人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第四章【モンスターパニック】

05

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 テミッドとニグレドのおすすめアニメ鑑賞会をしているうちに眠ってしまっていたようだ。尿意を催し、もぞりと置き上がればふと肩に重みを感じた。振り返れば同じく眠っていたらしいテミッドがもたれかかってきていた。
 スクリーンはなくなっていて、部屋の中も薄暗く静まり返っていた。
 やばい、ニグレド怒っているだろうか。そう思ってテミッドを起こさないようにそっとソファーから立ち上がった俺はニグレドを探した。
 ニグレドはすぐに見つけた。
 広い部屋の奥、ニグレドはタブレットを弄っていた。またゲームでもしてるのだろうかと「ニグレド」と声を掛ければ、やつは視線だけをこちらに向けるのだ。

「随分とよく眠れたみたいだな」
「わ、悪かったって……」
「別に構わない。馬鹿には到底理解できないような内容だからな」
「ま、また馬鹿って言った……っ!」

 テミッドが起きないように小声で反論すれば、ニグレドは「ふん」と鼻を鳴らしてタブレットをしまった。そのときだ、ニグレドはなにかに気付いたように顔を上げる。

「……ニグレド?」
「どうやらお前の保護者が帰ってきたようだな」

 そう口にしたときだ、ニグレドの言葉通り扉がノックされた。その音にびくりとテミッドが起き上がる。

「う、ぼ、僕……寝て……敵……?」

「敵じゃないからな、大丈夫だからなテミッド。……俺、出てくる」
「いや、いい。お前らはそこにいろ」

「俺が行く」とニグレドに制される。
 先程のこともある。俺はテミッドのいるソファーに戻り、おとなしくテミッドとともにニグレドの背中を見送った。
 それから暫く、「伊波様」と黒羽が戻ってきた。

「黒羽さん……一体、今までどこに……っ!」
「……勝手にいなくなって悪かった。その、急用が入ってだな」

「急用?」と思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
 だって、いつだって俺のことを優先してくれていた黒羽だ。そんな黒羽が俺になにも言わずにいなくなった。――それも、こんな時間まで。
 そりゃ黒羽にも事情があることは分かっているけど、それでもなんとなく引っ掛かる。
 それに、どことなく歯切れの悪さも引っ掛かった。

「その用件の内容も伝えた方がいいんじゃないか」

 そう口を挟むニグレドだが、黒羽は苦渋の面持ちのまま「それは出来ない」と口にする。
「出来ない?」と片眉を吊り上げるニグレド。慌てて俺は今にも噛みつきそうなニグレドを止める。

「でも、良かった。無事そうだし……そうだ、黒羽さん、黒羽さんがいない間テミッドとニグレドが一緒にいてくれたんだ」
「……そうか、それは……世話を掛けた。礼を言おう」

 剣呑な空気が流れる部屋の中。黒羽はニグレドに声を掛けるが、対するニグレドはいつもの調子に戻っていた。

「ああ、子供の世話を押し付けられて面倒だった。これのお目付け役ならあまり目を離すなよ、油断したら問題ごとをホイホイ連れ込んでくる」
「……っ、なに? なにかあったのか?」
「飼い主に直接聞くといい」

 それだけを言い残しニグレドはそのまま黒羽と入れ違うように部屋を出ていく。その背中に「ニグレド、ありがとな」と声をかけるが、ニグレドは最後までこちらを振り返ることはなかった。
 ……少しは仲良くなったと思ったのだが、やはりなかなか上手くいかないものだ。

「……伊波様、あいつが言っていたのは本当なのか」

 そしてこちらもこちらで深刻そうな顔をしている。
 取り敢えず、黒羽を安心させることを優先した方がいいようだ。思いながら俺は先程のハウスメイドたちの暴走を伝えることにした。

 一通り俺の話を聞いた黒羽は渋面のまま考え込んでいた。眉間の皺が更に深くなるのを見て、咄嗟に俺は「でも」と声を上げる。

「ニグレドが助けてくれたんだ。……こう、魔法なのかな? あれで一瞬で砕けてさ……」
「テミッドも一緒にいたのか?」

 そうテミッドを振り返る黒羽。
 低い声で尋ねるものだから怒られると思ったのかもしれない。びくりと肩を震わせたテミッドは、そのままソファーの上で体育座りをするのだ。そして、その膝小僧に顔を埋めて縮こまる。

「あ、う……はい……けど、ぼ、ぼく……なにもできませんでした……」

「ごめんなさい」と今にも泣きそうな声で謝るテミッド。あれは普通じゃなかった。それに、普段のテミッドの強さを知ってるだけに責めるつもりも毛頭はなかった。それは黒羽も同じなのだろう。

「……いや、元よりそれは自分の役目だ。任せきりになって悪かった」
「う、う……黒羽様……」
「ほら、黒羽さんもこう言ってることだしテミッドも気にするなって」
「伊波様……」

 そう、ふるふると睫毛を震わせるテミッド。その目には涙が溜まってる。
 そこまで気にしてたのか。俺はテミッドの涙を袖で拭ってやれば、テミッドは「あう、ごめんなさい」と赤くなっていた。

「この件についてはアヴィドにも共有しておかなければならないな。この学園のセキュリティが意味も為さないとなると問題が変わってくる、ただの指名手配の話だけでは済まなくなるからな」

