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CASE.08『デート・オア・デッド』

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 朝、目を覚ませば隣には誰もいなかった。どうやらナハトはもう出かけたらしい。
 寂しかったが、俺も俺で今日は仕事だ。気持ちを切り替えるため、早速俺は朝の身支度に取り掛かった。

 ナハトさんがいないということは、ノクシャスさんかモルグさんが来るのだろうかと思ったが、いつまで経っても誰かがこの部屋を訪れることはなかった。
 昨日の兄の言葉を思い出しつつ、スーツに着替えた俺は社員証をしっかりと首にかけた。
 久し振りの一人の朝だ、また忘れ物してナハトさんに怒られないようにしっかりしなくては。
 早速忘れそうになっていたテーブルの上のタブレット端末を手に取り、俺はそれを鞄にしまいながら扉を解錠させた。
 部屋の前にはやはり誰もいない。ということは、と俺はナハトから予め聞いていたあの人物の名前を思い出した。

 もしかして。
 
「……無雲さん?」

 そう名前を読んでみたものの、無人の通路はただしんと静まり返り、俺の声が反響するだけだった。
 違ったら恥ずかしいな、と思いながらも一歩部屋から出たときだった。鞄の中に入れていた仕事用の端末がメッセージを受信したようだ。何事かと慌ててタブレットのメッセージ項目を開けば、宛先不明のメッセージが一件。それを開いた瞬間、深い紫色の画面が浮かび上がった。

『本日のご依頼内容《自宅の外にいる間の護衛》』
「……?!」

 イタズラメールかなにかと思ったが、そのメッセージの下部に見覚えのあるマークを見つけ、俺はこの送り主が何者なのか確信した。
 紫、そして狐のような抽象的なマーク――間違いない、無雲だ。

 もしかして、もう見てるよってことなのか。
 もっとこう、対面かと思いきやまさか電子機器を通したコミニュケーションになるなんて思ってもいなかった。
 これではどう接したらいいのか以前の問題だが、相手は兄が依頼した相手だ。

 ……まあ、このまま行っても問題ないだろう。
 という訳で、そのまま俺は社員寮フロアから食堂へと向かう。

 営業部で働かせてもらうようになってからはぐっと人脈は増えた。食堂では数名望眼さんの担当のヴィランたちに会い、そのままの流れで一緒に食事をしたりして賑やかな朝食を済ませることとなった。
 こういうのもなんだか新鮮だ。幹部の三人がいない状況に不安を覚えてたが、なんだかんだコミュニケーションを取れるようになっていた自分に安心した。
 これもやっぱ周りの人たちのおかげだろう。




 ――営業部オフィス。
 いつもならば足を踏み入れた途端香ってくるコーヒーの香りがしないことに気がついた。
 そろりと中を覗けば、部長デスクに大柄な人影を見つける。

「おはようございます、貴陸さん」
「おう、おはよーさん。今日も元気そうだな」
「はい! ……あの、望眼さんは?」
「あいつならまだ来てねえな。どうせ二日酔いとかだろ」
「二日酔い……」

 あまり望眼さんにお酒が弱いというイメージはなかったのだけれど……。
 そう望眼とお酒を飲んだときのことを思い返せば、貴陸はああ、と思い出したように笑う。

「そういや良平、お前望眼と仲良かったよな、呑みに行ったんだろ?」
「えっ?! あ、は、はい。その節はたいへんお世話になりました!」
「はは、なんだそれ。ならあいつが酒強いのは知ってるか?」
「あ……確かに……酔ってるとこはあまり見たことないですね」
「だろ? けど、年に何回かたまにこういうときがあるんだよな」
「こ、こういうときというのは……」

 ごくりと固唾を飲み、貴陸の次の言葉を待った。貴陸は思い出すように顎に蓄えられた髭を指で摘む。

「大抵何かあったときだ。昨日、外回りから戻ってきたときからあいつなんか様子がおかしくて気になってたんだよな」
「え」

 まさかそのときに何かあったのか。
 望眼さん、大丈夫だろうか。と項垂れたときだった。

 ……昨日? 外回りのとき……?
 …………あ。

 確かナハトとデート中に望眼とスライに出会ったことを思い出す。あのとき、別れ際のショックを受けたような望眼の顔が今鮮明に蘇った。

「数日すりゃ元に戻るんだが、あの落ち込みっぷりは初めて見てな……ん? どうした、良平」
「あ、いえ、な、なんでもありません!」
「そうか? ならいいが……よかったら後で適当に声でもかけてやっといてくれ。良平のことは特にあいつも気に入ってるから、案外メッセージ一つですぐに元気になるかもしれないぞ」
「……そうですね、俺の方からもお声がけさせていただきます」

 なんとか動揺を悟られないよう頷けば、貴陸は「ああ、よろしくな」とにかりと顔全体で笑った。

 それから、全体会議があるだとかで貴陸は俺にいくつかの仕事を任せ、そのま
まオフィスを後にした。そしてとうとうオフィスには俺一人が残されたのだった。
 幸い任されたのは俺一人でもできるような簡単なものだ。部署宛に届いたメッセージを確認する。普段は担当の営業と直接やり取りするという仕組みではあるが、そういう一対一の場よりも匿名性の高いメッセージツールを利用する人もいるのだ。
 普段は事務担当の社員もいるらしいが、俺はまだ会ったことはない。貴陸曰く、俺が寝てる間に出勤してくる人だという。そして、その人が休暇に入ってるので代わりに簡単にメッセージの内容を確認してまとめて報告するようにとのこと。
 とはいえど、大体いたずらのようなメッセージが大半だ。けれど、たまに本当に困ってる人から届いたりすることもある、らしい。
 いたずらっぽいメッセージはどんどんゴミ箱に入れていく。

