17 / 38
近いようで遠い関係性、幼馴染。六日目。
慈光燕斗について
しおりを挟む
宋都、お前は昔から、いつだってそうだった。なんでそんなに俺の嫌がることばかりをするんだと何度も泣きながら訴えかけたが、あいつはその度にこういうのだ。「だっておもしれーから」と、楽しそうに笑いながら。
その度に俺はまた泣いていた。そして隣にいた燕斗が俺を慰めながら宋都をしばいてくれたが、今は慰めてくれる燕斗も宋都を止めてくれる燕斗もいない。
『美甘、お前って燕斗がいねえとなんもできねえのな』
燕斗と同じ顔して、燕斗とは別のベクトルで最悪なやつだった。
あいつはいつだって意地悪で、俺を馬鹿にする。
『燕斗燕斗燕斗って、俺といることも忘れてんのか?』
『……宋都、やだ』
『はあ? やだってなんだよ』
『宋都、虐めてくるし……』
『虐めてねえよ、構ってやってんだろ』
『別に、構ってほしくなんかない……っ!』
初めて宋都に言い返して大喧嘩したその日も、確か燕斗が習い事でいない日だった。
中学に上がったばかりの頃、宋都に殴られたときの頬の痛みは今でも覚えてる。
宋都の手の早さは今更だったし遊びで殴られたことも何度もあった。
けれど、やけにその時のことばかり思い出すのはきっとその時の環境もあっただろう。
宋都との間に見えない溝のようなものを感じたのはその時からだ。
別に避けられてるわけではないし、それ以降も顔を見合わせる度に殴られたしストレス解消の玩具にされた。
明確に言語化することは難しい。けれど、確かにあの日から宋都は他の友人たちを優先させることも多くなっていたのだ。
俺の隣には燕斗がいたし、別に寂しいなんて感じることもなかった。寧ろ虐められる機会が減ってラッキーだと思ってたくらいだ。
けれど、ここ最近のことを思い出すと、宋都の振る舞いはあの日よりも以前を思い出すのだ。
乱暴で傍若無人な振る舞いに隠れた何か、俺はそれを『対等に扱ってくれること』と思っていたが違う。多分、そんな可愛らしいものではない。
目を開けば、そこには上半身裸の男がいた。
「よぉ、起きたか?」
「……っ、さ、……」
んと、と声をあげようとして、喉がガスガスになってることに気付いた。
咄嗟に喉を抑えようと伸ばした自分の腕についた無数の指の痕。それから、服すら着ていない体。
咄嗟に辺りを見渡せば、そこには見慣れた宋都の部屋が広がっていた。相変わらずしわくちゃのベッドの上、俺は寝ていた。
宋都の匂いがするせいか、宋都の夢を見たのは。
ぼんやりと考えて、ハッとする。そうだ、俺はこいつに酷い目に遭わされたのだ。
サダからの電話のことを思い出し、血の気が引いた。
「宋都、おまえ……っ」
「あー無理して喋んなって。喉ひでえことになってんぞ」
「誰のせいだと思って……っ!」
「なに、俺?」
お前以外に誰がいるんだよ、と言いかけたとき、「そりゃ悪かったな」と宋都は水が並々と注がれたグラスを手渡してきた。
「んむ……っ」
「ほら、飲めよ。乾いただろ、喉」
「あとこれ、薬。燕斗の部屋に置きっぱなしだったの貰ってきたから」とサイドボードの上に置かれた薬ケースを見て、思わず押し黙る。
んだよ、こっちは少し優しくしたところで許すつもりはないってのに。
ムカムカしたが、言い返す程の体力も残ってなかった。俺は先に薬を飲む。ざらついた錠剤の感触が気持ち悪い。
……大分キテるようだ。そりゃそうだ、ストレスを感じるなと言われる方が無理なのだ。あんな仕打ちを受けて。
「俺のスマホ……」
「ほら、これだろ?」
「……充電……」
「切れてたから充電してやった。……お前パスワード何にしてんの? 俺らの誕生日でも開かなかったっての」
お前らの誕生日にするわけないだろ、と言い掛けてやめた。なんだか酷く疲れてしまっていた。
画面を開けば、現在時刻が表示される。そしてまだお昼頃だという事実に絶望した。
俺的にはもう次の日であってほしかったのに。
それから、通知にはたくさんサダからのメッセージや着信があった。
俺はそれを確認するのが怖くて、再び端末を閉じる。
「なんだ? 電話掛け直さないのか?」
「……いい」
「なんでだよ」
「また、お前が邪魔するからだよ」
「人を邪魔者扱いかよ、やるなぁ美甘」
殴られるかと思ったが、宋都は楽しげだ。暴力のような性行為のあとの宋都は機嫌がいい。いつもこうであったらいいのにと思ったが、そのためにわざわざ身を切らなければならないのは嫌だ。
なんだか憂鬱な気分のまま俺は布団に潜る。その上からずしりと宋都がのしかかってきた。
「なんだ、まだ眠んのかよ」
「……燕斗は?」
「あいつはずっと部屋。起きてくる様子もねえし、多分寝てんじゃね」
「……」
他人事のような物言いだ。宋都の人間性についてはもう昔からこうだったから変わりようはないのだろう。考えるだけ無駄だ。
俺は頭を出し、もそりとベッドから降りる。
「あ? 昼飯か?」
「……ん」
「じゃあ俺も飯行くかな」
「……っ、ついてくんなよ」
「何意識してんだ? 別になんもしねえよ、今は腹のが減ってるからな」
そういう問題かよ、と思いながらも俺は渋々部屋を出る。あれほど汚したリビングに戻るのは嫌だったが。だからこそ確認して綺麗にしておきたいという気分もあった。
