尻軽男は愛されたい

田原摩耶

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平凡男

08

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 大通りを抜け、住宅街へと入る。
 この時間帯になると一気に静かなその住宅街を抜け、俺は自宅マンションへと重い足を動かして向かうのだ。

 家には父親と義母、それと戸籍上俺の弟に当たるやつが暮らしている。
 正直、家に帰りたくない。
 別に義母と父親が嫌いなわけでも家庭内崩壊してるわけではない。ただ単純に可愛くねえ義弟がいるからだ。
 中学の頃、父親が義母と再婚したぐらいから一緒に暮らしているが、恐ろしいほどの正確不一致。つーか、多分俺よりも向こうのがそれを感じてるに違いないだろうが。

 あっという間に辿り着いた自宅マンション前。
 俺は聳え立つコンクリートを見上げ深いため息をついた。
 とにかく、着替えてさっさと家から出ればいい話だ。そう、玄関のオートロックを解除した俺はロビーへと向かう。
 そこでエレベーターへと乗り換え、部屋のある階層を選んだ。エレベーター室内の電灯が切れかかっているせいで機内全体がちかちかと点灯してる。やがてチンと間抜けな音を立て、エレベーターが目的の階についた。
 ノロノロと開くエレベーターの扉に指をかけ無理矢理こじ開け、そのまま俺はエレベーターを降りる。
 長いコンクリート張りの通路は冬の寒さも相俟って余計気温が低く感じた。手を擦りながら俺はそのまま扉の前を歩いていく。
 そして、いくつかの扉の前を通り過ぎたあと足を止めた。
 扉横にゴミのように積まれた枯れかけた植木鉢やよくわからない雑貨を一瞥し、俺はその扉のドアノブを掴む。扉には、『KINOE』と可愛らしいフォントのネームプレートがかかっていた。
 ――そう、ここが俺の家だ。

 鍵も掛かってねえし、なんて思いながら扉を開けばまず広くはない玄関口が視界に入った。
 そこには履き潰されたスニーカーが一つあるだけで、他には見当たらない。
 ――間違いなく、義弟のものだ。
 しかも、靴を見る限り両親は出掛けているらしい。
 まあいい、顔を合わせなければまだましなのだから。
 なんて思いながら靴を脱ぎ捨てようとしたときだった。タイミングを見計らったかのようにリビングへと繋がる扉が開く。

「おかえりなさ……」

 そう、扉から顔を出した義弟――十和は俺を父親か義母に間違えたようだ。十和は俺の姿を見るなり無言でバンッ!!と勢いよく扉を閉めた。

 別に十和のこの反応は珍しいわけではない。寧ろ日常茶飯事というやつだ。
 が、今日の俺は腹の虫の居所が悪いのだ。
 今すぐリビングに飛び込んでやりたかったのをぐっと堪え、俺は『平常心、平常心』と己を宥めながら廊下を通り抜け、自室へと向かった。

 十和とは中学三年の頃、父親の再婚相手の息子として出会った。
 当時の十和は中学二年で、そのときから俺のことをよく思っていなかったことを知っている。
 ――確か、あれは十和が三年に上がったときだった。
 十和が初めてできた彼女をうちに連れてきたとき、十和が部屋を抜けた隙に俺がちょっと彼女にちょっかいをかけていたら部屋に帰ってきた十和に見つかってしまい大喧嘩になったのだ。
 そんな十和が面白くてつい十和が隠し持っていたAVをリビングのテーブルの上に置いたり、オナニー中にわざと部屋に入ったりと色々やってみたが、どうやらそれが悪かったようだ。
 以来、十和はまともに俺に口を聞いてくれなくなる。
 段々俺も十和に対する興味が失せて、いまはお互いに動く空気程度にしか思っていなかった。

 ――自室。

 部屋に入り、俺はクローゼットに近付く。
 久し振りの自室だ、というわけでもない。知り合いの家を泊まり歩くこともあるが。
 二日前に床の上に脱ぎ散らかしていた服がなくなっていたのが気になったが、恐らく義母が掃除してくれたのだろう。最初は嫌だったのだが、もう段々部屋が綺麗になっていくことに慣れてきた。いまではもう、家具の配置が変わってようがどうも思わなくなる。
 適当な服を手に取り、俺はそれを鞄に詰め込もうとジッパーを下ろし、固まった。
 いつも財布とコンドーム二箱くらいしか入れてないはずの鞄に、見慣れないものが入っていたのだ。

