成り代わり物語

田原摩耶

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前編【誰が誰で誰なのか】

15

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 翌日。

「じゃあ古屋君のことはよろしくね」

 学校内、人気のない廊下にて。
 目の前に立たせた渡利を見上げながら俺は「一人になったところを、だから」と念を押す。
 が、渡利の表情は相変わらず納得いかなさそうなもので。
 朝からずっと機嫌が悪いというか、昨日の夕方、あれから姿を消した渡利に避けられ朝も迎えに来なかった渡利を無理矢理捕まえることに成功したのはついさっきのことだった。
 電話を掛けまくって校内を探しまくっているとどうやら渡利は俺の後をつけていたようだ。
 たまたま背後を振り返ったところに目が合い、こうして強引に捕まえることに成功した。
 そして一通り今回の作戦を渡利に説明した俺は聞いてるのか聞いていないのかパッとしない生返事を返してくる渡利を無理矢理馬淵のもとへ向かわせる。

「……ふぅ」

 渡利の性格だ。
 あの悪趣味暴漢、どうやら残念ながら馬淵(というよりもこの身体)にご執心のようだし言うことを聞いてくれるに違いない。ではなければ困る。
 ……やっぱり、ちゃんと俺もついていった方がいいのかもしれない。

 予め『これからのことで話がある』と馬淵にメールを送り、人気のない場所に馬淵を呼び出す。
 元に戻りたがっている馬淵のことだ。間違えなく来るはずだろう。
 そしてそこへ送り込んだ渡利が馬淵と鉢合わせになり、それからは渡利にストレス解消でも好きにさせればいい。そんな単純明快な作戦だったが、やはり反抗的な渡利の態度は気になった。
 面倒臭いが、念のため渡利の後をつけていくか。
 立ち去った渡利の後を眺め、そう慌てて後を追い掛けようとしたときだった。

「あ、馬淵くーん見っけ」

 不意に肩を掴まれる。すぐ耳元で聞き覚えのある声がし、背筋がぞわりと粟立った。
 咄嗟に、生暖かい息が吹きかかった耳元を手で押さえながら振り返ればそこには見覚えのある男子生徒が立っていた。
 着崩した制服に派手な髪型。昨日、俺を人間タンクに仕上げた不良の一人、不良Aだ。

「あれれ、無事だったんだ。あの後戻ったらいなくなってたからさあ、心配したじゃん」

 どうやら一人のようだ。下品に笑いながら肩を撫でられ、あまりの不快さに顔をしかめた俺は不良Aを睨む。
 そんな俺に構わず、不良Aは「自力で抜け出したわけ?」と楽しそうに笑いながら顔を近付けてきた。
 鼻をつく香水の匂いに気分が悪くなり、このままでは面倒なことになり兼ねない。そう判断した俺は肩に触れる不良Aの手を振り払い、そのまま何事もなかったかのように歩いていく。
 が、勿論ただで帰してくれるわけがなかった。

「おい、無視すんなって」

「なあ」不意に不良Aの手が伸びてきて再度腕を掴まれそうになる。
 その時だった。横から伸びてきた手に、触れそうになった不良Aの腕は掴み上げられる。
 それは一瞬のことだった。
 いきなり大人しくなった不良Aに何事かと思って背後を振り返ったとき、そこには見慣れた男子生徒が立っていた。

「くぼ、た……っ」

 一瞬、その姿を確認したほんの一瞬、確かに俺の心臓は止まった。
 いきなり現れ、仲裁に入ってきたその人物に目を見開いた俺はその名前を口にする。
 久保田だ。久保田がいる。久保田が。
 加速する鼓動。久保田と顔合わせできたことに対する嬉しさで胸がいっぱいになったが、それ以上に昨日の久保田の顔を思い出し今すぐ逃げたくなった。
 それでも、どうやら俺の身体は思ったよりも正直者なのらしい。足がすくみ、目の前の久保田を見詰めたまま俺は硬直した。

「んー、あ……もしかしてこいつに用あったりする?」
「……や、別に」
「ああ、そう?ならよかった」

 そんな俺に構わず、不良Aと短い会話を交わす久保田だったがそれもすぐに終わった。
 言いながら、俺の二の腕を掴んだ久保田は「んじゃちょっとこいつ借りていくな」と不良Aに対し困ったように笑いかける。一瞬、久保田の言葉の意味がわからなかった。

