人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第三章【注文の多い魔物たち】

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 どれほどの時間が経ったのかもわからない。
 けれど、離れ難かった。黒羽の腕が緩まる。離れそうになり、堪らずその腕を掴めば伊波様、と優しく否された。

「……っ、黒羽さん……」

 そう口を開いたときだった。

「なんだ、もうピンピンしてんのか。随分と早かったな」
「ッ!! ぁ、アヴィドさ……ッ!」
「……もしかしてお邪魔だったか? だとしたら悪かったな」

 瓦礫の向こう現れたアヴィドは悪びれもなく笑うのだった。

「お前は……っ」

 現れたアヴィドにバツが悪そうな顔をしながらも黒羽はそっと俺を引き離した。離れる熱が名残惜しくて、それでもこんなところをアヴィドに見られたと思うとじわじわと顔に熱が集まってしまう。

「ここで会うのは二度目だな、和光様の犬――いや、烏か」
「何故お前がここに」
「ヴァイスと名乗る白髪の脱獄囚がここに居ると聞いてな、魔王様直々の御達しだ」
「……ッ魔王様の……!」
「ヴァイスはネクロマンサーだ、アンデッドや人間の体に執着している。それで伊波少年に協力してもらっていたんだ」

「丁度少年も困っていたようだからな」とアヴィドは俺を見るのだ。『魔王』『脱獄囚』という単語で理解したのだろう、「そういうことか」と黒羽は一人呟くのだ。

「あの眼鏡のウエイトレス、あの男がヴァイスか」
「間違いない。あとはあの男の尻尾を掴んで魔王様に突き出せば済むのだが……少々問題が生じた」

 なんでも難なくこなすアヴィドがいう問題という言葉はただならぬ嫌な予感しかない。
 問題とは、と尋ねる黒羽にアヴィドはちらりと俺の方を見るのだ。

「少年、……君が最初ヴァイスが集めた死骸を見つけたといったのは確か地下だと言っていたな。ここのフロアで合ってるか?」
「は、はい……多分、戻るときも同じ道通ったと思います、けど……確証は……」
「クリュエルにも探らせていたがこの店の地下はここしかないはずだ。しかし、どこにも見当たらないんだ、君が言っていた死骸の山というのが」
「っ、え……」
「考えられるのは君が地下だと思っていた場所はまた別の場所ということ。それか――」
「まさか、逃げたか?」
「充分あり得るだろうな。――足が着いたんだ、それも、魔王様にもバレてる。あの男もこの店に執着など欠片もないだろう」
「……そんな……っ」
「今クリュエルにもヴァイスを探させているがやつの姿はどこにもない」

 あいつ、と奥歯を噛み締める。その反面、あの男が逃げたのならと安堵する自分もいた。
 これでテミッドも助かったのなら、そう思うけど二人の表情は険しいまま変わらない。

「逃げたとしても……あの男ならば必ず君の前に現れるだろうな」

 理由はわかっていた。俺がヴァイスの求めていた実験材料だからだ。あんな妙な魔法ばかりを使うあの男がまたやってくると思うと生きた心地がしない。
 けれど、今回は状況が不利だった。これからはまた黒羽といられる、そう思ったときだ。アヴィドは「少年」と俺に向き直るのだ。感情の読めないその穏やかな目が俺に向けられる。

「……少年、これは相談なんだが――俺のところに来ないか?」
「……えっ?」
「な……っ」

 俺と黒羽の声が重なった。

「俺ならば少なくともそこの烏よりも上手くヴァイスから君を守ってやれる。なに、一生のお別れというわけではないしあの魔術師を捕まえるまでだけでも構わない。寂しいならその男を連れてきても構わない」
「あ、あの……それって……」
「暫く俺の家で過ごせと言ってる」

「理解したか? 少年」とアヴィドは変わらぬ調子で続けた。
 それって、どういうことだ。いつもならば俺よりも真っ先に食いかかるはずの黒羽は何も言わない。黒羽さん、と縋るように目を向ければ、黒羽は目を伏せるのだ。

「……あそこは文字通り魔窟だ、そんな場所に伊波様を置けるわけがない」
「……っ! 黒羽さ……」
「……が、確かに貴様の言うことにも一理ある。それに、魔王様からの命は最優先事項だ」
「流石、魔王様のこととなれば物分りはいいようだな」
「あの方がヴァイスの首を欲しているというならばそれに尽力する他ない」

「これは貴方のためでもあります、伊波様」その黒羽の言葉に俺は何も言えなかった。
 正直な話、黒羽なら止めてくれると思ったのだ。「自分一人で十分だ」と、そんなのおかしな話だ。こんなところで引っ掛かるなんてとも思ったけど、そう言ってもらいたかった。そう思う自分が確かにいた。

「……黒羽さんが、そういうなら……」
「ああ、安心しろ。丁重に扱う。……それにお前は魔王様の大切な客人だ、あの中に放り込むような真似はしない」
「……ありがとうございます」

