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第五章『図書室ではお静かに』
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歴史書を抱え、カウンターへと戻ってきた俺達。
カウンターには周子しかいなかった。
「あれえ~? 委員長一人ぃ?」
「あ、ああ……進藤君は『なんか面白そうなもんないか他のところも見てみる』といって、さっき君たちが行ってた逆の方向……あっち側に行ってたよ」
そう周子が指し示すのは学習室の方だ。
この図書室には物好きなやつら専用の個室がある。テスト前になるとそこに本を持ち込んで勉強する連中もいるが、俺は一度も使用したことはなかった。
そもそも勉強なら家に帰ってやればいいのにここでまでやる理由が分からない。まあそんなことは今はどうだっていい。
「……おい、あいつは?」
進藤は分かったが、もう一人いるべき人間の姿がない。尋ねれば、周子は少し困ったように眉尻を下げる。
「一応、僕は止めたんだよ? 止めたけど……」
「なにがだよ、先に言え」
「……さっき、図書室を出ていったよ」
「…………」
口の中で思わず舌打ちが漏れた。
あれほど勝手な真似をするなと言ってたのに。
「けどまあ、すぐに戻ってくるんじゃないかな。彼も具合はあんまよくないだろうから……ほら、それにここは空気悪いし」
「どこに行くかは言ってたのか?」
「……い、いや。声をかけても何も答えてくれなくて」
「追いかけようかとも思ったけど、流石に僕までいなくなったら君たちが驚くかなと思ってさ」言いながらも自分のしたことに気付いたのだろう、ごめん、と周子は項垂れる。
「んぁ? なに~? もしかしてあのナメクジ君逃げ出したのぉ?」
「ま……まだ逃げ出したとは決まってないだろう」
「どうかなぁ? 図書室に来てからあいつ、なんだか様子おかしかったからねえ?」
「ねえ、宰ぁ」と含んだような視線投げかけてくる木賀島に「うるせえ」と吐き捨てれば、木賀島はより楽しげに笑うのだ。
「ねえ宰、今度は追いかけなくていいのぉ? あいつのケツ。いっぱいよしよししてリード引っ張ってあげなきゃ~」
「……知らねえよ、あんなやつ」
「ありゃ、もしかして宰……アレと喧嘩したの?」
「……ッ」
何も知らないやつに“喧嘩”の一言で済ませられること自体が癪だった。答えるのもバカバカしくなって、俺は木賀島を睨む。
「あは、図星だ」
「だったらなんだよ、お前があいつの飼い主にでもなるつもりか? 勝手にしたらいいだろ」
「そこまで言ってないし、宰ってば飛躍しすぎ。めっちゃ堪えてんじゃん~」
「……ッ、クソが」
ムカついて側にあった椅子を蹴り倒せば、「ちょっと、二人とも落ち着いて!」と周子のやつにいきなり羽交い締めにされる。
「離せ周子、俺は落ち着いてるッ」
「嘘だろ、ほら、どうしたんだよ一体……木賀島君も、右代君を挑発するのはやめなよ」
「いいんちょ~お母さんみたいだねえ、ママじゃん、ママ」
「木賀島君……ッ!」
周子に咎められた木賀島はヘラヘラと笑っていたがそれも飽きたようだ。「ま、いーや」とそのまま踵を返す。
「俺も篤紀んところ行ってこよ~。あ、日記のやつルイルイ報告よろしくねえ」
あいつ、言いたいことだけ言い残して逃げやがった。
手を振り、カウンターから出た木賀島はそのまま学習室の方へと向かって歩いていく。
木賀島の背中もあっという間に本棚に遮られ、見えなくなった。それを確認して、周子は「ふう」と安心したように息を吐く。それからようやく俺を止めていた腕を離した。
「ッ、お前……」
「……右代君、気が立ってるのは分かるよ。僕も、……悪かった。ちゃんと先に報告しにいくべきだった」
「………………」
文句の一つや二つくらい言ってやるつもりだったが、出鼻を挫かれる。
なんなんだよ、これでは俺が一人駄々捏ねているみたいではないか。
ムカついたが、それを発散させることもできない。俺は肺に溜まった空気を吐き出し、一先ず呼吸を整える。怒りが冷めることはないが、こいつに言ったところで意味はないのだ。
――あいつに直接言わなければ。
「……いや、いい。あいつのことは放っておけ」
