七人の囚人と学園処刑場

田原摩耶

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第五章『図書室ではお静かに』

05

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「どういうことだよ、これ。嘘吐きって」
「それよりもこれが誰の血なのかってのも気になんだけどねえ?」

 吐き気を押さえきれずに「げえ」と舌を出す進藤、そしてその隣、周子は険しい顔をしてそのノートを見ていた。
 俺たちの視線を向けられても篠山はあくまでその態度を崩さない。

「どちらにせよ僕達を疑心暗鬼にさせるつもりなのでしょう。気にする必要はありません」

「……と僕が言ったところで逆効果でしょうけど」そう続ける篠山。ほんの一瞬だけ、普段は崩れない篠山の飄々とした表情が曇ったような気がした。
 逆効果もクソもあるかよ。舌打ちし、俺は篠山からノートを取り上げた。

「下らねえ。……つまんねーもん仕込みやがって。どうせなら起爆装置でも仕込んどけよ、この建物ぶっ飛ばせるくらいのな」
「……右代君」
「ハズレだ。……他の手がかり探すぞ」

 不安を煽るだけの罠だ。まともに見るだけ時間の無駄だ、それならば他に道を探したほうがよっぽど有意義だ。そのままノートを丸めようとしたとき、周子に腕を掴まれた。

「右代君、それ……捨てる前にちょっといいかな。僕はこのノート解読してみるよ」
「正気か?お前」
「篠山君を疑うというわけじゃないけど、何か謎解きが仕掛けられてるかもしれないだろ?」

 こんな気持ち悪いもん、真剣に見るだけ気分が悪くなりそうだ。そもそもこれは篠山の日記だ。ちらりと篠山を見れば俺の視線に気付いたらしい、篠山はこくりと頷く。僕は構いせんよ、か。本当にこいつに恥じらいってもんがないのか。俺は手にしていたノートを周子に押し付けた。

「……勝手にしろ。行くぞ、篠山」

 そう篠山の肩を掴む。
 レンズ越し、やつの目がこちらを向いた。

「右代君、行くとは」
「図書委員なら詳しいだろ、……残りの本も探すぞ。俺には全部同じに見えて仕方ねえ」
「わかりました。……後、肩重いんで離して下さい」
「…………」

 相変わらず余計な一言が多い。俺は篠山の肩から手を離した。
 そして暫く二人で図書室内を探すことになる。
 元図書委員とはいえどこの本の量だ、それでも俺よりも篠山の足取りには迷いはない。

 図書室内の私語は厳禁だ。静まり返った室内、陽太の姿はどこにも見当たらない。
 本棚を一つ一つ確認する篠山を斜め後ろから観察する。

 ――こいつが嘘吐きか。
 ――寧ろ、馬鹿正直すぎて逆に心配になるレベルだろ。

 そんなことを考えていると、不意にくいくいと制服の裾を引っ張られる。……篠山だ。
『これです』そう、本棚に刺さった単行本の背表紙を指差す篠山に俺は頷き返した。
 それを合図に、篠山は本を抜いた。
 瞬間、足元がぐらつく感覚。ゆっくりと動き出す目の前の本棚に思わず息を呑んだ。先程はそれどころではなくてじっくりと観察することもできなかったがこうしてみると派手なカラクリだ。そして棚があったその向こう、壁に現れた扉型金庫に俺と篠山は顔を見合わせ頷き合った。
 篠山は扉を開ける。そして扉の向こうを一緒に覗き込めば、中にはノートが入っていた。
 また篠山のノートか。そう、ゆっくりとノートを手にした篠山はそのノートを開いた。

 1月28日、曇り。虫。針。奥歯。
 1月29日、曇り。階段から転落。右腕骨折。
 1月30日、雨。病院を知られた。面会謝絶。
 1月31日、雨。見舞いと称して親が連れてきた。

 一瞬視界に入ったその日記に思わず篠山を見たとき、篠山はなにも言わずにノートを閉じた。

「……」

 そして、いつもと変わらない顔で『戻りましょう』と促してくるのだ。
 篠山が浮いていたのは知っていた。……虐められていたというのもだ。それでも、それを記録として残していたのか。それともそれもこれを仕組んだやつの偽装か。気になったが今ここでは話せない。
 俺たちは一度カウンターへと戻ることになった。


