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第三章【注文の多い魔物たち】
10※
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そして次に目を覚ましたとき、そこには別の世界が広がっていた。
赤い仄かな明かりに照らされた、薄暗い室内。
……なんだ、ここ。俺、なんでここに……。
ぼんやりとした頭の中、次第に意識はハッキリしてくる。
そうだ、俺、マオのやつに連れ去られたんだ。
咄嗟に起き上がろうとしたとき、右足がなにかに引っ張られる。じゃらっと鉛が重なるような音が響き、嫌なデジャヴ感に冷や汗が滲む。恐る恐る足元に目を向ければ案の定、そこには無骨な足枷が嵌められている。
けれど、首や腕は自由だ。
そして俺は重大なことに気付く。
服が着替えさせられていた。嫌なほどしっくりくるこの服は、間違いない。ここで与えられている俺の制服だ。
いつ、なんで、そもそもここはなんなんだ、と目を拵えて辺りを見渡す。
視界を遮る原因でもある垂れ幕のようなそれは天蓋ベッドのようだ。自分がベッドに寝かされているという震えるような状況下。
一先ず落ち着こうとし、そして恐る恐るカーテンの向こうを確認しようとして、向こう側で人が動く気配がして慌てて手を引っ込めた。
そして、つい咄嗟に寝たふりをしてしまう。
頭がどうにかなりそうなほどの甘いお香の匂い。
俺の馬鹿、寝たふりしてどうすんだ。
そう思いながらもやっぱり起きることができなかった。カーテンが開いたような音がする。
「ふーちゃん、なぁ、お前人間好きだったろ。ほら、お前のために用意してきたんだよ。可愛いだろ?」
聞こえてきたのはマオの声だ。
この野郎、と今すぐにでも飛び起きたかったがもう一人別の気配を感じ、やめた。マオだけでも厄介だというのに二体一で逃げれる気がしなかったからだ。とにかく、今はやり過ごそう。そう決意した矢先だった。
「ほんま……えろう愛らしいなぁ。マオ、どこで拾うてきはったん。こんな愛らしい子」
聞こえてきたのは独特の訛りだ。
え、なんで、なんでこの人がここに。
聞き間違えがない、その囁くような艶のある低音。
伸びてくる手に頬を撫でられ、つい、俺は目を開いた。そして、まず視界に入ったのは眩いほどの金髪と狐のような痩身の男。薄暗くても見間違えるはずがない。
「の、しろさん……?」
「あかん、声までかわいいわぁ」
ふーちゃん、もとい能代は煙管を片手にすっとぼけたよう笑ったのだ。
「ふーちゃん、ふーちゃん。どう? 見ろよ、可愛いだろ? おまけに感度もいいときた」
「ほぉ、そらええわ」
白い指先が頬から顎へと滑り、そのまま顔を持ち上げさせられる。細い指先。けれど、触れることに躊躇がない。
覗き込んでくるふーちゃんもとい能代に、慌てて俺は首を横に振って懇願する。
「能代さん、おれ、俺です、曜……っ伊波曜です」
「……そない人知りまへんなぁ。人違いちゃいます?」
「えぇっ、嘘、なんで。マオ、能代さんになんかしただろっ」
「なにかも何もふーちゃんは元々こんなんだって。……っていうか、曜はふーちゃんと知り合いだったのか?」
「んんや? ボクこの子知らんわ」
「っの、のしろさんっ……」
どういうことだ?本当に別人なのか?