「え……っ」

 久保田が俺に用?なんの?昨日のことかやっぱり。馬淵の野郎になにか言われたのかもしれない。嫌われた?でも、腕、触れてる。やばい。久保田に腕掴まれてる。暖かい。恥ずかしい。嬉しい。
 でも、なんなんだこの展開は。
 一方的に言葉を残すだけ俺の腕を引いて歩き出す久保田に引っ張られ、バランスを崩しそうになった俺は慌てて歩幅を合わせることによってなんとか持ちこたえる。
 不良から、助けてくれたのだろうか。相手が友人の久保田だからかあっさりと身を退いた不良Aをちらりと一瞥した俺は目の前の久保田の背中を見据える。
 今自分が久保田に手を引かれていると思えば自然と胸が高鳴り、顔が熱くなった。
 目のやり場に困り、俺は、ただひたすら久保田についていく。

「あ……久保田……っ」

 そして、あまりにもいきなり現れた久保田に対する動揺と緊張で上手く動けなってしまった俺は、そうすがるように久保田の背中に声をかける。
 すると、こちらを振り返った久保田はどうやらもたつく俺に気付いたようだ。

「悪いな、急に」

 周りに人気がないのを確かめ、慌てて足を止めた久保田はそう申し訳なさそうな顔をしながら「強く引っ張っちゃったな」と眉尻を下げる。
 離れる手がただ名残惜しかったが、先ほど掴まったままではこちらが可笑しくなってしまいそうだったのでその判断は間違っていない。

「いや、それは……別に構わないけど……」

 久保田に触られてた箇所をそっと押さえながら俺は慌てて首を横に振る。
 気まずい、と言うのだろうか。
 昨日、相手を傷付けてしまったことからの後ろめたさからか目の前の久保田を直視することが出来ない。
 それでも、目の前の久保田を意識しないことが出来ずただ張り裂けそうになる胸が苦しくて堪らない。
 そんな俺に久保田は小さく苦笑を漏らし、そしてどこか困ったような顔をして俺を見据えた。

「えーっと……その、なんつーか……傷、大丈夫か?」
「……うん」
「そっか、ならよかった」

 どうやら、なにを話していいのかわからず戸惑っているようだ。
 相手に気を使わせてしまっている自分が腹立たしくて堪らない。
 それでも、俺同様久保田が緊張していると思ったら嬉しく感じてしまうのは最早性なのかもしれない。

「それでその、昨日のことだけど」

 ぽりぽりと頭を掻きながら、久保田はそう言いにくそうに口を開く。
 どくん、と心臓が大きく脈を打った。

「あいつと喧嘩したのか?」

 まあ、優しい久保田のことだ。間違えなく昨日のことを尋ねてくるだろうとはわかっていた。
 不安そうな、申し訳なさそうな、勘繰るような、諦めたような、呆れたような、そんな色が混ざった久保田の言葉に狼狽えることはなかった。
 ああ、でもなんでだろうか。せっかく二人きりになれたのに、素直に喜べない。
 これも馬淵のせいだ。
 真っ正面から見据えられ、ドクンドクンと心臓が一層大きく跳ね上がる。
 緊張してるのか、俺が。
 今まで久保田の隣を定位置にし、唯一リラックス出来る場所としていた俺が。
 緊張してるのか。

「馬淵」

 珍しく真面目な声音に、全身の筋肉がギクリと緊張した。
 久保田の視線に耐えれず、気付いたら俺は「僕は」と口を開いていた。

「その……喧嘩っていうか、古屋君に盗られた携帯取り返そうとしただけなんだ。友達に頼もうとしたら、あんなことになっちゃって……」

「本当に喧嘩するつもりはなかったんだ」渡利君が勝手にしただけで。
 そう、動揺を隠しながら俺は言葉を続けた。あの決定的な場面を見られてしまった今、全てを馬淵と渡利に擦り付けるこの方法でしか紛らすことができないだろう。あくまでシラをきる俺の言葉が引っ掛かったようだ。

