亡霊が思うには、

田原摩耶

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世界共有共感願望

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 その人物をその人たらしめるもの。
 見た目?性格?それともその立場?
 或いは、それら全てが揃ってこそ、その人と認めることができるのか。

 それならもし、その内でも一つでも欠けてしまったら? 中身もまるで別人で、記憶もない。そんな人物をその人本人と認めることができるのだろうか。

「邪魔だ、退け」
「っ、ぉわ……ッ」

 まるで別人のような南波は、俺に対しても同じだった。
 以前のような怯えの色もなく、それどころか突き飛ばされそうになり、俺は咄嗟に南波を避けた。
 あの人は、俺が触れるだけでも縮み上がっていた。
 なのに、今の南波は、指先が掠ろうがお構いなし。特に気にする素振りを見せることなくさっさと食堂を出ていく。

 俺はというと、暫く南波の後ろ姿を呆然と見つめることしかできなかった。

「ま、じかよ……」

 南波であって、南波ではない。
 俺の記憶の中の南波とは、顔貌しか一致しない。
 何が起こってるのかわからない。けど、表情や振る舞いからして、以前の南波とまるで正反対だ。

 記憶が、なくなった?
 とはいえ、傲慢不遜なその態度は以前の南波でも伺えた。とすると、男アレルギーが出る前の南波が現れた、ということか。
 自分で考えて、余計わからなくなってくる。

「……おい、いつまで寝てるんだよ」

 一人で考えても埒が空かない。
 俺は、床の上、伸びたフリをする幸喜に声を掛ける。
 やつは、待ってましたと言わんばかりに何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。

「あはっ、俺のことを心配してくれるなんて準一ってば俺のこと超好きだよね」
「別に心配してねえよ」
「またまたーそんなこと言っちゃって、ドキッとしてたの俺分かったんだからね」
「…………」

 幸喜は相変わらずだ。ご丁寧に血糊でベタベタ顔を汚していた幸喜はニコニコと笑いながらそれを拭う。

「それにしても南波さん、ずいぶんと元気になったね。あんな活きのいい南波さん、初めて見たかも」
「……あれは、どういうことだ?お前、なんか言ったのか?」
「言いがかりだよ、別に俺は何もしてないし。……今回に関してはね」

 意味深な笑み。
 自分がトラブルメーカーという自覚はあるらしい。なにをそんなに自信ありげにしてるのか、なんとなく不愉快ではあるが一々引っかかったところでこいつが喜ぶだけだ。

 押し黙っていると、幸喜はふっと笑みを消した。

「戻ってきたときからあんな調子みたいだよ。……まるで、南波さんじゃないみたいだ」
「……それは……」
「だって今の南波さん、活きはいいけど反応悪くてつまらないんだもん」

 南波ではないみたい。
 その言葉に、ひやりと背筋に冷たいものが走る。

「……それって……」
「準一見ても逃げ出さなかったしね。……記憶がなくなったというよりも、別のものにすり替わった、或いは何かが切っ掛けで死ぬ前の記憶に戻ったとか、ない話じゃないしね」

 生前の記憶が戻った。
 その幸喜の言葉に、パチリと音を立て、抜けていたピースが嵌ったような気がした。
 同時に、最後南波さんと会話したときのことを思い出した。『6月23日』……やはり、あの日付が原因なのだろう。
 そう思うと酷く気が滅入るようだった。俺のせいで、いや、恐怖症がなくなったのならそれはいいことではないのだろうか。……わからない、わからないが、とても嫌な予感がする。

「まあ、こういう面倒なことは花鶏さんのが詳しいだろうしお任せするかな、俺はもうちょっと南波さんと遊んでこよーっと」
「あ、おい……幸喜!」

 何を言い出すのかと、俺が咄嗟に呼び止めるよりも先に幸喜は音もなく姿を消した。
 あいつ、行きやがった。
 一人食堂に残された俺。このまま南波と幸喜をまた対面させるのは危険だと感じた俺は、舌打ち混じり、南波が立ち去った方角へと足を向かわせた。

 幸い、南波はテレポートを使っていない。否、もしかしたら使えないのかもしれない。
 すぐに南波の後ろ姿を見つけることに成功する。幸喜はまだ来ていないらしい。ほっとするが、俺の足音に気付いた南波はこちらを振り返る。
 暗闇でも映える、眩しいほどの金髪。真っ青なシャツ。そして、全身から滲み出るのは敵対心、というよりも、殺気に近い、ドス黒い感情。

「さっきの野郎か。……人のケツ付け回してなんの用だ?」

 いきなり殴り飛ばすほどの凶暴なやつではないだけ安心したが、それでも、有無を言わせない低い声に全身が強張る。
 ……俺は、今までの南波のイメージからしてヘタレなんだなと思っていたが、まさかここまで印象が変わるとは思っていなかった。油断した隙に喉元を食い千切られそなほどの張り詰めた空気の中、俺は「あの」と声を絞り出した。