――それ以上に。
「……」
燕斗の部屋の前、閉じたまま開く気配のない扉を一瞥する。
……水分補給、ちゃんとしてんのかな。朝飯も、ちゃんと食ったのか。
あいつ、なんか様子おかしかったし、変に意地張ってたり……しないよな。俺じゃあるまいし。
……………………ついでに、冷たい水持っていってやろう。ついでだ。
こいつらはともかく、オバサンにはお世話になってるからこれくらいするのはおかしくはないはずだ。
……なんで俺、言い訳考えてんだ。
「美甘、何突っ立ってんだ?」
続いて部屋から出てきた宋都に、俺は「別に、なんでもない」と慌てて先を歩こうとし、ケツと腰が悲鳴をあげた。そのまま蹲る体を宋都に「仕方ねえな」と担がれ、そのままリビングまで連行されることとなる。
別に食欲なんてない。
腹は減ってるが、食う気も起きないほど満腹感はあった。
――慈光家リビング。
用意されていた一人前の昼飯をガツガツ食ってる宋都の横、腰を抱かれたまま俺はテレビを眺めてた。
「ほら、美甘口開けろ」
「い、いらないってば……んむっ」
「薬飲むんなら軽くは食っといた方が良いだろ」
「んぐ……」
そう口の中にスプーンごとねじ込まれ、焼き飯を食わされる。味は上手いが宋都のアーンと宋都の食いかけというのがマイナスでしかない。
渋々咀嚼し、それを飲み込む。
「なあ、宋都」
「あ?」
「……後で燕斗に飯、持ってけよ」
「はあ? なんで俺が」
「なんでって、兄弟だろ」
さっき台所の方見たら、朝燕斗の部屋に持っていった皿すらも持って降りられてないのが気になった。燕斗の性格からして、片付けられてない食器が部屋にあるのは苦痛だろう。
まだ食えてないか、それとも余程動けないかの二択である。
……別に心配してるわけではないが、万が一のこともある。「宋都」ともう一度名前を呼べば、宋都は面倒臭そうに溜息吐いた。
「そんなに気になるんならお前が行けばいいだろ」
言いながら皿を片手にそっぽ向く宋都。腰を抱いていた手も離れてくれたはいいが、この反応は。
「おい、何拗ねてんだよ」
「拗ねてねえし」
「拗ねてるやつが言うやつだろ、それ」
「あーあーうるせえ。馬鹿」
「ば……っ」
小学生かよ、とムカついたが、ツーンと背中を向けた宋都はもう聞く耳持たずの体勢に入ってる。
仕方ない、と俺は椅子から立ち上がる。
そのまま冷蔵庫から予備の飲み物を手にし、リビングを出た。
「まじで行くのかよ」
「お前が行かないからな」
「どうなっても知らねえよ」
――これ以上どうなると言うんだ。
そっぽ向いたまま忠告してくる宋都に思わず反論しそうになったが、やめた。
そのまま俺は宋都を残し、再び二階へと階段を登ることになる。
腐っても幼馴染だ。他人と呼ぶにはあまりにも近すぎた。
無視しときゃいいのに、と自分でも思うし、こうして燕斗の部屋まで歩いてる最中も心の中でもう一人の自分は『やめとけ』と口にするのだ。そんな声を無視して、足を進めた。
――慈光家二階、燕斗の部屋の前。
「……燕斗、入るぞ」
数回ノックし、相変わらず返事がないのを確認した俺は扉越しに声をかける。
そのまま扉を開いたとき。
「――燕斗?」
部屋のベッドの横、床の上でぐったりと横たわってる燕斗を見た瞬間全身が冷たくなった。
「っ、燕斗……っ!」
俺は手にしたボトルを落としそうになりながらも、慌てて燕斗へと駆け寄る。咄嗟に燕斗に触れれば全身が冷たい。それなのに汗で濡れている。
微かだが呼吸を確認し、ホッとしたのも束の間。俺はなんとか燕斗を抱き起こし、ベッドへと寝かせた。
……ご飯、食べようとして気絶したのだろうか。
俺は部屋にあったタオルを手に、燕斗の額にうっすらと滲む汗を拭っていく。
何が放っておいてくれだ、気絶してたら元も子もないだろ。
……病院。救急車、呼んだ方がいいんじゃないのか。……オバサンにも連絡しておいた方がいいのか?
なんてぐるぐると考えてたとき、廊下の外から足音が聞こえた。そして、開いたままになっていた扉から宋都が顔を出す。
「なんだ、寝てんのか」
「宋都……っ! 燕斗が……」
「あ?」
「燕斗、倒れてたんだけど……一応ベッドに寝かせたけど、まだ気失ってて……びょ、病院……オバサンにも連絡て……」
「あーあ、はいはい。んなことまでしなくていい。暫く水と薬飲ませて寝かせときゃ大丈夫だ」
本当かよ、と思いながらも、部屋へと入ってきた宋都。「それ貸せ」と宋都に手にしていたボトルを取り上げられる。そのまま燕斗のベッドまで歩いていった宋都は、「おい、燕斗」と声をかけた。
数回身体を揺すられた燕斗は不愉快そうに顔を顰め、そしてゆっくりと目を開く。
「燕斗……っ」
「……なんでここにいるんだ、お前ら」
普段よりも低く、掠れた声は宋都に似ていた。そう頭を抑えたまま身体を起こそうとして、燕斗は再びベッドに沈んだ。
「燕斗、お前倒れてたんだよ。こいつがお前のこと見つけたんだ」
「……ああ」
「水と薬、そこに置いてんぞ。飲めるか」
「…………」
まだ本調子ではないようだ。宋都の背中に隠れながらもちらりと燕斗の様子を伺えば、燕斗と目があった。
「……燕斗、本当に病院行かなくて大丈夫なのか?」
「……」
「おい燕斗、こいつまで無視してやんなよ。そろそろ泣くぞ」
