馬鹿ばっか

田原摩耶

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ヒーロー失格

06

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 人質と聞くと、俺はまずニュース番組を思い出す。立て籠もりの人質事件とか、身代金要求とか、どれもろくでもない連想しか思い浮かばないが、俺と岩片のはまさにそれだろう。
 ――人質は俺で、犯人は岩片。
 ――要求するのは、楽しいこと。

『お前、馬鹿だろ』

 例えばそれは少し昔に遡る。
 とはいっても酷く懐かしむようなほど昔でもないし、記憶にもまだ新しい。初対面早々、今と変わらない妙ちくりんな格好をした岩片は俺を見るなりそんなことを言った。
 馬鹿みたいに豪奢な理事長室の扉の前。そのとき俺は退学を言い渡されたばかりだった。
 けれど、別にそれに対してどういう感慨もなくて、そんな俺を出迎えたのがろくに話したこともないような岩片で。

『あんなやつらに退学させられて、自分の経歴汚させるのかよ。ドMかよ』

 正直、驚いた。全員が俺を黒だと言い張っている中、そんなことを言い出す奴がいることに。
 驚いたが、そんな奴がいたところで目障り以外の何者でもない。

『別に関係ねえだろ』
『関係なくねえよ、悪いけど』

 俺の目の前に立ち塞がった瓶底野郎は言うや否や写真を取り出した。
 目の前に突き付けられたそれは数人の生徒が写り込んでいて、俺にとって見覚えのあるもので。

『高津嶺基、夜来光、巴馬勝杵、街丘愉。今回の被害者名乗ってる連中、全員恐喝常習犯だろ』

 まだ耳新しい名前の数々に、思わず顔の筋肉が強張った。写真には一人の生徒を取り囲んでなにやら話しているやつらや、中には暴行途中とも見られる写真もあった。
 確かに、恐喝だか後輩虐めが鬱陶しいやつらだった。噂には聞いていたが、対して興味もなかった。
 それは、実際にやつらをぶん殴ってしまった今も変わらない。

『へーよく撮れてんのな、俺の写真ねえの?』
『お前、悔しくねえの? 他人に言いように人生掻き回されて』
『……別に?』

 寧ろ、俺からしてみたらわざわざ俺に対してこんなことを言ってくるこいつの頭の方が気になった。
 全く悔しくないと言えば嘘になるが、それは退学云々ではなくどうせ恐喝犯に仕立て上げられるのならあいつらの骨を全部折ってやってやっといた方が信ぴょう性が増すかもしれなかったのに、という後悔だ。
 こんな学園に通っているこの瓶底眼鏡にとっては経歴云々が大切なのだろうが、俺にとっては全く問題ではない。
 現に、俺の経歴はここに来る前からとっくに汚れているのだから。

『つーかさ、おたくなんなわけ?そんなに俺の気惹きたいの?わるいけど、俺可愛くて巨乳の子しか受け付けない主義だからさ』

 面倒なのに絡まれた。適当に撒こうか、なんて思っていつものように即席で作った笑顔であしらおうとすれば、その瓶底野郎、もとい岩片凪沙は俺の隣をすり抜け、理事長室の扉を開いた。

『尾張元の退学処分、ちょっと待っていただこうか!』

 背後から聞こえてきたざわめきと岩片の声に『え?』と目を丸くしたときにはもう遅く、集まった教師たちを掻き分けるようにしてズカズカと理事長室の中まで足を踏み入れたやつは理事長と対面していた。

『おい、ちょ、おい! なにやってんだよ! おい、そこのもじゃもじゃ!』

 まさかまじで乱入するとは思わなくて、あまりの動揺に全身から変な汗を滲ませながら後を追って追い出されたばかりの理事長室に戻れば、更に理事長室内はざわつく。
 なにより、岩片は既に理事長に先ほどの写真を叩き付けてる最中だった。

『おい、あいつ……!』
『なんであいつがあんなもの……』

 ざわつく理事長室内、集まっていた高津たちはいきなり現れた岩片に青褪める。
 ――時既に遅し。岩片が動き出した今、既に物事は軌道修正が計れないほど道を踏み外していた。

『今まで校内で発生した恐喝、暴行、カツアゲの本当の犯人はそこで被害者面したやつだ。既に本当の被害者たちからは調書も取っている。ここにクラス番号書いているから直接聞きたきゃ聞けばいい』
『なにを言ってんだよ、言いがかりは止めろ。口裏合わせてハメようったって……』

 慌てて反論する高津たちに、岩片凪沙は『口裏ねえ』と笑う。口角を釣り上げただけの、怪しい笑み。その笑顔にぞくりと嫌なものを感じた時、岩片は制服の裾をたくし上げ、腹部を露出させた。

『あんたらは気をつけてたみてえだけどさ、腹のアザって結構残んだよね。ほら、見ろよ。あんたらが付けてくれた傷、こんなにしっかりと残ってんだよ』
『そんなアザ、俺ら知らないから、なあ?』
『自分でつくった怪我、俺らのせいにしてんじゃねえよクソもじゃ!』
『本当、つくづく予想通りな奴らだな』

