亡霊が思うには、

田原摩耶

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「っ、すみません……その、そこの物置部屋で……俺達、扉を見付けて」
「……」
「それで、今幸喜がその扉の鍵を花鶏さんの部屋まで探しに行ってるんですけど……――」

 そう言いかけたときだった。
「鍵」とその形のいい唇が単語を繰り返す。開かれた目はこちらを見据えたまま。

「……鍵。扉の鍵を開けたいのですか、貴方は」
「え……っ、いや、俺は別に……」
「――構いませんよ」
「……へ」

 ぱっと花鶏の手が離れたと思えば、固まる俺の横を足音もなく通り過ぎていく花鶏。先程閉じた扉を再び開き、あの空気の悪い物置部屋の奥まで歩いていく花鶏は部屋の外で固まっていた俺を振り返る。

「何していらっしゃるのですか。……みたいのでしょう、この扉の下になにがあるのか」
「ま、待ってください。花鶏さん。俺は別に……ッ」

 隠してある場所を無理矢理こじ開けたいなどと思っていない。そう声をあげるが、こちらへと戻ってきた花鶏に手を掴まれるのだ。

「……っ、花鶏さん……?」
「私のことが知りたいのでしょう」

 背筋が凍り付く。
 まさか、自室での奈都との会話も聞いていたのか。そう一瞬凍り付くが、ただの言葉遊びかもしれない。花鶏の表情からはなに一つ分からない。

「……いいですよ、貴方になら」

 準一さん、とその熱を感じない唇が動いた。
 いつもと変わらない、変わらないはずなのに、普段ならば避けられていたはずの話題を真っ向から突き付けられた俺は文字通り言葉に詰まるのだ。
 長い間時間が停まったようなそんな錯覚を覚えたが、実際にはそれほどないかもしれない。
 俺が押し黙るのを見て、花鶏はふっと微笑んだ。

「冗談ですよ」

 そう、一言。
 いつもと変わらないいたずらっ子のような笑顔を浮かべて花鶏は口にする。

「じょ、冗談って……」
「地下ならば、別に構いませんよ。……それに、私もそろそろ掃除をしなければと思っていたところでしたので寧ろ貴方から提案してくださって丁度良かった」
「……っ、……」

 俺は入りたいなどとは一言も言っていないのだが、花鶏はすっかりその気になっているようだ。
 俺は、返す言葉も見つからないまま花鶏を見ていた。
 本当にいいのか、と頭の片隅でもう一人の自分が声を上げるのだ。――防衛本能が。

「花鶏さん、やっぱり俺」

 戻ります、と言いかけたとき、伸びてきた白い手に手首を取られる。絡みつく指は人体というよりも蛇のような、そんな錯覚を覚えた。
 睫毛に縁取られた二つの目がこちらを真っ直ぐに捉える。

「私をその気にさせたのは貴方ですよ、準一さん。であれば、貴方には私に付き合う義務があります」
「……そんなこと、言われても」
「私と二人きりが嫌なのですか? でしたら、仲介役も用意しますが」

 そう花鶏が口にしたときだった。廊下の奥から「うわ! なんだテメェ!!」という声が聞こえてきた。南波の声だ。
 一気に騒々しくなる廊下。
 何事かと声が近づいてくる方を振り返ったときだった。
 凄まじい速さで何かが飛んできたと思えば、なにやら黒い触手のようなものに縛られた南波が廊下を引きずられているではないか。

「な、南波さん……?!」
「っ、お、おい、おい!! なんだこれ!!」

 驚愕のあまり語彙を失っている南波を一瞥し、花鶏は俺に微笑みかけた。

「これで二人きりではなくなりましたね」

 そう、楽しげに笑うのだ。

 俺は花鶏のことを何も知らない。
 いつも身につけている和服には三パターンあり、その日の気候や天気で変えていて、お気に入りは濃紺の着流しなのだろうということくらいだ。
 それから、カメラを通して映った花鶏が焼死体だったこと。
 なにが真実で、何が本物で、何者か。そもそもその花鶏と名乗っている名前が本名なのかもわからない。
 南波と同じ記憶喪失ではないだろう、敢えて花鶏は自分の話をしてこなかった。
 そんな花鶏が『俺になら』そう一言、放った言葉が脳味噌にこびり付いて離れなかった。

「いきなり人を連れてきておいてなんだよ、どういうことだよこれ……ッ!!」
「どうもこうもありません、見たままですよ」
「それがわかんねえから言ってんだろうが!」

 確かに南波からしてみればいきなり連れてこられたようなものだ。というか実際引っ張ってこられていたし。
 今にも花鶏に噛みつきそうな勢いすらある南波を宥め、俺は「実は……」と経緯を南波に説明することにした。

