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第四章【モンスターパニック】
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用意された自室に踏み入れた瞬間、息を飲んだ。
「す、すごい……!」
どこかの映画のセットみたいなアンティーク調のインテリアで統一された部屋は大家族で暮らしても持て余すほどの広さがある。
お姫様でも住んでいるのかと思うほどの豪華な部屋の中、俺は思わずダッシュで部屋の中へと入ってた。そしてその部屋の奥、巨大なベッドに思わず飛び込もうとして黒羽に捕まった。
「……っ伊波様、はしゃぎ過ぎだ」
「は……っ! ごめん、つい……」
我を失ってしまっていたようだ。
ごめんなさいともう一度謝れば、黒羽はあっさりと手を話してくれる。
「それにしても……どれもこれも使用された形跡はない。今回のために全て新調されたようだ」
「え、こ、これを全部……?」
「伊波様はやんごとなき御方だ。当然のことだろう」
「やんごとなき……」
そうだ、ここ最近のぞんざいな扱いを受けてきたお陰で忘れかけていたが俺は一応親善大使なのだ。
そっとベッドに手を伸ばせば、羽のようにふかふかとしたシーツは俺の手を飲み込むように沈む。
「ふわふわだ……! 黒羽さん、このベッドすごいふわふわだ……!」
「これは希少種の魔鳥の羽毛をふんだんに遣っているようだな」
「テミッド、ほら、すごいぞこれ!」
あまりの感動に、部屋に入るのを躊躇っていたテミッドを呼び寄せれば、やってきたテミッドは恐る恐るベッドに触れる。
そしてびくっとし、すぐに手を離した。
「すごい……ふわふわ、です……っ」
「だろっ?」
暫く二人でベッドの柔らかさを堪能していると、その間に黒羽は部屋の中を見回っていた。
そして一通り確認を終えた黒羽が戻ってくる。
「見たところ危険なものはないようだ」
「も、もう全部見たのか……」
早いな、と関心する反面、あの過保護な黒羽お墨付きの安心安全な空間にほっとする。
それでも黒羽は安心しきるなというのだろうが。
近くのクローゼットには制服が数着掛けられているくらいだ。
テレビやゲームはなさそうだが、そもそも魔界にきてそれらの類を見たことないので存在するかどうかすら怪しい。でもコーラを用意してくれたハウスメイドだ。頼む価値はあるだろう。
それに、もし用意できなかったとしてでもだ。
「ほしいものも大体用意してくれるし、こんな豪華な部屋ならいくらでも居られるなぁ」
「そ、そう……ですね……」
こくり、と頷くテミッド。
黒羽はというとさっきから難しい顔をしている。
もしかして何かまずいことでも言ってしまっただろうか。内心どきっとしながらも「黒羽さん、どうかしましたか」と声を掛ければその鋭い隻眼がこちらを向く。
「……伊波様、先程の話の続きだが暫くの間登校を控えここにいるのは如何か」
「そ……それは、確かに安全だけど……」
さっきのニグレドの話か。
確かにあのときも何やら考えている様子だった。
俺個人としては堂々とサボれてラッキーという反面、授業も受けたいし、もっとこの学園のことを知りたいという気持ちもある。
それに俺の立場上逃げ隠れして勤まるものでもないはずだ。
「でも……それって、いいのかな」
「無論だ、貴方の身に何かがある方が余程困る」
「そ、そう言われると……。分かった。一応、アヴィドさんにも相談してみるよ」
自分ばかり守られるのも落ち着かないが、状況が状況だ。
俺一人の我儘で迷惑かけるわけにもいかない。
一番いいのは早くヴァイスが捕まることだろうが……。
それでもこの部屋で一日中遊んで過ごせると考えるとわくわくする自分もいた。現金なものだと思う。
そして一通り各自部屋の中の探索を終え、俺達は廊下へと集まっていた。
「馴れるまでが大変そうだな」
「ぼ、ぼく……寝れそうにないです、緊張して……」
「あはは……俺も」
最初見たときはあんなにはしゃいでしまったが
、いざとなると自分の愛用してたベッドと枕が恋しくなってしまいそうだ。
どうやら黒羽もテミッドも同じような部屋になっているようだ。テミッドは絵になりそうだが、黒羽があんなふわふわのベッドで眠るなんて想像できないな……。
「……伊波様も疲れたのではないか? 慣れる為にも少し休憩するといい」
「ぼくも……いつでも、お呼びください。伊波様」
「うん、わかった。ありがとう。黒羽さん、テミッド」
今日はずっとバタバタしっぱなしだったしな。二人も休みたいだろう。
俺はテミッドたちと別れ、自室へと戻ろうとして背後から付いてくる黒羽に気付く。
「く、黒羽さん……?」
「どうした」
「俺、一人でも大丈夫だよ。黒羽さんも自室でゆっくり……」
「貴方を一人残して自室に戻るわけがないだろう」
