モノマニア

田原摩耶

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崩壊前夜

悪友以上親友未満

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 ちーちゃんに引っ張られるようにやってきたのは校舎と学生寮の間にある中庭だった。
 普段に比べそこには人の気配すらない。
 当たり前だ、本来ならば今は教室で授業を受けている時間帯なのだから。

「ここなら今の時間帯、誰も来ませんよ」
「園芸部部長特権ってやつ?」
「ふふ、人聞きが悪いですね。時間の有効活用と言ってください。僕はただ、人のいない時間帯に庭園を開放してるだけですので」

 ただし、教師に無許可でね。
 ニコニコと笑いながらどこからか用意したティーセットを備え付けのテーブルに広げ、手際よくティーカップに紅茶を注ぐちーちゃん。
 こうしてみると、本当に絵本の中の王子様みたいだ。
 なんて思いながらその姿を横目に眺めていると、不意に目が合った。

「ああ…仙道は紅茶は飲めませんでしたね」
「いいよ、別に喉乾いてないし」
「そうですか。残念ですね、新作の紅茶を取り寄せたんですが」
「そういうのは他の子にしてあげなよ。…俺みたいに味わかんないやつに出したって勿体無いだけだよ?」
「仙道、貴方はデリカシーのないことを言いますね」

 ちーちゃんにだけは言われたくない。
 むっとする俺を一笑し、ちーちゃんは向かい側のベンチに腰を下ろした。
 緑に包まれた中庭の中、生暖かな風とともにふわりと紅茶特有の薫りが流れてくる。
 味は好きじゃないけど、匂いは…好きかもしれない。

「僕の目の前には今貴方しかいません。それなのに他の人間のことを口にするなんて無粋ではありませんか」
「そうやって口説いてんの?」
「ええ。大抵の子はこれを囁やきながら手を握り締めればすぐ落ちますよ」

 悪びれもなくそんなことを口にするちーちゃん。
 その姿がありありと浮かぶ。

「ちーちゃん、いつか刺されそー」
「愛されて殺されるのならば本望ですよ」

 どうしようもなく真面目で変態だけど、ちーちゃんのこの性格は気持ちよくて好きだった。
 だからかもしれない、こうして対象的な性格ながらも一緒の席でお茶なんて出来るのも。

「…その変な前向きさ、羨ましいなぁ」
「貴方はそうではないのですか?」
「そんな変わり者、ちーちゃん以外なかなかいないと思うけど?」
「貴方は僕と同じタイプの人間だと思ってますが」
「…俺が?」

 確かにたまにちーちゃんと同類と勘違いされてモーション掛けられることはあったけど、少なくとも俺は誰かに殺されて喜ぶような変態ではない。
 いくら冗談だと分かっていても、昨日の今日なだけに顔が強張ってしまう。

「なに、戯言ですよ。気にしないでください」

 そんな俺の気を知ってか知らずか、ちーちゃんは微笑む。
 そんなの、無理だと知っているくせに。

「…ちーちゃんはさ、好きでもないやつに殺されても嬉しいと思えるわけ?」
「ええ、そうですね。殺意を芽生えさせる程の影響力が僕にあったとして、それはとても光栄なことではありませんか」

 キッパリと、ちーちゃんは言い切った。
 ちーちゃんは、嘘は吐かない。口説くために大袈裟に口にすることはあっても、本心にもないことを口にしない。
 だからだろう、その分ちーちゃんの言葉は真っ直ぐ伝わった。
 それでも、やっぱり俺には一生分かることはないだろう。

「俺知ってるよ。そーいうのって変態っていうんだって」
「手厳しいですね、仙道は」

 肩を竦めるちーちゃんは、ティーカップに口をつける。

 ユッキーの顔が脳裏を過る。
 ユッキーがあんなことをしたのも俺のせいだと言われてるようで、正直、不愉快だった。
 けれど、今まで親身になってくれていたユッキーのことを思い出しては胸の奥が苦しくなって、悔しかった。
 やはり、俺はちーちゃんみたいに割り切ることも前向きに捉えることも出来ない。
 俺のせいだと分かってても、許せない。

