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第三章『わくわくお料理教室』
05
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酷い悪夢を見ていたような気がする。
目を覚ましたら、不安そうな顔をしてこちらを見下ろす見覚えのある顔が2つ。
「右代!大丈夫かっ?」
「宰様、よかった、俺、もうどうしようかと…………っ」
進藤と陽太は各々安堵したようすで息を漏らす。
どうしてこいつらが……。
そこで、自分が置かれた状況を思い出す。
そうだ、確か俺たちは並榎中に閉じ込められて、それで……。
「っ!」
そこまで思い出して、飛び起きたとき、下腹部と掌に刺すような痛みが走る。
堪らず唸る俺。
よく見ると場所もあの科学室のままで。唯一、行く手を阻んでいた檻が消え失せていた。
「まだ無理しない方がいいって。酷い怪我なんだろ?」
「なんで、知って…………」
「周子から聞いたんだよ。そりゃ、木賀島のやつにボコられたらキツイよなー。あいつ、中学ん時から喧嘩強かったらしいし」
ボコられた。その言葉に、一瞬耳を疑った。そして、咄嗟に進藤の指す方に目を向ける。科学室の片隅、ぼんやりとした周子がそこにはいた。
どうやら、進藤たちが来る前に片付けてくれていたらしい。
ご丁寧に誤魔化してくれた周子に感謝よりも先に戸惑いを覚えたが、それでも、助かった。
「……周子」
そう、周子に声を掛けようとしたときだった。
「宰様、本当、ご無事でよかったですっ」
目を潤ませた陽太に捕まった。
ああ、そういえば、こいつのこと忘れていた。
どうやら目を覚ましたらしい。以前と変わりない、それどころか若干暑苦しさが増してる陽太に素直に喜べないんだが。
「それにしても、木賀島の野郎…ッ!宰様の体に傷を付けるなんて……ッ!」
思い出したように忌々しげに顔を歪める陽太は血塗れた拳を固める。
その指が数本欠けているのは相変わらずで、それでも痛みを感じさせない陽太には感服する。
俺は、暫くこの手で何かを掴むことは無理だろう。
「お前……あんま手、力入れない方が良いんじゃないのか」
「つ、宰様、俺のことを心配してくれてるんですか?大丈夫です、これくらい、だって宰様が助けてくれたお陰で生きてるんですからこのくらいの痛み、どうってことありません」
鼻息が荒い。大袈裟な、と言いたいところだがこいつが死にかけていたのは事実だ。
「それで、あいつは……」
姿が見えないあのちゃらんぽらん男のことが気になり、進藤に尋ねる。
「あいつなら、気絶してるよ」
「気絶?」
「そーそー。俺が来たときはなんか伸びてた。眠ってるだけみたいだったから一応暴れねえよう縄で縛って廊下で寝かせてるから安心しろ」
まさかと思って周子に目を向けたとき、周子は無言で科学室を後にした。
咄嗟に、立ち上がった俺は周子の後を追いかけようとして、ふとなにかに躓きそうになる。
足元に転がっているのは無数の白い固形物。一瞬それが骨に見えてびっくりしたが、
「ああ、それ骨格標本だってよ。なんかぶつかって壊れたんだって」
という進藤の言葉にホッとする。
だけど、その側。土台のようなプラスチック製の板が転がっているのを見て、俺は静止した。
『周子繭』
そう、土台には白いテープが張られていた。特徴的な苗字だ、見間違えるはずがない。
バラバラになった骨格標本。
四肢に走る痛みを堪え、俺は周子の後を追い掛けた。
追い掛けたはいいが、本調子ではない今早足の周子には追いつけないわけで。
「っ、おい、周子ッ!」
堪らず、そう大きな声で呼び止めようとするが周子は止まらない。結局、科学室から離れたところでようやく、周子は足を止めたのだ。
なんとか追いついた俺だが、痛みで安心どころではない。
「……周子……ッ」
ぜえぜえと息を切らしながら、立ち止まったその後ろ姿に呼びかける。