そうは断言だった。
余程ヴァイスのことが心配なのだろう。しかもちょっと怒ってるし……。
「……伊波様が気になるというのなら以前のように気配も姿も消してお側におります」
「い……いいよ、そこまでしなくても」
まあ確かに元々黒羽は俺のお目付け役だし黒羽からしてみれば役目を全うしているだけだ。
黒羽が一緒にいるのは心強いけど……。
「わかった、じゃあ……どうぞ」
「ああ、失礼する」
ずっと一緒にいるような気がするのに改まって黒羽を部屋に招き入れることに緊張してしまっている自分がいた。
黒羽さんと一緒にいることが嫌だとかそういうわけではない、寧ろ嬉しいし一人でいるよりも安心する。けど、ここ最近の黒羽さんはいつもよりも一層ピリピリしてるように思えるのだ。
ヴァイスのことがあったばかりなのだから神経質になってるのだと分かっていたが、それでもやはりこんな時だからこそ羽根を休めてもらいたいと思った。
部屋の中、立っているという黒羽を「ここは俺の部屋で黒羽さんはお客さんだから」とゴリ押しでソファーに座らせた。……やっぱりヴァイスに捕まっていたことを気にしていたらしい。
気にするなと言っても気にするだろうし、それならばと俺はこっそりと部屋の隅へと移動し、ハウスメイドを呼ぶ。
「えーと、大福と……お茶! 緑茶! ……暖かいやつで」
そう声を掛ければ先程同様側のサイドボードの上にお盆とその上に温かい緑茶が入った湯呑、それから大福が二個添えられた小皿が現れた。
やはり何度見ても魔法のような光景だ。おお……と感嘆の声を上げつつ、それからそれを受け取った俺はソファーで待つ黒羽の元へと向かった。
「伊波様、それは……」
「黒羽さん、よかったら一緒にどうですか」
「……ああ、毒味ならば自分が」
「毒味とかじゃなくて……黒羽さんの好きそうなもの用意してもらったんですけど、あまり好きじゃなかったですか?」
正直俺が大福を選んだのも妖怪だったら和菓子、和菓子と言えば大福が好きなのではないかというなんとも安直なイメージで選んだ結果だ。……それに、俺は黒羽の好物を知らない。
問い掛ければ、少しだけ黒羽は口籠る。いや、と視線を外す黒羽は観念したように息を吐いた。
「……好きだ」
「っ、本当?」
「だが、俺にこういったものは必要ない。貴方が食べるといい」
あくまでも黒羽の態度は頑なだ。警戒の姿勢を崩そうとはしない。これじゃなんだか黒羽の仕事の邪魔をしてるみたいだ。実際そうなのだろう。
けど、黒羽は大福は好きだということがわかったのでも収穫だ。
「……わかりました、ごめんなさい。無理強いして」
「……」
「でも、お茶くらいならいいですよね」
そう、ずい、と半ば強引に黒羽の前に湯呑を置けば、少しだけ鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたあと僅かにその口元が緩んだ気がする。そして、「ああ、頂く」と黒羽はそれを受け取ってくれた。そんな黒羽に満足し、俺は大人しくソファーに着席した。
「それにしても、本当に不思議ですよね。……どんなものでも用意してくれるなんて」
「……ああ、そうだな」
「これは駄目とかあるのかな……えと、熱々のカレーパンください!」
試しに空に向かって声を掛ければ、天井からすとんと降ってきたのは紙袋に包まれた熱々のカレーパンだった。
「す、すごい……」
「伊波様、お腹減ってるのか?」
「……えへへ、あ……すごい熱々で美味しいですよ黒羽さん!」
「……すごい匂いだな」
どうやら黒羽はあまりカレーの匂いは好きじゃないらしい。しかめっ面で唸る黒羽にはっとし、俺は急いで匂いの根源を口に詰め込む。
「伊波様、そんなに早食いしては喉に詰まるぞ。水を……」
と言いかけた時、音もなく黒羽の手の中にはボトルの水が現れる。無意識だったようだ、それでも現れたそれに黒羽は驚く。
「……ひとまずこれを」
「ん、ぐ……ありがとうございます」
勢いよく飲んだせいで噎せてしまい、背中を撫でられる。あまりにも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる黒羽にそこまでしなくても大丈夫です、と慌て断った。
「……やはり、この建物内部では頭に思い浮かべたものが顕現するらしい」
「それって、わざわざ口にしなくてもってこと?」
「恐らくは。……試してみよう」
そう言って、黒羽はその隻眼を細める。そして次の瞬間、天井から何かがぼとりと落ちてきた。黒羽が受け取ったそれは刀だ。
俺と黒羽は無言で顔を見合わせた。そして俺も黒羽の真似してとあるものを思い浮かべる。ずしりとした黒光りする銃だ。目を瞑り、地下監獄で発砲したときの記憶を鮮明に呼び起こす。
瞬間、掌の上にずしりとした感触が触れた。目を開けばそこにはあのとき見た獄吏の銃が握られていた。
