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CASE.07『同業者にご注意』
01
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「はあ……」
こんなに憂鬱な朝があっただろうか。
昨夜は色んなことを考えていたお陰でろくに眠れないまま朝を迎えてしまった。
ナハトのことは勿論そうだが、やはりサディークのことが気がかりだった。
恐る恐る配給されたタブレット端末を確認してもサディークからの連絡はなかったし、やっぱりやらかしてしまったよな……。
「……はあ」
望眼や貴陸になんて説明をしたらいいのだろうか。
そんなことばかりを考えてる内に出勤の時間は近付いてくる。
それに、紅音のことも気になるが……そっちはモルグや兄さんを信じるしかないし。
ナハトさんは……わからない。きっと仲直りは出来てないのだろうけど、それでも昨日はちゃんと送ってくれたしな。
でも、絶対怒ってるよな。ナハトさん。
何もかもが上手く行かない。が、こんなに落ち込んでたってどうしようもない。
スーツに着替え、鏡の前、ネクタイを締め直して「よし」と自分自身に喝を入れる。
とにかく、俺にやられることをやろう。
――そうすることしかできないのだ。今の俺には。
そんなこんなしていると、玄関で呼び鈴が響いた。どうやら誰かが迎えに来たようだ。
「はい」と慌てて玄関口へと向かい、扉を開けばそこには予想してなかった人物が立っていた。
「え……ナハトさん?」
「……なに? 俺がいたらまずかった?」
「い、いえ! ち、違います……!」
昨日の今日だ、今朝は来ないだろうと思っていただけに当たり前のようにそこに立っていたナハトに心臓が止まりそうになった。
「……モルグもノクシャスのやつも忙しいから俺だってさ、あんたのお世話。残念だったね」
「そ、そんなことありません……っ!」
寧ろ、暫く避けられる覚悟をしていた身からしてみれば嬉しい誤算というか、なんというか。
その先を上手く言語化できず、しどろもどろと口籠る俺にナハトは「ふ」と仮面の下で鼻を鳴らして笑う。
「アンタって本当嘘が下手」
「な、ナハトさん……」
「もう準備できてるんだろ? ……じゃあ行くよ、俺もこの後予定あるから」
「は、はい……」
……やはり、昨日のことを引き摺ってるのだろう。ナハトの態度はどことなくよそよそしいというか、まるで初対面のときに戻ったみたいだ。
いや、いつも通りの刺々しさと言われたら確かにそうかもしれないけど……ううん、わからない。
それから、俺はナハトとともに部屋を出て食堂へと向かう。道中に会話らしい会話などなかった。
途中、すれ違う社員たちの視線を感じつつも俺たちは社員食堂へとやってきた。
やはり今回もナハトはなにも食べないらしい。俺は焼鮭定食を頼み、ナハトの要望により個室を借りることになる。
が、やはり個室の中でも会話はない。
……と思っていたが。
「紅音朱子のことだけど」
「え?」
「……ボスからなにか聞いた?」
テーブルに肘を付き、頬杖をついていたナハトはそっぽ向いたまま尋ねてくる。
ボス――兄とはまだ会えていない。「いえ」と小さく首を横に振れば、「ふーん、あそ。じゃあいいや」とナハトは再び口を閉じた。
「ま、待ってください……なんかあったんですか?」
「さあね」
「さ、さあねって……」
「その内ボスから直接聞くんじゃない、お前なら」
その口振りからして、どうやらナハトは既に何かを聞いているということのようだ。
いくらボスの弟である俺に対しても簡単に教えてくれないナハトに寂しさを覚えるものの、ナハトらしいとも思えた。そして、ナハトはそのことについて俺になにか話したかったということか。
……今度、兄さんに会ったときに聞いてみようかな。
そんなことを思いながらも、はぐらかされた俺は「分かりました」とおずおず身を引いた。
