馬鹿ばっか

田原摩耶

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御主人様と奴隷

01

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「あ、そういや俺転校するから」

 それは、突然のことだった。
 山の奥にある馬鹿みたいにでかい学園の中、その中でも一際でかい生徒会室にて。
 御主人様――もとい岩片凪沙いわかたなぎさはその会長席にふてぶてしく腰をかけ、膝の上に乗せた全裸の会長様の顎の下をいやらしく撫であげる。そんな岩片の仕草にとろりと目を細め、体を震わせる会長様に以前の威厳は跡形もなかった。

「そんな話、俺は聞いてねえんだけど?」
「まあ、言ってねーしな」
「お前な……」
「だから今言ってんだろ」

 なー、と会長様にキスをしながら岩片は笑った。量の多いもっさりとした黒髪。そして今どきジョークグッズでも見ないような分厚い瓶底眼鏡のそのレンズの奥に反省の色など見えやしない。

 こいつがこういう性格ということは俺は身を以て知っていた。だから今更なにを言われても驚いたりなどしない――とタカを括っていたが、やはり岩片は俺の予想を裏切っていく。
 ――無論、悪い意味でだ。

「お前、転校してきてそんなに経ってなかっただろ? なんでまた急に」

「んー……、なんでだと思う? ……っ、と、こら、逃げんなって」
「ぁ……っ、は、……ッ!」

「――飽きたから」

 逃げようとしていた会長様の細い腰を捉え、その生白い股の奥に見たくもねえもんを突き立てたまま岩片はこちらを見た。
 ――正解、とほんの一瞬岩片の口が動いたような気がしたが、それもすぐ「ああっ」という会長様のなんとも女みてーな声によってかき消されてしまった。

「ッあ、ゃ、やだ……ッ」
「やーだ、じゃねえだろ? ……そこは『もっとしてください』って教えたばっかだろうが、ほら、リピートアフタミー」
「っ、も、……っ、もっと……ぉ……」
「おーよしよし、よく出来たなぁ。……っ、ご褒美に中で出してやる」
「……っ、ぁ……ああ……っ!」

 ぬちぬち、ぐちゃぐちゃ、パンパンと。
 他人のセックスしてる姿はなんとも滑稽なことだろうか。俺たち人間が動物だったのだと思い出されるようなそんな気持ちにならざる得ない。
 ……ってちげーわ。

「で、今度はどこに行くんだよ」
「……っ、は、ド田舎にある男子高……ここみたいに全寮制だってよ」

 ここは都心部に近い全寮制男子校だ。
 分厚い柵に囲われ、どこか閉塞的なこの学園は学生寮から通う生徒が大半で――それは俺も同じだった。
 この学園は、地元でも有数の金持ち校として有名だ。そのお陰で保護者の方々からの援助により無駄に設備は整っていたのだが、田舎となるとどうなのだろうか。こんな贅沢空間で慣れきっているこいつは大丈夫なのだろうか、と余計な心配をしてしまう。

「お前がいなくなるんなら、送別会でも開かねえとな」
「いらねえよ、そんなの。どうせなら乱交パーティーでもやってくれ」

 しかもこの言い草だ。色情魔の薄情者。本当に我ながらろくでもねえご主人様だと思う。
 そんなとき、どこを見てるのか分からない分厚いレンズ越し、確かに岩片はこちらを見て笑った。

「んでさ、お前もこいよ」

 ばちゅん、と岩片が腰を打ち付けたと同時に、岩片の下にいた会長様は大きく胸を弓なりに逸し、そのまま自分自身に向けて射精するのだ。制服が汚れないようにそれを掌で受け止めてやっ岩片は「いっぱい出たじゃねえか」と会長様のお腹を優しく撫でる。
 ……一瞬誰に言ってるのかわからなかったが、確かに悪趣味な瓶底眼鏡はこちらを向いていた。

「……もしかしてそれ、俺に言ってるのか?」
「お前しかいねーだろ、ハジメ君」
「どこに」
「転校先」
「いきなりすぎじゃね?」

 確かに突拍子もなく、とんでもない思いつきばかりをする男だと思っていたが、ここまでとは。
 呆れ果てる俺に、「今更だろ?」と岩片は唇で弧を描く。相変わらず厭な笑い方だ。
 確かに、今更ではある。岩片と出会ってから今までのことを思い返せば、納得せざるを得なかった。
 いつだってこいつは俺のリードを掴み、命じてくる。そして俺はそれに甘んじていた、利害は一致していた。
 だから俺は岩片に従っていた、のだが。

