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酔狂ゲーム
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放課後。
五十嵐からアドバイスを受けた俺は生徒会室を後にし、そのまま残りの授業を受けた俺は再び自室に帰ってきていた。そして、相変わらず断末魔が聞こえてくる物置部屋に目を向ける。
五条祭の弱点を知る人物――それは、五条祭自身。
数時間前、生徒会室で五十嵐彩乃はそう言った。っていうかただの頓知じゃねーか。
あのときはそう納得したが、五十嵐と別れてから五条を陥れるための手段を五条本人から聞き出してどうするんだよとか普通弱点言わねーだろとか時間差で疑問が沸いてくる。
まあ、正論と言えば正論だ。一か八か聞くだけ聞いてみよう。
岩片たちがいるであろう物置部屋の扉の前。中から声がするので人はいるようだ。相変わらず騒がしい物置部屋に内心冷や汗滲ませつつ、俺は静かに扉を叩く。
そして、そのまま「岩片」と扉に向かって声をかければ思ったよりも岩片はすぐに現れた。
「あー?なに?今立て込んでんだけど」
「手短に済ませろよ」医療マスクにビニール手袋という今からオペに挑む医者のような格好をした岩片はそうマスクを外しながら続ける。
ただでさえ表情が見えないみょうちくりんな髪型と眼鏡なのに、今はもう露出してる部分の方が少ない。
薄暗い物置部屋、生臭い匂い漂うそこを覗く勇気なんて俺にはなかった。
「五条と話したいんですが」
「だめ」
ですよね。
即答する岩片は「俺がいいって言うまで誰にも会わせないつもりだから」とそのまま続ける。
声が笑ってない。こいつまじだ。
これは五条に同情せざるを得ないが自業自得なのでなにも言えない。
「軟禁かよ」そう呟けば、「監禁だな」と岩片は笑った。悪化してる。
「あ、別に二十四時間付きっきりってわけじゃないから安心しろよ?」
ドン引いたように顔を引きつらせる俺に、岩片はそう肩を揺らして笑った。
まったくと言っていいほど安心する要素が見当たらない。
「まあ出来上がったら会わせるからそんときまで待ってろよ」
そして、再びマスクを耳に掛け直した岩片は部屋の奥から聞こえてくる声のする方を一瞥し、そのままバタンと扉を閉めた。
「…………」
その時がいつ来るのかやらなにをやっているのかやらまさか犯罪になるような真似はしてないよなやら晩御飯はどうするんだよやら色々言いたいことはあったが、岩片によって会話は強制的に終了された。反応が遅れ、暫く俺はそのまま扉の前に立ち竦んだ。
なんだこのほっとかれ感。
別に寂しくはないが、人に友達作るなとか言っておきながら自分は男とべたべたする岩片を見るのはあまり面白くない。
嫉妬というより、独占するくせに責任とって面倒見ようとしない放任主義な岩片が気に入らないと言った方が適切だろう。別に岩片と一日中べたべたしたいなんて血迷ったこと思わないが、一人のときがかなり不便だ。
この調子だとどうせ岩片はまだ五条で遊んでるつもりだろうし、岩片がいる時点で五条と会うことも話を聞き出すことも出来ないだろう。せめて岩片が手が空いたとき、五十嵐と話したことを教えてやろう。
なんて思いながら取り敢えず俺は昼間宮藤から貰ったボタンを制服に縫い付けるという作業で岩片が出てくるのを待つが制服の修復が終わっても岩片は出てこなくて、俺は渋々購買へ晩飯でも買いに行って時間を潰すことにした。
――学生寮、売店にて。
自分の分ついでにまだ飯を食っていないであろう岩片の分の晩飯を買う。
レジで精算してもらってようやく自分にパシリ根性が染み付いていることに気付き、絶望した。
まあ、届けるけど。
常日頃あれやこれやとコキを使われているせいですっかり慣れてしまっているようだ。習慣とは恐ろしい。
なんて思いながら弁当や惣菜パン、飲み物などが入った買い物袋を受け取った俺はそのまま売店を後にしようとして、ふと、足を止める。背後の商品棚の影、怪しい影を見付けた。
普通に考えれば自分と同じ客なのだろうが、考えるより先に体が動く。
そのまま振り返れば、覗いていた影はすっと商品棚の裏に隠れ……きれてなかった。
見覚えのある茶髪の頭がはみ出てる。
確か、神楽だ――生徒会会計、神楽麻都佳。
俺の記憶では黒に染められていたはずだがどうやらまた戻したようだ。初めて会ったときと変わらぬ明るい茶髪を弄ったいかにも現代のチャラチャラした若者代表ですといったような身形をした神楽はどうやら隠れているつもりらしい。
「なにやってんだよ」
「……」
商品棚に近付き、陰に隠れる神楽を覗き込みながら声をかければ神楽は無言で身を丸める。
どうやら隠れているつもりなのらしい。
「いや見えてる見えてる」相変わらずどこかずれた神楽に苦笑しつつ、俺は「神楽も飯買いに来たのか?」と尋ねてみる。が。