 そう口にする黒羽。
 そうだ、元はと言えばここはただの学園ではない。収容施設なのだ。
 それもヘルヘイム寮の最上ランクが突破されてるとなると、背筋がぞっとする。

「……一先ず、今夜は自分もここに居ます。伊波様は休んでください」
「あ、あの、ぼく……は……」
「テミッドは部屋に戻れ」
「う……はい……」

 黒羽の言葉にしゅんとうなだれるテミッド。そのままとぼとぼと立ち上がるテミッドの後ろ姿はあまりにも弱々しい。もしかしなくても先程のことを引きずってるのだろう、気にしなくてもいいと何度も言ったがテミッドの性格だ。なんとなく気がかりだったが、とうとうテミッドはなにも言わずに俺の部屋を後にする。

「……テミッド大丈夫かな」
「一晩明ければ立ち直るだろう」
「黒羽さんもそうなの?」
「……自分は、内容にもよるが」

 確かに、黒羽さんも引きずりそうなタイプだしな。なんて会話を交わしながら、俺は眠る準備をする。
 先程まではすっかり目が冴えていたが、今は黒羽が帰ってきたことで大分落ち着いたようだ。どっと疲労感と眠気が襲いかかってくる。
 一度風呂に入り、服を着替えた。そして黒羽がベッドメイキングしてくれたベッドへと飛び込めば、そのまま黒羽は俺にシーツをかけてくれる。

「……ゆっくりお休みください」

 伊波様、と低い黒羽の声が響く。黒羽の声を聞くだけで安心する。もしかしたら入眠効果があるのかもしれない、なんて思いながら俺はそのまま眠りへと落ちた。

 夢を見た。
 全部が夢だった――という内容の夢だ。人類サンプルに選ばれたことも、死神の和光に出会ったことも、魔界に来たことも、黒羽や巳亦、テミッドたちと出会ったことも全部夢で、夢の中で俺は目を覚まして以前と変わりない生活を送っていた。

「おはよう、曜。弁当はそこに用意してるからね」
「曜兄ちゃん、寝癖だ! 変なの!」
「兄ちゃん、リボン結んで!」
「曜、そんなにゆっくりでいいのか? 遅刻してもしらないぞ」

 母、幼稚園にあがったばかりの双子の兄妹、父が俺へと声をかけてくる。夢の中の俺は笑っていた。そして、“俺自身”はそんな俺をただ俯瞰で見ていた。

 もう帰れないのだと分かっていた、覚悟もしていた。……だからだろう、こんな夢を見たのは。

『あの頃に戻りたいか?』

 不意に、頭の中に聞いたことのない声が響いた。耳障りのいい男の声だ。甘く、蠱惑的な色すらあるその声は再び俺に問い掛けてくる。

『ここでは愛しい家族と生きられる。……叶えられない願望なんてない、終わりもない幸せな世界だ。お前は本心では望んでたんだろう、これを』

 ――望んでいた。
 けれど、それは最初の話だ。俺はもう、俺の中で踏ん切りを付けた……付けたはずなのだ。

『ならなんでこんな夢見るんだろうな? それはまだ、お前自身が望んでるからじゃないか?』

 なにも言い返せなかった。

『……お前は目を覚まさなくていい、ずっと、好きなだけここにいたらいい。誰にも邪魔されない幸福の中で生きていくんだ』

 悪魔のような囁きだった。
 ――確かに、魅力的だ。揺らいでいた。そう、以前の俺だったらだ。

「……っ、なみさま……」

 頭の中、響く声にほんの一瞬世界にノイズが走る。
 家族たちの顔が蝋人形のようにどろりと溶け出し、そして、あんなに明るかった世界が絵の具の色が混ざるように歪んだ。
 ――黒羽さんの声だ。黒羽さんが俺を呼んでいる。

 ……起きなければ。

『……つまんねえやつ』

 俺の幸せは俺が決める。
 今更過去にすがりつくつもりも、このまますべてを投げ捨てて逃げるつもりもないのだ。
 その俺の声が声の主に届いたのかどうかはわからないが、それでも意識は次第に覚醒していった。
 そして。

「っ、伊波様ッ!!」
「わっ」

 耳元で名前を呼ばれ、強く身体を揺すられる。その音圧に驚いて飛び上がれば、目の前には血相を変えた黒羽がいた。

「く、ろはさん……?」
「……っ、良かった……伊波様……っ!」
「ど、どうしたの……? なにかあったの……?」

 声を出そうとすれば、ひどく掠れた声が出てしまう。
 見たところ部屋が荒らされてることもない。が、部屋の中には黒羽以外にも見知った顔があった。アヴィドとニグレド、そしてテミッドがそこにいた。ベッドの側、なかなかに寝起きには濃いメンバーに覗き込まれていた事実に一気に頭が冴えてきた。
 起き上がろうとしたら全身の関節がひどく痛んだ。節々が硬い。

「君は丸々三日眠ってたんだ」

 何事かと狼狽える俺に応えるのはアヴィドだ。
 思わず「三日?」と声を上げてしまう。

「ああ、三日だ。……見たところ外傷もなにもないようだが、君は夢を見てたんじゃないか?」

 アヴィドに指摘され、俺は夢の中の声を思い出した。

「確かに……見ました。それと、変な声が聞こえて」
「起き抜けのところ悪いが、詳しく聞かせてもらっていいか?」
「わ……わかりました」

 差し出される水を受け取り、カラカラに乾いていた喉を潤す。それから俺はアヴィドたちに夢の内容、そしてその中で聞いた奇妙な声について説明した。
 静かに聞いていた黒羽たちだったが、声のことを話した途端その目つきが変わった。

「夢魔の仕業だな」

 そう口にするアヴィドに、室内の気温が僅かに下がったような気がした。
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