「っ、う、わ……っ!」
まさか本当に現れるとは思っていなくて、咄嗟に落としてしまいそうになるのを黒羽に取り上げられる。そして、その銃を確認した黒羽は険しい顔のまま「本物のようだな」と呟いた。
「本物って……」
「ここのハウスメイドとやら物を顕現させることに制限がないらしい。……使用した者が現物を知っていればなんでも用意すると」
「……っ」
言われて俺は映画の知識でしか見たことないものをいくつか呼び出そうとするが、一向に本物は出てこない。出てきても玩具のような見た目だけの模型だ。
「ハウスメイドというよりもこの建物全体に強力な具現化魔法が敷かれていると考えた方がいいだろう」
「ぐげんかまほう……」
「つまり、この建物内ならば下手すれば敵も武器を無限に調達でいるということだ」
「で、でも……そもそもヴァイスはここに入れないんじゃ……」
「もしあの男がここの寮生の体を乗っ取った場合正面玄関から侵入することも可能かもしれない。……万全を期す必要がある」
そう、黒羽は刀と銃を壁へと戻す。
他より少しはましというだけで、結果的にはどこにいても同じということか。
それにしても、他にはどんなものが出てくるのだろうか。ふと目を瞑り俺はいつの日か獄長にぬいぐるみのような姿に変えられた黒羽のことを思い出す。そのとき、俺の思考とリンクしたのか頭の上からそれは降ってきた。
大きめのそれにぎょっとした黒羽は俺が受け取るよりも先にそれを捕まえる。そして。
「……っ! 伊波様……これは」
「流石に……生き物は駄目なのかな? ……あ、でもふかふかだ。……ぬいぐるみになっちゃっいましたね、黒羽さん」
そう、ぬいぐるみ黒羽に触れてみれば黒羽は渋い顔のままだ。俺はあのときの黒羽の姿は気に入っているが黒羽はどうやらまだ傷は癒えてなかったようだ。
「……そのようだな」
「あっ、待って黒羽さん返さないで! 俺部屋に置いておくから……!」
「不要だ、人形が欲しいのなら別のものを用意する」
「あ……それは少し欲しいかも……駄目だって黒羽さん!せっかく出したのに!」
結局黒羽ぬいぐるみはハウスメイドに返却させられてしまった。今度黒羽がいないときにこっそり大きいやつを用意してもらおう……そう決意した。
暫く黒羽と一緒に部屋でまったり寛いでる内にうとうとしてしまい、夢現の中「伊波様、ここで寝ると風邪を引くぞ」という黒羽の声が聞こえてくる。
そのあとなにか返事をしようとしたのだが意識はそこで途切れてしまった。
そして、目を覚ませば俺はベッドの上にいた。
「んぁ……ぁえ、くろはさん……?」
微睡む意識の中、俺は薄暗くなった部屋の中を見渡す。黒羽がいない。姿を消してるのだと思ったが、もう一度「黒羽さん?」と宙に向かって呼び掛けても黒羽からの返事はない。
……どこかへ行ってるのだろうか。
伸びをし、身体を起こした。よく眠っていたお陰で節々がバキバキだ。
一度ベッドから降りようとして、置いた手に何かごろりととしたものに当たる。よく目を拵えて見てみれば、そこには日本人形があった。ビックリしすぎて一人で「うわっ!!」と叫んでしまったときだ、バタバタと扉の外で足音が聞こえてきた。そしてすぐに、どんどんと扉が叩かれる。
そのノック音にも驚いて飛び上がりそうになる。
『っ、いなみ、さま……大丈夫ですか……っ?!』
――テミッドだ。
どうやら俺の悲鳴がテミッドの部屋にまで届いていたようだ。慌てて俺は日本人形を抱き抱え、扉へと向かった。
「て、テミッド……悪い、煩くして……」
「だ……大丈夫、ですか……?顔色が……よくない、です」
そうおどおどと俺の頬に触れてくるテミッドだったが、そこで俺が抱えているものに気づいたらしい。日本人形を見て、テミッドは目を丸くした。
「か……可愛い……」
「え、か……可愛いのか?」
「はい……伊波様みたいで、愛らしい……です」
にこーっと微笑むテミッドだがすごいぞ、テミッドに褒められてるのに微妙な気持ちになっている。
「それ、どうしたんですか……?」
「黒羽さんがいなくなった代わりにこいつがベッドにいたんだ……あ」
そこまで言って俺は眠る前、黒羽がぬいぐるみの代わりに別の人形を用意すると言っていたことを思い出す。
……まさか、黒羽さんが用意したのって。
「黒羽、様……流石いいお趣味……」
うっとりとしてるテミッドに俺は敢えて何も言わないでおく。
「……あ、そうだ。テミッド、黒羽さん見てないか? 寝てる間にいなくなってて……」
「黒羽様……? いえ、僕は……見てないです」
ごめんなさい、としゅんとするテミッドに「いやそれならいいんだ」と慌てて首を横に振った。
黒羽のことは気になったが、二十四時間常にいるわけではない。黒羽さんにだって色々事情があるのだ。
そもそも俺、どんだけ寝てたんだ。
「こんな夜中にどこ行ったんだろ……」