「右代君……」
「それより、報告したいことがある」
篠山、と篠山に目配せをすれば篠山は頷いた。
そして、俺たちは周子を連れて先程の歴史書コーナーへと戻ってきていた。
『2月3日、雪。人を殺した。』――本棚の背面、日記に書かれた文字と同じ筆跡で書かれた一文を見た周子は俺たちを振り返る。
ここは私語厳禁だ、またもう一度カウンターへ戻るぞと促せば、周子は頷いた。
そして再びカウンターへと戻ってくれば、まだ誰も戻ってきていないようだ。カウンターは無人だった。
「右代君、篠山君、あれは一体……」
「周子。……お前は二月三日、なにか覚えてないか?」
「それは……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。……二月、確か冬の日――卒業間近に全校集会が開かれたのを覚えてないか?」
そう尋ねれば、周子の肩が微かに震えた。周子だけではない、篠山もこちらを見てる。
「右代宰――君は心当たりがあるのですか」
「……正直、わかんねえ。思い出そうとするけどあやふやなんだよ、でも確かにあの時期……何かがあった気がする。篠山、お前は心当たりはないのか。二月三日に」
「………………」
篠山は押し黙る。思い出そうとしてるのかその表情からは読み取れないが、他のやつらに聞けば流石に何か出てくるのではないかと思った。
特に、周子は。参加すらしたことなかった俺とは違い、こいつはちゃんと全校集会に出てたはずだから。
そう視線を向ければ、目を見開いたまま固まった周子の額に無数の汗が滲んでるのを見てぎょっとする。
「……周子?」
「――あ、あぁ、悪い。ごめん、その……僕……ッ」
言い掛けて、周子は頭を手で抑えた。
「……っ、わ、分からない」
「……お前、それが分からないってやつの反応かよ」
「違うんだ、なにか、思い出そうとしたら――吐き気が、っ」
して、と周子が続けるよりも先に篠山が気付いたようだ。カウンター裏に設置されていたゴミ箱を手に取り、そのまま周子に手渡した。篠山から受け取るよりも先、ぎりぎりのところで決壊したらしい。「う゛ぉ゛えッ」とそのままゴミ箱に嘔吐する周子に俺は天井を見上げた。ビチャビチャと吐瀉物が落ちる音を聞きながら、俺は少し考える。
「篠山、お前はなにか覚えてないのか。全校集会のこととか」
「……覚えてないです。けど、周子宗平の反応からしてなにかあるのは間違いないでしょう」
ぜえぜえと肩で息をする周子は、そのままハンカチで口元を拭い「ごめん、篠山君」と青い顔で謝る。篠山は特に嫌がるわけでもなく「いえ」とだけ答え、そのままゲロ入のゴミ箱をその辺に置いた。
「おい、そこに置くなよ」
「ぼ、僕が後で片付けるから……っげほ、えと……そうだね、さっきの話の続きだけど……右代君は平気だったの?」
「確かに頭は痛くなった。けど、ゲロ吐くまでじゃなかったな」
「う」と押し黙る周子。ゲロ吐くまでではないものの、思い出そうとすると脳が拒否する感覚は確かにあるのだ。
「やはり、なにかありそうですね」
「……お前もそう思うか?」
「後で残りの三人でも試してみて、全員同じような反応が出たらクロでしょう」
――何者かによって意図的に記憶を忘れさせられている可能性がある。
それがなんの手がかりになるかは分からないが、だとしたらわざわざそれを思い出させようとするこの図書室の仕組み自体にも違和感を覚えた。
現時点では推測でしかない、けれどもしかしたら俺たちが思ってるほど厄介なのではないか。
まあ、こんな悪趣味な思い出させ方をするやつが厄介ではないはずなんてないのだろうが。
吐瀉物入りゴミ箱の片付けてくるという周子が図書室へと出ていく。ついでに陽太のやつの様子も見てくると言っていたが、多分そっちは無理だろうなと思った。
異臭の残ったカウンター内、周子と入れ違いになるように進藤が戻ってきた。
「お、お前ら戻ってきたんだな……ってなんか臭くね? こんな臭かった?」
「ああ、周子だそれ」
「周子? 周子漏らしたのか?」
「上からな」
まあ間違いではないなと進藤に応えれば、「なんかあったのか?」と進藤は不思議そうな顔をする。
そのまま伝えようと思ったが、どうせ木賀島と陽太のやつにも同じ下りの説明をしなければならないとなると面倒だった。
