成り代わり物語

田原摩耶

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後編【執着型偏愛依存症】

side:馬淵

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 古屋君の後を追いかけるという渡利君と別れ、校舎入りした僕は普段通り授業を受け時間を過ごしていた。
 しかし、考え事ばかりしているお陰で授業内容が身に入らない。今に始まったことではないので特に気にしないが。

 とにかく、どうしようか。渡利君にヤられても古屋君の態度は変わらない。
 多少ストレスを感じているのはわかったのだが、彼が完全に折れなければ意味がない。馴れという言葉がある限り、時に身を任せてというわけにもいかないだろう。
 確実に古屋君を折ることが出来る方法はないだろうか。
 一人考え込んでいる内に授業が終わってしまったようだ。
 ざわつく教室内。昼休みになり、昼食を取る用意を始めるクラスメートたちを一瞥した僕はそのままつられるように教材をまとめ、教室をあとにしようとしたときだった。
 校舎内、教室前廊下。

「古屋くーん、久し振りぃ」

 そのまま廊下出ようとしたときだ。すぐ側から聞き覚えのある軽薄な声が聞こえてきた。ざわつく教室前廊下に響くは喧しいその声。聞き覚えのあるその声に、全身の神経が反応したのを感じた。
 ここで聞こえないフリして無視しとけばよかったのだろうが、名前を呼ばれた僕はつい足を止め、声を掛けてきた連中に目を向けてしまう。
 そこには、見るからに問題がありそうな満身創痍の生徒が複数人立っていた。
 こいつらは、あのときの。古屋君に仕向けられ、好き勝手玩具にされたとき僕を殴ったりしてきた連中がそこにいた。
 確か、渡利君が仕返しして入院していたと聞いていたがなんでここにいるんだと目を丸くする僕だったが、その疑問はすぐに解決する。ある程度怪我が治ったので病院を抜け出してきたのだろう。

「ねえ、ちょーっと話あんだけど。ちょっと面貸してくんない?」
「……悪いけど、今忙しいから」
「まあまあまあそんな冷たいこと言うなって!ほら!皆待ってっからさ」

 言いながら右腕をギプスで固定した生徒は逃げようとする僕の肩を掴み、馴れ馴れしく抱き寄せてくる。
「なあ?」と耳元で囁かれ、吹き掛かる生暖かい吐息に全身が粟立ち、咄嗟に振り払おうするが生徒はしつこく絡みつき離れない。
 古屋君の友達だろうかと思ったが、なんとなくいい予感がしない。
 連中、全員笑っているものの目が笑っていないのだ。
 ああ、やばい。どうしようか。逃げるか?そう、思案したときだった。

「おーい、古屋ー!」

 不意に、背後から聞き慣れた明るい声が聞こえてくる。
 振り返れば、今から昼食を取りに行くつもりなのか、僕に絡むタイプとは別の数人の派手な男女を引き連れた久保田君が相変わらず楽しそうな笑顔を浮かべ、手を振りながらこちらへと歩み寄ってきた。
 そして、俺のところまでやってきた久保田君は「なんだ、お前来てたんなら先に言えよな」と笑う。
 いきなり現れた久保田君たちになんだかばつが悪そうな顔をする生徒は僕から手を退く。そして、そこで僕に絡んでくる連中に気付いたようだ。

「ん?あれ?もしかしてお取り込み中?」

「今からこいつ昼飯連れて行きたいんだけどさあ、時間かかりそう?」いつもと変わらない笑みを浮かべた久保田君は言いながら近くにいた生徒に声をかける。
 そして、予期もしない仲裁に連中は白けてしまったようだ。
「いや、いいや、やっぱ」と引きつった笑みを浮かべるその生徒は口ごもらせながら後ずさった。
 この場合は怖じ気付くとも言うのかもしれない。

