雪山遭難殺人事件で殺人犯と真っ先に疑われるタイプのチンピラ受けがめちゃくちゃにされるやつ

田原摩耶

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 酷い目にあった、なんてものではない。
 流石にこの吹雪の中、全裸でいるのはあまりにも堪える。
 このままでは凍え死ぬのではないか。あの男は最初からそのつもりだったのか。

 とはいえど、最初のように柱にくくりつけられていないだけましだ。
 遠くに散らかされた服の元まで這いずり、近寄る。身体が痛い。
 何故こんな惨めな目に遭わされなければいけないのか。

 ……久古。
 本当に久古は死んでしまったのか。
 今になって一人になってしまったという実感がこみ上げてきて、鼻の奥がツンとする。
 まだだ、まだ泣くな。殺したやつもまだ見つかっていないんだ。
 ……泣くのはそれからだ。

 そう自分に言い聞かせる。
 少しでも寒さを凌ぐため、とにかく服を着れないかと試行錯誤したが服に包まるのが精一杯だった。
 幸い地下だし、壁と屋根があるからこそ風に吹かれる心配はなかった。それでもやはり空気中の空気は冷たい。

 肘を手代わりに、自力で階段を登っていく。扉に鍵がかかっていたら終わりだが、こんなオンボロ宿の扉なら体当たりでなんとか壊せるのではないか。
 とにかくここで大人しくしてるのは癪だった俺は何度も階段から落ちそうになりながらも這い上がり、なんとか階段を登り切る。

 衣服がない分全身は擦り傷とアザだらけになってしまったが、こんなものなんともない。そう言い聞かせ、膝立ちになって扉のドアノブに腕を引っ掛けて開くか確認しようとしたが――案の定鍵がかかっていたようだ。

 馬場の考えそうなことだ、この展開も想定済だ。
 俺は息を吐き、そしてそのまま扉にタックルをかました。



 ――それからどれほど経ったのだろうか。
 扉から聞こえてきた物音に反応したのだろうか、扉の外から足音が小走り近付いてくる。そして、目の前の扉が開き、鼻先を掠めた。

「……っ!」

 開かれた扉の向こう。
 その眩さに思わず目を細めたときだった。

「うわ、大丈夫かっ?」

 聞こえてきたのは男の声だった。
 目を開けば、そこには驚いたような顔をした男がいた。
 見慣れない顔だが、宿泊客の一人なのだろう。俺の格好に気付き、さらにぎょっとした顔をしていた。

「あ、ああ……」
「……っ、ちょっと待ってて、すぐに暖まるもの用意してくるから」
「いや、いい……それより、拘束を解いてくれ」

 てっきり悲鳴でも挙げられると思っていただけに、逆に心配されて恥ずかしくなってくる。
 けれど、男は困ったように眉を下げた。

「あー悪いけど、それは……警察が来るまで近江屋君のことは地下から出すなって話になってて、俺も逆らえないんだよな」

 馬場のやつか。
 つい舌打ちが漏れそうになったとき、遠くから足音が聞こえてきた。
 それに気付いた男ははっとする。

「一先ず、一回地下に戻ってもらっていいかな? そっちの方が近江屋君も安全だと思うし」

 どういう意味だと尋ねる暇もなく、再び俺は薄暗い地下へと押し戻された。



 男は徳永と名乗った。
 どうやら元々馬場と高野と一緒に来ていたらしい。そのわりには俺を高野を殺した犯人とは思っていない徳永に少し違和感を覚えた。

「取り敢えず、これ。流石に腹減るだろうと思って、管理人さんたちに頼んで近江屋君の分貰ってきたんだ。そしたら、いきなり地下の扉からすごい音が聞こえてびっくりしてさ」
「……アンタは馬場とは違うのか?」
「あー、馬場……あいつは高野のことになるとちょっと頭に血が昇りやすいからな。正直、他の人たちも皆本気であんたが殺したとは思ってないとは思うけど……」