「…ちーちゃん」
「はい?」
「やっぱり、紅茶ちょーだい。…あんま匂いキツくないの」

 けれど、ユッキーの気持ちなんて分かりたくもない。
 そう突っぱねていたが、もしかしたらユッキーにもユッキーなりの考えがあったのかもしれない。
 そんな風に思えてきたのだ。
 それはやっぱり俺は受け入れることは出来ないだろうが、そう思うと少しだけ、気分が軽くなる。

「畏まりました」

 ちーちゃんはそうとだけ答えて、再び席を立った。俺の紅茶を用意するために。
 ああやっぱり俺は黙って集中してるときのちーちゃんは好きだななんて思いながら、注がれる紅茶の音に耳を傾ける。
 どっから用意してきたのか、ちーちゃん特製紅茶が入ったティーカップを受け取る。
 …あんま茶葉とかわかんない俺からしてみればそれがいい匂いなのかもよくわからないけど、薫る紅茶を嗅ぐとほっとする。

「…それで、どうしたんですか。何か遭ったんでしょう」
「………………」

 ちーちゃんが、こういう風に立ち入ってくるのは珍しい。だっていつもちーちゃんは適当にはぐらかして、敢えて核心に触れないように接してくるから。
 …だから、俺も俺でそんなちーちゃんに甘んじてたところもあった。

「僕には言い辛いですか」
「…………そーいうわけじゃないよ」

 俺自身も状況が呑み込めてない。
 ちーちゃんになんて、どう言えばいいのかもわからない。
 だって、あんな。

「………………ッ」

 断片的な記憶が蘇り、落ち着いていたはずの心臓がバクバクと騒ぎ出す。
 …………吐き気がして、手が震える。
 隠そうとしても、無駄だった。カップを落としそうになって、伸びてきた手に掌を重ねられる。
 間一髪、カップは落とさずに済んだけど。

「…………仙道」

 柔らかい声が、空気のように染み込む。
 ……ちーちゃんのこんな顔、初めて見たかも知れない。
 まるで、本気で心配してるみたいなそんな顔、他の可愛い子にするような優しい態度、俺には必要ないってのになー。

「……っ、はは……ちーちゃんってば、すんごい怖い顔してる…………なっちゃんみたいな顔だ」

 やっぱり双子なんだね、と笑いかけてみるが、思いの外硬直した表情筋ではうまく笑えなくて。

「…………そうですね、千夏は……僕に似て美男子なので」

 なんて、相変わらずの軽口叩くちーちゃんだけど……ちーちゃん、それは軽口叩くときの顔じゃないよね。

「………千夏も、あなたの事を心配してましたよ。……あれは一度気になるとずっと気にしてしまうタイプです、一言、入れてやってください」
「…………ん、わかった」

 ……なっちゃん。
 そうだ、マコちゃんに言われて、ずっと俺のこと心配してくれてキャンキャン鳴いていたなっちゃん……。
 ………………マコちゃん。
 マコちゃんの顔が、浮かぶ。
 いつもの困ったような、怒ったような笑顔じゃなくて、昨夜の断片的な映像。
 その中で見た、目を見開いたマコちゃんの顔が。

 どうして、マコちゃんがあそこにいたんだ。
 理由はわかっていた、マコちゃんのことだ、俺を喜ばせようと思ってわざわざこっちに帰ってきてくれたんだ。

 ……本当はやっちゃいけないことなのに、俺のために。
 そう思えば思うほど、自己嫌悪が込み上げてきて、ユッキー…………あの男に対する怒りが湧き上がる。
 それ以上に、自分が自分でなくなっていくような、得体のしれない何かに奪われてしまいそうな恐怖。

「…………仙道、貴方、今日は休んだ方がいいですよ」
「………俺、そんなに酷い顔してる?」

 ちーちゃんは微笑むだけだった。微かに伏せられたその目元に影が落ちる。
 風が吹き、生暖かい風が通り抜けていく。肌に張り付くその感覚が気持ち悪かった。

「…………千夏には僕から連絡を入れておきますよ。放課後は体育祭についての会議も予定されてましたが……これも別に貴方は必要ないものです、役員たちには僕から伝えておきましょう」