「むー……」
「神楽?」
「元くんのタラシぃ」
ようやくこちらを向いた神楽は唇を尖らせ、そう軽蔑するような眼差しを向けてくる。
「え?なに?タラシ?」まったく身に覚えのない扱いに目を丸くしつつ、何事かと俺は笑いながら聞き返した。
すると、相変わらず拗ねたような顔をする神楽はじとりと俺を見据える。
「……かいちょーとちゅーした」
「あー、あーはいはい。あれな」
神楽の言葉と同時に蘇る今朝の悪夢に、背中に冷や汗が滲んだ。
「……なんで知ってんの?」
「だってかいちょーの様子がおかしいんだもん」
「『くそっ尾張の野郎!今度はぜってー逃がさねえ!』ってキレたと思ったら『……でも、あいつの唇……柔らかかったな……』って一人顔赤くしたりしてさあ、皆気味悪がってるんだよー」気になって詳しく尋ねれば、神楽はそうかいちょーもとい政岡零児の口真似をしてみせた。
それは確かに気味悪いな。
というか何があったかもろバレてんじゃねーかあの口軽どういう独り言だよ少女漫画でも心の声使うぞ。
「元くんがそんないやらしい子だなんて思わなかった!」
挙げ句の果てに俺がこの扱いなのはおかしい。というかいやらしいってなんだよ。
そう大袈裟に下手くそな泣き真似を始める神楽に、段々面倒になってきた俺は「だからこれには深い訳があるんだって」とフォローをする。そして、ピタリと泣き真似を止めた神楽は「深い訳?」と俺の顔を覗き込み小首傾げさせた。
尋ねられ、走馬灯のように今朝の貞操の危機が浮かぶ。まあ、普通に言えるわけがなかった。
「……色々だよ、色々」
そう唇を尖らせるように呟き、神楽から顔を逸らせば神楽は「あ!なにその間!なんでちょっと顔赤くしてんだよぉっ、なんだよその意味ありげな言葉はあ!」だとかなんだとかわんわん喚きながら掴みかかってくる。
ノリがいいのか素なのかわからないが取り敢えず元気そうだ。
元気なことはいいことだと思う。思うが。
「まさか、元くんかいちょー好きになっちゃったの……?」
「どこをどう解釈したらそういう風になるんだよ」
怯えるように蒼白になり、はわわと口を手で押さえながら素晴らしいくらい見当違いなことを口走る神楽に俺は「だから男は許容範囲外だって」と眉を寄せる。
「じゃあ俺と付き合ってよ」
うん、絶好調なくらいの会話破綻だ。
「なにとなにがなにだって?」ピクピクと痙攣する頬の筋肉を動かし無理矢理笑みを作ったまま再び尋ねれば、神楽は「俺と付き合って!」と迫ってくる。
「ははは」
「なんで笑うんだよう」
人の話を全く聞いていない神楽はむぅと頬を膨らませ、そう不満そうに俺の腕にしがみついてくる。
そりゃ笑うしか出来ないのだから仕方がない。
「だから、俺女の子が好きなんだよ」ハッキリと、今度こそ相手に通じるよう砕けた言葉で伝える俺。
「それに、お前の場合は賭けの……」
そして、とどめを刺すように続ければどうやら俺が言おうとした言葉に気付いたようだ。
賭けという単語を口にした瞬間ぎょっと目を丸くした神楽は「わ……っちょ、元くんしーっ!」と人差し指を唇に当て、慌てて止めてくる。
どうやらこういう部分はちゃんと聞いているようだ。
「あはは!わり」そうなんとも手抜きな謝罪を口にした俺は、「んじゃ、俺もう行くから」と言いながら買い物袋を抱え直す。
障らぬ神に祟りなし。
キリのいいところで話題を切り上げ、そのまま颯爽とその場を後にしようとしたときだ。
「は?ストップ!ストーップ!」
そう声を上げる神楽は言いながらがしっと俺の腕にしがみついてくる。
掴んだ腕に全体重を掛けてくる神楽にぐいっと引っ張られ、半ば強引に足を止められた。
「つれなさすぎるよ元くんっ、昨日いっぱい話そうって約束したじゃん!」
「そうだっけ?」
「もうっ、そうだよう。帰り際に『これ俺のミルクって思って飲んでくれよな』って牛乳くれたじゃん!」
あまりにも必死な神楽に嫌な予感がしなくて、そうあくまで惚けたフリをして立ち去ろうとするが神楽はそれを許さない。
若干人聞き悪いが、確かに昨日ラウンジで会ったとき咄嗟にそんな約束を交わしたような気がする。が、それも神楽と二人きりになるのを避けるためだ。
「あーそうかもしれねーけどほら飯冷えるからさあ」
「じゃあラウンジで一緒に食べればいいじゃん」
「今ならキンキンに冷えたジュース奢るよぉ」それでも渋る俺に、神楽はそこまでするかというくらい食い付いてくる。
キンキンに冷えたジュース。その魅惑の単語に丁度小腹が空いていた俺はゴクリと喉を鳴らした。
……まあどうせ上に帰ってもやることないし、なにかあっても神楽ぐらいなら俺一人でもなんとかなるだろう。いや別にたかがジュースに釣られたわけではないが、ほら、ここまで必死な神楽を見捨てるほど俺も鬼畜生ではない。
「わかったよ。ほら、付き合ってやるから離せって」
そうやれやれ仕方ないなという感じで頬を緩めれば、どうやら俺の言葉によからぬ解釈したようだ。