 なんで俺はこんなにもやもやしてるのだろうか。
 不安が大きいが、それ以上になんだか黒羽の態度が気になったのだ。

「取り敢えず収穫はあった。――客を材料にし、魔力を奪うような店の運営を続けるわけにはいかない。……クリュエル」

 そう、アヴィドが呼びかけたときだ。アヴィドの隣でポンッと煙が立ち込め、クリュエルが現れたのだ。

「もー! 今度はなんですかー? 僕そろそろ魔力切れそうなんですけどー!」
「いいか、今ここに残ってる客全員追い出せ。それからここを封鎖して予め調査させる」
「インキュバス遣い荒過ぎ! せめて曜君の精力貰わないとヤル気でないー!」

 また抱きついて来ようとしてくるクリュエルにぎょっとするのも束の間、クリュエルのポニーテールを掴んだアヴィドはそのまま「いいからさっさと行け」と俺から引き剥がすのだ。
 この人、俺といるときは優しいけどそれ以外には普通に怖いんだけど……。うわーんとメソメソ泣いてるクリュエルが可哀想に見えてきた。

「く、クリュエル……ごめんな、あと少しだけ頑張ってくれ」
「よ、曜君……! キスしていい?」
「え? あ、ほっぺたなら……」

 さっきしたよな?と言いかけたとき、言い終わる前に飛び付いてきたクリュエルに思いっきり頬を両手で挟まれる。冷たくて柔らかいその手の感触と目の前のかわいい顔にぎくりとするのも束の間。

「ん、ん゛ぅー!!」

 ヂュルルル!!っと凄まじい音を立て頬を吸われる。「貴様!」と黒羽が斬り掛かるよりも先に俺の頬を吸うだけ吸ったクリュエルはそのままぴょんと飛んで避けるのだ。そして、

「曜君、大好き!」

 満面の笑みを浮かべたままクリュエルはそのまま姿を消すのだ。一度ならず二度までも俺はほっぺたがちゃんとついてるのを確認しながら暫くその場から動けなかった。

「あの小蝿……貴様の教育はどうなってんだ!」
「俺も手を焼いてんだ、多目に見てやってくれ」

 二人が言い争うのを他所に暫く俺のほっぺたはくっきりとキスマークが残って消えなかった。

 それから、分身クリュエルと傀儡レモラによって店の客は半ば強引に追い出され、そして残った少ないスタッフたちはアヴィドの部下たちに連れて行かれていた。その中にはレモラの姿もある。どうやらこれから事情聴取が行われるようだ。なんだか警察みたいだ。実際アヴィドが任されているのはその立場なのだろう。
 そして、無人となったホールの中。

「い、なみ様……っ!」

 綺麗な赤い髪が乱れるのもお構いなし、テミッドは俺に駆け寄り、そのまま抱き着いてくるのだ。
 濃厚な血の匂い。きっと酷い目にあったのだろう、白い肌にはところどころ赤く血で汚れている。

「テミッド……っ、ごめん、遅くなって……」
「ん、ううん……っ、ぼ、ぼくは、貴方が無事たってだけで……良かったです、本当に……」

 すりすりと擦り寄ってくるテミッド。その頬に手を伸ばし、血を拭ってやろうとして気付く。
 ……あれ?この血、全部返り血なんだが……。

「く、黒羽様も……無事でよかった、です……僕、僕のせいで、伊波様を危険な目に……ごめんなさ……」
「元はと言えば油断した自分が招いた結果だ。……悪かった。自分がいない間伊波様を守ってくれてありがとう」
「……っ、い、いえ、ぼ、僕は……なにも」

 赤くなっていくテミッド。恥ずかしがってるのかと思いきや、本当に落ち込んでるのだろう。そのまま俺から離れるテミッドが気になって、テミッドともう一度声かけるがそのまましおしおと項垂れていく。

「……ご、ごめんなさ……僕……」
「テミッド……俺はテミッドのお陰で助かったんだし、そんなに気にしなくても……」
「そうそう、テミッドは気負いすぎなんだよ」
「っ、巳亦……!」
「黒羽さんも、無事で何よりですね」
「……」
「え、あれ、こっちもなんか凹んでんの?」
「み、巳亦……ちょっと色々あって今黒羽さんナイーヴだから……」
「あーなるほど、了解。そういうことだな」

 ウエイトレス衣装は着替えたようだ。
 巳亦は俺の言葉からすぐ察してくれた。真面目な黒羽はヴァイスに魔力だけ奪われて逃げられてしまったという事実が何よりも気にしてるのだろう。テミッドも役に立てなかったと凹んでいるし、巳亦だけはいつも通りだったのでほっとする。

「そ……そういえば、もうお客さんたちいなくなったんだよな。ホアンとリューグは……」

 そうだ、俺達が探していたのは黒羽だけではない。
 気になって尋ねれば、巳亦は首を横に振る。

「今捜索されてるらしいが見つかっていないってよ」
「じゃ、じゃあもしかして……連れて行かれたってことか……?」
「あー……そのことなんだけど、もう一つ可能性があるっちゃあるんだよな。これ」
「……? どういうことだ……?」

 あー、と巳亦はばつが悪そうに俺から目を反らす。そしてそっと耳打ちしてくるのだ。
 囁かれた言葉に俺はいやまさか、と声を、言葉を失った。
 ……それだけはないと言ってくれ。そんな気持ちで俺は慌てて店を出たのだ。
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