木賀島たちが爆破させた家庭科室の前。ようやく周子は俺の方を振り返る。
「……まさか、ここまで着いてくるとは思わなかったよ」
気の抜けたような声。いつもの鼻につく嫌味はないが、だからこそ余計気持ちが悪い。
「てめぇが逃げるからだろ!」
「そうだね」
やっぱり、おかしい。
噛み付いてこない周子になんだかこちらの方が調子狂いそうになる。
「あの、周子……」
それでも、やはり、お礼だけは言いたかった。借りをつくるのは嫌だったから。
けれど、腑抜けたやつを前にするとなかなか言葉が出なくて。
科学室、バラバラになった骨格標本。やはり、あのネームプレートが関係してるのだろう。
「……おい」
言い淀む俺を、周子は黙って見ていた。そして、そのまま押し黙った時。
「……僕には、妹がいるんだ」
周子が、重い口を開いた。
突然家族の話を振られ戸惑ったが、不意に、『周子繭』の名前を思い出す。
「父親と母親が旅行に行ってる間、妹だけ祖父母の家に預けてるんだ」
そう語る周子の目は焦点が定まっていない。
震える声。血の気の失せた唇まで、震えていて。
「本当は、明日、一緒に空港まで父親と母親を迎えに行くはずだったんだ……迎えに行くはずだったんだよ……ッ」
瞬間、ぼろぼろと周子の目から涙が溢れるのを見て、俺は困惑する。
だって、まさかあの周子が、何があっても人の前では気丈に振る舞ってる周子が俺の目の前で泣いているのだ。
慰めればいいのか、何を言えばいいのか、全くわからなくて。
「なのに、なんで……僕はこんなところで何をしてるんだ……ッ」
大分追い詰められているというのは見てわかった。
痛いくらいの自責の念にいたたまれなくなる。
俺には自分を責める周子が理解できなかった。だってそうだろう、悪いのはここに閉じ込めたやつだ。なんで自分を責めなければならない。
恐らく、周子とは一生意気投合することないとは思っていたが、それでも、今の不安定なやつを放っておくことができなくて。
「なら、明日までにここから出たらいいだろ」
時計がない今、奴がいう明日がいつなのかわからない。最悪既に何日も過ぎている可能性もある。周子もわかってるはずだろう。
それでも、そう言うしか出来なくて。というか、俺達にはそれしかないのだ。
「妹が待ってんだろ!……泣いてる暇なんてねえだろ、委員長」
俺は泣きじゃくる周子の頭をぺしっと叩き、そのまま家庭科室をさっさと立ち去ろうとする。
あまりにも柄のないことをしてしまい、赤くなった顔を見られたくなかったのだ。なのに。
制服の裾を掴まれる。
「……右代君、君、そういうことも言えるんだね」
人をわざわざ足止めしといて、やつは柔らかく笑った。
その皮肉にムカついて、それ以上に周子の笑顔に安堵する自分に腹が立つ。
「うるせえ、泣き虫野郎」
「君に言われたくないんだけど」
「あ?」
「だって、君、あの時……」
言いかけた周子の言葉に、薄暗い檻の中、木賀島との出来事がフラッシュバックする。
全身に木賀島の指の感触が蘇り、筋肉が強張った。青褪める俺に、周子はハッとした。
「あ、いや……ごめん。今のは無神経だったね」
「……うるせぇよ、いまさら謝ってんじゃねえよ」
「なんだよ、その言い方……」
確かにあまり思い出したくない事実だが、正直、よく覚えてないのだ。
全身を這う木賀島の手の感触や掌の痛みはハッキリと覚えてるのだが、薄暗い部屋の中、おまけに軽い酸欠に陥っていたせいだろうか。記憶はモヤが掛かったように朧気なもので。
「そういや、あの……ありがとな」
「え?」
「進藤たちのこと……適当に口裏合わせといてくれたんだろ」
ありがとな、ともう一度だけ口にすれば周子はこれでもかというほどに目を見開く。
「なんだ……気持ち悪いな。何か悪いことが起きる前触れかな。やめてくれよ」
「……てめぇ」
「別に、君の為だけではない。こんな状況下、下手に刺激するような真似をして秩序が乱れては困るしね」
「な……」
刺激ってなんだよ、と、そっぽ向く周子に問い詰めようとしたとき。
