モノマニア

田原摩耶

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イレギュラーは誰なのか

信頼か保身か

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「あ?なんだよお前ら、京がびっくりしてんじゃん。あっち行けよ」

 外野がやってきて、ざわつき始める周囲に不快そうな顔をしたヒズミは俺の髪を掴んだまま、目線だけを石動千夏に向ける。それだけでも、ヒズミの異変に気付くのには十分だったようだ。

「日桷和真、お前、首……っ!」
「あぁ、これ?別に、これくらいどうってことねえし」

 呆れたように目を見開く千夏。赤く汚れた首筋を拭ったヒズミは笑う。どよめく周囲に生きた心地がしなくて、それでも体は動かなくなる。
 硬直して動けなくなる俺の顔を覗き込んだヒズミは「大丈夫だから」と笑い、くしゃりと髪を撫で上げる。額にぬるりとした血が付着し、目眩を覚えた。
 俺達の様子にただならぬものを感じたのだろう。少しだけ狼狽える千夏だったがやがて面倒臭そうに舌打ちをし、傍にいた風紀委員に目を向ける。

「おい、そいつを保健室に連れて行け」
「ええっ?!」
「返事は!」
「はっ、はいっ!!」

 青くなり、慌てて声を揃える風紀委員たち。昨日の一件でヒズミの素行の悪さを嫌というほど知ったのだろう。
 面白くなさそうにしながらも、取り囲んでくる連中に諦めたのだろう。服を整えるヒズミは、捕まえようとしてくる風紀の手を振り払った。

「大丈夫だって言ってんだろ、なあ!」

 乗り気ではないヒズミを複数の風紀で捕まえ、引っ張って行こうとする姿は怪我人ではなく、凶悪犯に対する対応のように思えた。

「キョウ」

 動けず、壁に背中を擦りつけたままへたれ込む俺にヒズミが手を伸ばす。一緒に来い、という意味だろうか。ヒズミが何を考えているのかなんてわからなかったが、ただ、俺はその手を振り払った。

「早く、どっか行って…っ」

 叫び過ぎたせいだろう。喋る度に喉が痛み、声が掠れた。
 暫く振り払われた自分の手を見詰めていたヒズミだったが、その拳をぎゅっと握り締め、いつもと変わらない無邪気な笑顔を浮かべる。

「なんだ、キョウも心配してくれてんのかよ。はははっ!心配性だな、キョウは。わかったよ、終わったらまた会いに行くから」
「……っ」

 また、だ。話が噛み合わない。
 先程まであれ程嫌がっていたくせに、打って変わって「なら、さっさと行こうぜ!」と逆に風紀たちを引きずって歩き出すヒズミは俺に手を振り、その場を後にする。
 もう、わけがわからない。一人残された俺は髪を掻き毟り、息を吐き出した。

 ヒズミがいなくなったのを確認し、俺は近くの手洗い場へと駆け寄った。

「っは、ぅえぇ……っ」

 最大まで開いた蛇口から勢いよく溢れる水で何度も口を濯ぎ、吐き出す。
 ヒズミから触られた箇所、こびりついた血液を洗い流し、それでも物足りなかったが、あとは風呂に入ったほうが早いだろう。
 蛇口を閉めゆっくりと顔を上げた時、不意に横からタオルが差し出される。視線を向ければ、そこには石動千夏がいた。

「……」
「無視すんなよ」
「……なんの用」

 無意識に、声が低くなる。掠れ、ひび割れたような酷い声だった。
 自分でもうわぁと思ったけど、言い直す気力も千夏相手にへらへらする元気もない。千夏も千夏で俺と馴れ合うつもりは毛頭ないのだろう。
 いつもに増して、人を見る目が鋭い。

「人一人切り付けておいてなんの用はないだろ」
「なら、さっさと指導室でもどこでも連れてってよ。ほら」

 こうして誰かと話すのが面倒になって、半ばヤケクソになりながら両手を差し出せば、呆れたような顔をした千夏は「おい」と俺の手首を掴み、動きを止める。

「……なに?」
「あんた、日桷和真とどういう関係なんだよ。うちの委員長と仲いいんじやねえの」

 ずけずけと踏み込んでくるような遠慮ない物言いはちーちゃんと似ていると思う。千夏の直球な問いかけに全身が凍り付き、落ち着き始めていた鼓動は再び乱れ始める。

「……っ、マコちゃんは、関係ない…」

 脳裏を過るマコちゃんの笑顔に、心臓がズキズキと疼いた。
 千夏とマコちゃんの距離が近いことは俺も知っている。
 知っているから多分、俺は、千夏に今のを見られたということが酷く恐ろして思えて。よく聞き取れなかったのか「はぁ?」と顔をしかめる千夏の服を掴んだ。

「って、おいっ」
「マコちゃんには、言わないで。さっきのこと」

 狼狽えるやつに縋り付くように、懇願する。
 なんで俺がこんなやつなんかに頼まなきゃならないのか、という疑問は抱かなかった。
 今はただ、マコちゃんだけには知られたくなくて。
 自分がどれほど情けない姿晒してようが、構わない。

「停学でも何でもいいから、お願い、ヒズミとのことだけは……っ」

 マコちゃんが俺を真っ白な人間と思ってるかどうかはわからないが、俺は、マコちゃんの前だけでは真っ白な人間でいたい。
 じゃないとマコちゃんにまで嫌われたら本当に俺はどうすればいいのかわからなくて、マコちゃんのことを考えれば考えるほど頭の中がグチャグチャになる。
 息苦しくて、どうしようもなくて、そんな自分がかっこ悪くて、切羽詰まった思考に息が詰まり、涙が滲む。

「お願いだから、」

 それ以上は言葉にならなかった。枯れていたと思っていた涙腺は潤い、止まらない。
 グズり出す俺に、ぎょっとした千夏は俺の肩を掴み、強く揺さぶった。

「おい、落ち着けって」

 大きな声。びくりと顔を上げれば、真正面からこちらを見据える千夏と目があった。
 そして、千夏はばつが悪そうに視線を逸らす。

「……取り敢えず、部屋で休んどけよ。どうせ、すぐ呼び戻されるだろうけど」

 そして石動千夏に誘導されるように、俺は寮の自室へと帰ってきていた。
 やつは俺が部屋に入るまで離れなかったが、恐らくもうどっかに行ったのだろう。
 一人になれば、少しは落ち着けるだろうと思っていた――しかし、実際はその逆だ。
 元々相部屋のそこは一人ではただ広すぎて、逆にマコちゃんのことで頭がいっぱいになってしまう。
 仮に、石動千夏を口封じすることが出来たとして、他の委員たちまで封じることは難しいだろう。遅かれ早かれ、マコちゃんの耳に届く。そう考えただけで背後が薄ら寒くなり、震えた。
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