「え?付き合ってくれるの?」と目をキラキラ輝かせ見上げてくる神楽に笑みを引きつらせた俺は間髪入れずに「いやラウンジまでって意味な」と訂正する。
まあいい機会だ。ついでに色々聞き出すか。
数分後、学生寮ラウンジ。
因みにラウンジは学生寮全ての階に作られており、まあぼちぼち広い休憩所のその奥にある個室の中に俺たちはいた。
クーラーがガンガン効いたその室内、置かれているのはL字のソファーとテーブルのみでまるでテレビのないカラオケボックスのようだと思った。
壁紙が破けたりとあまりいい印象は抱かなかったが、まあ談話するのにはうってつけだろう。
思いながら、ソファーに背中を預け先ほど神楽に買ってもらったドリンクを飲んでいると「ねえねえ元くん元くん」と隣に座っていた神楽はすすすと寄ってきた。
「なに?」それを横目に見ながら、俺はそう聞き返す。
「俺のこと好き?」
「普通」
そう甘えたように擦り寄ってくる神楽にお前は俺の彼女かと突っ込みそうになるのを耐えつつそう即答すれば、神楽は「ええっ」と有り得ないものを見たかのように声を上げる。
寧ろこれ以外どう返事をしろというのか全くもってわからなかったが、とにかく神楽はお気に召さなかったようだ。
「なんでぇ、ジュース買ってあげたじゃーん!」
「ああ、ありがと。上手いなこれ」
「そんな涼しげに笑って誤魔化さないでよぅ」
言いながら一口を飲めば、神楽は「元くんのバカ」とかなんとか言ってまたしくしくと泣き真似を始める。
しかもちゃっかり抱き着いてくるものだから鬱陶しい。
初対面時ならばまあ「仕方ないなこいつは、ははは」と思うかもしれないが、下心剥き出しになった今もう神楽の些細な仕草一つ一つが小芝居に見えてなんとも言えないあざとさしか感じない。
「せっかく教えたんだからさぁ協力してくれたっていいじゃん」
そして俺が反応しないとわかったらこれだ。
むうっと唇を尖らせる神楽はどうやら生徒会のゲームのことを言っているようだ。
それはお前が勝手に話したんだろうと突っ込みそうになりつつなんとか平常心を保つ俺は「もし神楽に協力したとして俺になんのメリットがあるんだよ」と尋ねる。
そう、これだ。問題は全てここにある。
まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかったらしい神楽はきょとんと目を丸くした。
「えーっとねぇ、うーん、俺といーっぱいイチャイチャできるよぉ~」
そして、うんうん唸りながら神楽が出した答えはそれだった。
それは一部の特殊な人間しか喜ばないだろ。
俺の反応が薄いことに気付いたようだ。焦った神楽は「あ、あとねあとね」と言いながら頬を弛ませる。
「知り合いの可愛い子いーっぱい紹介してあげる!」
「おお!」
そうだ、こういうのを待っていた。
いや別に岩片との賭けを忘れたわけではないが聞いておいて損はないというか別にまあ取り敢えず聞いてみただけだが俺も男だ。
山奥の小中高一貫の閉鎖的な男子校でなんとも華のない青春を過ごした俺にとってもう神楽のようないかにも女の子の知り合いいっぱいいますなやつのその言葉の説得力というか破壊力はハンパない。
あまりにも魅力的な言葉にそれもいいなと早速ぐらつき始めたとき、神楽は素敵な笑顔のまま「全員男だけどね!」と続ける。リタイアの心配はなくなった。
「なんで元くんそんなに男の子嫌がるのお?大して変わんないよ~」
あからさまにテンションを下げる俺を疑問に思ったようだ。
神楽はそう不思議そうに尋ねてくる。
そりゃあ確かに大して変わらないだろう。突っ込む側ならな。
「なんなら俺が男慣れ出来るように「そう言えば神楽お前、五条祭って知ってる?」
そろそろこの手の話題を避けたかったので強引に神楽の言葉を遮れば、神楽は「ってそんなダイナミックにかわさないでよぉっ」と不満そうにぷりぷり怒る。
しかしそれも束の間。俺の口から出た固有名詞に聞き覚えがあったようだ。
「んん?五条祭?……あーはいはい、あの眼鏡でしょ!よくふくかいちょーに集られてるやつ!」
そう思い出したようにぱっと顔を明るくする神楽は「そいつがどーしたのぉ?」と小首を傾げる。
「いや、あいつの嫌いなものとか知ってる?」
「えーなんでえ?」
「もしかして元くん五条のこと気に入っちゃったのぉ?」そう訝しげに眉を寄せる神楽。
寧ろ逆だ。話題を逸らされたのが気に入らなかったらしく拗ねた神楽はなかなか本題に入らない。
脱線する神楽に「知ってるか知らないかを聞いてるんだよ」となるべく優しく強要すれば、むーと唇を尖らせた神楽は少しだけ考え込み、「んー知ってるよぉ」と渋々頷いた。
「まじで?」
そう驚いた俺が目を丸くすれば、気をよくした神楽は「んふふふふ、俺の情報網嘗めてもらっちゃあ困るなあー」と威張るように胸を張る。
