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性悪双子と飴と鞭。四日目。
脱玩具宣言
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俺は数分前の自分の言動をすでに後悔していた。
隣を歩く宋都は人の肩に腕を乗せたまま、鼻歌交じり上機嫌に歩いている。そして俺はそんなやつから逃げることもできないまま、潰れかけながらも歩いていた。
その行き先すらも知られずに。
「さ、宋都、離せって……」
「あ?」
「め、目立ってるし……歩きにくいから」
「なら抱っこしてやろうか?」
「な、なんでそうなるんだよ」
「お前好きだろ、抱っこされんの」
――それはお前らが人を荷物扱いしてるだけだろ。
あんな屈辱的な運び方、好きなわけないだろ。と言い返すよりも先に、「仕方ねえな」と肩に回されていた宋都の手が離れた。
それも束の間、今度は手を掴まれるのだ。
「な、」
なにするつもりだと身構えたとき、乱暴に手を重ねられたと思えば絡みついてくる硬い指先にぎょっとした。
「これなら文句ねえだろ?」
「お、ぉ……っ」
大アリだ。なんなら文句しかない。
周りに一般の通行人がいることを承知の上でやってるのだろう、この男は。わざとか?嫌がらせか?自分の学校のやつらはこの辺にいないからと好き勝手してるのではないのか、この男。
「は、離せって! 余計目立つだろ……っ!」
「あーあーうるっせえな、周りのこといちいち気にしてんじゃねえよ」
「お前は……っ」
こいつ、一年間離れて少しは成長したのかと思ったが、あの時からなんら変わってない。寧ろ助長されている気すらする。
こいつというか、宋都に関わらずこの双子は昔からこうだ。自分たちに逆らうようなやつらはいないから昔から好き放題振る舞いやがって。
顔だけでカーストの頂点にいる宋都たちならともかく、俺はそうではない。目立つのだって嫌だし、こいつらのファンの女子どもに「なにあいつ」と後ろ指さされるのも耐えきれない。
「お、お前はいいかもだけど、ここは俺の学校のやつだって通るんだ……っ! こんなところ見られたら……」
「なんだぁ? 俺とデキてるって噂される~って自惚れてんのか? はは! 美甘それおもしれーじゃん」
「わ、笑い事じゃ……っ」
「ついでに言っておくけど、お前、それすげー今更だからな。それ」
嫌な笑みを浮かべた宋都。その口から飛び出してきた言葉に、思わず「へ?」と間抜けな声が出てしまう。
「だーかーら、もうとっくにお前は周りから思われてんの。俺らのもんだって」
「な、――」
なんだよそれ。勝手なことを言うな。馬鹿宋都。そう言いたいのに、どれ一つまともな言葉にならなかった。心当たりしかなかったからだ。
ただのハッタリだ。俺を弄って遊びたいだけだろう。そう思いたいのに、高校で一緒になった中学のときの知り合いたちの反応が過る。
確かに、二人の後ろにくっついてる金魚の糞程度には思われていたかもしれない。けれど、それとこれとは――違うよな。
「なんだその顔、なんか不満でもあんのか? ねえよなぁ?」
「さ、んと……」
「ねえって言えよ」
宋都の声のトーンが落ちる。
手汗が滲む手を握り締められ、息を飲んだ。筋張った指先は俺の指の谷間をするりと撫で、迫る鼻先、視界を覆う宋都の影に思わず心臓が跳ねた。
こいつは昔からこうだ。俺がどうすれば逆らえられなくなるのかを熟知してる。少しおっかねえ顔して脅せばなんでも言うことを聞くと思ってるに違いない。正直間違いではない。
けれど、せっかく手に入れた高校生活だ。俺一人でなんとか積み上げてきた一年を、またこいつらによってたかが数日で崩されるのだけは我慢ならない。
「……っ、俺は――」
もうお前らの玩具じゃない、と言いかけた矢先だった。
「――美甘?」
「え」
「んぁ」
聞こえてきた声に、俺と宋都は声のする方を振り返る。なんということだろうか、そこにはサダがいた。
「――と、慈光弟……」
現在進行形で宋都に絡まれている俺を前に、サダは微妙な顔をしていた。そんな顔になってしまうのも無理はない。
なんたって朝から見たくねえ顔ナンバーワンだ。因みにこの場合には燕斗も含まれる。
「出た、『サダ』だ」
「宋都っ、お前がサダって呼ぶな――んぎっ!」
言いかけた矢先、どさくさに紛れて宋都に尻を思いっきり抓られる。
こいつ、と宋都を睨めば宋都はこちらを見ようともせずにこやかな顔でサダに向き直るのだ。
「サダ、この間は燕斗が邪魔したみてーで悪かったな。あいつ、クソ面倒だったろ?」
「ああ、いや……それは別に構わないんだけど」
『なんでお前がここいるんだ?』って顔して宋都を見るサダ。分かる。俺だってわかんねえし、こいつの考えてることが。
サダ、助けてくれ。と、サダに念を飛ばすのが精一杯だった。
「慈光、お前時間は大丈夫なのか? 高校、離れてたよな。電車だろ」
「ああ、多少遅れるくらい構わねえよ。……な、美甘」
言いながら、尻を抓るのをやめたかと思えば今度はそのままするりと尻を手の甲で撫でてくる宋都に「っ、ぅ」と全身が震えた。
こいつ、まじか。いくらサダに見えない角度とはいえど、町中だぞ。正気か。
「おい、返事しろ。サダが心配してんだろ」
「……ぁ、あぁ」