 なにかのアニメか漫画のキャラクターだろうか、表面にアニメ絵の美少女がプリントされた財布が一つ。
 もう一つは、やけにヒラヒラしたピンク色レースがついた可愛らしいポーチだ。
 どちらも俺に心当たりがないものだった。

「……」

 なんだこれ。
 いつの間に入ったんだ?と思いながら俺は取り敢えずレースまみれたドピンクポーチを手にとった。無駄に肌触りがいい。
 持ち主に返すにしろ、これが誰のものかがわからないと話にならない。俺は今日話した女子の顔を思い浮かべながら、そのポーチを開き中身を取り出す。
 小さな裁縫道具から作りかけの手のひらサイズのぬいぐるみ、おまけにどこで調達したのかわからないような布切れが入っていた。
 どうやら裁縫が趣味らしいが、生憎俺の知り合いに裁縫なんて可愛らしい趣味をした女子はいない。
 ますます誰のかわからなくなったとき、愛くるしい素材に紛れているそれに気付く。
 学生証だ。
 これなら、持ち主がわかるはずだろう。学生証を手に取った俺は、一瞬目を疑った。

 ――此花清音。
 先ほどぶつかった男前の名前と写真が、その学生証に記されていた。

「……ん?」

 これが此花の私物ってことか?
 じゃあ、もしかしてこれもか?と俺はアニメの財布を手に取る。
 まさか、此花とぶつかってしまったときに入れ替わったってことか?
 じゃあ俺の鞄は今此花の手元にあるってことになるよな。
 ……それの真偽を確かめるにはまず、この悪趣味な財布を確認する必要があるだろう。別に好奇心ではない。断じて違う。
 中を開けば札は一枚も入っておらず、金という金は小銭がいくらか入っているだけだった。思わず舌打ちしそうになって、俺は慌てて咳払いをする。俺は他人の財布を見て舌打ちするような悪どい人間ではない。
 小銭は入っていなかったが、どこかのショップのカードを見つけることができた。
 もしこの財布も此花のだとすれば、もしかしたら此花の弱味になるんではないだろうか。
 脅そうか。悪名高い不良を脅すって、かなり気持ち良さそうだ。
 別に此花自身に恨みはなかったが、こんな面白いものを見過ごすわけにはいかない。俺が許さない。
 緩む頬を必死に引き締めながら、俺は会員カードを裏返す。
 正直、俺はもうこのカードが此花のものだと決めつけていた。
 決めつけていたいたからこそ、そこに記入されていた名前をみて驚く。

 ――伏見保行。
 誰だよ。

 なんだ、此花のじゃなかったのか。
 落胆する俺は、不意に放課後、校門で溜まっていた此花たちの会話を思い出す。確か二年生をカツアゲしただとかなんだとか、そんな感じの物騒な会話だった。
 恐らくというか間違いなく、これはカツアゲの戦利品なのだろう。
 そして被害者は伏見保行という二年生。

 伏見には申し訳ないが、まったく知らない。
 この財布を持ち歩いているところからして大体性格は想像つく。
 此花が可愛いレースのポーチ使ってる上この財布のも持ち主だって分かれば相当面白かったのだが、いや今でもわりと面白いが。
 しかも中身は抜き取られた後だ。つまらない。
 俺はカードを戻そうとして、財布のカードポケットを指で広げた。会員カードを戻そうとして、俺はカードポケットになにかが詰まっているのを見つける。
 ゴミ詰めてんじゃねえよと心の奥で悪態を吐きつつ、俺は詰まっているそれを取り出した。ゴミかと思っていたそれはどうやら折り畳まれた写真のようだ。
 とくになにも考えずに、俺はその写真を広げる。
 そして、再び停止した。
 その写真には、見覚えのある赤茶髪のイケメンが写っていたのだ。