混乱する俺は目の前の男を見上げる。
笑ってるように見えるはずの糸目だが、その口元に笑みはない。「能代さん」とどこかいつもよりも冷たい印象を与えるその男の名前を口にすれば、能代の眉がぴくりと動いた。
そして。
「……なんや随分と煩い口やわ。黙らんと塞いでまうで」
「ぅ、え、塞……っ」
塞ぐって、と言いかけた矢先のことだった。
宣言通り、言い返そうとした俺の唇は能代に塞がれる。当たり前のように重ねられる唇にぎょっとして、覆いかぶさってくる男から離れようと慌ててその肩を掴むが、冷たい唇の感触に、遠慮なく這わされる舌に、後頭部に回される掌に、驚いて固まってしまう。
「っん、む……っ」
なんで、こんなことに。
能代の唇が冷たいからか余計自分の体が熱に浮かされてるかのようにカッと熱くなる。
ちゅ、と軽く音を立て、能代の唇が離れた。
硬直する俺に目線を向けたまま、能代は「マオ」と猫男を呼ぶ。
「約束は約束や、お楽しみ中はアンタは外で待っときや。ボクは誰かさんみたいに見られる趣味はあらへんよ」
「相変わらずだな、ふーちゃん。ま、いいや。なあ、よかったら俺の分も残しておいてくれよ」
「アホ言いはるなや。アンタが言うたんやろ、ボクに好きにしと」
「わかった、わかったってば! じゃあ、俺は隣の部屋で待ってるよ。子狐ちゃんたちに遊んでもーらおっと」
言いながら、ひょこひょことした足取りで部屋を出ていくマオの背中見送るまでもなく、マオが部屋を出たのを見た能代は俺から手を離す。
「……はあ、ようやく出ていきはったな」
「の、能代さん……?」
「曜クン、アンタ悪い人には着いていったらアカンて人間界で習わんかったん?」
「よりによってマオに捕まるなんて、あの烏は何してはんのや」そう呆れたように、静かに続ける能代に俺は心底ホッとした。俺の知ってる能代だ、やっぱり能代だったんだ。
「あの、これには深い事情があって……」
「ああ、言わんでもええですわ。マオのことやからどうせせこいことしいはったんやろ。……アンタ、やつの借金の形にされたんえ」
借金のカタ……形?!
慣れてるのか、さらっととんでもないことを言い出す能代に血の気が引いた。
「か、カタって……え、俺……なんで……」
「ボクが人の子が好物やから。マオがわざわざ用意してくれはったんやろなぁ」
緊張感のない声とは裏腹に、笑みすらも凍り付くような能代の発言に全身の毛穴という毛穴から汗がぶわりと溢る。
「こ……好物って」
空気がざわめく。遠くで管楽器の生演奏とともにマオと女の子たちの笑い声が聞こえてきた。
汗がじわじわと滲む。能代は口元に三日月のような笑みを浮かべ、そして、そのまま俺の腹部に手を這わせた。
臍の上から胸元まで、1の字を描くようにして伝うその指先に背筋に嫌な汗が滲む。
「曜クンのここにボクにとってのご馳走が詰まってるいう話なりますわ」
冗談にしては悪趣味すぎて笑えない。
愛想笑いを返すこともできず、ただ、その笑顔が、指の動きが何を示唆するのかを理解してしまった瞬間目の前が真っ暗になった。
「お、俺……おいしく、ないです……っ」
「そんなことあらへんよ。……曜クンから甘ったるい匂いがプンプンする、それこそ『骨まで食べてください』って全身で誘ってきはってんの……自覚なかったん?」
耳元で囁かれ、体が震える。
薄暗い空間だからか、それとも逃げられないこの状況だからか、余計目の前の男が得体の知れないものに見えて恐ろしかった。
けれど、それも一瞬。ぱっと俺から手を離した能代は口元に笑みを浮かべる。
「なぁんて、冗談や冗談。人肉はボクも嫌いやないけど、曜クンはまだ未熟やからなぁ。ボクはもっと熟して肉付きのええ女人の方が好みなんよ」
「男児は肉も硬ぅて味ないしなぁ、歯応えありすぎてあかん、ボクみたいな年寄りにはもっと柔い方がええんですわ」そう、まるで好みの食材の話をするかのように変わらない様子で続ける能代に背筋が凍りつく。