ただのぽやんぽやんしたアホかと思っていたが、どうやら俺が思っていたよりも使えるやつなのかもしれない。予想外の収穫に顔が弛む。
「おお」と笑みを浮かべた俺は神楽に目を向けた。
「なら話早いな。教えろよ」そう単刀直入に尋ねれば、神楽はにやりとだらしなく微笑む。
「じゃあねえ、俺のこと『好き』って言ってくれたら教えてあげる」
「そうか、じゃあな」
「えっ、待って待って諦めるの早いよ元くん!もっと熱くなろうよ!」
すかさず席から立ち上がろうとすれば、慌てて神楽がしがみついてきて必死に止めてくる。
まさか本気で俺がその条件を飲むと思っていたのだろうか。全身で引き留めようとする神楽はそれでも応じない俺に諦めたようだ。
「むぅ、仕方ないなー。ここは元くんに免じてただで教えてあげるねぇ」
最初からそう素直になればいいものを。
「さっすが神楽」
折れる神楽ににこにこと笑えば、ぷうっと頬を膨らませる神楽は「元くんのいじわる」と面白くなさそうな顔をする。
俺からしてみれば逆手に取ろうとしてくる神楽の方がなかなかだと思うが、まあいい。主導権を取り上げることが出来ればもうあとはこっちのものだ。
「ね、ね、耳貸して」
俺が逃げないと判断したようだ。手を離した神楽は言いながらぽんぽんと自分の隣の座面を叩く。どうやら隣へ来いと言っているようだ。
「はいはい」と言いながら俺は言われるがまま神楽の隣に座る。
「あのねえ……」
そして、声を潜めた神楽は内緒話をするように口許に手を添え俺に唇を近付けた。
そこまで来て、あれ?別にここ二人きりなんだからわざわざ小声で話す必要ないよな?と今さらな疑問を覚える。そのときにはもう色々遅かった。
耳にふっと息を吹き掛けられ、何事かと目を丸くした瞬間ぬるりと濡れた肉厚のあるそれが触れる。
「ぃ……ッ!」
全身に鳥肌が立ち、慌てて神楽の顔面を押さえる。
舐められた。
「なっ、なにやってんのお前……っ」
もう片方の手で舌の感触が残る耳朶をごしごしと擦れば、神楽は俺の手首を掴んだまま目を向けてくる。
「んー元くんピアス空けてないんだぁ。綺麗な耳たぶさんだぁ、ぷりっとしてて美味しそーってむらっときて」
「せめて、一言くらい言えよ」
いや言ったから舐めさせるというわけではないがあまりにもビビり過ぎて突っ込みどころをあやまってしまう。
「つーか、おい、五条の嫌いなものは……」
「あははっ、俺が知ってるわけないじゃーん」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべる神楽は俺の手首を掴んだままそう開き直った。
この野郎。
そう思わずにはいられないが、こんなふにゃふにゃした神楽のことを無条件に信用した自分も悪い。
「元くんすぐ信じちゃうんだからねー」
「そうゆーところ、すごい可愛いよぉ」咄嗟にソファーから逃げるため神楽を振り払おうとしたとき、そう笑う神楽に手のひらを舐められぞくりと背筋が震える。
「っ、てめ……ッ」
「なになに?元くんは~指と指の間が弱いんですかぁー?」
手のひらから指の付け根をから輪郭をなぞるように舌で舐められる。
唾液で濡れた神楽の赤い舌がピチャピチャと音を立て、手を指を汚していく。
違和感とくすぐったさ、視覚と聴覚を刺激され変な気分が沸いてくる。
神楽に物理的にも精神的にも舐められてるという事実より、あながち満更でもない自分が気味悪くなってきた。
「離せって、おい」
「んーやだぁ」
「こんなところまでノコノコ着いてきちゃう元くんが悪いんだよぉ」喋る度に濡れたそこに神楽の息がかかり、ぞくぞくした。
薄暗い室内。クーラーが効いているはずなのに何故だろうか。酷く暑い。
振り払おうとするのに、力が入らない。舐められた箇所がじんじんと痺れ、先程まで正常だったはずの鼓動が乱れ始める。
「一回ヤられそうになったのにわざわざついてくるなんてもう『好きにしてくださいっ!』て言ってるようなもんだよねぇ」
「まあ、俺は全然嬉しいからいいんだけどぉ」やっぱりこいつあの時点で無視しとけばよかった。
馬鹿生徒会の役員はやはり馬鹿ということか。ぶん殴ってやろうと空いた方の手で拳を作ろうとするが、まともに力が入らない。
呼吸は浅くなり、全身にじんわりと嫌な汗が滲む。まるで酸欠でも起こしたかのような息苦しさに、酷く頭がクラクラしてきた。
「んふふふふ、ようやく効いてきたぁ?」
体勢を保つことすらままならず、そのままずるりと落ちる俺に神楽はへらへらと楽しそうに頬を弛める。
いつものアホっぽい笑顔なのに、今はただ小憎たらしい。
「……っお前、なんか仕込んだな」
濡れた指をそっとなぞるように指を絡めてくる神楽を睨めば、にこりと猫のように目を細めた神楽は「せいかーい」と無邪気に笑う。
「元くんが力強いのは知ってるからさあ、お薬をちょこーっとねぇ」
「安心してよぉ、ちゃあんと合法だから」なにをどう安心しろというんだこいつは。