俺の心配なんて知ってか知らずか、尻を撫でていた指はそのままスラックス越しに谷間へと指を這わせてくる。肛門の位置を探るようにぐに、と食い込んでくる宋都の指に息を飲んだ。
やめろ、馬鹿宋都。そう宋都を睨めば、目があって宋都は笑う。そして更に大胆な手付きで尻たぶを揉んでくるのだ。
「ぉ、……ぃ……っ」
「どうした? 美甘、顔色が――」
「だ、大丈夫……っ、大丈夫だ」
「本当かよ。この前も具合悪そうだったし、昨日も休みだっただろ」
ああサダよ、お前は本当にいいやつだ。いいやつ過ぎて泣けてきた。
……だというのに、こいつは。
見えないことを良いことに、ぐにぐにとケツの穴の形変わりそうなほど強い力で尻を揉みしだかれ、腰がぶるりと震えた。
やめろ、馬鹿!と宋都を睨むが、嫌な笑みを浮かべたまま宋都は容赦なくケツの穴に指をねじこもうとしてくるのだ。
「っ、ぅ、……ッ、ん……っ!」
「……っ! み、美甘……?」
逃れようと体を逸したタイミングと被り、そのまま前傾してしまう俺。バランス崩しかけたが、目の前にいたサダに支えられた。
「大丈夫か?」
「さ、サダ……っご、め……」
「……っ、美甘」
お陰で宋都の手からは離れられたが、サダにもたれかかるような形になってしまい恥ずかしい。
謝罪し、慌てて離れようとするが、サダはそのまま俺の肩をそっと掴むのだ。
驚いて顔をあげたときだった。
「おい、美甘」
飛んできた宋都の声にぎくりと肩が震えた。
何やってんだしっかりしろよ、とでも言いたげな目でこちらを見てくる宋都。そんな宋都から庇うように、サダは「慈光」と宋都を呼んだ。
「……こいつは俺が連れて行くよ」
「あ? 何言ってんの、お前」
「っ、え……?」
「お前も学校、ちゃんと行った方がいいぞ。……出席日数足りなくなったら面倒だろ」
「なんだ、お前燕斗みてえなこと言うな」
「……」
「さ、サダ……?」
な、なんだこの空気は。
なんだかいつもと雰囲気が違うサダにつられて緊張したが、もしかしなくてもサダはこいつから俺を守ってくれてるのか?
そう理解した瞬間、サダが神か聖母のように見えたが……それと同時に宋都の反応が怖かった。
ないとは思いたいが、宋都のやつは性格がいいは言えない。寧ろ悪い。こんなガキ大将の化身のようなやつにサダまで目をつけられてしまった方が怖かった。
「さ、さだ、俺のことは……」
気にしなくていいからな、と言いかけたが「美甘」とそっと名前を呼ばれ、止められる。
そんな俺達のやり取りを見ていた宋都は面倒臭そうに「あーあ」とクソデカイ溜息を吐くのだ。
「……チッ、面倒臭えな、どいつもこいつも」
「宋都――」
「あー萎えた。好きにしろよ、……俺のお下がりでいいんならな」
そう、ぱっと俺から手を離した宋都は手をひらひらさせるのだ。
――もしかして、助かったのか?
そのまま俺をちらりと一瞥した宋都だったが、それ以上何も言わずにその場を離れていく。そして、あっという間に通りすがりの女子たちに群がられていた。
あいつがあんなにあっさり引くのも助かったが、宋都は昔からそういうところはあった。どんな玩具でも飽きたらすぐ壊すし、あんなに好きだったものでもあっさりと手放す。
俺とは正反対だからこそ理解できないことは多々あったものの、今は宋都の飽き性で面倒臭がりな性格に助けられた。
――そして、サダにも。
「……大丈夫か、美甘」
「ん……ああ」
「もしかして、余計なことしたか?」
まだ宋都にかき乱された余韻が抜けきれておらず、どこか夢見てるような気持ちの俺にサダは不安そうな顔をする。
そんなことはない、寧ろ感謝しかない。
慌てて首を横に振れば、「それならよかった」とサダはほっと息を吐くのだ。
――感謝しかないのだけど、どうして宋都から助けてくれたのだろうか。
まさか、今まで宋都にされてたのが見られてたわけではないだろうな。
未だ尻を掴む指の感触が拭えない下半身にはっとしたと同時に、頭を抱える。だとしたら最悪だ。
首から上に集まる熱。どんな顔をすればいいのかわからず、気まずくなっていると「美甘」と再び名前を呼ばれた。
「……それじゃ、行こうか。学校」
「……! ……っ、あ、あぁ」
――普通に考えて、あんなところ見れてたらこんな風に手を差し伸べてはくれないか。
そう無理矢理自己解決した俺は、そのままサダとともに歩き出した。
――なんだかんだ、こうしてあの双子以外と登校するのは初めてだ。
朝っぱらから宋都は余計なことしかしてこなかったが、この件について限り感謝してやらなくもない。
宋都と別れ、サダとともに登校することになった。のだけども。
「……」
「……」
き、気まずい……。
なんだか喋りかけるタイミング逃してしまったし、なんだかサダの表情硬いし、やはり宋都が余計なことを言い残して言ったからだろうか。
ここはなんとか俺から話題を振らなければ、とちらちらサダの横顔を盗み見つつタイミングを伺っていたときだった。
「美甘」
「んぇ?!」
「あ、いや……悪い。驚かせたか?」
なんというタイミングだろうか。サダの方から話しかけられ、俺は慌てて首を横に振った。
そんな俺に、サダは「そうか」と安心したように微笑む。それも束の間のことで、なんとなく気まずそうな顔をしたサダはこちらへと視線を投げかけてきた。
「……なあ、さっきから気になってたんだけどさ。それって美甘の……じゃないよな」
