亡霊が思うには、

田原摩耶

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ふたつでひとつ

06

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「……これは」
「……なあ、言ったろ?」
「ええ、まさか本当にこんなに綺麗になくなってるなんて……」

 屋敷跡地前。
 呆然と、目の前に広がる夜空を見上げる俺と奈都。そこにはいつもなら不気味なくらい古ぼけた洋館が聳え立っていたはずなのに。ない。
 もしかしたら俺の見間違いかと思ったが、どうやら奈都も同じようで。

「と……とにかく、花鶏さんに……」
「おや、私のことをお呼びですか?」
「っ!!」
「あ、花鶏さん……」

 音もなく目の前に現れた和装の美青年の姿にド肝抜かれそうになる。
 目を見開く俺に、花鶏はにっこりと笑いかけてきて。

「昼間ぶりですね、準一さん」
「……ええ、まあ……っじゃなくて!どういうことなんすか、これ……っ!」
「ああ、屋敷のことですか?」

 どこから取り出したのか、扇子を拡げた花鶏はそのままパタパタと自分を仰ぎ始める。
 そして、一笑。

「……あれなら今、めんてなんす中、というやつです」

 いつもと同じ調子で微笑む花鶏に、今度こそ俺たちはぐうの音も出なくて。

「め……メンテナンス……?」
「ちょ……あの、俺は屋敷がなくなっていることについて聞いてんすけど……」
「この屋敷も長いこと生きてますが大人数の若い男女は今でも苦手のようでしてね、恥ずかしがり屋なんですよ……彼は」

 花鶏が何を言っているのか全く理解できない。というか意味が分からない。彼って誰だ。……まさか、屋敷だとは言わないだろうな。

「御二方にも経験あるのではないでしょうか、苦手なものが目の前が現れたとき、目を背けたくなるのが」
「だ……だから、消えたっていうんですか」
「彼らが帰った今、もう隠れる必要はありません。心配しなくてもすぐに帰ってきますよ」
「……ッ……ッ!」

 納得がいかない。そんなのありなのか。いや、でもそれなら俺が今ここで存在してることすら現実的ではないわけであって……。

「準一さん」

 そのとき、肩にポンと花鶏の手が乗せられる。

「人生、そういうこともあるんですよ」
「まあ、そうかもしれないですね……」

 ってそう簡単に建物が消えてしまって納得行くか!
 ツッコむのも疲れてしまい、脱力のあまり俺はその場にへたり込んでしまう。
「準一さん」と心配そうな奈都の声が聞こえたが、悪い、奈都。暫く立ち上がれそうにない。

 俺が間違っているのだろうか、俺の硬い脳味噌が。

「……花鶏さん」
「どうしましたか、準一さん」
「……アンタはなんでいなくなったんですか」

 あんなに人間が来ることを楽しみにしていたくせに、花鶏は仲吉の前に現れようともしなかった。
 花鶏を見上げれば、細められた目がこちらを見下ろしていた。

「かく言う私にもあるのですよ」
「なにが」
「嫌いなものから目を逸らしたくなる、そんな経験が、です」

 花鶏の言う嫌いなものがなんなのか、俺には見当つかなかった。
 花鶏も、そのことについて詳しく話すわけでもなく、気が付けば音もなく消えていて。
 そして、立ち竦む俺と奈都の目の前。瞬きを数回したとき、何事もなかったかのように洋館はあるべきところに佇んでいて。

「……」
「……」

 俺と奈都が呆気にとられていると、不意に、洋館の扉が開き、そいつは現れる。というよりも、転がり出る、と言ったほうが適切かもしれない。
 夜の闇の中でも目立つ明るい金髪頭。地面の上、金髪頭もとい南波は勢い良く起き上がる。
 そして。

「っ、あ、あれ……?準一さん?」

「南波さん」と俺と奈都は声を揃えた。
 何故だかボロボロになった南波は俺たちの姿を見るなり恐縮する。

「すっ、すみません!お恥ずかしいところを……」
「いや、それはいいんすけど……」

 今、屋敷の中から出てきたよな?

 姿が見えない南波と跡形もなく消えていた屋敷。
 そんな屋敷の中から南波が出てきたということは、屋敷と一緒に消えていたということだろうか。
 ……どこに?

