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第三章【注文の多い魔物たち】
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しおりを挟むマオが居なくなった。
これだけでもかなり大きい。
この機に乗じて逃げ出せないだろうかと、恐る恐るソファーから降りようとしたとき。猫みたいに首根っこを掴まれる。そこには、先程まで怯えていた能代がいて。
「曜クン、君はボクと来るんや」
「や、だぁ……っ」
「コラ、大人しゅうしとんなはれや……!」
天敵が近くにいるからか、抵抗すれば能代は狼狽える。
これは、もしかして逃げられるのでは?先程よりも遥かに力が弱まった能代のフサフサ尻尾を思いっきり引っ張れば、ぶわわと毛を逆立てた能代は俺から手を離した。ベチャッと音を立て落下した俺は、これはチャンスだ。と慌てて起き上がる。
「……っ、この餓鬼……」
やばい、ガチめにキレてるぞこの狐……!
普段柔らかい印象があるだけに余計目を開くと怖い。俺は早く逃げなければと床を這いずるように逃げようとするが、下半身に力はいらずすぐに転んでしまう。
「っ、う……いたぁ……っ」
顔面から転び、それでも早く立ち上がろうとしたとき。背後でふらりと影が動いた。緩やかに動く九本の尻尾の影。
しまった、と思ったときには遅い。足首を掴まれ、そのまま体が宙に浮く。
「ほんま聞き分けない子やな……ボクから逃げるなんて無駄や言うとるやろ」
「っ、はなせ……ぇ……っ!」
「っ! ちょお、だからヒトの尻尾を掴むんやめなはれいうとるやろ……!」
とにかく抵抗しなければ、その一心で能代の尻尾にしがみついたりしてはなけなしの力で暴れてたときだった。
ドゴッ!という凄まじい音ともに部屋が微かに揺れた。
間違いない、物音は扉の外からだ。
建物全体が揺れたんじゃないかと思うほどの衝撃だった、俺も能代も動きを止め、扉の方を見たまま動きを止めた。
「――マオのやつ、やらかしおった」
そう、神妙な顔をした能代が口にしたときだ。
閉じられた蝶番の巨大な扉が、開いた。否、巨大な斧によって抉じ開けられたのだ。
そして、開いた僅かな隙間から縫うように飛び込んできた小さな毛玉はそのまま能代目掛けて猛突進していく。
それは弾丸のような目にも止まらぬ速さだった。
「キャンキャン!」
そう、愛らしい声で鳴きながらその黒い弾丸は能代の脛に思いっきり噛み付く。
「ギャ!」という能代の悲鳴が響く。能代は毛玉……もといふわふわの小型犬を振り払おうとするががっぷり噛み付いたそれは離れない。
うわぁ、あれは痛そうだ。と眺めていたときだ、壊れた扉からマオが現れた。
「ふーちゃん、そいつは本物の犬じゃなくて……って逃げ足早っ!!」
気付けば能代の姿はない、今の短時間でどこかへ身を隠したのか。ぽつんと残された犬は今度はマオに噛み付いて「んニ゛ャ!!」とマオが鳴いていた。
引き剥がそうと犬を鷲掴んだマオがぽーんと放り投げる。危ない、と手を伸ばし、なんとか犬をキャッチするが自分の受け身を取ることを忘れていた。大きく体が傾くのを覚えたとき、手の中の犬がボンッと煙を吹き出した。腕の中の感触が消えたと思った次の瞬間、がっしりとなにかに体を受け止められた。
「坊主、大丈夫か!」
ウェイター服の黒髪の男には見覚えがあった。
どうして、なんでここに、というかさっきの犬はどこに行ったのか、と狼狽える暇もなかった。
「え、あ、トゥオさ……」
「伊波様!!」
「っ、く、ろはさん……!」
血相を変えた黒羽が現れる。
その後ろからは「アイヤー、随分派手に壊したアルネ」と呆れた顔をしたホアンがひょっこりと顔を出す。
何が起きたのかわからなかったが、助かった、というのだけはわかった。
能代に逃げられ、部屋の奥へと追い詰められたマオは大きく毛を逆立て威嚇する。
「クッソー、ふーちゃん虐めるなんて卑怯だぞー!! ……ニャフッ!」
そして容赦なく黒羽の出した影に殴られていた。
引っ繰り返りるマオを捕らえ、その首根っこを掴んだ黒羽はそのままマオを捕らえた。ぶらーんとぶら下がるマオの姿はみるみる内に縮んでいき、近所の野良猫くらいの大きさになったマオはもうどっかどうみてもただの猫である。二本の尻尾が怯えるように股の間に隠されている。
「何が卑怯だ、盗っ人猛々しいやつが」
「ニャ……ニャ……許してほしいニャン……エンブレムならちゃんと返すからさ! ……ニャン」
「……今更猫キャラ付けようったって無駄だぞマオ、お前らは敵に回しちゃなんねーとこ敵に回したんだよ」
「トゥオ~~俺らダチじゃん?! 見逃してくれよ~~っ!! な、ほら……」
「赦しを乞う相手を理解してないらしいな」
「黒羽さん、あとはアンタに任せるよ」
「トゥオ、裏切り者め! 一人相手に寄って集って虐めるなんて酷いぞーっ! ぎゅふっ!!」