 喚く連中に溜息を吐いた岩片は『仕方ねえな』と制服に手を突っ込み、更に数枚の写真を取り出した。

『これは……』
『理事長、これ証拠ね。俺がこいつらにリンチされかけたって証拠』

 岩片の言葉に、俺は目を見開いた。
 そう言ってテーブルの上に拡げられた写真は囲まれている岩片や、腹を殴られふらつく岩片。まさに反抗現場がしっかりと記録されていた 。
 まさか、あの場にカメラを仕込んでいたとは思わなかったし、なによりあまりにも用意周到な岩片に驚いたのだ。
 そんなやつに驚愕するのは俺だけではなく、先ほどまで余裕綽々だった連中も、新しく出てきた決定的な証拠に死人のような顔をしていた。
 あまりにも、決定的すぎたのだ。このために殴られたのではないだろうか――そう、疑いたくなるくらい。

『これで十分だろ。尾張元は恐喝犯でもなければ金銭も奪っていない。全部こいつらの自作自演だ』
『ちょっと待て、でも彼らは実際に怪我をしているんだぞ。彼に殴られて』
『その証拠は? 全員グルなんだからお互いを殴り合うことくらい簡単だろ』

 当たり前のように平然と答える岩片に、やつらは『そんな馬鹿な』と青褪めた。多分、目の前のやり取りを眺めていた俺の顔を変なことになっていたに違いない。

『尾張元はこいつらにボコられてた俺を助けようと仲裁に入った。せっかくの獲物を邪魔されて逃がして、それがムカツイてこんな真似したんだろ。全てこいつらの企みだな。尾張元は被害者であり、寧ろ褒められるべき人間だろ?なあ、理事長。まさかこいつを本気で退学にするんじゃないだろうな』

 息もつく暇を与えず、矢継ぎ早に言葉を並べ責めたくる岩片に気圧されていた理事長はソファー椅子に背をもたれかけたまま岩片を見上げ、そして小さく息を吐いた。

『……凪沙、お前が言いたいことはよくわかったが、私の机は椅子ではないぞ』
『これ丁度いい高さなんだよな、ケツの位置に』
『行儀が悪いと言っているだろう、二人きりの時ならいいが、皆がいる前だ。せめてちゃんと立て。あとで茶菓子やるから』

 きっと、その場にいた全員が交わされるなんとも力抜けるようなやり取りに度肝抜かされていただろう。ポーカーフェイスと評判の俺でさえ、フレンドリーな二人の空気に顎が外れそうになったのだから。

『しかし凪沙、ご苦労。よく間に合ったね。今回はもう無理だと思ったぞ』
『あ、あの、理事長……?』
『なんだ』
『そ、そこの生徒は一体?』

 あまりにもただの理事長と生徒というには仲がよすぎる二人に教師陣も混乱してるらしく、一人の男性教諭が恐る恐る尋ねると『ああ』と理事長はなんでもないように答えた。

『俺の甥。可愛いだろう?』

 似てない、という無味乾燥な感想は置いておいて、どこをどうみたら可愛いのか俺には理解できそうにない。一生。




『そういうことだから、緊急職員会議始めるからお前らはさっさと教室に戻れ。ああ、わかっているだろうが議題はそこにいる四名の生徒の処罰についてだからな』

 そういう理事長に追い出され、俺は寮まで戻ってきた。
 通り過ぎていく生徒たちの腫れ物を触るような態度は今までと変わらないが、ただ一つ、今までとは違い俺の隣にはあいつがいた。

『いやーあいつらのあの顔、最高だったな。思い出しただけで三回は抜けるな』
『……』
『あ? どうしたんだよ、相変わらず湿気た顔して。……ああ、お前は退学になりたかったんだっけ? 残念だったな』

 一人べらべらと喋っては厭味ったらしく笑う岩片凪沙に俺は目を向けた。
 分厚いレンズ越し、その奥の瞳は見えない。だけど、レンズがあってもなくてもこいつの本心は見えないことには変わりないだろう。
 だから、

『……お前、なにを企んでんだよ』

 人気のない通路。
 見計らって足を止めた俺は、隣の岩片を睨むように見下ろした。同様立ち止まった岩片は釣られるように俺を見上げ、そして笑う。

『はは、企むってなんだよ。面白いなーハジメ君は』
『なんで俺を助けたんだ。なにも目的なくただ助けたわけじゃないんだろ』

 あの日、確かに俺はたまたま通りかかった校舎裏で囲まれていた岩片を見付けた。だけど、仲裁になんか入っちゃいない。
 楽しそうに岩片を罵るあいつらが目障りで、耳障りで、気付いたら勝手に体が動いていたのだ。
 あいつらの怪我は、全て俺がした。
 現場の写真を用意している岩片の手元には俺がやつらに手を出している写真も勿論あるはずだ。
 なのに、こいつは俺をさも恩人かのように仕立て上げた。その事実が、ただただ不気味で、気持ち悪くて。