やつの耳が赤くなってるのを見て、俺は口を閉じる。
なんでお前が照れてんだよ。釣られて赤くなる顔を隠すように、舌打ちをした俺は周子から顔を逸らした。
「おーい!周子ー!右代ー!どこにいんだよー!」
不意に、廊下の方から進藤の声が聞こえてくる。どうやら黙っていなくなった俺達を心配してるみたいだ。
「早く戻ろう」
そう言って、さっさと家庭科室を出ていこうとする周子。
こんなところに長居する必要もない。続けて俺も家庭科室を出ていこうとするが……。
「ッ、ぐぅ……ッ」
下半身、裂けるような痛みに堪らず蹲る。そんな俺に、慌てて周子は駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫に見えんのかよ……ッ」
「僕は大丈夫か大丈夫じゃないかを聞いて…いや、違うな」
一瞬だけ考え込んだ周子だったが、すぐに俺に背中を向けてくる。
「ほら」
「……は?なに?」
「背中、乗りなよ。おぶってあげるから」
「………………………………は?」
「は?じゃないよ、歩くのが辛いんだろう」
「な、何言ってんだよ。そんなのいらねえからッ」
周子におぶさってアホヅラしてる自分を想像したら寒気が走った。
吠える俺に周子は苛ついたように眉間を寄せ、そして。
「ああ、もうっ」
いきなり抱き締められたかと思った矢先だ、視界が暗転する。
地から足が離れ、その代わりに腰に回された周子の手。自分が周子に担がれたと理解した瞬間、思考が停止する。
「っおい!」
「わっ、ちょっと暴れないでよ」
「何やってんだよ、降ろせ!今すぐ降ろせっ!」
通常時よりも高くなった視界に感動するよりも先に、周子みたいな対して鍛えてもなさそうなやつに持ち上げられること自体がこの上なく屈辱的で。
「降ろしたところで、君、まともに歩けないじゃないか」
そんな俺を対して気にも留めず、冷静に続ける周子に言葉に詰まる。
確かに、歩く度にどこもかしことも痛んで、今こうしてばたつくだけでも痛みはある。だけど、それでも。
「てめぇ、人を馬鹿にするのも大概にしろッ!俺を誰だと……」
「わかったよ。文句なら後から聞くから取り敢えず今は皆と合流しよう」
「わかってねえだろッ!」
ばしっと周子の頭を叩くけど、周子は「はいはい」といった調子で受け流すばかりで。
それどころか俺の言葉も聞かずに歩き出しやがる。
動く視界。なんとしてでも降りたくて、暴れる俺だったけどずるりと落ちそうになって、つい、俺は目の前の周子にしがみついた。
「そうだね、そのまま大人しくしておいてね」
なんてすました顔して続ける周子に俺はなんだか悔しくてたまらないがそれ以上に本格的に痛み出した体にどうすることも出来なくて。
仕方なく、仕方なく、俺は周子の好きにさせることにした。不本意だが。
「うし――ッ?!」
「…ごめんね、黙っていなくなっちゃって」
「……」
「いや、それは別にいいんだけどさ…」
目を丸くする進藤が何を言わんとしているのかはわかった。
だから、無言で進藤を睨めばやつは慌てて目を逸し、わざとらしく咳払いをした。
校内、通路。
「それより周子、木賀島が目を覚ました」
「…そう、様子は?」
「いつも通りだよ。皆、あの料理が気になるみてえだな。一応、皆集まってから料理のことは考えようって言ってっけど…」
「なら、早く戻った方が良さそうだね」
木賀島が目を覚ました。
そのことだけで緊張してしまう自分が情けなくて、恐らく、周子にもそれが伝わってしまってるのだろう。周子はなにも言わないが、それが気を遣われてるみたいで少しだけ気分が悪い。
科学室前。
そこで周子はようやく俺を降ろしてくれた。
流石にこのまま全員にお披露目するのは気の毒かと思ったのだろうか。屈辱だ。
それでも、担がれていた間下半身の負担が軽減したお陰で大分楽になったのも事実なだけに正直、ノーコメント。
先を往く周子に続くように科学室に入ろうとした矢先だった。
「ッ、おい、何してるんだ!」