それ、というのは宋都の上着のことを言ってるようだ。サダの言葉に、俺は自分の格好を思い出した。
「あっ! わ、忘れてた……!」
「忘れてた?」
「いや、宋都から着せられたんだよ。……はあ、やっぱ目立つよな」
学校に行かないのなら知り合いに見られることもないかもしれないと思ったが、よりによってサダに見られることになるなんて。
指摘され、今更恥ずかしくなってきた。
項垂れる俺にサダは言葉を探す。
「まあ……目立つっていうか、美甘っぽくないな」
「う……」
「けど、慈光のって聞いて納得した。……朝から大変そうだな。まだあいつらの家にいるんだっけか」
「ああ、そうなんだよ。本当昨日とか大変でさー」
「昨日? ……そういや美甘、昨日休みだったよな。体調不良って聞いてたけど、まさか何かあったのか?」
俺の何気ない一言に、サダの表情が硬くなるのを見てハッとした。
――サダ、本気で心配してくれてるんだ。
ついいつものノリで愚痴ってしまいそうになったが、つい数日前に燕斗のことで迷惑かけたばかりだったのを思い出す。
変に心配させてまたあいつらのことで巻き込んでしまうのは、流石に俺も嫌だ。というか、俺が嫌だ。そんなの。
「あ、いや、昨日はただの風邪。久しぶりにたっぷり寝たし、今日起きたらもう平気だったから大丈夫だ」
だから、咄嗟に俺は笑って誤魔化した。
悲しきかな、何故親友相手に嘘吐かなければならないのか。
なるべく安心させたくて、「だから心配しなくていいぞ」とぺし、とサダの肩を掴む。けど、こちらを見るサダの表情は強張ったまま変わらない。
「……なあ、その風邪ってのも心因的なものが関係してるんじゃないのか」
「シンイン……?」
「だから、慈光たちの家にいることが原因なんじゃないのかってことだよ」
流石サダだ、鋭い。なんて関心している場合でない。
この流れはまずい――気がする。だってサダの目がさっきよりも怖くなってるし。
「大丈夫、大丈夫だから気にすんなって」
「大丈夫って……この前はあんなに嫌がっていただろ」
「た、確かに最初はすごい嫌だったけど、ほら、何日もいたら流石に慣れるってか……」
しどろもどろとサダを安心させるための言葉を並べてみるが、サダは何も言わない。
それどころか、無言で溜め息を吐かれると不安になってくる。
「な、なあサダ、怒ってるのか……?」
俺はサダに心配も迷惑もかけたくないだけだし、サダに嫌われたいわけでもサダを怒らせたいわけでもない。
なんだったら、もっと仲良くだってしたい。のに、なんだか俺とサダの間に溝を感じて胸の中の不安がどんどん大きくなる。
サダ、とその袖をそっと掴めば、サダは「いや、」と考えるように眉間を押さえた。
「……怒ってない。ただ、美甘が無理してるんじゃないかって……」
「無理は、してない……」
「……」
「サダ……」
「……分かったよ。分かったから……そんな顔するなよ。俺は別に美甘を責めてるわけじゃないんだ」
「……っ! サダ……」
やっぱ持つべきものはサダだ。
ようやくサダの表情が柔らかくなったのを見て、心の底からほっとした。
「けど、本当に無理するなよ」
「ああ、大丈夫だ。それにあと三日の辛抱だし」
「……三日か、長いな」
ぼそ、と呟くサダ。確かに長くはあるが、あいつらといた十数年間を考えると経った三日だ。そうしたらあいつらもまた日常に帰っていくのだ、俺とは違う道の日常へと。
そう自分に言い聞かせながらも、俺はサダと登校した。サダの笑顔一つでクソみたいな気分も晴れやかになるのだからすごい。
それからいつも通りに戻ったサダと他愛ない話をしてる間に学校に辿り着く。そこからはいつも通りだった。
いつもと違うのは、何人かに上着がでかすぎるのではないかと指摘されて恥ずかしかったので、俺は教室に入る前に上着を脱いで腕に抱えるハメになったくらいだろう。
――そして放課後。
また宋都の上着を着なければならないのかと思えば憂鬱だったが、あとはもう帰るだけだ。
特に何も考えずにサダとともに校舎を後にした俺だったが、ふと校門前が騒がしいことに気付いた。――主に、女子の声が。
なんだかこの感じには覚えがあった。
「……サダ、やっぱ裏口の方から帰ら――」
「美甘」
ないか、とサダの腕を掴み踵を返した矢先だった。
飛んできた静かな声に、ギクリと全身が緊張する。恐る恐る振り返れば、そこには女子に囲まれた燕斗が立っていた。
他校の制服を身に纏った燕斗は俺達を見つけるなり女子たちを振り払うようにこちらへと大股で近付いてきた。
恐怖のあまり逃げ出しそうになったが、遅かった。腕を掴まれ、「美甘」と再び耳元で名前を呼ばれる。
「……なんで逃げようとしてるんだ?」
「に、逃げてない! ちょっと忘れ物を――……」
「おい、慈光」
思い出しただけだ。そう俺が続けるよりも先にサダが俺と燕斗の間に立つ。
燕斗はサダを一瞥し、そして何食わぬ顔して俺を捕まえたまま「やあ、君定」と微笑むのだ。
「美甘がまた世話になってるみたいだな。……助かったよ」
「別に世話とか関係ない、……俺は好きで美甘といるだけだからな」
サダの言葉に燕斗は更に笑みを深くする。俺はこの笑い方をする燕斗の腹の中がどういうことになっているのかを知っている。久しぶりに見た満面の笑みの燕斗に、恐怖のあまり言葉を失った。
「そうか、俺と同じだな」
「慈光……」