 図書室カウンター。
 そこには残りの本があった場所から現れたノートが集まっていた。
 全部篠山の日記のようだ。一冊目同様几帳面な文字で紡がれたその一行日記を手にしたまま木賀島は静かに篠山に目を向ける。

「……ルイルイさぁ、これ全部本物?」
「ええ」
「ふうん……これって全部部屋に置いてたわけ?」
「そうですね、記憶によれば自室に置いてあったと」

 ということは篠山の家から持ち出して細工したのか。想像するとゾッとしない話だ。

「……日記書いてること、誰が知ってんの?俺知んなかったんだけど」
「これは僕と……保険医が」
「保険医?」
「中学の頃、カウンセリングの一種として日記を勧められたんです。なので、彼だけです。知ってるのは」

 親も知らないってことか。
 というか、なんでこいつがカウンセリングを。と考えて、先程の日記の内容を思い出す。

「ふうん。じゃ、その保険医が誰かに話したかかなぁ。……どちらにせよ相当暇なんだろうねえ~、そいつ」

 木賀島は叩き付けるようにノートを机の上に置いた。俺でもやつが明らかに怒ってるのはわかった。
 木賀島と篠山は親友同士だ。こんな形でプライバシーを公開させられる篠山のことを考えて怒ってるのか。
 ……この男にそんな人の心があるとは俄考えたくないが、正直俺が篠山の立場だったらと思うと腹立って仕方ない。

「そんで?いいんちょー、収穫は?」

 カウンターデスク。椅子に腰を下ろし、ノートを最初から読み直していた周子の方へと振り返る木賀島。
 周子は手にしていたノートを開く。

「筆跡からして篠山君のノートをそのままコピーした、というわけじゃなさそうなんだよね。ちゃんと書かれてるし」

 ほらこことか、とノートの前半、日記部分のページを撫でてみせる。それを覗き込む木賀島と進藤。その肩越しに確認してみれば、確かに凹凸があるように見えた。
 だとすると、だ。

「……おい、篠山。お前の日記はどこに保管してた?」
「……」
「おい……」

 無視かよ、と舌打ちしたときだ。

「日記は……保険医に渡してました」

 それは消え入りそうなか細い声だった。
 そんな篠山の言葉に一番に反応したのは木賀島だった。
「はあ?」と露骨に不快感を顕にする木賀島はそのままノートを手に取るのだ。

「あっ、ちょっと木賀島君そんな乱暴に……」
「じゃああのジーさん黒確じゃーん。そのままパクってるわけだし」
「ですが、先生はそんなこと……」
「ここに日記がある以上それしかないっしょ。つうかおまけに細工までされてんだし?」

 木賀島に人を思う心があるとは思わなかったが、確かにそう吐き捨てる木賀島は怒っているようだった。
 ――保険医か。記憶を辿ってみるがどうも思い出せない。そもそも保健室に行くことなどあまりなかったからかもしれない。
 木賀島の言葉に、篠山はとうとう何も答えなくなった。落ち込んでいるのか、相変わらず表情からは分かりににくいが、そんな篠山に周子は慌ててフォローする。

「……僕もあの先生には何度か話したことあるけど、とてもじゃないけどそんなことするような人には見えなかったよ」

 木賀島君、とやつに訴えかけてるつもりだろうがあまりにも生ぬるいことを言い出す周子に反応する気にもなれなかった。
 どんだけ考えたところで、ここにノートがあること自体がすべてを物語っているのだ。
 そんな俺たちに言い聞かせるように、周子は「それに他にも可能性だってあるだろ」と続ける。

「……可能性だと?」
「何者かに脅されて巻き込まれた可能性だよ」

 それは俺も考えた。――俺達を閉じ込めるためだけにこんな場所を作ったくらいだ、渡さなければならない状況を作り上げることぐらい容易いだろう。それに俺の記憶が正しければ、保険医は老齢だった。
 周子の言葉を聞いた瞬間、篠山の顔色がさっと青くなる。
「ルイ?」と木賀島が呼び掛けたときだった。