「あの、南波さん、今までどこにいたんすか」
「あっ、す、すみません!俺、準一さんの指示もなく動いてしまい……っ!」
「いや、あの、責めてるわけではなく……」
「あのバカ人間の気配を感じたので慌てて準一さんに知らせようと思ったんですが、このクソ屋敷、俺を閉じ込めやがったんすよ!」

「クソッ、手間取らせやがって!」と屋敷の扉を思い切り蹴りつける南波。
 それを奈都は「壊れますよ」と慌てて止めている。

 閉じ込める。確かにそう南波は言った。
 なら、今まで南波は屋敷とともに亜空間に消えていたということか?……いやちょっと待て、亜空間ってなんだ。俺は何を言ってるんだ。そんなSFチックなことが当たり前のように起きてたまるか。
 だけど、南波の言葉を信じればそういうことだ。

 ……もう少し、聞いてみるか。少なくとも、俺が納得出来るように。

「あの、こういうことってよくあるんすか」

 思い切って尋ねてみれば、「えっ?!」と悲鳴に似た声を上げる南波。

「や、あの、確かに俺、よく勝手な行動が多いと兄貴に怒られてましたが準一さんには、俺、なるべくちゃんとしようかと……」
「い……いえ、あの、屋敷の方なんすけど」
「すっ!すみません!俺としたことが準一さんの言葉にまともに返事をすることすら出来ないド低能糞虫野郎ですみません!」

 ダメだ、南波と話していると進まない。俺が何を言ったところで謝罪で返されかねない。
 俺は奈都に視線で合図をすれば、奈都も理解したようだ。小さく頷き返し、南波に向き直る。

「今、南波さんが屋敷に閉じ込められている間、僕達からはこの屋敷が目に映らなかったんです。花鶏さんは意思を持った屋敷が敢えて姿を消していたと言っていたんですが……」

 流石奈都、俺にもわかりやすい説明口調だ。
 それでもその内容が甚だ理解出来るようなものではないが。

「それなら別に珍しいことでもねえよ。……つかいちいち俺に聞くなっての、あのカマ野郎に聞け!」
「珍しくないってことは南波さんも俺達のような目に遭ったことがあるってことですか?」

 嫌がる南波には悪いが、聞けば聞くほど疑問は止まらない。思い切って尋ねてみれば、「そうなんすよ!」と打って変わって背筋を伸ばした南波は大きく頷いた。

「あの、準一さん、この屋敷だけじゃないんすよ、形が変わるのは。あのカマ野郎はあらゆる万物は本人の主観によって左右されるだとかなんたら抜かしてましたけど俺が思うにあのカマ野郎にもわかってねーんすよ、絶対!何でもかんでも小難しいこと言っとけば誤魔化せると思ってるんでしょうねえ」

 ということは、南波もなにもわからないということなのだろう。それどころかいつの間にかに花鶏への文句に切り替わっている。
 それよりもあまりの態度の違いに奈都の不機嫌オーラが心なしか増したような気がしないでもないが、これ以上は聞き出せそうにない。
「そうですか、すみません」と適当に話を切り上げ、俺達は南波と別れた。この後南波が花鶏に報復されないことを祈るばかりだ。




「すみません、お役に立てなくて」
「いや、こっちこそ付き合わせて悪かったな。……お前がいてくれたお陰で助かったよ」

 本当、いろいろ。
 ぺこりと会釈をする奈都はそのまま姿を消す。無事屋敷も戻ってきたことだし、俺も部屋に戻ろうかとした矢先だった。

 早朝、屋敷前。
 暗い森の中に朝日が差し込み始めた頃。

「……ん?」

 花畑の前、しゃがみ込んで何かしている人影を見付けた。
 陽気な鼻歌交じり、スコップを手にしたそいつの後ろ姿には見覚えがあった。幸喜だ。

「ふーん、ふん、ふ~ん」

 音階が外れまくったそれは鼻歌というよりも奇妙な呻き声と称したいくらい酷い。
 それよりも、なるべく幸喜と関わりたくない。
 見つかる前に屋敷へ戻ろうかと思ったのだが、ざくりと大きく振り上げた幸喜のスコップが花壇に突き刺さった時。
 そのスコップの先、土に埋もれたそれを見て俺は目を見開いた。