「……あなたはなんで、ここにいるんですか」

 黙っていたら呑まれる。
 それだけは避けたくて、俺は、咄嗟にそんなことを口にしていた。南波は、目を細める。短い眉を潜め、何を言ってるんだこいつは、と訝しげな色を滲ませた。

「お前には関係ねえだろ」

 真正面から俺を睨むその目は、獣のそれだ。隠しきれていなかった敵意が溢れ出す。警戒心が増す。南波が一歩こちらに足を踏み出した瞬間、止まっているはずの心臓が反応しそうになるのがわかった。

「それともなんだ、お前の仕業か?……俺をこんな場所に連れてきたのは」

 いつも丸まっていた背中はピンと伸び、長身の影が俺を見下ろす。冷や汗が滲む。気質ではないのは知っていたが、それでも醸し出す雰囲気は本業のその連中と同じだ。
 逃げるよりも先に、伸びてきた手に胸倉を掴まれる。強い力に首を締められ、咄嗟に俺は南波の手を掴んだ。

「……見ねえ顔だな。誰の差金だ?さっきのガキもお前の仲間か。俺をこんなところに閉じ込めてただで済むと思ってんじゃねえだろうな」

 誰と勘違いしてるのか、額と額がぶつかる音がする。鼻先までもぶつかりそうになり、思わず怯む。が、やつは俺から目を逸らさない。同様、俺も目を反らすことはできなかった。
 至近距離。スラックスのポケットに手を突っ込む南波。底から何かを取り出したやつに、ぎょっとした。
 薄暗い建物の中。黒光りする物体の特徴的なシルエットはすぐにわかった。テレビや映画では何度も見てきたそれは拳銃だ。けれど、本物を見たことはない。
 というか、待ってくれ、どうしてそんなものが。と、凍りつく俺の額にその銃口を押し当てられた。ごりっと骨が擦れる音がして、今度こそ石のように動けなくなる。

「なんだ、口が利けねえのか。それとも、ここの風通し良くされてえのか?……どっちだ」

 この人は、もしかして、自分が死んだということも気付いていないだけではなく、尚且つ霊体としての特技も活かすつもりなのだろうか。
 金属特有の重く、冷たいその感触に俺は何度目かの死を覚悟する。

「っ、待……って下さい」

 堪らず声が裏返りそうになる。
 当たり前だ。今まで面倒な人間に絡まれてきたことが比較的多い俺でもいくらなんでも、こうして他人に銃を突きつけられることはなかった。動揺するなという方が無理な話だ。

 冷たい南波の目、時計の針が進む音が聞こえてくる。想像してはならないが、明確に脳裏に浮かぶのだ、この男に脳天を吹っ飛ばされる図が。
 どうすれば、どうすればいい。自問自答。俺は、考えるよりも先に両手を顔の横にあげる。……降参のポーズだった。

「本当に、俺は南波さんにどうこうするつもりはないです」
「じゃあなんで俺の名前を知ってるんだよ」
「っそれは……」

 少しでも言い澱めば、南波の引き金にかけた指が動く。それを思いっきり引かれるよりも先に、俺は「南波さんは」と声を出した。自分でも何を言おうとしていたのかわからないが、このまま黙っていては本当に面倒だと思ったのだ。

 この人は記憶がない。
 ここにいる理由すらもわからない。
 そして、死んだということも気付いていない。
 どこから言えばいいのか、どうすればいいのか、考える暇もない。

「南波さんは、俺は、俺たちは、もう死んでるんです」

 俺が言い終わるよりも先に、音が消える。視界が色を無くす。感覚もなかった。が、弾ける赤い血が、自分の頭から出てることに気付いたときには遅かった。
 この男は容赦なく引き金を引いた。体が落ちる。痛みはない。けれど、遠くに自分の体の一部が落ちるのを見て体が震える。頭から溢れる血が視界を染め上げる。それを止めようと手を伸ばせば、南波の顔が引きつった。

「……っ、なんで……」

 化物が、と確かに南波の顔に動揺の色が滲む。
 これなら、少しは話を聞いてくれるだろうか、なんて、俺も俺で脳味噌吹き飛ばされたせいで物事を考えられなくなってるらしい。「南波さん」と名前を呼ぶよりも先に、二発目を残った右目部分に打ち込まれ、視界は完全に奪われる。痛みがないことはまだましだと思っていたが、体の中に鉛弾を捩じ込まれる感覚は気持ちいいものではない。
 バランスを崩して倒れる体、その上に、腹部に靴の感触を感じた。思いっきり腹を踏みつけられ、そして、もう一発。今度は心臓の辺りだ。自分がどのようなことになってるのか、視界を潰された今わからない。
 そして四発目。どこが吹き飛んだのかもわからなかった。わからなくていいと思う。
 多分、見えていたら俺は今度こそどうにかなってしまいそうだった。