「……すみません、少し、考えてきます」

 それだけを言い残し、篠山はぱたぱたとカウンターを出て図書室の本棚の隙間へと潜って行く。
「篠山君っ」と周子が後を追いかけようとするのを腕を掴んで引き止める。

「右代君……」
「放っておけばいいだろ。それより、その保険医の話……聞いてもいいか」
「え……君、覚えてないのか?」
「……いちいち教師の顔なんて覚えねえよ」
「君はそんなのだから……っ、いや、やめておくよ。けど、僕よりももっと詳しい人がいるんじゃないかな?」
「あ?」

 含みのある周子の言葉にムカついて聞き返そうとしたときだった。「ああほら、噂をすれば」と周子は篠山と入れ違うように現れたその人影に目を向けるのだ。

「旭君は一時期保健室登校だっただろ、何か知ってるんじゃないかな?」

 そう耳打ちをしてくる周子。そちらを振り返る気にもなれなかった。突き刺さるような視線。
 旭陽太は恨めしげにこちらを見ていた。

「…………」
「…………」

 視線は確かにあった。
 けれど、どういう反応しろというのか。ふい、と視線を外す。
 陽太に話し掛けるくらいなら篠山から聞いた方がましだ。そうカウンターから出ていこうとして、真っ直ぐにこちらへと向かってきた陽太に肩を掴まれた。

「っ……触るな……ッ!」

 そう、やつの手を振り払おうと振り返ったときだった。

「ッ、つ……」

 宰様、とその口が動いた……気がした。
 見開かれた目。その目の焦点はこちらを捉えてていた。
 腕の傷口に触れたのか、その力が緩むのを見て俺は陽太の脇を通り抜けた。
 今度は陽太は追ってこなかった。

「……」

 なんなのだ、あいつは。
 考えたところで理解などできるはずがない。昔からそうだった。
 本棚の中へと足を向ける。またあいつが背後からついてきて潰されるのではないかと思ったが、あいつはついてこなかった。
 図書室の奥、篠山の姿を見付けた。いつ倒れてきてもおかしくはない本棚の足元、壁を背に体操座りをしていた篠山はその膝に顔を埋めていた。
 俺の気配に気付いてるのか、そのままじっと動かない。
 例の保険医のことでも思い出してるのだろう。声をかければ圧死する、俺は無言でその場を通り過ぎようとした。
 そのときだった。篠山は顔を上げ、そしてこちらを向く。……いつもと変わらない無表情のまま立ち上がったやつは、真っ直ぐにこちらへと向かってくる。そして、くいっと服の裾を摘まれるのだ。

「…………」
「…………」

 なんだよ、やめろ、とつい喉まで出かかって、言葉を飲み込んだ。篠山は俺の裾を摘んだまま、ついてきてほしいと顎でしゃくるのだ。
 ……断ることはできた。けれど、面倒だった。
 仕方ないので俺は篠山についていく。

 ――図書室奥、歴史コーナー。
 古臭い背表紙が並ぶ本棚の中、ふと篠山はこちらを振り返る。その手には貸出カードが掴まれていた。
 そして並ぶ残り四冊の内の一冊を指差した。そのタイトルからして歴史の本のようだ。どうやら、これを一緒に探せ……ということなのか。
 カードを受け取り、咄嗟に辺りを見渡す。ホコリの匂いと圧迫感に具合が悪くなりそうだった。
 ……それでも、なにもしないでいるよりかはマシだ。
 俺は篠山からカードを受け取り、そのまま本探しに付き合うことにした。

 静まり返った図書室の中、本を探してると不意に足音が近付いてきた。反射で手を止め、俺と篠山は振り返る。本棚の影からぬっと現れたのは木賀島だった。
 俺達を見つけるなりにへ、とだらしなく口元を緩めた木賀島。なんだか嫌な予感がして咄嗟に身を引くが、やつが手を伸ばしてくる方が早かった。俺の手の中から貸出カードを奪い取れば、そこに羅列されたタイトルを見てすぐにそれを返してくる。
 そして、そのまま立ち去る木賀島。……あいつ、なにがしたいんだ。邪魔しにきたのか?と思いながらも引き続き本探しを再開してると、本棚の裏の方から地響きに似た音が響いた。
 まさか、と物音のする方へと向かえば、そこには一冊の分厚い革の本を手にした木賀島がそれを軽く持ち上げ、だらしなく微笑んでみせた。
『俺の勝ち』そう、薄い唇が動く。……本当に、こいつは腹立たしい。