 勝手に話を進められてる気がしないでもないが、こんな気分であいつらと顔合わせてもまともに話聞けるとは思えなかった。
 俺は、素直にちーちゃんの好意に甘えさせてもらうことにした。

「…………なんか、ごめん、色々」
「貴方が素直だとここまで気持ち悪いものなんですね。……僕にお礼など不必要だと言ってるじゃありませんか」

 ……そういうちーちゃんだって、いつもなら「お礼は体でお願いします」とか言ってるくせに。
 なんで、今日に限って優しいんだ。
 ……調子狂うが、もしかしたらちーちゃんも同じことを考えてるのだろうか。

「石動様!」

 不意に、中庭に鈴のような声が響く。
 さらっさらの茶髪に、美少女顔負けの節目がちな大きな目。
 ……確か、この子はちーちゃんの親衛隊の…………。

「譲」

 そう、顔をあげるちーちゃんに、ああ、そうだ譲君。
 ちーちゃんには勿体無い、床上手なイイ子。

「…どうしたんですか、そんなに慌てて……ほら、髪が乱れてますよ」
「っわ、あ、あの…その……玉城様が、石動様を呼んで来いと……生徒会室でお待ちしてるとのことでした」

 玉城……って、かいちょーか。

「……あまり嬉しくないお誘いですね」
「せっかくのデートなのに邪魔されて残念だったねえ?」
「全くですよ……っ、て、どこへ行くんですか、仙道」
「………俺も、そろそろ部屋に戻るよ。……ちーちゃんだってこれから忙しいんだろ」
「それなら、ここに千夏を呼びます。それまで待ってますよ」
「…………それってさぁ、俺が心配ってこと?」
「心配、というよりも……そうですね、このまま貴方を一人にさせるとどこかに行ってしまいそうで怖いんですよ」

 僕が、と小さく続けるちーちゃんに、俺はそれ以上何も言えなくなる。
 ちーちゃんだから、余計そうなのかもしれない。
 良くも悪くも俺の性格のことを知ってるちーちゃんが珍しく真剣な顔するもんだから、何も言えない。

「…………ほんと、君のご主人様は過保護だねー」

 そう、テーブルの側で立ってる譲君に声を掛ければ、譲君は目をキラキラさせて「石動様はお優しい方ですので」と息を巻く。
 ……愛されてるなぁ、きっと大層可愛がられてるのかもしれない。
 真っ直ぐな目が、ちょっと今の俺には眩しすぎる。



 ちーちゃんがなっちゃんに連絡してから、どれくらい経ったんだろう。
 多分、そんなに経ってないと思う。

「来たようですね」

 ちーちゃんの声につられて顔を上げれば、確かにそこには中庭が似合わない男が一人。
 ただでさえおっかない顔を更に険しくして立っているではないか。

「………どーも」

 言いたいことは色々あるけど、言葉にするのもバカバカしいといった顔だ。
 怒ってる……のだろう、もう全身から滲み出るその空気からそれは嫌ってほど分かった。

「千夏、後は頼みましたよ」
「…………お前に心配される筋合いねーんだよ」
「まだ反抗期は直らないようですね。…仕方ないですが、僕はこれで失礼します」

「譲」と、側に控えていた譲君に声を掛け、ちーちゃんは優雅にその場を立ち去った。
 譲君もそれに倣って後を追いかけて行く。
 ということは、つまり、俺となっちゃんの二人きりになるわけだ。
 …………絶対、怒ってるよなぁ。
 あんだけ勝手に行動するなって言われてたんだし、文句の一つや二つ言われるのは覚悟してた。
 けど。

「俺たちも行くぞ」
「へ?」
「…いいから来い」

 肩を掴まれそうになって、びっくりする。
 咄嗟に振り払えばなっちゃんも、俺も、びっくりして顔を合わせた。
 触られるのが、怖かった。
 それが、なっちゃん相手にまで発揮されるのが自分でも呆れて、笑ってしまいそうだ。

「……逃げんなよ」

 なっちゃんは無理に俺を連れて行こうとはしなかった。
 そう一言だけ言って、「ついて来い」と歩いていく。

 俺は少しだけ迷って、それからその後ろに着いていった。
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