「まあ色々だな。……木賀島のやつは?」
「あ、そうだった。なんかおもしれーもん見つけんだよな、こっち」
「は?」
――お前、なんでそっちを先に言わないんだ。
どう考えで周子のゲロよりも大事だろ。
「おもしれーもんってなんだよ、何があった?」
「お、いい食いつきじゃん。木賀島から連れてこいって言われたんだったわ、……ってそうだ。旭と周子もいねーのかよ」
「……色々あってな」
「色々ね。……どーする? 俺らだけで先行っとく?」
尋ねられ、首を横に振る。
「……一旦周子たち探してくる」
「右代が?」
「んだよ、文句あんのかよ」
「なんも言ってねえだろまだ。……なんだ? もしかしてなんか喧嘩したのか?」
「してねえよ」
「ふーん、ま、お前だったら旭のことも連れ戻せそうだしな。任せたよ」
なんか進藤の言葉に含みがあるようで腹立つが、この男のデリカシーのない言葉にいちいち突っかかってもキリがない。
「じゃあ、僕はここで万が一先に二人が戻ってきたときのために待っておきます」
「あ、そか。それ役いるのかよ。じゃ、俺は先に木賀島のとこ戻っとくわ」
「おい待て、進藤」
そそくさとカウンターから出ていこうとする進藤に声をかければ、進藤は「どした?」とこちらを振り返った。そして、そのまま俺は篠山の方を振り返る。
「……篠山、さっきのやつ進藤にも説明しといてくれ」
『さっきのやつ』で大体篠山にも伝わったようだ、篠山は「わかりました」と頷き返した。本当にこの男は物分りがよくて助かる。
多少の扱いづらさはあるが。
それから俺は二人と別れ、ゲロ臭い図書室を後にした。
陽太のやつがどこに行ってるのか知らないが、周子のやつのことだ。便所でご丁寧に嘔吐物の処理でもしてるのかもしれない。
――特別教室棟・二階。
静まり返った空間に自分の足音だけが反響した。
人の気配はないな。なんて思いながら辺りの気配を探っていたときだった。
不意に、通路の先にある科学室の方から扉の開け閉めする音が聞こえた。咄嗟に息を潜め、科学室の方を覗くが、通路にはなにもない。人の影すらも見当たらない。
――もしかしたら、飯の配給か?
こんなタイミングで、しかもよりによって一人のときに居合わせるなどと。
他のやつらを呼ぶ時間すらも惜しい。もしこの施設側の人間がいたとして、その後を着ければ脱出の手がかりを掴めるかもしれない。
そう思うと考える暇などなかった。壁伝いに足音を立てないようにそっと科学室へと近付く。扉の中では微かな物音が聞こえてきた。
……話し声は聞こえてこない。
「……」
ドクドクと騒ぎ出す心臓を無理やり落ち着かせ、俺は息を潜める。そして、音を立てないように数センチ、少しだけ扉を開こうとしたその矢先だった。いきなり目の前の扉がガラッと開かれ、思わず扉から後退った。
そして、目の前に聳えるのは壁――ではない。
「……ッ、陣屋?」
「………………なにしてんだ、お前」
――陣屋がそこには立っていた。
呆れたような、それでもさして驚いている様子はないのは元よりこいつの表情筋が死んでるからだろう。
「それはこっちのセリフだ。お前、なんでここに……」
「お前が言ったんだろ」
「は?」
「……科学室に飯があるって」
「……」
低く吐き捨てる陣屋。
確かにこいつと別れるとき、そんなことを言った覚えはあった。
けどまさか本当にいるなんて。
「お前一人か?」そう尋ねれば、「見てわからないのか」と陣屋はぶっきらぼうに答える。本当に一言一言ムカつくやつだ。
文句の一つや二つでも言ってやりたかったが、丁度いい。この男にも聞きたいことがあったのだ。
「……陣屋、お前に聞きたいことがある」
「また教えてちゃんか」
「違えよ、ここから脱出するのにも関係あることだ」
その言い方やめろ、と陣屋を睨めば、陣屋は小さく息を吐いた。
「……まあいい、お前だけならな」
どういう意味だ、それは。
そう尋ねるよりも先に、陣屋は「入れよ」と科学室の奥を顎でしゃくった。まるで自分の部屋かのような扱いが引っかかったが、無視して俺は「ああ」とだけ答えておくことにする。
――科学室、室内。
どうやら陣屋は本当に一人だったようだ。テーブル代わりの実験台の上には陣屋が平らげたばかりであろうざるそばの容器が置かれているだけだった。
