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世界共有共感願望
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唖然とする俺を見て、南波は呆れたように笑う。
「随分とよく眠ってたな。腹、減ってんじゃねえか。昨日からずっと動きっぱなしでお前何も食わなかったろ」
なんだ、これは。
どういうことなのか、そもそもここはどこなのか。辺りを見渡す。どうやら車の中のようだ。けれどその車にも見覚えのない。
運転席の南波のその隣、助手席で俺はうたた寝をしてたらしい。
そしてスモーク張られた窓の外からしてどこかの駐車場のようだ。まるでモザイクがかかったかのように周りの風景はぼやけてる。歩いてる人もマネキンのように無表情で、あまりの気味悪さに俺は顔を逸らした。
なんなんだ、これは。いつの間に俺はあの樹海から出たのか。
そもそも出られないはずなのに、とそこまで考えて、理解する。
ここは、南波の意識の中だ。そうでなければ、辻褄が合わない。
けれど、なんで。と、そこまで考えて意識失う前のことを思い出す。剣崎の幻影に殺され、そして、真っ暗闇に放り出された。
……あのとき、南波に取り込まれたということか。
いつの日か仲吉の夢の中に飛び込んだときのことを思い出す。あれと同じということなら、ここは南波の記憶が作り出した世界ということなのか。
「ほら、取り敢えずこれでも食っとけ」
そう南波は、サイドボードから袋に入った弁当を渡してくれた。
幕内弁当……南波が食べるつもりだったのか?
わからないが、わけわからないまま「ありがとうございます」と俺はそれを受け取った。
まだ自分の状況がよくわからない。そもそも南波が俺を認識してる時点で過去の記憶としてはおかしいのだ。
それに、目の前の南波は恐らく覚えていない。さっきまで自分が死にかけていたことすら。もしかしたら本当に過去の南波なのか。
幕内弁当を食べてみるが、美味しい。
どういう原理なのかわからない。南波の世界だとしたら、ほかのものがあやふやなのにここまでしっかり味つけまでされてるのは南波もこの弁当が好きだったからか。わからない。が、そう思うほかなかった。
そのときいきなり後部座席の扉が開いた。びっくりして持ってた箸を落としそうになりながら、振り返る。そこには、見たことのないスーツの強面の男がいた。
「悪い、待たせたな」
「お疲れ様です、考次郎さん」
孝次郎と呼ばれたその男は見るからに堅気ではないのがわかった。サラリーマンと呼ぶにはあまりにも屈強で、そして目が据わっていた。
俺という存在に違和感を覚えるわけでもなく、後部座席に腰を下ろした孝次郎はようやく一息をつく。
「宗親、うちに帰ってくれ」
「はい」
そう、孝次郎と呼ばれる男はネクタイを緩める。ミラー越し、何気なくその左手を見た俺は凍りついた。
その薬指に見覚えのある指輪が嵌められていたのだ。
あのときの錆びたものとは違う、シンプルなデザインながらもしっかりとしたその銀は上品に輝いていた。
ハンドルを握る南波。そして、車は走り出した。
この男が、南波が慕っていたという親父さんなのか。
俺のイメージするヤクザとは違う、ギラギラしていないが芯の強そうな男の人だと思った。
「会長のご様態は……」
「……ああ、相変わらずだ。それどころか見る度に痩せていってるよ。ありゃ、一年も保たねえだろうな」
「……そう、ですか」
「会長もお前のことを気に掛けていた。最後に会ったのも去年の冬くらいだったか。……会長の体調がいいとき、近い内に顔を見せに行くぞ」
「はい」
交わされる南波と親父さんの会話を助手席で聴きながら、俺は、ますます自分がなんなのかわからなくなる。
なんで俺はここにいるんだ。そして、何をしろというのか。
あべこべの街を抜け出しやってきたのは閑静な住宅街。お城のような大きな建物が並ぶそこは俺の住んでる街とはまるで違う。
そんな中、車が停車したそこはビルにも似たデザイナーハウスだ。その門構えには黒服もいる。
南波の運転する車を見るなり黒服たちは背筋を伸ばして迎い入れる。
そして、運転席から出た南波は親父さんの乗る後部座席の扉を開いた。
現れた親父さんの姿に、黒服達は頭を下げる。
「組長、お疲れ様です」
「ああ、ご苦労。……留守中、変わったことはなかったか」
「ええ、特には。ただ……」
「ただ?」
「祥子さんが考次郎さんの帰宅を待ち侘びていらっしゃいます」
「ああ、そうか。……早く帰るとは言ってないんだがな」
「何言ってるんですか。結婚記念日なんでしょう。そりゃ楽しみに待ってますよ。……孝次郎さんだってそのために今日の午後の予定全部空けたんじゃないですか」
「おい宗親……まったく、そのこと祥子に言うなよ」
困ったように笑う親父さんは少し照れてるようにも見えた。笑う南波を叱るわけでもなく、仕方ないなと肩をすくめるのだ。
親父さんは厳しそうだがどうやら笑うと存外優しい雰囲気になるらしい。きっと奥さんとも仲がいいのだろう。
助手席の窓の外、親父さんの家を見上げる。他の豪邸に負けない立派な家だ。
そんなことを思いながら眺めていたとき、一瞬、建物が赤く染まった。ギョッとして思わず瞬きをするが、何事もなかったかのように変わらぬ風景が広がっている。
「……?」
今のはなんだったんだ?