『……結構、お前って自意識過剰なんだな』

 絞り出すように呟く岩片は言うなり笑う。わずかに、奴を取り囲む空気が変わった。

『……は?』
『自分が、俺がお前のためになにかわざわざしでかそうとするほどの価値があると思ってんのか? ……ほんと、可愛いな』

 バカにしてんのか、と顔の筋肉が強張り浮かべていた笑みが引き攣った。
 拳を固く握り締め、やつを睨み付けようとしたとき。伸びてきた手に胸倉を掴まれる。
 そして、背伸びするようにしてやつは俺にぐっと顔を寄せた。

『お前、退学になってもいいっていったな。どうなってもいいって』
『……それがなんだよ』
『なら、俺の親衛隊になれよ』
『は?』

 一瞬、脳味噌が凍り付いた。
 なにを言い出すと思ったら、本当になにを言い出すんだこのモジャ男は。
 親衛隊といえば、あの生徒会のやつらについてるようなファンクラブみたいなあれだろ。なんで俺がこいつのファンクラブに入らなければならないんだ。……意味がわからない。

『あのな……』
『べつに、今すぐ退学になりてえなら構わないぞ。これを出してきたらお前の処分も元のものになるはずだ』

 そういって目の前に突き付けられたのは、先ほど一度も登場しなかった俺の写真だ。
 やはり、こいつは俺がカツアゲグループを殴った写真を持っていた。
 そのことに然程驚かなかったが、嫌な予感は拭えなかった。

『その代わり、退学になったお前の人生を更に滅茶苦茶にして俺がお前ごと買ってやる』

 案の定更に意味のわからないことを言い出した。
 しかも目が笑っていないんだがこいつはあれか、電波な危ないやつか。

『買うとか、意味わかんねえし。なんなんだよ、お前。なんで一々俺に絡むんだよ』
『あんたと一緒に笑いたい』
『はい?』
『それだけじゃダメなのか』

 真面目な顔して、当たり前のように答える岩片凪沙に俺は言葉に詰まる。
 まさか、とは思っていたがコイツまじなタイプの頭可笑しい子なのか。
 初対面に近い赤の他人である俺に対し、よくも恥ずかしげもなくそんなことを言い出すわけだから本当こいつ頭湧いているというかなにをいっているんだ、ほんと意味わかんない。意味わかんないし。つかなんで俺のが恥ずかしくなってんだよ、意味わかんねえ。

『だ……ダメに決まってんだろ、第一、なんで俺なんかと、……は? 頭可笑しいんじゃねえの?』
『俺、頭可笑しいんだよ』
『ほらな……』
『頭可笑しいから、ハジメ君が全部どうでもいいとかいったらすぐにでも俺のものにするかもよ』

 え、と顔を上げた先にはやつの顔がすぐそこにあって。
 真剣な声に、心臓が弾んだ。
 ただの戯言だと、聞き流すこともできたのに。いや、いまのはただの強がりだ。見えない相手の目に睨まれた体は動けなくて、馬鹿みたいに全身の体温が上昇する。
 顔が熱くなって、息が苦しくて……心の底から他人に求められたのは何年ぶりだろうか。中学の時、入っていたバスケ部の大会の前日、俺が他校のやつと問題を起こしたあの日までは毎日感じていた喜びが、今、全身に蘇る。
 目の前にいるのはチームのやつらではないし、必要にされているのだって、どうせろくでもないことだけど、それでも――。

『……』

 自分のことがどうでもよかった。
 チームのためとはいえ、立場も弁えずに頭に血が上って暴力を奮うという短絡的な自分が。
 仲間から見放され、軽蔑され、信用すらしてもらえなくなる自分が。
 いっその事、このまま堕ちるところまで堕ちて消えていけたらいいと思ってた。……だけど、そうだな。

『勿論、楽しませてくれるんだろうな』
『当たり前だ。余計なこと考えられなくなるほどお前を楽しませてやるよ!』

 薄っぺらい言葉。
 こいつになにを期待しているのかわからない。自分が求めていたものが、居場所が、本当にここで合っているのかなんてわからないけど、それでも、どうせ堕ちていくのならば一人だろうが二人だろうがどちらでもいい。

『じゃあ、俺があんたを守ってやる』

 なにからなんてわからない。だけど、そこが居場所というのなら、しがみついてでも離さない。
 そこが変人の隣でも、俺の居場所がある限り、そこを守る。こんなこと言うような柄じゃないのに、岩片の影響というのは予想以上に既に俺の中では大きくて、もしかしたら早速変人が感化してきているのかもしれない。
 それでも『当たり前だろ』と頭を撫でてくる手が気持ちよくて、悪くないとも思えてしまうのだから俺はもう手遅れだろう。