それから、ナハトとの会話はまた途切れる。
紅音がどうなったのか気になって仕方なかったが、きっとナハトは何を聞いても直接教えてくれないだろうというのは分かっていたので観念して大人しく焼鮭をつつくことにした。
食事を終え、俺達は個室を出た。食堂内はぼちぼち社員たちで賑わっていて、例のごとく人混みを裂けるように食堂の片隅を通っていくナハトの後を追いかける。
なんだろうか、食堂の雰囲気が変な気がした。
レッド・イルが捕まったことで話題はもちきりなのかと思ったが、そんなことはない。もしかしたら紅音のことは伏せられているのかもしれない、それどころか他の社員たちはなんだか神妙な顔をしてこそこそと話している。
近くのテーブルを通ったとき、『スパイ』という単語が聞こえてきた。話の内容まではわからなかったが、堂々と立ち聞きするわけにもいかない。
「なにボサッとしてんの」とナハトにどやされつつ、俺は「すみません」と慌てて再び歩き出した。
――営業部前。
エレベーターを抜け、今回もまた結局部署の前まで送ってもらうこととなった。改めてお礼を言おうとしたときには既にナハトの姿はどこにもなく、寂しさを覚えながらも俺は気を取り直して営業の扉をくぐるのだった。
営業部には既に望眼が出社していた。
そして、例に漏れず今回も望眼しかいないようだ。本当にこの営業部署には俺と望眼以外の社員が存在するのか不思議になってかるほどの出社率だ。
自分のデスクでドリンクを飲んでいた望眼は、俺に気付くとにかっと爽やかな笑顔を浮かべる。そして「よお、おはよ。良平」と手を振ってきた。
「望眼さん……おはようございます」
「って、酷い顔だな。寝不足か?」
「……やっぱり、わかりますか?」
「ああ、特にお前はわかりやすすぎるな。……なんかあったのか?」
流石望眼というべきなのか。心配そうに聞いてくる望眼に、俺は「実はその」と口籠る。
……サディークとのこと、伝えた方がいいのだろうがどこまで言えばいいのかわからなくなる。
元はと言えば俺がサディークを誘ったようなものだし、けど、サディークの能力が怖くなって逃げ出したのも俺なわけで……。
「サディークか?」
一人言葉を選んでるとき、望眼の方から図星を指されてギクリと凍りつく。
「え、あ、なんで」
「なんでって……わかりやすすぎんだって、良平は」
「う、ごめんなさい……」
「なにがあったんだ?」
「その……なんて説明したらいいのか……」
サディークのことを尊重して俺は能力のことは伏せておこうと思った。けどそうなると、やはり説明がし難い。
「も、望眼さん……」
「ん?」
「望眼さんは、その……担当の方と変な感じになったことってありますか?」
恐る恐る尋ねた瞬間、望眼は飲みかけていたドリンクを勢いよく吹き出した。
「ゴホッ! ゲホッ!」
「望眼さん?! だ、大丈夫ですか……?!」
「ま、待ってくれ……ゲホッ……変なところに入った……」
「す、すみません……」
慌てて俺は近くのデスクにあったティッシュを望眼に手渡し、そのまま背中を擦って望眼が落ち着くのを待った。
……そして、数分後。
どうやら調子を取り戻した望眼は、口元をハンカチで拭いながら気を取り直すかのように咳払いをする。
「……その、変な感じっていうのはあれか? ……単刀直入に言えば、ラブだとかそういう……」
「えーと……その、ラブっていうか……」
「まさかその先か?」
口籠る俺になにか察したのだろう、声のトーンを落とす望眼。恥ずかしいが、相手は頼りになる先輩だ。
顔が熱くなるのを感じながら小さく頷き返せば、そのまま望眼は目頭を抑える。
「も、望眼さん……?」
「……いや、まあ確かに職業柄親密になることはあるが……あるけどあいつ、まじか」
「う……その、でも俺も悪かったっていうか、サディークさんだけのせいじゃないっていうか……っ! ……あ」
黙っておくつもりが名前を出してしまった。
