人類サンプルと虐殺学園

田原摩耶

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第三章【注文の多い魔物たち】

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「レモラ」そう、ヴァイスが口を開いたときだ。
 背後、その扉の向こうで巨大な影が動いたと気付いたときに遅かった。
 さっき通路で見かけた人造人間だ、あの男が、そこに立っていた。扉を塞ぐその巨大な影に、血の気が引いた。

「どうやら『ネズミ』が入り込んだみたいだ、掃除は頼んだよ」

「ああ、それと。そこの黒髪の少年は丁重に扱うように」まるで自分の手足のようにそう命じるヴァイスの言葉に、レモラと呼ばれた人造人間は確かにこちらを向いた。濁った瞳に睨まれた俺は文字通り縮み込みそうになり、そして巳亦に手を掴まれる。

「曜、テミッド、逃げるぞ」

 どこから、ここから出るためにはあの人造人間を倒すしかなさそうだが。そう、咄嗟に辺りを見渡そうとしたときだ。
 突然、床が黒く光りだす。部屋全体に幾何学的な模様が浮かび上がり、幻想的な光景に目を奪われるのも束の間。

「残念ながら、それは無理だ」

 そう、ヴァイスは微笑んだ。そしてその手には魔法の杖、ではなく、モップ。ヴァイスがその棒を動かした瞬間、床の魔法陣から黒い靄が溢れ出し、それは足元から胴体まで這い上がってくる。

「う、わ、わ……っ! なんだこれ!」
「曜っ!」
「っ、いなみ、さまっ」

 やばい、引っ張られる。床に、どうして、混乱する。デジャヴ。咄嗟に魔法陣から抜け出そうと宙に手を伸ばした瞬間、何かが指先に触れた。そして、強く手を握り締められる。そのときには既に視界すらも塗り潰されていたあとだった。見えない、けれど手を握り締める手の感覚だけは残っていた。
 そして、闇から抜け出したと思った瞬間、体が投げ出される。

「う、ぐえっ!」

 受け身を取り損ね、べちっと腹這いに倒れたとき。体の下で硬い感触が触れた。恐る恐る目を開けば、赤。血のように鮮やかな赤髪に、睫毛に縁取られた透き通る深い緑の瞳が映り込み、思わず飛び上がる。

「っ、て、テミッド……悪いっ、俺……」
「ん……大丈夫、です。それよりいなみさま、怪我は……っ?」

 おずおずと伸ばされた手がよしよしと俺の頭を撫でてくる。夢……じゃない、テミッドだ。大丈夫だ、と頷き返せば、テミッドは嬉しそうに微笑んだ。けれど、それはほんの一瞬のことだ。

「……巳亦は?」
「……見当たらないです、それに……気配も感じません」
「……そんな……」

 さっきの妙な魔法陣のせいでどこかに飛ばされてしまったようだ。一度テミッドの上から退きながら、俺たちはどうしたものかと顔を見合わせる。

「……あいつ、魔法使いです……厄介、です」
「……魔法使い? ヴァイスってやつが? ってことは、人間……?」

 魔法使いってことは、人間ってことか?けど、俺以外に生きてる人間いたのか、この魔界に。いやそもそも魔法使いは人間なのか?と混乱する俺に、テミッドはゆっくりと首を横に振る。

「違います。……あいつは、リッチ……生きてたとき力を持っていた魔法使いのことを、ここではそう呼んでます。……普通の魔法使いは死んでもただのゾンビ、けど、リッチは……魔法が使える、から……厄介です」

 たどたどしいながらも俺にわかるように教えてくれるテミッドに、なるほど、と俺は頷いた。……ってことは、幽霊?ゾンビ?どっちでもいいが、厄介なことには代わりなさそうだ。……というか、俺ももしかしたら魔法使えるのかもと思っただけに特別なのかとちょっとがっかりした。

「でも、リッチは……特別。なんで、こんなところに……」
「そ、そんなにすごいのか……?」
「……そう、授業で習いました。この学園だったら、たしか……グレア先生ともう一人だけ……」
「グレア……随分と懐かしい名前だね」

 その瞬間だった。何もなかったはずの部屋の奥、現れたヴァイスに俺もテミッドも凍りついた。黒いローブに分厚いレンズの丸眼鏡。一瞬、誰なのかわからなかった。けれど、柔らかい声とその得体の知れない空気を纏った男のローブの下、混じりけのない白い髪が覗くのを見て息を飲む。

「ヴァイス……ッ!」
「さっきはちゃんと挨拶できなかったね。改めて自己紹介しよう。ヴァイス・フォルトナー。……人間ってことは、君が噂の伊波曜君か」

「そして、赤毛のグールはテミッド・ロヴェーレ君だね」レンズの下、ヴァイスが微笑んだのが確かにわかった。
 名前を呼ばれたテミッドのその顔から血の気が引く。俺はまだしも、なぜこの男がテミッドのことを知ってるのか。

「なんで知ってるのか。……そう言いたげな顔だね。僕はなんでも知ってるよ、君のことも君がどうやって産まれたのかも」

 細い指先がテミッドの首を捉えようとしたのを見て、咄嗟に体が動いていた。咄嗟に掴んだヴァイスの手首は見た目よりもがっしりしていた。

「っ、テミッドから離れろ!」

「いなみ、さま」と、目を丸くしたテミッド。そして、笑みを深くするヴァイスは愉しげに喉を鳴らした。

「いいね、優しい子は好きだよ」
「あんた、なんなんだよ、何企んでんだ……っ」
「僕はただのしがない従業員だよ。……先日、趣味の研究に使うための材料の仕入先が水没してしまってから仕方なくこの店を利用させてもらったんだ。けど、ここに来て正解だったよ。まさか生きた人間の子供が手に入るんだからね」

 穏やかな笑顔、楽しげな声。うっとりとしたその目を向けられれば、全身が岩になったみたいに硬くなる。
 というか、待てよ。水没?