「……別に、無視してない。……考えてるんだ。俺も、まだ頭が回ってないから」
そこまで喋れるのなら少し安心した。
聞きたいことも言いたいこともたくさんあったけど、そんなことよりも燕斗が起きてくれただけでどうでもよくなる。
倒れた燕斗を見たとき感じた恐怖に比べたら、まだ無視されてた方がマシだ。
「……燕斗、ご飯。冷めてたから、温かいやつ持ってこようか」
「…………いや、いい」
「でも、朝から何も……」
食えてないだろ、と言いかけたとき、「ほら」と宋都は燕斗に向かってなにか放る。
それはさっき冷蔵庫に入ってたゼリー飲料だった。
「それなら食えるだろ」
「……そうだな」
「だってよ、美甘。こいつの腹のことは気にすんな。それよりそこの朝飯、下に持って行っとけ」
俺をパシるな、と普段ならば言い返したくて溜まらなくなってただろう。けれど、なんとなく今は宋都が俺を追い出そうとしてるのが分かった。
――暗に二人きりにしろ、ということだろう。
俺は頷き返し、いそいそと机の上のトレーを手にして燕斗の部屋を出る。
俺を追い出したあと、二人が何を話しているのか気になったし、こっそり盗み聞きしようかとも思ったけど――やめた。というよりもできなかった。聞くのが怖くなかったというと嘘になるが、一番は邪魔しない方が良いと思ったからだ。
だから、俺は逃げるように一階まで降りてきた。それから、手にしていたトレーをテーブルに置いて、手の付けられてない食事をそのまま冷蔵庫に戻した。
戻るついでにタオル何枚か抱え、俺は再び二階へと向かう。
燕斗の部屋の前までやってきたとき、扉の向こうから二人の話し声が聞こえた。
内容までは聞こえなかったが、ずっと扉の前で待ってるのもなんだか盗み聞きしているようで落ち着かない。
意を決して扉をノックすれば、聞こえていた話し声が止む。そして、扉が開いた。
「あ……宋都」
「へえ、美甘のくせに気が利くじゃねえか」
扉の前に佇んでいた宋都は、そう言って俺の手にしてたタオルを取り上げるのだ。そしてそのままベッドの燕斗に放り投げる。
「んじゃ、行くぞ美甘」
「っ、え? お、俺も……?」
言いながら人の肩に腕を乗せてくる宋都に潰されそうになりながら、燕斗は一人にして大丈夫なのか、と宋都に目を向ける。
あいつは「お前もだよ」とだけ答え、そのまま半ば強引に俺を部屋から連れ出したのだ。
ベッドの上、横になったままの燕斗はこちらを見ようともしなかった。そんなあいつに、俺は声を掛けることもできなかったのだ。
「……っ、おい、宋都……っ! お、重い……っ!」
「お前がとろとろしてるからだろ。……ほら、入れよ」
そう、宋都が俺を引っ張ってきたのは隣のやつの部屋の前だった。
強引すぎるが、宋都の様子からしてただ俺のことを肘置きにしたいというわけではなさそうだ。
促されるがまま、渋々俺は宋都の部屋へと足を踏み込んだ。
相変わらず踏み場もない部屋の中、そのままベッドまで歩いていった宋都はどすりと腰を下ろす。隣に並ぶ気分にはならなかったので、俺はローテーブルの横にあった座椅子に腰をかけた。
「その顔、聞きたいことあるんだろ?」
「……そりゃ、流石にな」
「あいつのこと、うぜーんじゃないのか?」
あっけらかんとした態度でそんなことを言い出す宋都に「そんなわけ……」と咄嗟に言い返しそうになり、そんな自分に驚いた。
はっと口を抑えれば、宋都は笑う。
「別に今更隠す必要もねえだろ。特に、お前は分かりやすいからなぁ? 昔からだ、ずーっと顔に出てた。つかなんなら態度にも出てただろ」
「……それとこれとは、今関係ないだろ」
「関係あるんだよ」
ぴしゃりと断言され、思わず宋都を見る。
「燕斗のやつ、お前のことが大好き過ぎてたまにこうやって体崩すんだよ。……お前は知らねえだろうけど」
「……なんだよ、それ」
「つっても、一番顕著になったのが高校上がった辺り――お前と離れてからだから、知らなくたって仕方ねえけどな」
冗談のつもりなのか。それでも宋都はいつもの茶化すような態度も、馬鹿にするような口調でもない。ただ淡々と懐かしそうに告げる宋都。
「あいつの体調は完全にメンタルからなんだよ。過度のストレスがあったとき、分かりやすく表に出る。……今回の場合は分かりやすいだろ? なんたって、お前がよく知ってるだろうからな」
「そ、れは……」
――心当たりは、あった。なんなら心当たりしかなかった。
昨日、燕斗の様子がおかしくなったときも。露骨に俺を避けだしたときも。俺は全部見ていた。
そんなことあるわけないだろ、と笑って言い返せたらまだ良かっただろう。けれど、俺は宋都の言葉に納得してしまったのだ。
「……俺の、せいなのか……?」
「お前のせいだよ。お前のせいだし、お前のお陰でもある」
「なんだよそれ……」
「お前が思ってるよりもずっと、燕斗はお前に影響受けてるってことだよ」
「……………………なんだよ、それ」
俺の中で燕斗は、ずっと大人びたやつだった。一人でなんでも卒なくこなし、俺の数歩先をずっと歩いていく。
幼い頃の俺は置いていかれないようにとその背中を追いかけることで必死で、それでも結局追いつくことはできなかった。
――そんな燕斗が、本当は俺のたった一言で身体を壊すやつだって?