 ――そして数分後。

「地下探索だあ?」
「探索ではなく掃除ですよ、南波」
「どっちも同じだろうが。……というか、なんで俺まで付き合わされなくちゃいけねえんだよ。お掃除なら余計一人でやりやがれ」

 説明した後も南波は相変わらずだった。まあ南波が簡単に頷くような人間とは思っていなかったし、しかも完全に巻き込まれたようなものだし。
 やはりこんな形で無理に同行させるのは強引すぎやしないか。
 そう、ちらりと花鶏を向いた時だった。花鶏は「共感性」とぽつりと呟く。

「……あ?」
「私が用があるのは準一さんです。そして、準一さんは私と二人きりになるのは避けたいと」
「別に、そこまでは言ってませんよ」
「では私と二人だけでも構わないと?」

 そういう言い方をするから頷きにくいのだ。
 けれど、正直な話花鶏のいう通りでもある。こうして即答できないことがすべて物語っていた。
 確かに色々言いたいことはあるが、俺自身が一番気後れしている理由はこれから向かうその場所だ。
 絶対に何かがある。思い込みかもしれないが、本能的に拒否するのだ。
 霊感もなければ予知能力も透視できるわけではない。自分の目で見ていないものを思い込みで判断することは早計だと分かった上で行きたくない――そう防衛本能が警笛を鳴らす。

「花鶏さん、やっぱり俺……行きたくありません」
「行きたくねえって言ってんだろうが! 行きたきゃ一人で行け!」
「おや……それは何故でしょうか」

 花鶏は俺の言葉に怒るわけでも、落ち込むわけでもなくあくまでいつもと変わらぬトーンで尋ねてくる。

「なんか、怖いというか……嫌な感じがするんです。変なこと言ってるのは承知の上なんですけど」
「……」
「じゃあ中止だ中止!」

 戻んぞ、と南波に声を掛けられたとき、先ほどまで無言だった花鶏は俺の手を掴む。
 その感触に驚いて顔を上げたとき、鼻先数センチ先。こちらを覗き込む花鶏の口元に笑みが浮かんだ。

「やはり、貴方のその共感性は目を見張るものがある」
「あ、あの……花鶏さん?」
「っと……失礼しました。貴方がそこまで行きたくないというなら無理強いするわけにはいきませんからね」

「でしたら構いませんよ」と先ほどまでの異様な圧はどこへ消えたのか、花鶏は微笑んで見せるのだ。
 そして、

「では、私は南波を連れて一足先に様子を見てきますので、準一さんも気が向いたらぜひ来てくださいね」

 何故そうなるのか。色々言いたいことはあるけれど、完全に巻き込まれる形になっている南波に同情をする暇もなかった。

「待っ、ちょっと花鶏さん……っ!」
「おや、まだなにか?」
「まだ何かって……」
「私には付き合いきれないと言い出したのは貴方の方ではありませんか、準一さん」

 俺は少なくとも花鶏は大人だと思っていた。年齢というよりも亡霊として存在していた期間は俺は勿論この館に住む亡霊たちの中でも最長だろう。
 どれ程の長さなのか俺は知らないし、直接聞いたわけでもない。
 それでも、今目の前にいるこの男は言うなれば駄々っ子だ。俺が拒んだことによって南波という人質を連れてくる、そんな厄介な駄々っ子。

「花鶏さん、なんでそんなに地下にこだわるんですか?」

 それが俺には理解できなかった。
 強引に踏み込むことはできることならしたくはなかったが、花鶏が強引な態度をとるのならばこちらもそれに答えるしかない。
 思い切って尋ねれば、花鶏はいつもと変わらない柔らかな微笑みを浮かべる。そして、優しい眼差しをこちらへと向けるのだ。

「準一さん、貴方は言いましたね。嫌な予感がすると、なにか恐ろしいものを感じると」
「え、……はい」
「でも、私はそうは思わないんです。貴方の言葉を聞いてとても気分が高揚する。――ええ、まるで宝の在りかを示す地図を手に入れた子供のように」

 確かに、花鶏の表情はいつもと変わらない笑顔のはずだった。
 それでも何故だろうか、ほんの一瞬まるで水が目いっぱい貯まったバケツに絵具を垂らしたようにぐにゃりと歪んで見えたのだ。
 花鶏が興奮していることは明白だった。普段ゆったりとした口調だからこそ余計その言葉尻が上がったり、単語一つ一つの間隔が短くなっている。
 俺も南波も明らかに花鶏の様子がおかしいことに気が付いていた。
 それでも、なにが花鶏をここまで駆り立てるのか。それが気にならないと言えば嘘になる。