「あ、そーう?ならこいつ貰ってくわ」

 そんな連中の態度に気付いているのかいないのか、先程と変わらない調子で続ける久保田君は言いながら僕の腕を掴み、自分へと寄せるように連中から引き離した。

「わ、わ……っ」

 そして、そのまま呆然とする連中に手を振る久保田君に連れられ離れたところまで移動する。
 連中の姿が見えなくなってからようやく足を止めた久保田君はその後ろからついてきていた取り巻きの男女に向き直った。そして、にこりと笑う。

「ってことだから、悪いけどちょっと抜けるわ」

 そうなんでもないように続ける久保田君だが思ったよりも取り巻きの男女の反応は寛容なものだった。

「おー」
「んじゃ先に俺ら食堂行ってるから」
「早く来なよー」

 そうきゃっきゃと騒ぐ取り巻きたちは口々にし、言われた通りその場を後にする取り巻きたちに久保田君は「了解」と笑いながら彼らに手を振る。
 そして取り巻きたちが立ち去り改めて外野がいなくなったとき、そこでようやく僕は久保田君を見た。

「……久保田?」
「ん?……ああ、ちょっといいか?」

 狼狽える僕の心情を悟ったようだ。
 浮かべた笑みを僅かに強張らせ、そう確認する久保田君になんとなく緊張しながらも僕は小さく頷き返す。

 ◇ ◇ ◇

「いたたた!痛い痛い痛い!」
「んー?あっれー、可笑しいな。この薬であってるはずなんだけどな」

 傷口に染みる痛みに耐えれず声を上げる僕に対し不思議そうな顔をした久保田君だったが「あれか、良薬口に苦しってやつだな」と納得したように笑う。ちょっと違うと思う。
 場所は変わって保健室。
 久保田君に連れられるがままやってきた僕は久保田君と向かい合うように椅子に座っていた。
 今、養護教諭は席を空けており保健室には誰もいない。
 そこで、先日渡利君に殴られた傷を消毒するとか言い出した久保田君にされるがままに消毒液を塗られていたが、とにかくこれがまた痛い。
 そんなやり取りをしているとようやく消毒が終わったようだ。
 離れる久保田君の手が離れたと思ったら、今度は絆創膏を取り出す久保田君。

「ほら、これ貼るから動くなよ」

 言いながら顎を掴まれ、少し上を向かされる。
 なんかこの体勢は、やばいな。身長差があまりないせいか久保田君の顔が近く感じてなんかもう顔から火を吹きそうだったが、久保田君本人はというとそんなのもお構いなしに僕の顔を覗き込んでこちらを凝視する。

「おぉ、大分よくなってんじゃん。ここ。……跡残らなきゃいいんだけどな」
「大丈夫だと思うよ、多分」
「だといいな」

 顔の輪郭をなぞる久保田君の指が気持ちよくて、こそばゆくて、されるがままになりながら僕は久保田君の手に顎を乗せ大人しくする。
 こうして、久保田君に治療してもらうのは初めてではない。
 渡利君に殴られたあの日や、古屋君と入れ替わる前、転ばされて怪我したときなどにも何度か治療してもらったことがあった。そんなことを思い返しながら、なんだか酷く懐かしい気持ちになったときだ。

「そういや古屋、お前最近騒がれてんな」

 そう、ふと表情から笑みを消した久保田君は静かに尋ねてくる。
「騒ぎ……?」一瞬その意味がわからずきょとんとした僕だが、昨日今日古屋君の友人らしき人々にメールのことでごちゃごちゃ言われたことを思いだし、「あぁ」と小さく納得した。
 そんな俺に対し、久保田君は僕の顎を掴んだままこちらを見据える。

「メール、なんで他のやつらにあんなの送ったんだよ」
「……それは、」

 わからない。だってそのメールを送ったのは古屋君であり、僕が送ったわけじゃないのだから。
 見据えられ、上手く言葉が出てこない。

「皆悲しんでたぞ」
「……ごめん」
「や、謝んなくていいよ別に」

 こんなことになったことがなくてどうすればいいのかわからなかった僕に対し、久保田君はどこか困ったように苦笑を浮かべる。
 そして、「俺の方こそごめんな」と申し訳に続けた。
 一瞬久保田君の言葉の意味がわからず、僕は「え?」と素っ頓狂な声を上げる。