そして黒羽に思いっきり殴られていた。
伸びるマオを光の速さで拘束した黒羽に、「おぉー! お見事アル」と拍手するホアン。
本当に伸びてるのか、もしかしたらまたやられた振りをしてるんじゃないかと思ったが、雁字搦めにされたマオは逃げることすらできなさそうだった。
トゥオに降ろされた俺の元、黒羽はゆっくりと歩み寄ってくる。怒ったような、遣る瀬無さそうな、まるで叱られる前の犬みたいなそんな表情だった。
「伊波様……」
「黒羽さん……本物……だよね」
「……ええ、貴方の黒羽です」
足腰ろくに力が入らなかったが、それでも俺は目の前の黒羽に駆け寄って、そのまま抱きついた。
やれやれと言わんばかりのホアンの顔が目に入ったが、構うものか。俺はようやく本物の黒羽に出会えたことの安堵と喜びでいっぱいいっぱいだったのだ。
……それから。
「しかし、まさか阿拉たちよりも先に最上階の場所を当ててその上うちの大将にまで話つけてるなんて……どっかのトゥオよりも有能アルね、黒羽サン」
「おいおい、俺だって頑張っただろ! 能代がいたら余計ややこしくなってたんだからな!」
「それもそうだが……あの男は一度半殺しにせねば気が済まない」
「政府の要人は物騒な人ばかりアル……」
マオからエンブレムを取り返した俺たち。
共犯でもある能代には逃げられてしまったが、マオはまだ黒羽による拷も……否、ちょっとしたお叱りで伸びてからまだ気絶してるらしい。ニャ……と時折唸ってるので大丈夫なのだろうが、それにしても、一時はどうなることかと本当に怖かった。
いくら上客とは言えど、この箱庭はいわば魔王のお膝元だ。最重要人物である俺を救出するという政府の要請という名目でこの店の主である料理長に話を着けた黒羽はこの扉を開ける鍵を貰ったという。
本来ならば店の売りを手放すようなもの、それでも上客を捨てて俺を助けてくれた料理長にも頭が上がらない。
そして、能代もマオも出禁扱いになるらしい。
けれど、この二人なら絶対何かしら裏道を抜け出してのらりくらりと過ごしてそうな気がしてならないが。
と、そこで俺はちらりと伸びたマオに戯れる黒い毛玉にちらりと目を向ける。ふわふわとした体でマオをぺしぺし叩いてるそれは、人間界でも見たことがある。確か、チャウチャウだ。
「……トゥオ、お前もなにちゃっかり犬の姿気に入ってるアルか。可愛いけども」
「ほ、本当にトゥオさんだったんだ……」
「おお、そうだぞ。どっからどう見ても完璧なチャウチャウだろ?」
そう、短い手足でマオの上に登ったチャウチャウもといトゥオは自慢げに胸を張る仕草をした。
「か、かわ……」
かわいい……と思わず手を伸ばしかけたとき、冷たい視線を感じた。
「……伊波様」
「ハ……ッ! ……俺は一体何を……」
「……貴方はまだ本調子ではない。……大人しくしてください」
「は、はひ…………」
怒られた。黒羽に睨まれたトゥオもすごすごとマオの上から降り、そしてどこからともなく湧き上がる煙とともに人間の姿に戻る。
「ともかく、特殊な結界は張った者しか解けない。そうする他なかった。……大事な商売道具を壊してしまったのは、すまない。弁償はこの猫畜生につけておいてくれ」
「言われなくてもそうするつもりアル」
聞こえてるのか聞こえてないのか、悪夢に魘されるような顔をしたマオは「ニャ……」と弱々しく鳴いた。
少し可哀想な気もしたが、こんな可愛い姿だからそう思ってしまうのかもしれない。中身はとんでもないやつだと知ってる俺は慌てて思考を振り払う。
「最上階は暫く使えねえが、ま、改装だって言っときゃ大丈夫だろう。問題は能代だが……」
「俺の責任だ。……あの男については自分に任せてほしい」
「あー、じゃあ、頼んますわ。一応こっちもまた店に顔出したら伝えるようにするから」
「頼んだ」
そして、その場はお開きとなった。
用済みとなったマオはこれからやってくる獄吏に受け渡すことになっていた。因みに現在獄吏たちを纏めてるのは政府なので、獄長が操る獄吏のように手荒な真似はしてこない。
ようやくゆっくり休める。そう立ち上がろうとするが、疲労は手足まで回ってるらしい。
ソファーから立ち上がれない俺に気付いた黒羽は、ちょうどマオを抱えて部屋を出ようとしていたホアンに声を掛ける。
「……ホアン、空いてる部屋を借りても構わないか」
え?と驚く俺に、ホアンはなにかに気付いたらしい。ニッと目を細めて笑う。
「我不介意。隣の部屋でよかったら使うといいよろし」
「悪いな、世話を掛ける」
「元はといえば阿拉の落ち度でもアルネ。……お詫びっていっちゃあなんだけど、支払いは気にしなくていいアル。これ、鍵ネ」
そう、ニコニコ笑いながらホアンは黒羽になにかを手渡す。そして、「恩に着る」と短く返す黒羽に「好好休息~」と手を振りながらホアンは部屋を出ていった。
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