安堵しそうになるが、その内容は到底安心できるものではない。逃げたいのに逃げられない。
ベッドの上、じゃらりと鎖の音が響く。
汗が滲む。変な匂いもするし、気分も段々悪くなる、というよりもまるでまだ悪い夢を見てるような不安定感に焦点が定まらない。
「な、なら、あの、そろそろ離して……ください、俺、戻らなきゃ……」
なんだか恐ろしくなって、今にも逃げ出したくなる。
そう、ジリジリと広いベッドの上、後退るようにシーツを引っ張るが、その手ごと能代に掴まれ、ベッドに縫い付けられた。
驚いて、顔を上げればすぐ目の前には能代がいて。
「の、しろさん」
「何言うてんのや曜クン。曜クンはボクがマオからもうたんよ」
「綺麗なべべや、曜クンによお似合とるわ」薄く開いたその目の奥、真っ赤に光る瞳を見た瞬間、全身を巡る血がより一層熱くなるのを感じた。
「待っ、ぇ、あ、あの……っ」
「なんや……いくら子供言うても今から何されるかは理解できるんかいな」
「助平な子やわ」と、うっとりと目を細めた能代に腰から脇腹のラインを撫で上げられ、薄い生地越しに伝わってくるその手の感触に堪らず仰け反る。
そんな風に言われるとは思わなくて、まるで自分がむっつり野郎と言われてるようで堪らず俺は否定した。
「っ、ぁ、ち、違……っ」
「ほんなら、これはなんやの」
華やかな刺繍が施されたチャイナ服の下、明らかに不自然な盛り上がりを指先でつつかれる。
それだけなのに、全身が性感帯にでもなっかのように少しの刺激でも堪らず反応してしまうのだ。
びくりと身を捩れば、やつの薄い唇、そこに怪しげな笑みが浮かぶ。
「……ほんま、あかん子やわ」
ねっとりと絡みつくその声は、俺でもわかるくらいの厭なものを孕んでいた。情欲、劣情、色。言い方は色々あるだろうが、少なくとも可愛らしい感情とは掛け離れている。
覆い被さってくる影に、解けかけた帯。だらしなく開いた着物を緩めようともせず、それどころか、能代は開けたそれに構わず俺の上に乗る。
「の、能代さん……っ」
「そろそろ諦めんなはれ、ここへクロちゃんは来ぃひんよ」
それは揶揄でもなんでもなく、断言だった。
どうしてそこまではっきり言えるのか不思議で堪らなくて、胸元、触れる能代の手を払い除けようと手を触れる。「そんなこと、ありません」そう声が震えるのを必死に堪えながら言い返せば、「そら残念やったな」と能代は喉を鳴らして笑った。
「……刑天閣の上層階は限られた客しか入れへん、……ほんま、そういうところ気に入ってよう使わしてもらってるんよココは」
「絶対に邪魔が入らへんのや、ココ。何やってもどんだけ声を上げても客が扉を開けんと誰も入ってこうへんのや」絡み取られた手に唇を這わせ、能代はそのままちゅ、と唇を押し付ける。濡れた舌が触れ、指の谷間をなぞるざらついた舌の感触に思わず息が漏れた。
「っ、ぅ、や」
「だから、曜クンのその愛らしい声、たっぷり聞かせておくんなはれ。……安心おし、この階にいるのはボクとマオ、それと芸者のお姉やんくらいや」
遠くから聞こえてくるマオの笑い声にハッとする。
安心できるわけがない。……というよりも、刑天閣の個室がそんな仕組みだと知らなかった俺は、ただ恨んだ。
確かに、個室は上客しか使わないというのは聞いていた。それでも、その個室にこんなベッドが用意されてて挙げ句にそんな決まりがあるなんて、これじゃ、あれじゃないか。いやらしい店と一緒じゃないか。
途端に危機感を覚え、麻痺しかける頭の中。必死に能代の下から逃げ出そうとバタつくが、股の間、滑り込んでくる骨張った手に内股から腿の付け根を撫で上げられ、堪らず口を抑えた。
「ふ、ぅ……うぅ……っや、め……っ」
この男、前々から思っていたが触り方いやらしいのだ。
直接触れてるわけではないのに、指の腹で衣服の上からなぞられるだけでただでさえ過敏に神経は能代の指先に反応してしまう。