慌てた周子の声に、こちらまで驚きそうになって。
何事かと中を覗けば、そこには木賀島に掴み掛かってる陽太の姿があった。
目を覚ましたら、不安そうな顔をしてこちらを見下ろす見覚えのある顔が2つ。
「右代!大丈夫かっ?」
「宰様、よかった、俺、もうどうしようかと…………っ」
進藤と陽太は各々安堵したようすで息を漏らす。
どうしてこいつらが……。
そこで、自分が置かれた状況を思い出す。
そうだ、確か俺たちは並榎中に閉じ込められて、それで……。
「っ!」
そこまで思い出して、飛び起きたとき、下腹部と掌に刺すような痛みが走る。
堪らず唸る俺。
よく見ると場所もあの科学室のままで。唯一、行く手を阻んでいた檻が消え失せていた。
「まだ無理しない方がいいって。酷い怪我なんだろ?」
「なんで、知って…………」
「周子から聞いたんだよ。そりゃ、木賀島のやつにボコられたらキツイよなー。あいつ、中学ん時から喧嘩強かったらしいし」
ボコられた。その言葉に、一瞬耳を疑った。そして、咄嗟に進藤の指す方に目を向ける。科学室の片隅、ぼんやりとした周子がそこにはいた。
どうやら、進藤たちが来る前に片付けてくれていたらしい。
ご丁寧に誤魔化してくれた周子に感謝よりも先に戸惑いを覚えたが、それでも、助かった。
「……周子」
そう、周子に声を掛けようとしたときだった。
「宰様、本当、ご無事でよかったですっ」
目を潤ませた陽太に捕まった。
ああ、そういえば、こいつのこと忘れていた。
どうやら目を覚ましたらしい。以前と変わりない、それどころか若干暑苦しさが増してる陽太に素直に喜べないんだが。
「それにしても、木賀島の野郎…ッ!宰様の体に傷を付けるなんて……ッ!」
思い出したように忌々しげに顔を歪める陽太は血塗れた拳を固める。
その指が数本欠けているのは相変わらずで、それでも痛みを感じさせない陽太には感服する。
俺は、暫くこの手で何かを掴むことは無理だろう。
「お前……あんま手、力入れない方が良いんじゃないのか」
「つ、宰様、俺のことを心配してくれてるんですか?大丈夫です、これくらい、だって宰様が助けてくれたお陰で生きてるんですからこのくらいの痛み、どうってことありません」
鼻息が荒い。大袈裟な、と言いたいところだがこいつが死にかけていたのは事実だ。
「それで、あいつは……」
姿が見えないあのちゃらんぽらん男のことが気になり、進藤に尋ねる。
「あいつなら、気絶してるよ」
「気絶?」
「そーそー。俺が来たときはなんか伸びてた。眠ってるだけみたいだったから一応暴れねえよう縄で縛って廊下で寝かせてるから安心しろ」
まさかと思って周子に目を向けたとき、周子は無言で科学室を後にした。
咄嗟に、立ち上がった俺は周子の後を追いかけようとして、ふとなにかに躓きそうになる。
足元に転がっているのは無数の白い固形物。一瞬それが骨に見えてびっくりしたが、
「ああ、それ骨格標本だってよ。なんかぶつかって壊れたんだって」
という進藤の言葉にホッとする。
だけど、その側。土台のようなプラスチック製の板が転がっているのを見て、俺は静止した。
『周子繭』
そう、土台には白いテープが張られていた。特徴的な苗字だ、見間違えるはずがない。
バラバラになった骨格標本。
四肢に走る痛みを堪え、俺は周子の後を追い掛けた。
追い掛けたはいいが、本調子ではない今早足の周子には追いつけないわけで。
「っ、おい、周子ッ!」
堪らず、そう大きな声で呼び止めようとするが周子は止まらない。結局、科学室から離れたところでようやく、周子は足を止めたのだ。
なんとか追いついた俺だが、痛みで安心どころではない。
「……周子……ッ」
ぜえぜえと息を切らしながら、立ち止まったその後ろ姿に呼びかける。
木賀島たちが爆破させた家庭科室の前。ようやく周子は俺の方を振り返る。
「……まさか、ここまで着いてくるとは思わなかったよ」
気の抜けたような声。いつもの鼻につく嫌味はないが、だからこそ余計気持ちが悪い。
