誰が女王を殺した?

田原摩耶

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女王が死んだ日

ハートのエース

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 地獄のような時間だった。
 どれほどこの男と交わっていたのかすら、途中からもう何も覚えていなかった。
 気づけば自分のものかやつのものかわからない体液に塗れ、地面の上で横たわっていた。
 そこにはもう、ジャックの姿はなかった。

 ――あの男。
 ジャックへの殺意は元より、不可抗力とはいえあの男に少しでも感じてしまった自分に吐き気を覚えて仕方なかった。
 長時間の挿入に、もう何も入ってないはずなのにまだ股の間にジャックのものが入ってる気がしてしまう。
 おまけにあの男、出すだけ出して放置だ。
 クズとは知っていたしあの男にそんなものを期待してるつもりはないが、腕も縛られたままでは掻き出すこともできない。

「っ、クソ……ッ! クソ……!!」

 なんとかして腕の拘束具を外そうとするが、びくともしない。
 おまけに動こうとすれば腰に鈍痛が走り、具合が悪くなる。
 けれど、このままでいてもしも白ウサギや他の人間に見られたらと思うと気が気ではなかった。
 歯で噛み、食いちぎれないかと試みたが顎が痛くなるだけで効果はない。
 その時だ、上階から、地下へと繋がる階段の扉が開く音が聞こえた。
 ――誰か来る。こんな姿を見られるわけにはいかない。
 そう思うが、こんな狭い牢では隠れる場所も見当たらなかった。――最悪だ。
 身を隠すこともできず、せめてこの情事の後だけは隠したくて近くに散らばっていた衣類で下腹部を隠す。
 隠しきれないことはわかっていたが、最後の足掻きだ。
 あとは、どうか、気が向いてそのまま引き返してくれることを願うが、そんな期待も淡く足音の主は駆け下りる勢いで階段を降りてくるのだ。
 そして、薄暗い室内に赤い兵装に包まれた影が現れる。
 まさかジャックか、と思い身構えたが、違った。

「っ、王子……っ!」

 現れたのは、よく知る相手だった。
 混じり気のない黒髪を短く切り揃え、ジャックとは正反対にきっちりとその制服を着込んだその男は牢の中の僕を見つけると悲痛な声を漏らす。
 エース――女王の近衛兵であり、兵の中では最も信頼している男だった。

「王子、なんてことだ……っ、お待ちください、すぐにここから出しますっ!」
「え……す」
「っクソ、鍵に細工されてやがる! ……王子、離れててくださいね」

 そういうなり、エースは腰に携えた剣で鍵ごと叩き切る。
 ガキン、と音を立て一刀両断された南京錠は地面へと落ちた。
 エースは開いた扉を蹴り開くと躊躇なく牢の中へと駆け込み、僕の側へとやってくる。

「王子ッ! 大丈夫ですかッ!」
「……あぁ、大丈夫だ……それよりも、お前は……」
「自分のことなど構いません、それよりも、これは一体……っ」

 まるで自分のこと以上に動揺するエースの顔を見てると、逆に冷静になっていくのがわかった。
 若くして母に実力を買われたこの男は、この城の中では恐らく一番歳が近く、生まれた頃からよく一緒にいることが多かった。
 昔からはそそっかしく危なっかしいところがあったが、歳を重ねるにつれ大分落ち着くようになったが――今は状況が状況だから仕方ないのだろうが、少し落ち着けと僕が言いたくなるほどの動揺っぷりだった。 

「……とにかく、此処から……出してくれ。休みたい……」
「畏まりました。とにかく自分の部屋に運ばせてもらいます」
「……頼む」
「あ、あの……王子、少し、失礼します」

 なにが、と思った矢先、いきなり腰を抱かれて驚くのもつかの間、そのまま膝の裏に腕を差し込まれ、抱きかかえられる。
 まるで少女でも抱くような横抱きだ。
 いくら鍛えてる相手とはいえ、こうも顔色も変えずに抱えられると屈辱を感じずにはいられない。

「すみません、王子……これが一番負担が少ないかと思って」
「っ、いい……別に、いちいち言うな」
「わ、わかりました。……とにかく、自分の部屋までこのままいきます。 少しの間、我慢しててくださいね」

 それから、俺の体の上に自分の上着を引っ掛け、体を隠してくれたエースはそのまま移動する。
 地下牢を出れば、城の中は恐ろしく静かだった。

「……誰も、いないのか」
「連中は今、出払ってます。女王を処刑したと広場で言い振れてるのでしょう。」
「……っ、な……お前はそれを放ってきたのか!」
「止めようと何度も思いましたが、自分一人では連中を止めるのは実力不足です。それよりも、連れ去られた貴方のことが心配でしたので」
「な、んだよ……それ……お前、自分の主が殺されたんだぞ……ッ!」
「……それは、俺だって……自分だってわかってます。けれど、クイーンは、貴方の母には……もし自分になにかがあれば貴方の側にいるようにと俺に何度も言い聞かせられてきました」