股の谷間、その最奥へと近付くに連れ、腰が震えた。逃れようと後退るが、足枷がそれを邪魔する。せめてもの抵抗で足を閉じようとするが、逆に能代の手を挟むような形になってしまうのだ。
そして、くにくにと衣類の下、膨らんだそこを柔らかく捏ねられればそれだけで頭の奥がピリリと痺れる。
「ッ、あ、ゃ……の、っ、しろさん……」
「あかんわ……ほんま感度ええやないのキミ。……そない触られんの気持ちええのん?」
そうじゃない、そんなことない。
そう否定したいのに、指のお腹で敏感な部分を擦られればそれだけで頭が真っ白になってしまう。直接触られてるわけじゃないのに、おかしい。能代の腕を掴んで止めようとする俺を見て、能代は歪に口元を歪めた。
「……あかん子やわ」
熱を孕んだその声に、ぞくりとお腹の奥にじんわりと熱が広がる。急速に喉が乾いていくような飢餓感。近付く能代の顔に、逃げる気力もなかった。重ねられる唇、ぼんやりと甘く痺れる頭の中、俺はそれを受け入れる。
赤い仄かな明かりに照らされた、薄暗い室内。
……なんだ、ここ。俺、なんでここに……。
ぼんやりとした頭の中、次第に意識はハッキリしてくる。
そうだ、俺、マオのやつに連れ去られたんだ。
咄嗟に起き上がろうとしたとき、右足がなにかに引っ張られる。じゃらっと鉛が重なるような音が響き、嫌なデジャヴ感に冷や汗が滲む。恐る恐る足元に目を向ければ案の定、そこには無骨な足枷が嵌められている。
けれど、首や腕は自由だ。
そして俺は重大なことに気付く。
服が着替えさせられていた。嫌なほどしっくりくるこの服は、間違いない。ここで与えられている俺の制服だ。
いつ、なんで、そもそもここはなんなんだ、と目を拵えて辺りを見渡す。
視界を遮る原因でもある垂れ幕のようなそれは天蓋ベッドのようだ。自分がベッドに寝かされているという震えるような状況下。
一先ず落ち着こうとし、そして恐る恐るカーテンの向こうを確認しようとして、向こう側で人が動く気配がして慌てて手を引っ込めた。
そして、つい咄嗟に寝たふりをしてしまう。
頭がどうにかなりそうなほどの甘いお香の匂い。
俺の馬鹿、寝たふりしてどうすんだ。
そう思いながらもやっぱり起きることができなかった。カーテンが開いたような音がする。
「ふーちゃん、なぁ、お前人間好きだったろ。ほら、お前のために用意してきたんだよ。可愛いだろ?」
聞こえてきたのはマオの声だ。
この野郎、と今すぐにでも飛び起きたかったがもう一人別の気配を感じ、やめた。マオだけでも厄介だというのに二体一で逃げれる気がしなかったからだ。とにかく、今はやり過ごそう。そう決意した矢先だった。
「ほんま……えろう愛らしいなぁ。マオ、どこで拾うてきはったん。こんな愛らしい子」
聞こえてきたのは独特の訛りだ。
え、なんで、なんでこの人がここに。
聞き間違えがない、その囁くような艶のある低音。
伸びてくる手に頬を撫でられ、つい、俺は目を開いた。そして、まず視界に入ったのは眩いほどの金髪と狐のような痩身の男。薄暗くても見間違えるはずがない。
「の、しろさん……?」
「あかん、声までかわいいわぁ」
ふーちゃん、もとい能代は煙管を片手にすっとぼけたよう笑ったのだ。
「ふーちゃん、ふーちゃん。どう? 見ろよ、可愛いだろ? おまけに感度もいいときた」
「ほぉ、そらええわ」
白い指先が頬から顎へと滑り、そのまま顔を持ち上げさせられる。細い指先。けれど、触れることに躊躇がない。
覗き込んでくるふーちゃんもとい能代に、慌てて俺は首を横に振って懇願する。
「能代さん、おれ、俺です、曜……っ伊波曜です」
「……そない人知りまへんなぁ。人違いちゃいます?」
「えぇっ、嘘、なんで。マオ、能代さんになんかしただろっ」
「なにかも何もふーちゃんは元々こんなんだって。……っていうか、曜はふーちゃんと知り合いだったのか?」
「んんや? ボクこの子知らんわ」
「っの、のしろさんっ……」
どういうことだ?本当に別人なのか?