 ――俺だ。俺がいる。
 その写真には俺ともう一人、派手な格好をした少女がいた。正しくは少年だ。
 金髪の長髪ウィッグを被った岸本に腕を組まれて歩く俺が、斜め上からのアングルで写されている。
 それだけならただの隠し撮りとして終わったが、その写真は異常だった。俺だ。俺のところだけ、なにか細いもので削られている。
 目が、口が、首が。
 全身ではなく狙った部位だけ削っているところがかなり薄気味悪い。
 それでもその写された人物が俺だとわかったのは、この写真の岸本に見覚えがあったからだろう。
 ――中学の頃、悪のりした岸本が一日だけウィッグをつけて女装したときがあった。まさにこの金髪のこれだ。
 その日は丁度修学旅行で、岸本と同じ班だった俺は自由時間時に岸本に連れ回されていた。そのときの写真だろう。
 その後、自由時間が終わってすぐ岸本はウィッグを取っていたので、このウィッグのときのことはなんとなく印象に残っていた。

 仮にもしこれがそのときのものだとしても、いやそのときのものだからこそ余計不可解だった。
 ――伏見保行か、まったく聞き覚えがない。
 写真からして中学の頃の同級生には違いないと思うが、やはり聞き覚えがない。
 相当影が薄いのか、それともただ単に俺が知らないだけか。ま、どちらでもいいか。

 別に自分が知らないところで他人に恨まれていようが構わなかったが、どうせなら実際に手を出してくれた方が面白い。
 伏見とかいうやつがどんな気分でこの写真を持ち歩いていたのかを考えるだけで、心臓がぎちぎちと締め上げられるようだった。正直、勃起しそうだ。
 どちらにせよ、此花に会う必要があるだろう。
 ポーチの件といい、この財布の持ち主についてゆっくり聞きたいところだ。

 ――久し振りだ、こんな高揚感。
 恨みほど強い思いはない。俺はそう思っている。
 それほど強く俺を想ってくれているやつがいて、そして俺はそれを知らない。
 恐怖心か、それともただの興奮か。恐らく、その両方なのだろう。
 ゾクゾクと背筋が震えるのを感じながらも、俺は俺は最初と同じように写真を折り畳んだ。
 そういえば、中学が同じならもしかして卒業アルバムに写っていないのだろうか。ふとひらめいた俺は床を散らかしたまま卒業アルバムを探すことにする。が、なぜか見つからない。
 暫く部屋中を探し回ったのだが、卒業アルバムらしきものはなかった。
 おかしい、確か捨てはしなかったはずだ。誰かに貸したままになっているのだろうか。いや、それもないだろう。たぶん。
 ベッドの上に腰を下ろした俺は、枕を持ち上げ下を見た。もちろんあるはずがない。
 なんでないんだ。
 探すことに飽きてきた俺は枕を壁に投げる。枕は帰ってこなかったが、代わりに隣の十和の部屋から『うるせえ!』という怒鳴り声が返ってきた。


 ストレス発散するために遊びに行こうかと一旦家に帰ってきたはずだったが、なんだか段々目的が逸れてきた。
 まあ、下手な遊びよりも面白いものを見付けたのだから仕方ないのだが。

 ……取り敢えず、服着替えるか。
 クローゼットの前に散乱した服を適当に仕舞い、着替えるついでに風呂に入ることにした。着替えを手に、俺はそのまま自室を後にする。
 扉を開き廊下に出ると、隣から十和の声が聞こえてきた。恐らく友達か彼女かその辺りと電話をしているのだろう。俺の部屋からエロ動画を大音量で流してやろうかと思ったが、先ず俺は風呂を優先させることにした。


「~♪~♪」

 シャワーを浴び、ついでに一発抜いてスッキリして諸々を洗い流した俺は最高の気分のまま風呂を出た。
 壁にかかったバスタオルを頭から被ってがしがしと全身の水分を拭い去ってると、ふと玄関の方から物音が聞こえてくる。恐らく今度こそ父親か義母か帰ってきたのだろう。遠くから「おかえりなさい」という十和の声が聞こえてきた。いい子ぶりやがって。俺には緊急キャンセルするくせに。
 まあ、確かに一般的には十和は息子としてはいい子の部類に入るのだろう。俺に対しては可愛さの欠片もないのだけれど、学校では友人に恵まれているようだし。
 十和はクラスに一人はいる、気が利いて冗談も言える明るいやつだった。俺に対しては可愛さの欠片もないのだけれど。
 周りから好かれている十和に嫉妬を抱いたことがないと言えば嘘になる。義弟ではなければ間違いなくいじめてただろう。
 まあ、義弟になった今でもいじめるときはあるだけど。

