成り代わり物語

田原摩耶

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前編【誰が誰で誰なのか】

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 どれくらい経っただろうか。
 そんなに時間が経っていないはずなのに、もう何時間も経ったような錯覚を覚えた。
 腹部に溜まっていく水は時間が進むにつれかさを増し、不自然に膨らむ腹部に体重がかかり手足がぎっと軋む。
 このまま放置されれば手足の関節がいかれ、不良連中が言った通り腹が破裂するかもしれない。
 想像して、背筋がぞっとした。

「っ、んぐ……ぅ……」

 体勢が体勢なだけに動くことも儘ならず、こんな状況下で俺に出来ることはただ助けが来ることを待つことくらいだろう。
 それでも、ここはただでさえ人気のない男子トイレだ。
 人が来る前に自分が駄目になるのが目に見えてしまい、体内の水とともに沸き上がる恐怖心は爪先まで全身を冷やしてくる。
 苦しい。息すら儘ならない。頭がぼんやりして、次第に感覚が麻痺してくる。
 なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ。
 久保田。久保田に会いたい。体が寒い。嘔吐感に満腹感、疲労感に不安感。
 足がついていないせいか頭がふわふわして、思考回路までも麻痺してきた脳味噌には様々な感情が浮かんでは消え、なんだか妙な気分だった。
 自分が自分ではないみたいで、そんな取り乱す自分を眺めているような不思議な感じだ。

 死ぬのかもしれない。馬淵の体を殺せるのなら本望だ。
 だけど、馬淵の外側だけ死んでも意味がない。
 そんなことを思いながら、吊るされたままぼんやりしていたときだった。
 足音だ。遠くからバタバタと煩い足音が聞こえてくる。
 誰か来たようだ。だとしても、声を出すことも出来ない今それを呼び止めることはできない。
 近付いてくるそれを聞き流そうとしたときだった。足音は、男子トイレの前で止まる。
 そして、

「馬淵っ?!」

 聞き覚えのある怒声。
 伏せていた目をゆっくり開き、そのまま男子トイレの入口に目を向けた。

「……っ」

 渡利だった。
 顔を青くした渡利は便器の前の俺を見つけると目を見開き、慌てて駆け寄ってくる。

「おい、大丈夫かっ!」

 煩い声。
 そんなにでかい声出すな体に響くんだよ。そう言い返したかったけど、その反面渡利の声を聞いて酷く安堵する自分がいた。
 助かった。渡利の問い掛けに小さく首を横に振れば、渡利は舌打ちをする。

「くそっ、今助けるから待ってろ」

 手足のガムテープと下腹部に繋がったホースに目を向けた渡利はそう言って大量の水を吐き出す蛇口を捻った。
 水道を閉められ、破裂するまで腹が膨らむことはなくなったが中の不快感はまだ溜まったままで、次に渡利は挿入したまま固定されたホースを抜くために下腹部に貼られたガムテープをゆっくり剥がす。
 ちょっとやそっとじゃ外れないよう幾重にも貼られたそれは剥がすのに手こずったようだが、あまり時間はかからなかった。
 ピリッとガムテープの端を指で引っ掛かれ、そこからゆっくりガムテープを剥がしていく。
 皮膚を引っ張られ痛んだが、殴られたときに比べたら大したことはない。
 ピクリと眉を寄せ、ホースが刺さった肛門が露になったとき、ボタボタと腹の中に溜まった水が溢れ出す。
 肛門に力が入るような体勢だからだろう。
 遮るものがなくなったそこから止めどなく溢れる水。それを気にすることもなく、渡利は俺の中からホースを抜いた。

「ぅ……っ」

 床に捨てられるホース。
 ピシャリと水が跳ね、ガムテープで塞がれた唇から呻き声が漏れる。

「なんだこの腹、水か?」

 それでもまだ膨らんでいる俺の腹に目を向けた渡利はチッと舌打ちをすれば腰を軽く持ち上げるように手を添え、水でふやけた肛門を無理矢理指で拡げてきた。
 そして、そのまま渡利はもう片方の手のひら全体を使って優しく腹を押す。

「んっ、ぅうッ」

 押し潰すような圧迫感。
 あまりの息苦しさに全身が緊張したとき、拡げられたそこから体内に残った水が溢れた。
 どうやら中の水を出してくれたようだが、無駄に力が強いことに気付いてないのだろうか。トドメを刺す気かと怒鳴りそうになる。

