モノマニア

田原摩耶

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人の心も二週間

喜びだけでは満たされないもの

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 自分はこんなにも単純な人間だったのだろうか。
 マコちゃんから誘いの電話を貰ってから、俺はずっと浮かれていた。
 純に自慢してやろうと携帯を取り出したけど、すぐに昨日のことを思い出して、携帯から手を離した。そして、僅かに自分のテンションが下がる。
 嬉しいはずなのに、やっぱりもやもやしてしまうのは純とのことがあるからだろうか。

「…………」

 ジュース買いに行こ。
 喉の乾きを潤すため、部屋を出た俺はそのまま階に設置してある自販機へと向かう。
 ユッキーたちに耳が痛くなるくらい一人で出歩くなと言われたが、大人しく言いなりになる気はない。
 俺を大人しくさせたいんなら冷蔵庫に常にジュース補充しとけっての。
 なんてこの場にはいない連中の怒った顔を思い浮かべ、自販機の前までやってきた。
 そしてジュースを選ぼうとした時、横から伸びてきた手が俺の目の前を通り過ぎてボタンを押した。
 唖然とする俺を無視し、がこん、と音を立て落ちてきたのは黒いラベルの炭酸飲料。背後を振り返れば、そこには個人的に見たくない顔No.2がいた。

「ごちそーさん」

 そういって、屈んで炭酸飲料を手に取ったかいちょーこと玉城由良はそのままその場を立ち去ろうとする。
 俺の金で勝手に買った炭酸飲料を手に。

「ちょっとさぁ、待ってよ、ねえ」

 考えるよりも先に、体が動いていた。かいちょーの肩を掴み、強引に引き止める。
 思いの外あっさりとかいちょーは立ち止まった。

「どうした?」
「どうしたじゃねーし、それ、俺のなんすけど」
「だから、ごちそーさんって」
「いいわけねえだろーが」

 と、考えるよりも先に体が動いた。思いっきりぶん殴ってやろうと拳を作ったが、そこで俺は思い留まる。
 だってこいつ、避けようとも庇おうともしないし。するつもりもないのだろう。

「どうした?やんねーのか」
「…………アホらし」

 それだけを呟き、俺はかいちょーから手を離した。
 安易に考えが読めてしまったのだ。かいちょーの、嫌な考えが。

「へえ、随分と大人しくなったもんだな。荒れてるもんだと聞いてたんだが」

 踵を翻し、さっさとその場を立ち去ろうとした時。
 背後から掛けられるかいちょーの言葉に、立ち止まる。
 かつりと、靴の音が聞こえる。
 一歩、また一歩と歩み寄ってくるかいちょーを睨んだ。

「なぁに?マコちゃんの次は俺なわけ?」
「その言い方は人聞きがわりぃだろ。元よりあいつの停学に俺は関わっていない」

「あいつらが勝手にやり合っただけだろ」と薄ら笑いを浮かべるかいちょーに胸の奥からむかむかとなにかが込み上げてくる。
 うそつき、と呟けばかいちょーは一層楽しそうに笑った。

「寧ろ、俺からしてみればお前のせいにしか見えないんだけどな」

 目の前、ぷしっと音を立て缶を開けたかいちょーは言いながら一口、中を喉に流し込んだ。
 甘い炭酸飲料の匂いが辺りに充満する。

「だったら……なに?」
「そんなこえー顔すんなよ。別に喧嘩しにきたんじゃねえから」

 それも、嘘だろう。でなければ、ここまでこうも人の神経を逆撫でするような器用な真似、出来ない。
 無言で目の前の男をじっと睨み返せば、かいちょーは肩を竦めてみせた。

「…………その目、変わってねえな」

 懐かしそうに呟くその言葉に、俺は違和感を抱いた。
 まるで、前に、それも今よりもずっと前に会ったかのような物言いをするかいちょーに。

「もう話は終わり?」
「相手したくないならさっさと帰ってもいいんだぞ、別に。別に、俺はお前を引き止めていない」

 どうしてこうもこいつは、俺の苛つくポイントを的確に突いて来るんだ。
 まるで俺が好き好んでかいちょーと一緒にいるかのような言い方に頭にきたが、それもかいちょーの狙いなのだろう。誘導するような言葉遣いは、好きになれない。きっと、ずっと。

「あ、そ。ならいいや。俺戻るから、かいちょーもさっさと寝たら?明日の会議、ちゃんと出なよ」

 それじゃ、とイラつきを紛らすように託しまくった俺は言いたいことだけを言ってそのまま部屋へと戻ろうとした。
 そのとき、肩を掴まれた。今度はかいちょーに止められたわけだけど。

「なに………」

 そう言いながら振り返った矢先、すぐ目先に迫るかいちょーにぎょっとしたのも束の間。俺が身を引くよりも先に半ば強引に唇が、触れ合った。

「……っ」

 逃げようとすれば俺の肩を掴む手に力が籠り、薄膜から流れ込んでくるかいちょーの体温に全身が硬直し、一瞬、俺は動けなくなる。
 なんでそうなるんだ。
 真っ白になった頭の中、嫌な記憶とともに数日前の感触がフラッシュバックを起こし、さっと血の気が引く。
 微かに香る淡いこの香りは、華の匂いだろうか。
 全六感から感じられるかいちょーの存在に、頭の中の警報は更にけたたましく鳴り響く。防衛本能が働き、反射的に動いた体はかいちょーの首を掴んだ。
 そのまま引き剥がそうと指先に力を込めるけど、かいちょーは離れるどころか俺の唇を強引に舌で割ってきて。瞬間、咥内へと流れ込んでくるぬるい炭酸飲料に俺は更に青褪める。

「っ、ゃ……ッ」

 びっくりして、全身の力を振り絞って目の前のかいちょーの肩をぶん殴ったとき、ようやくかいちょーの唇が離れる。その代わり、零れた炭酸飲料が服を汚した。それはどうでもよかった。ただ、咥内と周囲に広がる炭酸飲料の甘ったるいそれは胸糞悪かった。

「悪かったな。これ、返す」

 今度は手を握られ、何事かと身を竦めればかいちょーはそういって缶を握らせてくる。
 突然の出来事にまだ頭が驚いたまま麻痺していて、その場から動けない俺を残してかいちょーは鼻歌交じりにその場を後にした。
 一人、残された俺は呆然と手の中の空の缶を見詰めた。

 ここ数日の間に何人からキスされたとか、そんなことを考えるだけで寒気がした。
 咄嗟に殴り返すこともできず、ただ戸惑っていた自分がただ腹立たしくて、マコちゃんからのデートのお誘いによって昂ぶっていた気持ちはすっかり萎えてしまった。

「…もー、なんなの、ほんとさいあく」

 駆け込んだ洗面所で、口を濯ぐ。
 何度も何度も洗って、口の中に染み込んでいた炭酸飲料の独特の甘味料も丹念に洗い流した。
 なのに、唇のあの柔らかい感触は取れない。

「……」

 夢に出てきたらどーしよ。
 なんて思いながら、口の中に溜まっていた唾を吐いた俺は洗面台から顔を上げた。鏡張りの壁の前。
 映り込んだ酷い自分の顔と数秒見つめ合った俺はぴしゃりと頬を叩く。乾いた痛みで引き攣った顔の方が、少しはましだろう。
 暫くは炭酸飲料は飲めないなぁ。
 なんて思いながら、自販機へと戻った俺はカフェラテを選び、それを手にそそくさと自室へと帰った。

 案の定、その夜は炭酸飲料の海に溺れる夢を見た。
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