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志摩×齋藤
夏の志摩×齋藤①
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七月下旬。
学園は長期夏季休暇に入り、普段寮生活の生徒たちも大半が実家に帰省したり旅行に行ったりと、学園内は珍しく閑散としていた。
そして、別段実家に帰る予定もなければ旅行の予定もない俺は同様学園に残っていた志摩と課題を済ませるために志摩の部屋に来ていた。
志摩のルームメイトである十勝も実家に帰省しているらしく、志摩は実質一人部屋生活を満喫しているようだ。
いつものようにクーラーの効いた部屋で他愛ない会話を交えつつ、俺と志摩は机を挟んで向かい合っていた。
「齋藤、海行かない?」
「海……?」
「そう、海だよ海。どうせ齋藤も夏休みの間帰省もしないんでしょ?ここも色々あるけど、やっぱり夏なんだから海に行かないと」
不意に、思い出したように提案する志摩は完全に課題に飽きているようだ。指でペンを回しながら、そう机に乗り出してくる。
海、という単語に無条件に胸をときめいてしまうのだから自然の力はすごいと思う。
志摩と海……。
昔から、夏休みに友達と海に行って遊んだという日焼けした同級生たちの話を聞いては密かに憧れていたこともあった。
最後に海に行ったのはいつだろうか、もうだいぶ昔……それも両親たちに連れられて親戚のプライベートビーチに付き合いで付いて行ったくらいか。
「けど、俺……水着とか持ってないよ?」
「そんなの、いつでも買いに行けるでしょ。なんなら今から行く?俺も付き合うよ」
「い、今から?!」
思わず声が裏返ってしまう。
俺の反応が癪に障ったようだ、少しだけ勘繰るような目をした志摩は「何か用事あるの?」と首を傾げる。
「べ、別にないけど……」
流石にアグレッシブ過ぎるというか……。
というか、課題はどうするんだ。
「それじゃあ決まりだね。じゃあ俺、外出届申請してくるよ」
「あっ、し、志摩……」
課題は、と言い掛けたところで言葉を飲み込んだ。
楽しそうな志摩を見るのは、嫌いではなかったし……寧ろずっと上機嫌のままでいてほしいというのも本心だった。
まあ、せっかく誘ってもらえたところに水を差すような真似はやめておくか。
俺は課題のノートを閉じ、さっさと自室から出ていく志摩の後を追いかけた。
◆ ◆ ◆
その日は結局志摩に付き合ってもらって、俺の水着を選んでもらうことになった。
学生寮付属のスポーツショップで選べばいいのではないかとも提案したのだが、「本気で言ってるの?」と志摩に呆れられ、渋々外出する形にはなる。
幸い、学園近くの複合型施設にメンズものの水着の特設コーナーが設けられていたので探す手間も省けたのだが……まさか俺は水着一着選ぶのにここまで時間がかかるとは思わなかった。
昼過ぎに出掛け、寮へと帰ってきたときはもうすっかり夜になっていた。
俺は正直どれでも良かったのだけれど、志摩が「あれはだめだ」「これも色が齋藤向けではない」とか言って色んなものを宛てがってくるのですごい時間かかった気がする。
結局全部志摩に任せきりだったが、案外ちゃんとオレの好みを把握して選んでくれた志摩に驚いた。
ついでに志摩も「齋藤の選んでたら俺も新しい水着欲しくなっちゃったな」とかいい出して、黒地に紫の柄の派手な水着を選んでいた。あの総柄は俺ならば一生履く機会はないだろう……。
というわけで、その日は真っ直ぐ帰宅した俺達は明日海に行こうと約束をして大人しく自室へと戻った。
明日は忙しくなるだろうから早く寝ようと思ったのだが、寝る前の時間に阿佐美から少しパソコンを借りて『海 泳ぎ方』『魚 危ない』などを検索していたらなかなかやめ時が見失い、結局あまり寝れなかった。
そして翌日。
少し早めに起きて準備を済ませた俺は、待ち合わせ時間通りに待ち合わせ場所のラウンジで志摩を待っていた。
志摩は少ない荷物を手に俺の前へと現れる。
「おはよう齋藤……って、すごい隈だね。もしかして寝不足?」
……何か言われるかもしれない。
そうは思っていたが、流石敏い志摩は一目で俺の寝不足に気づいたらしい。