にわか信じられなかったが、現に目の当たりにしてしまった今、何も言葉が出なかった。
「失望したか?」
そう薄笑いで尋ねてくる宋都に「してない」とだけ呟けば、宋都は片眉を釣り上げ、妙な笑い方をしたのだ。
失望などするものか。――もうとっくの昔に、あいつの身勝手さと強引さには辟易していたところだ。
……流石に、戸惑いはしたが。
「お前って……」
不意に、こちらをじっと見ていた宋都が何かを言いかける。「なんだよ」とじとりと見上げれば、宋都は「いや、別に」と笑った。
「なんだよ、別にって」
「そんなんだから、ぐちゃぐちゃ余計なこと考えるんだろうな。……お前もあいつも」
あいつというのは燕斗のことだろうが、なんだか腑に落ちない。言えよ、と宋都を見上げれば、宋都に「なあ」と爪先で小突かれる。
「け、蹴るなよ……っ! ……なに」
「俺はともかく、なんであいつがお前から距離置いたのか気にならなかったか?」
「距離って……?」
「ああ、今じゃなくて高校上がるときな。……あいつなら絶対お前と同じところに行くって思っただろ」
「別に……」
……少しは思ったけど。
このまま高校、大学まで一緒なんじゃないかって思ってた。宋都は中学の時点で他の友達やグループに属していたけど、燕斗は別だ。
だからこそ、あまりにもあっさりと二人と疎遠になったことには正直呆気に取られた。
「思った、りはした」
「正直だな」
「……お前が正直に話すからだよ」
どういうつもりかは知らないが、俺自身知らないことを知りたいと思ってる自分もいた。燕斗はいつだって肝心なことは何も言わないから。
「正直っつーか、まあ、俺も面倒臭えしな。いつまでもネチネチうじうじされてんのはダリいし」
「も、もう少し言い方あるだろ……」
「ああ? 言っただろ、別に俺が優しくよちよちしてもあいつにはなんも響かねえって。ただキモいだけなんだよ」
「……だから、俺に話してくれんのか?」
恐る恐る尋ねれば、そっぽ向いた宋都は「まあな」と不貞腐れた子供のように呟いた。
「ま、お前も分かっただろ。あいつはああいうところがあんだよな、自分で自分の機嫌を取れねえくらいド不器用野郎なわけ」
「……」
「高校、あいつはお前と同じところに通う気満々だったよ。今のとこ蹴ってな」
「――え」
二人が通う学校は、この辺りでも偏差値の高い学校だ。それに対して、俺の通う学校は滑り止めの滑り止めみたいな場所である。
初耳だった。燕斗がそんなことを考えていたなんて。それと同時に、当時あっさりと別の高校を選んだ燕斗に対する違和感とあっけなさを思い出した。
中学三年の冬、『美甘、暫くはお別れだね』と燕斗は笑っていた。
俺の記憶ではそれから卒業し、現在に至るまで燕斗とまともに連絡を取ることもなかった。あいつからも連絡が来なかったし、二人と離れられることにとにかく清清していた俺は自分から連絡するという頭もなかったのだ。
「高校に入って、ぱったり俺らからの連絡もなくなっただろ? ……あれ、止められてたんだよな」
「と、止められてたって……」
「色んな大人に」
――宋都曰く、自分の将来を棒に振るような真似をしてまで俺に依存してるという話が慈光家で上がったらしい。
大切な受験シーズン、俺も俺で高校受験に必死になって勉強していたので三年にも上がると顔を合わせることも少なくなっていた。
それでも、流石に裏でそんな家族会議があったのは知らなかった。
「だって、言ってなかったしな」
「い、言えよ……っ! いや、俺が悪いのか……?」
「美甘が悪い。あいつを誑かしたお前が」
「た、誑かしてない」
「少なくともお前のお陰で、お前のせいでも違いねえな。あいつが今、こうなってんのは」
反抗期らしい反抗期がなかった燕斗が唯一親に反抗したのもそのときだったという。
高校はきちんと通うし、俺からも自立する。けれど、卒業すればその後は好きにしたらいい――そう燕斗は約束した。
「……そんなの、聞いてない」
「あいつも言いたくなかっただろうし、そもそも言えなかっただろ。お前と距離取る約束だったから」
「…………」
変なところで真面目だ。いつもあんなに無茶苦茶なくせに、そういうところの筋は通すのだから。
「今回、お前んちのおばさんから連絡あったとき、あいつの喜びようったらなかったぞ? 覚えてるか?」
「……覚えてない、けど、強盗が入ってきたのかとビビったのは覚えてる」
「なんだよそれ」
宋都は笑う。俺からしてみれば、昔よりも少し優しくなったのではないかと思ったら、全然変わってなくて慄いたという恐怖体験しかないが。
……そんなに俺と会えること喜んでくれたのなら、もう少し優しくしてくれたってよかったのではないか?
「なんだよ、その顔」
「……この一週間、終わったらまた今まで通りに戻るのか?」
「まあな。俺は別に関係ねえけど、あいつは高校卒業までの約束だからな」
「こんなこと、俺に言ってよかったのか」
「だから言ってんだろ。このままじゃ、下手すりゃちゃんと卒業できるか怪しいってな」
「……どういう意味だよ」
「そのままだ。……高校卒業して、お前と過ごすことを目標にしてた人間からその目標を奪ったらどうなる?」
宋都の言葉に、思わず俺は立ち上がる。そのまま部屋を出ていこうとして、「待てよ」と宋都に止められた。
「……っ、宋都……」
「別に俺はどうだって良いけどなぁ。……な、美甘。お前はどうなんだ?」
「どうって……」
「ここまで俺が話したのは、別に『あいつを助けてやってほしいから』とかそんなんじゃねえんだよ。嫌なら嫌で放っときゃあいいし、どうせ明日には帰んだろ?」
「……」
「逆に、今なら本当の意味でお前から離れられる時期でもあるんだよ。……お前に振られて吹っ切れりゃ、あいつも自分のために生きることを考えるかもしれねえし」
その言葉から、宋都自身もまだ決めあぐねているのだと分かった、
宋都の言葉の意味も分かった。ここが大きな分岐点になるのだと。
「これは幼馴染のよしみとして言ってやるよ、燕斗のこと本気で好きじゃねえんならやめとけ。……あいつはお前に対してちょっと、つーか大分拗らせてるから」
乾いた宋都の指が、するりと二の腕を掴む。宋都のこんな顔、初めて見たかもしれない。
「お前……俺のこと心配してるのか?」
そう恐る恐る尋ねれば、「あぁ?」と宋都の眉間に深く皺が刻まれる。
「してねえよ」
「し、してるだろ」
「じゃあしてねえ。もう勝手にしろ。馬鹿」
「ば……ッ」
また馬鹿って言った。
そう言い返そうとして、やめた。そして、代わりに宋都の手を離す。
「……ありがと、宋都」
「……」
「お前って、自分勝手だけど……やっぱりお前ら仲良いよな」
「良くねえ、キモいこと言うな」
「な、なんだよ、褒めてんだろ!」
ガキ大将だったあの宋都が、と思うとなんだか感慨深くなってしまうが、今は感傷に耽っている場合では――あるのか。
宋都の言うとおり、宋都の言葉を鵜呑みにするのならば、この先燕斗への接し方は考えなければならない。
それにしても、オバサンはなんで俺を泊めてくれるのを許可したんだろうか。
燕斗がそれまで我慢してたから?