「……んなこと言われてもな」
「ハジメ。言っとくけどこれ、命令だから」

 渋る俺に、岩片は思い出したように口をする。
 命令。いい響きだ。俺に考える暇すら与えるつもりないのだ、この男は。

「……仕方ねえな」

……息を吐く、渋々ついていってやる体のつもりだったが、これからのことを考えると胸が躍る。こいつに振り回されるのは疲弊を伴うが、それ以上に刺激がある。今回の横暴ですら許せてしまうのだから手遅れだろう。

「岩片凪沙親衛隊長として、どこまでもお供してやる」

 宣言する俺に、岩片は、ハッと喉を鳴らして笑った。皮肉気な笑みを携えて。

「やっぱお前が言うと決まんねえな」
「だまれフルチン」

 そんな経緯もあり、宣言通り俺の華やかな学園生活は破天荒な御主人様の突然の一言で幕を閉じることになった。


  『馬鹿ばっか』


 登校前日。
 寮に荷物を起き、今日から通う高校の下見に来ていた俺は目の前に聳える校舎を見上げる。
 本当にど田舎だった。ここまでくる途中、岩片が用意した車に長時間揺すられ、勿論無駄に高級車なので酔いはしないのだが見渡す限りの田んぼに山にと正直やることと言えば岩片と話すか寝るかくらいしかなく、おまけにそれが何時間とある。朝一番都心から飛行機に乗り継ぎ、そこからまた車で移動して……俺は疲弊しきっていた。岩片というとゲームしてやがるし、こいつ俺には荷物最低限でいいんじゃねえの?とか言っておいて自分ばっか時間つぶしの道具持ってきやがって……。
 とまあ、そんなこんなでようやく目的地についたときは既に昼過ぎ、空には赤みがかかっていた。
 学生寮は、まあ思ったよりも小綺麗だった。
 ……まあ、思ったよりもだ。荒れに荒れた入り口前とか吸い殻が詰め込まれた酒瓶とかそんなものを抜きにすれば、建物自体はしっかりとしている。
 岩片は、寝てる。早朝から動き始め、ここまでずっと移動だったのだ。寝たい気持ちは痛いほど分かる。けれど、俺にはやりたいことがあったので、部屋に岩片を放置したまま学園敷地内を徘徊していた。
 明日からの登校に備え、危なそうな場所はないかとか、最低限迷子にならないようにのルート確保。あとは、最短距離や、逃げ道など。
 何故俺がこんなことをしているのかといえば、単純明快。
 この学園は悪名高い不良高校だったのだ。
 岩片のやつ、なんで転校先でこんな治安の悪い場所を選ぶのか全く理解できない。ネットで検索かけたら批判じみた内容だったり、ニュースサイトのページやらばかりが引っかかっていたので気になっていたのだ。
 暴力沙汰に薬物沙汰、他にも調べだしたらきりがない。どこまでが嘘か本当かはソースがネットなだけにわからないが、それでも火がないところに煙は立たないというやつだ。
 というわけで、校門くぐった瞬間リーゼントの男たちに囲まれないかヒヤヒヤしていたのだけど、俺の心配は余所に人気は全く無い。だから、とにかく明るい内に万が一のための避難経路も探っていたのだが……。

「君さぁ、もしかしてぇ尾張元くん?」

 不意に、声を掛けられる。
 緊張感のない、間延びした声。誰だと思い振り返れば、そこには見慣れない制服姿の男がいた。この学園指定の血のように濃い真っ赤なブレザーと白いシャツ、それ着崩した明るい茶髪をワックスで弄んだ優男。第一印象、軽そうなやつだと思った。背は高いが、筋肉はなさそう。不良というよりも、肉薄なチャラ男。至るところにつけられたシルバーアクセサリーがそう思わせるのかもしれない。

「……そうだけど、あんた誰?」
「あっやっぱりそうだぁ。見慣れない顔だから一発でわかっちゃった! 俺は神楽麻都佳だよー。一応、ここの二年生なんだ」

 よろしくねえ、とにへらにへら破顔する神楽は生白い手で俺の両手を握りしめる。触れられた瞬間、ぞわりと背筋が震えた。見た目よりも骨っぽく、堅い指の感触。無遠慮に指を絡め取られそうになり、俺は慌てて手を離しながら「よろしく」と笑って誤魔化した。
 ……なんか、妙な触り方をしてくるやつだな。
 田舎のやつはここまでベタベタ触ってくるのか。
 女の子に触られるならまだしも、男相手にベタベタ触られるのはあまり好きではなかった。
 けれど、予想していたよりも友好的な態度をとってくる相手に内心ほっとする。
 悪名高い不良高校とはいえど、ネットのニュースで出てきたのは数年前のものが大半だ。
 今年はまだ大人しいということなのだろうか。