「なんかさ、ほら、もしかしてお前に無理させてたんじゃないかって思ってさ。……それで、ストレスとか溜まってあんなことしたのかと」
「それは……」

 違う。そう、否定したかったのにその一言が出ない。
 この体で、口で、下手な真似をすることに躊躇っている自分がいた。
 なにも言えず、ただ無言で狼狽える僕に久保田君は小さく笑う。
 そして、

「なんかごめんな。今まで」
「……っ」

 その一言に、酷く胸が窮屈になった。
 これは、古屋君の体だ。久保田君の目の前にいるのは古屋君だ。僕じゃない。そうわかってるはずなのに、まるで自分が言われているみたいで息苦しく感じずにはいられなかった。
 絆創膏を傷口に宛がい、そのまま貼り付ける久保田君は「なんて顔してんだよ」と今度はいつもと変わらない笑顔を浮かべる。

「はい、おしまい」

 言いながら、口端の切り傷に絆創膏を貼り付けた頬を撫で、そのままするりと手が離れた。
 その指の感触が名残惜しくて視線を向けたとき、「あとさ、一つだけ聞いていいか?」と久保田君は静かに尋ねてくる。
 そして、その問い掛けに緊張しながら小さく頷き返せば久保田君は真っ正面から僕を見据え、視線が絡み合った。

「なんで俺にだけメールしなかったんだよ」

 その一言に、鼓動が加速する。全身の筋肉が強張った。
 古屋君がどういう意図でか複数人に送信した中傷メール。それを、久保田君にだけ送っていないなんて。
 僕が中に入っている古屋将という人間を周りから孤立させるための作戦だっただろうに、肝心の久保田君にそれが出来なかった古屋君になんだかもう聞いているこっちが聞き苦しくなる。
 なんでそんなに分かりやすすぎるんだ。

「なあ、教えてくれよ」

 流石の久保田君も、薄々気付いているのだろう。古屋君の行動の意味が。
 そして、わからなくなっているのだろう。古屋君自身の思惑が。

 尋ねられ、身がすくむ。
 なんでこんな肝心なときに本人がいないんだ。ここは、僕がいていい場所ではない。
 そうはわかっていたが、残念ながらここに彼はいないし久保田君の目の前には僕しかいない。
 恐らく、古屋君にとって重要なところではないのだろうかと、思う。
 第三者である僕がそう思うくらいのだから、そりゃあもう余程の。
 逃げることも出来ず、進むことしか許されない。
 彼なら、なんて答えるだろうか。多分、なにも答えない。だから敢えて僕は、彼とは違う選択肢を選ぶことにした。
 手に滲む嫌な汗を拭いながら僕は「それは」と小さく唇を開く。

「っ……それは、多分、久保田君に嫌われたくなかったから……」
「……嫌われたくないってどういう意味で?」

 意地悪なのか、好奇心なのか、純粋な疑問なのか。
 わざわざそう執拗に尋ねてくる久保田君に僕は狼狽え、そして、相手の目を見据える。
 なにを考えているのか、不安そうにじっとこちらを見てくる久保田君の目に場違いながらも昂ってしまう自身を宥め、僕は小さく息を吐いた。
 そして、僕は今世紀最大のお節介を焼く。停滞したこの状況に、変化を求め。

「君のことが、好きなんだ」

 彼は、と心の中で呟く。
 一瞬、辺りに静寂が走り、久保田君の目がゆっくりと見開かれた。
 ああ、言ってしまった。これで、彼に告白したのは二回目になるが、なんだろうか。
 自分の思いを告げるよりもずっと、気持ちがいい。
 いいが、余計なことしてしまったんじゃないかという不安感諸々が込み上げてくる。
 言い表せない達成感に爽快感、羞恥に後悔。それらが混ざり合い、なんとも言えない余韻に浸りかけたときだった。

 ガタリ、と。
 不意に保健室の扉が音を立てて開く。
 つい反射で振り返れば、そこには目を見開いた僕──いや、古屋君本人が立っていた。
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