「けど、前にも言った通りだ。美甘は俺が預かる。……責任持ってな」
腕がもげる勢いで掴まれたと思えば、今度は優しく肩を抱き寄せてくる燕斗にされるがままになるしかない。微笑みかけてくる燕斗の目に『なんであいつの上着を着てるんだ』としっかりと書かれているため、俺はやつの顔を直視することはできなかった。
「そ、そういうことだ……サダ、悪いけどこいつと帰るから……」
「美甘――」
「じゃあ、また明日っ!」
なるべく心配させないように、笑顔でサダに手を振ったつもりだったが上手く笑えたかどうかは分からない。「じゃあ帰ろう」という燕斗に引っ張られるまま、俺はとうとうサダの方を振り返れぬまま校門前を後にすることになった。
やはり、というか分かっていたことだが先程からやたら女子がキャーキャー言っていたのは燕斗がいたからなのだろう。通り過ぎていく女子たちの謎の羨望と嫉妬混じりの視線をやり過ごしていく。
なんか、今朝も似たようなことあった気がしてならないが考えるだけ悲しくなりそうなのでやめておくことにした。
それから、燕斗と慈光家に帰ることになったのだけれども。
「……今日は早かったんだな、帰り」
「ああ。早退した」
「早退? 具合悪いのか?」
珍しい、ことでもないけれど。なんとなく引っかかって顔を上げれば、燕斗はこちらをじっと見下ろしたまま「……まあ、良くはないかもな」と呟いた。
健康優良児代表みたいな二人しか見てこなかっただけに驚く。が、それが揶揄だということをすぐに知る。伸びてきた手に着ていた上着の袖を掴まれた。
「で、これはなに」
「……っえーと、その……あいつに無理やり着せられたってか……」
「それを律儀に着ていたわけだ」
「だ、だって寒いし……」
「本当にそれだけか?」
のんびりとした空気が流れる通学路。俺達の周りにだけ剣呑な空気が流れているに違いないだろう。
こちらを見下ろしたまま詰め寄ってくる燕斗に、俺はつい一歩後退る。「それだけに決まってるだろ」と声が裏返りそうになるのを堪えながら反論すれば、燕斗は「へえ」と目を細めた。
宋都と喧嘩したからといってそんなに俺にまで目くじらを立てなくたっていいではないか、と口の中でつい呟いた矢先だ。そのまま燕斗に腕を引っ張られた。
「え、燕斗……?!」
「気が変わった」
「気が変わったって、なに――」
なんなのだ、と言い終わるよりも先にそのまま近くの建物の物陰に押し込められ、ぎょっとした。薄暗く、ひんやりとした空気の中、いきなり目の前で着ていた上着を脱ぎ始める燕斗に戸惑っていると、それを腕に抱えた燕斗により着ていた上着を脱がされそうになる。
「な、なに、なにして……っ」
「脱げ、美甘」
「やだよっ、さ、寒いだろ……っ!」
「俺のコートを着ればいい」
「後もう帰るだけだろ、そんくらいの距離……ッ」
我慢しろ、と言い終わるよりも先に燕斗に鞄ごと上着を呆気なく脱がされてしまうのだ。
外気に晒され、一気に肌寒くなった俺はそのまま縮み込む。そんな俺の肩に燕斗は着ていたコートを羽織らせた。瞬間、先程まで鼻が慣れていた宋都の香水とはまた違う甘い香りに包まれてしまうのだ。
燕斗はそのまま無駄のない動作で俺に袖を通させていく。
「やっぱり、美甘にはこっちの方が似合う」
「……燕斗、お前はどうすんだよ」
「俺は別にこのまま帰るよ」
まさか宋都の上着を着るつもりか?と思ったが、やはりというか流石にそれはしなかったようだ。燕斗と宋都の好みが対極に位置することは散々知っていたけれども、だからってそれを俺に押し付けないでほしい。
そのまま満足したのか、しっかり上着の前を閉めた燕斗。寒くはなくなったものの、納得のいかない気分で燕斗にされるがままになっていると、そっと頬を撫でられるのだ。
「……なあ、美甘」
「……なんだよ」
「俺って面倒臭いやつか?」
「――い、」
今更気付いたのか、と思わず喉元から飛び出しそうになったが、堪えた。そんなこと言ってみろ、なにをされるか分からない。
「い、今更、……何言ってんだよ」
「サダは優しいか」
「は? さ、サダは関係ないだろ……っ!」
よりによってこんなタイミングでサダの名前を出すなよ、と目の前の燕斗を睨んだとき。燕斗は「そうだな」と笑った。
なんだ?病んでるのか?とこわごわ目の前の燕斗を見上げれば、目があってキスをされる。
いくら物陰とは言えど、少し顔を覗かせれば誰がいるかも分からない住宅街のど真ん中だ。
「おい」と慌てて押し退ければ、更に燕斗は俺の体を抱き締めてくるのだ。
「……美甘」
……な、なんなんだ、なんなのだこいつは。
耳元で囁かれる声にただ恐怖に全身が引きつった。燕斗が甘えてくるだけでも恐怖でしかないというのに、なんなのだ。
おまけに、まだ何か言葉が続くのかとじっと待ってたがその先は出てこないし。
そのまま鼻先を埋めてくる燕斗に戸惑いながらもその肩に手を伸ばす。
「お前、……宋都と仲直りしろよ」
「……あいつから何を聞いた?」
「何って、詳しくは聞いてないけど……」
「別に喧嘩してない」
それ、あいつも言ってたぞ。と思いながらも俺は「そうかよ」とそのまま燕斗から手を離そうとして、燕斗に手を掴まれる。
「もう少し、このままでいてもいいか」
嫌だと言ったところで離すつもりもないくせに、よく尋ねるものだ。俺は「……どーぞ」と渋々両手を広げる。こうなった燕斗はしつこい。