「てめぇが逃げるからだろ!」
「そうだね」
やっぱり、おかしい。
噛み付いてこない周子になんだかこちらの方が調子狂いそうになる。
「あの、周子……」
それでも、やはり、お礼だけは言いたかった。借りをつくるのは嫌だったから。
けれど、腑抜けたやつを前にするとなかなか言葉が出なくて。
科学室、バラバラになった骨格標本。やはり、あのネームプレートが関係してるのだろう。
「……おい」
言い淀む俺を、周子は黙って見ていた。そして、そのまま押し黙った時。
「……僕には、妹がいるんだ」
周子が、重い口を開いた。
突然家族の話を振られ戸惑ったが、不意に、『周子繭』の名前を思い出す。
「父親と母親が旅行に行ってる間、妹だけ祖父母の家に預けてるんだ」
そう語る周子の目は焦点が定まっていない。
震える声。血の気の失せた唇まで、震えていて。
「本当は、明日、一緒に空港まで父親と母親を迎えに行くはずだったんだ……迎えに行くはずだったんだよ……ッ」
瞬間、ぼろぼろと周子の目から涙が溢れるのを見て、俺は困惑する。
だって、まさかあの周子が、何があっても人の前では気丈に振る舞ってる周子が俺の目の前で泣いているのだ。
慰めればいいのか、何を言えばいいのか、全くわからなくて。
「なのに、なんで……僕はこんなところで何をしてるんだ……ッ」
大分追い詰められているというのは見てわかった。
痛いくらいの自責の念にいたたまれなくなる。
俺には自分を責める周子が理解できなかった。だってそうだろう、悪いのはここに閉じ込めたやつだ。なんで自分を責めなければならない。
恐らく、周子とは一生意気投合することないとは思っていたが、それでも、今の不安定なやつを放っておくことができなくて。
「なら、明日までにここから出たらいいだろ」
時計がない今、奴がいう明日がいつなのかわからない。最悪既に何日も過ぎている可能性もある。周子もわかってるはずだろう。
それでも、そう言うしか出来なくて。というか、俺達にはそれしかないのだ。
「妹が待ってんだろ!……泣いてる暇なんてねえだろ、委員長」
俺は泣きじゃくる周子の頭をぺしっと叩き、そのまま家庭科室をさっさと立ち去ろうとする。
あまりにも柄のないことをしてしまい、赤くなった顔を見られたくなかったのだ。なのに。
制服の裾を掴まれる。
「……右代君、君、そういうことも言えるんだね」
人をわざわざ足止めしといて、やつは柔らかく笑った。
その皮肉にムカついて、それ以上に周子の笑顔に安堵する自分に腹が立つ。
「うるせえ、泣き虫野郎」
「君に言われたくないんだけど」
「あ?」
「だって、君、あの時……」
言いかけた周子の言葉に、薄暗い檻の中、木賀島との出来事がフラッシュバックする。
全身に木賀島の指の感触が蘇り、筋肉が強張った。青褪める俺に、周子はハッとした。
「あ、いや……ごめん。今のは無神経だったね」
「……うるせぇよ、いまさら謝ってんじゃねえよ」
「なんだよ、その言い方……」
確かにあまり思い出したくない事実だが、正直、よく覚えてないのだ。
全身を這う木賀島の手の感触や掌の痛みはハッキリと覚えてるのだが、薄暗い部屋の中、おまけに軽い酸欠に陥っていたせいだろうか。記憶はモヤが掛かったように朧気なもので。
「そういや、あの……ありがとな」
「え?」
「進藤たちのこと……適当に口裏合わせといてくれたんだろ」
ありがとな、ともう一度だけ口にすれば周子はこれでもかというほどに目を見開く。
「なんだ……気持ち悪いな。何か悪いことが起きる前触れかな。やめてくれよ」
「……てめぇ」
「別に、君の為だけではない。こんな状況下、下手に刺激するような真似をして秩序が乱れては困るしね」
「な……」
刺激ってなんだよ、と、そっぽ向く周子に問い詰めようとしたとき。
やつの耳が赤くなってるのを見て、俺は口を閉じる。
なんでお前が照れてんだよ。釣られて赤くなる顔を隠すように、舌打ちをした俺は周子から顔を逸らした。