「古屋が携帯を?」
「うん」

 そう目を丸くさせる久保田に小さく頷き返せば、やはりなにか腑に落ちないようだ。
 難しい顔をしてなにか考え込む目の前の久保田にばくばくと鼓動は高鳴るばかりで。
 バレただろうか。内心滲む冷や汗に、この嫌な沈黙に、俺はゴクリと固唾を飲み込む。
 そして、久保田は笑った。

「なんかよくわかんねーけど、まあ、あんま喧嘩すんなよ」

「喧嘩させるためにお前を古屋に紹介したわけじゃないんだからさ」そう、いつもと変わらない笑みを浮かべる久保田は考えても無駄だと悟ったようだ。
 鈍感も、ここまで来ると愚かと言われるだろう。それでも、俺はいつもと変わらない久保田の朗らかな笑顔に心底ほっとした。

「……うん、わかった。僕の方からも古屋君に謝っておくよ」
「あぁ、馬淵が物分かりいいやつで助かったよ。ちゃんと仲良くしろよ」

 安堵からか全身の筋肉が緩み、微笑みを浮かべながら適当なことを言う俺に久保田は安心したように笑った。
 ああ、よかった。また久保田から笑顔を向けてもらえることになるとは。
 もしかしたら嫌われたのかもしれない。そう最悪の想定をしていただけに、変わらない久保田の様子に俺はただほっとした。

「あと、他にもなんか困ったことがあったらすぐ俺に言えよ。俺が出来ることならなんでも力になるから」

 でれでれと頬を緩ませたときだった。
 伸びてきた久保田の手が頭部に触れ、そのままぐしゃぐしゃと頭を撫で付けられる。
 大きくて暖かいその手の感触に目を丸くした俺は久保田を見上げ、そして目が合った。
 馬淵の体だからか相手を見上げるようなこの体勢は新鮮で、そして、なんとなく、緊張する。

「うん、わかった」

 軽く押さえ付けるように髪をかき混ぜてくる久保田の手がくすぐったくて、目を細めた俺はそう口角を持ち上げ微笑んだ。

 久保田に頭なんて撫でられたことなかった。
 肩を組むなどの多少のスキンシップはあったが、やはりいつも隣にいたからだろうか。こうやって見詰められて頭を撫でられたことは初めてだった。
 子供扱い、というよりこういう風に優しくされたことがなかった俺からしてみたらドキドキして心臓が可笑しくなりそうなくらい嬉しくて、ずっと撫でていてもらいたいくらい心地よくて、それと同時に自分が今馬淵の姿をしていることを思い出しなんとも言えない歯痒さを覚えずにはいられなかった。

 久保田と別れ、俺は歩いていた。
 久保田の用というのは俺との、もとい馬淵との仲直りを促すものだったようだ。
 一頻り話を終え、他の生徒に呼び出されたらしくそっちへと向かった久保田と別れた俺はそのまま渡利たちの元へ向かった。久保田に言われたように馬淵と仲直りするため、ではない。
 ただの傍観だ。どちらにしろ、渡利の後はつけるつもりだったし。
 というわけで、俺は渡利たちを探すために校内を歩き回り、そして、あっさりと二人の姿を見つけ出すことに成功した。

 ◆ ◆ ◆

 チャイムが鳴り、授業が始まる。
 そして人気が無くなった校舎裏に渡利と馬淵はいた。

「だから、君は騙されてるんだってば!」

 廊下の窓から二人の影を見付け、慌てて校舎裏へと向かったときだった。
 声が聞こえた。聞き覚えのあるその声は間違いなく俺の声で、そのナヨナヨとした口調は間違いなく馬淵のものだろう。
 切羽詰まったような悲痛な声に、たった今丁度物陰から踏み込もうとしていた俺はピタリと足を止めた。

「僕が馬淵、馬淵周平だよっ、今君が一緒にいる僕の体の中にいるのは僕じゃない
 古屋君だ……ッ」

 なんというタイミングだろうか。
 というか、まあ、一歩遅れたといった方が適切なのかもしれない。
 渡利に胸ぐらを掴まれ、そのまま校舎の壁に背中を押し付けられた馬淵は所々青く変色した顔を不細工に歪め、声を上げる。
 昨日のものか今出来た傷か俺には判断つかないが、この際どうでもいい。