なんだか嫌な予感がして、それでも理由もわからずモヤモヤしてたとき、運転席の扉が開いた。
「おい、準一俺たちも行くぞ」
「あ……は、はい」
南波だ。
どかりと腰を落とし、扉を閉める南波。エンジンが掛かる。車が動き出すとほぼ同時に、強い目眩を覚えた。
強烈な酔いにも似たその錯覚に目を瞑ったとき、バチリと音を立て――世界は暗転する。
酔いも収まり、恐る恐る目を開いた瞬間、そこには先程までの車内とは違う景色が広がった。
どこかのオフィスのような部屋の中、黒の本革のソファーに座った俺と南波、そして向かい側には考次郎――親父さんがいた。
辺りには人はいない。俺達と親父さんの間には足の短いテーブルが置かれてて、そこには親父さんのコーヒーカップが置かれてるだけだ。
珍しく緊張した面持ちの南波に対し、親父さんはどこか優しい目をしていた。そして、仕方ないというかのように目を細める。
「宗親、お前もそろそろ車の運転ばかりしてるのも飽きて来たんじゃないか」
「そんなことは……ないっす」
「嘘をつくな。あんだけ血盛んだったガキがずっと大人しくしてんだ。借金の取り立てやシマで暴れるチンピラの始末させていた頃のがまだ楽しそうだったしな」
「……親父」
「おい、親父っていうのはよせと言ってるだろう」
「すみません、考次郎さん、でも俺は……」
「そこでだ宗親、お前に頼みたいことがある」
珍しく迷いを見せる南波の声をわざと遮るように、親父さんはパン、と膝を叩いた。
そして、「おい、入ってこい」と奥の扉に向かって声をかける。そのときだ。静かに扉が開いた。
そして、そこから現れたそいつの姿に目を疑った。
まだ女好きしそうな甘い顔に明るい髪。スーツを着ればヤクザよりもホストの方が似合うだろう。髪型は違えど、浮かべた笑顔は変わらない。
あの男だ。
南波を連れて逃げ出そうと思うが、縫い付けられたように身体が動かない。歯を食いしばる俺を無視して、目の前の光景は進んでいく。
「こいつは剣崎辰爾。……元々は俺の知り合いの店のボーイやってたんだがこいつが中々頭がキレるやつでな。宗親、お前こいつに組の仕事を教えてやれ」
「な……何言ってんすか。俺が、このガキの世話を?」
「あー難しく考えんな。まあ、いきなり経営のイロハを叩き込めって言うんじゃない。最初俺がお前に教えてきたようにすりゃいいんだよ」
「俺が……?」
これが南波の記憶の追体験だからか、だから勝手な真似ができないのか。まるで結末を知ってる映画のワンシーンを見せられてるような歯がゆさにどうにかなりそうだった。
だから、南波以外は俺がいることを気に留めない。俺はここではただの亡霊なのだ。
「よろしくお願いします、宗親さん」
礼儀正しく頭を下げる剣崎。頭を上げるとき、ほんの一瞬、確かにこいつは南波の隣に居た俺を見たのだ。
そして。
「それと、準一さん」
浮かぶ笑みに、全身が凍りつく。
なんの変哲のない事務所の一角にノイズが走る。
こいつ。
ただの追体験じゃない。これは、ここにいる俺の目的は。
この男の好き勝手にさせないことだ。
それを理解した瞬間、身体に電流が流れるようだった。
「それじゃあ、後は頼んだぞ宗親」
「……うす」
これが、南波と剣崎の初めての出会い。
そして全ての始まりだった。
俺の知ってる結末を阻止する。それをしてどうなるかわからない。
けれど、俺にできることはそれくらいしかない。
暗転。
親父さんがいなくなった事務所の中、決していいとは言えないような空気が流れていた。
というのもそれは南波の周囲にだけで、剣崎は全く気にした様子もなく興味深そうに辺りを見渡す。
「いやーそれにしてもヤクザの事務所って言うからもっと壁に任侠って書かれた掛け軸とか刀とか飾られてると思ったら……案外普通のオフィスなんすね」
「……」
「あれ、無視ですか?もしかして、なんか怒ってます?」
「怒ってねえよ」
「宗親さん……あっ、兄貴って呼んだ方がいいですか?俺のこと面倒だったら断ってくれてもいいんですよ。俺も、テキトーにやっていくんで」
ソファーに腰を下ろしたままの南波に対し、あちらこちらを見渡していた剣崎はそうヘラヘラと笑いながら手を振った。そんないい加減な態度が南波の逆鱗に触れたらしい。
