人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第四章【モンスターパニック】

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 アンブラを連れて懲罰房を出た俺たちは、そのままの足取りでSSS寮へと戻ることになったわけだけども。

 一段落ついたし、一先ずご飯でも食べに行こうかという話をしていた矢先のことだった。
 だだっ広い相変わらず豪奢な通路の奥から誰かがやってくる。

「おい、人間――」

 見覚えのある尖った耳のシルエット、そしてこの高圧的な態度は。

「ニグレド!」
「お前、今までどこに……って、お前……ッ!」

 俺の顔を見るなり早速詰め寄ってくるニグレドだったが、俺達の後ろにいたアンブラに気付いたようだ。さっと目の色を変えるニグレドに、アンブラはびくりと縮こまる。
 そして、今にもかき消されそうなほどの声で「に、ニグレド……」とアンブラは呟いた。今にでもアンブラに掴みかかりそうなニグレド、そんな二人の間に「わー!ストップストップ」と割り込めば、今度はニグレドの鋭い目がこちらをギロリと睨みつけてきた!

「おい人間、何故そいつがここにいる。罪人であるそいつが」
「あーっと、その、これには深い事情があって……」

「――アヴィドの許可は得ている」

 恐らく、鶴の一声というのはこういうことを言うのだろう。正確にはカラス天狗の一声だが。
 静かに口を開く黒羽に、「なんだと?」とニグレドの目が釣り上がった。ただでさえ鋭い目つきは視線だけでも人一人くらいなら殺せそうなほど凶悪だ。
 しかし、黒羽はそれに動じることもなく真っ直ぐにニグレドを睨み返す。

「もしこの男が勝手な真似をするなら切り捨てても構わないという許可もな」
「アヴィド様……っ」

 一体なぜ、とニグレドの表情が曇る。理解できない、しかしアヴィド相手となると何も言えなくなるようだ。
「ニグレド」と心配そうなアンブラがニグレドに恐る恐る歩み寄った時だった。ぱん、と乾いた音とともに伸ばされかけたアンブラの手は振り払われた。

「近づくな! ……この寮の面汚しが、よくも恥ずかしげもなく出歩けるな」
「おい、言い過ぎじゃ……」
「煩い、部外者は口を挟むな。……アヴィド様がお前を許そうとも、俺はお前を軽蔑する」

「二度と軽々しく俺に話しかけてくれるなよ」と吐き捨て、そのままニグレドは俺達の前から立ち去るのだ。
 残されたアンブラは最後まで手のやり場もなく、そのまま固まっていた。

「い、行っちゃった……」

 居心地の悪さだけが残った通路、俺はアンブラになんて声を掛けるべきか言葉を探した。そんな中、意外なことにその重苦しい沈黙を破ったのはアンブラ本人だった。

「ニグレドの言い分も無理はない。……あいつは特に潔癖だしな」

 項垂れたまま、ぽつりと呟くアンブラ。
 確かに普段のニグレドの言葉の数々を思い返せば予想できる態度ではあるが、ニグレドが案外いい奴だと知ってしまった俺からしてみるとただの潔癖云々だけの話しではないような気がしてならなかった。

「ニグレドとは仲悪かったのか?」
「……そんなことはなかった。ここに入寮したときは何度か話したこともあった。……この寮には変なやつが多いが、アンブラとは趣味が合ったから」

 なるほど、オタク仲間みたいなものだろうか。
 アンブラの言葉を聞いて納得する。

「なんだよ、友達いたんじゃないか」
「友達? ……いや、別に俺たちはそんなんじゃない」
「そうかなあ……」

 あのニグレドと対等に話せるってだけで、俺みたいなやつからしてみればすごいことだと思うのだけど。
 それに、本当にどうでもいいやつにあんなに怒るだろうか。……まあ、汚名だとかで怒りそうだけども。
 俺も別に人生経験豊富だとか、相談に乗れるほど器用なわけではないけれども、なんとなくニグレドのことが気になった。