首筋に埋められる燕斗の鼻先。首筋に掠める前髪のこそばゆさに息を殺した。
隣を歩く宋都は人の肩に腕を乗せたまま、鼻歌交じり上機嫌に歩いている。そして俺はそんなやつから逃げることもできないまま、潰れかけながらも歩いていた。
その行き先すらも知られずに。
「さ、宋都、離せって……」
「あ?」
「め、目立ってるし……歩きにくいから」
「なら抱っこしてやろうか?」
「な、なんでそうなるんだよ」
「お前好きだろ、抱っこされんの」
――それはお前らが人を荷物扱いしてるだけだろ。
あんな屈辱的な運び方、好きなわけないだろ。と言い返すよりも先に、「仕方ねえな」と肩に回されていた宋都の手が離れた。
それも束の間、今度は手を掴まれるのだ。
「な、」
なにするつもりだと身構えたとき、乱暴に手を重ねられたと思えば絡みついてくる硬い指先にぎょっとした。
「これなら文句ねえだろ?」
「お、ぉ……っ」
大アリだ。なんなら文句しかない。
周りに一般の通行人がいることを承知の上でやってるのだろう、この男は。わざとか?嫌がらせか?自分の学校のやつらはこの辺にいないからと好き勝手してるのではないのか、この男。
「は、離せって! 余計目立つだろ……っ!」
「あーあーうるっせえな、周りのこといちいち気にしてんじゃねえよ」
「お前は……っ」
こいつ、一年間離れて少しは成長したのかと思ったが、あの時からなんら変わってない。寧ろ助長されている気すらする。
こいつというか、宋都に関わらずこの双子は昔からこうだ。自分たちに逆らうようなやつらはいないから昔から好き放題振る舞いやがって。
顔だけでカーストの頂点にいる宋都たちならともかく、俺はそうではない。目立つのだって嫌だし、こいつらのファンの女子どもに「なにあいつ」と後ろ指さされるのも耐えきれない。
「お、お前はいいかもだけど、ここは俺の学校のやつだって通るんだ……っ! こんなところ見られたら……」
「なんだぁ? 俺とデキてるって噂される~って自惚れてんのか? はは! 美甘それおもしれーじゃん」
「わ、笑い事じゃ……っ」
「ついでに言っておくけど、お前、それすげー今更だからな。それ」
嫌な笑みを浮かべた宋都。その口から飛び出してきた言葉に、思わず「へ?」と間抜けな声が出てしまう。
「だーかーら、もうとっくにお前は周りから思われてんの。俺らのもんだって」
「な、――」
なんだよそれ。勝手なことを言うな。馬鹿宋都。そう言いたいのに、どれ一つまともな言葉にならなかった。心当たりしかなかったからだ。
ただのハッタリだ。俺を弄って遊びたいだけだろう。そう思いたいのに、高校で一緒になった中学のときの知り合いたちの反応が過る。
確かに、二人の後ろにくっついてる金魚の糞程度には思われていたかもしれない。けれど、それとこれとは――違うよな。
「なんだその顔、なんか不満でもあんのか? ねえよなぁ?」
「さ、んと……」
「ねえって言えよ」
宋都の声のトーンが落ちる。
手汗が滲む手を握り締められ、息を飲んだ。筋張った指先は俺の指の谷間をするりと撫で、迫る鼻先、視界を覆う宋都の影に思わず心臓が跳ねた。
こいつは昔からこうだ。俺がどうすれば逆らえられなくなるのかを熟知してる。少しおっかねえ顔して脅せばなんでも言うことを聞くと思ってるに違いない。正直間違いではない。
けれど、せっかく手に入れた高校生活だ。俺一人でなんとか積み上げてきた一年を、またこいつらによってたかが数日で崩されるのだけは我慢ならない。
「……っ、俺は――」
もうお前らの玩具じゃない、と言いかけた矢先だった。
「――美甘?」
「え」
「んぁ」
聞こえてきた声に、俺と宋都は声のする方を振り返る。なんということだろうか、そこにはサダがいた。
「――と、慈光弟……」
現在進行形で宋都に絡まれている俺を前に、サダは微妙な顔をしていた。そんな顔になってしまうのも無理はない。
なんたって朝から見たくねえ顔ナンバーワンだ。因みにこの場合には燕斗も含まれる。
「出た、『サダ』だ」
「宋都っ、お前がサダって呼ぶな――んぎっ!」
言いかけた矢先、どさくさに紛れて宋都に尻を思いっきり抓られる。
こいつ、と宋都を睨めば宋都はこちらを見ようともせずにこやかな顔でサダに向き直るのだ。
「サダ、この間は燕斗が邪魔したみてーで悪かったな。あいつ、クソ面倒だったろ?」
「ああ、いや……それは別に構わないんだけど」
『なんでお前がここいるんだ?』って顔して宋都を見るサダ。分かる。俺だってわかんねえし、こいつの考えてることが。
サダ、助けてくれ。と、サダに念を飛ばすのが精一杯だった。
「慈光、お前時間は大丈夫なのか? 高校、離れてたよな。電車だろ」
「ああ、多少遅れるくらい構わねえよ。……な、美甘」
言いながら、尻を抓るのをやめたかと思えば今度はそのままするりと尻を手の甲で撫でてくる宋都に「っ、ぅ」と全身が震えた。
こいつ、まじか。いくらサダに見えない角度とはいえど、町中だぞ。正気か。
「おい、返事しろ。サダが心配してんだろ」
「……ぁ、あぁ」
俺の心配なんて知ってか知らずか、尻を撫でていた指はそのままスラックス越しに谷間へと指を這わせてくる。肛門の位置を探るようにぐに、と食い込んでくる宋都の指に息を飲んだ。
やめろ、馬鹿宋都。そう宋都を睨めば、目があって宋都は笑う。そして更に大胆な手付きで尻たぶを揉んでくるのだ。