 それよりもだ、これからどうしようか。伏見のことを聞いて回るか?いやそれこそ面倒だ。
 それに、あまりにも派手な真似をしてうっかり伏見の耳に届いてしまうかもしれない。それもそれでなかなか楽しそうだが、どうせならもっと伏見を泳がせたいというのが本音だった。
 そう考えると、闇雲に聞き回るよりも伏見と面識がある此花に聞いた方が一番早いのだろう。
 ドライヤーで髪を乾かし、部屋着へと着終えた俺はそこまで考えて思考を中断させた。

 ――此花に会いに行くか?
 でも、俺は此花の連絡先もなにも知らない。どちらにせよ明日になるまで待つしかないか。
 脱衣室から出た俺は、取り敢えず飲み物を貰うためリビングに向かうことにした。
 リビングの扉を開けば、そこには義母と十和がいた。台所に立っていた義母は俺の姿を見るなりぱっと微笑むのだ。

「大地君、丁度よかった。今からご飯つくるけどなにか食べたいものある?」
「俺、さっき食ってきたばっかだからいーや」
「あら、そうなの?」

 義母は少し寂しそうな顔をしたが、それ以上なにも言ってこない。
 ソファーに座ってテレビを見ていた十和が、ちらりとこちらを睨んでくる。自分の母親と俺が話しているのが気に入らないのだろうが、残念ながら俺に熟女趣味はない。確かにあの頑固親父には勿体ないんじゃないかと思いはするが。
 冷蔵庫の扉を開くと、美味しそうなジュースがあったので俺はそれに手を伸ばした。そのままキャップを開けてぐい飲みしたときだ。

「おい、てめ……なに勝手に飲んでんだよ!」

 不意に、俺に目を向けた十和は怒ったような顔をして俺に怒鳴ってきた。
 どうやら、これは十和が買い置きしていたものだったらしい。せっかくだったので、取り敢えず俺は中身を半分以上頂戴することにした。
 殴られた。

「い……ってぇ、なにすんだよ」
「つうか明らかに自分のもんじゃねえの勝手飲むなよ。飲みたいなら自分で買ってこいよ、ボケ」
「自分のなら名前書いときゃいいじゃん。名無しは共有物だろうが、常識だジョーシキ」
「ああ?!」

 飲み物ぐらいでガタガタ言うなよというのが本音だったが、十和のことだ。もしこのジュースを飲んだのが俺でなければここまで騒がなかったのだろう。
 そう思えば、目の前の義弟が途端に憎たらしく思えてくるのだ。

「なんだよ、そんなに飲みたいなら俺が飲ませてやろうか? ……おい口開けよ、流し込んでやる」

 面倒臭いので黙らせてやろうかと背伸びをして十和の顎を掴めば、やつはぎょっと目を見開いた。そして。

「ッ、気持ちわりーんだよ、死ね!」

 青褪めた十和はそう、俺を突き飛ばしてそのままリビングから出ていくのだ。吹っ飛ばされた俺はというと打ちどころが悪く、なんてことはなく、柔らかいソファーが全身受け止めてくれるのだ。

「ごめんね、大地君。あの子ったら……」

 台所でおろおろとしていた義母が「大丈夫?」と心配してくるので「大丈夫大丈夫」と手を振って答えた。元はといえば怒らせたのは俺だ。

 十和が俺を嫌っている理由はこの俺の性格や態度にもあったが大半の理由はこの性癖だった。
 十和は俺が男を相手にしていることを知っている。詳しい理由はわからないが、恐らく校内に流れている俺の噂でも聞いたのだろう。
 高校生になった十和は露骨に俺に触られるのを嫌がり、避けるようになった。
 俺としては、そこまで露骨に期待されると困るのだけれど。

 わざと十和を黙らせるためにやってみたが、やはり効果覿面だったようだ。十和が出ていった開きっぱなしの扉に目を向ける。俺はなにも言わずにそのまま中身を飲み干し、空になったペットボトルをゴミ箱の中に放り投げ入れる。流石に丸々一本は腹に溜まった。

 携帯を取り出せば、知人から今から遊べないかという旨のメッセージが入っていたので『行く』とだけ返しておく。そしてすぐに返信される待ち合わせ場所へとそのまま向かうのだ。風呂上がりだしジャージだけどまあいいや。着替えるの面倒臭えし。
 一度部屋に戻って上着だけを着て、俺は家を出たのだ。
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