 それから数ヶ月、岩片の変態性癖を知り、散散玩具にもされてきたが岩片の隣にはまだ俺の居場所は顕在している。
 あいつは約束通り俺にまともに休む暇すら与えないほど問題ばかりを持ってきた。
 だけど、それが無理難題であればあるほど磨り減っていた感性は豊かになり、生甲斐というものを感じた。
 多分、俺はあいつが言うようにドMなのかもしれない。この際どうでもいいが。

 岩片に捕まって数ヶ月、未だ心の底から笑ったことはない。



 というわけで、夜。問題はここからだった。
 五条の部屋で監視すると決めた俺はベッドの前で右往左往していた。
 シャワーは浴びた。途中カメラを手にした五条が乱入してくるというハプニングはあったものの、まあ、風呂くらいならということで今まで生きてきた中で一番の早さで体を洗い風呂を飛び出してきたので一応無事だ。いちいち無事か否かを確認しなければならない生活なんて俺は嫌だが、まあ、仕方ない。
 が、やはり、一難去っても二難三難あるわけで。

「……」

 どうしよう。眠たいけど、寝てもいいのだろうか。五条はあの怪しげな部屋で眠ると言っていたが、流石に言われるがまま呑気に寝るのはちょっと気が引ける。というかなんのためにここにいるのかがわからない。
 五条は今、まだ風呂に入っているはずだ。どれくらいで上がるかは分からないが、今、俺は自由ということになる。ごくりと小さく固唾を飲み、俺は五条の大切なものがあるらしい部屋の扉を見た。
 相変わらず過剰すぎるくらいなアナログ式セキリュティシステムは一種の物々しさを感じさせる。
 なんとかして部屋を覗くことは出来ないだろうか。五条の手前、敢えて触れないようにはしていたが五条の弱みだとわかればやはり掴まない他無い。けれど……。
 ドアノブを掴み、何度か上下して動かして見るが鍵が掛かっているようでビクともしない。
 おまけに、この南京錠だ。絡みつく鎖が邪魔で正直思うようにドアノブすら動かない。
 こうなったら、五条がこの部屋に入る時、この鎖を外したときが狙い目だな。
 いや、ちょっと待てよ。もし五条がこの施錠を解いて部屋に入る間は外からのアナログ式セキリュティシステムを施すことが出来ないのではないのか。だとしたら無防備過ぎるのではないか。
 計算ミス、ということはないとは思うけど、この過剰施錠には他に理由があるのだろうか。そう勘ぐってしまわずにはいられない。
 うーん、わけがわからん。もういい。寝よ。
 そう扉から離れたとき、シャワールームの方から扉が開く音が聞こえた。
 ――タイムリミットだ。
 何事もなかったかのようにベッドの上に戻った俺は、平常を装うため肌身離さず持ち歩いていた携帯を取り出した。そしてそのままやり過ごそうとしたとき、ふと、数件の着信とメッセージを受信していることに気付いた。その中に岩片の名前を見付け、俺はメッセージを開く。
『今すぐ戻って来い』
 たった一文。
 あまりにも素っ気無い文面だが、そんなことよりも俺はその内容に眉を寄せた。
 俺に任せとくだとか、散々放任主義決め込んでいたくせになんだよいきなり。まず、それが先に頭に来る。その反面、岩片からの命令に放られているわけではないのだと胸が熱くなるのも事実で。
 岩片からの命令は絶対だけど、今現在俺の主導権を握っているのは五条だ。
『五条はどうするんだ』と簡潔に返信しようとしたとき、扉が開き五条が戻ってきた。咄嗟に、俺は携帯を仕舞う。別に内容を見られるわけでもないのだから隠す必要はなかったのだが、なぜだろうか。内心、俺は思っている以上に戸惑っていたのかもしれない。

「尾張って風呂はいんの早いのな~、あんまいい出汁取れてなかったぞ」

 味噌汁でも作る気かよ、とずれた突っ込みをしつつ、俺は結局送信せず仕舞いのメールのことを思った。
 まあいい、後から返信しよう。その怠慢のせいで、痛い目に遭うとも知らず。




 他人の部屋で迎える目覚めというのは中々新鮮だ。ベッドの上、寝返りを打った俺は薄く目を開いた。

「ん……眩し…………く……ない?」

 通常なら朝日が射し込んでるはずの時間帯なのに薄暗いままの部屋にハッとし、飛び起きる。部屋の窓に目を向ければ、なんと真っ赤に染まった空が映し出されているではないか――どうみても夕方だ。

「やっべー……遅刻……」

 しかももう授業終わってんじゃねえのってレベルの空の染まり具合に血の気が引いていく。
 五条の見張りになって丸一日サボりなんて、岩片に何言われるかわからない。あいつのことだ、どうせ下世話なことを考えてるに違いない。

「おーい五条! なんで起こしてくれなかったんだよ!」

 そう、部屋の持ち主を大声で呼ぶが返事は返ってこない。それどころか人の気配すら感じない部屋の中、まさかと青褪めた俺は慌てて部屋の中を探し回った。しかしあの変態眼鏡はいない。
 その代わり、テーブルの上に五条からの置き手紙を見付けた。