……あくまでも推測の域を出ないが、確かに燕斗は俺の前からぱたりと姿を消した。そして、高校に上がる時期に体調崩すようになったという宋都の話を聞いて、正直まだ実感が沸かなかった。
燕斗がそこまで俺に影響を受けていたなんて、余計。
今すぐ燕斗に話を聞きに行きたかったが、先程の様子からしてもう少し休ませた方がいい気もしていた。
……それに、俺も考えなければならない。
誰かさんのせいで通知の溜まっている携帯端末を手にしたまま、俺はサダの顔を思い浮かべていた。
その度に俺はまた泣いていた。そして隣にいた燕斗が俺を慰めながら宋都をしばいてくれたが、今は慰めてくれる燕斗も宋都を止めてくれる燕斗もいない。
『美甘、お前って燕斗がいねえとなんもできねえのな』
燕斗と同じ顔して、燕斗とは別のベクトルで最悪なやつだった。
あいつはいつだって意地悪で、俺を馬鹿にする。
『燕斗燕斗燕斗って、俺といることも忘れてんのか?』
『……宋都、やだ』
『はあ? やだってなんだよ』
『宋都、虐めてくるし……』
『虐めてねえよ、構ってやってんだろ』
『別に、構ってほしくなんかない……っ!』
初めて宋都に言い返して大喧嘩したその日も、確か燕斗が習い事でいない日だった。
中学に上がったばかりの頃、宋都に殴られたときの頬の痛みは今でも覚えてる。
宋都の手の早さは今更だったし遊びで殴られたことも何度もあった。
けれど、やけにその時のことばかり思い出すのはきっとその時の環境もあっただろう。
宋都との間に見えない溝のようなものを感じたのはその時からだ。
別に避けられてるわけではないし、それ以降も顔を見合わせる度に殴られたしストレス解消の玩具にされた。
明確に言語化することは難しい。けれど、確かにあの日から宋都は他の友人たちを優先させることも多くなっていたのだ。
俺の隣には燕斗がいたし、別に寂しいなんて感じることもなかった。寧ろ虐められる機会が減ってラッキーだと思ってたくらいだ。
けれど、ここ最近のことを思い出すと、宋都の振る舞いはあの日よりも以前を思い出すのだ。
乱暴で傍若無人な振る舞いに隠れた何か、俺はそれを『対等に扱ってくれること』と思っていたが違う。多分、そんな可愛らしいものではない。
目を開けば、そこには上半身裸の男がいた。
「よぉ、起きたか?」
「……っ、さ、……」
んと、と声をあげようとして、喉がガスガスになってることに気付いた。
咄嗟に喉を抑えようと伸ばした自分の腕についた無数の指の痕。それから、服すら着ていない体。
咄嗟に辺りを見渡せば、そこには見慣れた宋都の部屋が広がっていた。相変わらずしわくちゃのベッドの上、俺は寝ていた。
宋都の匂いがするせいか、宋都の夢を見たのは。
ぼんやりと考えて、ハッとする。そうだ、俺はこいつに酷い目に遭わされたのだ。
サダからの電話のことを思い出し、血の気が引いた。
「宋都、おまえ……っ」
「あー無理して喋んなって。喉ひでえことになってんぞ」
「誰のせいだと思って……っ!」
「なに、俺?」
お前以外に誰がいるんだよ、と言いかけたとき、「そりゃ悪かったな」と宋都は水が並々と注がれたグラスを手渡してきた。
「んむ……っ」
「ほら、飲めよ。乾いただろ、喉」
「あとこれ、薬。燕斗の部屋に置きっぱなしだったの貰ってきたから」とサイドボードの上に置かれた薬ケースを見て、思わず押し黙る。
んだよ、こっちは少し優しくしたところで許すつもりはないってのに。
ムカムカしたが、言い返す程の体力も残ってなかった。俺は先に薬を飲む。ざらついた錠剤の感触が気持ち悪い。
……大分キテるようだ。そりゃそうだ、ストレスを感じるなと言われる方が無理なのだ。あんな仕打ちを受けて。
「俺のスマホ……」
「ほら、これだろ?」
「……充電……」
「切れてたから充電してやった。……お前パスワード何にしてんの? 俺らの誕生日でも開かなかったっての」
お前らの誕生日にするわけないだろ、と言い掛けてやめた。なんだか酷く疲れてしまっていた。
画面を開けば、現在時刻が表示される。そしてまだお昼頃だという事実に絶望した。
俺的にはもう次の日であってほしかったのに。
それから、通知にはたくさんサダからのメッセージや着信があった。
俺はそれを確認するのが怖くて、再び端末を閉じる。
「なんだ? 電話掛け直さないのか?」
「……いい」
「なんでだよ」
「また、お前が邪魔するからだよ」
「人を邪魔者扱いかよ、やるなぁ美甘」
殴られるかと思ったが、宋都は楽しげだ。暴力のような性行為のあとの宋都は機嫌がいい。いつもこうであったらいいのにと思ったが、そのためにわざわざ身を切らなければならないのは嫌だ。
なんだか憂鬱な気分のまま俺は布団に潜る。その上からずしりと宋都がのしかかってきた。
「なんだ、まだ眠んのかよ」
「……燕斗は?」
「あいつはずっと部屋。起きてくる様子もねえし、多分寝てんじゃね」
「……」
他人事のような物言いだ。宋都の人間性についてはもう昔からこうだったから変わりようはないのだろう。考えるだけ無駄だ。
俺は頭を出し、もそりとベッドから降りる。
「あ? 昼飯か?」
「……ん」
「じゃあ俺も飯行くかな」
「……っ、ついてくんなよ」
「何意識してんだ? 別になんもしねえよ、今は腹のが減ってるからな」
そういう問題かよ、と思いながらも俺は渋々部屋を出る。あれほど汚したリビングに戻るのは嫌だったが。だからこそ確認して綺麗にしておきたいという気分もあった。
――それ以上に。
「……」
燕斗の部屋の前、閉じたまま開く気配のない扉を一瞥する。
……水分補給、ちゃんとしてんのかな。朝飯も、ちゃんと食ったのか。
あいつ、なんか様子おかしかったし、変に意地張ってたり……しないよな。俺じゃあるまいし。
……………………ついでに、冷たい水持っていってやろう。ついでだ。
こいつらはともかく、オバサンにはお世話になってるからこれくらいするのはおかしくはないはずだ。
……なんで俺、言い訳考えてんだ。
「美甘、何突っ立ってんだ?」
続いて部屋から出てきた宋都に、俺は「別に、なんでもない」と慌てて先を歩こうとし、ケツと腰が悲鳴をあげた。そのまま蹲る体を宋都に「仕方ねえな」と担がれ、そのままリビングまで連行されることとなる。
別に食欲なんてない。
腹は減ってるが、食う気も起きないほど満腹感はあった。
