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04
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一通り後片付けを終え、来たときとはまるで違う書庫を見てよくここまで生まれ変わらせることができたものだと自分で感心した。
全ての本は収まり、空くかなと思っていた本棚もいい感じに埋まって寧ろあるべき姿と思えた。
その代わり。
「……こんなに処分するんですか」
「ええ、こちらは後から読みたいものがあればご自由に部屋に持ち込んで大丈夫なので」
通路に山積みになった書物を見て、俺は咄嗟にこれを読み終えるのにどれほど時間がかかるのだろうかと考え、やめた。これを読み尽くしてしまう花鶏もなかなかだと思ったが、花鶏ほど長い時間この屋敷に滞在していたらおかしくはないのかもしれない。
というわけで、無事片付けを終えた俺達は応接室で休憩することにした。
――館内、応接室。
花鶏の用意した湯呑片手に四人でソファーに座る図は中々シュールだ。
用意してもらったはいいが、俺はあまりお茶の味の違いが分からない。これが美味しいのかどうかもわからないが、温かいお茶を飲むと自然とほっとする。
「肉体労働後のお茶は染みるな……」
「そうですね」
なんて奈都と言い合ってると、ふと湯呑にすら手を付けずにじっと見てる藤也に気付いた。
「飲まないのか?」と声を掛ければ藤也は足を組み直すのだ。
「……花鶏さんの用意したの、腐ってそうで飲みたくないんだけど」
ごほっ!と丁度飲み干そうとしていた奈都が咽る。先程までニコニコしていた花鶏の表情がぴくりと反応した。
「藤也、貴方という方は……そんなことを言うのでしたら茶菓子はなしですね」
「貰う」
「黴が生えていたら嫌でしょう」
「俺チョコのやつがいい」
「残念ながら醤油煎餅だけですね」
やいのやいのとやり合ってる藤也と花鶏を他所目に俺はつい湯呑に目を向けた。いや、味はおかしいと感じなかったし匂いも普通だ。
「藤也君、ちゃんと賞味期限は切れてないものだと思いますよ」
「……じゃあ貰う」
奈都に諭され、渋々口を付ける藤也にやれやれと花鶏は肩を竦める。
「それにしても、よく残ってましたね。……茶葉の賞味期限は確か結構保つとは聞きますけど、煎餅は流石に年体位ではなかったですよね」
確かに気になっていた。
花鶏が用意してくれた煎餅を齧る。こちらも味も歯応えも申し分もない。
「ああ、言ってませんでしたっけ。定期的にこの山に住む近辺の方がお供えしてくださるんですよ」
「お供え……?」
「ええ、なのでこうして私が美味しく頂いているわけです」
お供えと言う単語に俺はあの死体を埋めた穴を思い出したが、あそこにはお供えできるような場所もものもない。
「へえ、そんな人がいるんですね」
「お供えするような場所ってありましたっけ?」
「……大したものではありませんよ」
それっきり花鶏はそのことについて触れなかった。奈都はもっと聞きたそうにしていたが、「先に書庫に戻っておきますね」と花鶏は応接室を後にした。
明らかに花鶏の反応がおかしい、そう思ったのは俺だけではなかった。
「……なんか、花鶏さんの様子おかしくなかったですか?」
単刀直入に聞いてくる奈都に内心ひやりとした。
ぽり……と煎餅を齧っていた藤也が「変なのはいつものこと」とまた煎餅を齧る。
「確かにいつも胡散臭いところはありますけど……露骨に逃げたというか……」
「さっきのお供えものの話か?」
「……多分あれですよね、原因」
「でも別に隠すようなことでもないよな」
奈都は「確かに」と大きく頷いたっきり黙りこくってしまった。何か考えているようだ。
考え事してる奈都ってたまに怖いんだよな。思いながら俺は藤也に「なあ」と声をかける。
「お供えってどこにしてあるんだ?」
「……知ってどうすんの、それ」
「あ、や……どんなもの他にされてんのか……ってか、どんな人してんのか気になって」
「たまに坊主が来る」
「坊主?」「お坊さん?」と、俺と奈都の声が重なった。
藤也はさして興味なさそうに頷いた。
