作り物は嫌ですか?

田原摩耶

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僕の心、君知らず。

01(郁視点)

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 エピソード4【僕の心、君知らず。】


 御厨要人とは小さい頃から一緒だった。
 お互いの母親同士が仲がよかったお陰で家族ぐるみの付き合いが続き、最初は鬱陶しかったやつの性格にもそろそろ馴れ始めた小学生低学年の秋。その日は運動会だった。
 わあわあと沸き上がる観客たち。そんな慌ただしい喧騒の中、運動場の片隅にそいつはいた。
 膝を抱き抱え、踞る要人は嗚咽を漏らし時折鼻を啜る。
 また泣いている。しかも周りの連中は運動場で行われている競技に夢中になっており、誰一人御厨要人に気付いてるやつはいない。
 仕方ない、そう小さく息を吐き要人に近付く。

『ひぐ、ぅう……っ』
『おい要人、いつまで泣いてんだよ』
『だって、僕のせいで郁君が……』
『別にお前のせいじゃないだろ。ほら、さっさと泣き止めって。横でぐすぐすやられたら鬱陶しいんだよ』

 ずかずかと歩み寄り、やつの腕をぐいぐい引っ張って無理矢理立たせようとすれば要人は『ふえぇ』とまた泣き出し、嫌々と首を振る。

『だから泣くなって。ほら』

 いいながら構わず立たせた俺は泥で汚れた要人の体操着を叩く。
 先程リレーのときに派手に転んだときについたのだろう。鼻を赤くし、涙で濡れた要人は目の前に立つ俺を見下ろす。

『でも、郁君、せっかくあとちょっとで一位だったのに、僕がとろいせいで……』

 こいつはまたいつまでもうじうじと。

『要人がとろいことくらい知ってんだよ。別に他のやつで頑張ればいいじゃん』
『他のって、無理だよ、だって僕運動苦手だし足遅いし……』
『俺の応援ぐらい出来るだろ』

 ああ言えばこう言う要人にそう強い口調で言い返せば、要人はきょとんと目を丸くさせる。
 まるで意外だというかのような要人に念を押すように俺は『要人は要人に出来ることやれよ』と続けた。

『僕に出来ること……?』
『だから、俺の応援しろ』

『そしたら、お前の分まで頑張ってやるから』最後のはちょっと恥ずかしくなって声がちっちゃくなってしまったが要人にはしっかり届いていたようだ。
 アホ面を晒していた要人の顔は次第に明るくなり、そしていつもと変わらない無邪気な笑みが浮かんだ。

『う、うん……! わかった! 僕、郁君の応援する!』

 俺と御厨要人の思い出。それも、沢山ある内の細やかな記憶。
 ……なんで今頃こんなこと思い出したのだろうか。

 まだ幼かった俺は高校二年生になり、その隣にはあの頃と変わらず要人もいる。
 ただ、あの頃と違って要人が側にいることに安心している自分がいた。


「おい、要人、かーなーめ。朝だぞ、起きろって」

 平日の朝。
 学校の準備を済ませた俺は、いつまで経っても起きてこない幼馴染みのベッドを覗き込む。
 そしてベッドの上、頭まですっぽりと布団に包まった要人を何度か揺すってみた。しかし、「んん」と小さな呻き声が聞こえてくるばかりで起きる気配はなく、それどころか数秒しないうちにまた健やかな寝息を立て始める要人に思わずため息が漏れた。

 ――本当、寝起きが悪いのは変わってないな。

 思いながらベッドの上に横たわる要人の寝顔を見詰める。
 あまりいいとはいえない顔色に目の下の隈。
 また夜更かししたんだろう。最近要人が夜中こそこそしていたのを知っているだけ、心地良さそうに眠る要人を起こすのは少し気が引けた。

「……ったく」

 このバカ要人め。
 思いながら鼻先をぺしっと指で弾けば要人は「あだっ」と間抜けな声を上げた。

 いつもと変わらない長閑な朝。いつもと変わらず気分は優れない。
 ……その原因は、わかっている。



 ――場所は変わって教室。

「せーんぱあい、要人せんぱい! おはようございます!」

 ああ、来た。
 地声なのかやけに甲高いその中性的な弾んだ声とともに教室に入ってきたのは黒髪の下級生。
 確か、名前は……。

「蕪木君」

 そうだ、一年の蕪木佳夫。
 その一年の名前を口にする要人に元気よく蕪木は「はいっ」と返事をした。
 その女みたいな顔には、俺にもわかるほどの媚びたような笑み。そんな笑顔を向けられた要人はまたかとでもいうかのような苦笑を浮かべる。

「こっち二年生の教室だよ?」
「勿論知ってますよう、だから来たんですっ」
「ついでに言っておくけど渋谷君ならこのクラスじゃないからね」
「別に慶太なんでどうでもいいんです、ボクは要人せんぱいに会いに来たんですから」
「そっか、じゃあ僕たち急いでるから」

 そう言って、要人は俺の肩を軽く叩き廊下の先に視線を向ける。
 さっさと逃げようというアイコンタクト。
 小さく頷き返し、促されるがまま足を進めれば「ああん待ってください要人せんぱいっ!」と蕪木の艶かしい声が聞こえてきた。それを無視して足を早める要人。
 俺はそれについていく。