 体を抱くエースの手が、指が、微かに震えていた。
 ……あの感情が昂ぶりやすいエースが何も感じないはずがない。
 母は、自分の息子のようにエースには厳しく、僕と一緒に面倒を見てくれた。
 だからこそ、エースの気持ちがわからないわけではなかった。
 それ以上に、母がエースに残した言葉を聞いて、胸に熱いものが込み上げてくる。
 まだ、泣いてはいけない。
 何一つできてない、それでも、もう母に会えないのだと思うとやり場のない怒りと虚しさ、そして何もできなかった自分のふがいなさに言葉も出なかった。
 城の中の至るところに母が大好きだった赤い薔薇や薔薇をモチーフにしたインテリアが飾られている。
 今は、この充満した薔薇の匂いだけが僕と母を繋げるものだった。



 エースの部屋は、城を出て離れにある。
 普段は訓練場に入り浸っているエースはその離れを物置としか扱っていなかったらしい。
 幸い、城中の兵はこの国の王が変わったという馬鹿げた祭りのために出払ってる。
 途中、誰かに見つかることもなくエースの部屋まで辿り着くことが出来た。

「申し訳ございません、散らかってますけど……とりあえず、手当の準備をするので適当に寛いでいてください」
「……ああ」

 散らかっているというよりも、武器や手入れの道具で散乱したその部屋を部屋と呼んでいいのかすらわからない。
 一番無事だったベッドへと腰を掛ける。
 下腹部が痛み、腹の中でぬるりとした感触を覚えて全身が凍り付く。
 エースは、嫌でも気付いてるだろう。なにがあったなんて、僕だってわかる。
 そう思うと酷く自分が汚い存在のように思えてしまうが、今回見つかった相手がエースだということが救いだった。
 エースは人一倍責任感が強く、おまけにお節介で、真面目な男だった。
 ジャックとは正反対に位置する男だろう、兵たちの中でもジャックとは特に仲が悪い。
 エースのように口も硬く、忠義に厚い男ならば弱味を見せてもいいと思えたのは今まで一緒に過ごしてきた信頼があるからだ。

「王子、お待たせしました」

 水を張った桶と手布を手に、エースは戻ってくる。
 そして、ベッドの側までやってきたエースはその場に傅く。

「失礼します」

 そう、殴られ、腫れた頬を冷やされる。
 ジャックに抱かれてる間、脳内分泌物のお陰で気にはならなかったが落ち着いた今、殴られた箇所が酷く痛んだ。
 呻けば、エースはまるで自分の怪我のように顔を歪めるのだ。

「いい加減、聞いてもよろしいですか。……あなたにこんな酷い真似をしたのは誰なのか」
「……お前が聞いて、どうするんだ」
「同じように、いえ、それ以上の苦痛を味わせます」
「……エース」
「謀反などと言語道断ッ! 恩知らずな真似をする不埒者、全員俺がこの手で始末します、貴方を傷つけた者も皆、必ずや俺が……っ!」

 見たことのない顔をしていた。
 憎悪、復讐心、あらゆる負の感情を滲ませる目の前の幼馴染に、僕は何も言えなかった。
 心優しき真面目なあの男にここまで言わせるのだ。
 同時に、そう言ってくれる人間がまだそばにいてくれただけでも今はただ嬉しく思えた。

「エース……痛い」
「あ、あぁ、申し訳ございません王子……っ」
「……お前もジャックに、気をつけろ。今回裏で兵を引いていたのは間違いなくあいつだろう、あの男は……アリスに飼われている」

 ジャックの名前を口にした瞬間、エースの顔色が変わる。
 見開かれる目、開いた口から「ジャック」と繰り返すエース。
 その目はどこを見ているかわからない。

「……ジャック、やはり、あの野郎の仕業ですか」
「っ、俺のことは……もういい。とにかく、いまの状況を教えてくれ。できるだけでいい、お前の知ってることを全部だ」

 ジャックのことは確かに殺したいくらい腹立つが、それよりもこの城を取り戻すことが先だ。
 そうエースに縋れば、エースも僕の意図に気付いたらしい。
「わかりました」と重々しく頷くエースは、今この国で起こってること、そして誰が残り、誰が反旗翻したのか。
 エース自身が見てきたこと全て、事細やかに教えてくれた。
 全てを聞き終え、僕は、僕が想像していたよりも最悪な事態が起きているという現状を知り、言葉を失った。
 事態は予測していたよりも最悪なものだった。