「夏になると毎年来てた。……今年は来ないのかと思ったけど、来たんだね」
花鶏の分らしい煎餅にまで手をつけ、ポリポリと食べる藤也。その言葉に俺と奈都は無言で目を合わせた。
休憩も程々に、俺たちは再び書庫へと戻ることになる。
その間も藤也と奈都と色々くだらない話はしていたものの、その間もずっと先程応接室で聞いた坊主の話を思い出していた。
花鶏は人のことは根掘り葉掘り聞くくせにまるで自分のこととなると一切口を閉じる節がある。
不平等だ、とは思わない。誰にでも隠したいものがあるのは当たり前だ。わかっていたが、気にならないというと嘘になる。
書庫の前には花鶏の姿はなかった。
「花鶏さん、いませんね。……先に戻っていると仰っていたはずですけど」
「別にいいんじゃないの。いてもいなくても変わらないし……」
「まあ、藤也君らしいですけど」
「その内戻ってくるんじゃないか?ほら、あの人神出鬼没だし」
「許可はもらってるんだ。文句は言われないだろうしな」そう躊躇う奈都に声をかければ、奈都は「準一さんがそういうなら」と渋々頷くのだ。
それにしてもだ。
俺は片付いた書庫の中を覗いた。換気のつもりか、扉も開けっ放しだ。そして、書庫の奥に見覚えのある後ろ姿を見つける。――花鶏だ。
古ぼけた本棚の前、本に読み耽けていたのか手元の書物に目を向けたまま動かない花鶏を見つけ、俺はそのまま書庫の中に足を踏み入れた。
「……花鶏さん、ここに居たんですか。……先に勝手に本選ばせてもらってますよ」
「…………」
「……花鶏さん?」
そう恐る恐るその背中に声を掛けたとき。
花鶏がこちらを振り向いた。
「……ああ、申し訳ございません。少々考え事をしておりました」
そういつもと変わらない微笑みを浮かべる花鶏にほっとする反面、胸の内の違和感は更に大きくなっていくのが自分でもわかった。
「考え事?」と聞き返せば、花鶏は「ええ」とだけ頷いてみせるのだ。
「……何かあったんですか?」
「いえ、大したことではありませんよ」
「それよりも、本でしたね」私たちも戻るとしましょうか、と手に持っていた本を適当に仕舞う花鶏はそのまま俺の視線から逃げるように書庫を後にした。
……花鶏の様子がおかしいのは明らかだ。
俺は書庫の外で花鶏と奈都たちが話しているのを聞きながら、書庫の奥、先程まで花鶏が立っていた本棚の前へと移動する。
片付けられた本棚の中、花鶏が仕舞ったであろうその書物に手を伸ばした。
それは本ではなくアルバムのようだった。
それも相当年季が入っている。
破いてしまわないようにそっとアルバムを捲れば中には白黒写真が貼られていた。
一番最初のページには家族写真だろうか。和装洋装入り混じった八人の男女がそこには収まっている。
けれど全員顔のところが黒く靄がかったように汚れ、人相までは把握できない。
何故花鶏がこれを見ていたのか。思いながら次のページを捲り、息を飲む。
「……なんだ、これ」
写真が貼られていたであろうそこには何もなく、明らかに剥がされたような痕跡だけが残っていた。それは他のページも同じだった。
そして、そのアルバムの最後のページ。
そこに貼られていた写真を見つけて息を呑んだ。
最初のページに貼られていた写真の家族だろうか。同様黒く塗り潰されたように顔が見えなかったが、俺が驚いたのはそこではない。
その家族はとある洋館をバックに映っていた。
色はなくとも、その洋館には見覚えがあった。
自然に囲まれた汚れ一つないその洋館は、俺の知ってる実物よりも大分壮観に思えた。
――間違いない、この洋館だ。
今ではもう跡形もなく寂れたこの洋館だが、それでも恐らく建ったばかりの頃はこうだったのだろうというのがすぐわかった。
けれど何故、花鶏がこのアルバムを見ていたのか。
俺には理解できなかったがそれでもなんとなく引っかかった俺は最後のページに貼られたその洋館前の家族写真をページから剥がしてポケットに仕舞った。
後で奈都に見せてみよう。アルバムがここにあるのだから奈都をこっそり呼べばいい話なのだが、これは直感だが花鶏がこのアルバムを処分してしまう気がしたのだ。
念の為だった。俺はアルバムを元にあった場所へと戻し、そして書庫を後にした。