 何が勝ちなのか、腹が立ったがこの際手がかりが見つかればなんでもいい。
 木賀島のいる本棚へと移動すれば、古い歴史書が並ぶ棚が今まさに地面へと沈んでいる最中だった。
 何度見ても異様な光景だ。図書室全体を震わせるその振動は靴裏から全身までも伝わってくる。俺と篠山、そして木賀島は本棚が完全に沈んでいくのを見守っていた。気が付けば周子もやってきていた。
 そして、最後。本棚の頭が完全に床の一部となったその先、背中合わせになっていた隣の通りの本棚の背面が現れる。
 そして、その背を前に俺達は息を呑んだ。

 ――2月3日、雪。人を殺した。
 それはあの日記と同じ几帳面な字でそう大きくペンキか何かで書かれていたのだ。

「……ッ」

 どういうことかと篠山に目配せをする。あいつはいつもと変わらない表情のまま貸し出しカウンターの方へと視線を向けるのだ。
 ――一度カウンターへ戻りましょう。
 こんなものを見せつけられようとも顔色一つ変えずに、それどころか冷静に提案してくる篠山。これも、さっきの血まみれの日記と同じ、俺達を動揺させるギミックの一つということか。
 周子たちは、一足先にカウンターへと戻る篠山を追ってその場を離れる。
 俺もそのあとを追う前にもう一度目の前の本棚の背中に目を向けた。
 本当にこれだけなのか、先ほどのように金庫から日記の続きかなにかでてこないか。そう足元や本棚があった場所、隣の本棚まで確認してみるがなにかしらの扉やそれらしい手がかりは見つからない。
 本当に、これだけなのか。
 再度本棚の裏側へと戻ってきた俺は目の前の日記を模した一文を眺める。

 2月3日。
 先ほどに日記では、一月末まで篠山は怪我をして病院で療養していたはずだ。そして、病室に誰がやってきていたと。俺はあの文から虐めていた連中だと思っていたが、実際俺達が寮生活を送っていたあの学園では気軽に外出することはできない。

 俺達の母校である並榎田第一中学校は離島に存在する。
 その島は並榎田中を建立するためだけに用意された島といっても過言ではない、近くに人里や建物もない。その島に滞在するのは学園関係者と俺達生徒だけだった。
 島から本島へ戻るには食料や備品を運ぶ定期便か、予め前日に学園に申し出て専用水上タクシーを用意してもらうしかない。
 篠山は病院に入院していたという。あの島内に病院はないので間違いなく本島の病院だろう。
 そう考えると、その加害者たちがわざわざ学園に許可をもらって本島の篠山に会いに行ったのかと思うと違和感を覚えた。
 ……これは、俺の感性の問題かもしれないが。

 考えるよりも篠山本人に直接聞いた方が早そうだ。
 けれど、なにかまだ引っ掛かるのだ。魚の小骨のような違和感がずっと喉に引っ掛かっている。そんな感じだ。
 貸出カウンターへと戻る前にもう一度本棚裏の文字を見た。

 ――2月3日、雪。
 ――誰かが死んだ?

「……ッ」

 頭の奥、後頭部にずきりと痛みが走る。
 卒業間近、俺は実家に帰って本島の高校への入学も決まっていた。受験だのなんだので騒いでいるクラスメートたち。学園全体が浮足立った空気に包まれる中、全校集会が開かれたことがあった。
 そうだ、一度だけあった。けれど、それに参加した記憶はない。元々人混みが嫌いだった俺は適当に時間を潰していた。その隣には陽太もいたはずだ。
 もしかしたらあれがそうだったのか。わからない。自分でも不思議なほど卒業間近の記憶があやふやになっていた。

 結局なにも思い出せなかった。けれど、何か大切なことを忘れている気がする。
 そんな蟠りを胸に抱えたまま俺は他のやつらの待つカウンターへと向かった。

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