――慈光家リビング。
用意されていた一人前の昼飯をガツガツ食ってる宋都の横、腰を抱かれたまま俺はテレビを眺めてた。
「ほら、美甘口開けろ」
「い、いらないってば……んむっ」
「薬飲むんなら軽くは食っといた方が良いだろ」
「んぐ……」
そう口の中にスプーンごとねじ込まれ、焼き飯を食わされる。味は上手いが宋都のアーンと宋都の食いかけというのがマイナスでしかない。
渋々咀嚼し、それを飲み込む。
「なあ、宋都」
「あ?」
「……後で燕斗に飯、持ってけよ」
「はあ? なんで俺が」
「なんでって、兄弟だろ」
さっき台所の方見たら、朝燕斗の部屋に持っていった皿すらも持って降りられてないのが気になった。燕斗の性格からして、片付けられてない食器が部屋にあるのは苦痛だろう。
まだ食えてないか、それとも余程動けないかの二択である。
……別に心配してるわけではないが、万が一のこともある。「宋都」ともう一度名前を呼べば、宋都は面倒臭そうに溜息吐いた。
「そんなに気になるんならお前が行けばいいだろ」
言いながら皿を片手にそっぽ向く宋都。腰を抱いていた手も離れてくれたはいいが、この反応は。
「おい、何拗ねてんだよ」
「拗ねてねえし」
「拗ねてるやつが言うやつだろ、それ」
「あーあーうるせえ。馬鹿」
「ば……っ」
小学生かよ、とムカついたが、ツーンと背中を向けた宋都はもう聞く耳持たずの体勢に入ってる。
仕方ない、と俺は椅子から立ち上がる。
そのまま冷蔵庫から予備の飲み物を手にし、リビングを出た。
「まじで行くのかよ」
「お前が行かないからな」
「どうなっても知らねえよ」
――これ以上どうなると言うんだ。
そっぽ向いたまま忠告してくる宋都に思わず反論しそうになったが、やめた。
そのまま俺は宋都を残し、再び二階へと階段を登ることになる。
腐っても幼馴染だ。他人と呼ぶにはあまりにも近すぎた。
無視しときゃいいのに、と自分でも思うし、こうして燕斗の部屋まで歩いてる最中も心の中でもう一人の自分は『やめとけ』と口にするのだ。そんな声を無視して、足を進めた。
――慈光家二階、燕斗の部屋の前。
「……燕斗、入るぞ」
数回ノックし、相変わらず返事がないのを確認した俺は扉越しに声をかける。
そのまま扉を開いたとき。
「――燕斗?」
部屋のベッドの横、床の上でぐったりと横たわってる燕斗を見た瞬間全身が冷たくなった。
「っ、燕斗……っ!」
俺は手にしたボトルを落としそうになりながらも、慌てて燕斗へと駆け寄る。咄嗟に燕斗に触れれば全身が冷たい。それなのに汗で濡れている。
微かだが呼吸を確認し、ホッとしたのも束の間。俺はなんとか燕斗を抱き起こし、ベッドへと寝かせた。
……ご飯、食べようとして気絶したのだろうか。
俺は部屋にあったタオルを手に、燕斗の額にうっすらと滲む汗を拭っていく。
何が放っておいてくれだ、気絶してたら元も子もないだろ。
……病院。救急車、呼んだ方がいいんじゃないのか。……オバサンにも連絡しておいた方がいいのか?
なんてぐるぐると考えてたとき、廊下の外から足音が聞こえた。そして、開いたままになっていた扉から宋都が顔を出す。
「なんだ、寝てんのか」
「宋都……っ! 燕斗が……」
「あ?」
「燕斗、倒れてたんだけど……一応ベッドに寝かせたけど、まだ気失ってて……びょ、病院……オバサンにも連絡て……」
「あーあ、はいはい。んなことまでしなくていい。暫く水と薬飲ませて寝かせときゃ大丈夫だ」
本当かよ、と思いながらも、部屋へと入ってきた宋都。「それ貸せ」と宋都に手にしていたボトルを取り上げられる。そのまま燕斗のベッドまで歩いていった宋都は、「おい、燕斗」と声をかけた。
数回身体を揺すられた燕斗は不愉快そうに顔を顰め、そしてゆっくりと目を開く。
「燕斗……っ」
「……なんでここにいるんだ、お前ら」
普段よりも低く、掠れた声は宋都に似ていた。そう頭を抑えたまま身体を起こそうとして、燕斗は再びベッドに沈んだ。
「燕斗、お前倒れてたんだよ。こいつがお前のこと見つけたんだ」
「……ああ」
「水と薬、そこに置いてんぞ。飲めるか」
「…………」
まだ本調子ではないようだ。宋都の背中に隠れながらもちらりと燕斗の様子を伺えば、燕斗と目があった。
「……燕斗、本当に病院行かなくて大丈夫なのか?」
「……」
「おい燕斗、こいつまで無視してやんなよ。そろそろ泣くぞ」
「……別に、無視してない。……考えてるんだ。俺も、まだ頭が回ってないから」
そこまで喋れるのなら少し安心した。
聞きたいことも言いたいこともたくさんあったけど、そんなことよりも燕斗が起きてくれただけでどうでもよくなる。
倒れた燕斗を見たとき感じた恐怖に比べたら、まだ無視されてた方がマシだ。
「……燕斗、ご飯。冷めてたから、温かいやつ持ってこようか」
「…………いや、いい」
「でも、朝から何も……」
食えてないだろ、と言いかけたとき、「ほら」と宋都は燕斗に向かってなにか放る。
それはさっき冷蔵庫に入ってたゼリー飲料だった。
「それなら食えるだろ」
「……そうだな」
「だってよ、美甘。こいつの腹のことは気にすんな。それよりそこの朝飯、下に持って行っとけ」
俺をパシるな、と普段ならば言い返したくて溜まらなくなってただろう。けれど、なんとなく今は宋都が俺を追い出そうとしてるのが分かった。
――暗に二人きりにしろ、ということだろう。
俺は頷き返し、いそいそと机の上のトレーを手にして燕斗の部屋を出る。
俺を追い出したあと、二人が何を話しているのか気になったし、こっそり盗み聞きしようかとも思ったけど――やめた。というよりもできなかった。聞くのが怖くなかったというと嘘になるが、一番は邪魔しない方が良いと思ったからだ。
だから、俺は逃げるように一階まで降りてきた。それから、手にしていたトレーをテーブルに置いて、手の付けられてない食事をそのまま冷蔵庫に戻した。
戻るついでにタオル何枚か抱え、俺は再び二階へと向かう。
燕斗の部屋の前までやってきたとき、扉の向こうから二人の話し声が聞こえた。
内容までは聞こえなかったが、ずっと扉の前で待ってるのもなんだか盗み聞きしているようで落ち着かない。
意を決して扉をノックすれば、聞こえていた話し声が止む。そして、扉が開いた。
「あ……宋都」
「へえ、美甘のくせに気が利くじゃねえか」