『用事が出来たから出掛けてくる』
「あ、あの野郎……!」

 紙を握る手に力が籠もり、ぐしゃりと音を立て置き手紙が潰れる。
 見張っておけとか言っていたくせに。せめて起こすなりしてくれたらいいのにどういうつもりなんだ、あいつは。
 頭にきたが、自分を落ち着かせる。置き手紙にはまだ続きがあるようだった。
 もしかしたら連絡先が書かれてるのかもしれない。そう思って慌てて握り潰れた置き手紙を広げた。

『P.S.お前の寝顔高く売れたわ。ありがとう。』
「あ、あの野郎……!!!」

 ぐしゃぁと握り潰した置き手紙を壁に投げ付ける。本人がいたら口の中に捻じ込みたいところだ。つーか売れたわって事後報告じゃねえかふざけんな。
 連続でやってくるダメージに挫けそうになるが、昨日、なんでもいいと言ったのは俺か。でも寝顔売られるってなんだよ。そして誰だよ買ったやつは。
 手紙には出掛けてくると書かれているが、このままどっかに行かれた場合手の出しようがないので現時点で逃げられたも同然だ。もし本当にこのまま逃げられたとしたら岩片に何言われるかわからない。
 そこまで考えて、俺は岩片からのメッセージを思い出した。あの妙な警告メッセージ。
 結局返信せずじまいになってしまったし、取り敢えず弁解ついでに返信しておくか。そう、枕元に置いたままになってる携帯を手に取る。
 ――電源が切れてた。

「……」

 仕方ない、一旦部屋に戻るか。
 それにしてもやはり、寝過ぎた。他人の部屋でこんなにも爆睡してる自分に呆れて仕方がない。
 平和ボケというわけではないだろうが、最近岩片のせいであまり寝付きがよくなかったせいもあるのだろうか。やっぱり。
 そんなことを考えながら玄関の鍵を外し、扉を開いたときだ。
 扉の向こう側にでかい人影が。

「おいゴルァ五条! よくもてめえ神楽に余計なこと吹き込みやがったなぁッ!!!」

 凄まじい巻き舌とともに勢い良く扉を蹴り開かれ、「んっ?」と顔を上げればそこには赤茶髪の男がいた 。
 どうやら誰かと勘違いしているらしい政岡零児も俺が五条ではないと気付いたようだ。

「あぁっ! お、お前は……っ!!」

 青褪めた政岡は飛び退く勢いで扉から離れる。
 寝起きのところを怒鳴られ若干テンション下がる俺とは対照的に、硬直したかと思えば今度はじわじわ赤くなる政岡。
 するとその背後、ぴょこりと華奢な影が二つ現れた。

「あれー? なんで尾張元がいるわけー?」
「おっかしーなー、ここって確か変態眼鏡の部屋だよねー?」

 会長補佐である口悪双子(名前忘れた)は揃った動作で小首を傾げる。相変わらずの口の悪さだ。変態眼鏡には概ね同意だが。

「あいつならどっか出掛けてるみたいだけど、何か用か?」
「何の用もないならここにいるわけないでしょ」
「君、脳味噌まで筋肉なわけ? 察しなよ」

 つくづく可愛くねえ双子だな。

「悪かったな、脳味噌筋肉で。あいつの居場所なら俺も知らねーから他当たってくれ」

 しかし、こんな低レベルな煽りくらいなら岩片のセクハラに比べたら全然笑顔で躱せるレベルだ。
 あまりこいつらとは関わらない方がいいだろう。
 可愛い顔して凶器振り回す双子を知っている俺は適当に笑いながら扉を閉めようとする。
 が、しかし、扉の隙間に捩じ込まれた指に無理矢理扉を開かされた。
 ――政岡だ。

「おっ、あ……」
「あ?」
「なんでお前が五条の部屋にいるんだよ……!!」

 え、すげー今更。

「なんでって、別になんもねーけど」
「会長会長、二人は用事がなくてもお互いの部屋を行き来する空気のような関係なんだって!」
「うっわー、不純ー!」
「おい、人聞きの悪い言い方すんなよ」

 不純って、男同士がただ部屋を行き来するだけで不純という反応するほうが不純だろう。その相手が不純の塊であることは否定できないが。

「会長、あの変態豚眼鏡に負けちゃったねー」
「やっぱ世の中顔だけじゃどうにもなんないんだねー」
「そしたら顔だけしか取り柄がない会長がただのゴミクズになっちゃうね!」

「うぐっ!」

 グサグサグサと見えない言葉の矢が政岡に突き刺さる。
 政岡はあまり気を許してはいけない相手だとわかっているが、それでもこう居た堪れないというか基本双子の罵倒はこっちにまでダメージ食らうので聞き流せない。

