モノマニア

田原摩耶

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鬼さんこちら、手の鳴る方へ。

逆鱗、お触り禁止。

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「……なんの用?」

 自然と、声が低くなる。
 そりゃそうだ。気分が悪い的に気に入らない奴の顔を見たら誰だっていい気持ちはしない。

「お見舞いに決まってんだろ?」

 そんな俺を喉を鳴らして笑う玉城は、シャープペンシルをポケットに戻す代わりに何かを取り出す。そして、「ほら、軟膏」と箱に入ったままのそれを投げて寄越した。
 こいつは知っているんだろう、俺の身に何があったのか。どうして、とかそんなことまではわからなかったが、なんとなく想像つく。――ヒズミだ。

「っ、出て行ってよ……っ」
「そんなキレんなよ。動けねえと思ってせっかく塗り込んでやろうと思ったのに」
「っはぁ?」

 わけがわからない。そう、ベッドの傍に立つ玉城を睨んだ時だった。
 伸びてきた玉城の手に肩を掴まれ、そのまま強引にシーツの上に押し付けられた。ぎっ、と安っぽいパイプベッドは大きく軋む。
 視界いっぱいに天井が浮かび上がり、そしてすぐ、ベッドの上に乗ってくる玉城が見えた。嫌な予感がして、慌てて起き上がろうとしたがまだ完治していない全身に激痛が走り、堪らず呻く。

「ちょっ、や、なに」

 それでも、他人に上に乗られるというのは不快極まりない。なんとか腕を動かし、玉城を押し退けようと試みるが、あっさりと手首を掴まれてしまう。
 そして、

「っ、く」
「はっ、やっぱマジだったんだな。これ」

 腕を捻り上げてくる玉城の指先が、引っ掻き傷で赤くなった手首に触れる。そしてその奥、今はもう皮膚に馴染んだ一本の太い傷跡をなぞった。その感触に、ぞわりと胸が震える。
 慌てて振り払おうとするが、玉城の指はしつこく絡み付き、離さない。

「ほっせー腕。力入れたら折れそうだな」
「っ離し、」

 なんとか逃げようと、ベッドの上でばたつく。
 くそ、無駄にでかい図体しやがって。
 舌打ちする。こんなやつ、いつもなら足蹴で振り落とせるのに。いや、だからか。だから、玉城由良は俺が本調子でない今を狙ったのか。
 肩を押さえ付ける手が離れ、強引に制服の裾を捲りあげてくる。素肌にやつの手が触れ、寒気が走った。

「この、っ」

 咄嗟に、振り払おうと体を捻じれさせれば腰に鈍い痛みが走る。あまりの激痛に全身から力が抜け落ちた時、玉城にがっしりと腰を掴まれ、無理矢理持ち上げられた。

「はっ、ぐ、ぅ」
「おい、暴れんなよ。和真にやられた時の傷、治ってねぇんだろ?」

 クスクスと笑う玉城は、そのままベルトを緩めてくる。
 全身から血の気が引いた。俺の股ぐらの間に膝立ちになる玉城に、嫌なものを連想してしまう。
 咄嗟にやつの顔面を蹴り上げようとするが、またも避けられる。ムカつく。

「…知らない、和真なんてやつ」
「ヒズミカズマ」

 しゅるりと、音を立てベルトが引き抜かれる。『ヒズミ』という固有名詞に、全身の筋肉が緊張した。

「聞き覚えないわけないよな」
「…っまじ、なんなの、お前!何がしたいのっ!」

 わけがわからなかった。ただ、こいつが俺のことをよくわかっていないことはわかる。それでも、こうやってわけのわからないまま神経を逆なでされるのは割と本気で不愉快だ。
 痛みを堪え、脱がそうとしてくる玉城由良の手首を掴めば、やつは目を丸くする。そして、次の瞬間「ははっ」と乾いた笑い声を上げた。奴の目が、俺を見る。