「っおい、何してんだよっ!」

 泥で汚れ、スコップでズタズタに突き刺されたそれは確かに藤也が持っていたぬいぐるみで。
 ――ついこの間、自分が補修したものだった。

「ほあ?」

 ピタリと動きを止めて幸喜はきょとんとした顔で俺を見上げる。

「どうしたんだよ、準一。そんな怖い顔しちゃってさ」
「いいから、それを退けろっ!そもそも、藤也のものだろうがそれっ!」
「は?なにが?何言ってんの準一。面白」

 笑う幸喜は俺の制止も聞かずまた一突き。
 かろうじて頭部と体を繋げていた布は呆気もなく分裂する。

「これは俺のだよ」

「だから、俺がどうしたって俺の勝手だろ?」そう笑う幸喜は当たり前のように、寧ろそんな俺の言葉が愚問であるかのような目で、俺を見た。

「お前のって……」
「そ、俺の。それをあいつが勝手に持ってってさぁ、ホント、あいつうぜーよな」

 言いながら、顔面を一突き。
 せっかく直したぬいぐるみが目の前にズタズタに傷付けられるというのは来るものがあって、いや、そうじゃない。
 確か、これは、あの子供が……。

「……っちょっと待てよ!」

 居ても立ってもいられなくて、振り上げた幸喜の腕を掴む。

「あいつって……誰だよ、藤也か?」
「藤也……あいつも勝手に俺の獲って行くもんなぁ」
「も?『も』ってことは違うのか?」

 もしかして、あの子供のことを知っているのだろうか。
 すぐに消えたあの子供の霊。
 脳にこびり付いたまま離れないその透き通った姿を思い浮かべながら俺は幸喜に尋ねる。

 だけど。

「…………つか、なに?これ俺のだって言ってんじゃん」

 ふと、幸喜の表情から笑みが消える。
 高揚のないその冷めた声に、細められた目に、なんとなく嫌なものを感じ、俺は戸惑う。
 笑っている以外の幸喜を見たのは初めてだったから、余計。

「でも、あのぬいぐるみ、確かに子供が持って行ったぞ。小学生くらいの男の子に……」

 ここで退いては本当のことを聞くチャンスを逃してしまいそうで、幸喜の中、思い切って深く立ち入ってみる。
 案の定俺の言葉は幸喜にとって不快なものだったようだ。思い切り顔を歪めた幸喜は俺を睨む。

「お前かよ、あいつに渡したの……。余計なことしてんじゃねえよ……ッ!」

 見たことのない怒りを露わにした幸喜に、その全身から滲み出る嫌なものに、全身が緊張する。
 今まで、幸喜と藤也をあまり似ていると思ったことがなかった。
 だけど、怒った時、纏う殺気はよく似ていると思った。……そんなこと、暢気に考えている場合でもないのだけれど。

「ちょっと待てっ、あいつって……ッ!」

 言い掛けて、思い切り胸倉を掴まられる。
 強い力に引っ張られ、目の前に幸喜の顔が迫る。首筋に、冷たいものが押し付けられた。
 砂利のついたそれは先程まで花壇を抉っていたスコップの尖端で。

「……ッ」
「これは俺のだ、藤也のものでもあいつのものでもないんだよっ!」
「っ、おい……ッ」

 えぐるように押し付けられる尖端を掴み、なんとか引き離そうとするが、こんな状況で、こんな状況だからだろうか、トラウマが蘇ってしまたようだ。
 息が苦しくなり、尖端が触れたそこはぐずぐずになっていくのが自分でもわかる。
 嫌な汗がドッと溢れた。
 そんな俺を見て、確かに幸喜は笑った。

「はは……ッ!んだよ、ビビってんのかよ、準一。……可愛いよな、ホント、お前」

 見開かれた光のない目。
 口が裂けそうなくらいの満面の笑みを浮かべてるくせに、ちっとも笑っていないその目に、死んでまだ間もないあの夜、覆い被さってきた幸喜と重なり息が詰まる。
 でも、今は違う。ある程度はこの体をコントロール出来るようになった。……なったはずだ。

「……っ、離せ……」

 必死に痛みとは無縁のものを思い浮かべながら、傷口から意識を逸らす。
 そして、力の限りそのスコップを持つ手を押し返せば、僅かに幸喜は驚いたような顔をして、そして笑った。

「んだよ、準一のくせに生意気じゃねえの?」 
「もう、それが誰かのなんて聞かない。……だけど、一つだけ聞かせてくれ」

 愉しそうに喉を鳴らして笑う幸喜は、「言ってみろよ」と挑発的に促してくる。
 ヘタしたら今度こそ首を引き千切られる、そんな心配もあったがどうしても引っ掛かるのだ。だから、俺は重い口を開いた。