そんな実験台を挟んで陣屋と向かい合うように座る俺。こうしてゆっくり陣屋と腰を据えて話すときが来るなんて、自分でも思いもよらなかった。
「それで、話ってなんだ」
「今、俺達は図書室を調べてる。恐らく、次の仕掛けがあるんなら図書室しかないと踏んでてな」
「それで、なにかあったのか」
厭味ったらしいこの男のことだ、てっきり「そんなこと少しでも頭使えばサルでもわかるだろ、いちいちそんな意味のない報告してくんじゃねえ」などと一蹴されるのではないかと思っていただけに、陣屋の方から聞いてくるのは少し予想外だった。
けれど、そこにあったものに対して同じ境遇のこいつに黙っておくのもおかしい。
「あった」とだけ結論を口にすれば、細められた双眸がじっとこちらを見据える。相変わらず、妙な圧のある男だと思った。
「言ってみろ」
何故そんなに上から目線なのか、ムカついたがこいつには何言ったって無駄だ。それに、俺ものんびりとこの男とお茶するためにここに来たのではない。俺はなるべく簡潔にまとめ、陣屋に図書室で見つけたものについて伝える。
そして、陣屋と話している最中もずっと木賀島の言っていた言葉が脳裏を支配していた。――この男は本物の木賀島なのかと。
俺は完全にこの男を信用しているわけではない。木賀島、あいつのやること成すことは無茶苦茶ではあるが、全てが間違っているとも思えばかった。
だから、全ての情報を伝えたわけではない。探せばこの男でも気が付くであろう事柄だけを掻い摘んで伝えることにした。篠山のプライベートな部分までは伝えていない。
俺の話を静かに聞いていた陣屋は俺が話し終えると「それで?」と静かに続ける。
「それで、そんなこと俺にべらべら喋ってよかったのか?」
「自分から聞いたんだろ」
「まあな。けど、あんたのお仲間たちは怒るんじゃないのか。自分勝手に単独行動するようなやつに無断で情報流しやがって、とか言ってな」
……この男は本当にどこまでが本気で冗談か分かりにくい。否、最初から全部本気なのかもしれないが。
「お前、俺達の会話をどっかから盗み聞きでもしてんのか」
「そんな無駄なことせずともお前らの会話なんて想定つく。言うとしたら……あいつか、木賀島のやつだな」
図星を刺されて思わず押し黙れば、陣屋は皮肉気な笑みを浮かべた。
「お前、嘘が吐けないタイプだろ」
「……うるせえよ、余計なお世話だ」
言い返せば、さして悪びれた様子もなく陣屋は「そら失礼した」と肩を竦める。下手に煽られるよりも腹立つのはこの男だからだろうか。舌打ちが漏れる。
「それで、聞きたいことってなんだ」
「本題がまだなんだろ」と、相変わらず高慢な態度で促してくる陣屋。
人の話、適当に聞き流しているようでしっかり聞いているのだから侮れない。
「なあ、陣屋。――お前、二月三日という日付になにか覚えはないか?」
単刀直入に尋ねる。俺がその日付を口にした時、ほんの僅かではあるが先ほどからこちらの挙動を一瞬たりとも逃さないといったようにこちらを見ていたやつの目の色が変った、ような気がした。
「二月三日だと?」
「ああ、……俺達が卒業する間近のことだ」
「そんな昔のこと、覚えてねえよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てる陣屋。
俺だって覚えていなかったが、なんだろうか。そうするりと答える陣屋に、胸の内側に小骨が刺さるようなそんな細やかな違和感を覚えたのだ。
「で、まさかわざわざ聞きてえってのはそのことか?」
「そんな下らねえ話だったなら俺はもう行くぞ」と椅子から立ち上がろうとする陣屋。
席を立つやつを前に、何故だか急にこのままやつを帰らせてはならない。そう直感した俺は「いや、もう一つある」と陣屋を呼び止めた。やつは胡乱げにこちらを見下ろす。
「……卒業間近、全校集会が開かれたのを覚えてるか?」
「二月三日にか?」
「いや……そのあとだ」
どうだ?と促せば、陣屋は考える暇もなく「覚えてないな」とばっさりと切り捨てるのだ。
「質問とやらはそれで終わりか?」
「……ああ」
「じゃあ俺は行く」
じゃあな、とだけ言い残してそのまま陣屋は科学室を後にする。