「それにしても、これだけ本があれば暇潰しにもなりますね」
「……ん」
「ふふ、そうですね。……あなた方にも読んでいただけるのなら本棚の肥やしになっていたこの本たちも報われるでしょうしね」
「……花鶏さんは本は読まれないんですか?」
「読むには読みますが……ここにいる本は既に擦り切れるほど読みましたので」
「それに、私は本と向き合っているよりも貴方達と話している方が性にあってるみたいなので」と花鶏は静かに微笑む。
書庫前。どうやら各々気になる本を見つけたようだ。数冊の本を抱えている。
「もう決まったのか?」
「あ……準一さん。いえ、今はまだ選別の段階ですね。……それに、準一さんがいないのに勝手決めるのはいかがかと……」
「……これは俺のだから」
「えっ、藤也君もう決めてたんですか?」
「……読みたいなら、俺が読み終わったあと貸す」
「い、いやいいけど別に……」
どうやら藤也は生物関連の本ばっか抜き取ってるらしい。昆虫図鑑に海の生態系……藤也が好きそうなものばかりだと思った。
「準一さんはどのような本が好きなんですか?」
「……うーん、あんま文字多いのは読まねえからな……流石に漫画とかはなさそうだな」
「準一さんは人妻……」
「い、いつの話してるんだよ……っ!」
早く忘れてくれ、と青ざめる俺を他所に藤也は言うだけ言ってそっぽ向く。
何かを察したのだろう、奈都が「ま、まあ……そうですね」とばつが悪そうにしながらも笑って流してくれたお陰でなんとかなったがいたたまれない。
「おや……準一さんは人のものがお好きですか」
「そ、そこに食いつかなくていいんですよ……」
「ふふ、そのように恥じらうことはありませんよ。……貴方も健全な男性ですからね」
花鶏の言葉がやけに含みがあるように聞こえてしまうのは気のせいではないだろう。
顔が火照る。ここまで掘り返されるとは思わなかった。俺はいち早くこの空気をどうにかしたくて逃げるように目の前の本の山、その一番上にあった本を手にした。それは何やらこの辺りの地域の歴史書のようだ。
「うっわ……これとか売ればお宝になるんじゃないんすか」
「確かに……この辺は特に古いみたいですね」
「古いだけの書物ですよ。……価値はございません。精々暖炉の火種止まりでしょうね」
ぱら、となんとなく捲ろうとした瞬間ボロボロとページが崩れ、思わず「うわ!」と本を落としそうになる。慌てて手を離すが間に合わなかった。ぱらぱらと文字通り砕けていく本。
「す、すみません……俺……」
「お気になさらず。それに、貴方の腕の中で朽ちることができるのならば寧ろこの書物も本望だったのではないのでしょうか」
微笑む花鶏に俺は何も言えなかった。花鶏なりの励ましなのだろうが如何せん生々しすぎる。
……けど、花鶏の態度がいつも通りに戻っているのを見てホッとしている俺も確かにいた。
先程書庫で見たときの別人のような横顔が瞼から離れないのだ。
それから暫く俺達は書庫前に居座って本を選別していた。俺が選んだ本は五冊だ。俺でも読めそうな文字の小説と、それから分厚い本。……読み終わらなくとも枕にはなりそうだなという理由で選んだとは奈都には口が裂けても言えないが。
それから読書好きの奈都は俺の倍くらいの本を抱えていた。その足元には抱えきれなかった本の山もある。そして藤也もちゃっかり先程よりも本が増えていた。
「それでは残った本たちは私が処分しておきますね」
「……すみません、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ引き取っていただきありがとうございます。お陰で私の力仕事が減りました」
「それでは、私はこれで」と花鶏はどこから残った本を抱えて書庫前を後にする。
その場に残された俺達は無言でお互いに目配せし合う。
「……取り敢えず、奈都の部屋に本を運ぶのを手伝った方がよさそうだな」
「す、すみません……」
というわけで俺たちは一度分担して本を抱えて奈都の部屋へと運び込むことになる。
◆ ◆ ◆
「すみません、手伝っていただいて」
奈都の部屋の前。
藤也と一緒に本を運んできたはいいが、改めて見るとすごい量だ。
