上 下
30 / 55
四巡目

08

しおりを挟む
「夢でも、現実でもないって……」

 少なくとも、俺はアンフェールはもっと現実的な男だと思っていた。
 だから余計、「そのままの意味だ」と大真面目な顔をしてつぶやくアンフェールに戸惑う。

「なにか身に覚えはないのか。その前世とやらに」
「………………」
「あるのか」
「……わ、からない、まだ」

 身に覚えはある。けれど、それをアンフェールに伝えるとなるとまず、この世界がゲームだということを説明しなければならなくなる。
 そんなことをすれば――どうなるのか。アンフェールがなにを考えるのか、俺には分からない。分からないけど、理性がブレーキを掛けるのだ。それだけはやってはならないと。

 そんな俺を見てアンフェールはなにを思ったのか、「そうか」とだけ呟くのだ。

「悪かった……朝から、変なこと言って」
「気にしなくていい。それに、お前が変なことを言い出すのは別に珍しいことでもないからな」
「……そんなことはないだろ」

 つい言返せば、ふ、とアンフェールは小さく微笑んだ。それから立ち上がるのだ。

「学校には帰るのが遅れるという連絡をしてる。もう少しゆっくりしててもいいぞ」
「アンフェールはどこに……」
「着替えてくるだけだ。別にどこにも行かない」
「……そうか」

 なんだか、これじゃ一人を嫌がってるみたいだ。そんなつもりはなかったが、仕方ないなという顔をしたアンフェールが「すぐに戻る」と続けるのを聞いて少しいたたまれなくなった。


 そして、アンフェールがいなくなった寝室のベッドの上。俺は膝を抱えたまま暫くその場から動けなかった。

 リシェスが架空のキャラで、この世界がゲームだとして――あの記憶が本物だとしたら。
 卯子酉丁酉が転生した先がリシェスだった、のだと少なくとも俺は思っていた。
 けれど、なにかが噛み合っていない。どちらにせよ、ピースが足りないのだ。

 ……俺も、支度をするか。
 なるべく鏡を視界にいれないようにしながら、俺はアンフェールのいる隣の部屋へと移動する。


 ◆ ◆ ◆


 それから街で朝食を取り、アンフェールの用意した馬車で学園へと戻ることになる。

 アンフェールはハルベルに怪しまれないよう、アンフェールの実家に連れて帰ったと説明していたようだ。お陰で学舎で待っていたハルベルに変に怪しまれることはなかったのが救いだ。


「それで、如何でしたか」
「如何って、なにが?」
「アンフェール様と一晩お過ごしになられたんですよね」
「……お前な」

 目をキラキラさせるハルベルに思わず顔の筋肉が引き釣る。
 なんたって普通の朝帰りとはわけが違う。それに、なんでこいつはいつも通りなのか。

「別に、なにもない。急だったし、そんなにゆっくりできたわけでもないし」
「ああ……そうなのですね」
「悪かったな、期待に添えられず」
「い、いえ! そういうわけではないんです。……少しでもリシェス様の気分転換になったのなら、と思ったのですが」
「……まあ、気分転換にはなったけどな」

 そうぼそりと返せば、ハルベルはニコニコと嬉しそうに笑う。
 夢見こそは悪かったし、目的であるハルベルの尾行も酒のせいでままらなかったのは不甲斐なかったが、アンフェールがいてくれたことで取り戻せたような感じも確かにあった。

「そういえば、お前昨夜どこかに出かけていたのか?」

 そう何気なく尋ねれば、「え?」とハルベルの目が丸くなる。

「一応昨日、学園を出る前にお前に声を掛けようと思ったら返事が無くて気になったんだ」

 ――そう、こちらが本題だ。
 なるべく平静を装いながら尋ねれば、ハルベルは「そうだったのですね」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「実は俺も昨日出かけてて……そうだ、リシェス様。これを」

 そう、特に取り乱すわけでもなく自然な流れでプレゼント用の梱包された箱を取り出した。
 件の香油だ、と直感する。それを差し出してくるハルベルから小箱を受け取れば、ふわりと甘い香りが辺りに漂った。

「これは?」
「この間、眠れないと仰っていたではありませんか。深い睡眠を取ることができると評判の香油を探したんです」
「……もしかして、わざわざ買いに行ったのか」
「ええ。一日でも早くリシェス様には心安らいでいただきたかったので」

 その言葉自体に嘘偽りはないのだろう。が、その後ユーノと出会っていたときのことを思い出せばどうしても引っかかってしまうのだ。

「……そうか、ありがう。早速今夜から使わせていただく」

 そう小箱を仕舞う俺に、ハルベルは「ええ、是非」と嬉しそうに微笑んだ。

 それからはいつもと変わらない平穏な日常が帰ってくる。
 アンリがやってくるまでの間、やれることがあれば試してみよう。そう、部屋で色々考えてはいたがなかなかどうしても上手くいかない。
 アンリが転生する前日になる度にループでリセットすることも考えたが、死に戻ることに対してなんの代償がないとも考えられない。
 それに、実際肉体と周囲の環境はリセットされるが、俺の記憶、経験はそのまま引き継がれている。そのせいで今回みたいにこの現実にまで影響が出てると考えるのが妥当だ。

 ……ということは、またリセットすればなにか記憶が蘇るというのだろうか。

 夜も更け、机の上に開いたままになっていた手帳を見下ろす。書き散らかされた文字の羅列。
 卯子酉丁酉のことについてなにかを知ることができるのなら、この世界でのバッドエンドを回避できるのなら――そう、机の引き出しに仕舞っていたペーパーナイフを思い出す。
 そして、思考を振り払った。

 ……死ぬのは最終手段だ。デメリットがないとも限らない。現に、今の俺の精神状態はあまり芳しくない。

 それに、と揺れる自分の影を見詰める。
 ここ数日、アンフェールとの交わした言葉、ぬくもりが冷たくなっていた指先に戻るのだ。

「……まだ、死にたくない」

 リシェスとしての脳に刻まれたプログラムなのか、それとも別の誰かの意思なのか判断つかなかった。
 けれども、もっとアンフェールのことを知りたいと、このまままたなにもなかったことになって最初に戻ることが惜しく思える自分がいた。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

お客様と商品

あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子

葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。 幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。 一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。 やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。 ※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

処理中です...