「今この城の主はキングですが、キングはこの国の政治の全権をアリスに委ねようとしてます。となると、事実上の総統はアリス――あの男になる」
「っ……それは、本当なのか」
「ええ、間違いないでしょう。この耳で聞きました、そして今夜そのお披露目式をこの城で行うと」
「血迷ったか、父上……」

 嫌な予感はしていた。
 母がいなくなったこの城で、あの男一人でこの国を纏めることなどできないと。
 それだとしても、だ。
 得体の知れない男に今まで女王が築き上げてきたこの国を託すなどとは何を考えている。

「今やこの国でアリスを受け入れていない人間はいません。どんな手を使ったのか知りませんが、あの男は人心掌握に長けているようです。そして、この城も大半の人間がそれを受け入れている」
「………………」
「非常に言いにくいですが、恐らくこの日まで裏でずっとアリスをこの国の王にする話が進んでいた可能性が高いです。そして、クイーンの処刑も全て仕組まれていたと思われます。でなければ、あまりにも準備が良すぎる」

 腸が煮え繰り返るようだった。
 全ては仕組まれた裁判で、母の処刑も、僕の投獄も、全て計画の内だった。
 今まで僕の世話をしてくれた使用人たちも、皆裏ではこの日を心待ちにしていた。
 そう考えると何もかもが気持ち悪く思えて仕方なかった。

「……そして、今アリスを非難したり、クイーンを擁護するような人間は貴方のように捕らえられている。これは、ジャックが噛んでるのでしょう。中には手酷い暴行を受けたものもいるだとか。……見せしめでしょう」
「それでは、国民はあいつを受け入れるしかないということか」
「そうなります。……兵隊の中でも、何人か連れて行かれた連中がいます。俺は、自力で抜け出しましたが……他の連中は……」

 暗くなるエースの表情に、全てを察する。
 ジャックらしいといえば、ジャックらしい。
 アリスならばこんな野蛮な真似はしないはずだ、力づくだがあの男は武力行使を嫌っていた。
 だとすると、アリスとジャックの連携が取れていないことになる。

「そうだ、白ウサギは。白ウサギとは会っていないか」
「白ウサギ様は……会っていないですね。けれど、連中は白ウサギ様を捕らえるつもりでいます。この国で少ない医者ですし、何よりもクイーンに親しい人間ですからね」
「……そうか、あの人は僕を助けるつもりだと言っていた。もし見かけたら彼も匿ってくれ」
「ええ、勿論です」

 どうすればいい、一番手っ取り早いのはあの男――アリスに話をつけることだったが、何よりも近くにいるジャックが邪魔だった。
 ――王。
 あの男ならば、仮にも息子である僕を門前払いすることはないだろうが、顔すらも見たくないというのが本音だ。
 目の前で自分の妻が殺されそうになっても指一本も動かさずに傍聴していたあの男は、僕が連行されても眉一つ動かさなかった。
 もしも今、目の前にいたらこの手で息の根を止めてやりたいくらいだった。

「……とにかく、この城にいるのは危険でしょう。一度、城下へと降りて身を隠すのも手だと思われます」
「もし、見つかったら僕は殺されるのか?」
「……その可能性は少ないと思われます」
「何故そう言い切れる」
「アリスは……貴方を殺すなと兵隊に通達してます。もしそれに逆らいなどすれば、どうなるやも知れません」
「……っ!」

 ――アリス。
 どういうつもりだ、あの男は。
 考えれば考えるほど理解の範疇を超える。
 母を殺して僕を生かす理由などあるのか。

「ここにいると間違いなくアリスは貴方に近付いてくるでしょう。そして……」
「……なんだ、どうした?」
「……いえ、なんでもありません。とにかく、ここにいると王子の身の保障はありません。それは自分も同じです」
「お前の言い分はわかった。……しかし、城を出るにしたって密告されてしまえばすぐに捕まるのではないか」
「それについては、自分に考えがあります」
「…………考え?」

 はい、と頷くエースだが、その言葉とは裏腹に顔色はあまりよくない。
 それに、いつもならハキハキとした物言いをするエースはどことなく歯切れが悪い。
 それだけでなんとなく嫌な予感はしていたが、今はエースを信じるしかない。
 僕とエースは、日が暮れる前にこの城を出てエースのいう目的地へと向かった。
 そして、すぐにエースがあれほど歯切れが悪かった理由を知ることになる。


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