「……」

 不思議と冷静だった。正直、こうなることは予め想定していた。
 無言で、止めていた足を再び動かした俺はそのまま二人に歩み寄る。

「馬淵……?」

 近付く足音に気付いたようだ。目を見開き、意味がわからないと眉間を寄せた渡利は背後に立つ俺の方を向き、恐る恐る名前を呼ぶ。
 馬淵の馬鹿が考えることなんて大体想像つく。
 渡利に殺られそうになったら、そうネタばらしをして味方にする魂胆なのだろう。
 浅はかで馬鹿馬鹿しく、実に馬淵らしい考えだと思った。
 だけど、正直こいつの反応は予想外だった。

 渡利敦郎。
 こいつは、俺の予定では「うるせえ意味わかんねえことほざいてんじゃねえぞ」とか言いながら馬淵を殴って半殺しにするはずだった。
 なのに渡利は目を見開き、ただ呆然とこちらを見る。まるでショックを受けたような顔をして。
 わりと、純粋なのだろうか。男子高校生に純粋っていうのもあれだが、こんなに簡単に相手の言葉を受け入れるなんて普通はできない。普通は。
 まさか、馬淵の野郎になにか吹き込まれたのだろうか。

「渡利君」

 咄嗟に、名前を呼ぶ。
 詰め寄って、唖然とする渡利の肩を掴み「なにやってんの?早くボコってよ、こいつ」と口早に続ければ渡利は素で狼狽えたような顔をした。

「……っ」
「なに、君、まさかコイツの頭可笑しい言い訳を信じたわけじゃないよね?」

「渡利君」と、もう一度名前を呼べば、ぎり、と渡利は歯を噛む。
 そして、なにも答えない。どうすればいいのか迷っているのだろう。確かにその顔には狼狽えがあった。

「渡利君ってば」

 相手を正気に戻すため、肩を強く揺すった俺は渡利の耳元で名前を呼ぶ。
 反応しない渡利に焦れて、僅かに語気が強まった。

「っ」

 そして、そのときだ。ようやく反応したと思えば、渡利は目の前の馬淵の胸ぐらをぐっと掴み、ぎゅっと硬く握った拳を馬淵の顔面目掛けて降り下ろす。
 よし、流石に渡利も馬淵なんかの言葉を真に受けるほど馬鹿ではなかったようだ。
 そう安堵の胸を撫で下ろし、そっと渡利から手を離したときだった。
 顔を逸らし、迫る渡利の拳をギリギリ避けた馬淵はそのまま頬を掠る渡利の腕を一瞥し、そして、落胆したように眉を下げる。

「君は、本当に……っ」

 呆れたような、諦めたような目。
 目の前の渡利を見据え、苦々しく顔をしかめた馬淵はそう吐き捨てる。
 そして渡利の腕を掴み、振り払った。あの鈍臭い馬淵が渡利を避けることが出来るはずがない。
 だとすれば、どこが手を抜いているのかはすぐに分かった。

「なにやってんだよ」

 馬淵にあっさりと振り払われる渡利を睨む。わざと手を抜いたのか。それとも、馬淵の戯れ言に惑わされ、調子を狂わされたか。
 どちらにせよ、目の前に馬淵がいるというこの事実が不快で仕方がない。
 そんな俺の目に気付いたのか、どこかばつが悪そうな顔をした馬淵は渡利を見る。

「今の君にはなに言っても無駄だろうから落ち着いたら僕のところに来てよ。今度、ちゃんと全部説明するから」
「なに意味わからないこと言って……」

 最後の最後まで余裕かまし、そのままその場を離れようと背中を向ける馬淵に手を伸ばす。
 好きなこと言って引っ掻き回すだけ回させて逃がすわけがない。
 渡利が使い物にならないなら、自力で馬淵を捕まえればいいだけだ。
 そう思って、馬淵の制服を引っ張ろうとしたときだった。不意に、伸びてきた腕に腰を捉えられる。

「渡利っ」

 あろうことか俺の邪魔をしてくる渡利に我慢出来ず、声を荒げる。
 全身を流れる血がたぎる。イラついて、腰を抱きすくめてくる渡利の密着した上半身を力任せに叩き、剥がそうとするが儘ならない。
 それどころか抱き締めてくる筋張った腕に力は込められ、身動きが取れない。
 ああ、本当、こいつは。なんなんだこいつは、俺の邪魔ばかりをして。なんなんだ、こいつは。
 馬淵は、いなくなっていた。俺が渡利に捕まえられている隙を突いて逃げたのだろう。
 周りから馬淵の姿が消え失せていても、それでもまだ今からでも追い付くことが出来るかもしれない。
 そう思って、俺は渡利の顔面を殴ろうとするが肘を曲げた時点で相手に悟られてしまったようだ。右手首を取られ、そのまま掴み上げられる。