 馬場の話題になった途端、どこか言いにくそうにする徳永。その表情から馬場がどう思われているのか察した。

「けど、皆不安なんだろうな。どこかに犯人がいるか分からない状況よりも、誰か一人それらしい人見つけて捕まえてた方が安心できる……近江屋君にこれ言うのって失礼なのかもしんねえけどさ」

 ごめんな?と悪びれなく徳永は笑った。
 ムカつくし、それじゃあなんの解決にもなんねーだろと言いたかったが、他の奴らは誰も馬場と揉めたくないのだろう。あいつ頭おかしいし、その気持ちは分からなくもない。

「電話も繋がんねえから一旦吹雪が止むまでの間だ。……近江屋君も、友達亡くしてショックだろうけど多分、上よりもここの方が安全だろうし」
「……んなこと言われても、このままじっとしてろって言うのかよ」
「分かるよ近江屋君の気持ちも。けど、上は上でちょっとごたついててさ」
「ごたつく?」
「あー、いや。気にしないで。取り敢えずまあ、二人も死人出てるし警察もレスキューも助けも呼べない状況だろ? ピリピリしてるってかさ、皆怖がって引き篭もってる感じ」

 徳永は情けねえやつではあるけど、話はまだ通じるし俺のいない状況の話を聞けるのは助かった。
 そんな話をしてる内に少しは落ち着いてきたようだ。今度は腹がぎゅるると鳴り始めた。

「ああ、ごめん。腹減ったよな、はいこれ」

 そう徳永は思い出したようにサランラップに巻かれたおにぎりを俺に渡した。

「……一つだけか?」
「あー、ひとまずな。ごめん、本当は色々用意したかったんだけど突貫だったのとバレないようにするのがぎりぎりでさ」
「……まあ、いいけど」
「そか、よかった。今度は弁当箱にでも用意してもらうよう頼んでおくよ」

 そんなにこんなところに長居したくねえけど。
 思いながら俺はおにぎりを見た。そのあと、徳永の方を見る。

「食えねえ」
「あ、そうか。……待っててな、すぐ用意するから」

 言いたいことが伝わったらしい。慌てておにぎりの包を外した徳永はそのまま俺に食べさせてくれた。
 俺は目の前に差し出された米の塊にかじりつく。味気ないと思ったが、思ったよりも具がたくさん入ってるその爆弾おにぎりは美味かった。

「……っ、んぐ、……んまい」
「あ……は、そっか。あ、そうだ、水。水ももらってきたから」

「ペットボトルだけど、飲める?」と徳永に問いかけられ、頷く。
 先程からなにやら様子がおかしいが、そりゃ全裸の男に飯を食わせて平気なやつのが少ないか。なんて思いながら、俺は「飲ませろ」と徳永を見上げる。そして徳永の喉が鳴るのを聞いた。

「ん、……わ、わかった」

 なんだその反応は。思いながら、一旦おにぎりを飲み込んだ俺はそのまま口を開いた。

 久古以外の人に物を食わせてもらう経験はなかったのでなんだか違和感はあったが、それでも床直置きにされた飯を食うよりかはましだ。
 思いの外腹に溜まり満足してると、徳永の手が頬に触れて驚いた。

「あ、いや、ごめん。ついてたから」

 ご飯粒、と慌てて堪える徳永に「あっそ」とだけ答えた。

「お前、兄弟いるのか?」
「え? なんで?」
「……面倒見がいいから」

 久古もそうだ。大体俺のこと鬱陶しがらないやつは兄弟がいて兄貴だったり姉貴だったりする。
 勘で尋ねたがどうやら当たりだったらしい。そうだよ、と徳永は応えた。

「小学生と中学生の妹がいる」
「へー、そりゃお兄ちゃんなわけだ」
「……確かに言われてみたら」
「あ? なにが?」
「近江屋君、俺の妹に似てるんだよ。中学生の方の……」
「それ、俺がガキ臭いってことか?」
「いや、ちが、えーっと、その、放っておけない感じが……ってことで」