誤魔化すのも変な話だ、俺は素直に白状することにする。
「うん……実はちょっと色々調べものしてて……ほら、海って危険も多いらしいし」
溺れない方法とか、触っちゃいけない海洋生物とかそういうものを調べていたつもりがどんどん脱線していってしまった、というのは伏せておくことにした。
「齋藤って変なところで凝り性というか。そんなに気を張り詰めるような場所でもないと思うんだけど。……まあ齋藤らしいっちゃ齋藤らしいよね」
なんでちゃんと休めって言ったのに休まなかったんだって怒られるかな、と思ったが志摩の反応は俺の想像とは反対だった。
「そんなこと気にしたこともなかった」と寧ろ呆れたように、それでもそう笑う志摩の声は柔らかくて、あ、これはいいんだ……と思いつつ俺は少し恥ずかしくなる。
「そろそろ行こうか。そうだ、お腹は減ってる?まだ大丈夫そうなら出先で適当に食べようかと思ったんだけど」
「あ……俺は大丈夫だよ」
「じゃあ決まりね」
そして、他愛ない会話を交え、俺達は学生寮を出た。
授業のない休みの日だ、朝早くから行動してる生徒は早々いない。
なんか、レアというか……この空気、嫌いじゃないな。思いながら志摩の横を歩く。
今日は電車でいくつかの駅を通り、志摩曰く絶対に知り合いには会わないだろうという穴場の海へと向かう予定だった。
電車は朝にも関わらず人は多い。慣れない交通機関に戸惑ったが、志摩が着いていてくれたおかげでなんとか無事電車へ乗り込むことはできた。
そして、人混みにゆすられること暫く。
目的地の駅で降りれば、正面にはすぐ海が広がっていた。
「う……海だ……」
朝早くにも関わらず、既に先客の姿があった。
サーフィンに着ている者や、遊びに来ている者、様々だがそれでもそれよりも目の前に広がる海に思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
我ながらアホみたいな第一声だと思うが許してほしい。
「そうだね、海だよ」と笑う志摩の眼差しが生暖かくてなんとも言えない気持ちになる。
「この辺の近所の人のみぞ知る穴場……だったんだけど、やっぱりこの時期になると人は多いみたいだね」
確かに夏だから仕方ないといえば仕方ないのだが……それでも人気の海に比べればまだごった返してはないので幾分マシに思える。
正午に近づくにつれ、太陽の陽射しは強まっていた。混む前にさっさと着替えてこようということになり、俺達は海の家の更衣室を借りることにした。
そして数分。
もたもたしながらもようやく水着へと着替えたはいいが、時間が掛かりすぎてしまった。薄手のパーカーを羽織り、忘れ物がないかの確認をして更衣室を出れば既に着替えた志摩が入口横で待っていた。
ちゃんと昨日買った水着を履いてきたようだ、様になっているのが逆にすごい。
「志摩」と声を掛ければ、携帯を弄っていた志摩はそれを仕舞い、振り返る。
「ごめん遅くなって……」
「いいよ。……それよりも、何それ?」
「え?」
それ、と俺の上半身を指差す志摩。つられて目を向ける。
……どうやら上半身裸で人目に出ることが照れくさくて羽織ったパーカーのことを言っているようだ。
「それ暑くないの?」
「夏用だから涼しいけど……だ、駄目だった……?」
「……まあ……この場合は変に露出するよりは逆にいいのかな」
どうやら志摩はこのパーカーが気に入らなかったらしい。
不服そうではあるが、一人でなにやらブツブツと口にしては納得してる。
男子校の水泳の授業とはまた違うこの状況、女の人もいる前で脱ぐのにはやはり勇気が必要だった。
志摩は気にしてないようだが、そういうところは羨ましいと思う。
「それじゃ、泳ぐ前に海の家で軽く食べとく?」
「うん、そうだね」
海の家。名前ばかりは知っていたが、実際に訪れることになるとは思わなかった。
更衣室の横、イメージとは少し違うお洒落なお店が佇んでいた。そこにはもう既に水着姿の人間が集まっていた。
……なんか今更緊張してきた。
俺一人だけだったらあの中に入っていくことも難しいだろう。
なんて、高鳴る胸を落ち着かせようと手を握り締めた矢先だった。伸びてきた志摩の手に手首を取られる。