「……でも、黒羽様の匂い……近いです」
流石グールの嗅覚と言うべきか。「探しますか?」と小首を傾げるテミッドに、俺は「いやいいよ」と断った。近くにいると分かっただけでもいい。それに、黒羽はああいっていたもののこの学生寮内はひとまず安全だと解っているからこそそこまで心配そうにはならなかった。
不思議そうにしながらも「わかりました」とテミッドはこくんと頷く。
そんなときだった。
下の階から扉が開く音が聞こえてきた。
俺とテミッドは顔を見合わせる。
「誰か帰ってきたのかな」
「かも、しれないです……」
言いながら俺達は部屋を抜け出し、こっそり下の階へと繋がる階段からロビーを覗き込んだ。
そこには……。
「アヴィドさん!」
「アヴィド、様……っ!」
「……君たち、まだ起きていたのか」
どうやら帰宅したばかりの用だ。アヴィドと、その背後には見慣れない男がいた。
全身を包帯で巻かれたその男には見覚えがある。確か、何度か文学部の教室で一緒になったことある。白髪混じりの灰色の髪、そして包帯の隙間からぎょろりと覗く目がこちらを睨んだ。特徴的な、白目の部分が変色した左目。
「あ、あの……その人……」
「ああ、ボイドか。……おい、自己紹介してなかったのか?」
ボイドと呼ばれたミイラ男はそっぽ向いたまま何も言わない。やれやれ、とアヴィドは肩を竦めた。
「こいつはボイドだ。……口は付いてるがこの通りのやつでな。一応こいつもこの寮の生徒なのだが……」
「…………」
「おい、ボイド?」
いきなりアヴィドを無視してずい、と急に詰め寄ってくるボイドにぎょっとする。口元の包帯を指で下ろしたボイドは俺をじっと見据えるのだ。突然のことに反応に遅れたときだった。テミッドが俺とボイドの間に入ったのと、アヴィドがボイドの首根っこを掴んだのはほぼ同時だった。
「……っと、悪いな少年。こいつ、……お前に興味があるらしい」
「きょ、うみ?」
「…………」
思わず目の前のミイラ男を見上げる。
距離が近付けば近付くほど何かが腐ったような匂いに思わず顔を顰めそうになるのを必死に堪えた。濁った眼球がこちらを見下ろす。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。どうすればいいのかわからない。というか、じゃあ別に嫌われてるわけではないってことか……?
「ぼいど……」
さんって付けた方がいいのだろうか、と思いながら恐る恐る名前を呼んだとき。
「――……伊波」
顔を寄せられる。薄く開いた口元。耳元で俺にだけ聞こえる声量でボイドは確かに俺の名前を呼んだのだ。驚いて顔を上げたとき、テミッドに引っ張られ、ボイドから引き離される。
「わっ、て、テミッド……?」
「ちかい、です……」
そうか細い声で、それでもボイドに対する警戒心は拭えていないらしい。テミッドはじとりとボイドを睨む。ボイドはそれに対して特に反応するわけでもなく、再び無言に戻った。
妙に張り詰めた空気が流れたときだ。
「ボイド、気は済んだか?」
「そろそろ俺達も行くぞ」とアヴィドが声を掛ければ、ボイドは無言で頷いた。特に怒ってる様子もない。睨まれていると思っていたが、ただ単に目付きがよくないだけかもしれない。
……それに、名前を呼んでくれたし。
悪いやつではない、なんてそれを判断材料にする俺は黒羽の言うとおり甘いのかもしれない。
「じゃあな、少年たち。……探索もほどほどにしておけよ」
「あ、はい……っ! おやすみなさい」
「おやすみなさいか……久し振りに言われたな」
何が可笑しいのか一人くつくつと笑い、アヴィドはボイドを引き連れて奥の部屋へと進む。
……どういう関係なのだろう、あの二人。友達?には見えないし……。
うーんと考えてると、くいっと服の裾を掴まれる。テミッドだ。
「ん? どうした、テミッド」
「……ぁ、その……」
もしかしてボイドのことを気にしてるのだろうか、俯いて何かを言い出そうとするがテミッドはそのまま押し黙ってしまった。そのとき。きゅるると腹の音が響き渡る。
俺……ではない。ちらりとテミッドを見上げれば、その頬が赤くなっていくのではないか。
「テミッド、お腹減ったのか?」
「あ……う……ごっ、ごめんなさ……」
こんな時間にか、と思ったが相手は人間ではない。まあ、俺も寝起きで喉乾いたしな。
「じゃあなんか食うか?」
「……っ! は、はい……っ!」
先程までが嘘のようにぱあっと明るくなるテミッドにつられて俺も破顔する。
ここまで純粋に喜んでくれる相手がいると嬉しいというか、可愛いというか……。思わず照れながらも俺は辺りを見渡した。
「そうだ、ここって食堂みたいな場所ないのかな」
「食堂……あ、あの、僕の寮にはありました……」
「じゃあ流石にあるだろ。なんかこういうところの食堂ってすごそうだよな、ちょっと探してみるか」
