亡霊が思うには、

田原摩耶

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世界共有共感願望

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 花鶏から聞いた話を南波に話す。
 終始険しい顔をした南波を前にして死に際の話を本人にするのは勇気が要った。俺に向けられてるわけではないとわかっててもだ、黙って聞いてはくれていたが南波の怒りが手に取るようにわかっただけに、余計。

「俺が花鶏さんに聞いた全てです」

 そう、すべてを話し終えた俺は膝を掴んだ。
 鋭い目はどこを見てるのだろうか。何本目かの煙草を吸い終えたとき、南波は溜息をつくように煙を吐いた。
 籠もった部屋の中、煙が溜まった天井。息苦しさはこの紫煙のせいだけではない。ジメジメとした空気が肌に纏わりつき、緊張の汗が滲む。

「あの、南波さん……」
「……準一」

 そう俺の名前を呼ぶ南波。その手にしていた煙草の先端を硝子の灰皿に押し付け、そして立ち上がる。
 ようやく口を開いたかと思えば名前を呼ばれ、思わず緊張した。答える代わりに背筋を伸ばせば、こちらを見下ろす南波と視線がぶつかり合う。

「俺を、その花鶏ってやつに会わせろ」

 ただ一言。光りのないその目に見据えられた俺は頷くことも返事をすることもできなかった。けれど、断ることもだ。
 拒否権はない。

 ◆ ◆ ◆

 場所は変わって花鶏の部屋の前。
 案内しろという南波に、結局俺は断れないまま花鶏の部屋まで訪れていた。少なからず、予想はしていた。俺の説明に納得できなかったときの南波の反応くらい。
 けれど、いざ部屋を前にすると別の緊張をした。
 南波がもし花鶏に食いかかったりでもしたら、そう思うと目の前を扉を叩くことができなくて。

「ここか」

 聞かれて、頷く。すると否や、南波は俺を押し退けるようにしていきなり扉を乱暴に開くではないか。

「っ、南波さん……っ!」
「おい、花鶏とかいうやつはどこだ!ここにいるんだろ!」

 ズカズカと入ろうとする南波に、流石にそれはまずいと慌てて「南波さん」と引き留めようとする。けれど、その力は強い。
 するとめの前の襖が開き、一つの影が現れた。

「なになに?随分と元気な声が聞こえてきたけど」

 現れたのは、幸喜だった。
 幸喜の顔を見るなり、南波は幸喜に掴み掛かろうとする。が、それを幸喜が避ける方が早かった。

「っと、危ねえな」
「な、南波さ……」
「なんでテメェがここにいるクソガキッ!」
「なんでって……俺は花鶏さんと遊んでただけだよ。それよりもそっちこそなに?もしかして、南波さんも俺と遊んでくれるの?」

 確かに最後に会ったとき別れ際幸喜は花鶏の部屋に向かっていたはずだが、まさかまだ残っていたなんて。誤算だった。
 売り言葉に買い言葉、手のひらからナイフを出した幸喜はそれを手に楽しげに笑う。臨戦態勢。明らかに南波の顔つきが変わるのを見て、血の気が引いた。よりによってこの場所で揉めるのは、まずい。

「やめろ、幸喜!」

 そう、俺が慌てて幸喜と南波の間に入ろうとしたときだった。大きく開いた襖の奥から現れたその人は、幸喜の手からナイフを取り上げた。そして。

「いい加減にしなさい」

 そう言って、まるで子供の喧嘩を止めるように幸喜の頭を掴んだこの部屋の主、もとい花鶏は南波から引き離す。

「私の部屋で暴れるのならここから追い出しますよ、幸喜。……南波も、その手に持ってるものを仕舞いなさい」

 溜息混じり、嗜めるような口調だがその瞳、その語気は有無を言わせぬものだった。
 現れた和服の男を前に、南波は更に警戒心を強めるのがわかった。

「……アンタが花鶏か」

 南波のことだから花鶏を見た途端噛み付くのではないかと思っていたが、思いの外南波の反応は理性的なものだった。以前の南波からは考えられないその反応に、花鶏も驚いたように僅かに目を見開く。
 そして、まるで古くの知り合いを懐かしむかのように目を細めた。