「おい……考次郎さんの言ってたこと聞いてたのかよテメェは……っ!!」
ドン、とテーブルを叩いて立ち上がる南波にぎょっとする。何事かと目で追えば、南波が剣崎の胸倉を掴もうとしていたところだった。
「南波さん」と慌てて止めようとしたとき、剣崎は怯むわけでもなくただ困ったように笑った。
「おお……びっくりした。話では聞いてましたけど兄貴って本当に考次郎さんのこと慕ってるんですね」
言いながらやんわりと南波の手を離す剣崎。
親父さんの名前を出され、南波の表情がより一層険しいものになる。
そんな表情の変化に気付いてるのかいないのか、剣崎は黙らない。
「確かヤクザに喧嘩売った友達を助けるために事務所に乗り込んで大暴れして、そのときまだ幹部だった考次郎さんに返り討ちにあってそのときスカウトされたってって聞きましたけど……あれ、本当なんですか?」
……この南波を前にここまで足を突っ込めるやつも早々いないだろう。他人の過去にも土足で上がるような剣崎の立ち振る舞いに慄いた。
けれど、そうだったのか。俺自身親父さんと南波の関係をよく知らなかっただけに驚く。南波らしいといえばらしいが……昔から無茶するタイプだったようだ。
過去の話を持ち出された南波は面白くなさそうだった。返事の代わりに舌打ちをする南波に、剣崎は「あ、やっぱ本当なんですね」と嬉しそうに笑った。
「勝手に話進めんじゃねえ、なんも言ってねーだろ」
「言わなくてもわかりますよ。兄貴みたいななんでもはっきりいう人が否定しないなんて、肯定と同じようなものじゃないですか」
「……っ」
「職業柄顔色伺って機嫌取りするのは得意なんですよ、俺。喧嘩とかそういう手荒なことは苦手なんで宗親さんには敵わないと思いますけど、体力としつこさには自信あるんでどうぞ扱き使ってやってください」
「俺も、考次郎さんに世話になった分は返したいと思ってるので」先程までの営業スマイルとは違う、優しい笑顔だった。目の前の男があの殺人鬼と同じだと思えない。
目の前の剣崎は調子がよく、よく舌の回る若者だ。
あのとき俺の額を撃ち抜いたあの男とは髪型も違えば雰囲気もまだ柔らかい。
剣崎の性格に慣れてきたのか、それでもまだ不服そうな南波だったが諦めたらしい。
「なった分だけじゃねえ、倍にして返せよ。……あと言っとくけど、俺は優しくねえぞ」
「大丈夫ですよ。生理中の嬢の扱いならナンバーワンだって店長からお墨付きだったんで」
「誰が生理だっ!!」
ブチ切れる南波に、おかしそうに笑う剣崎。
和気藹々とまではいかないが、印象はよくないものの決して悪くない関係だったということがわかった。
友達とはいかないがいい関係の先輩後輩のような、少し剣崎が南波で遊んでいる感もあったが、それでも嫌い合ってるわけではない。……はずだ。
けれど、俺はこの二人の未来を、結末を知ってる。
響く剣崎の笑い声にノイズが走る、そして、世界が歪んだ。
場面が切り替わる。
暗転するとき決まって目眩を覚えるらしい。自分が座ってるのか立っているのかわからなくなるほどの強い目眩の中、音が消えた。そして頭の奥で何かが弾ける音がした。
「随分とよく眠ってたな。腹、減ってんじゃねえか。昨日からずっと動きっぱなしでお前何も食わなかったろ」
なんだ、これは。
どういうことなのか、そもそもここはどこなのか。辺りを見渡す。どうやら車の中のようだ。けれどその車にも見覚えのない。
運転席の南波のその隣、助手席で俺はうたた寝をしてたらしい。
そしてスモーク張られた窓の外からしてどこかの駐車場のようだ。まるでモザイクがかかったかのように周りの風景はぼやけてる。歩いてる人もマネキンのように無表情で、あまりの気味悪さに俺は顔を逸らした。
なんなんだ、これは。いつの間に俺はあの樹海から出たのか。
そもそも出られないはずなのに、とそこまで考えて、理解する。
ここは、南波の意識の中だ。そうでなければ、辻褄が合わない。
けれど、なんで。と、そこまで考えて意識失う前のことを思い出す。剣崎の幻影に殺され、そして、真っ暗闇に放り出された。