「お前、あの時のこと、なんも覚えてねえのか」
「……っは?」

 まるで、俺と奴の間に何かがあったかのようなその言い草。
 心当たりはなかった。なかったはずだ。ただの狂言だろう、俺を掻き乱すためだけの。なのに、理解不能と疑問符を浮かべる俺に玉城の顔からは笑みが消えていく。
 でも、だって、本当に俺は玉城由良を知らない。知らないんだ。だから、こんな風に嫌がらせを受ける筋合いもない。そう、結論付けた時だった。
 シャッと音を立て、カーテンが開かれる。

「おや、お楽しみ中でしたか」

 そう言いながら、ベッドの上で揉み合いになっている俺達を見下ろすのはマコちゃん…ではなく、涼しい顔をしたちーちゃんだった。ニコニコと微笑むちーちゃんに、玉城由良は舌打ちをする。

「ちぃ…ちゃ…っ」
「…男のケツ追い回してたんじゃねえのかよ」
「それよりも、弱った親友を見るのも楽しそうだったもので」

 そう言って、こちらを見るちーちゃんは軽く手を振ってくる。相変わらず気障なちーちゃんだけど、俺よりも落ち着いているのは間違いなくて。

「はッ、悪趣味野郎」
「褒めてるんですか?」

 逃げようとも、出ていこうともしないちーちゃんはごく当たり前のようにベッドに近付き、手をつく。そして、玉城の顔を覗き込んだ。

「貴方も、随分と楽しそうなことをしてますが、そういう嗜みは閉会式終了後にしていただけませんかね」
「まだ閉会式まで時間あるだろうが」
「会長の場合、時間が間に合わなさそうなので」
「…食えねえ奴」

 舌打ち代わりに吐き捨てる玉城由良。もといかいちょー。
 与えられる不快感に険しい表情の会長に、ちーちゃんは怯むわけでもなく「すみませんね、僕は食べる専門なので」と笑いながら肩を竦める。
 こうなったちーちゃんは蛇よりもしつこいということを知っているのだろう。舌打ちをし、盛大な溜息を吐いた会長は「白けた」と吐き捨てるなり、俺の上から降りた。
 そして、ちーちゃんに目を向けることなくカーテンの向こうへと出ていく。

「全く、油断も隙もありませんねぇ」
「…ちーちゃん」
「話は聞いてましたが、随分と弱ってますね。ゴキブリみたいにタフな貴方がそこまで弱体化するのも珍しい」
「…ちーちゃんうざい」

 会長がいなくなったベッドルーム。
 どこで用意してきたのか、しやりしゃりしゃりとりんごの皮を器用に剥いているちーちゃんは「おや」と俺を見る。

「そんな可愛く罵って僕のことを誘ってるんですか」
「…ちげーし、つか馬鹿じゃん」

 まさか会長を追い払ってくれるとは思わなくて、ただの性欲の塊じゃないんだなとちょっとだけ見直していたらこれだ。
 そんな自分が恥ずかしくなって、シーツを頭まで被れば、シーツ越しにちーちゃんが笑う気配がした。

「そこまで言う元気があるなら十分ですね」

 本当は、元気なんてなかった。喋るのも億劫だったけど、なんでだろうか。ちーちゃんと一緒にいると、なんか、調子狂わされる。

「仙道、いつまで篭ってるんですか。ほら、あーん」
「ん…あーん」

 林檎の甘い香りに誘われ、顔を出した俺は言われるがままに口を開ける。そしてそのまま目の前に差し出される林檎に齧り付こうとした時だった。
 シャッと音を立て、カーテンが開く。
 今度は誰だ、絶え間なくやってくる訪問者たちにそろそろ苛々し始めていた矢先だった。

「悪い、今戻って…」

 聞こえてきた声に硬直する。それは、相手も同じだった。
 ぱくりと咥えた林檎がさくりと音を立て、口いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がる。慌てて戻ってきたのか、じんわりと汗を滲ませたマコちゃんは、ちーちゃんと俺に目を向けたまま硬直していた。

「おや、もう彼氏帰宅ですか。もう少し時間稼げると思ったのですが…」

 あ、やばいかも。と、林檎を喉につまらせそうになる俺を他所に、ちーちゃんはクスクスと笑いながら不穏なことを口走る。
 このバカ、マコちゃんはピュアピュアだからそういう冗談通じないんだってば。ほら、めっちゃ顔怖くなってる。
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