「ああ、そういえば……貴方は私のことも覚えてないのでしたか。……この姿では初めましてですね。私がこの館の主、花鶏と申します」

 よろしくお願いします、と握手を求めようとする花鶏だが南波はそれを一瞥するだけで握り返すことはなかった。
 そして、それを無視するかのように目の前の男を睨むのだ。

「……花鶏さん、あんたは俺と一番長い付き合いだと聞いた。……そんなあんたに聞きたいことがある」
「おや?私の知ってることは全てそこの彼に伝えているはずですが」
「お前にはまだ話してないことがあるだろ」

 それは断言に近いものだった。
 静かだが、それでいて不躾な南波の言葉に花鶏の纏う空気が変容した気がした。冷たく重い空気が伸し掛かる。止めなければ、と思う半面、二人の間に入る勇気はなかった。
 睨み合う二人の間に流れる沈黙。そんな中、先に口を開いたのは花鶏の方だった。

「……まあいいでしょう。どうぞお入りください。……幸喜、貴方は藤也とでも遊んでなさい」
「えーつまんねえな。じゃあ準一と遊ぼうかな」
「何言って……」

 駆け寄ってくる幸喜に思わず後ずさりそうになったとき、隣にいた南波に手首を掴まれる。

「準一、お前は俺と一緒にいろ」
「……でも」
「いいから来い」

 睨まれる。拒否したら殺すとでも言いそうなその目だ。
 命令なのだろう。元より、南波が許してくれるのならついていくつもりだった。……こんな形で頼まれるとは思っていなかったから少し、いや結構驚いた。

「……わかり、ました」

 不器用なのか、こういう言い方しかできないのか。わからない。けれど、少しは信用してもらえてるのだろう。そう自分に言い聞かせる。

「おやおや……噂では聞いてましたがここまで人は変わるものなんですね。実に興味深い。残念でしたね、幸喜」
「はーあ、つまんねえのつまんねえのつまんねえのー。まあいいや、なんか面白くなさそーだし奈都のとこ行ってこよー」

 興味失せたように俺たちの横を通り抜けていく幸喜。
 奈都のことが心配だったが、俺の腕を掴む手がある限り勝手な真似もできない。……するつもりもないが。

「……それでは、どうぞお入りください」

 幸喜がいなくなったのを確認し、花鶏は襖を大きく開いた。
 今日で何回目だろうか、花鶏の部屋に邪魔するのは。
 俺と南波は、招かれるがまま畳張りのその部屋へと上がる。

 他の部屋とは違い和式のその部屋は書斎に近い。古ぼけた本棚にはボロボロの背表紙の本が並んでる。どれも文字は掠れているが、見慣れない漢字が並ぶものばかりから小難しい内容だということはわかった。

 花鶏の用意した客人用の座布団に腰を下ろす。南波は花鶏のことを警戒してるのだろう。いつでも立ち上がれるように踵を浮かせる南波を見て、俺は少し迷って腰を落とした。
 部屋の主である花鶏は座卓に肘をおき、身体だけを俺たちに向けて座っていた。その手には細長い棒状のものが握られている。煙管だ。本物を見るのは初めてだが、花鶏だからだろうか。吸口から唇を離せば、赤い唇から白い煙が零れた。

「……それで、私に聞きたいことというのは?」
「俺の死体を捨てた男についてだ」
「……」
「その男について覚えてる限りでいい、どんな些細なことでも構わねえ。……全て教えろ」

 花鶏の目が伏せられる。笑っているように見えたのは俺の錯覚かもしれない。答える代わりに煙管を吸う花鶏に、南波はただじっとその横顔を睨んでいた。
 そして、懐かしそうに目を細める。あのとき見た、冷めた横顔だ。