 一通り作業を終え、ちらりと時計を確認した。
 ……望眼さん、まだ来ないな。
 もう少し待とうかとも考えたが、どうしても昨日のことを思い出して仕事に集中できなかった。

 もし違ったら自惚れも甚だしい。体調不良と決まったわけではないのでいきなり『体調大丈夫ですか?』と送るのもおかしい気がする。悩んだ末、『昨日はあまりお話できなくてすみません。お昼ご飯、一緒にどうですか』とだけ送った。
 これでいいのか分からなかったが、取り敢えず返事を待つことにした。
 が、来ない。
 無視されてるわけではないと思いたいが。
 ぐるぐると考えながら、俺は残りの事務作業を終わらせることにした。
 
 ディスクに座り作業していたとき、ふと端末がメッセージを受信する。
 慌ててメッセージを開けば、望眼からだった。

『悪い、やめとく。風邪引いた』

 風邪。ヴィランも風邪をひくのか、と驚いたが、そういえば望眼は生身だと言っていた。……だったら尚更心配だ。
 俺は『わかりました、お大事に』と返信したあと、頭を下げる動物のスタンプを送る。

 ……風邪。望眼さん、大丈夫かな。
 そっとしておいた方がいいと分かってても、やはり心配で仕方なかった。
 ……外回り終わった後で望眼さんの部屋に寄ってみよう。胃に優しそうなお土産も一緒に。
 そんなことを考えながら、俺はタブレットをしまった。



 紅音はどうやら今日は任務に出ているようだ。となると、担当が一人しかいない俺はやることがなくなってしまった。
 貴陸から頼まれていた仕事も終え、普段だったら望眼の仕事について行ったりしていたのだが今回はそれがない分持て余してしまってる。
 取り敢えず、貴陸さんが返ってくるのを待とうか。なんて考えていたときだった、オフィスの扉が開いた。
 花瓶の水を変えていた俺は、慌てて背筋を伸ばした。現れたのは東風だった。
 スーツを着崩し、眠たそうに欠伸をしながらやってきた東風に慌てて俺は頭を下げる。

「あ、お、おはようございます……っ!」
「良平……元気だね」
「あ、ご、ごめんなさい……声……」
「いや、別にいいけど……」

 くあ、と欠伸をしながら俺の横を通り過ぎていった東風はそのまま自分のデスクに腰をかける。
 東風にはサディークさんの手紙のことでお世話になっていた。あのあと改めてお礼を言ったが、本人はあくまでもしらばっくれるつもりのようで「なんのこと?」と躱されてしまった。
 けれど、東風さんはいい人なのだろう。それは俺でも分かる。

「……」
「……」
「……なに?」
「え?」
「いや、ぼけっと俺の顔ばっか見てくるから」
「あ、ご、ごめんなさい……その、何かお手伝いすることとかないかなって……」
「ああ、……望眼のやつサボり?」
「さ……っ、ええと、体調不良とのことです」
「あいつがねえ、二日酔いかな」

 貴陸さんと同じこと言ってる……。望眼さん、どんだけ二日酔いの印象持たれてるんだ……。

「それで、やることがないと。……別に無理して出社しなくてもいいのに」
「え、で、でも……その……」
「少しでも早く皆さんのお役に立ちたくて、とかそんなところかな。いい子ちゃんが言いそうなこと」
「……っ! い、いい子ちゃん……」

 相変わらず歯に衣着せぬ物言いだ。悪気はないのだろうが、たまに東風の言葉はぐさりと刺さるのだ。嫌われてはないとは思いたいが、とどう反応していいのか迷ってると、デスクの上、山になっていた書類をそのまま引き出しに突っ込みながら東風はこちらを見る。

「暇ならついてくる?」
「え……?」
「外回り。……ま、本当付いてくるだけだけど、適当に顔見せついでに」
「い、いいんですか?」
「……ん、まあ」

 東風と言えば、能力柄なかなか特殊なヴィランの人たちが担当だということは聞いていた。少し不安はあったものの、東風の方から誘ってくる機会など早々ないだろう。俺は「よろしくお願いします……っ!」とやや声量を抑えて頭を下げた。

「元気だね。……ま、望眼から少しは聞いてるかもしれないけど、俺のお客さんは結構変な人多いから」
「変な人には自信があるので大丈夫です……っ!」
「その自信ってなに? ……ま、いいけど」

 ぽそ、と呟き、「じゃ、準備するから待ってて」と東風は再び立ち上がり、共用の冷蔵庫から野菜ジュースを取り出した。どうやらそれが準備のようだ。
 やっぱりなんか、マイペースな人だよな……。
 望眼とは違う独特の雰囲気とテンポ感に戸惑いつつも、取り敢えず東風から盗めるものは盗もうとメモに野菜ジュースとだけ残しておく。
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