 どういうことだよ。
 ムカついたが、そのお陰で手を貸してくれるんならまだマシか。

 そんなやり取りをしてる内にクソデカおにぎりも食い終わる。腹は満たされたが、やはり服が着れないのは不便だった。
 肌寒さにくしゃみをすれば、徳永は「ああ、流石に風邪引くよな」と呟く。

「衛生的にも問題あるし、下着くらい着させてあげたいんだけどな」
「あと暖房とふかふかの毛布もくれ。あったけえお茶も」
「よ、欲が深いな……」

「けど、そうだな。馬場も君を殺したいわけじゃないと思うし、なんとか聞いてみるよ。一時的に拘束外してまた拘束し直すとかだったら……もしかしたら許してもらえるかもしれないし」微妙な言葉の間が引っかかったが、俺としてもそうしてもらいたいくらいだ。
 というか馬場の野郎の許可なんていらねえだろと言いたかったが、ヘタレには難しいのかもしれない。おう、とだけ応え、俺はそのまま横になる。

「あ……それじゃあ、また頃合い見て様子見に来るから」
「ん……気をつけろよ、あんたも」
「ああ、ありがとう。近江屋君」

 別に馴れ合いたいわけではないが、こういう状況で味方になってくれる人間の存在は思いの外俺のメンタルに影響を与えてくれたようだ。

 ……久古、仲良くってこれであってんのかな。
 今ここにはいない男のことを考えながら、そのままごろりと硬い床の上、服を下敷きにして寝転がった。

 ……久古。

 色々あって疲れていたようだ。一旦は徳永がまた来てくれるのを待つか。
 そう、俺は目を閉じた。


 それからどれほど経ったのだろうか。
 遠く、地上から扉の開く音で目が覚める。
 やってきたのは徳永だった。腕に毛布と敷布団一式抱えた徳永は「近江屋君、布団もらってきたよ」と嬉しそうに笑いかけてきた。

「……枕もあんのか」
「ああ、いいだろ? これ。ほら、すぐセットするからここで寝たらいいい」

 すぐ目の前に敷かれる布団に転がる。ふかふかだ。じいちゃんちの匂いもする。そのまま這いずって布団に潜る俺に「良かったな」と徳永は笑った。

「なあ、馬場が良いって言ったのか?」
「良いっていうか、どうでもよさそうな感じだったからさ。布団用意してやるからってだけ伝えてはいるから怒らないと思うけど」

 どうだかな、と思った。
 あの男の性格からして何を考えてるかわからないが、少なからず快く思っていないだろうということは分かる。
 しかし徳永は気にしてないようだ。「それよりさ」と布団と一緒に運んできた袋を取り出した。

「これ、パジャマ代わりになるかなって管理人さんたちから借りてきたんだ」

 そう取り出したのは浴衣だ。
 それから……。

「一応、拘束外さなくても履けそうな換えの下着もあるけど……」
「って、それ……」

 言いながらごそりと取り出した未開封のそれを見てぎょっとする。――おむつじゃねえか。

「っ、ざけんな! 俺にそれ履けって言うのかよ……っ!」
「あーわかった、悪かった。多分そう言うだろうなとは思ってた! けどほら、一応選択肢はある方がいいだろ?」
「……っ、そんなん履くくらいならこのままのがマシだっての。……その浴衣はありがたくもらってやるけどよ」
「あ、よかった……近江屋君、体格いいからあまりサイズ関係ないのがいいなと思ってさ」

 しゅんとしたと思えば今度は安心したように笑いながら徳永は浴衣を俺の肩に羽織ってくれる。

「……一応、帯もあるけど」

 袖も通さねえで帯だけ回すのってなんだと思ったが、まあずっとチンコ丸出しよりかはましか。「それ、つけてくれ」と背後に回る徳永を見上げれば「わかった」と徳永は頷いた。

