モノマニア

田原摩耶

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崩壊前夜

擦れ違う心と噛み合わない体

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 なっちゃんに連れて行かれた先は人通りの少ない学生寮、その裏だった。
 普通ならばまず人が来ないようなそこに向かおうとするなっちゃん。
 流石に嫌な予感がして、「なっちゃん」と引き返そうとしたときだった。

「…………京」

 名前を、呼ばれる。
 耳障りのいい、低めの声。

「ま、こちゃん」

 声の主を振り返るよりも先に、口が、その名前を呼んでいた。
 壁を背に立っていたマコちゃんは、俺の姿を見るとすぐに歩み寄ってきた。
 本当だったら、嬉しかっただろう。
 どうしてここに、と胸の奥がぎゅーっとなって、飛んで喜ぶかもしれない。
 けれど、俺は、昨日既にマコちゃんと会っていた。
 夢現な記憶の中、それも、最悪な形でだ。

「……っ、ど……して……」
「…………委員長、言われた通りこいつは連れてきたんで。……また用が終わる頃に呼んで下さい」

 そう、なっちゃんはそれだけ言ってどっかに行く。
 その場に残された俺とマコちゃんの間には、なんとも言えない空気が流れた。
 ……本当はすっごく嬉しいはずなのに、会えた喜びよりも昨日のことを言及されるのが怖かった。

「マコちゃん……」
「悪かったな……連絡もなしに急に来て。それを、言いたかったんだ。…………俺は、お前の都合を考えていなかった」

 驚かせようと思ったんだ、実は。
 なんて、他の奴らには見せないようないたずらっ子のような笑顔。
 笑顔なのに、マコちゃんの寂しさとかそういうのを感じてしまって、俺は笑えなかった。

「違う、嬉しかったよ……すごいびっくりしたし……俺も、会いたかった…………本当だよ?」
「……そうだったのか?」
「…………俺がただ…………っ」

 ただ、だめだっただけで。
 マコちゃんは何一つ悪くない。
 そう、マコちゃんを早く安心させたいと思うのに、言葉が続かない。
 余計な記憶までフラッシュバックし、動悸が早くなる。
 ……………ユッキー。
 あいつの顔を、声を思い出すだけで、言葉にできないどす黒いものが腹の中に込み上げてくるのがわかった。

「……っ、俺が…………」
「京」
「……ッ!」

 マコちゃんに手を掴まれ、ぎょっとする。
 いつの間にかに手が震えていたらしい。

「…………熱いな、まだ具合悪いのか?……酷い顔になってる」
「……ま、こちゃん…………」
「必要以上に自分を攻めるな。…お前に悪いことなんて何もないだろう。全部俺が勝手にやったことなんだから」

 ああ、この人は。
 俺がほしい言葉を全部くれる。
 違う、そうじゃないんだ。
 俺が、あんたがせっかく会いに来てくれたのに別れたあと何をしていたと思う?
 それを知っても、マコちゃんは同じ言葉を投げかけてくれるのだろうか。そんなわけがない。
 俺だったら、そんなやつに優しくできない。
 だからこそ余計、マコちゃんの優しさが辛かった。

「……っ、おい、大丈夫か?泣くほど辛いのか?」
「っ、ちが……これは……っマコちゃんが…………優しいから…………っ」
「…………俺が優しかったら泣くのか?」
「……ッ、ふ……ぅ……」

 情けない、とか、こんな顔、見せたくない、とか。
 そんなわけわからん感情がぶわーって一気に溢れ出して、制御できない。
 ボロボロと溢れてくる涙に、マコちゃんは最初こそ驚いた顔したがすぐに仕方ないなという顔になる。

「っ、マコちゃん、見ないで……今、俺すげーダサいから…………」
「……ああ、そうだな、すごい顔になってるぞ」
「…………っなら、見ないで……」

 そう言い終わるよりも先にマコちゃんに頬を優しく撫でられる。
 目尻の涙を拭うその親指がくすぐったくて、「マコちゃん」とその手を掴んだとき、そっと抱き締められた。

「…………わかった、なら、俺は見なかったことにする。だから」

 好きなだけ泣いてもいいぞ、と暗に言われたような気がした。
 ぽんぽんと、赤子でもあやすかのように優しく背中を撫でられ、さっきの緊張が嘘みたいに全身が緩んでいくのがわかった。
 ……暖かい。
 マコちゃんの心臓の音が聞こえてくる。
 あんなに触れられるのが嫌だったのに、マコちゃんの手が、声が、心音が、嘘みたいに体に馴染んでいくのだ。

「……マコちゃんは、ずるい」
「…あぁ、そうかもしれないな」
「…………風紀委員長のくせに」
「それとこれとは……関係ないだろう」
「………ん、そうかも」

 こうして抱き締められると、触れたところからとくんとくんって心臓の音が響いて、なんだか本当に繋がったみたいな錯覚に陥る。
 俺の震えが止まるまで、マコちゃんは俺を抱き締めてくれた。
 時折頭を撫でて髪を掬うくらいで、あとは、ただ優しく俺を宥めてくれるのだ。
 それ以上のことは何もしない。