「ぉ、……ぃ……っ」
「どうした? 美甘、顔色が――」
「だ、大丈夫……っ、大丈夫だ」
「本当かよ。この前も具合悪そうだったし、昨日も休みだっただろ」
ああサダよ、お前は本当にいいやつだ。いいやつ過ぎて泣けてきた。
……だというのに、こいつは。
見えないことを良いことに、ぐにぐにとケツの穴の形変わりそうなほど強い力で尻を揉みしだかれ、腰がぶるりと震えた。
やめろ、馬鹿!と宋都を睨むが、嫌な笑みを浮かべたまま宋都は容赦なくケツの穴に指をねじこもうとしてくるのだ。
「っ、ぅ、……ッ、ん……っ!」
「……っ! み、美甘……?」
逃れようと体を逸したタイミングと被り、そのまま前傾してしまう俺。バランス崩しかけたが、目の前にいたサダに支えられた。
「大丈夫か?」
「さ、サダ……っご、め……」
「……っ、美甘」
お陰で宋都の手からは離れられたが、サダにもたれかかるような形になってしまい恥ずかしい。
謝罪し、慌てて離れようとするが、サダはそのまま俺の肩をそっと掴むのだ。
驚いて顔をあげたときだった。
「おい、美甘」
飛んできた宋都の声にぎくりと肩が震えた。
何やってんだしっかりしろよ、とでも言いたげな目でこちらを見てくる宋都。そんな宋都から庇うように、サダは「慈光」と宋都を呼んだ。
「……こいつは俺が連れて行くよ」
「あ? 何言ってんの、お前」
「っ、え……?」
「お前も学校、ちゃんと行った方がいいぞ。……出席日数足りなくなったら面倒だろ」
「なんだ、お前燕斗みてえなこと言うな」
「……」
「さ、サダ……?」
な、なんだこの空気は。
なんだかいつもと雰囲気が違うサダにつられて緊張したが、もしかしなくてもサダはこいつから俺を守ってくれてるのか?
そう理解した瞬間、サダが神か聖母のように見えたが……それと同時に宋都の反応が怖かった。
ないとは思いたいが、宋都のやつは性格がいいは言えない。寧ろ悪い。こんなガキ大将の化身のようなやつにサダまで目をつけられてしまった方が怖かった。
「さ、さだ、俺のことは……」
気にしなくていいからな、と言いかけたが「美甘」とそっと名前を呼ばれ、止められる。
そんな俺達のやり取りを見ていた宋都は面倒臭そうに「あーあ」とクソデカイ溜息を吐くのだ。
「……チッ、面倒臭えな、どいつもこいつも」
「宋都――」
「あー萎えた。好きにしろよ、……俺のお下がりでいいんならな」
そう、ぱっと俺から手を離した宋都は手をひらひらさせるのだ。
――もしかして、助かったのか?
そのまま俺をちらりと一瞥した宋都だったが、それ以上何も言わずにその場を離れていく。そして、あっという間に通りすがりの女子たちに群がられていた。
あいつがあんなにあっさり引くのも助かったが、宋都は昔からそういうところはあった。どんな玩具でも飽きたらすぐ壊すし、あんなに好きだったものでもあっさりと手放す。
俺とは正反対だからこそ理解できないことは多々あったものの、今は宋都の飽き性で面倒臭がりな性格に助けられた。
――そして、サダにも。
「……大丈夫か、美甘」
「ん……ああ」
「もしかして、余計なことしたか?」
まだ宋都にかき乱された余韻が抜けきれておらず、どこか夢見てるような気持ちの俺にサダは不安そうな顔をする。
そんなことはない、寧ろ感謝しかない。
慌てて首を横に振れば、「それならよかった」とサダはほっと息を吐くのだ。
――感謝しかないのだけど、どうして宋都から助けてくれたのだろうか。
まさか、今まで宋都にされてたのが見られてたわけではないだろうな。
未だ尻を掴む指の感触が拭えない下半身にはっとしたと同時に、頭を抱える。だとしたら最悪だ。
首から上に集まる熱。どんな顔をすればいいのかわからず、気まずくなっていると「美甘」と再び名前を呼ばれた。
「……それじゃ、行こうか。学校」
「……! ……っ、あ、あぁ」
――普通に考えて、あんなところ見れてたらこんな風に手を差し伸べてはくれないか。
そう無理矢理自己解決した俺は、そのままサダとともに歩き出した。
――なんだかんだ、こうしてあの双子以外と登校するのは初めてだ。
朝っぱらから宋都は余計なことしかしてこなかったが、この件について限り感謝してやらなくもない。
宋都と別れ、サダとともに登校することになった。のだけども。
「……」
「……」
き、気まずい……。
なんだか喋りかけるタイミング逃してしまったし、なんだかサダの表情硬いし、やはり宋都が余計なことを言い残して言ったからだろうか。
ここはなんとか俺から話題を振らなければ、とちらちらサダの横顔を盗み見つつタイミングを伺っていたときだった。
「美甘」
「んぇ?!」
「あ、いや……悪い。驚かせたか?」
なんというタイミングだろうか。サダの方から話しかけられ、俺は慌てて首を横に振った。
そんな俺に、サダは「そうか」と安心したように微笑む。それも束の間のことで、なんとなく気まずそうな顔をしたサダはこちらへと視線を投げかけてきた。
「……なあ、さっきから気になってたんだけどさ。それって美甘の……じゃないよな」
それ、というのは宋都の上着のことを言ってるようだ。サダの言葉に、俺は自分の格好を思い出した。
「あっ! わ、忘れてた……!」
「忘れてた?」
「いや、宋都から着せられたんだよ。……はあ、やっぱ目立つよな」