「……っ、分かりました」

 ここまで花鶏が言うのなら腹を括るしかない。
 ……というよりも、俺が断って南波だけが巻き込まれるのは俺としても本意ではなかった。
 俺の言葉に、花鶏は「分かったというのは?」と少し意地の悪い問いかけを投げてくるのだ。

「俺も一緒に行きます。あと、南波さんを巻き込むのはやめてください」
「……おい、準一……」
「おや、南波には随分とお優しいんですね」

 そういうわけじゃ、と言いかけたとき。

「おいカマ野郎、俺も連れて行け」

 断った矢先、南波が口を開いた。
 その口から出てきたその言葉に、花鶏よりも先に思わず「え」とアホみたいな反応してしまう。

「な、南波さん、何言って……」
「こいつが嫌な予感してるってんなら余計人はいた方がいいだろ」
「でも、」
「でももクソもねえ、俺が決めたんだから良いって言ってんだろうが!」

 逆に怒られてしまった。

「……南波さんがいいならいいですけど」

 本当に大丈夫なのだろうかとちらりと南波の横顔を盗み見見てみる。南波は花鶏を警戒してるようだ、うっすら顔色が悪い気がする。
 ……でもまあ、断っても着いてきそうだしな。
 正直、南波の言うとおり様子のおかしい花鶏と二人きりになるよりかは心強い。

 なんてひと悶着起きてる矢先だった。
 開いたままになっていた物置部屋の扉が大きく開いた。

「あれ、なんか人増えてね?」

 なんというタイミングだろうか。
 開いた扉からにゅっと現れたのは幸喜だった。
 部屋の中、花鶏たちに目を向けた幸喜。
 そうだ、こいつもいたのだ。よりによってこんなタイミングで戻ってくるなんて。
 露骨に南波の顔が引きつっている。

「こ、幸喜……!」
「おや、幸喜。貴方また勝手に人の部屋を漁っていたようですね」
「なんだ、やっぱ気付いてたんだ! でも目的のもん見当たんなかったから花鶏さん探してたんだけど、手間省けちゃった!」

「ところで楽しそうな顔してなんの話してんの?」とニコニコ笑いながら近付いてくる幸喜。肩口に顎を乗せてのしかかってくる幸喜を振り払いながら「色々だよ、色々」とあしらったときだった。

「おいクソガキ、お前も来い」

 南波の言葉に俺は耳を疑った。
 来い、というのはまさか。いや、花鶏が言うならまだ納得できるが南波が幸喜を誘うとは思ってもいなかった。
 まさかまだアルコールが残っていたのか。いやそんなはずはない。今の南波は酩酊してる様子もない。

「南波さん、何を……」
「来いってなにが? え? なになに? 今から皆でどっか行くの?」
「ああそうだよ、地下の大掃除だ」

 笑う南波に目を輝かせる幸喜。
 そんな二人とは対象的に、話を進める南波に花鶏の口数が減っていることに気付いた。そして、先程までの興奮の熱が引いているようなそんな冷ややかな空気が花鶏の周囲に漂っている。
 無論、地下へ行きたがっていた幸喜は断るはずもなかった。

「良いじゃん! 俺も行く行くー!」
「決まりだな。問題はねえだろ、花鶏」
「……ええ、問題はありません」
「じゃあさじゃあさ、藤也と奈都も誘ってこよっと。皆でやった方が探検し甲斐ありそうじゃん?」
「おい、幸喜……」
「ああ、好きにすりゃいい。呼ぶならさっさと呼んでこいよ」

 南波はそう言って幸喜をあしらうように手を振った。幸喜は二人を呼びに行ったのだろう、そのまま姿を消す。俺が止める暇すらもなかった。
 確かに人が多い方がいいとは思ったが、南波は俺の言ったことを覚えているのだろうか。“嫌な予感がする”ということを。
 まさか全員道連れにするつもりか?とも疑ったが、南波のことだ。そこまで無鉄砲だとは思わない……いや南波ならあり得るから恐ろしい。
「南波さん」と小声で話しかければ、南波はこちらに目を向ける。そして南波は何も言わず、花鶏に目を向けた。
 ――あいつを見てろ。
 そんなアイコンタクトだった。
 花鶏は何も言わなかった。ただ、やはりいつもと様子が違う。俺が盗み見た横顔には笑顔はなく、何かを考えているようだった。俺の方を見ていない。視線の先には地下へと続く扉が存在していた。なにかを気にしているようだ。
 これでよかったのか分からないが、確かに皆居たら恐怖も半減する。
 ……南波なりに俺を気遣ってくれたのか。南波の真意はわからないが、油断はしない方がいいだろうというのは間違いない。
 ……別の心配事が多分に増えたが。
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