どうせ気付かれている気もしていたが、望眼は頭を抱えたまま「オーケー、わかった」と俺を宥めるのだ。
「……取り敢えず、何があったか聞いてもいいか?」
そう尋ねてくる望眼に、俺は小さく頷き返した。
サディークの能力の部分は伏せ、取り敢えず極力オブラートに何重にも包めながらも俺は望眼に説明することになる。
そして、最初は真面目に俺の話を聞いていた望眼の顔は段々妙な顔になっていくのだ。
「……ということがあって、それで、サディークさんから逃げるような形で別れてしまって」
「あーうん、なるほどな……っていうか、お前、いや、まあ色んなやつがいるからな……」
何か言いたげにしては口籠り、一人言葉を探る望眼。もしかしてなにかまずかったのか、いや大体全部流れからしてまずかったことには違いないのだが段々不安になってきた。
そして、ようやく意を決したように望眼は小さく咳払いをして「なあ、良平」と更に声のトーンを落とす。
「は、はい」
「お前……男好きなのか?」
「えっ?」
やけに神妙な顔をして尋ねられるものだから、思わず変な声が出てしまう。
「い、いや、俺はそういうわけでは……」
「確かにまあそのだな、相手と親密になるために寝るってのも手段ではあるけど……」
「あるんですか?!」
思わず声が裏返ってしまう。
望眼は一瞬「やべ」って顔をしてたが、「貴陸さんに言うなよ」と釘を刺した。
「ってことは望眼さんもその……」
「昔な?! 昔ちょこっとだけだし、それにそれは後々面倒なことになるからやめとけってすこぶる怒られる」
「は、はあ……確かに」
「確かにってお前な……けど、流石に俺も男相手にそうはなんねえって。良平、お前はそっちの経験はないんだろ?」
言葉をぼやかしすぎて最早ワードパズルのようになってきたが、望眼の言わんとしていることはわかった。
そして尋ねられ、言葉に詰まる。そのまま顔が熱くなる俺を見て、望眼は「え」と目を丸くした。
「お、お前……」
「いや、その、待ってください……っ!」
「待ってる、待ってるから落ち着け……! 俺はその、良平が無理してんだったりサディークのやつに無理矢理ってなら勿論止めるし担当も代えさせるつもりだったけど……」
「えーと、その……」
「なんでそこで言葉に詰まるんだよ……っ!」
へへ、と笑うしかない。もう笑って誤魔化す他なかった。
「望眼さん、俺やっぱり怒られますかね……」
「まあ、大丈夫なんじゃないか? 死者や怪我人出てないだけマシだろ」
流石ヴィラン、寛容すぎるところはありがたいがこれでいいのだろうかという気持ちと助かったという気持ちがせめぎ合う。
「……けど、はぁ~まじか。人は見かけによらねえっていうけど、お前がなあ……」
「……?」
「なんできょとんとしてるんだよ。……一応先輩として言っといてやるけど、色恋営業は自分の首締めるから辞めておけ」
流石先輩だ、妙な説得力がある。
「はい、分かりました」と頷けば、「よし」と望眼は頷く。
「取り敢えず、サディークの方は俺が引き継いでおく。今日は……そうだな、ちょっと俺の仕事手伝って貰うかな」
「分かりました……っ! ありがとうございます、望眼さん」
「…………おー」
なんか妙な間があったのが気になるが、一まずはサディークのことは先輩の望眼に任せておくこととなった。
丸投げするみたいで申し訳ない反面、ホッとする。
けど、一応サディークにも改めて謝罪くらいはしないといけないな。そんなことを考えながら、今日も一日は始まるのだった。
◆ ◆ ◆
午前中、主に望眼の手伝いだったり営業してる望眼を眺めたりしてる間にあっという間に昼になる。
丁度望眼の担当ヴィランとの打ち合わせを終えた俺達は本社のエントランスホールまでやってきていた。
相変わらず人通りは多いが、いつもとはどこか違う賑わいだ。
いや、賑やかというよりもこれは……。
「なんか騒々しいな」
「……ですね。なにかあったんでしょうか?」
「さあな。ま、面倒ごとには首を突っ込まない方が吉ってな。ほら、飯食いに行こうぜ」