「離せよ、約束が違うだろ」

 骨が軋み、関節が痛む。
 苛ついて、歯痒くて、目の前の渡利が目障りで目障りで仕方なくて、馬淵の真似をする余裕を無くした俺はそう怒鳴った。
 それでも渡利の拘束が緩むことはなく、掴み上げられた掌にはじんわりと汗が滲む。
 真正面、至近距離から渡利に睨まれた。そして、沈黙。
 短い睨み合いの末、ようやく渡利の唇が動いたと思ったときだった。

「いつからだ」
「は?」
「いつから、そんな風になったんだって言ってんだよ」

 どうやら、渡利は俺と馬淵に起きたこの怪奇現象のことを言っているようだ。
 いつから、と言われればいつからだろうか。
 一週間か、まだちょっとか、いちいち覚えていないしわざわざ教えてやる気もなかった。


「……なにそれ、もしかしてまじであいつの言うこと信じてるの?」


「僕は産まれたときからずっと馬淵周平だよ。ずっとね」あまりにも馬鹿げた渡利の言葉に呆れた俺はそう嘲笑を浮かべ、手首を掴む腕を振り払おうとするが、やはり外れない。
 今度は、渡利は狼狽えない。
 なにかを確信したのか、ただ勘繰るような瞳で俺を見据える。

 未だ渡利の腕の中、居心地は最悪だ。

「俺の嫌いな食べ物は」

 小さな沈黙の末、渡利はそう静かにたずねてくる。
 いきなり何を言い出すんだ、馬鹿かなにかなのだろうか。
 一瞬相手の意図が理解できず脈絡のない質問に眉を潜めるが、どうやら渡利は俺が本当に馬淵かどうかを確かめているようだ。試されるのは嫌いではないが、生憎俺はやつが嫌いなものを知っている。

「柑橘類」
「俺が小学生のとき入院してその見舞いにお前がよく持ってきていたのは」

 正解不正解を言わずに第二問目とか、本当に不親切だ。
 面白くない。第一、なんだその質問は。
 完全に身内話じゃないか。そんなの、わかるはずがない。

「そんなの、覚えてるわけないから」

 渡利を睨む。わかりにくいからこそ、この言い訳は通用する。
 どうせ渡利が勝手に意識していただけなのだろうし、俺が馬淵だったとしてもやつは覚えていないはずだ。
 この答えにも、渡利は僅かに顔をしかめるだけで正解不正解を口にしなかった。

「じゃあ、俺がお前に告ったのは」

 そして、第三問目。渡利の口から問題が吐き出される。
 一瞬、その言葉が理解出来なかった。

「……は?なに」
「答えろよ。馬淵なんだろ、お前」

「まさか、忘れたなんて言わねえよな」詰るような、挑発的な渡利の言葉。それはどこかすがるような色を孕んでおり、怒気を含んだその視線に懇願するようなそれが滲んでいるのに気付いた。
 わからなかった。純粋に問題の意味が。
 渡利が馬淵に告白だと?有り得ない。
 だって、渡利と馬淵はそういう風な間柄には見えなかった。いや、しかし、昨日までの渡利の馬淵への過剰な行動言動を考えれば、益々分からなくなる。
 これは言わば引っ掛け問題なのだろう。適当にそれらしいことを言って取り乱す俺を見て判断する。
 そんな引っ掛け問題だ。
 だから、俺は答えた。「僕は、君に告白された覚えはないよ」と。
 その瞬間だった。

「…………」

 ずるりと、手首から渡利の手が力なく外れる。

「なに、その反応……」

 まさか、本当に。
 緩む拘束が気になって渡利を見上げたとき、いきなり振り払われた。
 パシンと渇いた音がし、叩き落とされた手の甲がじんと痺れる。咄嗟に手の甲を押さえた俺はそのまま目の前の渡利を見据えた。