「どうして自分のぬいぐるみを崩すんだよ」

 可笑しいことを言っているつもりはなかった。
 誰かに取られて怒り狂うほどには、幸喜はこのぬいぐるみに執着しているようだった。
 それなのに、なんで。

「んだよ、もう少し色気のある質問かと思ったらやっぱり準一はガキだよなー」

 ゲラゲラと笑う幸喜は俺からスコップを離す。
 そして、それを地面に投げ捨てた。

「そんなの、いらないからに決まってんだろ?それ以外になにがあるんだよ」
「でも、大切なものなんじゃないのか。人から奪われたら取り返すくらいには……」
「そうだよ」
「なら……」
「だから、俺の手でこうして壊してやるんだよ。大切だからな、他の奴らに奪われる前にこうして!」

 そう言うなり、どこで盗んだのかライターを取り出した幸喜。
 まさかと目を見開いた矢先、地面に落ちていたぬいぐるみの頭部を摘み上げた幸喜はその頭に火を着けた。
 瞬間、ぬいぐるみに一気に火が広がる。
 じわじわと跡形もなく炭化するぬいぐるみ。それを花壇へと投げ捨てた幸喜は咲いていた花へと燃え移る火を眺め、笑っていた。

「……っお前……」

 火を消さなければ。そう思うのに、体が動かなかった。動けなかった。あまりにも理解できない幸喜の行動に。
 どこからか、消え入るような子供の泣き声が聞こえたような気がしたが、それもすぐに幸喜の笑い声でわからなくなった。



 結局取り返すことが出来なかった。
 火の中に手を突っ込んで取り上げることも出来たはずだ。だけど、あっという間に黒くなったそれを拾い上げたところで元には戻らないとわかっていたからそうしなかった。
 そんな自分が歯痒くて、目の前の幸喜がただ腹立たしくて。

「あーあ、つまんね。やっぱ爆発くらいしねーとこういうのは盛り上がんねえよなー」

 なら、なんで燃やしたんだ。燃やす必要はなかったはずだ。
 子供の笑顔が、藤也の顔が脳裏に浮かび上がる。
 このぬいぐるみがなんなのかわからなかったが、幸喜よりかは遥かに大切にしていたのは明白で。
 それを目の前で失わせてしまったと思うと、目の前が真っ白になった。

「こんな泥くせえところも飽きたし、南波さんと遊んでくるかなぁ」

「準一も一緒に遊ぼうよー」と笑い掛けてくる幸喜に、自分の中の何かがプツリと音を立ててキレるのが分かった。
 正義感というほど熱い血を持ってるわけでもない、それでも許せなかった。
 他人を踏み躙る幸喜が。それを止められなかった自分が。

「ッ、待てよ!」

 気が付けば、幸喜の胸倉を掴んでいた。
 驚くわけでもなく、いつもと変わらない笑顔の幸喜はこちらを見上げ、目を細める。

「なになに?どうしたの?そんなに怖い顔してさぁ」
「……っ」

 屈託のない笑顔。茶化すようなその口振りがただ頭に来て、たくさん言いたいことはあったし幸喜に行動を改めさせたいとも思った。
 けれど、いざ掴み掛かれば抵抗する様子もなければこいつは自分が悪いことをしてると思ってもいない。
 それどころか、青筋立てる俺を見て不思議そうに笑うばかりで。

「……もしかして準一、俺のこと殺したいって思った?」

 目を細め、笑う幸喜。からかうようなその目が、重みを感じさせない言葉が、余計神経を逆撫でしてくる。

 殺したい、とは思わない。思いたくないし、けれど、こいつに苦しみを味わせたい。
 人の痛みや苦しみを思い知らせたい。そう思うのは、間違っているのか。

「やってみたら?俺の首へし折ってみろよ、準一の握力なら余裕じゃねえの?」

「ほら」と、俺の手首に指を絡めてくる幸喜は笑う。
 煽るようなその言葉に、行動に、余計幸喜がわからなかった。
 けれど恐らく、こいつを殺そうと首を絞めたところで何も変わらない。ただ、自己嫌悪に苛まれるだけだというのは理解できた。