こくこくと頷くテミッドに、よし決まりだと俺達は早速SSS寮の探検に出ることにした。
「す、すごい……!」
どこかの映画のセットみたいなアンティーク調のインテリアで統一された部屋は大家族で暮らしても持て余すほどの広さがある。
お姫様でも住んでいるのかと思うほどの豪華な部屋の中、俺は思わずダッシュで部屋の中へと入ってた。そしてその部屋の奥、巨大なベッドに思わず飛び込もうとして黒羽に捕まった。
「……っ伊波様、はしゃぎ過ぎだ」
「は……っ! ごめん、つい……」
我を失ってしまっていたようだ。
ごめんなさいともう一度謝れば、黒羽はあっさりと手を話してくれる。
「それにしても……どれもこれも使用された形跡はない。今回のために全て新調されたようだ」
「え、こ、これを全部……?」
「伊波様はやんごとなき御方だ。当然のことだろう」
「やんごとなき……」
そうだ、ここ最近のぞんざいな扱いを受けてきたお陰で忘れかけていたが俺は一応親善大使なのだ。
そっとベッドに手を伸ばせば、羽のようにふかふかとしたシーツは俺の手を飲み込むように沈む。
「ふわふわだ……! 黒羽さん、このベッドすごいふわふわだ……!」
「これは希少種の魔鳥の羽毛をふんだんに遣っているようだな」
「テミッド、ほら、すごいぞこれ!」
あまりの感動に、部屋に入るのを躊躇っていたテミッドを呼び寄せれば、やってきたテミッドは恐る恐るベッドに触れる。
そしてびくっとし、すぐに手を離した。
「すごい……ふわふわ、です……っ」
「だろっ?」
暫く二人でベッドの柔らかさを堪能していると、その間に黒羽は部屋の中を見回っていた。
そして一通り確認を終えた黒羽が戻ってくる。
「見たところ危険なものはないようだ」
「も、もう全部見たのか……」
早いな、と関心する反面、あの過保護な黒羽お墨付きの安心安全な空間にほっとする。
それでも黒羽は安心しきるなというのだろうが。
近くのクローゼットには制服が数着掛けられているくらいだ。
テレビやゲームはなさそうだが、そもそも魔界にきてそれらの類を見たことないので存在するかどうかすら怪しい。でもコーラを用意してくれたハウスメイドだ。頼む価値はあるだろう。
それに、もし用意できなかったとしてでもだ。
「ほしいものも大体用意してくれるし、こんな豪華な部屋ならいくらでも居られるなぁ」
「そ、そう……ですね……」
こくり、と頷くテミッド。
黒羽はというとさっきから難しい顔をしている。
もしかして何かまずいことでも言ってしまっただろうか。内心どきっとしながらも「黒羽さん、どうかしましたか」と声を掛ければその鋭い隻眼がこちらを向く。
「……伊波様、先程の話の続きだが暫くの間登校を控えここにいるのは如何か」
「そ……それは、確かに安全だけど……」
さっきのニグレドの話か。
確かにあのときも何やら考えている様子だった。
俺個人としては堂々とサボれてラッキーという反面、授業も受けたいし、もっとこの学園のことを知りたいという気持ちもある。
それに俺の立場上逃げ隠れして勤まるものでもないはずだ。
「でも……それって、いいのかな」
「無論だ、貴方の身に何かがある方が余程困る」
「そ、そう言われると……。分かった。一応、アヴィドさんにも相談してみるよ」
自分ばかり守られるのも落ち着かないが、状況が状況だ。
俺一人の我儘で迷惑かけるわけにもいかない。
一番いいのは早くヴァイスが捕まることだろうが……。
それでもこの部屋で一日中遊んで過ごせると考えるとわくわくする自分もいた。現金なものだと思う。
そして一通り各自部屋の中の探索を終え、俺達は廊下へと集まっていた。
「馴れるまでが大変そうだな」
「ぼ、ぼく……寝れそうにないです、緊張して……」
「あはは……俺も」
最初見たときはあんなにはしゃいでしまったが
、いざとなると自分の愛用してたベッドと枕が恋しくなってしまいそうだ。
どうやら黒羽もテミッドも同じような部屋になっているようだ。テミッドは絵になりそうだが、黒羽があんなふわふわのベッドで眠るなんて想像できないな……。
「……伊波様も疲れたのではないか? 慣れる為にも少し休憩するといい」
「ぼくも……いつでも、お呼びください。伊波様」
「うん、わかった。ありがとう。黒羽さん、テミッド」
今日はずっとバタバタしっぱなしだったしな。二人も休みたいだろう。
俺はテミッドたちと別れ、自室へと戻ろうとして背後から付いてくる黒羽に気付く。
「く、黒羽さん……?」
「どうした」
「俺、一人でも大丈夫だよ。黒羽さんも自室でゆっくり……」
「貴方を一人残して自室に戻るわけがないだろう」
そうは断言だった。
余程ヴァイスのことが心配なのだろう。しかもちょっと怒ってるし……。
「……伊波様が気になるというのなら以前のように気配も姿も消してお側におります」