学校に行かないのなら知り合いに見られることもないかもしれないと思ったが、よりによってサダに見られることになるなんて。
指摘され、今更恥ずかしくなってきた。
項垂れる俺にサダは言葉を探す。
「まあ……目立つっていうか、美甘っぽくないな」
「う……」
「けど、慈光のって聞いて納得した。……朝から大変そうだな。まだあいつらの家にいるんだっけか」
「ああ、そうなんだよ。本当昨日とか大変でさー」
「昨日? ……そういや美甘、昨日休みだったよな。体調不良って聞いてたけど、まさか何かあったのか?」
俺の何気ない一言に、サダの表情が硬くなるのを見てハッとした。
――サダ、本気で心配してくれてるんだ。
ついいつものノリで愚痴ってしまいそうになったが、つい数日前に燕斗のことで迷惑かけたばかりだったのを思い出す。
変に心配させてまたあいつらのことで巻き込んでしまうのは、流石に俺も嫌だ。というか、俺が嫌だ。そんなの。
「あ、いや、昨日はただの風邪。久しぶりにたっぷり寝たし、今日起きたらもう平気だったから大丈夫だ」
だから、咄嗟に俺は笑って誤魔化した。
悲しきかな、何故親友相手に嘘吐かなければならないのか。
なるべく安心させたくて、「だから心配しなくていいぞ」とぺし、とサダの肩を掴む。けど、こちらを見るサダの表情は強張ったまま変わらない。
「……なあ、その風邪ってのも心因的なものが関係してるんじゃないのか」
「シンイン……?」
「だから、慈光たちの家にいることが原因なんじゃないのかってことだよ」
流石サダだ、鋭い。なんて関心している場合でない。
この流れはまずい――気がする。だってサダの目がさっきよりも怖くなってるし。
「大丈夫、大丈夫だから気にすんなって」
「大丈夫って……この前はあんなに嫌がっていただろ」
「た、確かに最初はすごい嫌だったけど、ほら、何日もいたら流石に慣れるってか……」
しどろもどろとサダを安心させるための言葉を並べてみるが、サダは何も言わない。
それどころか、無言で溜め息を吐かれると不安になってくる。
「な、なあサダ、怒ってるのか……?」
俺はサダに心配も迷惑もかけたくないだけだし、サダに嫌われたいわけでもサダを怒らせたいわけでもない。
なんだったら、もっと仲良くだってしたい。のに、なんだか俺とサダの間に溝を感じて胸の中の不安がどんどん大きくなる。
サダ、とその袖をそっと掴めば、サダは「いや、」と考えるように眉間を押さえた。
「……怒ってない。ただ、美甘が無理してるんじゃないかって……」
「無理は、してない……」
「……」
「サダ……」
「……分かったよ。分かったから……そんな顔するなよ。俺は別に美甘を責めてるわけじゃないんだ」
「……っ! サダ……」
やっぱ持つべきものはサダだ。
ようやくサダの表情が柔らかくなったのを見て、心の底からほっとした。
「けど、本当に無理するなよ」
「ああ、大丈夫だ。それにあと三日の辛抱だし」
「……三日か、長いな」
ぼそ、と呟くサダ。確かに長くはあるが、あいつらといた十数年間を考えると経った三日だ。そうしたらあいつらもまた日常に帰っていくのだ、俺とは違う道の日常へと。
そう自分に言い聞かせながらも、俺はサダと登校した。サダの笑顔一つでクソみたいな気分も晴れやかになるのだからすごい。
それからいつも通りに戻ったサダと他愛ない話をしてる間に学校に辿り着く。そこからはいつも通りだった。
いつもと違うのは、何人かに上着がでかすぎるのではないかと指摘されて恥ずかしかったので、俺は教室に入る前に上着を脱いで腕に抱えるハメになったくらいだろう。
――そして放課後。
また宋都の上着を着なければならないのかと思えば憂鬱だったが、あとはもう帰るだけだ。
特に何も考えずにサダとともに校舎を後にした俺だったが、ふと校門前が騒がしいことに気付いた。――主に、女子の声が。
なんだかこの感じには覚えがあった。
「……サダ、やっぱ裏口の方から帰ら――」
「美甘」
ないか、とサダの腕を掴み踵を返した矢先だった。
飛んできた静かな声に、ギクリと全身が緊張する。恐る恐る振り返れば、そこには女子に囲まれた燕斗が立っていた。
他校の制服を身に纏った燕斗は俺達を見つけるなり女子たちを振り払うようにこちらへと大股で近付いてきた。
恐怖のあまり逃げ出しそうになったが、遅かった。腕を掴まれ、「美甘」と再び耳元で名前を呼ばれる。
「……なんで逃げようとしてるんだ?」
「に、逃げてない! ちょっと忘れ物を――……」
「おい、慈光」
思い出しただけだ。そう俺が続けるよりも先にサダが俺と燕斗の間に立つ。
燕斗はサダを一瞥し、そして何食わぬ顔して俺を捕まえたまま「やあ、君定」と微笑むのだ。
「美甘がまた世話になってるみたいだな。……助かったよ」
「別に世話とか関係ない、……俺は好きで美甘といるだけだからな」
サダの言葉に燕斗は更に笑みを深くする。俺はこの笑い方をする燕斗の腹の中がどういうことになっているのかを知っている。久しぶりに見た満面の笑みの燕斗に、恐怖のあまり言葉を失った。
「そうか、俺と同じだな」
「慈光……」
「けど、前にも言った通りだ。美甘は俺が預かる。……責任持ってな」
腕がもげる勢いで掴まれたと思えば、今度は優しく肩を抱き寄せてくる燕斗にされるがままになるしかない。微笑みかけてくる燕斗の目に『なんであいつの上着を着てるんだ』としっかりと書かれているため、俺はやつの顔を直視することはできなかった。