 硝煙の臭いに混ざって濃厚な血の臭いと、そして南波の息遣い、罵倒が響く。
 ガチャガチャと何度も引き金を引こうとする音が聞こえたが、出ない。恐らく、予め装着されてた弾を撃ってしまったのだろう。舌打ち混じり、俺の体を蹴り、南波は俺の上から退いた。

 俺は、元の姿を思い出す。毎朝起きては嫌ってほど見てきた鏡に写った自分の面。拳銃で吹き飛ばされるのは、思ったよりも死に方としては楽だった。そう感じたのは俺が映画等を見て銃殺によるイメージから抱いたものからだろうが、実際に撃たれたことがないからこそ、死に際はあっさりとしていたのだ。もちろん、幸喜のアホに殺されるよりは、の話だが。

 視界に色が戻る、手が動く、起き上がろうとすれば、立ち去ろうとしていた南波がこちらを振り返った。恐らくさっきまでは血の海だったそこに一滴の血すら落ちてない。立ち上がる俺を見て、南波は「冗談だろ」と息を吐き出すようにして、拳銃を構える。そして、もう弾が入ってないことに気づいたのだろう。俺は、拳銃を手にした南波の手を掴んだ。
 振り払われそうになるが、それでも力づくで腕を下げさせれば、南波は俺を睨む。こんな形で南波にこんなに近づく事になるとは思わなかった。

「……南波さん、これでもまだ信じられないですか」

 一か八かだった。俺は、南波から銃を取り上げる。ずしりとした重さ、ひんやりとした感触。少しでも力を抜いたら落としてしまいそうになるそれを握り締め、そしてそれをやつの額に押し当てた。

「バカが、そいつはもう……」

 弾切れだ、と笑う南波に向けて、引き金を引いた。撃ち方なんて見様見真似だった。それでも、腕全体に衝撃が走る。ドン、と空気が揺れる。まばたきをしたほんの一瞬、部屋が真っ赤に染まった。

 やり返したかったわけではないが、言葉で言っても通じない相手には『これ』が一番手っ取り早いと思ったのだ。
 我ながら、毒されてると思う。けれど、これ以上この男に殺されては堪らない。
 脳漿を撒き散らし、顔上半分を失った南波の体は倒れる。青いシャツは黒く染まり、吐き気を催すほどの濃厚な臭気に俺は鼻で息をするのをやめた。
 そして、倒れていた南波の体は起き上がる。血が蠢き、肉片が傷口に吸い込まれるように失った部分が形を取り戻していく。

「……冗談だろ」

 これが冗談ならば、それは俺が死んでからずっと思ってきたことだった。
 何事もなかったかのように元通りになった南波に、その適応力に、俺は、少しだけぞっとした。やつの口元には、不気味な笑みが浮かんでいた。

 自分が死んでいると言われて、はいそうですかと納得できるような人間は早々いない。俺だって、最初は受け入れられなかった。今だって、まだ、たまに自分が死んでることを忘れて余計なことを心配してしまうくらいなのだから。
 そう考えると、目の前の男の反応は異常なのかもしれない。

 南波に問われ、俺はあらかた経緯を説明した。
 もう既に俺たちが死んでることや、ここにいるのは死んだ連中ばかりだということ。俺と南波は面識あって、南波自身俺よりも先に死んでること。
 そして、今現在の南波は記憶を失っているということ。
 自分が死んだことも知らない、生前の南波が目の前にいるということだ。

「まるでお伽噺じゃねえか」
「……そうですね。けど、」
「嘘じゃねえってことだろ?」
「……」

 俺は無言で頷いた。

 飲み込みが早い。
 正直な話、俺はこの男があの俺の知ってる南波と同一人物が未だにしっくりきていなかった。
 ……生前から男が受け付けないというわけではないらしいが……あまりにも、じゃないだろうか。

「……そーか、死んだのか……俺」

 不意に、ふらりと歩き出す南波。
「南波さん、どこに」と慌ててその背中に声を掛ければ、南波はこちらを睨むように見た。

「別にどこへ行ったって俺の勝手だろ」
「けど……」
「そんなに気になるんならお前も来ればいいだろ」

 挑発的な言葉だが、これは彼なりに俺を信用に値する人間だと受け入れてくれたということなのだろうか?
 ……いや、ただの気まぐれかもしれない。

 本当は一人にさせておくのが南波のためなのだろうが、やはりこの状態の南波を野放しにするのは些か不安があった。
 ……それに、幸喜のこともある。
 俺は、フラフラと部屋を出る南波の後を追いかけた。
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