 そんな俺を知ってか知らずか、そのまま腰を抱き締めてくる渡利は片手足とパイプを結ぶガムテープの処理にかかった。
 どうやら手足の負担を軽くするため支えてくれてるようだ。
 自分の服が濡れるのにも関わらずこちらの腰を抱きかかえてくる渡利は気にせず、先ほど同様ガムテープをビリビリ剥がしていく。
 水を浴び、芯から冷えきっていたせいだろうか。
 密着する渡利の体が暖かく、心地がいい。
 人間湯タンポというやつだろうか。
 人肌に触れるのはあまり好きではなかったが、今はただ暖まりたかった。
 吊るされていた片手足が自由になり、そのまま地面を踏もうとするが吊るされたたままのもう片方の手足のお陰で股関節が酷く痛む。

「立てないなら俺の体にしがみついてろ」

 そう、頭上で渡利の声が聞こえてくる。
 しがみつけと言われ、ピンと来なかった俺は言われるがまま渡利の体にしがみつくよう相手の首に腕を回し、足を背中回した。
 しがみつくほどの力はなかったが、臀部に回された渡利の手が抱えてくれるお陰で随分体が楽だった。
 そして、そこで俺は気付く。腰同士が密着し、顔を上げれば渡利の顔。
 ちょっとまて、この体勢は。
 駅弁という二文字の単語が脳裏を過り、全身に嫌な汗が滲む。
 渡利はこのことに気付いていないようだ。もう片方の手足の拘束を解くことに夢中になってる渡利に、なんだ俺はなんとも言えない気分になったがこの体勢が楽なのも事実だ。
 頭を横に振り思考を振り払った俺はそのままぎゅっと渡利にしがみついた。
 しばらくして、もう片方の手足のガムテープも剥がれる。
 ようやく両手足自由になり、俺は最後の拘束、自分の口を塞ぐガムテープを剥がした。

「はぁっ、はぁっ……ぅ゙えッ」

 口を開き、空気を吸うように深呼吸を繰り返せば息吸いすぎておえつが溢れる。
 そのまま小さく咳き込めば、渡利に乱暴に背中を擦られた。

「喋れるか?」

 尋ねられ、俺は数回頷き返す。
 そのまま顔を上げれば、相変わらず怒ったような顔をした渡利と目が合った。

「渡利く……も、大丈夫だから」

 口許を拭いながらそう言えば、渡利はなんのことかと不思議そうな顔をして、そして俺の言葉とこの体勢に気付いたようだ。

「うわっわ、わ!悪いっ!」

 顔を真っ赤にし、慌ててぱっと両手を離した渡利。
 全身の筋肉が衰えた俺の体が支えるものがなくなっても渡利にしがみ続けることができるわけがなく、次の瞬間ずるりと体が崩れ落ちた。
 こんな体でまともに受け身が取れるはずがなく、腰を打ち、みっともなくタイルの床に尻餅ついた俺はじんと焼けるように痛む腰を押さえる。

「いったぁ……ッ」
「わりぃ、大丈夫かっ!」
「大丈夫じゃ……ない」

 水溜まりが跳ね、不快感に顔をしかめる俺に申し訳なさそうに項垂れる渡利は「ご……ごめん」と唸った。
 どうやら思ったよりも素直な男のようだ。
 俺の腕を掴み、そのまま引っ張って立たせてくれる渡利。

「あ、取り敢えずこれ」

 よろめきながら壁に手をついたとき、いきなり渡利が着ていたTシャツを脱いだ。
 一瞬こいつは露出癖かなにか患っているタイプの人種なのかと驚いたが、なにを思ったか脱いだそれを差し出してくる渡利は「俺ので悪いけど、濡れたやつ着て体冷やすよりましだろ」と俺に押し付けてくる。
 お前の方が冷えそうなんだけどと上半身裸の渡利に突っ込みたくなったがまあこんな貧相な体を人目に晒すなんていくら渡利だろうと可哀想だ。
 微妙に顔が赤い渡利を凝視しつつ、それを受け取った俺は「どうも」と言いながら目の前でTシャツを着た。
 体格差はあまりないはずだがガリな馬淵だからだろうか、結構大きく感じる。
 下半身が寒いが、まあ、俺の視界に入らなければどうでもいい。

「すぐこっち渇かすから待ってろ」

 そして慌てて俺から顔を逸らした渡利は「そしたら家に帰るぞ」といいながらタイルの床に出来た水溜まりに落ちたそれを拾い上げ、そんなことを言い出した。

「帰る?」
「当たり前だろ。お前その体で授業出るつもりかよ」
「……まだ帰りたくない」
「駄目だ、帰るぞ」

 どうやら俺の体調を心配する渡利はなんとしても俺を帰らせたいようだ。
 拾い上げた俺の制服はたっぷりと水を吸い込んでいて、その場でぎゅっと絞り水を抜く渡利。
 絞り出された水がぼちゃぼちゃと音を立て排水溝へと流れるのを眺めながら俺は「嫌だ」と答えた。その一言に、「はあ?」と眉をしかめた渡利がこちらを睨む。

「なんでだよ」

 なんでって、そりゃあ久保田との時間を過ごしたいからに決まっているだろう。
 と言えるはずがなく、俺は「だって、まだ授業が……」と答えようとすれば「いいんだよそんなもの」と渡利に怒鳴られた。
 挙げ句の果て「お前本当どこまでも危機感ねーな!」とまで罵倒される。
 馬淵が言われていると思えばなんとかならないでもないが、今意思を持ちこの体を使って話しているのは俺だ。ムカつかないはずがない。
 結局、渇いた(というより絞っただけ)の制服を着させられた俺は渡利に引っ張られるように教室まで行き、教室から荷物を取ってきた渡利に再び引っ張られ校舎を後にした。
 因みに、久保田も馬淵もいなかった。


 住宅街。
 無理矢理渡利に校舎を連れ出された俺は非常に不愉快極まりなかった。
 肌に張り付く便所臭い制服は勿論、問題はこの男だ。

「……」

 動く景色。
 俺は目の前にある渡利の後頭部を見詰めた。体を抱えるように腰に回された渡利の手に、暖かい渡利の背中に覆い被さるようにしがみつく俺。
 そう、あろうことか俺は渡利におんぶをされていた。
 流石に校舎は肩を貸してくれるまでだったが、人目がなくなった瞬間これだ。正直、恥ずかしい。普通に恥ずかしい。

「一人で歩ける」
「強がんなよ、足腰ガクガクさせてなに言ってんだ」

 この会話も、先ほどから何回も繰り返している。
 降りようとするけど、力が入らないのも事実だ。
 長時間無理な体勢を強要されていたお陰で体に力が入らず、まるで他人の体みたいに言うこと聞かなくて。
 まあ実際他人の体なのだが、正直おんぶしてくれるのはありがたかった。動くの面倒だったし。
 でも、やっぱり相手の妙な好意を素直に認め受け入れる程俺は寛容な性格をしていない。

「……重くないの?」

 渡利の背中から滑り落ちないよう、相手の首に手を回したまま尋ねれば渡利は「重いに決まってんだろ」と即答する。

「だから上で動くな揺れるな、じっとしてろ」
「…………」

 そんなに動いてるつもりはないが、そう言われると動きたくなる。
 足を動かし、下腹部を押し付けるように渡利の腰の前で交差させれば「おい」と渡利の怒ったような声が聞こえた。

「ありがと」

 それを無視して、落ちないよう腕に力を入れた俺はそう小さくお礼を口にする。
 一瞬、渡利の全身が強張った。

「……今さらだろ」

 それも束の間。俺を背負ったまま歩く渡利はそう小さく笑った。
 本当嫌なやつだな。でもまあ、歩く手間が省けるのはありがたい。
 それに、連絡もせず駆け付けてきたのは褒めてやらないでもない。少し、遅すぎたが。
 思いながらそっと渡利の頭を撫でてやれば、「っ!」と渡利が驚いたような顔をしてこちらを振り向いた。

「渡利君、前」
「ん、あ、あぁ」

 指摘すれば渋々前を向く渡利。
 無造作な黒髪から覗いた耳は僅かに赤く、くっついた部分から体温とともに伝わってくる渡利の煩い心臓の鼓動がなんとなく心地がよかった。
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