陣屋が立ち去り、一人科学室に残された俺は暫くその場を動くことが出来なかった。
カウンターには周子しかいなかった。
「あれえ~? 委員長一人ぃ?」
「あ、ああ……進藤君は『なんか面白そうなもんないか他のところも見てみる』といって、さっき君たちが行ってた逆の方向……あっち側に行ってたよ」
そう周子が指し示すのは学習室の方だ。
この図書室には物好きなやつら専用の個室がある。テスト前になるとそこに本を持ち込んで勉強する連中もいるが、俺は一度も使用したことはなかった。
そもそも勉強なら家に帰ってやればいいのにここでまでやる理由が分からない。まあそんなことは今はどうだっていい。
「……おい、あいつは?」
進藤は分かったが、もう一人いるべき人間の姿がない。尋ねれば、周子は少し困ったように眉尻を下げる。
「一応、僕は止めたんだよ? 止めたけど……」
「なにがだよ、先に言え」
「……さっき、図書室を出ていったよ」
「…………」
口の中で思わず舌打ちが漏れた。
あれほど勝手な真似をするなと言ってたのに。
「けどまあ、すぐに戻ってくるんじゃないかな。彼も具合はあんまよくないだろうから……ほら、それにここは空気悪いし」
「どこに行くかは言ってたのか?」
「……い、いや。声をかけても何も答えてくれなくて」
「追いかけようかとも思ったけど、流石に僕までいなくなったら君たちが驚くかなと思ってさ」言いながらも自分のしたことに気付いたのだろう、ごめん、と周子は項垂れる。
「んぁ? なに~? もしかしてあのナメクジ君逃げ出したのぉ?」
「ま……まだ逃げ出したとは決まってないだろう」
「どうかなぁ? 図書室に来てからあいつ、なんだか様子おかしかったからねえ?」
「ねえ、宰ぁ」と含んだような視線投げかけてくる木賀島に「うるせえ」と吐き捨てれば、木賀島はより楽しげに笑うのだ。
「ねえ宰、今度は追いかけなくていいのぉ? あいつのケツ。いっぱいよしよししてリード引っ張ってあげなきゃ~」
「……知らねえよ、あんなやつ」
「ありゃ、もしかして宰……アレと喧嘩したの?」
「……ッ」
何も知らないやつに“喧嘩”の一言で済ませられること自体が癪だった。答えるのもバカバカしくなって、俺は木賀島を睨む。
「あは、図星だ」
「だったらなんだよ、お前があいつの飼い主にでもなるつもりか? 勝手にしたらいいだろ」
「そこまで言ってないし、宰ってば飛躍しすぎ。めっちゃ堪えてんじゃん~」
「……ッ、クソが」
ムカついて側にあった椅子を蹴り倒せば、「ちょっと、二人とも落ち着いて!」と周子のやつにいきなり羽交い締めにされる。
「離せ周子、俺は落ち着いてるッ」
「嘘だろ、ほら、どうしたんだよ一体……木賀島君も、右代君を挑発するのはやめなよ」
「いいんちょ~お母さんみたいだねえ、ママじゃん、ママ」
「木賀島君……ッ!」
周子に咎められた木賀島はヘラヘラと笑っていたがそれも飽きたようだ。「ま、いーや」とそのまま踵を返す。
「俺も篤紀んところ行ってこよ~。あ、日記のやつルイルイ報告よろしくねえ」
あいつ、言いたいことだけ言い残して逃げやがった。
手を振り、カウンターから出た木賀島はそのまま学習室の方へと向かって歩いていく。
木賀島の背中もあっという間に本棚に遮られ、見えなくなった。それを確認して、周子は「ふう」と安心したように息を吐く。それからようやく俺を止めていた腕を離した。
「ッ、お前……」
「……右代君、気が立ってるのは分かるよ。僕も、……悪かった。ちゃんと先に報告しにいくべきだった」
「………………」
文句の一つや二つくらい言ってやるつもりだったが、出鼻を挫かれる。
なんなんだよ、これでは俺が一人駄々捏ねているみたいではないか。
ムカついたが、それを発散させることもできない。俺は肺に溜まった空気を吐き出し、一先ず呼吸を整える。怒りが冷めることはないが、こいつに言ったところで意味はないのだ。
――あいつに直接言わなければ。
「……いや、いい。あいつのことは放っておけ」
「右代君……」
「それより、報告したいことがある」
篠山、と篠山に目配せをすれば篠山は頷いた。
そして、俺たちは周子を連れて先程の歴史書コーナーへと戻ってきていた。