ああ、岩片が神楽を警戒していたわけがなんとなくわかってきた。と後悔したところでどうにかなることではない。
五十嵐からアドバイスを受けた俺は生徒会室を後にし、そのまま残りの授業を受けた俺は再び自室に帰ってきていた。そして、相変わらず断末魔が聞こえてくる物置部屋に目を向ける。
五条祭の弱点を知る人物――それは、五条祭自身。
数時間前、生徒会室で五十嵐彩乃はそう言った。っていうかただの頓知じゃねーか。
あのときはそう納得したが、五十嵐と別れてから五条を陥れるための手段を五条本人から聞き出してどうするんだよとか普通弱点言わねーだろとか時間差で疑問が沸いてくる。
まあ、正論と言えば正論だ。一か八か聞くだけ聞いてみよう。
岩片たちがいるであろう物置部屋の扉の前。中から声がするので人はいるようだ。相変わらず騒がしい物置部屋に内心冷や汗滲ませつつ、俺は静かに扉を叩く。
そして、そのまま「岩片」と扉に向かって声をかければ思ったよりも岩片はすぐに現れた。
「あー?なに?今立て込んでんだけど」
「手短に済ませろよ」医療マスクにビニール手袋という今からオペに挑む医者のような格好をした岩片はそうマスクを外しながら続ける。
ただでさえ表情が見えないみょうちくりんな髪型と眼鏡なのに、今はもう露出してる部分の方が少ない。
薄暗い物置部屋、生臭い匂い漂うそこを覗く勇気なんて俺にはなかった。
「五条と話したいんですが」
「だめ」
ですよね。
即答する岩片は「俺がいいって言うまで誰にも会わせないつもりだから」とそのまま続ける。
声が笑ってない。こいつまじだ。
これは五条に同情せざるを得ないが自業自得なのでなにも言えない。
「軟禁かよ」そう呟けば、「監禁だな」と岩片は笑った。悪化してる。
「あ、別に二十四時間付きっきりってわけじゃないから安心しろよ?」
ドン引いたように顔を引きつらせる俺に、岩片はそう肩を揺らして笑った。
まったくと言っていいほど安心する要素が見当たらない。
「まあ出来上がったら会わせるからそんときまで待ってろよ」
そして、再びマスクを耳に掛け直した岩片は部屋の奥から聞こえてくる声のする方を一瞥し、そのままバタンと扉を閉めた。
「…………」
その時がいつ来るのかやらなにをやっているのかやらまさか犯罪になるような真似はしてないよなやら晩御飯はどうするんだよやら色々言いたいことはあったが、岩片によって会話は強制的に終了された。反応が遅れ、暫く俺はそのまま扉の前に立ち竦んだ。
なんだこのほっとかれ感。
別に寂しくはないが、人に友達作るなとか言っておきながら自分は男とべたべたする岩片を見るのはあまり面白くない。
嫉妬というより、独占するくせに責任とって面倒見ようとしない放任主義な岩片が気に入らないと言った方が適切だろう。別に岩片と一日中べたべたしたいなんて血迷ったこと思わないが、一人のときがかなり不便だ。
この調子だとどうせ岩片はまだ五条で遊んでるつもりだろうし、岩片がいる時点で五条と会うことも話を聞き出すことも出来ないだろう。せめて岩片が手が空いたとき、五十嵐と話したことを教えてやろう。
なんて思いながら取り敢えず俺は昼間宮藤から貰ったボタンを制服に縫い付けるという作業で岩片が出てくるのを待つが制服の修復が終わっても岩片は出てこなくて、俺は渋々購買へ晩飯でも買いに行って時間を潰すことにした。
――学生寮、売店にて。
自分の分ついでにまだ飯を食っていないであろう岩片の分の晩飯を買う。
レジで精算してもらってようやく自分にパシリ根性が染み付いていることに気付き、絶望した。
まあ、届けるけど。
常日頃あれやこれやとコキを使われているせいですっかり慣れてしまっているようだ。習慣とは恐ろしい。
なんて思いながら弁当や惣菜パン、飲み物などが入った買い物袋を受け取った俺はそのまま売店を後にしようとして、ふと、足を止める。背後の商品棚の影、怪しい影を見付けた。
普通に考えれば自分と同じ客なのだろうが、考えるより先に体が動く。
そのまま振り返れば、覗いていた影はすっと商品棚の裏に隠れ……きれてなかった。
見覚えのある茶髪の頭がはみ出てる。
確か、神楽だ――生徒会会計、神楽麻都佳。
俺の記憶では黒に染められていたはずだがどうやらまた戻したようだ。初めて会ったときと変わらぬ明るい茶髪を弄ったいかにも現代のチャラチャラした若者代表ですといったような身形をした神楽はどうやら隠れているつもりらしい。
「なにやってんだよ」
「……」
商品棚に近付き、陰に隠れる神楽を覗き込みながら声をかければ神楽は無言で身を丸める。
どうやら隠れているつもりなのらしい。
「いや見えてる見えてる」相変わらずどこかずれた神楽に苦笑しつつ、俺は「神楽も飯買いに来たのか?」と尋ねてみる。が。
「むー……」
「神楽?」
「元くんのタラシぃ」
ようやくこちらを向いた神楽は唇を尖らせ、そう軽蔑するような眼差しを向けてくる。