「い……いいよ、そこまでしなくても」
まあ確かに元々黒羽は俺のお目付け役だし黒羽からしてみれば役目を全うしているだけだ。
黒羽が一緒にいるのは心強いけど……。
「わかった、じゃあ……どうぞ」
「ああ、失礼する」
ずっと一緒にいるような気がするのに改まって黒羽を部屋に招き入れることに緊張してしまっている自分がいた。
黒羽さんと一緒にいることが嫌だとかそういうわけではない、寧ろ嬉しいし一人でいるよりも安心する。けど、ここ最近の黒羽さんはいつもよりも一層ピリピリしてるように思えるのだ。
ヴァイスのことがあったばかりなのだから神経質になってるのだと分かっていたが、それでもやはりこんな時だからこそ羽根を休めてもらいたいと思った。
部屋の中、立っているという黒羽を「ここは俺の部屋で黒羽さんはお客さんだから」とゴリ押しでソファーに座らせた。……やっぱりヴァイスに捕まっていたことを気にしていたらしい。
気にするなと言っても気にするだろうし、それならばと俺はこっそりと部屋の隅へと移動し、ハウスメイドを呼ぶ。
「えーと、大福と……お茶! 緑茶! ……暖かいやつで」
そう声を掛ければ先程同様側のサイドボードの上にお盆とその上に温かい緑茶が入った湯呑、それから大福が二個添えられた小皿が現れた。
やはり何度見ても魔法のような光景だ。おお……と感嘆の声を上げつつ、それからそれを受け取った俺はソファーで待つ黒羽の元へと向かった。
「伊波様、それは……」
「黒羽さん、よかったら一緒にどうですか」
「……ああ、毒味ならば自分が」
「毒味とかじゃなくて……黒羽さんの好きそうなもの用意してもらったんですけど、あまり好きじゃなかったですか?」
正直俺が大福を選んだのも妖怪だったら和菓子、和菓子と言えば大福が好きなのではないかというなんとも安直なイメージで選んだ結果だ。……それに、俺は黒羽の好物を知らない。
問い掛ければ、少しだけ黒羽は口籠る。いや、と視線を外す黒羽は観念したように息を吐いた。
「……好きだ」
「っ、本当?」
「だが、俺にこういったものは必要ない。貴方が食べるといい」
あくまでも黒羽の態度は頑なだ。警戒の姿勢を崩そうとはしない。これじゃなんだか黒羽の仕事の邪魔をしてるみたいだ。実際そうなのだろう。
けど、黒羽は大福は好きだということがわかったのでも収穫だ。
「……わかりました、ごめんなさい。無理強いして」
「……」
「でも、お茶くらいならいいですよね」
そう、ずい、と半ば強引に黒羽の前に湯呑を置けば、少しだけ鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたあと僅かにその口元が緩んだ気がする。そして、「ああ、頂く」と黒羽はそれを受け取ってくれた。そんな黒羽に満足し、俺は大人しくソファーに着席した。
「それにしても、本当に不思議ですよね。……どんなものでも用意してくれるなんて」
「……ああ、そうだな」
「これは駄目とかあるのかな……えと、熱々のカレーパンください!」
試しに空に向かって声を掛ければ、天井からすとんと降ってきたのは紙袋に包まれた熱々のカレーパンだった。
「す、すごい……」
「伊波様、お腹減ってるのか?」
「……えへへ、あ……すごい熱々で美味しいですよ黒羽さん!」
「……すごい匂いだな」
どうやら黒羽はあまりカレーの匂いは好きじゃないらしい。しかめっ面で唸る黒羽にはっとし、俺は急いで匂いの根源を口に詰め込む。
「伊波様、そんなに早食いしては喉に詰まるぞ。水を……」
と言いかけた時、音もなく黒羽の手の中にはボトルの水が現れる。無意識だったようだ、それでも現れたそれに黒羽は驚く。
「……ひとまずこれを」
「ん、ぐ……ありがとうございます」
勢いよく飲んだせいで噎せてしまい、背中を撫でられる。あまりにも甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる黒羽にそこまでしなくても大丈夫です、と慌て断った。
「……やはり、この建物内部では頭に思い浮かべたものが顕現するらしい」
「それって、わざわざ口にしなくてもってこと?」
「恐らくは。……試してみよう」
そう言って、黒羽はその隻眼を細める。そして次の瞬間、天井から何かがぼとりと落ちてきた。黒羽が受け取ったそれは刀だ。
俺と黒羽は無言で顔を見合わせた。そして俺も黒羽の真似してとあるものを思い浮かべる。ずしりとした黒光りする銃だ。目を瞑り、地下監獄で発砲したときの記憶を鮮明に呼び起こす。
瞬間、掌の上にずしりとした感触が触れた。目を開けばそこにはあのとき見た獄吏の銃が握られていた。
「っ、う、わ……っ!」
まさか本当に現れるとは思っていなくて、咄嗟に落としてしまいそうになるのを黒羽に取り上げられる。そして、その銃を確認した黒羽は険しい顔のまま「本物のようだな」と呟いた。