混乱する俺は目の前の男を見上げる。
笑ってるように見えるはずの糸目だが、その口元に笑みはない。「能代さん」とどこかいつもよりも冷たい印象を与えるその男の名前を口にすれば、能代の眉がぴくりと動いた。
そして。
「……なんや随分と煩い口やわ。黙らんと塞いでまうで」
「ぅ、え、塞……っ」
塞ぐって、と言いかけた矢先のことだった。
宣言通り、言い返そうとした俺の唇は能代に塞がれる。当たり前のように重ねられる唇にぎょっとして、覆いかぶさってくる男から離れようと慌ててその肩を掴むが、冷たい唇の感触に、遠慮なく這わされる舌に、後頭部に回される掌に、驚いて固まってしまう。
「っん、む……っ」
なんで、こんなことに。
能代の唇が冷たいからか余計自分の体が熱に浮かされてるかのようにカッと熱くなる。
ちゅ、と軽く音を立て、能代の唇が離れた。
硬直する俺に目線を向けたまま、能代は「マオ」と猫男を呼ぶ。
「約束は約束や、お楽しみ中はアンタは外で待っときや。ボクは誰かさんみたいに見られる趣味はあらへんよ」
「相変わらずだな、ふーちゃん。ま、いいや。なあ、よかったら俺の分も残しておいてくれよ」
「アホ言いはるなや。アンタが言うたんやろ、ボクに好きにしと」
「わかった、わかったってば! じゃあ、俺は隣の部屋で待ってるよ。子狐ちゃんたちに遊んでもーらおっと」
言いながら、ひょこひょことした足取りで部屋を出ていくマオの背中見送るまでもなく、マオが部屋を出たのを見た能代は俺から手を離す。
「……はあ、ようやく出ていきはったな」
「の、能代さん……?」
「曜クン、アンタ悪い人には着いていったらアカンて人間界で習わんかったん?」
「よりによってマオに捕まるなんて、あの烏は何してはんのや」そう呆れたように、静かに続ける能代に俺は心底ホッとした。俺の知ってる能代だ、やっぱり能代だったんだ。
「あの、これには深い事情があって……」
「ああ、言わんでもええですわ。マオのことやからどうせせこいことしいはったんやろ。……アンタ、やつの借金の形にされたんえ」
借金のカタ……形?!
慣れてるのか、さらっととんでもないことを言い出す能代に血の気が引いた。
「か、カタって……え、俺……なんで……」
「ボクが人の子が好物やから。マオがわざわざ用意してくれはったんやろなぁ」
緊張感のない声とは裏腹に、笑みすらも凍り付くような能代の発言に全身の毛穴という毛穴から汗がぶわりと溢る。
「こ……好物って」
空気がざわめく。遠くで管楽器の生演奏とともにマオと女の子たちの笑い声が聞こえてきた。
汗がじわじわと滲む。能代は口元に三日月のような笑みを浮かべ、そして、そのまま俺の腹部に手を這わせた。
臍の上から胸元まで、1の字を描くようにして伝うその指先に背筋に嫌な汗が滲む。
「曜クンのここにボクにとってのご馳走が詰まってるいう話なりますわ」
冗談にしては悪趣味すぎて笑えない。
愛想笑いを返すこともできず、ただ、その笑顔が、指の動きが何を示唆するのかを理解してしまった瞬間目の前が真っ暗になった。
「お、俺……おいしく、ないです……っ」
「そんなことあらへんよ。……曜クンから甘ったるい匂いがプンプンする、それこそ『骨まで食べてください』って全身で誘ってきはってんの……自覚なかったん?」
耳元で囁かれ、体が震える。
薄暗い空間だからか、それとも逃げられないこの状況だからか、余計目の前の男が得体の知れないものに見えて恐ろしかった。
けれど、それも一瞬。ぱっと俺から手を離した能代は口元に笑みを浮かべる。
「なぁんて、冗談や冗談。人肉はボクも嫌いやないけど、曜クンはまだ未熟やからなぁ。ボクはもっと熟して肉付きのええ女人の方が好みなんよ」
「男児は肉も硬ぅて味ないしなぁ、歯応えありすぎてあかん、ボクみたいな年寄りにはもっと柔い方がええんですわ」そう、まるで好みの食材の話をするかのように変わらない様子で続ける能代に背筋が凍りつく。
安堵しそうになるが、その内容は到底安心できるものではない。逃げたいのに逃げられない。
ベッドの上、じゃらりと鎖の音が響く。
汗が滲む。変な匂いもするし、気分も段々悪くなる、というよりもまるでまだ悪い夢を見てるような不安定感に焦点が定まらない。
「な、なら、あの、そろそろ離して……ください、俺、戻らなきゃ……」
なんだか恐ろしくなって、今にも逃げ出したくなる。
そう、ジリジリと広いベッドの上、後退るようにシーツを引っ張るが、その手ごと能代に掴まれ、ベッドに縫い付けられた。