「え?なに?タラシ?」まったく身に覚えのない扱いに目を丸くしつつ、何事かと俺は笑いながら聞き返した。
すると、相変わらず拗ねたような顔をする神楽はじとりと俺を見据える。
「……かいちょーとちゅーした」
「あー、あーはいはい。あれな」
神楽の言葉と同時に蘇る今朝の悪夢に、背中に冷や汗が滲んだ。
「……なんで知ってんの?」
「だってかいちょーの様子がおかしいんだもん」
「『くそっ尾張の野郎!今度はぜってー逃がさねえ!』ってキレたと思ったら『……でも、あいつの唇……柔らかかったな……』って一人顔赤くしたりしてさあ、皆気味悪がってるんだよー」気になって詳しく尋ねれば、神楽はそうかいちょーもとい政岡零児の口真似をしてみせた。
それは確かに気味悪いな。
というか何があったかもろバレてんじゃねーかあの口軽どういう独り言だよ少女漫画でも心の声使うぞ。
「元くんがそんないやらしい子だなんて思わなかった!」
挙げ句の果てに俺がこの扱いなのはおかしい。というかいやらしいってなんだよ。
そう大袈裟に下手くそな泣き真似を始める神楽に、段々面倒になってきた俺は「だからこれには深い訳があるんだって」とフォローをする。そして、ピタリと泣き真似を止めた神楽は「深い訳?」と俺の顔を覗き込み小首傾げさせた。
尋ねられ、走馬灯のように今朝の貞操の危機が浮かぶ。まあ、普通に言えるわけがなかった。
「……色々だよ、色々」
そう唇を尖らせるように呟き、神楽から顔を逸らせば神楽は「あ!なにその間!なんでちょっと顔赤くしてんだよぉっ、なんだよその意味ありげな言葉はあ!」だとかなんだとかわんわん喚きながら掴みかかってくる。
ノリがいいのか素なのかわからないが取り敢えず元気そうだ。
元気なことはいいことだと思う。思うが。
「まさか、元くんかいちょー好きになっちゃったの……?」
「どこをどう解釈したらそういう風になるんだよ」
怯えるように蒼白になり、はわわと口を手で押さえながら素晴らしいくらい見当違いなことを口走る神楽に俺は「だから男は許容範囲外だって」と眉を寄せる。
「じゃあ俺と付き合ってよ」
うん、絶好調なくらいの会話破綻だ。
「なにとなにがなにだって?」ピクピクと痙攣する頬の筋肉を動かし無理矢理笑みを作ったまま再び尋ねれば、神楽は「俺と付き合って!」と迫ってくる。
「ははは」
「なんで笑うんだよう」
人の話を全く聞いていない神楽はむぅと頬を膨らませ、そう不満そうに俺の腕にしがみついてくる。
そりゃ笑うしか出来ないのだから仕方がない。
「だから、俺女の子が好きなんだよ」ハッキリと、今度こそ相手に通じるよう砕けた言葉で伝える俺。
「それに、お前の場合は賭けの……」
そして、とどめを刺すように続ければどうやら俺が言おうとした言葉に気付いたようだ。
賭けという単語を口にした瞬間ぎょっと目を丸くした神楽は「わ……っちょ、元くんしーっ!」と人差し指を唇に当て、慌てて止めてくる。
どうやらこういう部分はちゃんと聞いているようだ。
「あはは!わり」そうなんとも手抜きな謝罪を口にした俺は、「んじゃ、俺もう行くから」と言いながら買い物袋を抱え直す。
障らぬ神に祟りなし。
キリのいいところで話題を切り上げ、そのまま颯爽とその場を後にしようとしたときだ。
「は?ストップ!ストーップ!」
そう声を上げる神楽は言いながらがしっと俺の腕にしがみついてくる。
掴んだ腕に全体重を掛けてくる神楽にぐいっと引っ張られ、半ば強引に足を止められた。
「つれなさすぎるよ元くんっ、昨日いっぱい話そうって約束したじゃん!」
「そうだっけ?」
「もうっ、そうだよう。帰り際に『これ俺のミルクって思って飲んでくれよな』って牛乳くれたじゃん!」
あまりにも必死な神楽に嫌な予感がしなくて、そうあくまで惚けたフリをして立ち去ろうとするが神楽はそれを許さない。
若干人聞き悪いが、確かに昨日ラウンジで会ったとき咄嗟にそんな約束を交わしたような気がする。が、それも神楽と二人きりになるのを避けるためだ。
「あーそうかもしれねーけどほら飯冷えるからさあ」
「じゃあラウンジで一緒に食べればいいじゃん」
「今ならキンキンに冷えたジュース奢るよぉ」それでも渋る俺に、神楽はそこまでするかというくらい食い付いてくる。
キンキンに冷えたジュース。その魅惑の単語に丁度小腹が空いていた俺はゴクリと喉を鳴らした。
……まあどうせ上に帰ってもやることないし、なにかあっても神楽ぐらいなら俺一人でもなんとかなるだろう。いや別にたかがジュースに釣られたわけではないが、ほら、ここまで必死な神楽を見捨てるほど俺も鬼畜生ではない。
「わかったよ。ほら、付き合ってやるから離せって」
そうやれやれ仕方ないなという感じで頬を緩めれば、どうやら俺の言葉によからぬ解釈したようだ。
「え?付き合ってくれるの?」と目をキラキラ輝かせ見上げてくる神楽に笑みを引きつらせた俺は間髪入れずに「いやラウンジまでって意味な」と訂正する。