「おい、そこら辺でやめろって」
「「あいてっ!」」

(メンタルが)弱いものいじめを見てられなくなり、双子の頭を軽く叩いて無理矢理止めれば、二人同時にこちらを睨んできた。

「何するんだよ!ちょっとデカイからっていい気に乗りやがって!足の裏から削って身長1メートルにしてやろうか!」

 こええし物騒すぎるわ。想像して変な汗出てきた。冗談に聞こえねえ。

「聞いてるこっちまで追い込まれるからやめろって。第一、用ってなんだよ?」

 このままでは一向に話は脱線するばかりだ。仕方ないので俺の方から切り出してみれば、双子の片割れが「そうだよ」と声を上げた。

「なんだよもクソもないよね、だってお宅の豚眼鏡が……もごっ!」

 そう、何かを言おうとした双子の口を塞いだのは慌てた政岡零児だった。

「な、なななんでもねえよ! つーかお前には関係ねえし!」
「ま、そうだな。んじゃ、俺も出掛けるから」

 俺に用がないならこれ以上留まる必要はないわけだ。
 下手に絡まれる前にその場を立ち去ろうと踵を返したときだった。

「ちょっ、待てって!」

 いきなり、腕を掴まれる。
 政岡の行動に驚き、反射でその手を振り払いそうになったが、相変わらずその力は強い。仕方なく立ち止まった俺は、「なんだよ」と政岡に向き直った。

「……ぉ……」
「お?」
「お茶でも、飲みに行きませんか……」

 その語尾はようやく聞き取れるくらいの声量で。
 耳まで真っ赤にした政岡の申し出にに、身構えていた俺は呆気にとられる。
 そのまま静止する俺達のすぐ傍、顔を見合わせた双子が「会長やるねえ」と笑う声がやけに響いた。



 どうしてこうなったのだろうか。
 そう何度も自分に問い掛けてみるが、一向に答えは出てこない。

「……」
「……」
「……」

 食堂テラスのとある一席。
 成り行きで政岡と飯食うことになったのはまあいいが、さっきから向かい側に座る政岡はこっちを見ようともせず黙々とコーヒーを飲んでるし双子は別の席に座ってるし。
 沈黙が流れる中、適当に頼んだパンを食っているとどこか落ち着かない様子の政岡がテーブルの上に乗せてあった胡椒を手に取る。
 まさか、と思いきやそのままそれをコーヒーカップにざらざら注ぎ始めたではないか。

「えっ、ちょ、おい、政岡、お前それ胡椒じゃ……」
「はっ?」

 慌てて声を掛ければ、自分が手にしているものに気付いたようだ。
 どうやら本人も不本意だったようで、うっかりどころかドジっ子も真っ青なミスをかます政岡は慌てて胡椒から手を離した。
 そして、

「……なっ、なんだよお前知らねえの? わざとに決まってんだろ何言ってんだよ……! 今はな、こういうのが流行ってんだよ! 遅れてんな、お前!」

 どうやら自分のミスを認めたくないようで、どっからどうみても強がる政岡は慌てて立ち上がろうとする。

「あ、いきなり立ったら……」

 危ないぞ、と声を掛けようとした矢先、テーブルが揺れ、胡椒入りコーヒーカップが転がった。

「あっちィ……!」

 どうやら拍子にコーヒーが掛かったようだ。
 見事なコンボ技に言わんこっちゃないとつい苦笑しそうになりながらも、俺はテーブルに用意されていた布巾を手にとった。

「ったく、何してんだよ」

 おっちょこちょいもここまで極まるといっそ清々しい。
 溢れたコーヒーを拭き取り、政岡を見た。

「大丈夫か? 今掛かったろ」

 右手を抑える政岡にナプキンを差し出したとき、硬直した政岡の顔が一瞬で真っ赤になった。
 その予想していなかった反応に、なにか照れさせることをしたのだろうかとこちらまで動揺したときだ。

「っふ、フハハハハハッ!」

 いきなり高笑いを始める政岡にぎょっとする。
 とうとう壊れたのだろうか。
 赤くなったり笑い始めたりさっきから挙動不審なやつに「政岡?」と恐る恐る呼びかける。

「別にこれくらいどうってことねえ、なんたって俺は政岡零児なんだからな!」

 全く答えになっていないが、本人が元気そうなので深く立ち入らないことにしよう。

「なら良いけど、なるべく早めに冷ましとけよ」
「おう!」

 返事だけはしっかりしてるな。
 そして、一度席を立った俺は汚れた布巾を食堂へ持っていく。
 そのついでに、ドリンクバーでコーラを二つ、トレーに乗せてテラスへ戻った。
 椅子に座って待っていたらしい政岡は俺の姿を見るなりまたそわそわとし始める。
 前はもっと堂々としてて高圧的なやつだと思っていたのだが、酷くよそよそしいというか落ち着きがないというか。
 まさかなにか企んでるのだろうか。気にはなったが、ここまで調子の狂ってる政岡を怖がる必要はないだろう。
 寧ろ、現在の政岡が相手ならばこのまま俺のペースに乗せていくことも容易だろう。
 不意に、ちらりとこちらを見る政岡と目があう。すぐに逸らされた。
 ……それにしてもなんなんだ、この余所余所しさは。あまりにも馴れ馴れしくされるのも気になるが、相手は政岡だ。こうももじもじされるとやはり薄気味悪い。
 そんな政岡に適当に笑い返しながら、俺はテーブルの上にグラスを乗せた。

「ほら」
「あ?」
「さっきのまともに飲んでなかったんだろ。これで良かったか?」

 恩を着せるつもりはないが、飲み物なくなったままでは可哀想だったのでついでにと用意した政岡の分を渡す。
「あ」と少しだけ驚いたように目を丸くした政岡だったが、

「あ、あり……有り難くもらってやる、感謝しろよ!」

 なんでツンデレ風なんだよコーヒーの方がよかっただろうかと少し気になったが、受け取ってくれるやつに少しだけ安堵する。
「はいはい」と笑いながら再び席についた俺はコーラを寄せる。

「政岡って結構抜けてんのな」
「……ぬっ、抜けてねえよ、別に!」

 何気なくからかってみれば、政岡はムキになって否定してくる。
 岩片が政岡で遊ぶのを面白がっていたが、なんとなく分かる気がする。こんなに露骨に反応をもらうと結構楽しかったり。
 それに、政岡には前回多人数の前で恥をかかされているわけだし。いや別に根には持ってないけどな、うん。……だけどもう少しだけ弄ってみるのも楽しそうだ。
 なんて、「そうか?」と込み上げてくる笑いを抑えずに更に突っ込んでみたときだった。

「……お前のせいだよ……っ」

 歯を食い縛った政岡は、唸るようにそう低く吐き捨てた。赤面したやつの言葉の意味がわからず、「は?」と思わずアホみたいな顔になった時。

「お前の顔を見てると、あの時のことを思い出して調子狂うんだよ……ッ!」

 ……あの時?い、いつだ……。
 心当たりが有りすぎて悩んだが、すぐにわかった。
 ――まさか、あの時か。
 まともに政岡と話したあのとき、全裸になって逃げ出すハメになったあの事件を思い出した。同時に、全身を巡る血液がカッと熱くなるのがわかった。

「おっ、お前……食事しながらなんつーこと思い出してんだよ……」
「だって、さっきから喋るたびにぷるぷるしてて、思い出すなっつー方が無理だろ!」
「ぷるぷ……ッ!?」

 俺、そんなに揺らしてたのか?!いや、そんなはずはない。というか何を言い出すんだこいつは。
 恥ずかしそうに頬を赤らめ、目を逸らす政岡に、こっちの方が穴に入りたくなる。

「初めてだったんだよ、俺……」
「は、初めてっ?!」

 いや、そんな遊んでますって感じのくせに、え、まじで童貞?フリなわけ?全部?つーか本当何を言ってるんだ、訳がわからない。
 あまりの恥ずかしさ諸々で頭がこんがらがってきて、なんかもう周りに人がいないだけでもましだが、いや全然よくない。こんな場所で自分の下半身への熱い想いをぶつけられて喜べるような特殊性癖、俺は持ち合わせていない。

「お、おい……政岡……」
「責任、取ってくれるよな」
「責任って、いや、落ち着けよちょっと」
「落ち着けるか! こんなこっ恥ずかしいこと言って、自分でもやべーって思ってるけど、だけど、忘れられないんだ……お前の感触が!」
「ッ?!」

 いきなり、空いた方の手を握り締められる。
 両手で強く握り締められ、頭の中が真っ白になった俺は驚きのあまりグラスを落としそうになったがなんとか寸でのところで持ち堪えた。
 堪えたけれど。

「っ、そういう話なら、勘弁してくれ……」

 あまりの動揺で、「この変態が!」とぶん殴ることも「面白い冗談だなー」と笑い返すことも出来ず、つい、そんな言葉が口から出てしまう。
 政岡から手を離した俺は、赤くなる顔を隠すように慌てて席を立った。
 我ながらかっこ悪いと思ったが、調子狂わされていたのは俺だったようだ。
 コーラと政岡を残したまま、俺は食堂を後にした。


「あっ、おい! 尾張!」
「あーあ、会長嫌われちゃったねー」
「嫌われただと……?」
「どんまーい!」
「どんまーい!」
「……嘘だろ……」







 食堂を後にした俺は、仕方なく本来の目的地である寮の自室へと向かっていた。
 それにしても、何だったんださっきの政岡は。
 嫌がらせにしても、いくらなんでももう少し場所を選んでくれれば……いや別に場所を選んだら喜ぶというわけではないけれど。
 だけど、それにしたって、と思い出してしまえば顔がじわじわと熱くなってくる。
 やっぱり、生徒会会長やってるだけはある。ろくなやつじゃねぇ。
 一人歩いていると、不意に、通路突き当りから一つの影が飛び出してきた。
 ぶつかりそうになり、咄嗟に立ち止まったとき、同様相手は「わっ」と慌てて立ち止まる。

「あっ、すみませ……って、あれ? 尾張君?」
「……えーと……」
「岡部です!」

 すっかり忘れていた。
「ああ、そうそう」と笑って誤魔化す俺。
 それにしても、岡部の部屋はこっちではなかったはずだが。
 どこか様子のおかしい岡部が気になって「どうしたんだ?」と尋ねてみれば、岡部は僅かに表情を曇らせた。

「いえ、あの岩片君見かけませんでしたか?」
「俺も今日はまだ会ってないけど……」
「……そうですか」
「んで、あいつがどうしたんだ?」

 まさかまた悪さでもしでかしたのか。
 珍しく歯切れの悪い岡部が気になって、更に突っ込んでみれば岡部は迷ったように視線を泳がせる。
 そして。

「いえ、今日ゲーム貸す約束してたんですが朝から教室にもいなかったんで、尾張君も休みだからもしかしてって部屋を訪ねたんですけど……」

 その言葉に背筋が薄ら寒くなる。
 一言で纏めるならば、嫌な予感。

「部屋にもいないのか?」
「……はい」

 その時、なぜか俺の頭の中には昨夜岩片から届いていたメールが浮かび上がった。
『今すぐ戻ってこい』
 もしかして、とか色々な可能性について考えるよりも先に、体が動いていた。

「あっ、尾張君!」

 自室に向かって駆け出す。後から岡部がついてくる。
 部屋に辿り着くまでの短い時間の中、俺はこの嫌な予感が的中しないことをただ祈っていた。



 学生寮、自室前。
 カードキーを使い、扉を解錠したまではよかった。
 開きっぱなしになった扉の前、部屋のその酷い有り様に俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
 ひっくり返った机に床の上に散乱する食べ残し諸々
 元々どちらもずぼらなので部屋自体綺麗な方ではなかったが、それでもこの散らかり方は可笑しい。
 開いた窓から吹き込む風が酷く冷たくて。
 つーかなんで開きっぱなしになってんだよ。
 不穏なものを感じ取りざわざわと騒ぎ始める心臓を必死に落ち着かせ、俺はその部屋の中へ入った。
 荒れた部屋の中、岩片の姿はなかった。
 俺のスペースまでやって来れば、目的である充電器はすぐに見付かった。
 携帯端末を充電しているその間、追い付いた岡部とともに部屋を調べることにした。

「あの、尾張君、これ」

 セミか何かのように綺麗に脱いだまま散らかった岩片の服を馬鹿丁寧に一枚一枚拾っては洗濯カゴにぶち込んでいると、岡部が何かを見つけたようだ。
 名前を呼ばれ、岡部の手元を覗き込めばそこには封筒が握られていて。

「これってなんなんですかね、そこの棚の上に置かれていたんですけど」
「日木し…じ、じょう…?」
「あの、多分果たし状なんじゃないですか?」
「果たし状っ? ……字下手過ぎだろ……」

 筆で書かれたその果たし状を受け取った俺は早速その封筒を破って開ける。
 その中には一枚、白い紙には封筒の文字同様字を覚えたての小学生のような字が踊っていた。

「えっと……『もじゃもじゃをあずかった。もじゃもじゃを返して欲しければ4かいラウンジのVIPルームまで来るように。注い、一人で』……なんだこりゃ」
「多分あの、脅迫文じゃないんですか?」

「すげー頭の悪そうな脅迫文だな……」

 というか早速もうこの果たし状書いたやつがわかってしまったんだけれども。
 ああ、嫌な予感しかしないと思えば案の定。会長の次はあいつか。というかこの日本語力は男子高校生として大丈夫なのだろうか。そっちの方が心配になってきた。

「尾張君、どうするんですか?」

 果たし状を手にしたまま押し黙る俺から何か感じたのだろう。
 不安そうにこちらを見上げてくる岡部。

「どうするもなにも、行くしかねえだろ」
「一人でですか?」
「まあ、そう書いてあるしな」
「でも……」
「大丈夫だって、心配しなくていいから」

 どちらにせよ、この果たし状の送り主が岩片のことを嫌っているのは知っている。
 そんなやつに岩片が連れて行かれたというならば、逸早く助けるしかない。でなければこの送り主が危ない。私怨に走った岩片はそこら辺の飢えた野良犬より凶暴だ。
 被害が拡大するために止めなければ。
 一人決意を固める俺はその決意が和らいでしまう前に、と足を踏み出す。その時だ。

「尾張君、あの、待って下さい!」
「ん?」
「これを……なにかあったときの為に」

 そう言いながら、たどたどしい動きで制服から何かを取り出した岡部。
 それは手のひらサイズの筒状のスプレーのようで。

「あの、これ、俺が作った唐辛子スプレーです。相手の顔を吹き掛けると目を潰すことが出来るのでぜひ使って下さい!」

 こえーよ。こんなもの作ってるお前がこえーよ。

「あ、ありがとな。……御守にする」

 願わくばこのスプレーを使用せずに済むように。
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