あれほど閑散としていた部屋の中は一気に圧迫感を増していた。
「流石に一人じゃ何往復もするハメになるしな。……にしても、これだけありゃ大分退屈しのぎにはなりそうだな」
「ええ、お二人も言っていただければいつでも貸しますので」
「……ん」
「ありがとな」
なんて、そんなやり取りを交わしたあと俺たちもそれぞれ自室へと本を運び込むことになる。
静まり返った部屋の中、どさりと置いた本たちから埃がぶわりと舞い俺は慌てて部屋の窓を開けた。夜風が吹き込む部屋の中、暫く俺は部屋の中を換気することにした。
夜風を浴びながら、貰った本の山から一冊だけ適当なものを手に取った。比較的俺でも読めるようなものを、と選んだつもりだがやはり年季が入ってるからかなかなか頭に入ってこない。
……またあとでゆっくり読むか。そう、本を閉じて山へと戻そうとしたときだった。本の中から一枚の紙切れが落ちる。もしかしてページが抜けたのかと慌てて拾い上げたが、大きさからして明らかに違う。それはメモ用紙のようだった。
『すまなかった』
そう一言、筆のような文字で書かれたそのメモは本同様相当年季が入ってるようだ。誰の文字なのか、誰に宛てたものかもわからない。
……もしかしたら、今はもうここにはいない昔住んでいた亡霊の手紙かもしれない。
そんな考えが頭を過ぎったが答えは出てこない。……もとに戻しておくか。
俺は拾い上げたそれを本の後ろへとそっと戻す。
なんだか妙に落ち着かない気分だった。
床の上で雑魚寝でもするかと思ったがそれでもなんだか決まりが悪く、寝付けない。むくりと体を起こし、窓の外を眺めた。
するとどこからか煙が上がってるのが見えた。
……そういえば、花鶏が本を燃やすだとか言ってたな。
何か手伝うことでもあるだろうか。
このままじっとしてるのも体が腐っていくようで落ち着かず、部屋を出た。
焼却炉は屋敷の裏にあったはずだ。そのまま向かおうとしたときだった。丁度隣の部屋から南波が出てきた。
「あ、南波さ……」
「っ!!」
どうも、と挨拶するよりも先に凄まじい速さで部屋へと引っ込んでいく南波。バタンと閉められた扉に逆に驚いていると、今度はそろそろと扉が開いた。そして、
「……な、なんだ……お前か……」
「す……すみません、驚かせてしまって」
「別に驚いてねえよ!……ただ、用心してただけだ」
「…………」
まあ、そういうことにしておくか。
あれから現実へと戻ってきて南波とは何度か顔を合わせたが、未だに俺達は距離感の取り方を探り合っていた。というよりも、掴み損ねていた……というべきか。
けど、妙に謙った態度や極度に恐れられることはなくなってきたので俺としてはそれだけでも割と進歩だと思うのだけれど……。
「……ど、どこかに行くのか?」
「あー……いや、特に決めてなかったんですけど……花鶏さんの手伝いにでも行こうかなって」
「あ?……んでお前が……」
花鶏の名前出した途端露骨に嫌そうな顔をする南波。この二人は相変わらずだな。
「その、さっきまで奈都や藤也たちと花鶏さんの書庫整理手伝ってたんです。……それで、引き取り手のない本は燃やすと言ってたんで」
「ああ……どうりで臭えわけか」
それは南波の部屋のヤニのせいではないかと思ったが、黙っておくことにした。
「……勝手に燃やさせておけばいいだろ、お前が手伝う必要はねえよ」
「えーと……その、じっとしてられなくて」
「あー……暇なのか?お前」
こうして面と向かって指摘されるとなんだかバツが悪いが、相手が南波だからだろう。嫌味な感じはなく、はい、と正直に頷けば南波は何か考えるようにボリボリと金髪頭を掻いていた。
そしてどこからか取り出した煙草を咥えるのだ。
「……じゃ、付き合えよ」
「え?……南波さんにですか?」
「んだよ、……嫌かよ」
「い、いえ、嫌とかじゃないんですけど……」
「あの変態カマ野郎と二人きりよかましだろ。……ついて来い」
なんだか妙なことになってしまったな。
思ったが、南波の言葉ももっともだ。
……どうしてもあの日、南波の精神世界でのことを思い出してしまうが、あの世界での出来事全てが俺にとって悪夢だったわけではない。