「は、はい……っ!」
なんて言いながら望眼と社員食堂へと向かおうとしたときだった。正面玄関のドアが開き、数人の社員が帰ってきたようだ。
エントランスホールは基本多くの任務へと向かう社員が使う通路がある。別にそれだけならばなんらおかしいことはないのだが、なんだか戻ってきた社員たちがピリピリしているようだ。
そのまま受付カウンターまで行き、なにやら揉めている社員を見て「おお……」と思わず口にしてしまう。
「こら、見んな見んな。絡まれんぞ」
「あ、す、すみません……つい」
そんな会話を交えつつ、何事かと警備員まで集まってくるのを尻目に俺達はそのまま食堂へと向かった。
――食堂へと繋がる通路。
「にしても荒れてんなあ」
「そういえば、今朝食堂でスパイがどうたらって話してるのを聞いたんですけど……それと関係あるんですかね?」
「スパイ? あー……もしかしてあれか? 同業者に仕事取られてるってやつ」
「え、」
並んで歩いていると、さらりとそんなことを言い出す望眼に素直に驚いた。なんだそれ、初耳だ。
「つっても、俺も又聞きなんだけど」
「同業者って、ここみたいな会社があるんですか?」
「はは、そんなご立派じゃねーだろ。うちの会社よりも粗末なもんだよ。組織って言うほどの大人数でもないってのは聞いたけど」
「依頼先に向かったら既に赤の他人にターゲットを消され、仕事も報酬も横取りされんだって。俺の担当も愚痴ってたな」なんて望眼は他人事のように口にする。
それってなかなかとんでもない話ではないのか。
「……内通者がいるってことですか?」
「ああ、だからスパイだって。前からちょこちょこあったらしいが、最近はその被害も多くなって皆苛ついてんだろうよ」
「なんか、怖いですね」
「はは、そうだな。……俺達にも関係ない話じゃねえし。貴陸さんもそれで最近忙しそうだしな」
そうか、そんな被害受けた人たちの相談を受けるのが俺達でもあるのだ。他人事ではない。
気を引き締めなければ、と改めて口の中で呟く。
こんなに憂鬱な朝があっただろうか。
昨夜は色んなことを考えていたお陰でろくに眠れないまま朝を迎えてしまった。
ナハトのことは勿論そうだが、やはりサディークのことが気がかりだった。
恐る恐る配給されたタブレット端末を確認してもサディークからの連絡はなかったし、やっぱりやらかしてしまったよな……。
「……はあ」
望眼や貴陸になんて説明をしたらいいのだろうか。
そんなことばかりを考えてる内に出勤の時間は近付いてくる。
それに、紅音のことも気になるが……そっちはモルグや兄さんを信じるしかないし。
ナハトさんは……わからない。きっと仲直りは出来てないのだろうけど、それでも昨日はちゃんと送ってくれたしな。
でも、絶対怒ってるよな。ナハトさん。
何もかもが上手く行かない。が、こんなに落ち込んでたってどうしようもない。
スーツに着替え、鏡の前、ネクタイを締め直して「よし」と自分自身に喝を入れる。
とにかく、俺にやられることをやろう。
――そうすることしかできないのだ。今の俺には。
そんなこんなしていると、玄関で呼び鈴が響いた。どうやら誰かが迎えに来たようだ。
「はい」と慌てて玄関口へと向かい、扉を開けばそこには予想してなかった人物が立っていた。
「え……ナハトさん?」
「……なに? 俺がいたらまずかった?」
「い、いえ! ち、違います……!」
昨日の今日だ、今朝は来ないだろうと思っていただけに当たり前のようにそこに立っていたナハトに心臓が止まりそうになった。
「……モルグもノクシャスのやつも忙しいから俺だってさ、あんたのお世話。残念だったね」
「そ、そんなことありません……っ!」
寧ろ、暫く避けられる覚悟をしていた身からしてみれば嬉しい誤算というか、なんというか。
その先を上手く言語化できず、しどろもどろと口籠る俺にナハトは「ふ」と仮面の下で鼻を鳴らして笑う。