扉の前に佇んでいた宋都は、そう言って俺の手にしてたタオルを取り上げるのだ。そしてそのままベッドの燕斗に放り投げる。
「んじゃ、行くぞ美甘」
「っ、え? お、俺も……?」
言いながら人の肩に腕を乗せてくる宋都に潰されそうになりながら、燕斗は一人にして大丈夫なのか、と宋都に目を向ける。
あいつは「お前もだよ」とだけ答え、そのまま半ば強引に俺を部屋から連れ出したのだ。
ベッドの上、横になったままの燕斗はこちらを見ようともしなかった。そんなあいつに、俺は声を掛けることもできなかったのだ。
「……っ、おい、宋都……っ! お、重い……っ!」
「お前がとろとろしてるからだろ。……ほら、入れよ」
そう、宋都が俺を引っ張ってきたのは隣のやつの部屋の前だった。
強引すぎるが、宋都の様子からしてただ俺のことを肘置きにしたいというわけではなさそうだ。
促されるがまま、渋々俺は宋都の部屋へと足を踏み込んだ。
相変わらず踏み場もない部屋の中、そのままベッドまで歩いていった宋都はどすりと腰を下ろす。隣に並ぶ気分にはならなかったので、俺はローテーブルの横にあった座椅子に腰をかけた。
「その顔、聞きたいことあるんだろ?」
「……そりゃ、流石にな」
「あいつのこと、うぜーんじゃないのか?」
あっけらかんとした態度でそんなことを言い出す宋都に「そんなわけ……」と咄嗟に言い返しそうになり、そんな自分に驚いた。
はっと口を抑えれば、宋都は笑う。
「別に今更隠す必要もねえだろ。特に、お前は分かりやすいからなぁ? 昔からだ、ずーっと顔に出てた。つかなんなら態度にも出てただろ」
「……それとこれとは、今関係ないだろ」
「関係あるんだよ」
ぴしゃりと断言され、思わず宋都を見る。
「燕斗のやつ、お前のことが大好き過ぎてたまにこうやって体崩すんだよ。……お前は知らねえだろうけど」
「……なんだよ、それ」
「つっても、一番顕著になったのが高校上がった辺り――お前と離れてからだから、知らなくたって仕方ねえけどな」
冗談のつもりなのか。それでも宋都はいつもの茶化すような態度も、馬鹿にするような口調でもない。ただ淡々と懐かしそうに告げる宋都。
「あいつの体調は完全にメンタルからなんだよ。過度のストレスがあったとき、分かりやすく表に出る。……今回の場合は分かりやすいだろ? なんたって、お前がよく知ってるだろうからな」
「そ、れは……」
――心当たりは、あった。なんなら心当たりしかなかった。
昨日、燕斗の様子がおかしくなったときも。露骨に俺を避けだしたときも。俺は全部見ていた。
そんなことあるわけないだろ、と笑って言い返せたらまだ良かっただろう。けれど、俺は宋都の言葉に納得してしまったのだ。
「……俺の、せいなのか……?」
「お前のせいだよ。お前のせいだし、お前のお陰でもある」
「なんだよそれ……」
「お前が思ってるよりもずっと、燕斗はお前に影響受けてるってことだよ」
「……………………なんだよ、それ」
俺の中で燕斗は、ずっと大人びたやつだった。一人でなんでも卒なくこなし、俺の数歩先をずっと歩いていく。
幼い頃の俺は置いていかれないようにとその背中を追いかけることで必死で、それでも結局追いつくことはできなかった。
――そんな燕斗が、本当は俺のたった一言で身体を壊すやつだって?
にわか信じられなかったが、現に目の当たりにしてしまった今、何も言葉が出なかった。
「失望したか?」
そう薄笑いで尋ねてくる宋都に「してない」とだけ呟けば、宋都は片眉を釣り上げ、妙な笑い方をしたのだ。
失望などするものか。――もうとっくの昔に、あいつの身勝手さと強引さには辟易していたところだ。
……流石に、戸惑いはしたが。
「お前って……」
不意に、こちらをじっと見ていた宋都が何かを言いかける。「なんだよ」とじとりと見上げれば、宋都は「いや、別に」と笑った。
「なんだよ、別にって」
「そんなんだから、ぐちゃぐちゃ余計なこと考えるんだろうな。……お前もあいつも」
あいつというのは燕斗のことだろうが、なんだか腑に落ちない。言えよ、と宋都を見上げれば、宋都に「なあ」と爪先で小突かれる。
「け、蹴るなよ……っ! ……なに」
「俺はともかく、なんであいつがお前から距離置いたのか気にならなかったか?」
「距離って……?」
「ああ、今じゃなくて高校上がるときな。……あいつなら絶対お前と同じところに行くって思っただろ」
「別に……」
……少しは思ったけど。
このまま高校、大学まで一緒なんじゃないかって思ってた。宋都は中学の時点で他の友達やグループに属していたけど、燕斗は別だ。
だからこそ、あまりにもあっさりと二人と疎遠になったことには正直呆気に取られた。
「思った、りはした」
「正直だな」
「……お前が正直に話すからだよ」
どういうつもりかは知らないが、俺自身知らないことを知りたいと思ってる自分もいた。燕斗はいつだって肝心なことは何も言わないから。
「正直っつーか、まあ、俺も面倒臭えしな。いつまでもネチネチうじうじされてんのはダリいし」
「も、もう少し言い方あるだろ……」
「ああ? 言っただろ、別に俺が優しくよちよちしてもあいつにはなんも響かねえって。ただキモいだけなんだよ」
「……だから、俺に話してくれんのか?」
恐る恐る尋ねれば、そっぽ向いた宋都は「まあな」と不貞腐れた子供のように呟いた。
「ま、お前も分かっただろ。あいつはああいうところがあんだよな、自分で自分の機嫌を取れねえくらいド不器用野郎なわけ」
「……」
「高校、あいつはお前と同じところに通う気満々だったよ。今のとこ蹴ってな」
「――え」
二人が通う学校は、この辺りでも偏差値の高い学校だ。それに対して、俺の通う学校は滑り止めの滑り止めみたいな場所である。
初耳だった。燕斗がそんなことを考えていたなんて。それと同時に、当時あっさりと別の高校を選んだ燕斗に対する違和感とあっけなさを思い出した。
中学三年の冬、『美甘、暫くはお別れだね』と燕斗は笑っていた。
俺の記憶ではそれから卒業し、現在に至るまで燕斗とまともに連絡を取ることもなかった。あいつからも連絡が来なかったし、二人と離れられることにとにかく清清していた俺は自分から連絡するという頭もなかったのだ。
「高校に入って、ぱったり俺らからの連絡もなくなっただろ? ……あれ、止められてたんだよな」
「と、止められてたって……」
「色んな大人に」