……寧ろ、こうして避けられるわけでもなく南波の方から歩み寄ってくれるのは正直、嬉しい。
部屋から出てくる南波が歩き出し、俺はその背中を追いかけていった。
全ての本は収まり、空くかなと思っていた本棚もいい感じに埋まって寧ろあるべき姿と思えた。
その代わり。
「……こんなに処分するんですか」
「ええ、こちらは後から読みたいものがあればご自由に部屋に持ち込んで大丈夫なので」
通路に山積みになった書物を見て、俺は咄嗟にこれを読み終えるのにどれほど時間がかかるのだろうかと考え、やめた。これを読み尽くしてしまう花鶏もなかなかだと思ったが、花鶏ほど長い時間この屋敷に滞在していたらおかしくはないのかもしれない。
というわけで、無事片付けを終えた俺達は応接室で休憩することにした。
――館内、応接室。
花鶏の用意した湯呑片手に四人でソファーに座る図は中々シュールだ。
用意してもらったはいいが、俺はあまりお茶の味の違いが分からない。これが美味しいのかどうかもわからないが、温かいお茶を飲むと自然とほっとする。
「肉体労働後のお茶は染みるな……」
「そうですね」
なんて奈都と言い合ってると、ふと湯呑にすら手を付けずにじっと見てる藤也に気付いた。
「飲まないのか?」と声を掛ければ藤也は足を組み直すのだ。
「……花鶏さんの用意したの、腐ってそうで飲みたくないんだけど」
ごほっ!と丁度飲み干そうとしていた奈都が咽る。先程までニコニコしていた花鶏の表情がぴくりと反応した。
「藤也、貴方という方は……そんなことを言うのでしたら茶菓子はなしですね」
「貰う」
「黴が生えていたら嫌でしょう」
「俺チョコのやつがいい」
「残念ながら醤油煎餅だけですね」
やいのやいのとやり合ってる藤也と花鶏を他所目に俺はつい湯呑に目を向けた。いや、味はおかしいと感じなかったし匂いも普通だ。
「藤也君、ちゃんと賞味期限は切れてないものだと思いますよ」
「……じゃあ貰う」
奈都に諭され、渋々口を付ける藤也にやれやれと花鶏は肩を竦める。
「それにしても、よく残ってましたね。……茶葉の賞味期限は確か結構保つとは聞きますけど、煎餅は流石に年体位ではなかったですよね」
確かに気になっていた。
花鶏が用意してくれた煎餅を齧る。こちらも味も歯応えも申し分もない。
「ああ、言ってませんでしたっけ。定期的にこの山に住む近辺の方がお供えしてくださるんですよ」
「お供え……?」
「ええ、なのでこうして私が美味しく頂いているわけです」
お供えと言う単語に俺はあの死体を埋めた穴を思い出したが、あそこにはお供えできるような場所もものもない。
「へえ、そんな人がいるんですね」
「お供えするような場所ってありましたっけ?」
「……大したものではありませんよ」
それっきり花鶏はそのことについて触れなかった。奈都はもっと聞きたそうにしていたが、「先に書庫に戻っておきますね」と花鶏は応接室を後にした。
明らかに花鶏の反応がおかしい、そう思ったのは俺だけではなかった。
「……なんか、花鶏さんの様子おかしくなかったですか?」
単刀直入に聞いてくる奈都に内心ひやりとした。
ぽり……と煎餅を齧っていた藤也が「変なのはいつものこと」とまた煎餅を齧る。
「確かにいつも胡散臭いところはありますけど……露骨に逃げたというか……」
「さっきのお供えものの話か?」
「……多分あれですよね、原因」
「でも別に隠すようなことでもないよな」
奈都は「確かに」と大きく頷いたっきり黙りこくってしまった。何か考えているようだ。
考え事してる奈都ってたまに怖いんだよな。思いながら俺は藤也に「なあ」と声をかける。
「お供えってどこにしてあるんだ?」
「……知ってどうすんの、それ」
「あ、や……どんなもの他にされてんのか……ってか、どんな人してんのか気になって」
「たまに坊主が来る」
「坊主?」「お坊さん?」と、俺と奈都の声が重なった。
藤也はさして興味なさそうに頷いた。
「夏になると毎年来てた。……今年は来ないのかと思ったけど、来たんだね」
花鶏の分らしい煎餅にまで手をつけ、ポリポリと食べる藤也。その言葉に俺と奈都は無言で目を合わせた。
休憩も程々に、俺たちは再び書庫へと戻ることになる。