「……その方は貴方よりも若い方でした。明るい髪の、よく貴方と笑い合ってたのを見かけましたよ」

 響く声に高揚はない。柔らかい声が冷たく響く。
「心当たりは?」と聞き返す花鶏に、目を閉じた南波は重い口を開いた。

「……………………ある」

 その表情は、何を考えているのかわからない。ただ、吐き出されたその言葉は何かを必死に押し殺そうとしてるのだけは間違いない。

「そいつが、……そいつが、この指輪を持っていたってことか」
「ええ。……彼の指には合わないようでしたが」

 ギリ、と南波が奥歯を噛みしめる。必死に何かを抑えてるようだ。苦悶の表情を浮かべる南波が心配になって、南波さん、と声を掛けようとしたが、手で制された。邪魔をするな、そう言いたいのだろう。
 俺は伸ばしかけた手を引っ込めた。

「そして、そいつは死んだ……間違えないんだな?」
「ええ」
「じゃあ、そいつはお前らみたいにバケモノにならなかったのか」
「……………………」

 息を、飲む。
 南波の指摘に、ハッとした。考えてもいなかった、その可能性を。そして、柔和な笑みを浮かべていた花鶏の表情が僅かに変わるのを俺は見てしまった。
 怒りとも喜びとも違う、奇妙な表情。瞬きした一瞬のうちにそれはいつもの笑顔に戻る。

「全員が全員、思念体になるわけではありません。悔いのない方はこの世に留まることなく成仏する。自分の死んだことにすら気付けない方も然り」
「……落下死、って言ったな。じゃあ同じ落下死したこいつはなんで生きてるんだよ」
「それは私よりも準一さんの方がご存知ではありませんか?」
「お前、何か隠してるだろう」

 単刀直入、立ち上がる南波に、慌てて俺も立ち上がりかけたが南波は花鶏に掴みかかるわけでもなく、ただ、目の前の男を見下ろしていた。
 剥き出しの敵意を前に花鶏は怯むわけでも動じるわけでもない、ただ、いつもと変わらぬ様子でその場に在った。

「哀しいですね。……私を疑ってるのでしょうが私は全知全能の神ではありません。誰がどのような思いでなくなったのか、それを知る術はありません。私が知るのはただそこに或る現実のみ」
「……もういい、わかった」
「な、南波さん……」
「アンタの言葉は信用ならねえ」
「それもまた個人の自由です。取捨選択をするのも、その結果も全て貴方のものです。好きにしなさい」

 殴りかかるのではないかと思ったが、花鶏を一瞥した南波はフン、と鼻を鳴らし、そして部屋を出ていった。
 取り残された俺は、その後を追いかけようと座布団から腰を持ち上げる。そして部屋を出ようとしたときだった。

「私はそんなに嘘臭いですか」

 俺の背中に投げかけられるその声は、やはりいつもと変わらないものだった。傷ついてるわけでもない、確認するような柔らかな声に、俺は足を止める。

「……俺は、花鶏さんの話を聞いてアンタが嘘ついてるとは思わなかった」
「……」
「けど、南波さんが言ってることもわかる気がします。……でもそれは花鶏さんがただ知らないだけなのかもしれない」

 ……嘘ではない。
 ただたまたま知らなかった。そんなことがあってもおかしくないと思うのだ。

「私を信用して下さってるんですね」

 そう、ぽつりと口にする花鶏に俺は何も言えなかった。
 本当は、そう思い込みたいだけなのかもしれない。花鶏にも不可能なことがある、そう、俺は花鶏の人間らしいところを見て安心したいと。

「……お邪魔しました」

 そう頭を下げ、俺は花鶏の部屋を出ていった。
 あのまま南波を一人にするわけにはいかない。通路の中、南波の気配を追ってそのまま花鶏の部屋を去った。
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