「それじゃ、行こうか」
驚いて顔を上げれば、志摩はいつもと変わらない笑顔を浮かべてみせる。ごく自然な動作で掌を合わせるように握り締められ、「あの」と声が変に上ずった。
「あ、志摩……」
「なに?どうかした?」
「志摩、手……手が……」
「だって手繋がないとすぐ齋藤迷子になるでしょ?」
だから、と指を絡めてくる志摩に指の谷間をすりすりと撫でられぎょっとする。くすぐったい。とかの問題ではない。
「そ、そんなこと……」
「あるよ。それとも、俺と手を繋ぐの嫌?」
「嫌とかじゃなくて……その、なんか目立ってる気が……」
少なくとも無人ではない今、こうして手を繋いでる人間はカップルと親子連れくらいしかないはずだ。
「皆自分たちのことで精一杯だから周りなんていちいち気にしないよ。それに、俺は別に気にならないけどね」
俺は気になるんだけど……。
言い返したいところだが、そんなこと言えば志摩が怒るのが目に浮かぶ。
けれど、流石にこれは。と一人狼狽えていると、やれやれと言わんばかりに志摩は肩を竦める。
「でも、齋藤が嫌だって言うなら……こっちきて」
「……?……っ、わ」
腕を引かれたかと思いきや、肩を掴まれ隣へと抱き寄せられる。
「手は離しておくけど……俺の視界から勝手にいなくならないでよね」
顔を上げればすぐそこには志摩の顔があって、ぎょっとする。まるで子供に対するそれのような過保護な志摩の発言に余計恥ずかしくなってきて、俺は慌てて志摩から顔を反らした。
「わ、わかった……わかったから……その……っ」
「本当に?……齋藤すーぐちょろちょろするから心配なんだよね。……それに、これから人はどんどん増えていくからね。人が多いってことはそれほど面倒の数も多いってことだよ」
「……面倒?」
「変なのに絡まれたりね」
「まあ、俺がいるからそんなことはさせないけど」そう、志摩は口元に薄く笑みを浮かべた。その目は笑っていない。
志摩は変なところで心配し過ぎだと思うのだが、俺が日和ってるのだろうか。海に対して確かに人が沢山ですごいなと思うことはあったが、凶悪事件が起こってるようには思えない。
……海初心者の俺は素直に志摩に従っておくべきなのだろうが。
学園は長期夏季休暇に入り、普段寮生活の生徒たちも大半が実家に帰省したり旅行に行ったりと、学園内は珍しく閑散としていた。
そして、別段実家に帰る予定もなければ旅行の予定もない俺は同様学園に残っていた志摩と課題を済ませるために志摩の部屋に来ていた。
志摩のルームメイトである十勝も実家に帰省しているらしく、志摩は実質一人部屋生活を満喫しているようだ。
いつものようにクーラーの効いた部屋で他愛ない会話を交えつつ、俺と志摩は机を挟んで向かい合っていた。
「齋藤、海行かない?」
「海……?」
「そう、海だよ海。どうせ齋藤も夏休みの間帰省もしないんでしょ?ここも色々あるけど、やっぱり夏なんだから海に行かないと」
不意に、思い出したように提案する志摩は完全に課題に飽きているようだ。指でペンを回しながら、そう机に乗り出してくる。
海、という単語に無条件に胸をときめいてしまうのだから自然の力はすごいと思う。
志摩と海……。
昔から、夏休みに友達と海に行って遊んだという日焼けした同級生たちの話を聞いては密かに憧れていたこともあった。
最後に海に行ったのはいつだろうか、もうだいぶ昔……それも両親たちに連れられて親戚のプライベートビーチに付き合いで付いて行ったくらいか。
「けど、俺……水着とか持ってないよ?」
「そんなの、いつでも買いに行けるでしょ。なんなら今から行く?俺も付き合うよ」
「い、今から?!」
思わず声が裏返ってしまう。
俺の反応が癪に障ったようだ、少しだけ勘繰るような目をした志摩は「何か用事あるの?」と首を傾げる。
「べ、別にないけど……」
流石にアグレッシブ過ぎるというか……。
というか、課題はどうするんだ。
「それじゃあ決まりだね。じゃあ俺、外出届申請してくるよ」
「あっ、し、志摩……」
課題は、と言い掛けたところで言葉を飲み込んだ。
楽しそうな志摩を見るのは、嫌いではなかったし……寧ろずっと上機嫌のままでいてほしいというのも本心だった。