 本当、なんで要人があの一年に絡まれているのだろうか。
 蕪木が慶太と話していたのは前に見たことがあったが、なんで要人なんだろうか。
 要人は確かに、優しいし、面倒見もいい。柔らかい雰囲気はあるかもだけどだ、別にかっこいいわけじゃない。それなら慶太とかのがかっこいい部類なはずだ。
 ――なのに、なんで要人なのだ。

 胸に小骨が引っかかったようにちくちくと傷んだ。
 それと同時に要人に仲がいい後輩がいるだけでこんなに調子狂わされている自分が嫌になる。




「ごめんね、郁君」

 蕪木佳夫を撒いたのを確認して、要人はようやく足を止めた。
 なにに対しての謝罪か言わない要人だけど、きっと蕪木に対してだろう。だとしてもなんで要人が謝るのかはわからないが。
 俺としては蕪木よりも要人の態度の方が気になる。

「後輩なんだろ、いいのか?」
「うん、彼にも授業あるんだしね」

 思いきって尋ねれば、相変わらずそつのない笑みを浮かべさらりと流す要人。
 そんな要人の笑顔を一瞥した俺は「ふーん」とだけ呟いた。
 ……答えになっていない。


 正直、要人の調子が悪そうなのは蕪木佳夫のせいだと思っていた。
 一日の大半要人と行動しているが、ここ最近になってあの蕪木とかいう後輩が要人に付きまとっているのだ。
 教室まで押し掛け時には待ち伏せし強引に連れ出そうとする。そのせいで要人は疲れている。……そう思っていた。否、そうであってほしいと思い込んでいた。

 よく考えれば要人が寝不足になり始めたのは蕪木が付きまとい始めるより前だ。
 先週、先月、数ヵ月前、去年……違う。もっと前だ。俺が、ダメになってから。いや、もしかしたらそれよりもずっと前、俺と出会ったときからかも知れない。
 そんな自虐的な思考が頭に張り付いて離れなかった。
 要人の様子が可笑しいのを蕪木佳夫のせいにして、自分のせいではないと安堵したかったのだががやはり、そう簡単にどうにかなるほど脳味噌は単純な仕組みをしていないようだ。
 要人の重荷にも迷惑にもなりたくない。だけど、一緒にいるのが当たり前になってしまった今自分の中に芽生えた懐疑の感情が邪魔で邪魔で仕方がなかった。

 結局そのときはなあなあになりながら教室へと戻り、気づけばあっという間に昼になった。


 ――昼休み、教室。
 授業終了のチャイムが鳴り動き始めるクラスメイトたち。それに混ざって立ち上がった俺は要人の元へ歩み寄る。

「要人、一緒に食堂……」

 そう、誘おうとしたときだった。

「せーんーぱいっ! ボクせんぱいのためにお弁当作ってきちゃいました!」

 いきなり飛び出してきたそいつは俺の横を通り抜け、そのまま勢いよく要人に抱き着いた。
 ーー蕪木だ。
 その手には女子みたいなカラフルな巾着がしっかりと握られている。これが弁当なのだろう。
 こちらを見ていた要人は自分に擦りよってくる蕪木を一瞥し「蕪木君」と呆れたように小さく息をつく。

「悪いけど、今から僕たち食堂に行かなきゃいけないんだ。……他のお友達と食べてきなよ」

 冷たいとも暖かいとも取れない、あくまでも優しい口調だ。だが、遠慮はない。
 そんな要人に傷つくわけでもなく、蕪木は「そんなぁ」と泣き真似をしておどけるのだ。そして、その顔がどこか嬉しそうなのはなんでだろうか。

 正直、俺との予定を優先させてくれる要人の言葉は嬉しかった。嬉しかったけど、それと同時にこのまま要人を独占していいのか不安になる。
 要人と一緒にいたい。だけど、せっかく要人に好意を寄せてくる後輩がいるのにこのまま自分ばかりと付き合わせていいのかわからなかった。

 昔から、要人は自分よりも俺を優先してきた。だからというわけではないが俺は、要人にはたくさんの友達を作ってもらいたい。
 別に要人と離れたいわけではないし、寧ろ一緒にいて安心するけど、このままじゃせっかくの要人の学生生活が俺のせいで潰れてしまう。
 ……それだけは、させたくなかった。

 だから俺は、自分の我儘を押し殺す。

「せっかく作ってきてもらったんだから貰えよ」

 要人の肩を軽く叩き、こちらを振り向く要人をそう促す。
 一瞬理解が遅れたようだ。「え?」と目を丸くする要人に俺は微笑みかける。

「俺は食堂で食うから、じゃあまた後でな」

 なんとなく、早口になってしまった。
 いち早くこの場を立ち去りたい気持ちが出てしまったのだろう。そしてそのまま一方的に告げた俺はその場から逃げ出した。

「あっ、ちょ、郁君!」
「ほらせんぱい榛葉郁もああ言ってるんですから、ほらほらぁ~いいじゃないですか~っ」
「もう、君は本当……!」

 背後から賑やかな二人の声が聞こえてくる。

 ……これでいいんだ、これで。要人の好きにさせたらいいんだ。
 そう自分に言い聞かせるが、胸の底から沸き上がってくる不快感をなかかったことにすることは出来なかった。
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