その間も藤也と奈都と色々くだらない話はしていたものの、その間もずっと先程応接室で聞いた坊主の話を思い出していた。
花鶏は人のことは根掘り葉掘り聞くくせにまるで自分のこととなると一切口を閉じる節がある。
不平等だ、とは思わない。誰にでも隠したいものがあるのは当たり前だ。わかっていたが、気にならないというと嘘になる。
書庫の前には花鶏の姿はなかった。
「花鶏さん、いませんね。……先に戻っていると仰っていたはずですけど」
「別にいいんじゃないの。いてもいなくても変わらないし……」
「まあ、藤也君らしいですけど」
「その内戻ってくるんじゃないか?ほら、あの人神出鬼没だし」
「許可はもらってるんだ。文句は言われないだろうしな」そう躊躇う奈都に声をかければ、奈都は「準一さんがそういうなら」と渋々頷くのだ。
それにしてもだ。
俺は片付いた書庫の中を覗いた。換気のつもりか、扉も開けっ放しだ。そして、書庫の奥に見覚えのある後ろ姿を見つける。――花鶏だ。
古ぼけた本棚の前、本に読み耽けていたのか手元の書物に目を向けたまま動かない花鶏を見つけ、俺はそのまま書庫の中に足を踏み入れた。
「……花鶏さん、ここに居たんですか。……先に勝手に本選ばせてもらってますよ」
「…………」
「……花鶏さん?」
そう恐る恐るその背中に声を掛けたとき。
花鶏がこちらを振り向いた。
「……ああ、申し訳ございません。少々考え事をしておりました」
そういつもと変わらない微笑みを浮かべる花鶏にほっとする反面、胸の内の違和感は更に大きくなっていくのが自分でもわかった。
「考え事?」と聞き返せば、花鶏は「ええ」とだけ頷いてみせるのだ。
「……何かあったんですか?」
「いえ、大したことではありませんよ」
「それよりも、本でしたね」私たちも戻るとしましょうか、と手に持っていた本を適当に仕舞う花鶏はそのまま俺の視線から逃げるように書庫を後にした。
……花鶏の様子がおかしいのは明らかだ。
俺は書庫の外で花鶏と奈都たちが話しているのを聞きながら、書庫の奥、先程まで花鶏が立っていた本棚の前へと移動する。
片付けられた本棚の中、花鶏が仕舞ったであろうその書物に手を伸ばした。
それは本ではなくアルバムのようだった。
それも相当年季が入っている。
破いてしまわないようにそっとアルバムを捲れば中には白黒写真が貼られていた。
一番最初のページには家族写真だろうか。和装洋装入り混じった八人の男女がそこには収まっている。
けれど全員顔のところが黒く靄がかったように汚れ、人相までは把握できない。
何故花鶏がこれを見ていたのか。思いながら次のページを捲り、息を飲む。
「……なんだ、これ」
写真が貼られていたであろうそこには何もなく、明らかに剥がされたような痕跡だけが残っていた。それは他のページも同じだった。
そして、そのアルバムの最後のページ。
そこに貼られていた写真を見つけて息を呑んだ。
最初のページに貼られていた写真の家族だろうか。同様黒く塗り潰されたように顔が見えなかったが、俺が驚いたのはそこではない。
その家族はとある洋館をバックに映っていた。
色はなくとも、その洋館には見覚えがあった。
自然に囲まれた汚れ一つないその洋館は、俺の知ってる実物よりも大分壮観に思えた。
――間違いない、この洋館だ。
今ではもう跡形もなく寂れたこの洋館だが、それでも恐らく建ったばかりの頃はこうだったのだろうというのがすぐわかった。
けれど何故、花鶏がこのアルバムを見ていたのか。
俺には理解できなかったがそれでもなんとなく引っかかった俺は最後のページに貼られたその洋館前の家族写真をページから剥がしてポケットに仕舞った。
後で奈都に見せてみよう。アルバムがここにあるのだから奈都をこっそり呼べばいい話なのだが、これは直感だが花鶏がこのアルバムを処分してしまう気がしたのだ。
念の為だった。俺はアルバムを元にあった場所へと戻し、そして書庫を後にした。
「それにしても、これだけ本があれば暇潰しにもなりますね」
「……ん」
「ふふ、そうですね。……あなた方にも読んでいただけるのなら本棚の肥やしになっていたこの本たちも報われるでしょうしね」
「……花鶏さんは本は読まれないんですか?」
