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第三章【注文の多い魔物たち】
08
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刑天閣一階・厨房前。
そっと厳重な扉を押し、中へ入ろうとした瞬間扉の隙間から溢れ出す熱気に驚いて扉を閉めそうになった。
どうやら炒め物を作ってるようだ、ちょっとしたボヤレベルの火力に慄きつつ、俺はもう一回そっと扉を開いた。
厨房の奥、俺の何倍もある巨人が、これまた俺ぐらい巨大な中華鍋を使ってなにやら大量の料理を作っていた。
頭があるはずのそこは凹み、丸太のような太い腕で鉛の塊を軽々と振るう姿はいつ見ても圧巻だ。
料理長は見ての通り顔がない。口もないので喋らないが、それでも身振り手振りだったりで意思疎通を計ってくれるので俺でもなんとか料理長とコミニュケーションを計ることができていた。
普段は大人しく穏やかな料理長だが……料理中の料理長には近付かないのが吉だ。
本当は料理長の許可を貰った方がいいのだろうけど包丁が飛んできたら恐ろしい。
「失礼します」と小声で呟き、俺はそっと冷水が入った瓶をこれまた巨大な冷蔵庫から取り出そうとしたとき。
「ヨウ、ここに来てよかったアルか?」
ホアンだ。
厨房奥からひょっこり出てきたホアンは、冷蔵庫から冷水を取り出してる俺を見て細い目を見開いた。どうやら黒羽のことを言ってるのだろう。
「黒羽さんがすごい熱あるみたいだったから水を貰いに来たんだ」
「ああ、そういうことアルネ。……寧ろ、妖怪殺し呑んでそれだけで済んでることが驚きアル」
「そんなにやばい酒だったのか?」
「ヨウが呑んだら一口で腹の中が焼き尽くされるアル」
笑うホアンにゾッと背筋が凍り付く。
揶揄じゃなかったのか。
想像しただけで具合が悪くなる。……それを黒羽が飲んだというだけで気が気でない、いくら俺よりも強靭な肉体を持ってるとはいえ、だ。
「早く戻らなきゃ……」
「倒也是! 善は急げアル」
というわけで、ホアンと合流した俺は黒羽の待つ大広間へと戻るためエレベーターホールへと向かったのだが……。
「な、なんだこの人混み……!」
「アイヤー、ツイてないアル。大渋滞アルネ」
「このタイミングでか……!」
降りてくる団体様と上がる団体様が丁度ガチ合ってエントランスは混み合っていた。
「せめてエレベーターに乗り込めれば……っ!」
「気持ちは分かるがやめとけアル。酒入ってる連中は短気が多いアルね、ただでさえヨウは目立つんだから大人しくしてるアル」
「うぐ……っ」
ホアンの言い分は最もだ。歯がゆいが、このエレベーターが空くまで待つしかないようだ。
壁越しにそっと眺めていると、ふいに、何かを考え込んでいたホアンが手を叩いた。
「ヨウは体力あるアルか?」
「へ?」
「こっちに来るアルネ」
ちょいちょいと肩を摘まれ、そしてホアンに誘導されるがまま俺はエントランスホールから離れた。
そしてついてきた先には、真っ赤な鉄の扉。そこには休憩室と同じように関係者以外立入禁止的な中国語が書かれている。
そこをどっかから取り出した鍵束のうちの一つの鍵で開いたホアンは「さっさと入るアル」と手招きした。
おずおずと入れば、そこは豪奢な店内とは正反対の殺風景な空間が広がっていた。剥き出しの鉄筋コンクリートに、螺旋状に伸びる階段。
「ここは……」
「見ての通り近道アル。……疲れるし掃除してないから普段使わないようになってるアルけど、今ならこっから登った方が早いアル」
「なるほど……! ありがとうホアン!」
「お礼を言うのはまだ早いアルネ、登りきらなきゃ意味ないアル」
「そ、それもそうだな……!」
早くこの水と酔い止めの薬を届けるぞ!と、ひっそりと意気込み俺は段差に足を掛けた。
ただでさえフロア毎の天井が高い造りになってる塔だ、六階までの距離を考えると途方もないが、無限というわけではないはずだ。
俺とホアンは階段を登り、六階を目指した。
そう、目指し、登り始めたはずだった。
「っ、なあ……ホアン……まだ……?」
「阿拉に聞くなアル……」
「絶対もう十階分は行ってるんじゃないか?!」
「だから阿拉に聞くなアルネ」
道に迷った……はずがない。
階段を登っても登っても果てのなく続く段差に、抱えていた水滴だらけの冷水の瓶も温くなり始めていた。