 そもそも、魔物たちに友情って存在するのだろうか。
 そう、ちらりと俺は何が何だか分からないと言って様子ではわはわしていたテミッドを眺める。「伊波様……?」と恥ずかしそうにするテミッドの頭をそっと撫でながら、俺は考えた。

 元はと言えば、アンブラに心の支えとなるような友人がいなかったせいでヴァイスに付け込まれてしまったようなものだ。
 アンブラとニグレドを仲直りさせて脱ヴァイス――なんて虫が良すぎるが、その考える方向性は間違ってはいない気がする。

 ……となれば、一度学園へと戻って社交性高そうなあいつに相談してみるか。
 お返しのつもりなのだろう、テミッドに頭をそっとわしわし撫でられながら俺は一人思案する。




 それから、俺達は寮の食堂で食事を取った後ヘルヘイム寮を後にすることになった。

 ヘルヘイム寮前。相変わらず朝が来ることはないこの魔界の空は真っ暗で、金平糖のような星と不気味に笑う大きな月がこちらを見下ろしていた。

 なんだか久し振りに外へ出た気がする。
 実際に眠っていたときの時間を考えたら久し振りには違いないのだが。

「なんだか不思議な感じだ」
「不思議? なにか身体に違和感でも……」
「いや、そうじゃなくて……」

 なんだろうか、この感覚は。
 うまく言語化出来ず、「懐かしいと言うか、なんというか」とごにょごにょ口籠ったときだった。

「曜!」

 これから飲み食いに行こうとする魔物たちで賑わう魔物寮前通り。
 そんな人混みの中から聞こえてきた声は聞き覚えのあるものだった。咄嗟に振り返ろうとしたとき、いきなり背後から抱き竦められる。

「おわっ! ……って、巳亦?!」
「……やっと帰ってきた、魔界寮に行ったっきり中の様子は分からないから心配してたんだぞ」

 近い、とか云々の次元ではない。

「おい、貴様ッ! 伊波様から離れろこの無礼者が!」
「巳亦様……お久し振りです」

「……っと、黒羽さんとテミッドもいたのか。……こりゃ失礼」

 言いながら俺の肩に手を回した巳亦は二人に向き直るのだ。そこで、俺達の中に見慣れない顔があることに気付いたらしい。

「あれ、そいつは……」
「あ、巳亦。そうだ、こいつはアンブラだ。……えーと、説明したら長くなるんだけど、しばらく一緒にいることになってな」
「一緒に?」

 どういうことだ、と訝しげな顔をして巳亦はじろじろとアンブラの頭から爪先まで舐め回すように視線を向けた。

「へえ、夢魔か」
「……っ、あ、ああ……」
「まあ、曜がそういうなら俺は従うまでだが、後でちゃんと事情は聞かせてくれるよな?」

 ちら、と巳亦の赤い目がこちらを見下ろす。
 蛇睨み、というやつなのだろうか。一見すると人当たりの良さそうな顔して笑ってるが、「何故夢魔と一緒にいる?」と言いたげなのがありありと伝わってくる。

「わ、分かったよ……それより、その、どっかゆっくりできるところに移動したいな。邪魔されなくて、安全そうな……種族関係なく入れる場所」
「だったら俺、いい場所知っているぞ」
「本当っ?」
「ああ、案内しようか」

 先程の威圧的な笑顔とは裏腹に、にこりと微笑む巳亦に「よろしく」と俺は頭を下げた。


 そして巳亦に案内されるがままやってきたのは華やかな中華街、その奥に聳える料理店――刑天閣。そのとある階に並ぶ個室の一角。

「……って、ここかよ」
「そう言うなよ、なんだかんだセキュリティは間違いないしな」
「そうアルネ、なんならヨウとテミッドがいないお陰で暇だから責任取っていっぱい食べるよろし」

 そして注文を取りに来たホアンはぶーぶー言いながらごく自然な流れで会話に混ざってくる。あまりにも自然すぎてツッコミそびれてしまった。

「まあ、落ち着いたらまたそのときはな」
「客寄せパンダの効果は絶大アルからネ、待ってるヨ~」
「だから、少しは包み隠せって」

 なんてホアンとやり取りしながらも一先ず料理を注文するわけだが、ただでさえ賑やかなホアンが立ち去ったあと、円卓を囲んでいた俺達の間に微妙な沈黙が流れる。

 ……なんだ、この空気は。

「あ、アンブラ。そうだ、遅れたけど紹介するよ。こっちはテミッド、それと巳亦。……二人とも俺の友達だ。二人ともいいやつだからきっと仲良くできるよ」

 ぺこりと頭を下げるテミッドと、アンブラを無視して俺の顔しか見ていない巳亦。テミッドも警戒心はあるようだが、それでも巳亦に比べればまだましな反応だ。

「……それで、こいつはアンブラ。ナイトメアで――」
「ヴァイスの元部下の男だ。ヴァイスを捕まえるため、共に行動することになった」

 なんと説明すべきか迷っていると、先程まで静観していた黒羽に先に全て説明されることになった。
 黒羽の口から出たヴァイスの名前に「こいつが」と巳亦の眉がぴくりと反応する。

「そんなやつと一緒に行動して大丈夫なのか? ……それに、見たところ拘束もなにもされていないじゃないか」
「巳亦、確かに元部下だったけど……今俺の友達でもあるんだ。拘束とかは必要ないよ」
「友達か、……曜は相変わらずだな」

 これは、多分褒められていないやつだな。
 アンブラへの敵対心を隠そうともしない巳亦にただ冷や汗が滲んだ。
「巳亦」頼むから穏便にな、とアイコンタクトを送れば、それが伝わったのか巳亦はにこりと微笑む。

「まあ、事情は分かった。……もし曜になにかしようものなら俺が曜を守るだけだからな」

 ……本当に分かったのだろうか。
 巳亦の存在は間違いなく心強いはずなのだが、些か穏やかではない。というか大分か。
 可哀想なほどアンブラの背中がちっさくなってるのを見て同情したが、巳亦のこればかりは俺にとっても対処できないものなので許してほしい。強く生きてくれ、アンブラ。






「それで、ヴァイスを捕まえるために囮として協力か。黒羽さんはよくそんなことを許したな」
「これは和光様からの命でもある。ヴァイスはこの学園の生徒――囚人たちの中でも要注意人物に位置する。それに、あの魔道士はあろうことか伊波様をつけ狙っているのも事実だ」
「ふぅん、まあいいけど。俺からしてみれば死神様も魔王様も関係ないしね」

 それまで淡々と話していると思いきや、巳亦が零した言葉に黒羽が動く。
「貴様、口を慎め」と今にも抜刀しそうな気迫の黒羽にぎょっとし、慌てて俺は黒羽の腕にしがみついた。

「く、黒羽さん、落ち着いて……! 巳亦も、そんな言い方しなくてもいいだろ」
「気になっただけだ。……けど、和光様絡みなら納得って感じだけど」

 黒羽に怖じ気づくわけでもなく、いつもと変わらない調子で続けながら運ばれてきた料理をつつく巳亦。
 巳亦は俺のことを心配してくれているのだろう。些か言い方は悪いが。

「ヴァイスの捕獲に協力したいと言ったのは俺の方だし、黒羽さんには俺の我儘を聞いてもらってるんだよ」

「別に、言われたからやってるわけじゃないから心配しないで」と巳亦に告げれば、「曜……」となにか言いたげな目をして巳亦は俺の名前を口にする。それから、「お前がそういうなら」と巳亦は渋々ながらも納得はしてくれたようだ。
 黒羽も巳亦が納得したことで落ち着いたようだ。元から険しい顔しているので分かりにくくはあるが、再び着席する黒羽を見てほっとした。
 とは言えど和気藹々楽しい食事、という空気ではなくなってしまった。

「そういや、アンブラの寝泊まりする部屋ってどうなってるんだ?」

 ここは話題を変えよう、と俺はテーブルの隅っこで背中を丸めていたアンブラに声をかける。話しかけられるとは思っていなかったらしい、アンブラはびくりと肩を震わせ、「部屋……?」とおずおずとこちらを見るのだ。

 そう、ヘルヘイム寮を出ることになってから気にはなっていた。

「だってほら、SSS寮は危険じゃないか? それなら、落ち着くまで俺の部屋でもいいけど……」

「な」
「何仰られてるのですか、伊波様!」

「うわっ、ビックリした……」

 ちょっとした提案のつもりで口にしたのだが、アンブラの言葉を遮るように飛んできた黒羽の声に俺は丁度お箸で掴んでいた唐揚げを落としてしまう。
 まあ手放しで賛成はされないだろうなと思ったが、まさかここまで叱られるとは思っても……いや、想像はついたか。

「そうだぞ曜、そもそもうちの寮に魔物を入れるつもりなのか?」
「え? 駄目なの……?」
「俺がここ数日ヘルヘイム寮に出入りしなかった理由分かるか? そういう暗黙の了解があるんだよ」

 そしてどうやら巳亦も同意見のようだ。巳亦の言葉になるほど、と頷く。
 けれど、暗黙の了解ということは明確に規則として禁止されているというわけではないということか。

「そうなんだ。でもそれって巳亦がSSS寮に入る資格持ってなかっただけじゃあ……」
「だとしてもだ、いくらなんでも軽率すぎるぞ伊波様」

 睨んでくる黒羽に『やっぱり駄目か』とがっくし肩を落としかけた矢先だった。

「――それなら、自分もお邪魔する」

 静かに続ける黒羽の口から出た言葉に、思わず俺は「え」と顔を上げた。
 ……聞き間違い、じゃないよな?

「えっと、それって……」
「じゃあ俺も」
「巳亦も?!」
「ぼ、僕……も……」
「テミッドまで……?!」

 便乗してくる二人に、思わずノリツッコミの人みたいになってしまった。
 ――……ってことはなんだ、アンブラと黒羽さんと巳亦とテミッドが俺の部屋に泊まるってことか……?
 黒羽とは何度か同室したことはあったけど、複数人が俺の部屋に来ることはなかったため少し想像つかなかった。けれど、確かに俺一人の部屋としては持て余すほどの広さはある。宴会くらいは困らないはずだ。
 当のアンブラというと、まさかアンブラ自身もこんなことになるとは思っていなかったようだ。
「い、伊波……」と助けを求める子犬みたいな目でこちらを見てくる。

「うーん、でも賑やかだし、こんなに人居たら流石にヴァイスも狙ってこないんじゃないか?」
「そういう問題なのか……?」

 思わず突っ込んでくれるアンブラ。
 だが、正直奈ところ俺は悪い案ではないと思っていた。心配事はないわけではないが、それよりも素直になんだか修学旅行みたいだ、というワクワク感が強かった。
 が、アンブラからしてみれば常に目くじらを立ててくる黒羽を筆頭にほぼ初対面のテミッドといい感情を持ってない巳亦と同室というのは堪ったものではないのかもしれない。

「あの、俺……別に一人でも大丈夫だし……慣れてるし」
「だから、一人が危ないんだって。……それに、気にすんなよ。俺はアンブラのこと信じるから」
「伊波……」
「じゃあ、今夜はお泊まり会だな」
「お、お泊まり会……?」
「げほんげほんっ! ……お菓子とかおつまみとかたくさん用意しとかないとな」

 アウェイ感もあるだろうが、一緒に過ごせばまた変わるだろう。
 塔に帰る途中、ビザール通りに寄らないとなとか考えていると、巳亦がじっとこちらを見ていることに気付いた。頬杖をついたまま、巳亦は目が合うと微笑む。

「なんか曜、楽しそうだな」
「うん、楽しみだよ。そんな場合じゃないってのは分かるけど、なんだかんだ魔界にきてこういうのって初めてだし」
「……確かにそうかもしれないが」
「わ……分かってるよ、黒羽さん。気は抜かないように気をつけるから」

 相変わらず渋面の黒羽。「いい?」と見上げれば、黒羽は「当たり前です」とだけ口にした。
 やはり中止だ、と言われる覚悟もしていただけに黒羽が許してくれたのが素直に嬉しくて「ありがとう、黒羽さん」と改めてお礼を口にした。
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