まあ、せっかく誘ってもらえたところに水を差すような真似はやめておくか。
俺は課題のノートを閉じ、さっさと自室から出ていく志摩の後を追いかけた。
◆ ◆ ◆
その日は結局志摩に付き合ってもらって、俺の水着を選んでもらうことになった。
学生寮付属のスポーツショップで選べばいいのではないかとも提案したのだが、「本気で言ってるの?」と志摩に呆れられ、渋々外出する形にはなる。
幸い、学園近くの複合型施設にメンズものの水着の特設コーナーが設けられていたので探す手間も省けたのだが……まさか俺は水着一着選ぶのにここまで時間がかかるとは思わなかった。
昼過ぎに出掛け、寮へと帰ってきたときはもうすっかり夜になっていた。
俺は正直どれでも良かったのだけれど、志摩が「あれはだめだ」「これも色が齋藤向けではない」とか言って色んなものを宛てがってくるのですごい時間かかった気がする。
結局全部志摩に任せきりだったが、案外ちゃんとオレの好みを把握して選んでくれた志摩に驚いた。
ついでに志摩も「齋藤の選んでたら俺も新しい水着欲しくなっちゃったな」とかいい出して、黒地に紫の柄の派手な水着を選んでいた。あの総柄は俺ならば一生履く機会はないだろう……。
というわけで、その日は真っ直ぐ帰宅した俺達は明日海に行こうと約束をして大人しく自室へと戻った。
明日は忙しくなるだろうから早く寝ようと思ったのだが、寝る前の時間に阿佐美から少しパソコンを借りて『海 泳ぎ方』『魚 危ない』などを検索していたらなかなかやめ時が見失い、結局あまり寝れなかった。
そして翌日。
少し早めに起きて準備を済ませた俺は、待ち合わせ時間通りに待ち合わせ場所のラウンジで志摩を待っていた。
志摩は少ない荷物を手に俺の前へと現れる。
「おはよう齋藤……って、すごい隈だね。もしかして寝不足?」
……何か言われるかもしれない。
そうは思っていたが、流石敏い志摩は一目で俺の寝不足に気づいたらしい。
誤魔化すのも変な話だ、俺は素直に白状することにする。
「うん……実はちょっと色々調べものしてて……ほら、海って危険も多いらしいし」
溺れない方法とか、触っちゃいけない海洋生物とかそういうものを調べていたつもりがどんどん脱線していってしまった、というのは伏せておくことにした。
「齋藤って変なところで凝り性というか。そんなに気を張り詰めるような場所でもないと思うんだけど。……まあ齋藤らしいっちゃ齋藤らしいよね」
なんでちゃんと休めって言ったのに休まなかったんだって怒られるかな、と思ったが志摩の反応は俺の想像とは反対だった。
「そんなこと気にしたこともなかった」と寧ろ呆れたように、それでもそう笑う志摩の声は柔らかくて、あ、これはいいんだ……と思いつつ俺は少し恥ずかしくなる。
「そろそろ行こうか。そうだ、お腹は減ってる?まだ大丈夫そうなら出先で適当に食べようかと思ったんだけど」
「あ……俺は大丈夫だよ」
「じゃあ決まりね」
そして、他愛ない会話を交え、俺達は学生寮を出た。
授業のない休みの日だ、朝早くから行動してる生徒は早々いない。
なんか、レアというか……この空気、嫌いじゃないな。思いながら志摩の横を歩く。
今日は電車でいくつかの駅を通り、志摩曰く絶対に知り合いには会わないだろうという穴場の海へと向かう予定だった。
電車は朝にも関わらず人は多い。慣れない交通機関に戸惑ったが、志摩が着いていてくれたおかげでなんとか無事電車へ乗り込むことはできた。
そして、人混みにゆすられること暫く。
目的地の駅で降りれば、正面にはすぐ海が広がっていた。
「う……海だ……」
朝早くにも関わらず、既に先客の姿があった。
サーフィンに着ている者や、遊びに来ている者、様々だがそれでもそれよりも目の前に広がる海に思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
我ながらアホみたいな第一声だと思うが許してほしい。
「そうだね、海だよ」と笑う志摩の眼差しが生暖かくてなんとも言えない気持ちになる。
「この辺の近所の人のみぞ知る穴場……だったんだけど、やっぱりこの時期になると人は多いみたいだね」
確かに夏だから仕方ないといえば仕方ないのだが……それでも人気の海に比べればまだごった返してはないので幾分マシに思える。
