成り代わり物語

田原摩耶

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前編【誰が誰で誰なのか】

07

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 昼間。いつものように授業を受け、普段通りの学園生活を送る。
 もちろん、俺が馬淵の姿をしていることを除いてだけど。
 途中廊下で昨日の連中と顔を合わせたが、睨まれるだけで特になにも突っ掛かられることもなかった。
 俺の後ろに渡利が控えていることに気付いたからだろうか。どちらにせよ、面倒がなくなっただけましだ。

 馬淵と入れ換わってからもう一日ぐらい経つ。
 正直、久保田と同じクラスというだけで俺にとってはかなり充実していて、授業中見える久保田の後ろ姿を眺めることが既に日課となっていた。
 馬淵がいつもこの場所からあの背中を眺めていたと思ったら非常に面白くなかったが、今ここにあいつはいない。いるのは俺だけだ。
 もう一生戻らなくていい。この席からずっと久保田の後ろ姿を眺めていたい。
 シャーペンをカチカチと押しながら俺は久保田を見詰める。
 後はこれで外野がいなくなったら完璧なんだろうけど。
 久保田の隣に座る女子を一瞥し、先端から伸びた芯を机に押し付けた。
 特に強化されてもない細い芯は呆気なく折れる。

 ここ最近、自分の心が荒んでいるのがよくわかった。
 久保田の周りの人間全員を見境なく妬み、恨んでいる自分に自分で呆れることがある。
 前から嫉妬したり羨ましく思うときは屡々あったが、馬淵が現れてからだ。特にそれが酷くなってくる。
 自分が嫉妬で狂いそうになるのと比例して久保田への想いが強くなるのがわかった。
 久保田には、見せたくないな。自分が久保田のことで馬鹿みたいなくらい一喜一憂している姿なんて。絶対嫌われる。
 ……嫌われる?誰がだ。馬淵か?
 馬淵が久保田に嫌われるのは全然構わない。寧ろ嫌って欲しい。
 でも、俺は嫌われたくない。……ん?俺?
 俺って誰だ。古屋将か?いや、でも今俺の中には馬淵がいるから古屋が好かれるってことは馬淵が好かれるってことじゃないか。じゃあ、俺はなんだ。馬淵でも古屋でもなくなった俺はなんなんだ。
 俺が好かれるってことは馬淵の体が好かれるってことで、俺の体が好かれるってことは馬淵が好かれるってことで。なら、俺自身が好かれるにはどうしたらいいんだ。
 一つの疑問から沸いてきた複数の疑問に頭が痛くなってくる。
 自分の中のアイデンティティを見失ってしまい、考えれば考えるほど大きな喪失感を覚えた。
 俺が俺として久保田に好かれるためにはどうしたらいいのだろうか。
 昨日の馬淵との会話を思い出す。もしかしたら、馬淵も同じことに気付いたのかもしれない。だから、俺に協力を求めて来た。自分が自分として久保田に見てもらいたいから。
 だとしたら、ムカつくなあ。

 先走った思考だとはわかっていたが、馬淵がそんなことを考えてると思ったら不愉快だった。
 意地でも奴を久保田に近付けさせたくない。
 腹の中で謎の対抗心が不快感、嫉妬心が混ざり合う。

 俺が俺として久保田に認識されることで馬淵が馬淵として久保田に見られるくらいなら、俺は一生馬淵が馬淵として見て貰えず虚しい思いをする方を選ぶ。
 俺は好かれなくてもいい。その代わり、馬淵の思うようにはさせたくない。
 考えて出てきた結論に疑問は覚えない。
 斜め前の久保田の背中を凝視する俺は、一人完結させる。