『2月3日、雪。人を殺した。』――本棚の背面、日記に書かれた文字と同じ筆跡で書かれた一文を見た周子は俺たちを振り返る。
ここは私語厳禁だ、またもう一度カウンターへ戻るぞと促せば、周子は頷いた。
そして再びカウンターへと戻ってくれば、まだ誰も戻ってきていないようだ。カウンターは無人だった。
「右代君、篠山君、あれは一体……」
「周子。……お前は二月三日、なにか覚えてないか?」
「それは……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。……二月、確か冬の日――卒業間近に全校集会が開かれたのを覚えてないか?」
そう尋ねれば、周子の肩が微かに震えた。周子だけではない、篠山もこちらを見てる。
「右代宰――君は心当たりがあるのですか」
「……正直、わかんねえ。思い出そうとするけどあやふやなんだよ、でも確かにあの時期……何かがあった気がする。篠山、お前は心当たりはないのか。二月三日に」
「………………」
篠山は押し黙る。思い出そうとしてるのかその表情からは読み取れないが、他のやつらに聞けば流石に何か出てくるのではないかと思った。
特に、周子は。参加すらしたことなかった俺とは違い、こいつはちゃんと全校集会に出てたはずだから。
そう視線を向ければ、目を見開いたまま固まった周子の額に無数の汗が滲んでるのを見てぎょっとする。
「……周子?」
「――あ、あぁ、悪い。ごめん、その……僕……ッ」
言い掛けて、周子は頭を手で抑えた。
「……っ、わ、分からない」
「……お前、それが分からないってやつの反応かよ」
「違うんだ、なにか、思い出そうとしたら――吐き気が、っ」
して、と周子が続けるよりも先に篠山が気付いたようだ。カウンター裏に設置されていたゴミ箱を手に取り、そのまま周子に手渡した。篠山から受け取るよりも先、ぎりぎりのところで決壊したらしい。「う゛ぉ゛えッ」とそのままゴミ箱に嘔吐する周子に俺は天井を見上げた。ビチャビチャと吐瀉物が落ちる音を聞きながら、俺は少し考える。
「篠山、お前はなにか覚えてないのか。全校集会のこととか」
「……覚えてないです。けど、周子宗平の反応からしてなにかあるのは間違いないでしょう」
ぜえぜえと肩で息をする周子は、そのままハンカチで口元を拭い「ごめん、篠山君」と青い顔で謝る。篠山は特に嫌がるわけでもなく「いえ」とだけ答え、そのままゲロ入のゴミ箱をその辺に置いた。
「おい、そこに置くなよ」
「ぼ、僕が後で片付けるから……っげほ、えと……そうだね、さっきの話の続きだけど……右代君は平気だったの?」
「確かに頭は痛くなった。けど、ゲロ吐くまでじゃなかったな」
「う」と押し黙る周子。ゲロ吐くまでではないものの、思い出そうとすると脳が拒否する感覚は確かにあるのだ。
「やはり、なにかありそうですね」
「……お前もそう思うか?」
「後で残りの三人でも試してみて、全員同じような反応が出たらクロでしょう」
――何者かによって意図的に記憶を忘れさせられている可能性がある。
それがなんの手がかりになるかは分からないが、だとしたらわざわざそれを思い出させようとするこの図書室の仕組み自体にも違和感を覚えた。
現時点では推測でしかない、けれどもしかしたら俺たちが思ってるほど厄介なのではないか。
まあ、こんな悪趣味な思い出させ方をするやつが厄介ではないはずなんてないのだろうが。
吐瀉物入りゴミ箱の片付けてくるという周子が図書室へと出ていく。ついでに陽太のやつの様子も見てくると言っていたが、多分そっちは無理だろうなと思った。
異臭の残ったカウンター内、周子と入れ違いになるように進藤が戻ってきた。
「お、お前ら戻ってきたんだな……ってなんか臭くね? こんな臭かった?」
「ああ、周子だそれ」
「周子? 周子漏らしたのか?」
「上からな」
まあ間違いではないなと進藤に応えれば、「なんかあったのか?」と進藤は不思議そうな顔をする。
そのまま伝えようと思ったが、どうせ木賀島と陽太のやつにも同じ下りの説明をしなければならないとなると面倒だった。
「まあ色々だな。……木賀島のやつは?」
「あ、そうだった。なんかおもしれーもん見つけんだよな、こっち」
「は?」
――お前、なんでそっちを先に言わないんだ。