……あのとき、南波に取り込まれたということか。
いつの日か仲吉の夢の中に飛び込んだときのことを思い出す。あれと同じということなら、ここは南波の記憶が作り出した世界ということなのか。
「ほら、取り敢えずこれでも食っとけ」
そう南波は、サイドボードから袋に入った弁当を渡してくれた。
幕内弁当……南波が食べるつもりだったのか?
わからないが、わけわからないまま「ありがとうございます」と俺はそれを受け取った。
まだ自分の状況がよくわからない。そもそも南波が俺を認識してる時点で過去の記憶としてはおかしいのだ。
それに、目の前の南波は恐らく覚えていない。さっきまで自分が死にかけていたことすら。もしかしたら本当に過去の南波なのか。
幕内弁当を食べてみるが、美味しい。
どういう原理なのかわからない。南波の世界だとしたら、ほかのものがあやふやなのにここまでしっかり味つけまでされてるのは南波もこの弁当が好きだったからか。わからない。が、そう思うほかなかった。
そのときいきなり後部座席の扉が開いた。びっくりして持ってた箸を落としそうになりながら、振り返る。そこには、見たことのないスーツの強面の男がいた。
「悪い、待たせたな」
「お疲れ様です、考次郎さん」
孝次郎と呼ばれたその男は見るからに堅気ではないのがわかった。サラリーマンと呼ぶにはあまりにも屈強で、そして目が据わっていた。
俺という存在に違和感を覚えるわけでもなく、後部座席に腰を下ろした孝次郎はようやく一息をつく。
「宗親、うちに帰ってくれ」
「はい」
そう、孝次郎と呼ばれる男はネクタイを緩める。ミラー越し、何気なくその左手を見た俺は凍りついた。
その薬指に見覚えのある指輪が嵌められていたのだ。
あのときの錆びたものとは違う、シンプルなデザインながらもしっかりとしたその銀は上品に輝いていた。
ハンドルを握る南波。そして、車は走り出した。
この男が、南波が慕っていたという親父さんなのか。
俺のイメージするヤクザとは違う、ギラギラしていないが芯の強そうな男の人だと思った。
「会長のご様態は……」
「……ああ、相変わらずだ。それどころか見る度に痩せていってるよ。ありゃ、一年も保たねえだろうな」
「……そう、ですか」
「会長もお前のことを気に掛けていた。最後に会ったのも去年の冬くらいだったか。……会長の体調がいいとき、近い内に顔を見せに行くぞ」
「はい」
交わされる南波と親父さんの会話を助手席で聴きながら、俺は、ますます自分がなんなのかわからなくなる。
なんで俺はここにいるんだ。そして、何をしろというのか。
あべこべの街を抜け出しやってきたのは閑静な住宅街。お城のような大きな建物が並ぶそこは俺の住んでる街とはまるで違う。
そんな中、車が停車したそこはビルにも似たデザイナーハウスだ。その門構えには黒服もいる。
南波の運転する車を見るなり黒服たちは背筋を伸ばして迎い入れる。
そして、運転席から出た南波は親父さんの乗る後部座席の扉を開いた。
現れた親父さんの姿に、黒服達は頭を下げる。
「組長、お疲れ様です」
「ああ、ご苦労。……留守中、変わったことはなかったか」
「ええ、特には。ただ……」
「ただ?」
「祥子さんが考次郎さんの帰宅を待ち侘びていらっしゃいます」
「ああ、そうか。……早く帰るとは言ってないんだがな」
「何言ってるんですか。結婚記念日なんでしょう。そりゃ楽しみに待ってますよ。……孝次郎さんだってそのために今日の午後の予定全部空けたんじゃないですか」
「おい宗親……まったく、そのこと祥子に言うなよ」
困ったように笑う親父さんは少し照れてるようにも見えた。笑う南波を叱るわけでもなく、仕方ないなと肩をすくめるのだ。
親父さんは厳しそうだがどうやら笑うと存外優しい雰囲気になるらしい。きっと奥さんとも仲がいいのだろう。
助手席の窓の外、親父さんの家を見上げる。他の豪邸に負けない立派な家だ。
そんなことを思いながら眺めていたとき、一瞬、建物が赤く染まった。ギョッとして思わず瞬きをするが、何事もなかったかのように変わらぬ風景が広がっている。
「……?」
今のはなんだったんだ?