「元くん、遠いところから引っ越して来たんだってねー。みんなの間で噂になってるよぉ、『都会から転校生が二人も来る!』ってさあ」
「そんなに珍しいのか?」
「そりゃこんな季節外れに二人もなんてすごいよー。もう一人の子、あれも元くんの知り合いなの?」

 案内してくれるという神楽の好意に甘えることになったのだが、こいつは案内らしいことすらせず俺のことばかりを聞いてくる。
『あれ』と言われ最初なにかわからなかったが、どうやら岩片のことのようだ。

「まあそんな感じだな」
「へぇ~、元くんああいうタイプとも仲良くしちゃう人なんだ」
「仲良くっていうか、腐れ縁みたいなもんだな」

 もう少し詳しく言うなら、奴隷と御主人様とでも言おうか。
「なんかよくわかんないけど、大変そうだねー」とちょっと引いたような顔をする神楽に、俺は苦笑する。

「それにしても、なんで転校してきたのぉ? 絶対前のとこの方がいいでしょ? 俺でも知ってるもん、元君が通ってたところ。確かぁ、学校に映画館があるってなんかテレビで見たことある」
「よく知ってんな」
「それくらい有名だよぉ? 勿体無いなぁ、俺ならずーっとそこにいるのに」

「留年もありだよねえ」と神楽。
 確かに、神楽の言う通りだ。転校してわかる有り難みというか、今になると本当に頭がおかしかった。けれど、向こうにいたときはそれが当たり前だったのだ。俺は、中学はごく普通の一般の共学校だった。高校は、外部入学だ。入学初日はとんでもないところにきてしまったと戦慄いていたことを思い出し、つい懐かしくなる。

「でもあんなところに通うってことは、相当の金持ちだったのぉ?」
「いや、うちは結構特別なんだよな。家は普通だったし」
「じゃあ、勉強できるからとか?」

 純粋な興味。
 顔を覗き込まれ、「まあそんなところだな」と曖昧に笑う。
 今となってはもう過去の話である。俺としては、あまりいい思い出はない。
 それから、神楽とは他愛ない話をした。初対面にも関わらず、こんなに話しやすいのは神楽の話術だろうか。するすると言葉を抜き出されるような、誘導されるような、そんなものを感じた。けれど、悪い気はしないのだ。不思議なやつだと思う。
 神楽曰く、この学園は大概の生徒が夜行性だという。なので、この時間帯まともに授業を受けてる生徒はいない。あまりにも出席率が悪いせいで、教師たちが特別に夜間補習を行ったりもするらしい。
 思い切ってこの学園の治安について尋ねてみれば、神楽は「元君漫画の読み過ぎだよ~」と笑った。
「抗争とかあったのは俺の前の代くらいだし、今は他校も大人しいからそんなの全然ないよ。たまに喧嘩するやつがいるくらいだし、まあ多分、今は纏めてるやつがいるからだろうけど」
「だから心配しなくても大丈夫だよぉ」と、神楽は俺の頭を撫でる。ちょいちょい子供扱いされるのはなんだろうか。神楽にナデナデされても嬉しくないが、本人が楽しそうなので敢えて放っとくことにする。
 纏めてるやつ、か。神楽曰く、今 この学園を仕切ってるのは生徒会と風紀委員だという。学園の風紀を乱せば風紀委員が動く。そして、もう一方で風紀では手をつけられない部分、学校外の問題を生徒会が処理するという。
 話を聞く限り教師は機能していないのだろう。珍しい話でもない。歪ではあるが、均等を保ってる現状があるからこうして平和なのだろう。
 一先ず、学園のことを聞けて俺としては助かった。
 学生寮前。改めて神楽に「色々教えてくれてありがとう」とお礼を口にすれば、神楽は花のように微笑む。

「いいよぉ別に、こんくらい。どうせ暇だったしねー」

「それに、元君みたいな子と仲良くなれるんなら役得ってやつだし?」言いながら、神楽は顔を寄せてくる。つられて、俺は後退った。……時折、俺は神楽と話してて違和感を覚えた。それが、今度は明確な形となって現れる。
 まるで女相手に口説いてるかのような距離感を取るのだ、神楽という男は。
 目が合えば、笑う。逃げようとすれば、肩を掴まれる。露骨な好意。
 前の学園は、早い話その手の男が多かった。
 全寮制の男子校であり、中高一貫校だったそこは物心ついたときから周りに男しかいない連中も少なくはなかった。思春期に女の子と接する機会がないやつらは、必然か否か、性や恋愛の対象が同性相手になるのだ。
 俺は中学のときはまあ普通に女の子と遊んだし、彼女がいたときもあった。好意を寄せてくるのは皆女の子だったが、全寮制の男子校に入ってからわかった。どうやら俺は同性に好かれるタイプだということを。
 特に何したわけでもないが、女の子とそう変わりない中性的な男子に迫られたこともあった。「抱いてください」って目の前で脱がれたこともあった。知らぬ間に抱かれたいランキングに自分の名前が連なっていたときもあった。
 なるべく、勘違いをさせないようにしていたが、それでも後を立たなかった。岩片と出会ってからだ、何もかも環境が変わったのは。それからだ、他人のそういう目には人一倍敏感になった。それと同じものを、神楽からは感じるのだ。