 涙はいつの間にかに止まっていた。

「もう、大丈夫なのか?」
「…………ん、大丈夫。マコちゃんの顔が見れたからね」
「……本当か?」
「…………本当だよ」
「…だったらいいが、無理はするなよ。千夏にも伝えておく、お前が具合悪そうならすぐに保健室へと連れて行けってな」
「…………絶対なっちゃん嫌がりそー」

『なんで俺が』と不機嫌な顔していうなっちゃんが頭に浮かぶ。
「……それにしても、京、随分と千夏と仲良くなったみたいだな」
「仲良くって……そお?寧ろ、なっちゃん俺のこと絶対うざがってると思うんだけどなー」
「そうか?…電話口でも思ったが、あいつは嫌いなやつほど何も言わないタイプだからな。……それだけお前のことを心配してるっていう証拠だ」
「…………ふーん?」

 どことなく嬉しそうなマコちゃんに、なーんか腑に落ちない俺。
 こういうのって、普通嬉しいもんなのかな。

「……マコちゃんはさぁ、俺となっちゃんが仲良くなったとして……その、ヤキモチとか妬かないわけ?」
「っ、な、何を言い出すかと思えば…………」
「マコちゃんはヤキモチ焼きだと思ってたんだけどなぁ」
「…………あのなぁ………………」

 呆れ果てるマコちゃんだが、返す言葉が見つからないらしい。
 うーーんと考え込むような仕草で言葉を探し、そして紛らすように咳払いを一つ。

「第一、あいつはそういうやつじゃない。…………確かに、妬かないといえば嘘になるけどもだ」
「へーーー」
「……おい、やめろその目」
「…………でもそうだね。なっちゃんはお人好しっぽいし、口煩いけど……なんか、最初の頃のマコちゃんに似てる」
「…………………………そうか」
「…………あ、もしかして今ちょっと妬いた?マコちゃんの嫉妬ポイント謎だわー」
「……悪かったな、器の小さな男で」
「……へへ、でもそういうマコちゃんも好きだよ」

 マコちゃんといると不思議だ。さっきまであんなにバッキバキに固まっていた表情筋が勝手に緩むのだ。
 マコちゃんの目がこちらを向く。
 少しだけ、むっとしたような顔。
 目と目がぶつかり合って、ほんの一瞬、時間が停まったような気がした。

 あ、と思ったときには遅かった。
 視界が陰る。マコちゃんの顔が近付いて、無意識に息が停まった。
 加速する鼓動。俺はそれを受け止めようとしたときだった。
 脳裏に、ヒズミ、そしてユッキーとのキスが蘇る。
 …………それは、反射的なものだった。
 俺は、マコちゃんの唇が触れるよりも先に、マコちゃんの胸を押し返した。
 瞬間、空気が凍る。

「…………っ、京…………」

 驚いたような顔をするマコちゃんと、それ以上に驚いたのは……俺自身だった。
 …………俺、今……何した?
 真っ白になる頭の中、それを理解した瞬間血の気が引いた。

「今のは……違………っ」

 マコちゃんを拒否したわけじゃない。
 そう言いたいのに、言葉が上手く出なくて。
 少しだけ驚いた顔をしたマコちゃんは、俺から手を離した。そして、微笑む。

「……悪かった、無遠慮だったな」

 傷付いた、顔。そのくせ俺を気遣う優しい声。
 胸が、心臓が痛いほど軋む。
 違う、違うのに。真っ白になった頭では上手く言葉を吐き出せない。

「ま、こちゃ……」
「委員長」

 辛うじて出した声はどこからともなく響いてきた不遜な声に掻き消される。
 ハッとし、振り返ればそこにはなっちゃんがいた。

「委員長、そろそろ人目が多くなります。……戻らないと見つかったらメンドーっすよ」
「…………あぁ、そうだな。千夏、京を頼んだ」
「っ、待って、マコちゃんっ」

 マコちゃんが帰ってしまう。
 咄嗟にマコちゃんの腕を掴んで引き止めれば、振り返ったマコちゃんにくしゃくしゃと髪を撫でられた。

「……京、お前の顔が見れてよかった。……またな」
「…………ッ!」

 マコちゃんの手はすぐに離れた。
 今度は止める暇もなく、マコちゃんが離れていく。
 慌てて追いかけようとするが、なっちゃんに止められた。

「…………なっちゃん……っ」
「あんた、生徒会なら委員長の状況知ってんだろ。……あんま長居すると見つかった時が厄介なんだよ。…どーせいつもベタベタしてんだから少しくらい我慢しろ」

 なっちゃんの言い分は理解できた。できたからこそ余計、歯痒かった。
 あのときのショック受けたようなマコちゃんの表情が頭から離れない。
 ……マコちゃん。後から電話しよう。
 そう思うのに、上手く弁明できる自信がなかった。
 一瞬でもマコちゃんを怖いと思ってしまった自分が嫌で嫌で嫌で、俺は、やり場のない自己嫌悪にただマコちゃんを見送ることすらできなかった。
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