「どういうことだ……二階にたどり着くこともないとかあるか、こんなこと……」
「…………」
「なあ、ホアン……」
「これは、間違いないネ……妖怪の仕業アル……」
薄々そんな気はしてた。
してたが、認めたくないという気持ちもあった。
今まで気合と根性で登り切ろうとしていた全部が無駄でしたと言われてるようで、脱力する。
「……まじか」
「けど、おかしいアル。ここは関係者以外入れないアルネ、外部からの干渉を早々受けることは……」
ないはず、とホアンが続けようとして、何かに気付いたらしい。
ハッとするホアンは「まさか」と青褪めた。
「マオの仕業アルか」
「正解」
そのときだった、上空に現れたのは巨大な猫だ。
毛が長く、太く縄のような二本の尻尾を撓らせたその猫は尖った牙を剥くように三日月型に口元を歪めた。
「マオ!」
「えっ? マオ……? あの猫が……?」
「この姿で出会うのは初めてだな、曜君。本当はこれが本来の姿なんだが、この姿では不便でな」
「そんなことはどうでもいいアル、わざわざここの合鍵まで持ち出して何を企んでるアルか」
とん、と見た目に似合わず軽い足取りで手摺に降りてくる猫マオは俺の視線に合わせるように傍までやってきた。
少し手を伸ばせば捕まえられる位置なのに、触れようとすれば避けられる。そして、俺の肩にとん、と乗ったマオは笑った。
「思い出したんだ、エンブレムをどこに落としたか。だからそれを曜君にいの一番に教えなきゃと思って」
「っ、本当か?!」
「そうともそうとも、オレったらうっかりしてた。こんな身近にあるなんてことも忘れててさ」
「それで、エンブレムはどこに……」
そう言いかけたとき、肩のマオは大きく口を開く。尖った無数の牙のその奥、ザラザラの舌の上に銀色の見覚えのある鉛が転がっていた。
あ、と俺が目を見張るのもマオが口を閉じるのはほぼ同時だ。そして、ホアンがマオを捕まえようとしたとき、それを軽々と避けたマオはあっという間に遠く上の階の手摺からこちらを見下ろした。
「ここだ、曜君。こっちにおいで、オレに追いついたらこれを返してあげよう」
そう、大きな体で器用に手摺を駆け上がっていくマオに、俺は思わず階段を駆け上がろうとして、ホアンに腕を掴まれた。
「待つアル、ヨウ。あいつ、何か良くないこと企んでるアルヨ」
「で、でも……エンブレムが……!」
「だから待つアル、このままあいつの妖術にハマったままじゃ永遠に追いつかないネ」
そんなこと言われても、とマオがいた上階を見上げると既にそこにはマオの姿はなかった。
焦れったくて、もどかしい。すぐ側にあるはずなのに、果てしなく遠い。
「とにかく、落ち着くアル。……無闇に動くのは危険アルネ」
ホアンに落ち着けと言われるなんて、変な感じだ。
一先ずは目先の幻影に惑わされずには済んだが……だとしても解決策がないのが現状だ。
黒羽のことも気掛かりだったし、それにマオのあの態度……何か嫌な予感がする。
それはホアンも同じらしい。ホアンが落ち着けと言ったのは、まるで自分に言い聞かせてるようにすら聞こえた。
無闇に動かない方が良い。ホアンはそう言ったし、それは確かに俺も同意なのだけれども。
「……黒羽さん、大丈夫かな」
すっかりぬるくなった水の瓶を抱き締める。
俺は懐中時計を取り出し、今の時刻を確認しようとする。そこで、異変に気付いた。
「な、なんだこれ……っ!」
懐中時計の蓋を開けばその盤の上で、時計の針の部分がぐるぐると回転し続けるのを見て血の気が引いた。
何事アルかとこちらを覗き込んでいたホアンは、異様な光景を見て「アー」と納得するように口にする。
「マオの仕業アルネ、完全に」
「ど、どういうことだ?! もしかして俺の知らない間に時間がめちゃくちゃになってるってこと……?」
「まあそんなに気にすんなアル。マオはああだけどやつは幻術に関しては無駄に長けてるアル。その影響で時計や現実を映し出すものが機能しなくなってるアルネ」
「それってやばくないか……?」
「是的」
「っお、おい!」
当たり前のように頷くホアンにそこ認めちゃうのかよ!と突っ込みそうになるが、逆にいつもと変わらないホアンにこちらまで落ち着いてくる。
「こうなったらどうしようもねーアル。外の人たちが阿拉たちがいないことに気付いてなんとか現実世界のマオを懲らしめてくれるのを待つしかないアルヨ」
「そ、そんなの……いつになるんだよ……」
「阿拉に聞くなアル」
そ、そういうところだぞホアン!