「ねえ、元君さぁ、これから予定とかあるのぉ?」

 舌足らずな甘い声。肩を撫でられ、硬直。
 耳元、寄せられる唇から吐き出されるその声に、神楽の首元から匂う甘い香りに、思考が停止する。
 ……ああ、もしかしたらとは薄々感じていたが、こいつは、あれだ。俺に抱いてほしいとかそういうんじゃなくて、むしろ、その逆だ。俺のことを女扱いしてる。それに気付いた瞬間、厭な汗が滲んだ。
 時折いるのだ、そういう物好きな男が。
 色白でもない、寧ろ外で走り回ってることのが多いので肌は日に焼けてるし、髪だって長いわけでもなければその逆だ。体となればもっての外。中学の頃スポーツに打ち込んで、暇さえあればトレーニングばっかしていた体は女の柔らかい肌とは比べようがない。それなのに、俺を抱きたいとかいう物好き。俺はそういう連中が大の苦手だった。だってそうだろう、かっこいいと言われるならまだしも、掘りたいと言われて全く喜べないし寧ろ恐怖しかない。
 警報、この男は危険だ。本能が叫ぶ。俺は、「あー、そうだな」と考える振りしながら神楽の手を離した。

「部屋の片付けがまだ終わってないんだよな」
「ふーん、手伝おうか?」
「いや、流石にそれは悪いって」
「そぉ? 遠慮しなくてもいいのにー」

 残念がる神楽。頭が弱く、何も考えてなさそうな喋り方をする男だと思っていたが、時折見せる目付きからしてただの馬鹿とは思えなかった。

「それじゃ、俺はこれで」

 なるべく早くこいつから逃げたかった。
 これ以上一緒にいるのは危険だ。そう判断したからだ。
 けれど、伸びてきた手に腰を抱き寄せられ、ぎょっとする。
「元くぅん」と甘ったるい声で囁きかけられ、鳥肌。「おい、神楽」とジタバタするが、思った以上に腕に込められた力は強い。下手したら俺よりも細い腕からは想像できないほど、絡みついてくる。

「ねえ、俺、元君ともっとお喋りしたいなあ」
「お喋りって……結構したと思うけど」
「したけどぉ、もっとちゃんとしたいんだよねえ。それに、こんなところじゃ誰が邪魔に入るかわかんないし?」
「……?」

 妙な言い回しをするやつだと思った。他人の会話を邪魔するやつなんてそういないと思うが、遠回しに二人きりになりたいといっているのだろう。

「あの、神楽、それよりも離せよ……苦しい……」
「じゃあ、俺の部屋来てくれる?」
「神楽の部屋に?」
「そう、俺の部屋一人部屋だから邪魔入んないよ」

 違和感二つ目。学生寮、俺は岩片と同室だ。それは、この学生寮が基本二人一部屋体制だからだ。
 成績優秀な岩片でも一人部屋を与えられなかったのに、何故この男が、と思い、ハッとする。唯一例外があった。一人部屋の他、特別処遇を受けることができる限られた生徒、それは――。

「お前、役職持ちか?」
「へえ、ちゃんと調べてるんだ。偉いねえ、元君」

 役職持ち。即ち、各委員長含む生徒会役員だけが一人部屋を許される。

「因みに、俺はぁ生徒会で会計やってまーす」

 どう? すごくない? と神楽は笑った。
 数学が苦手そうな神楽が会計というのはかなり意外だった。それよりも、俺は、先程の神楽との会話を思い出した。学園を仕切るのは風紀委員と、それから、生徒会。自分はその生徒会に所属しているとなると、大分話が変わってくる。
 まずったな、と思う。最初から神楽、いや生徒会に目を着けられていたいたのかと思うと、後々が面倒だった。かといって下手に逆らえば、今後やりにくくなることは明らかだ。
 神楽の部屋に行く。
 どう考えても自殺行為のような気もするが、神楽にそのつもりがあるかどうかはまだ分からない。
 最悪、まあ何かあったとしても正直俺には逃げれる気はあった。恐らくそれは、これまで岩片のせいで色々修羅場潜らされるはめになったお陰だろう。ついていって満足するならそれでいいか。そう結論付け、俺は「あまり長居はできないが、それでいいなら」とだけ予め言っておく。神楽は「いいよぉ」と笑った。俺の思惑なんか知らずに、無邪気に。
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