 ◆ ◆ ◆

「久保田君、帰ろう」
「あ、わり。今日先約入っててさ」

 放課後。
 荷物をまとめ久保田に声をかけた俺はまさか断られるとは思ってなくて、目の前で申し訳なさそうに笑う久保田に全身が強張るのがわかった。

「……先約?」
「そうそう。あいつら、絶対来いって煩いからさー」

 そう笑う久保田は言いながらも満更でも無さそうで、廊下の方から「なにやってんだよ久保田ー」やら「さっさと行こうよー」やら楽しそうな声が聞こえてくる。
 それに対し、久保田は「わかったから先行ってろ!」と笑いながら返した。

「ってことで、今日は無理だわ。いきなりでごめんな」

 そして、俺に向き直った久保田はそう続ける。
 俺に対し申し訳ないと思っているのも本心のようだ。
 そんな顔して久保田に謝られたら、誰だって文句言えなくなる。
 本当なら無理矢理にでも着いていきたかったが、いつもどんな遊びにも誘ってくれる久保田がそれを言い出さないということはこれから遊ぶ連中に釘を刺されているのだろう。
 いくらなんでも久保田の面子を潰すような真似はしたくない。

「……わかった。楽しんで来てね」

 自分の感情を必死に殺しながらそう顔面に笑みを浮かべた俺は久保田に笑いかける。
 そんな俺にほっとしたような顔をする久保田はいつもと変わらない明るい笑みを浮かべ、「当たり前だろ」と頷いた。

「じゃ、また夜にでもメールすっから。馬淵もあまり暗くならない内に帰れよ」
「うん、気をつけるよ」
「おー。じゃあな」
「また明日」

 そう別れを告げれば、俺に背中を向けた久保田はそのまま教室から出ていった。
 久保田の背中が見えなくなってから、俺は浮かべていた笑みを消す。
 無意識の内に口からは小さな溜め息が溢れた。
 じゃあ、俺も帰るか。
 家を出るとき持ち出した馬淵の携帯電話を取り出した俺は、履歴から渡利の電話番号を呼び出す。
 渡利を呼び出し、俺は渡利と共に下校する。
 噂があるせいか渡利と並んで歩いたときの視線が鬱陶しいが実害が無いだけましだ。
 やっぱり隠れてでも久保田の後ついていけばよかったな。
 交遊関係のことを考えれば、やはり馬淵の体は不便だ。
 おまけに携帯も履歴も久保田と渡利で埋まってるし、携帯電話で馬淵の人間関係はよくわかった。
 俺の発信・送信履歴も久保田で埋まることも珍しくないので別に羨ましくはないが、やはり面白くない。
 アドレス帳から久保田の項目を消してやりたかったが、そんなことしたら俺が困るだけなので考えることだけでとどまった。

 渡利との帰り道に特に会話という会話はない。
 まず俺から話し掛けることもないし、向こうから話し掛けられてもすぐに会話は途切れる。
 普段なら口下手相手にでも上手く取り繕うことはできるのだが、やはり馬淵の体というだけあってかそこまでする気にもなれなかった。

 そんなこんなで帰り道。
 毎朝久保田と馬淵を迎えに行っているので道には迷うことはなかった。
 見慣れた住宅街の中。
 暫く歩いていると渡利の家が目に入って、俺はその場で渡利と別れる。
 渡利は家まで着いて来ようとしたが、また昨日みたいに家に上がられると面倒だったので断った。
 渡利の家から馬淵の家までは然程距離はない。
 確かにこの貧弱で尚且つ貧相な馬淵の体では暴漢に襲われてはひとたまりもないが、馬淵宅は一、二軒隣だ。
 見たところ人気もないし、馬淵に恨みを持った人間が待ち伏せしている可能性もないだろう。
 携帯電話を開き久保田から連絡が入ってきてないかソワソワしながら自宅を目指して歩いていく。
 久保田から連絡はない。
 そうだよな、まだそんな時間経ってないしな。なんて一人落胆しながら俺は携帯電話片手に馬淵家の門を開き、敷地内に入る。
 暇潰しにメールの送受信ボックスを遡りながら玄関口に近付いたときだ。
 ふと庭の影からがさりと音がし、携帯から目を外した瞬間、伸びてきた手に腕を掴まれる。
 周囲に気を配っていなかった俺は素で驚き、うっかり携帯を落としそうになるがなんとか踏ん張った。

「……ッなあ、お前不法侵入って言葉知ってる?」

 物陰に隠れて待ち伏せしていたそいつを睨み付ける。
 咄嗟に渡利に連絡入れようとしたが、それを案じた相手に手の中から携帯電話をもぎ取られた。

「ここは僕の家だよ」

 背後に立ち、後ろ手に俺を拘束してくる馬淵はそう答える。
 やっぱこの体使えねえな。
 自分の腕力にすら敵わない馬淵の体を怨めしく思いながら俺は小さく舌打ちをした。

「もう一度、ちゃんと話がしたいんだ」

「だから、部屋に上げてよ」そう馬淵は続ける。
 喋る度に生傷が目立つその顔は痛みで引きつり、いつもに増して情けないことになっていた。


 馬淵と話したいことなんてこれっぽっちもなかったが、無視すれば強引に家の中まで入ってきた。
 無理矢理追い出そうとしたが力負けし、結局部屋の中まで馬淵は上がってくる。

 馬淵家、自室にて。
 扉を塞ぐように立つ馬淵。俺は床の上に座っていた。携帯は馬淵に取られたままだ。

「で、なんだよ話って」

 馬淵と二人きりで話すことなんて不本意だが、久保田と連絡取るには馬淵の携帯が必要だ。
 無駄な意地を張っても仕方ないと判断した俺はなかなか切り出そうとしない馬淵に渋々尋ねる。

「どうやったら元に戻るか相談しに来たんだ」
「この前知らないっつったじゃん」
「だから、それを一緒に考えようと思って……」
「無理だろ、普通に考えて」

 口ごもる馬淵にそう即答すれば「簡単に諦めないでよ」と馬淵は顔をしかめた。
 やはり、傷が痛そうだ。
 てっきり渡利からもっと痛め付けられているのかと期待していた俺にとってあまり面白くはなかった。
 恐らく日頃体を鍛えていたのが裏目に出たのかもしれない。

「諦めるもなにもこうなった原因も分かんないんだから仕方ないだろ」
「じゃあ尚更考えないと分からないじゃん」

 なかなか食い付いてくる。
 適当にあしらおうとしても体勢を崩さない馬淵が鬱陶しくて堪らない。
 今の俺と自分の立場が逆転していることに気付いているから強気な態度が取れるのだろう。
 口答えをしてくる馬淵に「一人で考えればいいだろ」と俺は顔をしかめた。

「第一、俺は別にこのままでもいい。お前も俺の体使って勝手に楽しめばいいだろ」
「……このままって、それじゃあ古屋君はどうするんだよ。知ってるだろ、僕が君のせいで虐められてるって」

 そう顰めっ面で続ける馬淵。
 敢えて触れなかったのだが、まさか馬淵の方からそのことについて触れてくるとは思ってなくて俺は少しだけ驚く。

「どうするもこうするも……俺には渡利君がいるから」

 そう笑いながら続ければ、馬淵が僅かに反応した。
 自分の友人が俺に盗られたみたいで面白くないのかもしれない。
 顔を更にしかめる馬淵が可笑しくて、俺は「そう言えばさあ」と再び口を開く。

「馬淵お前、渡利と一緒に寝てんだって?」

「男だったら誰でもいいのかよ」そう吐き捨てるように続ければ、馬淵の目が大きく見開かれた。
 屈辱のあまりに力んで、というよりも素で意味がわからないといった表情だ。

「……は?や、ごめん、意味わかんないんだけど。なに、寝るって」
「とぼけんなよ。自分から布団に潜り込んでるんだろ」
「ち、違うっ!ないって、ありえない。僕、そんなことしないよ!」

 指摘すればするほど馬淵の顔から血の気が引き、よっぽど動揺しているのかいきなり掴みかかられる。
 有り得ないならどうしてここまで焦る必要があるんだ。益々臭い。本当、分かりやすいやつだな。
 真っ正面にある馬淵の顔を見上げ、俺は胸ぐらを掴むそいつの手首を掴んだ。
 もう少しからかったらボロがでそうだ。思いながら俺は動揺する馬淵を見据える。

「なんで渡利がお前みたいな根暗とつるんでるかわからなかったけど、なるほどな。同性相手に色仕掛けとかよくやる気になったな。こんな貧相な体にムラムラするなんて、気が知れないけど」

 喋れば喋べる度に胸ぐらを掴む馬淵の手にぐっと力が入り、首回りがキツくなる。
 多少息苦しかったが、馬淵の顔が面白くてやめられなかった。

「いい加減なこと言わないで」
「言わないで?喋り方まで女みたいだな、お前。男に掘られてるとそうなるわけ?」
「……ッ」

 そう笑いながら揚げ足を取れば、馬淵の顔が険しくなる。コンプレックスなのだろうか。唇を噛み、必死になにかを堪えるように馬淵は拳を作った。
 しかし、それが俺目掛けて飛んでくることはない。ギリギリのところで理性が働いたようだ。
 詰まらない。

「なんだ、殴らないのか。その体なら俺をぶん殴るのも楽だろ。そんなに自分が可愛いのか?」
「……なんで古屋君はそういうことばっかり言うんだよ」

 畳み掛けるように詰れば、馬淵はイラつきや困惑が混ざったような不思議な顔をして、俺から手を離した。
「古屋君を殴ったところでどうにもならないことくらいわかってる」そう自分に言い聞かせるように掠れた声で続ける馬淵は俺から離れ、長い溜め息を吐く。
 やれやれ仕方ないこいつにはなに言っても無駄だとでも言いたそうな諦めた口調が癪に障った。

「今日は、もう帰るよ。明日、また話せたら話そう」
「お前、随分余裕だな」
「別に……余裕じゃないよ。でも焦ったところでどうにもならないし」

 とか言って、本当はここ数日俺としての待遇を受けて『自分の体に戻る』という意思が和らいできたんじゃないのか。
 言い返そうと思ったが、それで馬淵の口から直接「うん」と言われても不愉快なだけなので敢えて深く突っ込まないことにしておく。

「とにかく、このままじゃ不便なのは古屋君も一緒だから……少しでも考え方が変わったらいつでも言ってよ。それで、解決策を考えよう。……僕も、考えるから」

 やけに一緒という言葉を使ってくる馬淵に俺は視線を外し、なにも答えなかった。
 気に入らない相手に一体感や親近感を覚えるのは結構屈辱的で、俺は敢えて聞き流す。
 流れる沈黙に少し困ったような顔をする馬淵。そして、痺れを切らしたように馬淵は立ち上がった。

「じゃあ、僕はもう出るよ。ごめんね、いきなり押し掛けてきて」

 そう言う馬淵は、俺に背中を向けそのまま扉まで歩いて行く。
 まるで他人の家のような言い方をする馬淵が可笑しかったが、それよりも気になることがあった。

「おい……待てよ、携帯」

 部屋のコンセントに突き刺さった充電器を引き抜く馬淵に俺は目を丸くし、咄嗟に立ち上がった俺は馬淵の腕を掴んだ。が、それは当たり前のように振り払われる。

「これは、今度会ったとき返すよ」

 そう控えめにぎこちない笑みを浮かべる馬淵は、充電器を制服の中に突っ込んだ。
 今度っていつだ。もしかして、俺が馬淵と話し合うって決めたときか?
 冗談じゃない。

「可笑しいだろ。なんだよそれ」
「……別になにも可笑しくないよ。それに、これは元々僕のだ」
「なら俺の携帯返せよ。フェアじゃない」

 このままでは久保田とメールができない。それどころか、渡利を呼び出すこともだ。
 流石に焦った俺は声を荒げ、再度馬淵の腕を掴もうと手を伸ばし、そのまま手首を掴まれる。

「……古屋君がそういうことを言うのはお門違いなんじゃないかな」

 自分と同じ顔をした別人に見下ろされる。
 ガリガリの手首はすっぽりと馬淵の手に収まり、少しでも力を入れられると折れそうだった。
 呆れたような、どこか失望したような眼差しを向けてくる馬淵はそう言って俺の手首を強く捻り上げる。
 掴まれた箇所から違和感にも似た痛みが走り、体を強張らせた俺はつられるように腰を浮かした。

「別に絶対返さないっては言ってない」
「脅しだろ」
「脅すつもりなら最初から元の体に戻りたくなるような脅しにするよ」

 手首から手を離し、馬淵は少しだけ複雑そうな笑みを浮かべる。
 どういう脅しを言っているのは大体察しついた。
 俺からしてみれば携帯を取られたことの方がダメージが大きかったが、家の電話を使うことができるだけましなのかもしれない。
 渡利との連絡手段の件についてはまた後で考えればいい。
 最悪、こいつの貯金叩いて連絡用の携帯をつくるまでだ。こいつの脅しに乗るつもりはない。

「……それじゃあ」

 いつまで経ってもなにも言い出さない俺に苦笑を浮かべた馬淵はそう言って部屋を出る。
 怒ったと思えば悲しんで、それでも必死に笑って取り繕うとして、よっぽど不安定状態に思えた。
 一人部屋に残された俺は馬淵を見送るわけでもなく、人知れず溜め息を吐く。
 生意気な馬淵を黙らせるにはやはり一番暴力が早いのだろうが、俺の体になった今それは難しいかもしれない。
 おまけに、俺は馬淵でコネもない。
 唯一、渡利を好きなように使えるのが救いだが、先ほどの馬淵の顔や傷を見る限り怪我という目立ったものもなかった。
 前に渡利が不良を嬲り殺しにしているところを見ているだけに、もしかしたら俺って喧嘩強かったのだろうかなんて思ったが、だとしたらその力が馬淵の手に渡っているということ自体が面倒で。
 取り敢えず、携帯と筋トレセットでも買ってくるか。
 玄関の扉が開き、馬淵が出ていくの確認しながら俺は馬淵の貯金を探すことにした。

 何十分か時間を掛けて部屋を探した結果、わかったことが一つ。馬淵は金欠だった。
 そして通帳らしきものも豚さん貯金箱も部屋にはなく、馬淵の財布には小銭が入っているくらいで。
 大して浪費家なわけでもなく倹約家なわけでもない馬淵の所持金を見つけ出すことは叶わなかった。
 一か八かで馬淵母に携帯のことを相談してみたが、バイトを勧められるだけで結果は散々だ。
 だが一つだけ成果がある。馬淵の部屋を漁っていると、クローゼットの中から鉄アレイを筆頭にぞくぞくとトレーニング器具が出てきた。
 元からこの家にあるものかと思ったがよく見てみるとどれも新品で、もしかしたら消えた馬淵の所持金はトレーニング器具に変わったのかもしれない。おまけにベッドの下からは男物のファッション雑誌やらも出てきた。あの馬淵がファッション雑誌見ながら体造りをしている姿を想像したらなんとも傑作で、それと同時に雑誌の発行日がつい最近なことが胸に引っ掛かった。
 もしかしたらこいつ、久保田に惚れて色気付いてたのだろうか。現在の芋くさい姿を見る限り成果は出せていないようだが、そう考えるとなんだか面白くなかった。
 トレーニング器具はどれも包装を破られただけでほぼ手を付けられていない状態からして三日も持たなかったのは理解出来る。無理もない。持久力もなさそうなガリ馬淵にこんなもの扱えるはずがない。
 が、正直わざわざ用意する手間が省けてよかった。
 いくらこの体がガリだろうが馬淵が根気なしの腰抜けだろうが今この中にいるのは俺だ。
 俺なら三日坊主にしない。
 この場にはもういない馬淵に対し一人対抗心を燃やす俺はクローゼットから引っ張り出してきたほぼ新品のトレーニング器具を片っ端から試してみることにした。


 昔、俺も久保田と仲良くなり出した頃、周りの目を気にするようになって性格から見た目服装全てに気遣うようになった。
 当時は久保田と一緒にいることによって向けられる多くの視線の前で恥をかきたくなかったから始めたものだった。
 いつの間にかそれは久保田に釣り合いたくて、久保田に恥をかかせたくなくてというものになり、それから今まで自分中心だった自分の世界は久保田中心に回りだした。
 もしかしたら、認めたくないが、馬淵も同じなのかもしれない。
 今の俺と昔の俺、どちらとだなんてわからなかったが、馬淵の部屋に隠してあった数々のものを見てなんとなく懐かしい気分になった。酷い既視感のせいだろう。なんとなく、自分が久保田と出会った頃に戻ったような気がした。気がしただけだ。
 馬淵の体になった今、実際は振り出しに戻るどころかスタート地点をバックダッシュしているようなものだ。
 ハンデとかいうレベルではない。
 あいつ、よくこんな身形で久保田に告白しようと思ったな。その無謀な勇気には尊敬どころか身の程知らずの馬鹿としか言えない。
 なんて口の中でぶつぶつ愚痴を漏らしつつ、込み上げてくる怒りを根気に変え手始めに腕立て伏せに取りかかっているときだ。
 ふと、部屋の扉が開く。丁度扉にケツを向けていた俺は腕立て伏せを中断させ、扉を振り返った。

「なにやってんだよ、下までギシギシ響いてたぞ」

 渡利だ。コンビニへ寄っていったのか、ビニール袋を手にした渡利は呆れたように俺を見下ろす。
 そんなに激しくしてたのだろうか。なんて思いつつ部屋に置いてあったタオルを手に取り、全身に滲む汗を拭う。

「今日もおばさんの彼氏来てるの?」
「……ん、ああ」

 汗を拭き、座り直す俺に対し渡利はそう視線を逸らし曖昧に頷いた。
「そうだ、これ差し入れ」そして、話題を逸らすように持っていたビニール袋を俺に手渡してくる。
 それを受け取る俺は、そのまま中を覗いた。炭酸飲料水が入ったペットボトルにバニラアイス。

「ありがと」

 丁度喉乾いていたところだ。
 それを受け取った俺はアイスをテーブルの上に置き、ペットボトルを手に取る。
 渡利の邪魔も入ったし、せっかくだから休憩にしよう。別にバテたわけではない。

「筋トレしてたのか?」

 椅子に座り、ペットボトルの炭酸飲料水をごくごくと飲む俺に対し渡利はそう不思議そうな顔をして尋ねてくる。
 ぷはっと小さく息を吐き、ペットボトルから口を離した俺は部屋の中に入ってくる渡利に目を向けた。

「やっぱ男って筋肉ないとモテないかなって思って」

 そう適当なことを言いながら、今度はバニラの入ったカップに手を伸ばす。
 付属品のスプーンを包装から取り出しながら答えれば、渡利は益々不思議そうな顔をした。

「お前この前筋肉痛になってへばったばっかだろ。出来んのか」

 あいつ、渡利に対してまで根気なし発揮してんのか。
 指摘され、内心ギクリと緊張しながらも「今度は大丈夫だから」と言い張りカップを開ける。
 そのままスプーンでバニラを掬い口に運んだ。
 本来ならば抹茶派なのだがたまにはこの甘さも悪くない。
 咥内に染み渡るひんやりとした甘さについ頬を綻ばせそうになる。

「……すげー気の変わりよう」


 そんな俺に対し、勘繰るような目を向けてくる渡利はそうぼそりと呟く。
 一瞬バレたのかと焦ったが、どうやら渡利なりに茶化しているようだ。紛らわしい。
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