「本物って……」
「ここのハウスメイドとやら物を顕現させることに制限がないらしい。……使用した者が現物を知っていればなんでも用意すると」
「……っ」
言われて俺は映画の知識でしか見たことないものをいくつか呼び出そうとするが、一向に本物は出てこない。出てきても玩具のような見た目だけの模型だ。
「ハウスメイドというよりもこの建物全体に強力な具現化魔法が敷かれていると考えた方がいいだろう」
「ぐげんかまほう……」
「つまり、この建物内ならば下手すれば敵も武器を無限に調達でいるということだ」
「で、でも……そもそもヴァイスはここに入れないんじゃ……」
「もしあの男がここの寮生の体を乗っ取った場合正面玄関から侵入することも可能かもしれない。……万全を期す必要がある」
そう、黒羽は刀と銃を壁へと戻す。
他より少しはましというだけで、結果的にはどこにいても同じということか。
それにしても、他にはどんなものが出てくるのだろうか。ふと目を瞑り俺はいつの日か獄長にぬいぐるみのような姿に変えられた黒羽のことを思い出す。そのとき、俺の思考とリンクしたのか頭の上からそれは降ってきた。
大きめのそれにぎょっとした黒羽は俺が受け取るよりも先にそれを捕まえる。そして。
「……っ! 伊波様……これは」
「流石に……生き物は駄目なのかな? ……あ、でもふかふかだ。……ぬいぐるみになっちゃっいましたね、黒羽さん」
そう、ぬいぐるみ黒羽に触れてみれば黒羽は渋い顔のままだ。俺はあのときの黒羽の姿は気に入っているが黒羽はどうやらまだ傷は癒えてなかったようだ。
「……そのようだな」
「あっ、待って黒羽さん返さないで! 俺部屋に置いておくから……!」
「不要だ、人形が欲しいのなら別のものを用意する」
「あ……それは少し欲しいかも……駄目だって黒羽さん!せっかく出したのに!」
結局黒羽ぬいぐるみはハウスメイドに返却させられてしまった。今度黒羽がいないときにこっそり大きいやつを用意してもらおう……そう決意した。
暫く黒羽と一緒に部屋でまったり寛いでる内にうとうとしてしまい、夢現の中「伊波様、ここで寝ると風邪を引くぞ」という黒羽の声が聞こえてくる。
そのあとなにか返事をしようとしたのだが意識はそこで途切れてしまった。
そして、目を覚ませば俺はベッドの上にいた。
「んぁ……ぁえ、くろはさん……?」
微睡む意識の中、俺は薄暗くなった部屋の中を見渡す。黒羽がいない。姿を消してるのだと思ったが、もう一度「黒羽さん?」と宙に向かって呼び掛けても黒羽からの返事はない。
……どこかへ行ってるのだろうか。
伸びをし、身体を起こした。よく眠っていたお陰で節々がバキバキだ。
一度ベッドから降りようとして、置いた手に何かごろりととしたものに当たる。よく目を拵えて見てみれば、そこには日本人形があった。ビックリしすぎて一人で「うわっ!!」と叫んでしまったときだ、バタバタと扉の外で足音が聞こえてきた。そしてすぐに、どんどんと扉が叩かれる。
そのノック音にも驚いて飛び上がりそうになる。
『っ、いなみ、さま……大丈夫ですか……っ?!』
――テミッドだ。
どうやら俺の悲鳴がテミッドの部屋にまで届いていたようだ。慌てて俺は日本人形を抱き抱え、扉へと向かった。
「て、テミッド……悪い、煩くして……」
「だ……大丈夫、ですか……?顔色が……よくない、です」
そうおどおどと俺の頬に触れてくるテミッドだったが、そこで俺が抱えているものに気づいたらしい。日本人形を見て、テミッドは目を丸くした。
「か……可愛い……」
「え、か……可愛いのか?」
「はい……伊波様みたいで、愛らしい……です」
にこーっと微笑むテミッドだがすごいぞ、テミッドに褒められてるのに微妙な気持ちになっている。
「それ、どうしたんですか……?」
「黒羽さんがいなくなった代わりにこいつがベッドにいたんだ……あ」
そこまで言って俺は眠る前、黒羽がぬいぐるみの代わりに別の人形を用意すると言っていたことを思い出す。
……まさか、黒羽さんが用意したのって。
「黒羽、様……流石いいお趣味……」
うっとりとしてるテミッドに俺は敢えて何も言わないでおく。
「……あ、そうだ。テミッド、黒羽さん見てないか? 寝てる間にいなくなってて……」
「黒羽様……? いえ、僕は……見てないです」
ごめんなさい、としゅんとするテミッドに「いやそれならいいんだ」と慌てて首を横に振った。
黒羽のことは気になったが、二十四時間常にいるわけではない。黒羽さんにだって色々事情があるのだ。
そもそも俺、どんだけ寝てたんだ。
「こんな夜中にどこ行ったんだろ……」
「……でも、黒羽様の匂い……近いです」
流石グールの嗅覚と言うべきか。「探しますか?」と小首を傾げるテミッドに、俺は「いやいいよ」と断った。近くにいると分かっただけでもいい。それに、黒羽はああいっていたもののこの学生寮内はひとまず安全だと解っているからこそそこまで心配そうにはならなかった。