「アンタって本当嘘が下手」
「な、ナハトさん……」
「もう準備できてるんだろ? ……じゃあ行くよ、俺もこの後予定あるから」
「は、はい……」
……やはり、昨日のことを引き摺ってるのだろう。ナハトの態度はどことなくよそよそしいというか、まるで初対面のときに戻ったみたいだ。
いや、いつも通りの刺々しさと言われたら確かにそうかもしれないけど……ううん、わからない。
それから、俺はナハトとともに部屋を出て食堂へと向かう。道中に会話らしい会話などなかった。
途中、すれ違う社員たちの視線を感じつつも俺たちは社員食堂へとやってきた。
やはり今回もナハトはなにも食べないらしい。俺は焼鮭定食を頼み、ナハトの要望により個室を借りることになる。
が、やはり個室の中でも会話はない。
……と思っていたが。
「紅音朱子のことだけど」
「え?」
「……ボスからなにか聞いた?」
テーブルに肘を付き、頬杖をついていたナハトはそっぽ向いたまま尋ねてくる。
ボス――兄とはまだ会えていない。「いえ」と小さく首を横に振れば、「ふーん、あそ。じゃあいいや」とナハトは再び口を閉じた。
「ま、待ってください……なんかあったんですか?」
「さあね」
「さ、さあねって……」
「その内ボスから直接聞くんじゃない、お前なら」
その口振りからして、どうやらナハトは既に何かを聞いているということのようだ。
いくらボスの弟である俺に対しても簡単に教えてくれないナハトに寂しさを覚えるものの、ナハトらしいとも思えた。そして、ナハトはそのことについて俺になにか話したかったということか。
……今度、兄さんに会ったときに聞いてみようかな。
そんなことを思いながらも、はぐらかされた俺は「分かりました」とおずおず身を引いた。
それから、ナハトとの会話はまた途切れる。
紅音がどうなったのか気になって仕方なかったが、きっとナハトは何を聞いても直接教えてくれないだろうというのは分かっていたので観念して大人しく焼鮭をつつくことにした。
食事を終え、俺達は個室を出た。食堂内はぼちぼち社員たちで賑わっていて、例のごとく人混みを裂けるように食堂の片隅を通っていくナハトの後を追いかける。
なんだろうか、食堂の雰囲気が変な気がした。
レッド・イルが捕まったことで話題はもちきりなのかと思ったが、そんなことはない。もしかしたら紅音のことは伏せられているのかもしれない、それどころか他の社員たちはなんだか神妙な顔をしてこそこそと話している。
近くのテーブルを通ったとき、『スパイ』という単語が聞こえてきた。話の内容まではわからなかったが、堂々と立ち聞きするわけにもいかない。
「なにボサッとしてんの」とナハトにどやされつつ、俺は「すみません」と慌てて再び歩き出した。
――営業部前。
エレベーターを抜け、今回もまた結局部署の前まで送ってもらうこととなった。改めてお礼を言おうとしたときには既にナハトの姿はどこにもなく、寂しさを覚えながらも俺は気を取り直して営業の扉をくぐるのだった。
営業部には既に望眼が出社していた。
そして、例に漏れず今回も望眼しかいないようだ。本当にこの営業部署には俺と望眼以外の社員が存在するのか不思議になってかるほどの出社率だ。
自分のデスクでドリンクを飲んでいた望眼は、俺に気付くとにかっと爽やかな笑顔を浮かべる。そして「よお、おはよ。良平」と手を振ってきた。
「望眼さん……おはようございます」
「って、酷い顔だな。寝不足か?」
「……やっぱり、わかりますか?」
「ああ、特にお前はわかりやすすぎるな。……なんかあったのか?」
流石望眼というべきなのか。心配そうに聞いてくる望眼に、俺は「実はその」と口籠る。
……サディークとのこと、伝えた方がいいのだろうがどこまで言えばいいのかわからなくなる。
元はと言えば俺がサディークを誘ったようなものだし、けど、サディークの能力が怖くなって逃げ出したのも俺なわけで……。
「サディークか?」