なんだか嫌な予感がして、それでも理由もわからずモヤモヤしてたとき、運転席の扉が開いた。
「おい、準一俺たちも行くぞ」
「あ……は、はい」
南波だ。
どかりと腰を落とし、扉を閉める南波。エンジンが掛かる。車が動き出すとほぼ同時に、強い目眩を覚えた。
強烈な酔いにも似たその錯覚に目を瞑ったとき、バチリと音を立て――世界は暗転する。
酔いも収まり、恐る恐る目を開いた瞬間、そこには先程までの車内とは違う景色が広がった。
どこかのオフィスのような部屋の中、黒の本革のソファーに座った俺と南波、そして向かい側には考次郎――親父さんがいた。
辺りには人はいない。俺達と親父さんの間には足の短いテーブルが置かれてて、そこには親父さんのコーヒーカップが置かれてるだけだ。
珍しく緊張した面持ちの南波に対し、親父さんはどこか優しい目をしていた。そして、仕方ないというかのように目を細める。
「宗親、お前もそろそろ車の運転ばかりしてるのも飽きて来たんじゃないか」
「そんなことは……ないっす」
「嘘をつくな。あんだけ血盛んだったガキがずっと大人しくしてんだ。借金の取り立てやシマで暴れるチンピラの始末させていた頃のがまだ楽しそうだったしな」
「……親父」
「おい、親父っていうのはよせと言ってるだろう」
「すみません、考次郎さん、でも俺は……」
「そこでだ宗親、お前に頼みたいことがある」
珍しく迷いを見せる南波の声をわざと遮るように、親父さんはパン、と膝を叩いた。
そして、「おい、入ってこい」と奥の扉に向かって声をかける。そのときだ。静かに扉が開いた。
そして、そこから現れたそいつの姿に目を疑った。
まだ女好きしそうな甘い顔に明るい髪。スーツを着ればヤクザよりもホストの方が似合うだろう。髪型は違えど、浮かべた笑顔は変わらない。
あの男だ。
南波を連れて逃げ出そうと思うが、縫い付けられたように身体が動かない。歯を食いしばる俺を無視して、目の前の光景は進んでいく。
「こいつは剣崎辰爾。……元々は俺の知り合いの店のボーイやってたんだがこいつが中々頭がキレるやつでな。宗親、お前こいつに組の仕事を教えてやれ」
「な……何言ってんすか。俺が、このガキの世話を?」
「あー難しく考えんな。まあ、いきなり経営のイロハを叩き込めって言うんじゃない。最初俺がお前に教えてきたようにすりゃいいんだよ」
「俺が……?」
これが南波の記憶の追体験だからか、だから勝手な真似ができないのか。まるで結末を知ってる映画のワンシーンを見せられてるような歯がゆさにどうにかなりそうだった。
だから、南波以外は俺がいることを気に留めない。俺はここではただの亡霊なのだ。
「よろしくお願いします、宗親さん」
礼儀正しく頭を下げる剣崎。頭を上げるとき、ほんの一瞬、確かにこいつは南波の隣に居た俺を見たのだ。
そして。
「それと、準一さん」
浮かぶ笑みに、全身が凍りつく。
なんの変哲のない事務所の一角にノイズが走る。
こいつ。
ただの追体験じゃない。これは、ここにいる俺の目的は。
この男の好き勝手にさせないことだ。
それを理解した瞬間、身体に電流が流れるようだった。
「それじゃあ、後は頼んだぞ宗親」
「……うす」
これが、南波と剣崎の初めての出会い。
そして全ての始まりだった。
俺の知ってる結末を阻止する。それをしてどうなるかわからない。
けれど、俺にできることはそれくらいしかない。
暗転。
親父さんがいなくなった事務所の中、決していいとは言えないような空気が流れていた。
というのもそれは南波の周囲にだけで、剣崎は全く気にした様子もなく興味深そうに辺りを見渡す。