まあいい機会だ。ついでに色々聞き出すか。
数分後、学生寮ラウンジ。
因みにラウンジは学生寮全ての階に作られており、まあぼちぼち広い休憩所のその奥にある個室の中に俺たちはいた。
クーラーがガンガン効いたその室内、置かれているのはL字のソファーとテーブルのみでまるでテレビのないカラオケボックスのようだと思った。
壁紙が破けたりとあまりいい印象は抱かなかったが、まあ談話するのにはうってつけだろう。
思いながら、ソファーに背中を預け先ほど神楽に買ってもらったドリンクを飲んでいると「ねえねえ元くん元くん」と隣に座っていた神楽はすすすと寄ってきた。
「なに?」それを横目に見ながら、俺はそう聞き返す。
「俺のこと好き?」
「普通」
そう甘えたように擦り寄ってくる神楽にお前は俺の彼女かと突っ込みそうになるのを耐えつつそう即答すれば、神楽は「ええっ」と有り得ないものを見たかのように声を上げる。
寧ろこれ以外どう返事をしろというのか全くもってわからなかったが、とにかく神楽はお気に召さなかったようだ。
「なんでぇ、ジュース買ってあげたじゃーん!」
「ああ、ありがと。上手いなこれ」
「そんな涼しげに笑って誤魔化さないでよぅ」
言いながら一口を飲めば、神楽は「元くんのバカ」とかなんとか言ってまたしくしくと泣き真似を始める。
しかもちゃっかり抱き着いてくるものだから鬱陶しい。
初対面時ならばまあ「仕方ないなこいつは、ははは」と思うかもしれないが、下心剥き出しになった今もう神楽の些細な仕草一つ一つが小芝居に見えてなんとも言えないあざとさしか感じない。
「せっかく教えたんだからさぁ協力してくれたっていいじゃん」
そして俺が反応しないとわかったらこれだ。
むうっと唇を尖らせる神楽はどうやら生徒会のゲームのことを言っているようだ。
それはお前が勝手に話したんだろうと突っ込みそうになりつつなんとか平常心を保つ俺は「もし神楽に協力したとして俺になんのメリットがあるんだよ」と尋ねる。
そう、これだ。問題は全てここにある。
まさかそんなことを聞かれるとは思ってなかったらしい神楽はきょとんと目を丸くした。
「えーっとねぇ、うーん、俺といーっぱいイチャイチャできるよぉ~」
そして、うんうん唸りながら神楽が出した答えはそれだった。
それは一部の特殊な人間しか喜ばないだろ。
俺の反応が薄いことに気付いたようだ。焦った神楽は「あ、あとねあとね」と言いながら頬を弛ませる。
「知り合いの可愛い子いーっぱい紹介してあげる!」
「おお!」
そうだ、こういうのを待っていた。
いや別に岩片との賭けを忘れたわけではないが聞いておいて損はないというか別にまあ取り敢えず聞いてみただけだが俺も男だ。
山奥の小中高一貫の閉鎖的な男子校でなんとも華のない青春を過ごした俺にとってもう神楽のようないかにも女の子の知り合いいっぱいいますなやつのその言葉の説得力というか破壊力はハンパない。
あまりにも魅力的な言葉にそれもいいなと早速ぐらつき始めたとき、神楽は素敵な笑顔のまま「全員男だけどね!」と続ける。リタイアの心配はなくなった。
「なんで元くんそんなに男の子嫌がるのお?大して変わんないよ~」
あからさまにテンションを下げる俺を疑問に思ったようだ。
神楽はそう不思議そうに尋ねてくる。
そりゃあ確かに大して変わらないだろう。突っ込む側ならな。
「なんなら俺が男慣れ出来るように「そう言えば神楽お前、五条祭って知ってる?」
そろそろこの手の話題を避けたかったので強引に神楽の言葉を遮れば、神楽は「ってそんなダイナミックにかわさないでよぉっ」と不満そうにぷりぷり怒る。
しかしそれも束の間。俺の口から出た固有名詞に聞き覚えがあったようだ。
「んん?五条祭?……あーはいはい、あの眼鏡でしょ!よくふくかいちょーに集られてるやつ!」
そう思い出したようにぱっと顔を明るくする神楽は「そいつがどーしたのぉ?」と小首を傾げる。
「いや、あいつの嫌いなものとか知ってる?」
「えーなんでえ?」
「もしかして元くん五条のこと気に入っちゃったのぉ?」そう訝しげに眉を寄せる神楽。
寧ろ逆だ。話題を逸らされたのが気に入らなかったらしく拗ねた神楽はなかなか本題に入らない。
脱線する神楽に「知ってるか知らないかを聞いてるんだよ」となるべく優しく強要すれば、むーと唇を尖らせた神楽は少しだけ考え込み、「んー知ってるよぉ」と渋々頷いた。
「まじで?」
そう驚いた俺が目を丸くすれば、気をよくした神楽は「んふふふふ、俺の情報網嘗めてもらっちゃあ困るなあー」と威張るように胸を張る。
ただのぽやんぽやんしたアホかと思っていたが、どうやら俺が思っていたよりも使えるやつなのかもしれない。予想外の収穫に顔が弛む。
「おお」と笑みを浮かべた俺は神楽に目を向けた。
「なら話早いな。教えろよ」そう単刀直入に尋ねれば、神楽はにやりとだらしなく微笑む。