 それから、徳永に身体を支えられるようにして立ち上がる。管理人のじいさんばあさんには浴衣駄目にして悪かったって謝らねえとな、と思いながら腰巻きのように下半身を覆い隠す浴衣にようやく謎の心細さから開放された。
 腰に回される徳永の腕だけが俺の視界には入る。背後に立つ徳永の距離の近さが気になったが、馬場のせいで神経質になってるだけだろう。

「あの、近江屋君」
「あ? ……耳元で喋んじゃねえよ」
「ごめん……あのさ、気になってたことがあるんだけど」

 気になってたこと?
 首を傾け、思ったよりも少し高い位置にある徳永の顔を見上げれば、徳永と目があった。

「んだよ」
「その身体の怪我って、馬場にやられたのか」

 指摘され、つられて自分の身体に目を向ける。
 生傷やアザは先程階段から落ちたものが大半だ。それでも、馬場の野郎に殴られたときの怪我もあるのも事実だ。
 言われて改めてみたら、ひでー体だな。
 徳永にこんなもん見せてたのかと思うと少しばつが悪くなる。一応、俺にも罪悪感というものはあるのだ。

「まあ、そんなものだ」
「……ふーん」
「……っおい、帯、苦しい。ゆるくでいい、外れなかったらそれくらいでいいから」
「あ、悪い」

 器用に帯を結ぶ徳永。縛られているおかげで格好はつかないが、丸腰よりかはましだろう。おかげで肩にかかっていた浴衣はすぐに落ちてしまい、上半身は寒いままだが。
 着付けと言うにはあまりにも雑なものだが、それでも着替えを手伝ってくれた徳永に改めて礼を言ってやろうとしたときだった。

「徳永、――」

 ありがとな、と言いかけたときだった。徳永の掌にそのまま胸を鷲掴みにされ、息を飲む。胸を覆う筋肉に徳永の指が埋まり、喉が震えた。
 そしてすぐ、怒りは頭まで昇ってくる。

「なに、やってんだテメェ……」
「っわ、ご、ごめんっ! つい……っ!」
「ついってなんだよ」
「鍛えてるんだなってずっと気になってて……あっ、近江屋君……っ!」

 慌てて徳永から離れた俺は、そのまま徳永に背中を向け、座り込んだ。腕は後ろ手に縛られたままなのでこうすることしか防御できないのだ。

「っ、だからって勝手に揉むやつがいるかよ、普通! 俺が女だったらお前なんか速攻訴えてたからな!」
「わ、わかった、悪かったってば……ほんの出来心で……」
「……」
「近江屋君……」
「……うるせえ、飯置いて帰れよ。今日はもうお前とは話してやんねえ」
「あ、明日はいいんだ?」
「……飯、持ってくるなら考えてやる」

 そう答えれば、「わかった、わかったから怒らないで」と頭を撫でられそうになり、慌てて逃げた。そんな俺に申し訳なさそうに徳永は「ごめんな」とだけ言って、そのまま地下を出ていった。

 俺は暫くそのまま動けなかった。

 俺の身体に触れていいのは久古だけなのに、しかもついってなんだよ。ヘタレのくせに胸揉むやつがいるかよ。
 言いたいことは色々あったが、そもそも別にあいつは俺と久古のことも知らないのか。なら本当に胸筋触りたかっただけか?それにしてもだろ。
 憤りながら布団に転がった俺は、じんじんと胸に残った指の感触に息を吐いた。
 久古のおかげで胸だけはどうしても弱かった。 少し乳首掠めただけで痛いほど尖り始めたそこを見て、深く息を吐く。
 興奮してる場合じゃねえのに、クソ。
 心を無にするように、必死に布団に包まり目を瞑る。抱き枕ように足の間に挟んだ布団に腰を擦りつけたくなったが、浴衣どころか布団まで汚してしまっては流石に面目が立たない。
 俺は実家の母親の顔を思い出し、必死に熱を抑えることにした。
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