成り代わり物語

田原摩耶

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前編【誰が誰で誰なのか】

06

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 ついてくるという渡利に教室まで送ってもらう。
 渡利はというと「適当に時間潰しているからなにかあったらすぐ呼べよ」とだけ言って教室前から立ち去っていった。
 授業に出るつもりはないらしい。
 あいつがどのクラスかも連絡先も知らない俺としてはなかなか不便だったが、まあ、どうせそう遠くにはいないはずだ。
 渡利と別れた俺は、そのまま教室に入り見慣れない生徒に混じって馬淵として時間を過ごす。
 久保田がいたので先程の不良みたいに露骨にちょっかいかけてくるやつはいなかったが、ちょくちょく久保田にだけ話しかけて俺との会話を止めようとしてくるやつはうざかった。
 馬淵と入れ替わって数時間。面倒なこともあったが、久保田の顔を見れる時間が増えて素直に嬉しい。
 斜め前の席に座る久保田の後ろ姿を眺めていると、あっという間につまらない授業は終わった。


 放課後。
 一人になると面倒なやつらが絡んでくるのがわかっていたので、殆どの時間を久保田の隣で過ごす。
 なんとなく、なんで馬淵がいつも久保田の隣にいるのかがわかった。
 明るく優しい久保田の傍は心地がいいのだ。
 それは久保田自身に敵がいないからだろう。安心して傍にいることができた。
 別の言い方に変えれば、馬淵は自分の身のために久保田を利用しているわけだ。
 そんなことを言ってしまえば、馬淵と同じことをやってる俺も利用していることになるのだが、俺は馬淵とは違う。それ含めて、俺は久保田と一緒にいたかった。
 保身しか考えていないあいつとは違う。断言する。

「久保田ーB組のやつが呼んでるぞー」

 教室で久保田と放課後どこか遊びに行くかとかそんな会話をしていたときだった。
 不意に、教室の扉から顔を出した生徒がそう大きな声で久保田を呼ぶ。
 相変わらず人気あるなあ。
「おー」と返事をする久保田はこちらを向き直り、「んじゃ、ちょっと待ってろよ」と続ける。

「なんなら、先に下降りといてくれてもいいけど……」
「いいよ、待ってるから」
「そうか?」

 頷く俺が遠慮しているように感じたのか、少し申し訳なさそうな顔をした久保田だったがすぐに「わかった」といつもの笑みを浮かべた。
 相変わらずいい笑顔。なんて思いながら、俺はそのまま教室を後にする久保田を見送る。
 久保田の隣は居心地がよく、そんでもって安心できる。
 厄介な敵がいる人間からしてみれば都合のいいタイプの人間だった。でも、それは久保田が傍にいる前提の話だ。

「馬淵君、ちょっといいかな」

 教室前廊下に出て久保田の帰りを待っているときだった。
 不意に、近付いてきた数人の男女に声をかけられる。
 馬淵と呼ばれ、一瞬自分が話し掛けられていると気付かなかった。
 まあ、囲むように立たれたら嫌でも理解してしまうが。

「なにか用?」
「ここじゃなんだからさ、うちらと一緒に来てよ」

 どうせ馬淵を虐めている連中だろう。女にまで舐められている馬淵は男として大丈夫なのだろうか。なんて思いながら、俺は周囲を見渡した。
 殆どの生徒が帰ってるのであまり人気はないが、廊下にはまだちらほら人が残っている。
 今朝同様なるべくなら人前で騒ぎたくなかったが、今は久保田を待っている途中だ。
 いつ久保田が戻ってくるかわからないのに、場所移動してまで相手している暇はない。