どう考えで周子のゲロよりも大事だろ。
「おもしれーもんってなんだよ、何があった?」
「お、いい食いつきじゃん。木賀島から連れてこいって言われたんだったわ、……ってそうだ。旭と周子もいねーのかよ」
「……色々あってな」
「色々ね。……どーする? 俺らだけで先行っとく?」
尋ねられ、首を横に振る。
「……一旦周子たち探してくる」
「右代が?」
「んだよ、文句あんのかよ」
「なんも言ってねえだろまだ。……なんだ? もしかしてなんか喧嘩したのか?」
「してねえよ」
「ふーん、ま、お前だったら旭のことも連れ戻せそうだしな。任せたよ」
なんか進藤の言葉に含みがあるようで腹立つが、この男のデリカシーのない言葉にいちいち突っかかってもキリがない。
「じゃあ、僕はここで万が一先に二人が戻ってきたときのために待っておきます」
「あ、そか。それ役いるのかよ。じゃ、俺は先に木賀島のとこ戻っとくわ」
「おい待て、進藤」
そそくさとカウンターから出ていこうとする進藤に声をかければ、進藤は「どした?」とこちらを振り返った。そして、そのまま俺は篠山の方を振り返る。
「……篠山、さっきのやつ進藤にも説明しといてくれ」
『さっきのやつ』で大体篠山にも伝わったようだ、篠山は「わかりました」と頷き返した。本当にこの男は物分りがよくて助かる。
多少の扱いづらさはあるが。
それから俺は二人と別れ、ゲロ臭い図書室を後にした。
陽太のやつがどこに行ってるのか知らないが、周子のやつのことだ。便所でご丁寧に嘔吐物の処理でもしてるのかもしれない。
――特別教室棟・二階。
静まり返った空間に自分の足音だけが反響した。
人の気配はないな。なんて思いながら辺りの気配を探っていたときだった。
不意に、通路の先にある科学室の方から扉の開け閉めする音が聞こえた。咄嗟に息を潜め、科学室の方を覗くが、通路にはなにもない。人の影すらも見当たらない。
――もしかしたら、飯の配給か?
こんなタイミングで、しかもよりによって一人のときに居合わせるなどと。
他のやつらを呼ぶ時間すらも惜しい。もしこの施設側の人間がいたとして、その後を着ければ脱出の手がかりを掴めるかもしれない。
そう思うと考える暇などなかった。壁伝いに足音を立てないようにそっと科学室へと近付く。扉の中では微かな物音が聞こえてきた。
……話し声は聞こえてこない。
「……」
ドクドクと騒ぎ出す心臓を無理やり落ち着かせ、俺は息を潜める。そして、音を立てないように数センチ、少しだけ扉を開こうとしたその矢先だった。いきなり目の前の扉がガラッと開かれ、思わず扉から後退った。
そして、目の前に聳えるのは壁――ではない。
「……ッ、陣屋?」
「………………なにしてんだ、お前」
――陣屋がそこには立っていた。
呆れたような、それでもさして驚いている様子はないのは元よりこいつの表情筋が死んでるからだろう。
「それはこっちのセリフだ。お前、なんでここに……」
「お前が言ったんだろ」
「は?」
「……科学室に飯があるって」
「……」
低く吐き捨てる陣屋。
確かにこいつと別れるとき、そんなことを言った覚えはあった。
けどまさか本当にいるなんて。
「お前一人か?」そう尋ねれば、「見てわからないのか」と陣屋はぶっきらぼうに答える。本当に一言一言ムカつくやつだ。
文句の一つや二つでも言ってやりたかったが、丁度いい。この男にも聞きたいことがあったのだ。
「……陣屋、お前に聞きたいことがある」
「また教えてちゃんか」
「違えよ、ここから脱出するのにも関係あることだ」
その言い方やめろ、と陣屋を睨めば、陣屋は小さく息を吐いた。
「……まあいい、お前だけならな」
どういう意味だ、それは。
そう尋ねるよりも先に、陣屋は「入れよ」と科学室の奥を顎でしゃくった。まるで自分の部屋かのような扱いが引っかかったが、無視して俺は「ああ」とだけ答えておくことにする。
――科学室、室内。
どうやら陣屋は本当に一人だったようだ。テーブル代わりの実験台の上には陣屋が平らげたばかりであろうざるそばの容器が置かれているだけだった。
そんな実験台を挟んで陣屋と向かい合うように座る俺。こうしてゆっくり陣屋と腰を据えて話すときが来るなんて、自分でも思いもよらなかった。