――宋都曰く、自分の将来を棒に振るような真似をしてまで俺に依存してるという話が慈光家で上がったらしい。
大切な受験シーズン、俺も俺で高校受験に必死になって勉強していたので三年にも上がると顔を合わせることも少なくなっていた。
それでも、流石に裏でそんな家族会議があったのは知らなかった。
「だって、言ってなかったしな」
「い、言えよ……っ! いや、俺が悪いのか……?」
「美甘が悪い。あいつを誑かしたお前が」
「た、誑かしてない」
「少なくともお前のお陰で、お前のせいでも違いねえな。あいつが今、こうなってんのは」
反抗期らしい反抗期がなかった燕斗が唯一親に反抗したのもそのときだったという。
高校はきちんと通うし、俺からも自立する。けれど、卒業すればその後は好きにしたらいい――そう燕斗は約束した。
「……そんなの、聞いてない」
「あいつも言いたくなかっただろうし、そもそも言えなかっただろ。お前と距離取る約束だったから」
「…………」
変なところで真面目だ。いつもあんなに無茶苦茶なくせに、そういうところの筋は通すのだから。
「今回、お前んちのおばさんから連絡あったとき、あいつの喜びようったらなかったぞ? 覚えてるか?」
「……覚えてない、けど、強盗が入ってきたのかとビビったのは覚えてる」
「なんだよそれ」
宋都は笑う。俺からしてみれば、昔よりも少し優しくなったのではないかと思ったら、全然変わってなくて慄いたという恐怖体験しかないが。
……そんなに俺と会えること喜んでくれたのなら、もう少し優しくしてくれたってよかったのではないか?
「なんだよ、その顔」
「……この一週間、終わったらまた今まで通りに戻るのか?」
「まあな。俺は別に関係ねえけど、あいつは高校卒業までの約束だからな」
「こんなこと、俺に言ってよかったのか」
「だから言ってんだろ。このままじゃ、下手すりゃちゃんと卒業できるか怪しいってな」
「……どういう意味だよ」
「そのままだ。……高校卒業して、お前と過ごすことを目標にしてた人間からその目標を奪ったらどうなる?」
宋都の言葉に、思わず俺は立ち上がる。そのまま部屋を出ていこうとして、「待てよ」と宋都に止められた。
「……っ、宋都……」
「別に俺はどうだって良いけどなぁ。……な、美甘。お前はどうなんだ?」
「どうって……」
「ここまで俺が話したのは、別に『あいつを助けてやってほしいから』とかそんなんじゃねえんだよ。嫌なら嫌で放っときゃあいいし、どうせ明日には帰んだろ?」
「……」
「逆に、今なら本当の意味でお前から離れられる時期でもあるんだよ。……お前に振られて吹っ切れりゃ、あいつも自分のために生きることを考えるかもしれねえし」
その言葉から、宋都自身もまだ決めあぐねているのだと分かった、
宋都の言葉の意味も分かった。ここが大きな分岐点になるのだと。
「これは幼馴染のよしみとして言ってやるよ、燕斗のこと本気で好きじゃねえんならやめとけ。……あいつはお前に対してちょっと、つーか大分拗らせてるから」
乾いた宋都の指が、するりと二の腕を掴む。宋都のこんな顔、初めて見たかもしれない。
「お前……俺のこと心配してるのか?」
そう恐る恐る尋ねれば、「あぁ?」と宋都の眉間に深く皺が刻まれる。
「してねえよ」
「し、してるだろ」
「じゃあしてねえ。もう勝手にしろ。馬鹿」
「ば……ッ」
また馬鹿って言った。
そう言い返そうとして、やめた。そして、代わりに宋都の手を離す。
「……ありがと、宋都」
「……」
「お前って、自分勝手だけど……やっぱりお前ら仲良いよな」
「良くねえ、キモいこと言うな」
「な、なんだよ、褒めてんだろ!」
ガキ大将だったあの宋都が、と思うとなんだか感慨深くなってしまうが、今は感傷に耽っている場合では――あるのか。
宋都の言うとおり、宋都の言葉を鵜呑みにするのならば、この先燕斗への接し方は考えなければならない。
それにしても、オバサンはなんで俺を泊めてくれるのを許可したんだろうか。
燕斗がそれまで我慢してたから?
……あくまでも推測の域を出ないが、確かに燕斗は俺の前からぱたりと姿を消した。そして、高校に上がる時期に体調崩すようになったという宋都の話を聞いて、正直まだ実感が沸かなかった。
燕斗がそこまで俺に影響を受けていたなんて、余計。
今すぐ燕斗に話を聞きに行きたかったが、先程の様子からしてもう少し休ませた方がいい気もしていた。
……それに、俺も考えなければならない。
誰かさんのせいで通知の溜まっている携帯端末を手にしたまま、俺はサダの顔を思い浮かべていた。
20
お気に入りに追加
408
あなたにおすすめの小説

言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、
絶対にお嫁さんにするから覚悟してろよ!!!
toki
BL
「ていうかちゃんと寝てなさい」
「すいません……」
ゆるふわ距離感バグ幼馴染の読み切りBLです♪
一応、有馬くんが攻めのつもりで書きましたが、お好きなように解釈していただいて大丈夫です。
作中の表現ではわかりづらいですが、有馬くんはけっこう見目が良いです。でもガチで桜田くんしか眼中にないので自分が目立っている自覚はまったくありません。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!(https://www.pixiv.net/artworks/110931919)
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)


白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

多分前世から続いているふたりの追いかけっこ
雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け
《あらすじ》
高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。
桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。
蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる