馬鹿ばっか

田原摩耶

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酔狂ゲーム

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 翌日。既に制服に着替え終えている岩片に起こされ目を覚ました俺は、寝惚け眼のまま支度をする。

 登校初日。
 食堂で朝食を済ませた俺たちは、そのまま校舎へ移動した。相変わらず閑散とした校舎内にて。岩片とともに職員室へやってきた俺は、教室の場所を聞くために新しいクラスの担任になるらしい教師を探すことにした。
 が、案外早く見つかる。

「おー転校生か」

 職員室の奥。扉から顔を出す俺に気が付いたその男は、持っていた煙草を灰皿で潰しながら椅子から立ち上がった。
 だらしなく着崩したスーツに、どこぞのホストのような染めた髪。入る場所を間違えたのだろうかと心配になるほどの場違いなその男は、「こっち来い」と軽く顎でしゃくった。なんだか物凄く行きたくない。

「はぁーい!」

 そんな俺を他所に、きゃぴきゃぴとはしゃぐ岩片はそのまま職員室に入った。こいつさっきまで「職員室とかまじだるい」とか「お前一人で挨拶しろよ俺待ってるから」とか言ってたくせにイケメン見つけた途端これか。相変わらず節操がない岩片に頭痛を覚えながら、俺は後を追うように職員室に入る。

 校舎内、職員室。
 煙草の煙が充満したそこに居心地の悪さを覚えながら、俺は岩片が待つホスト教師の元へ向かう。

「岩片と尾張だな。俺はお前らの担任になる宮藤雅己だ」
「へぇーマサミちゃん! よろしくな!」
「ああ、よろしく。せめて雅己先生な」
「よろしく雅己ちゃん」

「お前もか」悪ノリする俺たちに笑みを引きつらせるホスト教師、宮藤雅己はすぐに頬を綻ばせ「まあ、よろしくな」と笑った。
 派手な容姿とは裏腹に意外とフレンドリーな教師のようだ。少し安心する。

「じゃあ、早速だけど教室に行くか。教材なんかはまだ用意できてないからクラスのやつらに適当に貸してもらえよ」

 まあ、いきなりの転校だったしな。そうなるわな。
 宮藤の問い掛けに対し「りょーかい!」と元気よく答える岩片は早速宮藤になついているようだ。
 見境ねえななんて思いながら、俺たちは宮藤とともに職員室を出る。

「そう言えばさっきから生徒見かけないんだけど、もしかしてなんかイベントでもやってんの?」

 教室へ向かう途中の廊下にて。
 岩片にまとわり付かれ、それを引き摺りながら歩く宮藤に先程から気になっていたことを尋ねれば、宮藤は「ん?」とこちらに目を向ける。

「ああ、この時間はいつもこうなんだよ。真面目組はとっくに教室入りしてるだろうしな」
「へー、じゃあ俺らちょーまじめじゃん」
「そうだな、お前らは遅刻寝坊無断欠勤早退しないようないい子のままで居てくれよ」

 そう笑いながら言う宮藤に、岩片は「マサミちゃんに頼まれたら断れるわけねーじゃん、俺頑張っちゃう」とぶりぶりしながら宮藤に抱き着く。
 あからさまな岩片のスキンシップに対し、宮藤は「おー頑張れ頑張れ」と他人事のように笑った。どうやら同性からのスキンシップに慣れているようだ。顔色一つ変わらない宮藤に尊敬しつつ、岩片が調子に乗り出す前に俺は宮藤から岩片を引き剥がす。
 歩きながら宮藤から学校のことについて簡易な説明を受けること暫く。宮藤は一つの教室の前に止まった。
『2ーA』
 扉の上のプレートにはそう記入されている。
 先程、宮藤からクラス分けについて家柄や能力やらで分けられていると説明を受けたがよく聞いてなかったので忘れた。
 どうやら二番目にいいらしく、もう一つ上に『Sクラス』と言うのがあるらしい。
 岩片は最初Sクラスに振り分け予定だったらしいが、駄々を捏ねAクラスに落としてもらったようだ。
 俺としては是非Sクラスに行ってもらいたいところだったが、こうなったらしょうがない。

「呼んだら入ってこいよ」

 そう言い残し、宮藤は教室の扉を開く。そして「うおっ」と小さく声を上げた。

「なんでお前ら朝から全員揃ってんだよ。いつも昼まで来ねーくせに」

 こえーよ、と言いながら宮藤は教室に入っていく。
 Aクラス前。教室では宮藤がなにやら話していた。廊下に残された俺は、アクビをしながら教室の扉に目を向ける。

「マサミちゃん、イケメンだよな」
「お前本当そればっかだな」
「なんだよ、妬いてんの? かわいいなあハジメは」

 そうにやにやと口許を弛ませる岩片に、どっからそんな発想が出てきたんだと呆れる俺。

「お前が男にちょっかいかける度に妬いてたら身ぃ持たねーっての」
「それもそうだな」
「二人とも入ってこい」

 不意に、教室の方から宮藤の声が聞こえてくる。
 岩片に目を向ければ、既に岩片は教室の中へ入っていた。どんだけ張り切ってるんだ、あいつは。
 緊張感を微塵も感じさせない岩片に、なんだかこっちが緊張しそうになりながらも俺は教室に入る。
 途端、全身に突き刺さる教室中の視線と小さなざわめき。
 視線自体慣れているのであまり気にならなかったが、問題は岩片だ。見た目だけでもあれなこいつがいつ何仕出かすかがただ心配で、俺はなんだか気が気でなかった。


 ――教卓の前。

「今日からこのクラスの一員になる岩片と尾張だ。お前ら、仲良くしろよ」

 俺の側に立つ宮藤は、そう教室全体に声をかける。そして「ほら」と視線を向けてくる宮藤。どうやら自己紹介をしろと言っているようだ。あまり気は進まなかったが、俺は渋々頷き返す。

「尾張元って言います。どーぞよろしく」

 俺的最高の笑みを浮かべながら言えば、前列のやけに中性的な童顔の男子生徒が顔を赤くするのがわかった。別に男に頬染められるのも珍しいことではないのでいちいち気にしない。

「同じく××学園から転校してきた岩片凪沙。よろしくな!」

 そして、隣の岩片は相変わらずのテンションのまま続ける。先程とはまた違ったざわめきが教室に起きた。
「ヲタク?」「コスプレ?」「濃っ」そう各々好き勝手口にするクラスメート。まあ無理もない。俺だってこいつを初めて見たときはビビったし。
 岩片がそんな人の反応を見て楽しんでいるとわかっている今、なんとも言えないわけだけど。

「じゃあ、二人は奥の空いてる席に座れ。側のやつは教科書を見せてやるように」

 そう宮藤に促され、俺は教室の奥に目を向ける。
 そこには確かに二つ空いた席が並んでいた。岩片に目配せをした俺は、先に席へと向かう。
 途中「元くーん」と茶化すように声をかけられ、笑いながら軽く手を振り返したり色々ありながらも席がある場所へと辿りつく。
 左隣には岩片、右隣にはお洒落眼鏡をかけた生徒が座っていた。
「よろしくな」なにやら携帯電話を弄っていたその眼鏡の男子生徒に声をかければその男子生徒は少し目を丸くし、咄嗟に「ああ、よろしく」と人懐っこそうな笑みを浮かべる。よかった、まともそうだ。
 昨日知り合ったメンツがメンツだっただけに、比較的一般的なその男子生徒に内心安心する。
 隣の席のやつと軽く会話を交わし、HRが再開される。
 岩片と言えばちゃんと大人しく宮藤の言葉を……聞いてなかった。普通に隣のやつにちょっかいかけてた。
 どうやら隣の席の生徒は携帯ゲーム機を持参していたらしく岩片は「なあなあなにやってんのお前、ゲーム? ちょっと貸せよ。俺転校生だからそーいうの憧れてたんだよな」と笑顔でカツアゲをしている。転校生も糞もないだろ。岩片の隣のやつがあまりにもいたたまれなかったので、俺は止める代わりに岩片の机を軽く爪先で蹴る。ちらりとこちらを一瞥した岩片は、「なあなあ!」と再び隣のやつに絡み始めた。無視だと、こいつ。

「尾張、だっけ。名前」

 不意に、俺の隣の席のお洒落眼鏡がそう尋ねてくる。一瞬なんのことやらと思ったが、どうやら名前を聞かれているようだ。

「ああ、そうだけど」
「もしかしてさ、尾張って王道く……」
「王道く?」
「やべ、間違えた、今の無しな! ……その、岩片君と仲良かったりすんの?」
「仲良いっつーか、まあ腐れ縁みたいな」
「腐れ縁、へえ~腐れ縁ね、なるほど。腐れ縁かあ、いいよな、腐れ縁~! まじで甘酸っぱいよな!」

 甘酸っぱい? 甘酸っぱいってなんだ。
 俺の言葉を聞いてやけにテンションが高くなるお洒落眼鏡。岩片とはまた違うハイテンションぶりに内心戸惑いつつ、「そこまでねーよ」と小さく笑う。

「いや、あるって。腐れ縁ほど強い絆はないから。もしかして幼馴染みだったりすんの? 家が近所で昔から家族ぐるみの付き合いとかさ、あんじゃんよく」
「き……絆? んや、たまたま知り合って余裕で一年も経ってねーってくらいの赤の他人。そんな大袈裟なものじゃないから」

 饒舌なお洒落眼鏡に気圧されながら、負けじと俺は厄介な勘違いをされないよう先に釘を刺すことにした。
 すると、俺の言葉にお洒落眼鏡のテンションがやや下がる。すごく分かりやすい。

「つか、なに? 尋問?」
「あ、そうだまだ名前言ってなかったっけ。俺、五条祭って言うんだけど、新聞部と写真部掛け持ちしてんの。んで、今のはちょっとしたインタビュー?」

 そう笑うお喋りな眼鏡もとい五条祭は、「後で写真撮らせてよ」と付け足す。なるほど、通りで先程からやたらしつこいと思ったら。
 せめて最初から名乗ってくれたら少しは気の利いた返答をするのに、と思ったがこれが五条なりの遣り方なのかもしれない。まあ別に不味いことは言ってないのでどっちでもいいのだけれど。

「写真くらいなら別に構わねーけど、金貰うからな」
「いくら?」
「一枚三万」
「流石元お坊ちゃん学園生徒……! 俺の財布に厳しい……!」
「冗談に決まってんだろ。俺写り悪いからしっかりしてくれよ」
「大丈夫大丈夫、写真部のゴーストと呼ばれた俺に任せろよ」

 ゴーストって幽霊部員って意味じゃないのか大丈夫なのかそれは。
 満面の笑みで返してくる五条。ジョークなのかただの馬鹿なのかわからなくなってくる。

「んじゃ、後で好きなだけ撮れよ。フィルムの無駄になってもしらねーから」
「いやいや、尾張写ってるだけでいいんだって。がっぽり稼げるし」
「え?」
「え?」
「いや、今がっぽり……なに?」
「あ、HR終わった。次移動教室だっけ? 場所わかるか?」
「いやいやがっぽりなに?」
「わかんねーなら一緒行こうぜ。なんなら教科書貸すし、昨日ジュース溢したから少し匂うけど」

 溢すなよ。じゃなくて、なんで無視するんだこいつ。
 あからさまに自分の失言をなかったことにしようとする五条は、椅子から立ち上がりながらそうしらを切る。どうやらHRが終わったのは本当のようだ。五条とくっちゃべっていた間に教卓前の宮藤の姿はなくなり、何人かが机の周りを囲んできた。

「元くんってさー彼女いんの?」
「教室一緒行こうよ」
「後で校舎案内するし」
「知り合いに可愛い子とかいないの? 紹介してよ紹介」

 などなど、俺と五条の間に割り込むよう話しかけてくるクラスメート数人。
 最後のやつに至ってはこっちが紹介してもらいたいぐらいだ。

「お前らこっちが話してるときに割り込んでくんじゃねーよ。今お取り込み中!」

 そう五条はきゃんきゃん吠える。
 先程まで話逸らそうとしてたくせになんて思いつつ、こういった転校生イベントは寧ろ嬉しいので俺はなにも言わない。

「んだよお前イケメンに食い付きすぎなんだよ」
「自分のクラス戻れよ」
「このハイエナ野郎」

 そうぷりぷりと怒り出すクラスメイトたちの言葉に、俺は「えっ」と目を丸くした。今自分のクラスっつったよな。

「くそっネタばらし早えーんだよ、空気読めよモブ共が」

 驚いた俺はそのまま五条に目を向ける。そうイラついたように舌打ちをする五条は、ぼりぼりと頭を掻く。

「っつーことで、三年E組五条祭。新聞部部長やってます! よろしくね、爽やか君」

 初めて教室で仲良くなった好青年は、全く関係ない一個上の先輩でした。

「三年って、え? なんでここいんの?」
「もちろん噂のイケメン転校生を見にきたに決まってんじゃん」

 自覚してるがそこまでハッキリ言われるとやっぱり照れるな。
「っていうのは冗談だけど」冗談かよ畜生。

「さっき言ったじゃん、写真写真」
「ああ、あれね。じゃあさっさと撮って早く教室戻ったら? 怒られるだろ」
「大丈夫大丈夫! いつものことだから!」

 全くもって大丈夫じゃない。あまりのルーズさに呆れる俺を他所に、五条は「んじゃ、外野邪魔だし場所移動しよっか」といいながら立ち上がる。

「は? 移動ってなに」
「写真だって、写真」
「そんだけでわざわざ移動すんの? そんなに本格的な感じなわけ?」
「や、尾張が移動したがるだろうなーって思ったんだけど、めんどい? そんならここでもいいけど」

 そう言いながら五条は制服からカメラを取り出す。おおっなんか写真部っぽい。
 笑いながらそれを顔の前に翳す五条は「じゃ、リクエストとかしちゃってもいいかなあ」と尋ねてくる。

「リクエスト? 俺に?」
「うん、恥ずかしい?」
「結構……。つかなに、リクエストって」
「ううん、まあ取り敢えず服脱いで」
「ああ、服。なるほど。全部?」
「あ、いや着たままで。ちょっとこっちに背中向けたまま机の上に腕乗せて、そうそう、そんでケツを突き出す感じでこっち見てよ。あ、下は膝上まで脱がす感じで「いやちょっと待ってなにこれなんの撮影?」

 岩片のセクハラのせいで色々感覚が鈍っていた俺はつい五条の口車に乗せられそうになり、クラスメイトたちの目の前でベルトに手を掛けたところで踏み止まる。
 よくやった理性。

「いやだから写真だって」
「いやいやいや、なんの写真だよ。しかも注文が多いんだよ」
「だってリクエストだから仕方ないじゃん! 我が儘言うなよ被写体のくせに」
「誰だよリクエストしたの」

 そう問い質せば、五条ははわわと慌てて口許を手で塞ぐ。すごく萌えなかった。

「なあ、誰が写真部にそんなリクエストしたんだよ」
「そんなイケメンスマイルで迫っても言わないからな! なんたってうちの部は匿名主義だからな! 言わないからな!」

 なーにが匿名主義だ、面倒だから言わないだけだろ。そうわざとらしく語気を強める五条に、俺はカメラを持つその手を掴み「なあ」と指先に力を込める。

「……の、能義様ですぅ」

 素晴らしいくらいの弱さだった。

「能義? 能義って生徒会の?」

 予想だにしてなかったまさかの名前に俺は素で驚いた。まさかここで副会長の名前を聞くハメになるとは。
 こくこくと弱々しく頷く匿名主義者は、「能義有人だよ。二年E組生徒会副会長で去年会長との喧嘩が原因で留年した能義様だよ。校内でNo.1を争う実力を持っていると噂だけど喧嘩している姿は一度も見られたことない有人様だよ。因みに趣味は後輩嬲りだよ」とベラベラ個人情報を口にする。聞いてもないことまで口にする五条に、情報を持っていることが確かなことと五条の意思が豆腐より柔らかいことだけ理解できた。

「なんで能義が……っていうか、そんなリクエストまで受けてんのかよ写真部は」
「いや、受けたのは俺個人。うちの部はまじ健全だよ! ちゃんとモザイク入れるし」

 ちゃんと修正はするんだな。そりゃ確かに健全だわってバカか。

「じゃあ断ってこいよ。そんなやらしいやつならお断りだから。清純派で売ってくつもりだから俺」
「ええ、ダメダメダメ! 尾張に拒否権とかないから!」

 さらりと渾身のボケを流されつつ、五条はないないと首を横に振る。あまりの拒否っぷりにこっちがビビった。そして顔が腹立つ。……取り敢えず話を聞いてみた方がいいかもしれない。そう判断した俺は、「なんでだよ」と五条に聞き返す。

「なんでって、そりゃあ……」
「私に弱味を握られている、からでしょうかね」

 不意に、聞き覚えのある艶かしい声が背後から五条の台詞を遮るように聞こえてきた。出た、また背後だ。咄嗟に身構えた俺は、慌てて後ろを振り返る。

「どうですか? 新しいお友だちはできましたか、元さん」

 いつの間にか俺の背後に立っていた能義は、そう笑いながら尋ねてきた。
「能義」「ふ、副会長ぉ」不意に俺の声と五条の情けない声が重なる。
 相変わらず神出鬼没な能義に、俺はじんわりと背中が寒くなるのを感じた。

「全く……あれほど私の名前は出さないようにとお願いしたのになんたる様ですか、五条部長。なんのために私が本人に無断で作ったエロ本やコラ写真での小遣い稼ぎに目を瞑ってやったと思ってるんですか? せっかく元さんの写真を書記に仕込んで元さんの前でポロリしてそのまま好感度がた落ちさせようと思ったのに貴方のせいでパアじゃありませんかこの穀潰し」
「違いますよぉ副会長、あれはエロ本ではなく同人誌という歴としたあいたたたたた!」

 写真ポロリどころか色々ポロリしてる能義は全く反省の色を感じさせない五条の頬をつねり、「そんなことはどちらでもいいんですよ」と吐き捨てる。
 というか五条もなにやってんだよこいつさっさと捕まればいいのに。悪い意味で口が達者な二人になんだかもう俺は転校したくなってくる。そして能義はどっから湧いてきたんだ。

「……と言うことです、元さん。もちろん協力してくれますね?」
「いやなにがどういうことなのかさっぱり」

 というか今までの会話を聞かされて俺が協力すると思っているのか。それ以前に俺にネタばらししたら好感度も糞もなくなるだろう。
 ……いやそこじゃない。第一なんで能義の彩乃に対する嫌がらせのために俺が脱ぐと思うんだ。どっからその自信が湧いてくるんだ。というか開き直るな。

「まあ、貴方はちょっと服脱いでカメラの前でポーズ決めていただくだけで良いですので」
「そのちょっとが難易度高くないか」
「おや、そうですか? 神楽と零児ならば脱いでましたけどね」

 いやあの二人はまた違うあれだろ。というか能義は二人になにをやらせてるんだ。

「悪いけど、俺次の授業あるからそろそろ行くわ。あんたらもさっさと自分の教室戻れよ」

 このままいても仕方ない。そう悟った俺は逃げるように教室を後にしようとする。そのときだった。

「部長!」

 そう声を上げる能義。
 瞬間「そうはさせるかーっ!」とどっかの雑魚キャラのような台詞を口にする五条に羽交い締めにされる。

「うわっ!」

 いきなり脇の下に潜り込んでくる五条の手に両腕を持ち上げられた。

「あまり手荒な真似はしたくないのですが、致し方ありません。元さんにはなんとしても協力していただきます」
「は? ここで?」
「ええ、なにか問題でも?」
「なにって、周り……」

 ちらほらと教室に残ったクラスメートに目を向ければ、能義はにこりと柔らかく微笑んだ。

「大丈夫ですよ、すぐに野次馬はいなくなりますので。ねえ」

 そう続ける能義に、残っていたクラスメートたちはそそくさと教室を後にする。どんだけ空気読めるんだ。そういうのはもっと別のところに活かしてくれ。

「俺的には野次馬に見られながらの撮影会のが好きなんだけどなー。『ああ……皆がいやらしい目で俺を見てる……ビクンビクン』みたいなさあ、全身視線で犯されてなにもされてないのにムラムラしちゃうみたいな」

 俺の真似かそれ。さてはお前岩片側の人間か。

「……流石、童貞が考えることはなかなか気持ち悪いですね。私は大衆に囲まれるより個人の撮影会の方が萌えますね。プライベートハメ撮りなんて最高じゃないですか。アサガオの成長記録みたいな感じで撮るのもなかなか風情があると思いません?」

 俺からしてみれば二人とも気持ち悪いことには違いないな。
「童貞舐めんなちくしょお!」と声を荒げる五条。どうやら童貞なのは間違っていないようだ。
 というか二人の会話を聞いてる限りただの撮影会に聞こえないのだがこれはあれか、もしかして俺の貞操がまた危機に晒されていたりするのか。

「部長、カメラをこちらに渡してください。そのままじゃ撮れないでしょう」

 なんとか五条の腕を振り払おうとする俺を他所に、言いながら正面に立つ能義は五条の手の中からカメラを取り上げる。
 能義にカメラを渡す五条は「新品なんだから壊すなよ」と念を押した。

「大丈夫です。こう見えて機械には弱いのですが精一杯頑張らせていただきます」

 全然大丈夫じゃなかった。

「つかさ、待てって。写真云々はわかったけど、なんで腕」
「や、だって尾張逃げるじゃん」
「逃げるとかじゃなくて、この後授業があるんだってば」
「おや、元さん。授業はサボるためにあるという言葉を知りませんか?」

 知らねーよ、絶対今適当に言っただろ。
「さっすが副会長! わかってるー!」と同調してくる馬鹿眼鏡もとい五条。会長と会計があれならと思ったらやはり副会長も相当な馬鹿のようだ。怒りを通り越して呆れてくる。

「転校初日からサボりとか有り得ねえって」
「おや、真面目ですねぇ。安心してください、写真を撮ったらすぐ解放してあげますので」
「……なら早く撮れよ」
「では、お言葉に甘えて」

 このまま渋っても埒が空かない。五条に捕まえられた今、能義のリクエストに答えるしか逃げる手が見つからなかった俺は能義を促すことにした。
「失礼します」薄く笑みながら呟く能義は、そう言って俺の制服に手を伸ばす。既にいくつか外したワイシャツのボタンを片手で器用に外していく能義に驚いた俺は「ちょっとタンマ」と声をあげた。

「いかがなされましたか?」
「いや、なんで脱がしてんの」
「部長から聞いてませんか? 私からのリクエスト」

 リクエストって、確かさっき五条が注文をつけてきたやつか。言いながらも手を止めない能義に冷や汗を滲ませれば、背後の五条は「事後を再現した写真」と俺の耳元で続ける。

「……あ? 事後?」
「ええ情事後のような写真を撮るよう部長に頼んでたんですよ。いえ、勿論フリですよ。フリ。そんなに体を硬くしないでください」
「いや、なんでそんな写真……」

 ボタンを外され、全開になったワイシャツから手を離した能義は呆然とする俺を見てにこりと微笑んだ。

「そうですねぇ。……敢えて言うなら個人利用ですかね」

 絶対嘘だ。そうしらばっくれるように呟く能義は俺の下腹部へと手を下ろし、そのままベルトのバックルを掴む。
 不意に昨日の神楽の言葉を思い出した。やはりまた今回も生徒会のゲームが絡んでいるのだろう。
 ルールがよくわからない現在適当なことは言えなかったが、どうせろくなことじゃないはずだ。
 ガチャガチャと留め金を外す能義に軽く身を捩らせるが、やはり背後からガッツリ捕まえられているお陰で身動きすら儘ならない。

「ほら、貴方はなにもしなくていいんですから力を抜いてください。顔が怖いですよ」

 睨む俺に、能義は笑いながらベルトを弛める。そのまま足元までずり落ちるスラックスに目を向けた。
 下が下着一枚だけになり、なんだこれ新手のいじめかとなんか情けなさで居たたまれなくなってくるがどうしようもない。

「やるんなら早く撮ってくんね? 結構寒いんだけど」
「ああ、そうですね。ちょっと待っててください」

 肌寒い下半身に、俺がそう訴えかければ能義は手に持ったカメラに目を向けた。
 慣れない手つきでそれを弄り始める能義に大丈夫かこいつと心配しながらも俺は能義を生暖かい目で見守ることにする。
 そのときだった。後ろから羽交い締めていた五条の手が弛くなったと思った瞬間、いきなりワイシャツを開くように胸元を鷲掴みされる。


「ちょっ、えっ、なに」
「え?」
「いや、『え?』じゃなくてさ、お前どこ触って」
「どこって尾張のおっぱいに決まってんじゃん。雄っぱいって言った方がいい?」
「いや、意味が……ぁ、ちょ、まじやめ……ッ」

 円を描くよう外側から内側へと胸板を揉み扱かれ、慌てて俺は五条から逃げようとするが胸元をしっかりと抱く手が邪魔で上手く逃げられない。伸びてきた五条の指先が乳首に触れ、胸を揉まれながら指の腹でくにくにと柔らかく潰される。

「おや、五条部長なにやってるんですか。私に面倒なことをやらせておいて随分と楽しそうですね」
「なにって副会長が自分からやるっつったじゃん。人聞き悪いなあ」

 人の乳首弄りながらよく人聞きのことを言えるな。
「ふむ、確かにそうですね」と納得させられている能義にこいつは馬鹿なのかと呆れつつ、俺は胸を弄る五条の手を掴む。

「まじ、なんなわけ、これ。さっきフリっつったじゃん」
「いや、だって目の前で胸ばーんなイケメンいたらやっぱ揉むしかねーじゃん? せっかくだし転校祝いに乳首開発してあげるよ」
「まじ、意味わかんねえから……ッ」

 慌てて五条の手を離そうとするが、両胸の突起を指で揉まれ指先から力が抜けていった。性感帯ではない場所をいじられ、全身にもどかしい感覚が込み上げてくる。
 背筋が薄ら寒くなるようなことを耳元で囁かれ、なんかもう生きた心地がしない。

「おい、離せって。今なら許すからっ」
「まじ? 許してくれんの? んじゃ、揉みたい放題じゃん」

 離したらって言ってんだろうが。
 見事に都合のいい部分しか聞いてない五条に腸が煮え繰り返りそうになりながら、俺は「違う」と顔をしかめる。

「可愛いなあ、やだやだ言っちゃって。こうやって乳首ぐりぐりしてるとその内おっぱいじんじん熱くなって気持ちよくなってくるよ。一緒に試して見よっか。ほーらぐりぐりーぐりぐりー」
「ッや……っちょまじ、キモいから……っは、やめろ、指やめろッ」

 五条の荒い息が耳に吹き掛かり、まるで小馬鹿にでもしているような言葉に耐えきれなくなった俺は顔をしかめながらそう振り払おうとする。どうやら咄嗟に俺の口から出た言葉がショックだったようだ。
「き、キモ……?!」と絶句する五条の動きが一瞬止まり、その隙を見て五条の腕から離れようとするが「もっと罵って!」とか言いながら背後から抱き締めてくる五条に再び捕らえられる。

「……ッぁ、や、ちょ……っ」

 背後から抱きすくめられ、肩に顎を乗せてくる五条から逃げようとするがかなりしつこい。
 ゴキブリ並みだ。もう今度から五条のことゴキ条って呼ぼう。

「あはっ、見て見てー尾張。ほら、わかる? 尾張のかわいー乳首もうこんなに固くなっちゃった」

 突起から手を離し、それに触れず周りの乳輪をなぞるように指先で擦る五条はそう下品に笑う。
 つられて視線を下ろした俺は、ぷっくりと尖った自分のそれになんだかもう恥ずかしさやら通り越していたたまれなくなってきた。
 寒いからに決まってんだろ。まじこいつぶん殴りたい。
 馬鹿にするように耳元で囁かれ、羞恥やら怒りやらで顔に熱が集まるのが分かった。
 五条の腕を掴み離そうとしたとき、乳輪をなぞっていた五条の指先に思い切り乳首をつねられ、胸部に走る痛みに俺は小さく唸る。

「っ、ふ、ぅ……んんッ」

 いきなり訪れた痛みによりじんじんと痺れる両胸の突起を指の腹でやわやわと潰すように捏ねる五条は「ごめんな、痛くしちゃって」と笑う。血液が集まるそこは先程の痛みで過敏になったらしく、ねちっこく執拗に突起を重点的に弄ってくる五条の指に押し潰され、体の芯がぼうっと熱くなってきた。
 やばい。やばい。早くなんとかしないと。
 先走る思考、それとは裏腹に段々五条の手が心地好く感じている自分がいた。

「では、元さんと言葉責めのチョイスがキモい部長こちらを向いて下さい。シャッター切りますよー」

 ふと、カメラを準備し終えた能義は言いながらそんなことを口にする。
「またキモいって言った!」と唇を尖らせる五条を他所に、まさかこのタイミングでカメラを持ってきた能義に俺は目を見張った。

「なんで、カメラ……」
「もう少ししてからの方がいいですか?」
「なにいって……っぁ、や、くそくが違……んんッ……」
「どうせだったらさーハメ撮りアへ顔ダブルピースじゃね」
「貴方は思考がベタ過ぎるんですよ。エロアニメの見すぎです」
「図星だからなにも言い返せない」
「でもまあ、ハメ撮りですか。なかなか良い案ですね。それなら元さんが私に股……いいえ、心を開いたと分からせるには手っ取り早いですし是非採用させていただきましょうか」

 次から次へと出てくる耳を塞ぎたくなるような単語の数々になんだかもう生きた心地がしない。
 五条の執拗な乳首への愛撫で逆上せかけていた俺の思考は、能義の言葉で急激に冷静を取り戻す。

「は、ハメ撮り……?」
「おや、お坊っちゃまな尾張さんには馴染みないですか? 貴方のお尻の穴に私のをハメハメしている様子をカメラに収めるんですよ。楽しそうでしょう」
「副会長の言葉責めも大概キモいっすね!」
「おや、心外ですね。分かりやすく説明してさしあげただけというのに」

 俺の背後にいる五条に手を伸ばし、そのまま耳朶についたピアスを引っ張りながら能義はそう微笑む。
 すぐ耳元で「ギャアアア」と悲痛な悲鳴が聞こえ、不意に体を抱き竦める五条の腕が離れた。
 確かに写真は撮ってもいいと言ったが、そんな決定的なものを記録に残されてみろ。
 というかまず俺が突っ込まれる時点で色々おかしい。いや、俺が挿入する側ならいいというわけではないがとにかく色々おかしい。
 ついでに五条の顔面に肘鉄を喰らわせた俺は、「オギャア」と悲痛な声を上げる五条の腕から逃げ出す。

「あっこら! お待ちなさい!」

「ああっ! 眼鏡割れた!」と嘆く五条を他所に、逃げ出す俺に目を丸くした能義は声を荒げた。
 あまり逃げるような真似はしたくなかったが、この場合仕方がない。
 スラックスを持ち上げながらそのまま教室から出ようとする俺に、背後から能義の舌打ちが聞こえてきた。
 そして次の瞬間。

「この私から逃げようだなんて一ヶ月早いですよ」

 なんでそこだけ控えめなんだよ。
 と思わず突っ込みそうになったとき、背後から伸びてきた能義の手に脱ぎかけの制服を引っ張られる。
 ボタンをつけず全開になっているワイシャツを能義に引っ張られ、もうこれ脱いだ方が早くないかと悟った俺はガバッとワイシャツを脱ぎ、能義の制止をすり抜けた。そんな俺を見て「尾張の公開勃起乳首」と騒ぎ出す五条に床に置いてあった雑巾を投げ付け、胸を隠したくなる衝動に駈られたが絵面的に色々問題があるのでそのまま構わず俺は教室の扉へ向かう。

「この……ッ」

 そして、俺が扉を開こうとしたときだ。どこぞの悪役のように吐き捨てる能義は、今度こそ俺の腕を掴む。
 思ったよりも足が早いようだ。掴んだ腕を無理矢理捻り上げてくる能義に、俺は身動ぎをさせる。

「いけませんねえ、元さん。まだ撮影会の途中ですよ? 約束はきっちりと守っていただけないと困ります」
「……ッつーか、最初に破ったのは能義たちだろ。写真撮るだけっつったの誰だよ」
「おや、私は貴方に一度も手を出してませんし貴方が約束をしたのも私でしょう。部長が貴方の乳首を勃たせいようが私には全くもって関係ありません。敢えて言うなら、部長も貴方の挑発的な乳首に「わかった。俺が悪かったからもう乳首には触れないでくれ」

 大体なんだよ挑発的な乳首って。俺の本体は乳首かよ。

「なるほど、尾張さんは乳首も弱いと」

 いや今のは単なる精神攻撃じゃないのか。
 段々突っ込むのもバカらしくなってくるが、突っ込まれるのを黙って見過ごすわけにはいかない。

「部長、今度は貴方がカメラマンの番ですよ」
「よっしゃ輪姦するときも複数プレイをするときもいつも撮影・拘束係を任されて一切触らせてもらえない俺に任せといてくださいよ」

 サラリと切ない発言をしつつ能義からカメラを受け取った五条。なにを思ったのか、能義は「記念に一枚撮りましょうか」と俺に笑いかけてくる。

「おっ和姦って証明するやつだろ。りょーかい、はい二人とももっとくっついてー。ちょっと尾張表情固いよ! 副会長相変わらずいい笑顔っすね! あっ、尾張青筋立ってる。あとちくいってぇ! 脛蹴らないで!」

 肩を抱き、無理矢理くっついてくる能義から離れようとするが思ったよりも力が強い。肩に食い込む能義の指に顔をしかめた俺が、なんとかして能義を離そうとしたときだ。

「んじゃ、いきますよー。21-18は?」

「2ー」と自信満々に馬鹿回答をする能義と五条が声を合わせたとほぼ同時に背後の教室の扉が勢いよく開いた。
 カシャリとカメラのフラッシュが瞬くのと同時に背後を振り返る俺と能義。そして、そこには……。

「……あやちゃん……」

 あやちゃんもとい生徒会書記、彩乃ちゃんが立っていた。
 というかまだ昨日のを引き摺っているのかこいつ。

 なんというタイミングの悪さだろうか。いきなり現れた彩乃に先程まで騒がしかった教室内はしんと静まり返り、俺たちは彩乃に目を向けたまま硬直する。同様、彩乃も彩乃でいきなり向けられたカメラに驚いているようだ。
 目を丸くしたまま俺に目を向けた彩乃はそのまま視線を下ろす。
 瞬間、ピシャリと音を立て扉は閉め切られた。

「いやいやいやちょっと待てよ助け……」

 慌てて足を使って扉を開いた俺は早々と立ち去ろうとしていた彩乃に慌てて懇願する。が、言い終わる前に能義に口を塞がれた。

「書記、せっかくですのでご一緒にどうですか。貴方も元さんに用があってここへ来たのでしょう?」

 両頬を挟むように口を塞がれ、能義の手首を掴み無理矢理離そうとするが吸盤の如く離れない。
 挙げ句の果てになにを考えているのか笑顔で書記を誘い出す能義に血の気が引いていく。
 二人だけでもかなり厄介だというのに、これ以上厄介事を増やすつもりか。
「4Pとか本格的に俺撮影係に任命されそうなんですけど」とカメラ片手に嘆く五条を他所に、能義の言葉にピタリと足を止めた彩乃はこちらを振り返る。

「ご一緒だと?」
「ええ。残念ながら穴は一つしか御座いませんが暇潰しにはなると思いますよ」
「……なにを企んでる」
「なにを、とは? 心外ですね。ただの善意ですよ。元さんも人数多い方が喜ぶと思いまして」

 べらべらと適当な言葉を並べる能義に「ねえ?」と笑いかけられる。彩乃に目を向けられ、俺は「ひはふ」と首を横に振った。

「ほら、元さんも是非宜しくお願いしますと言ってますし」

 言ってねーよ、どんだけ都合のいい耳だよ。笑顔でそうシラを切る能義にぎょっとしつつ、俺は一縷の望みを賭けて『こいつらをどうにかしてくれ』と彩乃に目で訴えかけた。視線と視線が絡み合い、相変わらず仏頂面のままの彩乃は無言で俺から視線を逸らす。そして、

「おい、そいつをこっちに渡せ」

 どうやら俺の想い諸々が伝わったようだ。
 能義と五条に目を向けた彩乃はそうハッキリと告げる。確かに期待はしたが、まさか本当に助けてくれるとは思ってなかった俺は目を丸くした。
 そして、唐突な彩乃の申し出に驚いたのは俺だけではなかった。

「……『渡せ』ですか。あまり命令されるのは好きではないのですが」

 彩乃の言葉に僅かに顔を強張らせる能義の後ろで「まさかの副会長VS書記っすか? 泥沼三角関係萌え! だけど俺超空気! 目の前で生BL繰り広げられてるから別にいいけどね! 全然悲しくないけどね! いいよどうせ見る専門だもん! モブ扱い上等だし!」となんか言っている五条。非常に騒がしい。

「そうか。俺も馬鹿は嫌いだ」
 そう続ける彩乃は能義の腕を掴み、俺から強引に離した。
 僅かに頬を強張らせた能義は「おや残念」といつも通りの笑みを浮かべる。引っ掻かれた腕を軽く擦る能義の手の下から手の甲から腕にかけて出来た赤い線にじわりと血が滲んだ。

「と思いきやまさかの爽やか君←書記←副会長フラグ!?」

 そしてこいつは空気を読め。

「……おい、そこの眼鏡」

 やはり目を付けられた。彩乃に睨まれた眼鏡もとい五条は「は、はいいいっ!」と情けない声を上げながら落ちていた雑巾を広げ顔の前に翳す。どうやら本人なりに隠れているようだがこれはあれか、ツッコミ待ちなのか。

「そこに落ちている制服持ってこい」
「はい! 仰せのままに!」

 静かに命令する彩乃に対し、ヘコヘコと頭を下げる五条は言われた通りに床の上に落ちていた俺のワイシャツを拾い上げる。
 すっかり彩乃に寝返った五条に、能義は「なんで私のときと態度が違うんですか」と顔をしかめた。五条は口笛吹いて誤魔化していた。何年前の漫画だ。そして案の定能義にエルボーをかけられる。

「はい、どうぞ書記様」

 無事帰還した五条はヒビの入った眼鏡を掛け直しながらそう彩乃に制服を渡す。
「部長のくせに生意気ですよ!」と吠える能義を他所に、それを受け取った彩乃はそのまま俺に制服を押し付けてきた。

「さっさと着ろ。見てて暑苦しい」

 そう言って顔を逸らす彩乃にむっとしたが、彩乃なりに気を遣ってくれていると思ったら結構可愛く思えた。

「……どーも」

 制服を羽織る。
 彩乃の言う通り、いくら自分の体に自信があろうとも流石にシリアスシーンを一人だけ上半身裸ではただのギャグだ。もたもたとシャツのボタンを掛ける俺。

「……嫌ですねえ、空気が読めない方とは思ってましたがまさかここまでとは。ヒーロー気取りですか。貴方がなにやろうと構いませんが、せっかくの濡れ場……いいえ、私の邪魔をされては困りま……」
「おい眼鏡、そいつ押さえてろ」

 すっかり悪役気分な能義の言葉を遮るようにそう命令する彩乃に、五条は動かない。
 どうやら能義のシモベとしての最後の理性か危機感が働いたようだ。

「……会長と会計のツーショット、もしくはうちの部費下げて」

 と思ったが気のせいだったようだ。そうぼそりと要求してくる五条に彩乃は顔をしかめる。
「ほら」そして、面倒くさそうに舌打ちをした彩乃は制服の中から切り取られたプリクラを取り出し五条に投げ付ける。そこにはカメラの前で組体操のサボテンをやっている政岡と神楽の姿が映っていた。なんで彩乃はそんなもの持ち歩いているんだ。
 そしてこいつらもこいつらでなにやってるんだ。

「ここは俺にまかせて二人は早く行け!」

 お前もこれでいいのか。

「部長、貴方……っ!」

 目を爛々と輝かせながら能義を羽交い締めする五条に今にも能義はブチ切れ寸前だ。どう反応すればいいのかわからず冷や汗を滲ませていると、彩乃にくいっと腕を引っ張られた。
 目を向ければ、彩乃は「来い」と呟く軽く顎で教室の外をしゃくる。とにかく、今は能義から離れた方がいいだろう。そう判断した俺は頷き返し、そのまま彩乃に引っ張られるようにし廊下へ出た。
 数分もしない内に教室の方から五条の悲鳴が聞こえていたが敢えて聞こえなかったことにする。
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