「そ、そういうことだ……サダ、悪いけどこいつと帰るから……」
「美甘――」
「じゃあ、また明日っ!」
なるべく心配させないように、笑顔でサダに手を振ったつもりだったが上手く笑えたかどうかは分からない。「じゃあ帰ろう」という燕斗に引っ張られるまま、俺はとうとうサダの方を振り返れぬまま校門前を後にすることになった。
やはり、というか分かっていたことだが先程からやたら女子がキャーキャー言っていたのは燕斗がいたからなのだろう。通り過ぎていく女子たちの謎の羨望と嫉妬混じりの視線をやり過ごしていく。
なんか、今朝も似たようなことあった気がしてならないが考えるだけ悲しくなりそうなのでやめておくことにした。
それから、燕斗と慈光家に帰ることになったのだけれども。
「……今日は早かったんだな、帰り」
「ああ。早退した」
「早退? 具合悪いのか?」
珍しい、ことでもないけれど。なんとなく引っかかって顔を上げれば、燕斗はこちらをじっと見下ろしたまま「……まあ、良くはないかもな」と呟いた。
健康優良児代表みたいな二人しか見てこなかっただけに驚く。が、それが揶揄だということをすぐに知る。伸びてきた手に着ていた上着の袖を掴まれた。
「で、これはなに」
「……っえーと、その……あいつに無理やり着せられたってか……」
「それを律儀に着ていたわけだ」
「だ、だって寒いし……」
「本当にそれだけか?」
のんびりとした空気が流れる通学路。俺達の周りにだけ剣呑な空気が流れているに違いないだろう。
こちらを見下ろしたまま詰め寄ってくる燕斗に、俺はつい一歩後退る。「それだけに決まってるだろ」と声が裏返りそうになるのを堪えながら反論すれば、燕斗は「へえ」と目を細めた。
宋都と喧嘩したからといってそんなに俺にまで目くじらを立てなくたっていいではないか、と口の中でつい呟いた矢先だ。そのまま燕斗に腕を引っ張られた。
「え、燕斗……?!」
「気が変わった」
「気が変わったって、なに――」
なんなのだ、と言い終わるよりも先にそのまま近くの建物の物陰に押し込められ、ぎょっとした。薄暗く、ひんやりとした空気の中、いきなり目の前で着ていた上着を脱ぎ始める燕斗に戸惑っていると、それを腕に抱えた燕斗により着ていた上着を脱がされそうになる。
「な、なに、なにして……っ」
「脱げ、美甘」
「やだよっ、さ、寒いだろ……っ!」
「俺のコートを着ればいい」
「後もう帰るだけだろ、そんくらいの距離……ッ」
我慢しろ、と言い終わるよりも先に燕斗に鞄ごと上着を呆気なく脱がされてしまうのだ。
外気に晒され、一気に肌寒くなった俺はそのまま縮み込む。そんな俺の肩に燕斗は着ていたコートを羽織らせた。瞬間、先程まで鼻が慣れていた宋都の香水とはまた違う甘い香りに包まれてしまうのだ。
燕斗はそのまま無駄のない動作で俺に袖を通させていく。
「やっぱり、美甘にはこっちの方が似合う」
「……燕斗、お前はどうすんだよ」
「俺は別にこのまま帰るよ」
まさか宋都の上着を着るつもりか?と思ったが、やはりというか流石にそれはしなかったようだ。燕斗と宋都の好みが対極に位置することは散々知っていたけれども、だからってそれを俺に押し付けないでほしい。
そのまま満足したのか、しっかり上着の前を閉めた燕斗。寒くはなくなったものの、納得のいかない気分で燕斗にされるがままになっていると、そっと頬を撫でられるのだ。
「……なあ、美甘」
「……なんだよ」
「俺って面倒臭いやつか?」
「――い、」
今更気付いたのか、と思わず喉元から飛び出しそうになったが、堪えた。そんなこと言ってみろ、なにをされるか分からない。
「い、今更、……何言ってんだよ」
「サダは優しいか」
「は? さ、サダは関係ないだろ……っ!」
よりによってこんなタイミングでサダの名前を出すなよ、と目の前の燕斗を睨んだとき。燕斗は「そうだな」と笑った。
なんだ?病んでるのか?とこわごわ目の前の燕斗を見上げれば、目があってキスをされる。
いくら物陰とは言えど、少し顔を覗かせれば誰がいるかも分からない住宅街のど真ん中だ。
「おい」と慌てて押し退ければ、更に燕斗は俺の体を抱き締めてくるのだ。
「……美甘」
……な、なんなんだ、なんなのだこいつは。
耳元で囁かれる声にただ恐怖に全身が引きつった。燕斗が甘えてくるだけでも恐怖でしかないというのに、なんなのだ。
おまけに、まだ何か言葉が続くのかとじっと待ってたがその先は出てこないし。
そのまま鼻先を埋めてくる燕斗に戸惑いながらもその肩に手を伸ばす。
「お前、……宋都と仲直りしろよ」
「……あいつから何を聞いた?」
「何って、詳しくは聞いてないけど……」
「別に喧嘩してない」
それ、あいつも言ってたぞ。と思いながらも俺は「そうかよ」とそのまま燕斗から手を離そうとして、燕斗に手を掴まれる。
「もう少し、このままでいてもいいか」
嫌だと言ったところで離すつもりもないくせに、よく尋ねるものだ。俺は「……どーぞ」と渋々両手を広げる。こうなった燕斗はしつこい。
首筋に埋められる燕斗の鼻先。首筋に掠める前髪のこそばゆさに息を殺した。
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