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ハルベル・フォレメクという男

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 何故、ここにいるのか。
 てっきりこの男が興味を示しているのはリシェス様の方だとばかり思っていただけに、素直に戸惑った。

「どうかされましたか、アンリ様」
「君に用があったんだよ、ハルベル君」
「僕に?」

「少しいいかな」と八代杏璃が笑いかけてくる。その目に見上げられた瞬間、脳の奥に黒い絵の具を垂らされたように思考が塗り潰されていく。

「……分かりました」

 何を考えることも出来ないまま、気付けばその言葉を口にしていた。
 そして頭の中に広がっていく黒は脳の奥まで蝕んでいき、記憶はそこで途切れる。



 ――気付けば僕は校舎裏にいた。
 昼間だというのに薄暗い校舎の裏、壁に背中を預けるように地面に座り込んだまま気を失っていたようだ。
 いつ、どうやってここまで歩いていたのか分からない。けれど、目の前に佇む男を見て理解する。そうだった、僕はこの男に呼ばれて――。

「僕と同期させようとしたのが裏手に出ちゃうなんてね。ああ、またやり直しか。……一度壊して初期化した方が早いかな? ここまで弄ったら元に戻れなくなるし、けど進行不可バグが起きたら最悪だしなぁ……」

 耳から聞こえてくる言葉は言葉と認識することができなかった。ぶつくさと八代杏璃は何かを呟きながらこちらへと振り返る。

「ああ、起きてたのか」
「お、前は……」
「ああ、まだ寝てていいよ。といっても、動けないだろうけど」

 その体じゃ、と笑う八代杏璃の言葉を理解することはできなかった。
 どういう意味だと聞き返すよりも先に、指先一本すら動かせない自分に驚く。

「因みに僕とこうして意思疎通できてるのも僕と君が繋がっているから。その体は一時的に完全に僕のものにしてるからね、唇も動かせないはずだよ」

 起き抜けの頭では理解するのに時間はかかった。そんな魔法があると聞いたことはあるが、この男からは魔力は感じない。ならば、と考えたところで「ああ、無駄に考えなくてもいいよ。どうせ君みたいなNPCには理解できないだろうから」と八代杏璃に言葉を遮られる。

「というか、別に君に理解されたくもないしね」
「……っ、何者なんだ、お前は、なんで、こんな真似」
「さっきから質問が多いな。少し黙らせるか、気が散る」
「――」

 どういう意味だ、と言いかけたところで再び意識は黒く塗り潰される。音も消え、視界からも色が消える。たった数秒のことだった。
 次に意識が戻ったときには空は同じ色をしていた。

「……僕は……」

 何故僕はこんなところにいるのだろうか。
 無人の校舎裏、急に世界に放り出されたような感覚とともに辺りを確認する。
 人気はない。そう言えば誰かに呼ばれたような気がするが、思い出せない。
 ただただ気味が悪かったが、ずっとここにいるわけにもいかない。

 ……リシェス様のお迎えへと向かわなければ。
 僕は足早にリシェス様の教室へと向かった。


 ◆ ◆ ◆


 肉体と精神が乖離していくような感覚は常に付きまとっていた。

 リシェス様の教室を覗くが、主人の姿はなかった。アンフェール様に会いに行ったのだろうかと執務室の方へと向かおうと思ったが、なんとなく躊躇ってしまった。
 後ろめたさがないわけではない。しかし、リシェス様に何かがあってからでは遅い。
 念の為居場所を確認するつもりで執務室へと向かえば、丁度執務室の扉が開いた。そこから出てきたのはアンフェール様――その陰に隠れるように、リシェス様も現れるのを見て心臓が弾む。
 二人の手が繋がれてるのを見て、息が停まる。胸の奥がざわついた。

 別に、なんてことはない。少し恥ずかしそうにしながらも、安心するようにアンフェール様に身を預けているリシェス様を見て安堵するべきのはずなのに、その光景を目の当たりにした瞬間胸の奥が激しく痛んだ。

 気付けば二人の姿はなくなっていた。寮へと帰ったのだろう。追いかければまだ追いつけるはずだと分かっていたが、僕はそれが出来なかった。

 ――この感情は、おかしい。
 本来ならば応援すべき、応援したい二人の関係のはずなのに、『見たくない』と強く感じた。私情を挟んで役目を放棄するなどと愚の骨頂、分かっているはずなのに、脳が拒否する。

 得体のしれないどろどろとした感情を抱えたまま、結局僕は自室へと帰ることにした。
 アンフェール様が一緒ならば、リシェス様も大丈夫だろう。
 また逃げるのか、と頭の片隅でもう一人の僕の声が聞こえたが、それもすぐに消えてなくなった。



 部屋に帰って早く休み、明日に備えよう。
 次に目を覚ましたときはきっとこの鬱屈とした気分も晴れてるはずだ。
 そう信じて布団に潜ったものの、一向に眠気はこなかった。

 それどころか、頭の中でなリシェス様がアンフェール様の上に跨るという邪な想像ばかりが脳に染み付いてはとれない。
 こんな状況でゆっくり穏やかに過ごせるわけがない。寝苦しさを紛らすように起き上がる。
 ……少し、本でも読んで気分転換でもしようか。
 そう机へと腰をかけたとき、ふと手帳の存在を思い出す。そういえば記憶があやふやになってから、メモを残すようにしていたのだ。
 今日も長い時間記憶が飛んでいた。なにか残っていないだろうか。
 そう引き出しを開き、手帳を確認した。

『リシェス様は疲れている、香油、ユーノ』という見覚えのある文字に続いて、書いた記憶のない文が書き足されていた。

『アンリに気をつけろ』
『繰り返してる』
『リシェス様が死ぬとこの世界が○月○日にリセットされる』
『アンリは何か知ってる』
『頭の中に何かがいる』

 僕以外には読み取れないよう敢えて崩したその文字列を見て、背筋が凍り付いた。
 他にもびっしりと書いた覚えのない文がその手帳に書き記されていた。
 これは、なんなのだ。別のページを確認すれば、その一日の朝からの行動が分刻みで記されていた。その上には『○月○日(3)』と記されている。
 一見意味が分からなかったが、それ以外にも同じ日付で別のパターンの記録も残っていたので理解した。

 普段の僕ならば気にも止めなかった。けれど、これはなんなのか。想像したくなかった、それなのに読み進める手を止めることができなかった。

 そして、最後のページ。

『リシェス様が生き残る方法を探せ』

 そう、明らかに自分に向けたメッセージを見つけたとき、脳をぶん殴られたような気分になった。
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