一人言葉を選んでるとき、望眼の方から図星を指されてギクリと凍りつく。
「え、あ、なんで」
「なんでって……わかりやすすぎんだって、良平は」
「う、ごめんなさい……」
「なにがあったんだ?」
「その……なんて説明したらいいのか……」
サディークのことを尊重して俺は能力のことは伏せておこうと思った。けどそうなると、やはり説明がし難い。
「も、望眼さん……」
「ん?」
「望眼さんは、その……担当の方と変な感じになったことってありますか?」
恐る恐る尋ねた瞬間、望眼は飲みかけていたドリンクを勢いよく吹き出した。
「ゴホッ! ゲホッ!」
「望眼さん?! だ、大丈夫ですか……?!」
「ま、待ってくれ……ゲホッ……変なところに入った……」
「す、すみません……」
慌てて俺は近くのデスクにあったティッシュを望眼に手渡し、そのまま背中を擦って望眼が落ち着くのを待った。
……そして、数分後。
どうやら調子を取り戻した望眼は、口元をハンカチで拭いながら気を取り直すかのように咳払いをする。
「……その、変な感じっていうのはあれか? ……単刀直入に言えば、ラブだとかそういう……」
「えーと……その、ラブっていうか……」
「まさかその先か?」
口籠る俺になにか察したのだろう、声のトーンを落とす望眼。恥ずかしいが、相手は頼りになる先輩だ。
顔が熱くなるのを感じながら小さく頷き返せば、そのまま望眼は目頭を抑える。
「も、望眼さん……?」
「……いや、まあ確かに職業柄親密になることはあるが……あるけどあいつ、まじか」
「う……その、でも俺も悪かったっていうか、サディークさんだけのせいじゃないっていうか……っ! ……あ」
黙っておくつもりが名前を出してしまった。
どうせ気付かれている気もしていたが、望眼は頭を抱えたまま「オーケー、わかった」と俺を宥めるのだ。
「……取り敢えず、何があったか聞いてもいいか?」
そう尋ねてくる望眼に、俺は小さく頷き返した。
サディークの能力の部分は伏せ、取り敢えず極力オブラートに何重にも包めながらも俺は望眼に説明することになる。
そして、最初は真面目に俺の話を聞いていた望眼の顔は段々妙な顔になっていくのだ。
「……ということがあって、それで、サディークさんから逃げるような形で別れてしまって」
「あーうん、なるほどな……っていうか、お前、いや、まあ色んなやつがいるからな……」
何か言いたげにしては口籠り、一人言葉を探る望眼。もしかしてなにかまずかったのか、いや大体全部流れからしてまずかったことには違いないのだが段々不安になってきた。
そして、ようやく意を決したように望眼は小さく咳払いをして「なあ、良平」と更に声のトーンを落とす。
「は、はい」
「お前……男好きなのか?」
「えっ?」
やけに神妙な顔をして尋ねられるものだから、思わず変な声が出てしまう。
「い、いや、俺はそういうわけでは……」
「確かにまあそのだな、相手と親密になるために寝るってのも手段ではあるけど……」
「あるんですか?!」
思わず声が裏返ってしまう。
望眼は一瞬「やべ」って顔をしてたが、「貴陸さんに言うなよ」と釘を刺した。
「ってことは望眼さんもその……」
「昔な?! 昔ちょこっとだけだし、それにそれは後々面倒なことになるからやめとけってすこぶる怒られる」
「は、はあ……確かに」
「確かにってお前な……けど、流石に俺も男相手にそうはなんねえって。良平、お前はそっちの経験はないんだろ?」
言葉をぼやかしすぎて最早ワードパズルのようになってきたが、望眼の言わんとしていることはわかった。
そして尋ねられ、言葉に詰まる。そのまま顔が熱くなる俺を見て、望眼は「え」と目を丸くした。
「お、お前……」
「いや、その、待ってください……っ!」
「待ってる、待ってるから落ち着け……! 俺はその、良平が無理してんだったりサディークのやつに無理矢理ってなら勿論止めるし担当も代えさせるつもりだったけど……」
「えーと、その……」