「それで、話ってなんだ」
「今、俺達は図書室を調べてる。恐らく、次の仕掛けがあるんなら図書室しかないと踏んでてな」
「それで、なにかあったのか」
厭味ったらしいこの男のことだ、てっきり「そんなこと少しでも頭使えばサルでもわかるだろ、いちいちそんな意味のない報告してくんじゃねえ」などと一蹴されるのではないかと思っていただけに、陣屋の方から聞いてくるのは少し予想外だった。
けれど、そこにあったものに対して同じ境遇のこいつに黙っておくのもおかしい。
「あった」とだけ結論を口にすれば、細められた双眸がじっとこちらを見据える。相変わらず、妙な圧のある男だと思った。
「言ってみろ」
何故そんなに上から目線なのか、ムカついたがこいつには何言ったって無駄だ。それに、俺ものんびりとこの男とお茶するためにここに来たのではない。俺はなるべく簡潔にまとめ、陣屋に図書室で見つけたものについて伝える。
そして、陣屋と話している最中もずっと木賀島の言っていた言葉が脳裏を支配していた。――この男は本物の木賀島なのかと。
俺は完全にこの男を信用しているわけではない。木賀島、あいつのやること成すことは無茶苦茶ではあるが、全てが間違っているとも思えばかった。
だから、全ての情報を伝えたわけではない。探せばこの男でも気が付くであろう事柄だけを掻い摘んで伝えることにした。篠山のプライベートな部分までは伝えていない。
俺の話を静かに聞いていた陣屋は俺が話し終えると「それで?」と静かに続ける。
「それで、そんなこと俺にべらべら喋ってよかったのか?」
「自分から聞いたんだろ」
「まあな。けど、あんたのお仲間たちは怒るんじゃないのか。自分勝手に単独行動するようなやつに無断で情報流しやがって、とか言ってな」
……この男は本当にどこまでが本気で冗談か分かりにくい。否、最初から全部本気なのかもしれないが。
「お前、俺達の会話をどっかから盗み聞きでもしてんのか」
「そんな無駄なことせずともお前らの会話なんて想定つく。言うとしたら……あいつか、木賀島のやつだな」
図星を刺されて思わず押し黙れば、陣屋は皮肉気な笑みを浮かべた。
「お前、嘘が吐けないタイプだろ」
「……うるせえよ、余計なお世話だ」
言い返せば、さして悪びれた様子もなく陣屋は「そら失礼した」と肩を竦める。下手に煽られるよりも腹立つのはこの男だからだろうか。舌打ちが漏れる。
「それで、聞きたいことってなんだ」
「本題がまだなんだろ」と、相変わらず高慢な態度で促してくる陣屋。
人の話、適当に聞き流しているようでしっかり聞いているのだから侮れない。
「なあ、陣屋。――お前、二月三日という日付になにか覚えはないか?」
単刀直入に尋ねる。俺がその日付を口にした時、ほんの僅かではあるが先ほどからこちらの挙動を一瞬たりとも逃さないといったようにこちらを見ていたやつの目の色が変った、ような気がした。
「二月三日だと?」
「ああ、……俺達が卒業する間近のことだ」
「そんな昔のこと、覚えてねえよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てる陣屋。
俺だって覚えていなかったが、なんだろうか。そうするりと答える陣屋に、胸の内側に小骨が刺さるようなそんな細やかな違和感を覚えたのだ。
「で、まさかわざわざ聞きてえってのはそのことか?」
「そんな下らねえ話だったなら俺はもう行くぞ」と椅子から立ち上がろうとする陣屋。
席を立つやつを前に、何故だか急にこのままやつを帰らせてはならない。そう直感した俺は「いや、もう一つある」と陣屋を呼び止めた。やつは胡乱げにこちらを見下ろす。
「……卒業間近、全校集会が開かれたのを覚えてるか?」
「二月三日にか?」
「いや……そのあとだ」
どうだ?と促せば、陣屋は考える暇もなく「覚えてないな」とばっさりと切り捨てるのだ。
「質問とやらはそれで終わりか?」
「……ああ」
「じゃあ俺は行く」
じゃあな、とだけ言い残してそのまま陣屋は科学室を後にする。
陣屋が立ち去り、一人科学室に残された俺は暫くその場を動くことが出来なかった。
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