「いやーそれにしてもヤクザの事務所って言うからもっと壁に任侠って書かれた掛け軸とか刀とか飾られてると思ったら……案外普通のオフィスなんすね」
「……」
「あれ、無視ですか?もしかして、なんか怒ってます?」
「怒ってねえよ」
「宗親さん……あっ、兄貴って呼んだ方がいいですか?俺のこと面倒だったら断ってくれてもいいんですよ。俺も、テキトーにやっていくんで」
ソファーに腰を下ろしたままの南波に対し、あちらこちらを見渡していた剣崎はそうヘラヘラと笑いながら手を振った。そんないい加減な態度が南波の逆鱗に触れたらしい。
「おい……考次郎さんの言ってたこと聞いてたのかよテメェは……っ!!」
ドン、とテーブルを叩いて立ち上がる南波にぎょっとする。何事かと目で追えば、南波が剣崎の胸倉を掴もうとしていたところだった。
「南波さん」と慌てて止めようとしたとき、剣崎は怯むわけでもなくただ困ったように笑った。
「おお……びっくりした。話では聞いてましたけど兄貴って本当に考次郎さんのこと慕ってるんですね」
言いながらやんわりと南波の手を離す剣崎。
親父さんの名前を出され、南波の表情がより一層険しいものになる。
そんな表情の変化に気付いてるのかいないのか、剣崎は黙らない。
「確かヤクザに喧嘩売った友達を助けるために事務所に乗り込んで大暴れして、そのときまだ幹部だった考次郎さんに返り討ちにあってそのときスカウトされたってって聞きましたけど……あれ、本当なんですか?」
……この南波を前にここまで足を突っ込めるやつも早々いないだろう。他人の過去にも土足で上がるような剣崎の立ち振る舞いに慄いた。
けれど、そうだったのか。俺自身親父さんと南波の関係をよく知らなかっただけに驚く。南波らしいといえばらしいが……昔から無茶するタイプだったようだ。
過去の話を持ち出された南波は面白くなさそうだった。返事の代わりに舌打ちをする南波に、剣崎は「あ、やっぱ本当なんですね」と嬉しそうに笑った。
「勝手に話進めんじゃねえ、なんも言ってねーだろ」
「言わなくてもわかりますよ。兄貴みたいななんでもはっきりいう人が否定しないなんて、肯定と同じようなものじゃないですか」
「……っ」
「職業柄顔色伺って機嫌取りするのは得意なんですよ、俺。喧嘩とかそういう手荒なことは苦手なんで宗親さんには敵わないと思いますけど、体力としつこさには自信あるんでどうぞ扱き使ってやってください」
「俺も、考次郎さんに世話になった分は返したいと思ってるので」先程までの営業スマイルとは違う、優しい笑顔だった。目の前の男があの殺人鬼と同じだと思えない。
目の前の剣崎は調子がよく、よく舌の回る若者だ。
あのとき俺の額を撃ち抜いたあの男とは髪型も違えば雰囲気もまだ柔らかい。
剣崎の性格に慣れてきたのか、それでもまだ不服そうな南波だったが諦めたらしい。
「なった分だけじゃねえ、倍にして返せよ。……あと言っとくけど、俺は優しくねえぞ」
「大丈夫ですよ。生理中の嬢の扱いならナンバーワンだって店長からお墨付きだったんで」
「誰が生理だっ!!」
ブチ切れる南波に、おかしそうに笑う剣崎。
和気藹々とまではいかないが、印象はよくないものの決して悪くない関係だったということがわかった。
友達とはいかないがいい関係の先輩後輩のような、少し剣崎が南波で遊んでいる感もあったが、それでも嫌い合ってるわけではない。……はずだ。
けれど、俺はこの二人の未来を、結末を知ってる。
響く剣崎の笑い声にノイズが走る、そして、世界が歪んだ。
場面が切り替わる。
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