「渡利君」
「お前、誰だよ」

 名前を呼ぼうとして、喉奥から絞り出すような渡利の声に遮られる。
 焦りと混乱で掠れた声。滲み出すは警戒心。隠しきれていない殺意に空気がピリピリと張り詰め、俺は浮かべていた笑みを引っ込めた。
 本当に渡利が馬淵に告白していたことにも驚いたが、まあ、想定内だ。
 ただ、このタイミングでバレてしまったのは手痛い。が、渡利と馬淵の関係がわかっただけ大きな収穫だ。

「誰って、馬淵だよ。馬淵周平に決まってるじゃん。それ以外に誰が」
「誰だって言ってんだよ、てめぇ」

 それでも尚、馬鹿な渡利相手ならまだやり過ごせるかも知れないと思ってそうしらばっくれてみるが、やはり無理があったようだ。逆上した渡利に胸ぐらを掴まれ、再び引き寄せられる。
 首元が締め付けられ、少しだけ苦しい。
 渡利の手首を掴み、爪を立て皮膚を裂くように相手の手を振り払えば、睨まれる。
 昨日のキツい視線とはまた違う、それは敵意を孕んだものだった。
 しかしまあ、このタイミングで渡利にバレてしまうのは予想外だった。
 せっかく昨日わざわざ身を張ったのだから利用できるまで利用したかったのが本音だが、まあ、その代わりにいいことを聞いたわけだし利用価値はある。
 それに、まだ渡利を手放したくないのも本音だ。だから俺は怯まず、まっすぐから渡利の視線を受け入れることが出来た。

「もし、僕が……俺が、馬淵周平じゃないとして、渡利君はどうするの?それを確かめて渡利君はどうするの?もし僕が馬淵周平じゃない別の誰かだとしたら、困るのは渡利君の方なんじゃないの?」

「それでも君は本当に知りたいの?」僕が本当に僕かって。
 そう渡利を見据えた俺は薄く微笑んだ。我ながら、舌を噛みそうだ。

 嫌な沈黙がその場に流れた。
 ただでさえ人気がなくじめじめとした校舎裏がいつもより湿っぽく感じてしまうのは俺の感性の問題かもしれない。まあ、どうでもいいか。

「なにが、言いたいんだよ」

 沈黙の末、重々しく口を開いた渡利はそう唸るように吐き捨てる。
 視線が痛い。元々目付きが悪いやつだと思っていたが、目の前の渡利からは通常時とは比にならないくらいの敵意が剥き出しになっていて。
 こうして見ると本当ただの不良だなぁと思う反面前日の弱った渡利を見ていたせいか、これも渡利なりの虚勢だと思うとなんとなく親近感を抱く。
 だからと言って慰めるつもりも弁解するつもりもないのだが。

「僕が誰であろうと渡利君には約束は守ってもらうって意味だよ」

「わざわざヤらせてあげたんだからさ、ちゃんと責任取ってくれるよね?」そう、笑いながら確認するように小首を傾げれば眉間を寄せた渡利は「約束だと?」とこちらを睨む。

「それとこれとは別だ!なんで俺がどこの馬の骨かもわからないやつとの約束を守らなきゃいけないんだよ!」
「それはもちろん約束だからに決まってるじゃん」

 怒鳴る渡利に気圧されないよう、こちらも虚勢を張って言い返す。
 そう、約束だ。渡利は俺の言いなりになる代わりに、この馬淵の体を好きに犯していいと約束した。その約束は中身が誰であろうと成り立つ。
 それでも認めたくないのか、じわじわと顔色を悪くする渡利をじっと見据えた。

「まあ、君が約束守ってくれないなら僕にも考えがあるから」

 そして、いいながら俺は制服のズボンに手を突っ込む。
 渡利の視線がこちらに向いたのを確認し、予め制服のポケットに忍ばせて持ち歩いていたカッターナイフを取り出した。
 まさかこの文房具をこんな風に使う日が来るなんてな。
 なんて思いながら、渡利の目の前でカッターの刃を出し、露出した手首に押し当てようとしたときだった。

「っ!」

 何事かと目を見開いた渡利は乱暴にカッターを手にした俺の腕を掴み上げ、強引に手首から引き離す。
 わかりやすいやつだとは思っていたが、まさかここまでわかりやすいやつだとは。
 予想通り自傷行為を止めてきた渡利に思わず笑みを浮かべながら、俺は目の前の渡利を見上げ、口角を持ち上げる。