「読むには読みますが……ここにいる本は既に擦り切れるほど読みましたので」
「それに、私は本と向き合っているよりも貴方達と話している方が性にあってるみたいなので」と花鶏は静かに微笑む。
書庫前。どうやら各々気になる本を見つけたようだ。数冊の本を抱えている。
「もう決まったのか?」
「あ……準一さん。いえ、今はまだ選別の段階ですね。……それに、準一さんがいないのに勝手決めるのはいかがかと……」
「……これは俺のだから」
「えっ、藤也君もう決めてたんですか?」
「……読みたいなら、俺が読み終わったあと貸す」
「い、いやいいけど別に……」
どうやら藤也は生物関連の本ばっか抜き取ってるらしい。昆虫図鑑に海の生態系……藤也が好きそうなものばかりだと思った。
「準一さんはどのような本が好きなんですか?」
「……うーん、あんま文字多いのは読まねえからな……流石に漫画とかはなさそうだな」
「準一さんは人妻……」
「い、いつの話してるんだよ……っ!」
早く忘れてくれ、と青ざめる俺を他所に藤也は言うだけ言ってそっぽ向く。
何かを察したのだろう、奈都が「ま、まあ……そうですね」とばつが悪そうにしながらも笑って流してくれたお陰でなんとかなったがいたたまれない。
「おや……準一さんは人のものがお好きですか」
「そ、そこに食いつかなくていいんですよ……」
「ふふ、そのように恥じらうことはありませんよ。……貴方も健全な男性ですからね」
花鶏の言葉がやけに含みがあるように聞こえてしまうのは気のせいではないだろう。
顔が火照る。ここまで掘り返されるとは思わなかった。俺はいち早くこの空気をどうにかしたくて逃げるように目の前の本の山、その一番上にあった本を手にした。それは何やらこの辺りの地域の歴史書のようだ。
「うっわ……これとか売ればお宝になるんじゃないんすか」
「確かに……この辺は特に古いみたいですね」
「古いだけの書物ですよ。……価値はございません。精々暖炉の火種止まりでしょうね」
ぱら、となんとなく捲ろうとした瞬間ボロボロとページが崩れ、思わず「うわ!」と本を落としそうになる。慌てて手を離すが間に合わなかった。ぱらぱらと文字通り砕けていく本。
「す、すみません……俺……」
「お気になさらず。それに、貴方の腕の中で朽ちることができるのならば寧ろこの書物も本望だったのではないのでしょうか」
微笑む花鶏に俺は何も言えなかった。花鶏なりの励ましなのだろうが如何せん生々しすぎる。
……けど、花鶏の態度がいつも通りに戻っているのを見てホッとしている俺も確かにいた。
先程書庫で見たときの別人のような横顔が瞼から離れないのだ。
それから暫く俺達は書庫前に居座って本を選別していた。俺が選んだ本は五冊だ。俺でも読めそうな文字の小説と、それから分厚い本。……読み終わらなくとも枕にはなりそうだなという理由で選んだとは奈都には口が裂けても言えないが。
それから読書好きの奈都は俺の倍くらいの本を抱えていた。その足元には抱えきれなかった本の山もある。そして藤也もちゃっかり先程よりも本が増えていた。
「それでは残った本たちは私が処分しておきますね」
「……すみません、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ引き取っていただきありがとうございます。お陰で私の力仕事が減りました」
「それでは、私はこれで」と花鶏はどこから残った本を抱えて書庫前を後にする。
その場に残された俺達は無言でお互いに目配せし合う。
「……取り敢えず、奈都の部屋に本を運ぶのを手伝った方がよさそうだな」
「す、すみません……」
というわけで俺たちは一度分担して本を抱えて奈都の部屋へと運び込むことになる。
◆ ◆ ◆
「すみません、手伝っていただいて」
奈都の部屋の前。
藤也と一緒に本を運んできたはいいが、改めて見るとすごい量だ。
あれほど閑散としていた部屋の中は一気に圧迫感を増していた。
「流石に一人じゃ何往復もするハメになるしな。……にしても、これだけありゃ大分退屈しのぎにはなりそうだな」
「ええ、お二人も言っていただければいつでも貸しますので」
「……ん」