驚いて、顔を上げればすぐ目の前には能代がいて。
「の、しろさん」
「何言うてんのや曜クン。曜クンはボクがマオからもうたんよ」
「綺麗なべべや、曜クンによお似合とるわ」薄く開いたその目の奥、真っ赤に光る瞳を見た瞬間、全身を巡る血がより一層熱くなるのを感じた。
「待っ、ぇ、あ、あの……っ」
「なんや……いくら子供言うても今から何されるかは理解できるんかいな」
「助平な子やわ」と、うっとりと目を細めた能代に腰から脇腹のラインを撫で上げられ、薄い生地越しに伝わってくるその手の感触に堪らず仰け反る。
そんな風に言われるとは思わなくて、まるで自分がむっつり野郎と言われてるようで堪らず俺は否定した。
「っ、ぁ、ち、違……っ」
「ほんなら、これはなんやの」
華やかな刺繍が施されたチャイナ服の下、明らかに不自然な盛り上がりを指先でつつかれる。
それだけなのに、全身が性感帯にでもなっかのように少しの刺激でも堪らず反応してしまうのだ。
びくりと身を捩れば、やつの薄い唇、そこに怪しげな笑みが浮かぶ。
「……ほんま、あかん子やわ」
ねっとりと絡みつくその声は、俺でもわかるくらいの厭なものを孕んでいた。情欲、劣情、色。言い方は色々あるだろうが、少なくとも可愛らしい感情とは掛け離れている。
覆い被さってくる影に、解けかけた帯。だらしなく開いた着物を緩めようともせず、それどころか、能代は開けたそれに構わず俺の上に乗る。
「の、能代さん……っ」
「そろそろ諦めんなはれ、ここへクロちゃんは来ぃひんよ」
それは揶揄でもなんでもなく、断言だった。
どうしてそこまではっきり言えるのか不思議で堪らなくて、胸元、触れる能代の手を払い除けようと手を触れる。「そんなこと、ありません」そう声が震えるのを必死に堪えながら言い返せば、「そら残念やったな」と能代は喉を鳴らして笑った。
「……刑天閣の上層階は限られた客しか入れへん、……ほんま、そういうところ気に入ってよう使わしてもらってるんよココは」
「絶対に邪魔が入らへんのや、ココ。何やってもどんだけ声を上げても客が扉を開けんと誰も入ってこうへんのや」絡み取られた手に唇を這わせ、能代はそのままちゅ、と唇を押し付ける。濡れた舌が触れ、指の谷間をなぞるざらついた舌の感触に思わず息が漏れた。
「っ、ぅ、や」
「だから、曜クンのその愛らしい声、たっぷり聞かせておくんなはれ。……安心おし、この階にいるのはボクとマオ、それと芸者のお姉やんくらいや」
遠くから聞こえてくるマオの笑い声にハッとする。
安心できるわけがない。……というよりも、刑天閣の個室がそんな仕組みだと知らなかった俺は、ただ恨んだ。
確かに、個室は上客しか使わないというのは聞いていた。それでも、その個室にこんなベッドが用意されてて挙げ句にそんな決まりがあるなんて、これじゃ、あれじゃないか。いやらしい店と一緒じゃないか。
途端に危機感を覚え、麻痺しかける頭の中。必死に能代の下から逃げ出そうとバタつくが、股の間、滑り込んでくる骨張った手に内股から腿の付け根を撫で上げられ、堪らず口を抑えた。
「ふ、ぅ……うぅ……っや、め……っ」
この男、前々から思っていたが触り方いやらしいのだ。
直接触れてるわけではないのに、指の腹で衣服の上からなぞられるだけでただでさえ過敏に神経は能代の指先に反応してしまう。
股の谷間、その最奥へと近付くに連れ、腰が震えた。逃れようと後退るが、足枷がそれを邪魔する。せめてもの抵抗で足を閉じようとするが、逆に能代の手を挟むような形になってしまうのだ。
そして、くにくにと衣類の下、膨らんだそこを柔らかく捏ねられればそれだけで頭の奥がピリリと痺れる。
「ッ、あ、ゃ……の、っ、しろさん……」
「あかんわ……ほんま感度ええやないのキミ。……そない触られんの気持ちええのん?」
そうじゃない、そんなことない。
そう否定したいのに、指のお腹で敏感な部分を擦られればそれだけで頭が真っ白になってしまう。直接触られてるわけじゃないのに、おかしい。能代の腕を掴んで止めようとする俺を見て、能代は歪に口元を歪めた。
「……あかん子やわ」
熱を孕んだその声に、ぞくりとお腹の奥にじんわりと熱が広がる。急速に喉が乾いていくような飢餓感。近付く能代の顔に、逃げる気力もなかった。重ねられる唇、ぼんやりと甘く痺れる頭の中、俺はそれを受け入れる。
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