「お前、なにやって……ッ」
「君の大好きなこの体を傷付けたくないなら言うこと聞いてよ。ってこと」

「まあ別に僕はこんな体どうなろうと構わないんだけどね」君はそうじゃないみたいだから。
 そう、含み笑いを浮かべ続ければ、顔をしかめた渡利は悔しそうに歯を噛み締める。
 図星か。適当に言ったつもりだが、想像以上にいい相手の反応になんだか面白くなくなった。
 それでも浮かべた笑みは絶やさぬよう、俺はただひたすら言葉を口にする。

「ただ言うことを聞いてくれるだけでいいんだよ。そうしたら、この体は君の好きなようにしてもいいからさ」

「ヤりたくなったら馬淵の真似もして喘いでやるし」本当はやりたくもないが、不本意ながら目の前のこいつが馬淵に好意があるとわかった今それを利用するほかない。しかし、渡利の反応は意外なものだった。

「やめろ。あいつの口でそんなこと言うんじゃねえ」

「あいつのフリもするな」虫酸が走る、と、小さく口を動かし吐き捨てる渡利は乱暴に俺の胸ぐらを掴み、引き寄せるように真っ正面から睨み付けてきた。首が絞まり、苦しい。

「ああ、そう?せっかくサービスしてやろうと思ったんだけど」

 思ったより話にならないな。思いながら、襟を掴み上げてくる渡利の手首を掴みながら「まあいいや、俺もこっちの方が楽だし」と笑いかける。
 久し振りに素の喋り方になっただろうか。
 いくら状況が状況とはいえやはり馬淵の真似は楽しいものではなかっただけに、渡利の意味不明理解不能な我が儘はありがたいものだった。
 思いながら、口調を砕けさせれば渡利は胸ぐらを掴んだままじっとこちらを睨む。
 そして、

「お前、古屋将だな」

 不意に、名前を呼ばれた。懐かしいその響きに、馬淵以外のやつに呼ばれたのって結構久し振りかもしれない。なんて思いながら俺は「あれ、バレるの早いな」と笑みを浮かべる。

「改めて渡利君、初めまして。これからもよろしくね」

 そして、目の前の相手を見据えたまま俺は渡利に笑いかける。



 数日後。

 渡利に正体をバラしてからというものの、特に変化はない。
 絡まれれば渡利を盾にする。けれど、やはり渡利の態度がよそよそしくなった。会話がなくなった。
 別に渡利と馴れ合うつもりはないのであくまで些細な変化だったが、敢えていうなら渡利が馬淵に近付かないように見張るようになったのもそうだろう。
 あの日、あの場所で馬淵は渡利に会いたいだとかなんか言った。もちろん会わせれるはずがない。なにがなんでも馬淵をボコりたいのもあったが、今の渡利を馬淵に近付けたところで相手に引き込まれるだけだ。
 だから、どうにかして渡利を馬淵に接触させずに馬淵をボコらせる方法はないかと考える俺だが、いい案はない。

 夜、自室にて。
 なにかないだろうか。
 そう考え込む俺は、部屋の予備充電器に刺さったままになった自分の携帯電話を見付ける。
 ああ、そうだ。この手があったな。
 今まで知り合った人間のアドレスが大量に記載されたそのアドレス帳を開き、俺は一人一人にメールすることにした。
 やり方は、簡単だ。相手を古屋将本体である馬淵に敵意を向けるような悪質な本文を入力し、送信。
 何人が真に受けるかわからないがまあ、この際馬淵が痛い目に見てくれるなら構わない。だけど。
 久保田宛のメールを開いたまま、俺は躊躇っていた。
 久保田が馬淵を嫌ってくれれば、それが一番いい。わかっているはずなのに躊躇ってしまうのはこの携帯が自分のものだとわかっていたからだろう。
 先日、久保田と話したときのことを思い出し、気付いたら俺はメール作成を中止していた。
 ああ、やっぱり、ダメだ。
 久保田にだけは、こんな真似出来ない。
 つくづく自分の弱さが嫌になって、大量の受信メールで震える携帯電話を握り締めたまま俺は布団に寝転んだ。
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