「ありがとな」
なんて、そんなやり取りを交わしたあと俺たちもそれぞれ自室へと本を運び込むことになる。
静まり返った部屋の中、どさりと置いた本たちから埃がぶわりと舞い俺は慌てて部屋の窓を開けた。夜風が吹き込む部屋の中、暫く俺は部屋の中を換気することにした。
夜風を浴びながら、貰った本の山から一冊だけ適当なものを手に取った。比較的俺でも読めるようなものを、と選んだつもりだがやはり年季が入ってるからかなかなか頭に入ってこない。
……またあとでゆっくり読むか。そう、本を閉じて山へと戻そうとしたときだった。本の中から一枚の紙切れが落ちる。もしかしてページが抜けたのかと慌てて拾い上げたが、大きさからして明らかに違う。それはメモ用紙のようだった。
『すまなかった』
そう一言、筆のような文字で書かれたそのメモは本同様相当年季が入ってるようだ。誰の文字なのか、誰に宛てたものかもわからない。
……もしかしたら、今はもうここにはいない昔住んでいた亡霊の手紙かもしれない。
そんな考えが頭を過ぎったが答えは出てこない。……もとに戻しておくか。
俺は拾い上げたそれを本の後ろへとそっと戻す。
なんだか妙に落ち着かない気分だった。
床の上で雑魚寝でもするかと思ったがそれでもなんだか決まりが悪く、寝付けない。むくりと体を起こし、窓の外を眺めた。
するとどこからか煙が上がってるのが見えた。
……そういえば、花鶏が本を燃やすだとか言ってたな。
何か手伝うことでもあるだろうか。
このままじっとしてるのも体が腐っていくようで落ち着かず、部屋を出た。
焼却炉は屋敷の裏にあったはずだ。そのまま向かおうとしたときだった。丁度隣の部屋から南波が出てきた。
「あ、南波さ……」
「っ!!」
どうも、と挨拶するよりも先に凄まじい速さで部屋へと引っ込んでいく南波。バタンと閉められた扉に逆に驚いていると、今度はそろそろと扉が開いた。そして、
「……な、なんだ……お前か……」
「す……すみません、驚かせてしまって」
「別に驚いてねえよ!……ただ、用心してただけだ」
「…………」
まあ、そういうことにしておくか。
あれから現実へと戻ってきて南波とは何度か顔を合わせたが、未だに俺達は距離感の取り方を探り合っていた。というよりも、掴み損ねていた……というべきか。
けど、妙に謙った態度や極度に恐れられることはなくなってきたので俺としてはそれだけでも割と進歩だと思うのだけれど……。
「……ど、どこかに行くのか?」
「あー……いや、特に決めてなかったんですけど……花鶏さんの手伝いにでも行こうかなって」
「あ?……んでお前が……」
花鶏の名前出した途端露骨に嫌そうな顔をする南波。この二人は相変わらずだな。
「その、さっきまで奈都や藤也たちと花鶏さんの書庫整理手伝ってたんです。……それで、引き取り手のない本は燃やすと言ってたんで」
「ああ……どうりで臭えわけか」
それは南波の部屋のヤニのせいではないかと思ったが、黙っておくことにした。
「……勝手に燃やさせておけばいいだろ、お前が手伝う必要はねえよ」
「えーと……その、じっとしてられなくて」
「あー……暇なのか?お前」
こうして面と向かって指摘されるとなんだかバツが悪いが、相手が南波だからだろう。嫌味な感じはなく、はい、と正直に頷けば南波は何か考えるようにボリボリと金髪頭を掻いていた。
そしてどこからか取り出した煙草を咥えるのだ。
「……じゃ、付き合えよ」
「え?……南波さんにですか?」
「んだよ、……嫌かよ」
「い、いえ、嫌とかじゃないんですけど……」
「あの変態カマ野郎と二人きりよかましだろ。……ついて来い」
なんだか妙なことになってしまったな。
思ったが、南波の言葉ももっともだ。
……どうしてもあの日、南波の精神世界でのことを思い出してしまうが、あの世界での出来事全てが俺にとって悪夢だったわけではない。
……寧ろ、こうして避けられるわけでもなく南波の方から歩み寄ってくれるのは正直、嬉しい。
部屋から出てくる南波が歩き出し、俺はその背中を追いかけていった。
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