不思議そうにしながらも「わかりました」とテミッドはこくんと頷く。
そんなときだった。
下の階から扉が開く音が聞こえてきた。
俺とテミッドは顔を見合わせる。
「誰か帰ってきたのかな」
「かも、しれないです……」
言いながら俺達は部屋を抜け出し、こっそり下の階へと繋がる階段からロビーを覗き込んだ。
そこには……。
「アヴィドさん!」
「アヴィド、様……っ!」
「……君たち、まだ起きていたのか」
どうやら帰宅したばかりの用だ。アヴィドと、その背後には見慣れない男がいた。
全身を包帯で巻かれたその男には見覚えがある。確か、何度か文学部の教室で一緒になったことある。白髪混じりの灰色の髪、そして包帯の隙間からぎょろりと覗く目がこちらを睨んだ。特徴的な、白目の部分が変色した左目。
「あ、あの……その人……」
「ああ、ボイドか。……おい、自己紹介してなかったのか?」
ボイドと呼ばれたミイラ男はそっぽ向いたまま何も言わない。やれやれ、とアヴィドは肩を竦めた。
「こいつはボイドだ。……口は付いてるがこの通りのやつでな。一応こいつもこの寮の生徒なのだが……」
「…………」
「おい、ボイド?」
いきなりアヴィドを無視してずい、と急に詰め寄ってくるボイドにぎょっとする。口元の包帯を指で下ろしたボイドは俺をじっと見据えるのだ。突然のことに反応に遅れたときだった。テミッドが俺とボイドの間に入ったのと、アヴィドがボイドの首根っこを掴んだのはほぼ同時だった。
「……っと、悪いな少年。こいつ、……お前に興味があるらしい」
「きょ、うみ?」
「…………」
思わず目の前のミイラ男を見上げる。
距離が近付けば近付くほど何かが腐ったような匂いに思わず顔を顰めそうになるのを必死に堪えた。濁った眼球がこちらを見下ろす。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。どうすればいいのかわからない。というか、じゃあ別に嫌われてるわけではないってことか……?
「ぼいど……」
さんって付けた方がいいのだろうか、と思いながら恐る恐る名前を呼んだとき。
「――……伊波」
顔を寄せられる。薄く開いた口元。耳元で俺にだけ聞こえる声量でボイドは確かに俺の名前を呼んだのだ。驚いて顔を上げたとき、テミッドに引っ張られ、ボイドから引き離される。
「わっ、て、テミッド……?」
「ちかい、です……」
そうか細い声で、それでもボイドに対する警戒心は拭えていないらしい。テミッドはじとりとボイドを睨む。ボイドはそれに対して特に反応するわけでもなく、再び無言に戻った。
妙に張り詰めた空気が流れたときだ。
「ボイド、気は済んだか?」
「そろそろ俺達も行くぞ」とアヴィドが声を掛ければ、ボイドは無言で頷いた。特に怒ってる様子もない。睨まれていると思っていたが、ただ単に目付きがよくないだけかもしれない。
……それに、名前を呼んでくれたし。
悪いやつではない、なんてそれを判断材料にする俺は黒羽の言うとおり甘いのかもしれない。
「じゃあな、少年たち。……探索もほどほどにしておけよ」
「あ、はい……っ! おやすみなさい」
「おやすみなさいか……久し振りに言われたな」
何が可笑しいのか一人くつくつと笑い、アヴィドはボイドを引き連れて奥の部屋へと進む。
……どういう関係なのだろう、あの二人。友達?には見えないし……。
うーんと考えてると、くいっと服の裾を掴まれる。テミッドだ。
「ん? どうした、テミッド」
「……ぁ、その……」
もしかしてボイドのことを気にしてるのだろうか、俯いて何かを言い出そうとするがテミッドはそのまま押し黙ってしまった。そのとき。きゅるると腹の音が響き渡る。
俺……ではない。ちらりとテミッドを見上げれば、その頬が赤くなっていくのではないか。
「テミッド、お腹減ったのか?」
「あ……う……ごっ、ごめんなさ……」
こんな時間にか、と思ったが相手は人間ではない。まあ、俺も寝起きで喉乾いたしな。
「じゃあなんか食うか?」
「……っ! は、はい……っ!」
先程までが嘘のようにぱあっと明るくなるテミッドにつられて俺も破顔する。
ここまで純粋に喜んでくれる相手がいると嬉しいというか、可愛いというか……。思わず照れながらも俺は辺りを見渡した。
「そうだ、ここって食堂みたいな場所ないのかな」
「食堂……あ、あの、僕の寮にはありました……」
「じゃあ流石にあるだろ。なんかこういうところの食堂ってすごそうだよな、ちょっと探してみるか」
こくこくと頷くテミッドに、よし決まりだと俺達は早速SSS寮の探検に出ることにした。
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