「おーい!周子ー!右代ー!どこにいんだよー!」
不意に、廊下の方から進藤の声が聞こえてくる。どうやら黙っていなくなった俺達を心配してるみたいだ。
「早く戻ろう」
そう言って、さっさと家庭科室を出ていこうとする周子。
こんなところに長居する必要もない。続けて俺も家庭科室を出ていこうとするが……。
「ッ、ぐぅ……ッ」
下半身、裂けるような痛みに堪らず蹲る。そんな俺に、慌てて周子は駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫に見えんのかよ……ッ」
「僕は大丈夫か大丈夫じゃないかを聞いて…いや、違うな」
一瞬だけ考え込んだ周子だったが、すぐに俺に背中を向けてくる。
「ほら」
「……は?なに?」
「背中、乗りなよ。おぶってあげるから」
「………………………………は?」
「は?じゃないよ、歩くのが辛いんだろう」
「な、何言ってんだよ。そんなのいらねえからッ」
周子におぶさってアホヅラしてる自分を想像したら寒気が走った。
吠える俺に周子は苛ついたように眉間を寄せ、そして。
「ああ、もうっ」
いきなり抱き締められたかと思った矢先だ、視界が暗転する。
地から足が離れ、その代わりに腰に回された周子の手。自分が周子に担がれたと理解した瞬間、思考が停止する。
「っおい!」
「わっ、ちょっと暴れないでよ」
「何やってんだよ、降ろせ!今すぐ降ろせっ!」
通常時よりも高くなった視界に感動するよりも先に、周子みたいな対して鍛えてもなさそうなやつに持ち上げられること自体がこの上なく屈辱的で。
「降ろしたところで、君、まともに歩けないじゃないか」
そんな俺を対して気にも留めず、冷静に続ける周子に言葉に詰まる。
確かに、歩く度にどこもかしことも痛んで、今こうしてばたつくだけでも痛みはある。だけど、それでも。
「てめぇ、人を馬鹿にするのも大概にしろッ!俺を誰だと……」
「わかったよ。文句なら後から聞くから取り敢えず今は皆と合流しよう」
「わかってねえだろッ!」
ばしっと周子の頭を叩くけど、周子は「はいはい」といった調子で受け流すばかりで。
それどころか俺の言葉も聞かずに歩き出しやがる。
動く視界。なんとしてでも降りたくて、暴れる俺だったけどずるりと落ちそうになって、つい、俺は目の前の周子にしがみついた。
「そうだね、そのまま大人しくしておいてね」
なんてすました顔して続ける周子に俺はなんだか悔しくてたまらないがそれ以上に本格的に痛み出した体にどうすることも出来なくて。
仕方なく、仕方なく、俺は周子の好きにさせることにした。不本意だが。
「うし――ッ?!」
「…ごめんね、黙っていなくなっちゃって」
「……」
「いや、それは別にいいんだけどさ…」
目を丸くする進藤が何を言わんとしているのかはわかった。
だから、無言で進藤を睨めばやつは慌てて目を逸し、わざとらしく咳払いをした。
校内、通路。
「それより周子、木賀島が目を覚ました」
「…そう、様子は?」
「いつも通りだよ。皆、あの料理が気になるみてえだな。一応、皆集まってから料理のことは考えようって言ってっけど…」
「なら、早く戻った方が良さそうだね」
木賀島が目を覚ました。
そのことだけで緊張してしまう自分が情けなくて、恐らく、周子にもそれが伝わってしまってるのだろう。周子はなにも言わないが、それが気を遣われてるみたいで少しだけ気分が悪い。
科学室前。
そこで周子はようやく俺を降ろしてくれた。
流石にこのまま全員にお披露目するのは気の毒かと思ったのだろうか。屈辱だ。
それでも、担がれていた間下半身の負担が軽減したお陰で大分楽になったのも事実なだけに正直、ノーコメント。
先を往く周子に続くように科学室に入ろうとした矢先だった。
「ッ、おい、何してるんだ!」
慌てた周子の声に、こちらまで驚きそうになって。
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