「……悪いけど、今人待ってるから」

 そう笑いながら軽くかわそうとしたのが悪かったようだ。
「お前に拒否権なんてねえんだよ」と一緒にいた男が吠え始める。
 耳元で怒鳴られ、びりびりと鼓膜が痺れた。うっせーな、こいつ。慌てて耳を塞ごうとしたとき、そのまま男に腕を掴まれた。
 そのまま乱暴に掴み上げられ、驚いた俺は慌てて手を振り払おうとする。が、振り払えない。
 可笑しい、いつもならこれくらい普通に振り払えたのに。握り潰す勢いで手首を締め上げてくる男に、俺は顔をしかめる。
 もしかして、馬淵の力が弱いからか。だから力が出ないのか。
 自分が今自分ではないことを思い出した俺は、その不便な事実に思わず苦笑する。
 どんな罰ゲームだよ。

「おい、さっさと来いよっ!」

 そう怒鳴る男に腕強く引っ張られ体が大きくよろめいた。
 くそ、少しは鍛えとけよ糞馬淵が。
 振り払うにも振り払えず、そのまま引き摺るように歩いていく男に近くの教室に入れられそうになる。
 壁を掴みなんとか堪えようとするが、後ろからやってきた女子に腰を思いっきり蹴られバランスを崩した俺はそのまま教室に放り込まれた。
 片腕をついたお陰で顔面着地は免れたが、状況はなにも変わっていない。

 放課後の人気のない教室の中、起き上がろうとする俺の周りに先程の男女の集団が囲うように立つ。

「あんたさーホモなんでしょ?まじヒくんだけど。古屋君に近付かないでよ、気持ち悪い」

 リーダー格らしき女子は、言いながら教室の隅に置いてあったゴミ箱を手に取った。
 古屋君、古屋君?俺じゃん。
 まさかこんなところで自分の名前が出てくるとは思わず、不意を突かれた俺は驚いたように女子を見上げる。そう言えば、どこかで見たことがあるような気がする。ああ、こいつ確か前俺に告白してきたやつだ。
 ここ最近久保田のことしか考えてなかったのですっかり忘れてた。
 なんて暢気に考えていたとき、女子は持っていたゴミ箱を片手に俺の側まで歩いてくる。
 手の中のそのゴミ箱が自分の頭上に持っていったとき、俺はようやく自分の立場を理解した。
 瞬間。ざあっと煩い音がするのと同時に、頭上からゴミ箱の中身が降り注ぐ。辺りに散乱するゴミに、鼻を摘まみたくなるような異臭。

「あははは!まじクセー!」

 頭からゴミを被り目を丸くする俺を見て、ゲラゲラと笑い出す周囲。
 とどめに空になったゴミ箱の底で頭部を殴られ、飛ばされた俺は近くにあった教卓に背中をぶつけた。
 一瞬、気が遠くなるのがわかった。
 なんで俺が俺を好いてくれている女子に嫉妬されてゴミぶっかけられてんだ。
 意味がわからない。意味はわからないけど、わかることだけはただ一つ。
 全員ぶっ殺す。
 腸が煮え繰り返り、腹の底から不快感が込み上げてきた。

「なんだよその目、弱えくせに粋がんじゃねえよ」

 見下ろしてくる先程の男は、言いながら教卓にもたれ掛かる俺の腹部を踏みつける。
 昼食がまだ溜まってるそこをぐりぐりと靴の裏で踏まれ一種の息苦しさを覚えた。
 祭りかなにかと勘違いしてるのか「やっちゃえやっちゃえー」と囃し立ててくる周りに、俺を踏んでくる男は調子づく。

「そういや、お前ホモなんだろ?俺にこんなことされても勃起すんの?」

 そう可笑しそうに笑う男は言いながら腹に一発踵を叩き込んできた。
 いきなりやってくる衝撃に小さくえずけば、僅かに開いた股の間に男の足が置かれる。
 グリッと股間を軽く踏まれ、全身が強張った。

「っ、……ッ……」

 一瞬踏み潰されるかと思って戦慄したが、一層踏み潰された方がましだった。
 強弱をつけるように靴の裏で刺激され、下腹部がピリピリと痺れてくる。
 靴底の凹凸まで伝わり、やんわりと刺激され自然と全身に力が込もった。
 調子に乗んなと舌打ちしながら、汗を滲ませた俺は男の足を掴み退けようとする。が、同時に踏みつけてくる靴の裏に力が込もり、思考が止まりそうになった。

「うっわ、こいつまじだ。勃ってきた」
「なにそれー、最悪なんだけど」

 笑いながらそう声を上げる男に、周りは湧くように笑い声を上げる。
 誰だって性感帯弄くり回されたら勃起ぐらいするだろうが同じことしてやろうかと屈辱感を通り越して怒りを覚えた俺は目の前の男を睨み付けた。
「なんだよその目」見下ろしてくるそいつは、言いながらぐりぐりと足に力を込める。どうやら俺の態度が気に入らなかったようだ。靴の裏から股間に先程とは非にならないくらいの力がかかる。

「ぁ、ぐ……ッ」
「あはははっ!まじきめえんだよ!雑魚いくせにさあ、なに強がっちゃってんの?ウケるんだけど、さっさと泣けよ。ほら!痛えんだろ!」

 全身に滲む脂汗。そう楽しそうに罵倒してくる男にじりじりと押し潰され、じわじわと視界が白くなる。
 あーもう、なんでこんな頭可笑しそうなやつに絡まれてんだよこいつは。
 痛みやら怒りやらでぐっちゃぐちゃになった思考は、あまりの出来事に逆に冷静になってくる。
 太い針で脳天串刺しにされたような圧迫感に、顔を強張らせながら俺は制服の中に手を入れようとした。
 そのときだ。いつの間にかに閉められていた教室の扉が開き、その場にいた全員が扉に目を向ける。
 一瞬、周り同様背後の扉を振り返った男の足が軽くなった。その隙を狙って、俺は男を突き飛ばす。

「てめ……ッ」

 バランスを崩し、教壇に躓いた男は尻餅をついた。
 そのままよろめくように立ち上がった俺は、後退りながら制服のカッターナイフを取り出す。そして、扉の前に立つ訪問者に目を向けた。
 ……俺だ。俺がそこにいた。
 いや、厳密にいるなら恐らく馬淵が中に入っているであろう俺の体だ。

「ふ、古屋君……」


 先ほどまで楽しそうに笑っていた連中は、いきなり現れたそいつにあからさまに動揺する。
 俺にゴミぶっ掛けたあの女子に至っては、見られたくないところを見られたとでも思っているのだろう。
 声を上擦らせ、焦ったようにそいつの名前を呼ぶ女子は顔を引きつらせ一歩後ずさった。

「……」

 まさか本当の意味で自分の姿を客観視する日が来るとは思わなかった。
 無言で教室内に目を向ける俺もとい馬淵は、教卓にもたれ掛かっていた俺を見付ける。
 目を丸くし、俺が手にしていたものに気付いたようだ。

「……なにやってんの?」

 僅かに顔をしかめた馬淵は、教室の中に足を踏み入れそのまま俺の元までやってくる。
 どうやら周りの連中はその言葉が自分に向けられたものだと勘違いしたようだ。
 俺の姿をした馬淵に、連中は怖じ気付いたのか笑みを引きつらせながら離れていく。
 なんでだろうか。
 媚びられているのは俺のはずなのに、やつらの媚びるような態度が面白くない。
 恐らく今立場が変わっているからだろう。

「いや、別にうちらはただ馬淵と遊んでただけで……」

 連中のうちの一人が、そう乾いた笑みを浮かべながらおどおどと続ける。
「ねえ」と隣にいた男子生徒に同意を求め、つられるようにコクコクと頷く男子生徒。
 しかし馬淵は連中に興味はなかったようだ。
 目の前までやってきた馬淵は強引に俺の手を掴み上げる。

「……っ」

 乱暴に手首を捻られ、俺の手の中からカッターナイフが床に落ちた。
 小さな音を立てて落ちる刃物に、近くにいた生徒はぎょっと目を丸くさせる。

「うっわ、こいつカッター持ってる」
「は?嘘、やばくない?頭おかしいって」
「ちょ……っ有り得ねー、危ないってこいつ」

 凶器が出てきた途端人を危険人物のような目で見下ろしてはドン引く生徒たちは、俺の視線に気付いたのかそそくさと俺から離れていく。
 既に扉付近の生徒は教室を出ていったようだ。
 馬淵がやってきたことで白けてしまったのだろう。
 文房具出てきたぐらいでごちゃごちゃうっせーんだよと呟きながら小さく舌打ちをすれば、平常心を持った生徒たちは逃げるように退散いていく。

「古屋君、危ないよ」

 落ちたカッターナイフを拾い上げる馬淵に、まだ残っていたあの女子はそう恐る恐る声をかける。
 さっきまで罵詈雑言を吐いていたくせにどんだけしおらしくなってんだと呆きれる俺は、馬淵の手を振り払った。

「……ごめん。ちょっと話があるから出ていってくれる?」

 チキチキチキチとカッターの刃の出し入れを繰り返しながら、馬淵はそう教室に残っていた女子他数名に声をかける。
 微笑みかけられ、僅かに顔を赤くさせた女子数人は数回頷きあっさり教室を後にした。
 人の立ち位置から顔やらなにまでフル活用している馬淵が不愉快で堪らない。
 が、手間は省けた。
 不本意ながらもいつかは馬淵と話さなければならないと思っていた俺からして馬淵から二人きりになりたいと言ってくるのは寧ろ好都合で。
 あっという間に静まり返る教室内。
 俺は足元に散らばっていたゴミを踏みつけ、正面に立つ馬淵に目を向ける。

「……あの、古屋君だよね?」

 周りに人が居なくなったのを確認して、目の前の馬淵はそう控えめに尋ねてきた。
 間違いない。馬淵だ。
 先ほどまでと打って変わって腰が低くなる目の前の男には見覚えがある。

「見てわかんない?」
「うん、ちょっと確認しただけ。なら良かった」

 良かったってなんだ。そう安心したように頬を綻ばせる馬淵に、なんでそんなに嬉しそうなんだとイラつきを覚える。
 仮にも自分を嫌っている人間と入れ換わったんだぞ。舐められているのか、俺は。

「……ねえ、これってさ原因なんなの?」
「知らない」
「あ、古屋君もわからないんだ。そっか、そうだよね。ごめん、古屋君も困ってるのに」

 突っぱねる俺に、馬淵はそう弱々しく続ける。古屋君も、ということは馬淵も原因がわかっていないようだ。だとすれば、これ以上馬淵と話すこともないだろう。
 久保田が待っている今、馬淵とだらだら話すつもりはない。
 体が入れ換わったのは確かに不便だが、それとこれとは別だ。
 人の顔でへにゃへにゃと笑う馬淵から視線を離した俺は、そのまま何も言わずに教室を後にしようとする。

「あっちょっと!古屋君!」

 スタスタと扉へと歩いて行こうとすれば、馬淵に強く腕を引かれた。
 無理矢理引き留められた俺は、背後の馬淵を振り返り「なに?まだ用あんの?」と聞き返す。

「これから久保田と帰んなきゃいけないんだけど」
「……は?いや、だってそれどころじゃないじゃん。早く戻らなきゃ古屋君だって……」
「知らねーよ。戻るとき戻るだろ」
「本気で言ってんの?」

 言い切る俺に対し、馬淵は呆れたように目を見張った。
 久保田と一緒に下校することより馬淵とぐだぐだよくわかんない会話を優先させるわけないだろと思いながら俺は「うん」と頷く。
 どうやら、馬淵は逸早く元に戻りたいようだ。全身から滲み出る焦燥感と動揺が手に取るように感じた。

「手、離せよ。俺人待たせんの嫌いだからさあさっさと行きたいんだけど」
「それは、わかるけど……今そんなこと言ってる場合じゃ……」

 たかが入れ換わったくらいでなにをそんなに深刻視してるのだろうか、こいつは。
 そんなに自分の待遇や環境に思い入れでもあったのか、或いは俺の姿でいることによってなにか問題でも起こったのか。まあ興味ないけど。

「いいから離せって」

 あまりにも粘る馬淵に俺の我慢の限界に達したときだった。
 先ほどまで静かだった教室の外から煩い足音が聞こえてきて、そして扉の前で止まる。
 開きっぱなしになった扉の前。俺が馬淵の腕を振り払おうとしたのと、ずかずかとそいつが教室に入ってきたのはほぼ同時だった。

「なにやってんだ、お前」

 俺を掴む馬淵の腕を掴んだ渡利敦郎は、言いながら馬淵を睨む。
 相変わらず、タイミングがいいのか悪いのかよくわからないやつだな。
 現れた渡利に目を向けた俺は僅かに口許を弛める。でも、俺にとっては最高のタイミングだ。

「わ……渡利君?」

 いきなり現れた幼馴染みに無理矢理引き離された馬淵は驚いたように目を見張る。
 見知った顔にどこか安心する馬淵だったが、現在自分が誰の姿をしているのか気が付いたようだ。
 その表情はみるみる内に焦りと困惑の色を強く帯びていく。

「渡利君……そいつ、僕のことカッターで切り付けようとしてきたんだ。おかしいよこいつ、渡利君助けてよ」

 そんな馬淵から逃げるように渡利の背後に回った俺は浮かべた笑みを悟られないよう、そう声を震わせながら続ける。
「古屋君、なに言って……」呆れたような顔をする馬淵は、自分の手に持っていたものに目を向けた。
 先ほど、俺から奪ったカッターナイフだ。まあ、ただ拾っただけなんだけどどうでもいいか。

 無言で馬淵の手に目を向ける渡利の方から小さな舌打ちが聞こえる。
 馬淵の顔色が益々悪くなった。なにか変なものでも見るかのような視線を向けてくる馬淵に、俺は「違うよ」と微笑む。

「僕は馬淵、馬淵周平だよ」


 それからは、もう愉快で仕方なかった。
 指を剥がすようにカッターを取り上げる渡利に、顔を青くした馬淵。
 バカだなあ、あっちが本物なのに。なんて一人笑いながら、俺は二人を残して教室を後にした。
 渡利を前にしても尚、馬淵は最後まで俺に「待ってよ古屋君」となんか言っていたがよく覚えていない。
 ただ覚えていることと言えば、唯一の友人である渡利に掴み掛かられたときのあの馬淵の傑作な顔だろう。
 見た目俺のものなのだが、俺でもあんな情けない顔は出来ないはずだ。
 幼馴染みに誤解されたまま馬淵が病院送りになる様を見守っていたかったが、久保田が待っているかもしれない今そんなことに時間をかける暇もない。
 それにしても、俺の体が病院送りか。
 治療費とか親のこととかが気になったが、元に戻るかわからない今馬淵のいるあの体に興味はない。
 教室を出た俺は、久保田が戻ってくるはずの馬淵の教室へ戻った。そして、遅れてやってきた久保田とともに帰宅する。
 馬淵たちを残した教室から物音はしなかった。

 そして、夜。
 馬淵の家に帰り、馬淵周平としてのプライベート時間を過ごす。
 他人になりすますというのは然程難しい問題ではなく、家族と相槌程度の会話を交わすだけで難なくその輪に入り込むことができた。
 元々、馬淵はあまり家族と仲がいい方ではなかったようだ。
 終始無言でもなにも言われることはなかった。
 今が思春期だからというのもあるだろう。
 多少態度が素っ気なくてもあまり気にならないようだ。
 まあ、別に他人の家族と仲良くなるつもりはないので不審がられても特に問題ではない。
 寧ろ、問題なのはこいつだろう。

 馬淵宅、自室内。
 夜中に関わらず部屋まで押し掛けてきた目の前の青年に目を向ける。
 渡利敦郎。この体の持ち主の唯一の友人であり、幼馴染み。校内でも素行不良で通ってるこいつを使えるというのはなかなか便利だったが、その分こいつに対してもそれなりの態度を取る必要が出てくる厄介なやつだ。

「泊めて」

 そう、渡利は言った。
 理由を聞いてみれば、母親が彼氏を連れ込んでいるとのことらしい。
 んなもの我慢しろよと追い返したいところだったが、こうやって渡利が泊まりにくることは珍しくないようだ。
 せっかく久保田に電話しようと思ったが、別にこいつがいても出来ないことはない。俺は「いいよ」とだけ答える。
 そして現在。
 馬淵の携帯で久保田と長電話する俺の側で渡利は漫画雑誌を読んでいる。
 時折渡利が大声で話す俺に訝しげな目を向けてきたがなにも言わなかった。
 底辺と見下され敬遠されている不良でも、一応その辺の礼儀は弁えているようだ。
 深夜十二時に近づいたとき、「そろそろ寝るわ」とアクビをする久保田に「また明日」と言い、通話を終える。俺が机の上に携帯を置くのと同時に、渡利はパラ見していた漫画雑誌を閉じた。

「僕たちも寝ようか」

 そう尋ねれば、渡利はこくりと頷いた。先ほど敷いた布団の上に移動する俺は、枕元まで歩いてくる渡利に目を向ける。

「布団、敷かないの」

 そのまま座り込む俺の方を見ては動かない渡利に、俺はそう声をかける。
 なるべく渡利に対してはボロを出したくない俺は、そうセルフでするよう促した。が、渡利は不思議そうな顔をする。

「布団ならもう敷いてるだろ」

 いや、まあ確かに敷いてるけど。でもこれは俺一人分しかないはずだ。
 そして、そこまで考えた俺は目を丸くして渡利を見上げる。

「は?……一緒に寝んの?」
「なに言ってんだよ、いつもお前が入れっつってんじゃん」

 ……これは、どういうことだ。
 馬淵のフリをするのも忘れてしまうくらい呆れてものも言えなくなる俺は少し恥ずかしそうに続ける渡利に自然と顔が強張るのを感じた。
 馬淵と渡利が幼馴染みだということは知っていたが、幼馴染みの間ではお互い同じ布団に入って眠る常識でもあるのだろうか。
 幼い頃からの友人がいない俺からしてみれば、普通にない。有り得ない。なんで高校生にもなって男と一緒に眠らなければならないんだ。
 馬淵のやつ頭湧いてんじゃないかと呆れる俺だったが、ここで下手な真似をして渡利に怪しまれるようなことはしたくない。

「ああ、そうだったっけ。そうだったね。じゃあ、うん……勝手に入れば」

 必死に平然を装うが、やはり思った以上にショックがでかかったようだ。
 無意識に声が上擦り、全身の筋肉が緊張する。
 掛け布団を捲り、一人分横にずれる俺に渡利は「あ?ああ」と小さく頷いた。
 こんなことで狼狽えてしまう自分が情けなかったが、無理もない。
 遊びに行ったときとか複数で床の上に雑魚寝することは多々あったが、同性と一組の布団で寝ることは一度もない。
 女子相手でも躊躇うのに、まともに話したこともないやつととか普通にない。
 しかし、こんなところでぐちぐち言っても仕方がない。
 俺に背を向けるように横になり、布団を被る渡利を一瞥した俺は立ち上がり部屋の灯りを消す。
 馬淵は同性愛者で、渡利は寝るとき一緒の布団なのが当たり前だと言った。
 ……まさかな。
 ひとつの可能性が脳裏を過り、嫌な予感を覚えた俺は背後が薄ら寒くなるのを感じる。ぶんぶんと思考を振り払い、俺は出来るだけ自然を装いながら渡利の眠る布団の中へ潜った。
 他人が横にいるというだけで落ち着かなかったが思ったよりも渡利は大人しく、暫くもすればあまり気にならないようになる。目を閉じた俺は、そのまま夢の中に落ちた。


 その晩、俺は夢を見た。

 薄暗い教室の中、複数の生徒に囲まれた馬淵がその中心で座り込んでいる夢だ。
 俺はその教室の入り口に立っていて、周りの生徒たちは俺の方を見ていた。
 そして馬淵も例外ではなく、無表情の馬淵はこちらを睨むように見詰めてくる。
 その手には市販のカッターナイフが握られており、この夢が今日の馬淵の記憶だということに気付くのに時間はかからなかった。

 馬淵が見たという無声無色のモノクロの映像はただ淡々と俺の頭の中に映し出される。
 あの後、俺がいなくなった後の教室。
 怒鳴るようになにかを言っている渡利に胸ぐらを掴まれ、大きく映像がぶれる。
 目の前に迫ってくる渡利の手のひらが画面を覆ったとき、映像は途切れた。
 その続きがいつ流れるのか待っている間に、どうやら時間が来てしまったようだ。

 体を大きく揺すられ、俺の意識は覚醒した。

「おい、起きろよ」

 鉛のように重い瞼を持ち上げれば、そこにはこちらを見下ろすようなアングルの渡利が映る。
 もしかしたら戻っているかもしれないと一抹の希望を抱いていた俺だが、目の前の現実に絶望はしない。
「あー」と溜め息とも呻き声とも取れないような声を洩らしながら上半身を起こした俺は軽く関節を鳴らす。

「ご飯出来たってよ」
「……ふーん。先行ってれば、俺後で行くから」
「俺?」
「……僕」

 どうやら見た夢のせいで意識が混沌としているようだ。
 馬淵のフリをするのを忘れていた俺はそう付け足す。
 僅かに渡利の目がキツくなったような気がしたが、気にせず俺は布団から立ち上がった。なんとなく、体が痛む。

「渡利君さぁ……僕が寝てる間になんかやった?なんかすっごい体痛いんだけど」
「は?……はぁ?なんかってなんだよ、やるわけねえだろ」
「ん、あっそう。ならいいや。聞いただけ」

 もしかしたらと思ったので聞いてみたが、渡利は呆れたように目を丸くし顔をじわじわ赤くさせるばかりで特に問題発言はない。
 渡利と馬淵の関係、少し気になるな。
 馬淵と入れ換わった今、特に渡利との関係性をもう一度調べ直しておいた方がいいかもしれない。
 あまり気は進まないが、馬淵のことだ。
 根暗そうな顔をしてなにをしているかわからない。

 身支度を済ませ一階リビングで渡利とともに朝食を済ませた俺は、昨日同様迎えにやってきた久保田と一緒に学校へ向かう。
 渡利とは玄関で別れた。
 というより置いていったと言った方が適切なのかもしれない。
 念のため馬淵の携帯を持ってきたのでなにかあったらすぐに連絡を取れる状況にしているので特に問題はないだろう。

 馬淵は、今朝も姿を現さなかった。夢で見たあの映像のことが関係しているのだろうか。
 なんとなく気になったが、久保田は馬淵からなにも聞いていないようだ。
 音信不通の俺の体のことを心配してくれる久保田の優しさに胸いっぱいに嬉しくなる反面、馬淵の野郎はなに久保田に心配かけてんだと腸が煮え繰り返りそうになる。
 家にはうちの両親も出なかったようで、もしかしたら俺の体死んじゃってたりしてと悪い想像をしたが考えたところで答えが出るわけではないので取り敢えず俺は久保田との二人きりの時間を大切にすることにした。
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