開き直りというか肝が据わってるというか、もしかしたらホアンもこの状況に慣れているのだろうか。それともこの気の長さは妖怪だからこそなのか。
そっと厳重な扉を押し、中へ入ろうとした瞬間扉の隙間から溢れ出す熱気に驚いて扉を閉めそうになった。
どうやら炒め物を作ってるようだ、ちょっとしたボヤレベルの火力に慄きつつ、俺はもう一回そっと扉を開いた。
厨房の奥、俺の何倍もある巨人が、これまた俺ぐらい巨大な中華鍋を使ってなにやら大量の料理を作っていた。
頭があるはずのそこは凹み、丸太のような太い腕で鉛の塊を軽々と振るう姿はいつ見ても圧巻だ。
料理長は見ての通り顔がない。口もないので喋らないが、それでも身振り手振りだったりで意思疎通を計ってくれるので俺でもなんとか料理長とコミニュケーションを計ることができていた。
普段は大人しく穏やかな料理長だが……料理中の料理長には近付かないのが吉だ。
本当は料理長の許可を貰った方がいいのだろうけど包丁が飛んできたら恐ろしい。
「失礼します」と小声で呟き、俺はそっと冷水が入った瓶をこれまた巨大な冷蔵庫から取り出そうとしたとき。
「ヨウ、ここに来てよかったアルか?」
ホアンだ。
厨房奥からひょっこり出てきたホアンは、冷蔵庫から冷水を取り出してる俺を見て細い目を見開いた。どうやら黒羽のことを言ってるのだろう。
「黒羽さんがすごい熱あるみたいだったから水を貰いに来たんだ」
「ああ、そういうことアルネ。……寧ろ、妖怪殺し呑んでそれだけで済んでることが驚きアル」
「そんなにやばい酒だったのか?」
「ヨウが呑んだら一口で腹の中が焼き尽くされるアル」
笑うホアンにゾッと背筋が凍り付く。
揶揄じゃなかったのか。
想像しただけで具合が悪くなる。……それを黒羽が飲んだというだけで気が気でない、いくら俺よりも強靭な肉体を持ってるとはいえ、だ。
「早く戻らなきゃ……」
「倒也是! 善は急げアル」
というわけで、ホアンと合流した俺は黒羽の待つ大広間へと戻るためエレベーターホールへと向かったのだが……。
「な、なんだこの人混み……!」
「アイヤー、ツイてないアル。大渋滞アルネ」
「このタイミングでか……!」
降りてくる団体様と上がる団体様が丁度ガチ合ってエントランスは混み合っていた。
「せめてエレベーターに乗り込めれば……っ!」
「気持ちは分かるがやめとけアル。酒入ってる連中は短気が多いアルね、ただでさえヨウは目立つんだから大人しくしてるアル」
「うぐ……っ」
ホアンの言い分は最もだ。歯がゆいが、このエレベーターが空くまで待つしかないようだ。
壁越しにそっと眺めていると、ふいに、何かを考え込んでいたホアンが手を叩いた。
「ヨウは体力あるアルか?」
「へ?」
「こっちに来るアルネ」
ちょいちょいと肩を摘まれ、そしてホアンに誘導されるがまま俺はエントランスホールから離れた。
そしてついてきた先には、真っ赤な鉄の扉。そこには休憩室と同じように関係者以外立入禁止的な中国語が書かれている。
そこをどっかから取り出した鍵束のうちの一つの鍵で開いたホアンは「さっさと入るアル」と手招きした。
おずおずと入れば、そこは豪奢な店内とは正反対の殺風景な空間が広がっていた。剥き出しの鉄筋コンクリートに、螺旋状に伸びる階段。
「ここは……」
「見ての通り近道アル。……疲れるし掃除してないから普段使わないようになってるアルけど、今ならこっから登った方が早いアル」
「なるほど……! ありがとうホアン!」
「お礼を言うのはまだ早いアルネ、登りきらなきゃ意味ないアル」
「そ、それもそうだな……!」
早くこの水と酔い止めの薬を届けるぞ!と、ひっそりと意気込み俺は段差に足を掛けた。
ただでさえフロア毎の天井が高い造りになってる塔だ、六階までの距離を考えると途方もないが、無限というわけではないはずだ。
俺とホアンは階段を登り、六階を目指した。
そう、目指し、登り始めたはずだった。
「っ、なあ……ホアン……まだ……?」
「阿拉に聞くなアル……」
「絶対もう十階分は行ってるんじゃないか?!」
「だから阿拉に聞くなアルネ」
道に迷った……はずがない。
階段を登っても登っても果てのなく続く段差に、抱えていた水滴だらけの冷水の瓶も温くなり始めていた。
「どういうことだ……二階にたどり着くこともないとかあるか、こんなこと……」
「…………」
「なあ、ホアン……」
「これは、間違いないネ……妖怪の仕業アル……」
薄々そんな気はしてた。
してたが、認めたくないという気持ちもあった。