 そう思うと、今まで脳味噌を支配していた怒りが急激に萎んでいく。次第に冷静になる頭の中、俺は目の前の青年が同じ人間だと思えなくなっていた。

「…………」

 幸喜の手を振り払う。
 相手にするだけ無駄なのだろう。何を言ったところで、こいつには伝わらない。
 花壇の前に屈み込む。土の上、燃えカスを手にしてみるがやはり指から零れてしまいそれを拾い上げることは叶わなくて。
 塗って継ぎ合わせることなど、尚更。

「おい、準一、なんだよやんねーのかよ」
「……」
「ははっ!せっかく俺がたまには準一にもやらせてあげようと思ったのにさぁ!本当、勿体無いよなぁ」
「……」

 新しく人形を用意する。けれど、それでは意味がないように思えた。
 藤也がファンシー趣味ではないのは明らかだし、固執していたあの人形になにかがあったということだ。
 それがわかれば、少しは何かできることもあるのだろうが、あの人形を失くしてしまったと藤也に説明しなければならないことを考えると酷く億劫な気分になる。

「……おい、何無視してんだよ……っ」

 仕方ない、一度屋敷に戻って藤也に話そう。
 恐らく、というか間違いなく藤也は怒るだろうが、それも仕方ない。止められなかった俺にも非があるのだから。

「準一っ!」

 瞬間、劈くような声が背後でした。
 振り返らず、そのまま屋敷へ戻ろうと意識を集中させた矢先、腕を掴まれる。
 逃走失敗。

「準一のくせに、俺を無視すんじゃねえよ……ッ!」

 細い指が食い込む。目を見開いた幸喜。その顔色が僅かに青ざめていて。
 怒っているというよりも、何かに怯えている。そう感じてしまった理由は自分でもわからない。
 それでも、凄まじい力で腕を掴んでくる幸喜に自分の身を案じることを優先させることにした。

 顔を見たらムカついて、何も話す気にすらならなくて。その代わり、思いっきり幸喜の手を振り払う。
 以前は馬鹿力と思っていた幸喜の腕力を振り解けた自分に驚いたが、それほどこの体の使い方に慣れ始めたということか。喜んでる場合でもないのだけれど。

「じゅんいち……」
「触んじゃねえ!!」

「お前の顔なんて、見たくもない」無意識の内にそう言葉が出てしまう。
 本心を隠す余裕も、気力もなく。

 目を見開いたまま、硬直した幸喜。
 何を言ってるのか理解できないのだろう、それでもどうでもいい。興味もなかった。
 込み上げてくる不快感から目を逸らすように、その隙を狙って俺は幸喜の前から立ち去ろうとするが。

「ッ、待ってよ!待てってば!」

 しつこく付き纏ってくる幸喜に腕を掴まれる。
 その度に振り払い、やつから逃げるように足早に森の中へ向かうがそれでも幸喜は追い掛けてきて。

「準一ッ!おい!準一!準一!なんだよ、なんでマジになってんだよ。なあ、おかしいだろ?俺がムカつくんだろ?なんで何もしないんだよ?なあ、おい準一無視すんじゃねえよ!」

 背後から聞こえてくる縋り付くような声を必死に無視し、脚を進める。
 マジになってるのはどちらというのか。
 だけど、構わず歩いているとその声も次第に遠くなり、気づいた時には幸喜の声は聞こえなくなっていた。

 真っ暗な夜の闇が広がる辺りに気配はない。
 内心ほっとしながらも、ようやく足を止める。

 今になって、心臓が加速する。
 何も考えないようにしていたからだろうか、緊張が解けた今になってから額から血が滲んできて。それを拭う。

 それにしても、と先程の幸喜の姿が蘇る。
 精神年齢が幼いやつだとは思っていたが、あれは駄々っ子だ。それも、小学生にも満たないくらいの小さい子供。
 馬鹿にしてるつもりはないが、あの取り乱しっぷりは幼い子供のそれと同じだ。
 まるで親離れが出来ていない子供と。

「……」

 ふいに、あの子供の姿が蘇る。透けた子供の霊、茶髪の男の子の手作り人形。
 いや、まさかな。
 とは思うけど、やはり何かあるに違いない。
 取り敢えず今は、藤也に人形のことを言わなければならない。

 とはいえ、夢中になって幸喜から逃げてしまった今、ここがどこだかすらわからない。
 なるべく無駄な気力は使いたくなかったが、こういう時ばかりはやはり瞬間移動という移動手段は有難い。
 なんて思いながら、俺は屋敷の応接室を思い浮かべる。