「なんでそこで言葉に詰まるんだよ……っ!」
へへ、と笑うしかない。もう笑って誤魔化す他なかった。
「望眼さん、俺やっぱり怒られますかね……」
「まあ、大丈夫なんじゃないか? 死者や怪我人出てないだけマシだろ」
流石ヴィラン、寛容すぎるところはありがたいがこれでいいのだろうかという気持ちと助かったという気持ちがせめぎ合う。
「……けど、はぁ~まじか。人は見かけによらねえっていうけど、お前がなあ……」
「……?」
「なんできょとんとしてるんだよ。……一応先輩として言っといてやるけど、色恋営業は自分の首締めるから辞めておけ」
流石先輩だ、妙な説得力がある。
「はい、分かりました」と頷けば、「よし」と望眼は頷く。
「取り敢えず、サディークの方は俺が引き継いでおく。今日は……そうだな、ちょっと俺の仕事手伝って貰うかな」
「分かりました……っ! ありがとうございます、望眼さん」
「…………おー」
なんか妙な間があったのが気になるが、一まずはサディークのことは先輩の望眼に任せておくこととなった。
丸投げするみたいで申し訳ない反面、ホッとする。
けど、一応サディークにも改めて謝罪くらいはしないといけないな。そんなことを考えながら、今日も一日は始まるのだった。
◆ ◆ ◆
午前中、主に望眼の手伝いだったり営業してる望眼を眺めたりしてる間にあっという間に昼になる。
丁度望眼の担当ヴィランとの打ち合わせを終えた俺達は本社のエントランスホールまでやってきていた。
相変わらず人通りは多いが、いつもとはどこか違う賑わいだ。
いや、賑やかというよりもこれは……。
「なんか騒々しいな」
「……ですね。なにかあったんでしょうか?」
「さあな。ま、面倒ごとには首を突っ込まない方が吉ってな。ほら、飯食いに行こうぜ」
「は、はい……っ!」
なんて言いながら望眼と社員食堂へと向かおうとしたときだった。正面玄関のドアが開き、数人の社員が帰ってきたようだ。
エントランスホールは基本多くの任務へと向かう社員が使う通路がある。別にそれだけならばなんらおかしいことはないのだが、なんだか戻ってきた社員たちがピリピリしているようだ。
そのまま受付カウンターまで行き、なにやら揉めている社員を見て「おお……」と思わず口にしてしまう。
「こら、見んな見んな。絡まれんぞ」
「あ、す、すみません……つい」
そんな会話を交えつつ、何事かと警備員まで集まってくるのを尻目に俺達はそのまま食堂へと向かった。
――食堂へと繋がる通路。
「にしても荒れてんなあ」
「そういえば、今朝食堂でスパイがどうたらって話してるのを聞いたんですけど……それと関係あるんですかね?」
「スパイ? あー……もしかしてあれか? 同業者に仕事取られてるってやつ」
「え、」
並んで歩いていると、さらりとそんなことを言い出す望眼に素直に驚いた。なんだそれ、初耳だ。
「つっても、俺も又聞きなんだけど」
「同業者って、ここみたいな会社があるんですか?」
「はは、そんなご立派じゃねーだろ。うちの会社よりも粗末なもんだよ。組織って言うほどの大人数でもないってのは聞いたけど」
「依頼先に向かったら既に赤の他人にターゲットを消され、仕事も報酬も横取りされんだって。俺の担当も愚痴ってたな」なんて望眼は他人事のように口にする。
それってなかなかとんでもない話ではないのか。
「……内通者がいるってことですか?」
「ああ、だからスパイだって。前からちょこちょこあったらしいが、最近はその被害も多くなって皆苛ついてんだろうよ」
「なんか、怖いですね」
「はは、そうだな。……俺達にも関係ない話じゃねえし。貴陸さんもそれで最近忙しそうだしな」
そうか、そんな被害受けた人たちの相談を受けるのが俺達でもあるのだ。他人事ではない。
気を引き締めなければ、と改めて口の中で呟く。
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