「仕入先ってまさか……」
「話のわかるユアン君もいない。政府の邪魔が入ったせいで一時期研究も儘ならなかったが……災い転じて福と為すとはこのことだね」

 思い出したくもないあの軍服の男が脳裏を過る。
 そして、直感した。この男は関わってはいけないタイプの男だと。

「ここ最近は客入りがよくなって本当入れ食い状態で助かってるんて」

「それに、今日はネズミも数匹入り込んでたけど……こんなに上物がくるなんて」伸びてきた白い手に触れられそうになり、咄嗟に俺の前に出たテミッドは無言でその手を払い除けた。乾いた音が辺りに響く。
 ヴァイスは興味深そうにテミッドを見下ろした。

「いくら人の形をした亡骸を使っても生きてる細胞とは勝手が違う。ああ……本当に助かるよ。僕はツイてるな。わざわざこの場所を用意した甲斐があったよ、勝手に研究材料は集まる」
「まさか、アンタがこの店の……」
「マスターは僕じゃないよ」

「まあ、正確には僕の下僕だけど」とヴァイスが口にしたとき、背後で扉が開く。そして現れたのは、辛うじて人の形を保った腐った死体だ。ゾンビ映画でしか見たことないようなそのゾンビは苦しげに呻いていたが、ヴァイスが指を鳴らせば意識を失ったように倒れる。
 俺はあまりにもショッキングな光景に思わずテミッドの背中に飛びつきそうになった。
 大丈夫です、とテミッドは俺の手を握ってくれる。そんな俺達を見て、ヴァイスは淡々と続ける。

「大丈夫。すぐに君も仲良くできるはずだ。まずは君の脳を覗かせてくれないか。生きている脳を模倣すればより生きた人間に近い動きを取ることができるだろう」
「っ、て、テミッド……俺、頭開かれんの?」
「……そんなこと、させません」
「……辞めておいたほうがいい。せっかくの綺麗な体が破損しては勿体無いだろう。若いグールの素体は貴重だ、もっと自分を大切にした方がいい」

 ヴァイスの言葉を無視して、そのまま殴りかかろうとするテミッド。瞬間、その拳を受けるよりも先にヴァイスの姿は霧のように消える。そして、瞬きしたその一瞬の内にテミッドの背後に現れたヴァイスはその腕を掴んだ。

「っ、……ッ!」
「テミッドっ!」
「……力が入らないだろう? 抵抗するアンデッドが出てこないようにこの敷地には予め力を奪う魔法陣を敷いているからね」

 テミッドの力を知ってるだけに、まるで赤子の手を撚るかのごとく軽々とその拳を止めるヴァイスに血の気が引いた。テミッドで敵わないというのか。
 けれど、このままでは俺もテミッドもこの得体の知れない魔法使いに実験体にされ兼ねない。そう思うと、いても立ってもいられなかった。

「やめろ、テミッドに手を出すな……っ」

 震える手を握り締め、テミッドからヴァイスを引き離そうと体当たりすれば、「いてて」とヴァイスはずれた眼鏡をかけ直す。そして、踏ん張る俺の肩をトントンと撫でるのだ。

「何か勘違いしてるようだが、……大丈夫だよ、君たちが抵抗しないなら危険な目に遭わせるつもりはない。僕は、無駄な争いが嫌いだからね」
「……っう、そ……だって、実験するって……」
「ただ君の脳を見せてくれるだけでいい。……なんだったら君の検体データを貰えるならロヴェーレ君には手を出さないことを約束しよう」
「っ、いなみさま、聞く必要……ないです……っ」
「テミッド……」
「この人、嘘吐きだ……ッ」

 テミッドに指摘されたヴァイスは怒るわけでもなく、ただ「残念だ」と目を伏せた。
 そのとき、扉が開く。そして現れたのは先程の継ぎ接ぎの大男だ。

「レモラ、ロヴェーレ君……赤毛の彼を厨房へと連れていきなさい。グールの肉がそろそろ切れそうだっただろう」
「……わかった」
「っ、お、おい、待てって! 待てよ!」

 テミッドを抱える大男に咄嗟にしがみついて止めようとするが、びくともしない。岩のように硬く、分厚い体は抱きとめようにも腕が回らない。それどころか、大きく腕を振り回されればハンマーのような一撃を喰らい、俺はそのまま尻もちをつく。「伊波様っ」とテミッドが俺へと手を伸ばすが、レモラはそれを許さない。

「ロヴェーレ君、余計なことは考えない方がいい。レモラは特別に魔法が効かないように『造った』んだ、今の君では敵わないだろうね」
「……っう、が……」

 くそ、どうしたら、と咄嗟に立ち上がろうとしたとき。
 どこからともなくベルの音が鳴り響いた。

「……しまった、今日はあの方たちの予約が入ってるんだった。カインのやつが勝手に逃げ出したせいでフロアが回ってないみたいだね」
「……どうする」
「レモラはそのままロヴェーレ君を厨房に。フロアは僕が回そう。……カインのやつは見つけ次第調理しておいて」

「ああ」と、だけ口にしたレモラはそのままテミッドを担ぎ上げ、部屋を出ていこうとする。待て、と追いかけようとするが、それよりも先にヴァイスに腕を掴まれ、引き止められる。

「君はこっちだ、僕と来てもらうよ」

 眼鏡を外し、そう微笑む白髪のウエイターに俺は逃げることすらできなかった。
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