 暗転。

「ぁああああ!!」

 目の前の景色が見慣れた応接室へと切り替わった時、すぐ隣から気が抜けるような悲鳴が聞こえてくる。
 何事かと思い振り返れば、ソファーの上、どうやら俺は南波の隣へと転移してしまったようだ。
 奇妙な体勢のまま動かない南波はどうやら失神しているようだ。悪い、南波さん。と心の中で謝罪だけしておく。

「……準一さん、どうしたんですか?」

 と、不意に声を掛けられる。
 応接室の窓際、佇む奈都は突然現れた俺に目を丸くしていた。

「服が、汚れて」
「少し、転んでな。……なあ、藤也知らないか?」
「藤也君ですか?こちらの方には来てないみたいですね。部屋じゃないですか?」
「悪い、助かった」
「いえ、でもいるかどうかは僕にも……って、あ、準一さん!」

 奈都には悪いが、いち早く藤也に会いに行きたかった。
 別に藤也の顔を見たいわけではないが、なぜだろうか、先程の幸喜の様子を思い出すといても立っても居られなくて。
 あいつなら、何か知っているはずだ。人形のことも。
 応接室を出て、客室が並ぶ棟へと向かう。
 藤也の部屋が何処にあるのか忘れてしまったので手当り次第扉を開いた。

 夜の闇に覆われた窓の外の景色。明かりもないこの洋館では月明かりだけが便りなのだが、空が曇っているようだ。その月すらも見えない中、俺は藤也を探す。

 けれど、いくつもある扉を開いても藤也の姿はなくて。
 藤也の部屋も見たが、中は植物と虫と爬虫類系の生き物で小さなジャングルと化していたそこには俺が探していた姿はなかった。
 トカゲが扉の外へ出てしまう前に慌てて俺は部屋の扉を閉めた。

 奈都たちの部屋も含め、全ての客室を確認したが藤也はどこにもいなかった。
 あいつ、どこにいるのだろうか。まさか、隠れてるのか。なにから。

「……」

 今度は食堂の方も見てみるか。
 思いながら踵を返した時、不意に、目についた扉のない客室。
 南波の部屋の隣のそこは以前藤也が斧で扉を叩き割ったそこで、外から見て中の様子が分かるので然程気にせず前を通り過ぎていったのだが、何故だろうか。今になって無性に気になってきた。

 子供の泣き声。
 小さなサイズのインテリアが用意された子供部屋。

 子供というキーワードがやけにひっ掛かるのだ。
 念のためだ、と自分に言い聞かせるように扉のない部屋へ足を踏み入れる。
 瞬間、ずしりと。なにかが頭部から肩へとのし掛かる。実際にはなにものし掛かっていない、空気が重いのだ。湿気で充満した部屋は他の部屋と比べやけに暗く感じて。

 前、仲吉と色々な心霊スポットを巡ってきた。けれど、人が死んだという場所ではやはり今のように言葉にし難い圧迫感に圧し潰されそうになっていたことを思い出す。

 何かある。
 前に来た時も不気味だった。
 けれど、今は前よりも格段に瘴気が濃くなっている。

「……藤也?いるのか?」

 このままでは雰囲気に呑まれてしまう。そう直感で感じ、咄嗟に声を上げた。
 けれど、勿論返事が返ってこなくて。

 藤也はいない。ならば、さっさと立ち去ろう。
 気味が悪い、というよりも純粋に気持ち悪かった。
 呼吸する度に鬱々とした空気が自分の中に入ってきているようで、自然と気分が淀む。

 出口から通路へ出ようとしたその時、後方、部屋の奥から微かな風が吹く。
 生暖かい、夏の夜独特の風。咄嗟に振り返るが、この部屋に窓はない。寒気が走った。それでも、このまま見てみぬフリをしたら余計気持ちが悪い。

 昔からだ、これ以上はまずいと理性が叫んでいても、本能的な好奇心を押さえ込むことが出来なかった。
 押さえ込んだことで一生悶々と暮らすことが許せなかった、といった方が適切なのかもしれない。
 要するに、自分でも馬鹿だと思うくらいは俺は仲吉に毒されているということだ。

 小さく舌打ちをし、俺はゆっくりと部屋の奥へと足を踏み込んだ。
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