「じゃあねえ、俺のこと『好き』って言ってくれたら教えてあげる」
「そうか、じゃあな」
「えっ、待って待って諦めるの早いよ元くん!もっと熱くなろうよ!」
すかさず席から立ち上がろうとすれば、慌てて神楽がしがみついてきて必死に止めてくる。
まさか本気で俺がその条件を飲むと思っていたのだろうか。全身で引き留めようとする神楽はそれでも応じない俺に諦めたようだ。
「むぅ、仕方ないなー。ここは元くんに免じてただで教えてあげるねぇ」
最初からそう素直になればいいものを。
「さっすが神楽」
折れる神楽ににこにこと笑えば、ぷうっと頬を膨らませる神楽は「元くんのいじわる」と面白くなさそうな顔をする。
俺からしてみれば逆手に取ろうとしてくる神楽の方がなかなかだと思うが、まあいい。主導権を取り上げることが出来ればもうあとはこっちのものだ。
「ね、ね、耳貸して」
俺が逃げないと判断したようだ。手を離した神楽は言いながらぽんぽんと自分の隣の座面を叩く。どうやら隣へ来いと言っているようだ。
「はいはい」と言いながら俺は言われるがまま神楽の隣に座る。
「あのねえ……」
そして、声を潜めた神楽は内緒話をするように口許に手を添え俺に唇を近付けた。
そこまで来て、あれ?別にここ二人きりなんだからわざわざ小声で話す必要ないよな?と今さらな疑問を覚える。そのときにはもう色々遅かった。
耳にふっと息を吹き掛けられ、何事かと目を丸くした瞬間ぬるりと濡れた肉厚のあるそれが触れる。
「ぃ……ッ!」
全身に鳥肌が立ち、慌てて神楽の顔面を押さえる。
舐められた。
「なっ、なにやってんのお前……っ」
もう片方の手で舌の感触が残る耳朶をごしごしと擦れば、神楽は俺の手首を掴んだまま目を向けてくる。
「んー元くんピアス空けてないんだぁ。綺麗な耳たぶさんだぁ、ぷりっとしてて美味しそーってむらっときて」
「せめて、一言くらい言えよ」
いや言ったから舐めさせるというわけではないがあまりにもビビり過ぎて突っ込みどころをあやまってしまう。
「つーか、おい、五条の嫌いなものは……」
「あははっ、俺が知ってるわけないじゃーん」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべる神楽は俺の手首を掴んだままそう開き直った。
この野郎。
そう思わずにはいられないが、こんなふにゃふにゃした神楽のことを無条件に信用した自分も悪い。
「元くんすぐ信じちゃうんだからねー」
「そうゆーところ、すごい可愛いよぉ」咄嗟にソファーから逃げるため神楽を振り払おうとしたとき、そう笑う神楽に手のひらを舐められぞくりと背筋が震える。
「っ、てめ……ッ」
「なになに?元くんは~指と指の間が弱いんですかぁー?」
手のひらから指の付け根をから輪郭をなぞるように舌で舐められる。
唾液で濡れた神楽の赤い舌がピチャピチャと音を立て、手を指を汚していく。
違和感とくすぐったさ、視覚と聴覚を刺激され変な気分が沸いてくる。
神楽に物理的にも精神的にも舐められてるという事実より、あながち満更でもない自分が気味悪くなってきた。
「離せって、おい」
「んーやだぁ」
「こんなところまでノコノコ着いてきちゃう元くんが悪いんだよぉ」喋る度に濡れたそこに神楽の息がかかり、ぞくぞくした。
薄暗い室内。クーラーが効いているはずなのに何故だろうか。酷く暑い。
振り払おうとするのに、力が入らない。舐められた箇所がじんじんと痺れ、先程まで正常だったはずの鼓動が乱れ始める。
「一回ヤられそうになったのにわざわざついてくるなんてもう『好きにしてくださいっ!』て言ってるようなもんだよねぇ」
「まあ、俺は全然嬉しいからいいんだけどぉ」やっぱりこいつあの時点で無視しとけばよかった。
馬鹿生徒会の役員はやはり馬鹿ということか。ぶん殴ってやろうと空いた方の手で拳を作ろうとするが、まともに力が入らない。
呼吸は浅くなり、全身にじんわりと嫌な汗が滲む。まるで酸欠でも起こしたかのような息苦しさに、酷く頭がクラクラしてきた。
「んふふふふ、ようやく効いてきたぁ?」
体勢を保つことすらままならず、そのままずるりと落ちる俺に神楽はへらへらと楽しそうに頬を弛める。
いつものアホっぽい笑顔なのに、今はただ小憎たらしい。
「……っお前、なんか仕込んだな」
濡れた指をそっとなぞるように指を絡めてくる神楽を睨めば、にこりと猫のように目を細めた神楽は「せいかーい」と無邪気に笑う。
「元くんが力強いのは知ってるからさあ、お薬をちょこーっとねぇ」
「安心してよぉ、ちゃあんと合法だから」なにをどう安心しろというんだこいつは。
ああ、岩片が神楽を警戒していたわけがなんとなくわかってきた。と後悔したところでどうにかなることではない。
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