今まで気合と根性で登り切ろうとしていた全部が無駄でしたと言われてるようで、脱力する。
「……まじか」
「けど、おかしいアル。ここは関係者以外入れないアルネ、外部からの干渉を早々受けることは……」
ないはず、とホアンが続けようとして、何かに気付いたらしい。
ハッとするホアンは「まさか」と青褪めた。
「マオの仕業アルか」
「正解」
そのときだった、上空に現れたのは巨大な猫だ。
毛が長く、太く縄のような二本の尻尾を撓らせたその猫は尖った牙を剥くように三日月型に口元を歪めた。
「マオ!」
「えっ? マオ……? あの猫が……?」
「この姿で出会うのは初めてだな、曜君。本当はこれが本来の姿なんだが、この姿では不便でな」
「そんなことはどうでもいいアル、わざわざここの合鍵まで持ち出して何を企んでるアルか」
とん、と見た目に似合わず軽い足取りで手摺に降りてくる猫マオは俺の視線に合わせるように傍までやってきた。
少し手を伸ばせば捕まえられる位置なのに、触れようとすれば避けられる。そして、俺の肩にとん、と乗ったマオは笑った。
「思い出したんだ、エンブレムをどこに落としたか。だからそれを曜君にいの一番に教えなきゃと思って」
「っ、本当か?!」
「そうともそうとも、オレったらうっかりしてた。こんな身近にあるなんてことも忘れててさ」
「それで、エンブレムはどこに……」
そう言いかけたとき、肩のマオは大きく口を開く。尖った無数の牙のその奥、ザラザラの舌の上に銀色の見覚えのある鉛が転がっていた。
あ、と俺が目を見張るのもマオが口を閉じるのはほぼ同時だ。そして、ホアンがマオを捕まえようとしたとき、それを軽々と避けたマオはあっという間に遠く上の階の手摺からこちらを見下ろした。
「ここだ、曜君。こっちにおいで、オレに追いついたらこれを返してあげよう」
そう、大きな体で器用に手摺を駆け上がっていくマオに、俺は思わず階段を駆け上がろうとして、ホアンに腕を掴まれた。
「待つアル、ヨウ。あいつ、何か良くないこと企んでるアルヨ」
「で、でも……エンブレムが……!」
「だから待つアル、このままあいつの妖術にハマったままじゃ永遠に追いつかないネ」
そんなこと言われても、とマオがいた上階を見上げると既にそこにはマオの姿はなかった。
焦れったくて、もどかしい。すぐ側にあるはずなのに、果てしなく遠い。
「とにかく、落ち着くアル。……無闇に動くのは危険アルネ」
ホアンに落ち着けと言われるなんて、変な感じだ。
一先ずは目先の幻影に惑わされずには済んだが……だとしても解決策がないのが現状だ。
黒羽のことも気掛かりだったし、それにマオのあの態度……何か嫌な予感がする。
それはホアンも同じらしい。ホアンが落ち着けと言ったのは、まるで自分に言い聞かせてるようにすら聞こえた。
無闇に動かない方が良い。ホアンはそう言ったし、それは確かに俺も同意なのだけれども。
「……黒羽さん、大丈夫かな」
すっかりぬるくなった水の瓶を抱き締める。
俺は懐中時計を取り出し、今の時刻を確認しようとする。そこで、異変に気付いた。
「な、なんだこれ……っ!」
懐中時計の蓋を開けばその盤の上で、時計の針の部分がぐるぐると回転し続けるのを見て血の気が引いた。
何事アルかとこちらを覗き込んでいたホアンは、異様な光景を見て「アー」と納得するように口にする。
「マオの仕業アルネ、完全に」
「ど、どういうことだ?! もしかして俺の知らない間に時間がめちゃくちゃになってるってこと……?」
「まあそんなに気にすんなアル。マオはああだけどやつは幻術に関しては無駄に長けてるアル。その影響で時計や現実を映し出すものが機能しなくなってるアルネ」
「それってやばくないか……?」
「是的」
「っお、おい!」
当たり前のように頷くホアンにそこ認めちゃうのかよ!と突っ込みそうになるが、逆にいつもと変わらないホアンにこちらまで落ち着いてくる。
「こうなったらどうしようもねーアル。外の人たちが阿拉たちがいないことに気付いてなんとか現実世界のマオを懲らしめてくれるのを待つしかないアルヨ」
「そ、そんなの……いつになるんだよ……」
「阿拉に聞くなアル」
そ、そういうところだぞホアン!
開き直りというか肝が据わってるというか、もしかしたらホアンもこの状況に慣れているのだろうか。それともこの気の長さは妖怪だからこそなのか。
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