開いた。

『んあ? あれ、帰ってきた?』
「……ああ、みたいだな」
『なーんだ、もしかしてあまりにも準一が可哀想だったから花鶏さんが帰してくれたのかな~』

『俺的にはまだ全然遊びたんねーんだけど』と、不満そうに短いフェルト腕を動かす幸喜。どうやら腕組もうとしてるが、短すぎて届いてないせいでよくわからない動きになってるようだ。
 にわか幸喜の言葉に納得することはできなかったが、あの世界の歪み方には覚えがあっただけになにも言えなくなる。

「……」

 ますます花鶏がなにを考えているのか分からない。
 それでも、一まずはあの世界から出られたことに安堵するが……。

「待てよ、ここに帰ってきたってことは……!」

 はっとし、俺は慌てて地下へと繋がる扉に駆け寄る。そしてその扉を開けば、その先は真っ暗な闇しか見えない。

『んん? どした準一~』
「さっきの精神世界……もう戻れないんじゃないか?」
『なんで?』
「なんでって、あれはお前が連れ去られそうになって俺が付いて行ったせいでたまたま入ったようなもんだし……言ってみれば事故だろ?」
『じゃあまた連れ去られてみたらいいんじゃね?』
「え……」
『だってそれって花鶏さんもわりとギリってことじゃん。ならさ、また地下に行けばどうせ会えるだろ』

 ぬいぐるみの幸喜の言葉に、思わずなにも言えなくなった。幸喜が珍しくまともなこと言ってることにも驚いたが、それ以上にやはり花鶏といた時間は俺より長いだけある。
 それに、なんだかんだ仲良かったみたいだしな。こちらからしてみればあまり良くない仲良しさではあったが。
 感心して思わず黙る俺に、『準一どした?また頭割れるのか?』とぺちぺちその腕で頬を叩いてくる幸喜。フェルト製のはずなのに何故か痛い。

「やめろ、顔叩くな。……ってそうだ、さっきの血……」

 言い掛けて、幸喜の腕が濡れてるのを見てまだ血が出ていることに気付いた。

「……ひとまず、身体を休める方が先みたいだな」
『ええ~つまんねーの。別にいいじゃん、行こうぜ行こうぜ~!』
「いつでも会えるだろうって言ったのはお前だろ……それに、他のやつらのことも気になるし」

 食堂で別れたあと、そのままになっていた他の亡霊たちのことを思い出す。そこで幸喜は『あ』と口にした。……こいつ、忘れてやがった。

『ま、そうだな。準一は残りカスみたいなもんだし、いつまでもこの体じゃなんもできねーし』
「……」

 お前はずっとそのままでいてくれた方がいい気もするが。
 そう喉元まで出かかって、俺は言葉を飲み込んだ。
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