正午に近づくにつれ、太陽の陽射しは強まっていた。混む前にさっさと着替えてこようということになり、俺達は海の家の更衣室を借りることにした。
そして数分。
もたもたしながらもようやく水着へと着替えたはいいが、時間が掛かりすぎてしまった。薄手のパーカーを羽織り、忘れ物がないかの確認をして更衣室を出れば既に着替えた志摩が入口横で待っていた。
ちゃんと昨日買った水着を履いてきたようだ、様になっているのが逆にすごい。
「志摩」と声を掛ければ、携帯を弄っていた志摩はそれを仕舞い、振り返る。
「ごめん遅くなって……」
「いいよ。……それよりも、何それ?」
「え?」
それ、と俺の上半身を指差す志摩。つられて目を向ける。
……どうやら上半身裸で人目に出ることが照れくさくて羽織ったパーカーのことを言っているようだ。
「それ暑くないの?」
「夏用だから涼しいけど……だ、駄目だった……?」
「……まあ……この場合は変に露出するよりは逆にいいのかな」
どうやら志摩はこのパーカーが気に入らなかったらしい。
不服そうではあるが、一人でなにやらブツブツと口にしては納得してる。
男子校の水泳の授業とはまた違うこの状況、女の人もいる前で脱ぐのにはやはり勇気が必要だった。
志摩は気にしてないようだが、そういうところは羨ましいと思う。
「それじゃ、泳ぐ前に海の家で軽く食べとく?」
「うん、そうだね」
海の家。名前ばかりは知っていたが、実際に訪れることになるとは思わなかった。
更衣室の横、イメージとは少し違うお洒落なお店が佇んでいた。そこにはもう既に水着姿の人間が集まっていた。
……なんか今更緊張してきた。
俺一人だけだったらあの中に入っていくことも難しいだろう。
なんて、高鳴る胸を落ち着かせようと手を握り締めた矢先だった。伸びてきた志摩の手に手首を取られる。
「それじゃ、行こうか」
驚いて顔を上げれば、志摩はいつもと変わらない笑顔を浮かべてみせる。ごく自然な動作で掌を合わせるように握り締められ、「あの」と声が変に上ずった。
「あ、志摩……」
「なに?どうかした?」
「志摩、手……手が……」
「だって手繋がないとすぐ齋藤迷子になるでしょ?」
だから、と指を絡めてくる志摩に指の谷間をすりすりと撫でられぎょっとする。くすぐったい。とかの問題ではない。
「そ、そんなこと……」
「あるよ。それとも、俺と手を繋ぐの嫌?」
「嫌とかじゃなくて……その、なんか目立ってる気が……」
少なくとも無人ではない今、こうして手を繋いでる人間はカップルと親子連れくらいしかないはずだ。
「皆自分たちのことで精一杯だから周りなんていちいち気にしないよ。それに、俺は別に気にならないけどね」
俺は気になるんだけど……。
言い返したいところだが、そんなこと言えば志摩が怒るのが目に浮かぶ。
けれど、流石にこれは。と一人狼狽えていると、やれやれと言わんばかりに志摩は肩を竦める。
「でも、齋藤が嫌だって言うなら……こっちきて」
「……?……っ、わ」
腕を引かれたかと思いきや、肩を掴まれ隣へと抱き寄せられる。
「手は離しておくけど……俺の視界から勝手にいなくならないでよね」
顔を上げればすぐそこには志摩の顔があって、ぎょっとする。まるで子供に対するそれのような過保護な志摩の発言に余計恥ずかしくなってきて、俺は慌てて志摩から顔を反らした。
「わ、わかった……わかったから……その……っ」
「本当に?……齋藤すーぐちょろちょろするから心配なんだよね。……それに、これから人はどんどん増えていくからね。人が多いってことはそれほど面倒の数も多いってことだよ」
「……面倒?」
「変なのに絡まれたりね」
「まあ、俺がいるからそんなことはさせないけど」そう、志摩は口元に薄く笑みを浮かべた。その目は笑っていない。
志摩は変なところで心配し過ぎだと思うのだが、俺が日和ってるのだろうか。海に対して確かに人が沢山ですごいなと思うことはあったが、凶悪事件が起こってるようには思えない。
……海初心者の俺は素直に志摩に従っておくべきなのだろうが。
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